chapter1 契約
「こ、殺される……」
「何せ本を開けてしまった主だ。他の奴等からすれば、邪魔者を召還してしまった邪魔者としか思われないさ」
身体の震えが止まらなかった。
祖父は知っていたのだ。もしこの本を開けてしまえば、厄介な事に巻き込まれ、命を落としてしまう危険性があると。
それを無視して開けてしまった罰が下されているのだ。
「ほう、おつかいには最適な人形をよこしてきたか」
割れた窓から侵入する一つの影。それはよく市販されている女の子向けの人形だった。背丈こそ小さいものの、サラサラした髪や化粧はリアルだ。
その人形はもう一本包丁を持っていた。あの小さな手でどうやって掴んでいるのかと不思議に思うほど背丈より大きい。
じりじりとその人形は歩み寄ってくる。笑顔で包丁を持ってくるのが尚怖い。
と、突然人形が炎に包まれた。
「そいつに手出しする事は許さねえ」
炎に包まれたにも関わらず、人形が燃え盛る気配は無かった。毛を逆立て、一歩一歩近づいてくる。
足が震え、身動きが取れなかった。
人形は止まったかと思いきや、先端を瑠衣に真っ直ぐ向けた。
――本当に殺される!
「馬鹿!逃げろ!」
ファイが声を張り上げる。しかし瑠衣は逃げ出せず、ぎゅっと目を閉じた。
「ちっ!」
すぐさま駆け寄ったファイが瑠衣の身体を持ち上げる。それとほぼ同時に包丁が突き出された。もしそのまま動いていなければ確実に心臓を貫いていた。
ベッドの上に呆然とする瑠衣を降ろし、揺さぶった。
「今の俺には制限がかかっているんだ!それを解くには契約が必要だ!制限がかかっている以上チカラが使えないし、守りたくても守りきれねえ!自分の命が欲しけりゃすぐに俺との契約に応じろ!」
契約?訳が分からない。
それをしなければ死ぬなんて、ただの脅しにしか聞こえない。
でも、本気だ。あの人形は確実に自分を殺そうと動いている。
もしかすればあの人形は今目の前に居る精霊に操られているだけかも知れない。ただそうやって契約を唆すように。
どちらにしろ、生きるか死ぬかしか無い。そして、生きるためには、彼の言う契約を呑まなければならない。
――おじいちゃん、ごめんなさい
「分かった」
静かに言った。
「その契約とか言うものに応じるわ。どのみちこうしなければ助かる術は無いんでしょ」
「ようやくその気になったか」
「それで?どうすればいい?」
「それはな」
人形の切っ先を交わし、瑠衣の元へと来る。
と、彼は瑠衣をベッドに押し倒した。それと同時に人形がこちらへ向かって走ってくる。
騙したなと瑠衣がファイを睨みつけようとした瞬間。彼の顔が近づいた。
唇に柔らかい感触。
「!?」
抵抗したくとも出来なかった。全身の力が抜ける。
唇が離され、彼はニヤリと笑みを浮かべた。
「契約した以上は全力でお前を守る!」
ファイが人形の頭を鷲掴みにした。すると髪の毛がチリチリと焦げていき、燃え始めた。
苦しみ呻くように人形が踊る。手から包丁が滑り落ちる。
話すはずのない人形から声が聞こえてきた。
「炎の精め……次こそは」
力尽きるように人形は倒れた。炎に包まれ、人形はみるみる灰となっていく。
床に突き刺さった包丁を抜き、滑り落ちたもう一つの包丁も回収したファイがそれも燃やし始める。
煙が立ち込める。だが苦しくは無かった。これもただの炎ではなく、何かしらのチカラで生み出された炎だからなのだろう。
自分の命が助かった事よりも、契約とは言え唇を奪われてしまった事の方で震えていた。
大事な大事なファーストキスをよりによって得体の知れない奴に奪われてしまったとは。
「大丈夫か?」
そんな事すら気にせず手を差し伸べるファイ。
鈍感な精霊の手をばしっと払いのけ、涙目で彼を睨んだ。
「誰が唇を奪っていいって言った」
「え?契約していいって言っただろ。異性同士の場合は口同士じゃないと駄目なんだよ」
「契約する事が唇を奪う事だとは聞いてない!今すぐ私のファーストキスを返せ!」
ベッドに置かれていたクッションを2つ投げた。見事2つとも彼の顔面にヒットした。
「おいおい、命の恩人にそんな扱いはないだろ……」
「うるさいうるさい!乙女心を知らない奴め!契約を交わしたとは言え、誰もあんたなんて認めてないからね!」
「契約した以上、どちらかの死が無い限り、契約は永遠に続くぞ」
「……永遠?」
冗談じゃない。
こんな奴と一生付き合わなければならないなんて。
今の今まで普通の中学生として目立ちもせず、ただただ平凡に暮らしていたと言うのに。
「まさか、こうやって命を狙われる日々が続くとは言わないわよね?」
「いや、俺達の戦いが終わらない限りは続くぞ」
「ふざけないで!それじゃあ休みの日もおちおちリラックスしてられないじゃない!」
更に瑠衣は窓を指差す。
「こうやって色々な物も毎回破壊されたら、修理するのにどれだけのお金と時間がかかると思ってるの!親にだって怒られるし!理由も問いただされるし!」
「それは安心しろ。これでも俺は精霊だぜ?」
そう言ってファイがガラスに手を置いた。するとガラスの破片がみるみる集まり、一枚のガラスに戻った。そして元の窓枠へと嵌められた。
ここまでされると彼が偉大なる精霊であると言う実感が湧く。
「へええ。こんな事が出来るんだ」
「当たり前だ。俺にかかればこんなものさ」
デメリットばかりかと思えば、メリットもあったもんだと瑠衣はほっとした。
「ところで、さっきの人形は何だったの?自分の意思で動かない物が何故動いていたの?」
「あれは意思の無いただの物に過ぎない人形に意思を与えたのさ。そして命を与えた恩として奉公させると言ったところの契約によって送り込んで来やがったのさ」
「それで、その契約をして狙ってきたのは?」
「俺以外の精霊になるな」
「あ、そう言えばそれぞれ火、水、土、風、雷を司る精霊が居るみたいね。口が勝手に言った言葉にそんな事が含まれていた」
「そうさ。そして俺達は互いに戦うのさ」
「へ?」
「望みを叶えるために」