chapter29 裏手
「襲われた!?」
「う、うん……」
「怪我は?大丈夫だった?」
「それは全然大丈夫だったよ。ただ、メリッサが少し回復するまで時間がかかりそうで……」
またメリッサの治療法が大量の水風呂に浸しておかなければならないという事なので、小さなバスタブを悠の家で借りようとやって来たのだ。
今はそのバスタブの中でメリッサは治療中だ。意識が戻るまで少なくとも、三日はかかるらしい。
一方ファイの方は一日寝たらもう大丈夫のようだ。
それよりも気になるのが襲われた事を話した時の悠の態度だった。まるで自分を責めている様な感じだった。
「悠君の方は大丈夫なの?私はマリアナが結構用心深くしてくれているから大丈夫だとは思うけど」
「カシオの探知能力も優れたものだから、来ればすぐに分かるよ」
「どうしてこんな便利な才能がないのかしら、うちの精霊には」
「お前喧嘩売ってるのか!?誰のお陰で今まで生きてこられていると思ってんだよ!」
ぎゃいぎゃい言い争いが始まる。
その様子を見ていた織音は頬杖をしながらぼそりと呟く。
「嫌い嫌いも好きのうちって言うか……」
「微笑ましいですね〜」
ほわわんと和みムードをかもし出しているマリアナに瑠衣とファイは同時に怒鳴った。
「そこ!呑気に見物してない!」
「ひぃぃい!?」
マリアナを挟んだ言い争いに発展し、オロオロしつつも止められないマリアナ。
とうとう堪え切れずに織音が噴き出した。
「ちょっと!何で笑ってるのよ織音!」
「だって……見てたら面白いんだもん」
「こっちは本気で言い合ってるの!笑わないでよ!」
悠と目が合い、瑠衣の勢いが弱まる。
大チャンスと言わんばかりにファイが押し迫る。
その勢いで瑠衣は押し倒される。その上にファイが馬乗り状態になる。
顔が凄く至近距離にあって、ついドキッとしてしまった。
「あ、悪い……」
バツの悪そうにファイが退く。
乱れた髪を手ぐしで整え、悠の反応を窺う。彼はしばし考え込んだ後、こう言った。
「そう言えば、カシオが君を呼んで来いって言ってたっけ」
「言われてみれば、カシオの姿が見当たらないよね〜」
「分かった」
悠に案内され、ファイが部屋を出て行く。
彼はしばらく廊下を歩いた後、立ち止まった。そして振り返る。
ファイには分かっていた。カシオが呼び出したのではない。少なくとも、彼の気配はこの家から感じ取れない。何処か外出しているのだろう。
用があったのは目の前に立つ彼の方だ。
「それで、話って何だ?」
見え透いては居るが、一応聞く。
「僕は、瑠衣さん……瑠衣が、好きだ」
いきなりそんな事をこちらに告白されてもとファイは心の中で苦笑した。
「君も、瑠衣が好きなんだよね」
これは嘘をついてもバレバレだろう。素直にファイは頷いた。
カシオが知ったらきっと怒るだろう。何せ主人の幸せを何よりも優先するものだから。
しかし、それだけで本当に幸せになれるものだろうか?真実を知ったとき、罪悪感に苛まれるだろう。まだ正々堂々と勝負したならそうは思わないだろうが。
それに悠自身自分の気持ちを悟っていたようだし。
「僕は……」
宣戦布告される事を覚悟した。
だがその先に続いた言葉はファイの予想とは真逆だった。
「瑠衣の事が好きだけど、彼女を幸せには出来ないと思う」
男としては情けない事を言ったものだ。
「僕は何も出来ない。何もしてあげられない」
「何も出来ない訳じゃないだろ」
「いや、何かしてあげられたとしても、彼女の心は既に何処にもないんだよ」
真っ直ぐな目で見られ、ごくっと唾を飲む。
「彼女の心は、確実に君の方へと向いている」
「……悪いが、それは誤解だと思うが。最近お前とまともに話せないからって落ち込んでたし」
「それは彼女の優しい心。恋心とは違う。そう確信出来た」
「――本当にそれでいいのか?後悔、しないのか?」
「例え僕がこのままずっと一緒に居てもいずれは彼女も自分の本当の気持ちに気付く。そうなれば、一番苦しむのは、彼女自身だから……」
本当に想っているが故の決断と言う事だ。
彼自身が身を引くと言っているのだから、わざわざくっ付けようとしなくてもいいか……。そう思い、ファイはそれ以上の説得をしようとはしなかった。
と、悠は突如拳で軽くファイの額をコツンと叩いた。
「頼んだよ、炎の王子様」
「その言い方、気持ち悪いからやめてくれ……。それと、頼まれなくても瑠衣は俺がちゃんと護って見せるさ!」
男同士の話が決着を迎えた頃。
部屋に置き去りにされた瑠衣・織音・マリアナは退屈そうにそれぞれ時間を持て余していた。
その中でも瑠衣は少し落ち着かない様子だった。それも無理はない。またファイの方が何か余計な事を言ってないか心配だからだ。
「!?」
突如マリアナが身体を震わせた。
「どうしたの?マリアナ」
異変にいち早く気付いた織音が駆け寄ろうとした時だった。
「駄目です!」
マリアナが織音を弾き飛ばし、自分も飛ぶ。
次の瞬間、強烈な光が発せられ、焦げた臭いが鼻をつついた。
光が止んでから見てみれば、マリアナの立っていた場所が焦げていた。炎による焦げではなく、落雷によるものだ。
最後の精霊が仕掛けてきたのだ。でも何故わざわざマリアナを相手に選んだのだろうか。相性が悪い属性であるマリアナがついている時を狙うなんて無謀にも程がある。何を考えているのか。
「オレは願いのためにお前達を倒す――!」
轟いた声。しかし姿は何処にも見えない。
マリアナですら何処に居るのか把握し切れて居ないようだ。
と、背後から衝撃が走った。
「きゃああ!」
「マリアナ!」
床を転がるマリアナ。駆け寄り、織音が抱きかかえる。
その前に影が立ちはだかった。感情の見えない薄い緑の目がただただ二人を見下ろしていた。毛先が少し内側に丸まった橙の髪をした少年の姿をしていた。
頭の中に巡っていた疑問を読み取ったのか、精霊クートはその答えを口にした。
「確かにオレは土に弱いからマリアナにも弱い。でもマリアナよりも超越している要素がない訳じゃない――!」
マリアナが土の針を突き立てる。しかし呆気なくかわされていく。
たとえ弱点にあたる属性のチカラを持っていたとしても、攻撃を当てられなければ意味が無い。彼が超越している要素、それは身体能力であり戦闘能力だ。
悪い予感が瑠衣の全身を走った。
――早く、早く戻ってきて……ファイ。じゃないと……!