chapter12 居場所
「なあ」
狭いメイドの使用室のベッドの上でファイが口を開いた。
「どうしてあの父はあそこまでカシオの契約主――悠を閉じ込めておくんだ?」
「詳しい事情はよく分からない。でも、あの人自分の子供だと言う割には言っている事がきついのよね……」
知らず知らず正反対の性格だと思われる自分の祖父を思い出していた。生易しいとまでは言わないが、いつもにこにこしていて子供に対して面倒見のいい祖父だった。あんなに温かい人などなかなか今の世の中存在しない。
「俺には理解できない。人間は愛し合える存在じゃなかったのか!?そう、信じてたのに……」
「一例だけを見て全てを否定するのはただの浅学非才よ」
動揺を隠しきれないファイに織音が呟く。
そう、彼は思っていたのだ。全ての人が愛し愛されるために存在するのだと。大まかな根拠はそれで真実を突いている。だが、その例外もあるという事だ。全ての人が同じように人を愛するとは限らない。愛する事が怖くて愛せない人も居れば、愛そのものが嫌いな人も居る。
今の世の中親からの虐待も少なくはない。子供に愛情が持てずにただただ痛めつける事しか出来ない悲劇の大人も多いのだ。
被害者である子供も可哀想だが、親の方にも精神的に追い詰められている事が多い。一方的に悠の父を怒るわけにもいかない。ましてやあかの他人ならば。
自分達にはどうする事も出来ない問題だ。
「ここで考えていても何も変わらないんだし……様子を見るしかないでしょう」
そう言うなり織音は仰向けにベッドに倒れた。
ふうっと軽く息を吐いて暗い思考を外へと追いやった。そして織音同様瑠衣もベッドに寝そべった。
「あ、そう言えば返事はどうするの」
「え!?あ!」
彼からの一目惚れ告白を受け、咄嗟に返事できなかった事を今更思い出す。
「で、付き合うの付き合わないの、どっち?」
「う〜ん、分からない。初めて会っていきなり言われてもまだまだ判別できる要素が少なすぎるからそう答えは早く出ないよ〜」
「そっか。それじゃおやすみ」
「うん」
目を瞑ってしばらくすると織音の寝息が聞こえ始めた。彼女は寝つきはいい方で、寝る前の挨拶をすると数秒後には寝てしまうらしい。
うっすら目を開けたまま瑠衣は今日出会ったこの洋館の主の姿を思い浮かべ、唇が触れた手の甲を見つめた。
やがて頭に霞がかかり、ゆっくりと瑠衣の意識は闇の中へと落ちていくのだった。
とうとう瑠衣の寝息まで聞こえてきた所でマリアナがファイに向き直った。
「人間の、非なる、部分が、見えてきました、ね」
「俺は……もっと人間を軽く見ていたらしいな。その方が楽だとか、そんな生易しい覚悟で人間になろうだなんて馬鹿だよな……。瑠衣も織音も人間の暗い部分をよく知っている上で世の中を渡り歩いているんだよな。こういう芯の強い人間ばかりじゃないんだって思うと、俺、幸運な精霊かも知れない」
「確かに、こうして、出会えたのは、必然、なのでしょうね。全ては、天帝様の、予定通り、って事、でしょうし」
「もう一つ、理屈では解決出来なさそうな問題も出来たしな」
「?」
ファイがそっと瑠衣の頬を撫でた。彼女の寝顔はまるで幼き天使のようだ。
カシオがしようとしていた事が今なら分かる。
「俺達にはどうしようもないさ。本当に向き合えるのは本人だけさ」
「……変わりました、ね」
自分の性格をよく知っているマリアナの言葉は当然だ。そういう問題には関係なくとも突っ込んでいくタイプであると自分も自覚している。
確かにじれったいが、瑠衣達でさえお手上げなのだ。あとは運命と時に任せるしかない。あがいても無駄だ。
しかしあの男――尋常でない心の在り方にファイは疑問を持っていた。そう、何かが狂気に走らせているような……。
――気のせいだろう
特に気に留めず、ファイもゆっくり目を閉じた。
夜中。ひたひたと何かの足音がしてファイが目を開けた。
その足音はこちらへとゆっくり、確実に向かって来ていた。反射的に起き上がり、身構える。念の為、姿が見られないようにカモフラージュをかける。
ぎいっと扉が開いた。
入ってきたのは、悠の父だ。暗がりで顔は見えづらいものの、身長と体格からしてすぐにピンときた。
「まさかメイドが手を貸したとは。全くどいつもこいつも人柄のいいもんだ」
と、右手が持ち上げられる。その手には草刈用の鎌がしっかり握られていた。
「予定を狂わせた忌まわしき天の使徒達め。今すぐ地獄へ落としてくれる!」
勢い良く鎌が振り下ろされようとした。その刹那。
突如鎌がグニャリと変形した。そのままみるみる液状に溶けていく。
「なっ……!?」
「ふうん、そういう事だったのか」
カモフラージュを外し、姿を露にする。
どうしてそこまで悠を追い詰めようとしたのか、そして瑠衣達すらも排除しようとしたのか。これで全ての察しがついた。
「お前、本物の父親じゃないな?形のみ映されたまがい物」
「精霊の姿が一人見えないと思えば人間に化けていたのか。しかしここで姿を現した事、後悔する事になるぞ」
「それはどうでしょう」
いつの間にか父親の背後にはカシオの姿があった。
「契約主と契約する前後で父親の様子が急変したと彼が自分に相談していましたよ。同時期に入れ替わった証拠でもある」
「ぬう……」
「たかが精霊の使いが、俺達に勝てるとでも思うなよ!」
そう言って父親の身体を炎で包み込んだ。ところが。
炎の威力が急激に弱まり、次第に消えていった。彼の身体が水色がかった透明になっていた。
「見くびるな!」
瞬間を逃さずカシオが風の刃で身体をこっぱみじんに切り裂いた。
「潮時のようなら退散しよう――でも、本物の父親が何処に居るのかよく考えて行動する事だ」
身体が液状になり、干上がっていった。残ったのは着ていたタキシードだけだった。
「一応勘付いてたんじゃねえか、カシオ」
「目立った行動もなしではこちらも動けないだろう」
全ては承知の上だったと思うとまたいい手駒にされたようで腹が立つ。
だが同時に安堵もした。
「良かった……。あれが本当の父親じゃなくて」
「確かに。これで我が契約主の居場所はちゃんとあるという事がしらしめられる」
やはり誰にでも居場所はあるのだ。そう確信が持てた。
何も知らず眠っている瑠衣の顔を見てファイはそっと安堵の笑みを浮かべた。