chapter11 閉ざされた洋館の主
「ほへえ……」
思わず二人は情けない声を出した。
それもその筈、彼女らの前にあるのはまさに御伽話に出てくるかのような立派な洋館だったのだから。雪のように白い壁に生える赤い屋根。手入れされていると思われる庭。来客者を迎える門の大きさからしてかなりの豪邸らしい。
空はもうすぐ茜から漆黒へと変わろうとしている。本当ならこんな所へ来る予定では無かったのだが。
「話が長くなりそうなので、今日は泊まって下さい。ご両親には……」
「ああ、伝える伝える」
携帯電話で瑠衣は織音の、織音は瑠衣の家に泊まると両親に伝えた。少し疑問を持たれたかも知れないが、今話を聞く機会がなければその先には和解がないように思えたからだ。未だにカシオは警戒心を解いておらず、ピリピリしている。
一方の主の方は少しずつ笑みを見せるほど打ち解けている。しかしその目に少し怯えが見えているのは気のせいだろうか。
中に入ると、広々したリビングに招待された。床暖房で足先がぽかぽかする。
ふかふかのソファに腰掛けると、この家に雇われているメイドが温かいハーブティーを淹れてくれた。
さりげなく主はメイド達を下がらせた。どうやらこの主は金持ちのお坊ちゃんだったらしい。確かに反応からして弱々しく、生温い環境で育てられたような感じだった。容姿も明るい茶のストレート髪に同じ色の瞳とそこそこ良い。
「僕の名前は大道寺悠って言います」
急にがたがたとティーセットが震えた。何事かと思いきや、彼の身体ががくがくと震えていた。
「僕は……僕は、ずっと、ここに居るんです」
「ずっと?」
おかしい。
「学校とかは?行ってないの?」
「行ってないのではなくて、行けないんです」
どうやら学校へ行きたいと言う意思があるのに行けない理由があるようだ。
そんな理由なんて、一つぐらいしか思い浮かばない。
「――いじめ」
一般的に多いのはこれだ。慈愛の一言も持たない奴等がする、下賤な行動。それによって傷ついた心を癒せもしないくせにその行動は世の中に広がっていく一方だ。現に瑠衣達の学校でも例外ではない。恐らく影の部分では幾つもあるのだろう。そう意味では珍しくもない事だが。
しかし予想は外れた。
「貴方の言ういじめと実際僕が受けているいじめは少し違います」
カシオがとても青ざめた悠の代わりに続きを話す。
「この方は実の父親からの抑制を受けている。学校に大量の金をつぎ込んでまでこの方を学校へ行かせない。外へ出させたくないのさ」
「そんな……それじゃあ」
「ああ、この方は孤独なのさ」
つまり、外部との接触を一切遮断されていると言ったところか。
交流が無ければ当然友と言う関係も築けないだろう。父親がそうしている以上、逆らえもしないだろう。
この少年は完全に独りなのだ。
ふと瑠衣は彼に自分の姿を重ねていた事に気付いた。そう、彼の悲しみを湛えた目はあの頃の自分と同じだ。普通とは違う髪の色でいじめを受け、傷ついて学校に行けなくなった時の自分とよく似ている。
あの時は織音に励まされ、何とか復帰する事が出来た。再びいじめようとした奴等を二人でぶっ飛ばしたものだ。無論、先生の説教はあったものの。それでも相手のびっくりした顔を見た時は気分がスカッとしたものだ。しかし相手が親となれば手を出す事は不可能だ。いや、親でなくとも手を出してはいけないのだが。手を拱いている事しか出来ないのなら、苦痛だろう。
「僕には話し相手すら居なかった。ただ淡々と日々を過ごしていくだけ。そんな生活なんて飽き飽きだった。でも自分ではどうする事も出来ない。そんな時、現れたのがカシオだった。カシオはたった一人の僕の話し相手となったんだ。でも影で何をしているのか知ろうとしなかった。見ないフリをしていようとしたんだ。彼が同じ精霊を、その契約主を襲っていると信じたくなかった。でも、逃げては何も変わらないって分かった」
立ち上がったと思えば、悠は瑠衣の前で跪いた。そのまま右手の甲にそっと唇を寄せた。
突然の出来事に瑠衣は顔を真っ赤にした。隣で見ていた織音でさえ紅潮している。
「貴方を一目見て思いました。意思の強い瞳をしていらっしゃると。その気高き姿に僕は惹かれてしまったようです」
「……それって一種の一目惚れ?」
「そう世間では言うのでしょうか」
人からこのようなカタチで想いを伝えられるのはこれが初めてだ。
どう言葉を発したらいいのか分からず、黙って俯く。鏡を見ればきっと凄く赤くなっているだろう。
ゴゴゴと後ろから熱気が感じ取れた。
慌てて振り向くと、ファイがぎろりと悠を睨んでいた。一方の彼は知らぬフリをしているようだ。
余計に澄ました顔が気に入らなかったのかファイが瑠衣に纏わりつく。いつも学校でやっているように後ろから抱きつく。
「こいつは俺のだ。渡さねえぞ」
「ちょっと、何勝手な事を言ってるのよ!」
「彼女が嫌がっているではありませんか。怪我人は大人しく寝ているものです」
「五月蝿い!こいつには指一本触れさせねえぞ!」
ふーふーと呼吸を荒げて叫ぶファイ。一方の悠はにこにこ微笑んでいるだけ。
もはや首を?まえられている瑠衣には逃げ場など何処にも無かった。
何とか織音とマリアナが仲裁に入って、落ち着いたものの無言のバトルは未だに繰り広げられていた。
そこへガチャッと玄関の開く音がした。悠がびくりと肩を震わせたのと、カシオが眉を顰めたのを見て、厄介な人が帰ってきたのだと理解した。マリアナは他の人間には見えないものの、念の為に織音の後ろに隠れる。
リビングのドアが開かれた。
その人物が何者であるのか、皆すぐに察しがついた。悠の肩の震わせようと怪訝そうな表情を浮かべるカシオを見れば一目瞭然だ。
いかにも不機嫌と顔に書いたかのように眉を顰めた男がこちらへと歩み寄ってくる。鋭い目がきっと悠を睨む。
「一体どういう事だ。私はこのような客を呼んだ覚えは無い。お前にもそのような客人など一人も居ないはず……。隠れて外と通じていたのだな」
「と、父さん、僕は……」
「お前のような出来損ないを外に出す訳にはいかんと私は言ったのだ。この恥さらしめが」
すぐに敵意はこちらへも向けられた。
「無断で他人の家に入り込んで、不法侵入で訴えるぞ。嫌ならばすぐに去れ」
迫力のある言葉。誰しも逆らう事は出来ないだろう。
このままここに居ては余計に事態が深刻化しそうだ。荷物を持ってメイドに促されるまま部屋を出る。
悠の事が気にかかりつつも足を止める事は出来なかった。
と、自分達が玄関とは別の方向へと誘導されている事に気が付く。
「追い出すカタチで出て行ってもらうのは詮ない事ですので、我々メイドの使う部屋でお休みになって下さい。あまりいい環境ではありませんが……」
「いいんですか?見つかれば貴方だって」
「構いません。最近の旦那様には賛同出来ませんゆえ」
ファイが複雑な表情をしている事にこの時瑠衣は気付かなかった。