雪と鳥
「もし叶えたい願いがあるのなら」
「叶わない願いを抱えているのなら、ついてきて」
そう言って、少女は僕をプラネタリウムへ導いた。
星たちの説明を聞きながら、少女は語る。
「星に願いを、と言うけれど星は願いを叶えてはくれない」
「けれど願う。願うことが出来る」
「願い叶わずとも、願い続けることが出来る」
「叶わぬ願いのその意味をあなたは私に与えてくれた」
「平穏と静寂と停滞を。執着と偏執の果ての悦楽を」
「星はずっとそこに在って、近くに誰もいなくたって泰然としていて」
「けれど決して孤独ではない」
「遠く手の届かない彼らに、私たちは願いを託す」
「人智を超えて、神様の奇跡がそっと降りてくるのを」
「足先の浮く高い椅子に浅く腰掛けて」
「たおやかな手をひたりと添えて」
「大きな望遠鏡を前にして私たちは空を見上げる」
「狂おしく、憎らしく、愛おしく、恨めしく、 」
「見上げた空は虚無だった」
次に少女は塔の展望台へ向かった。
少女は着いてすぐ、空を見つめ動かなくなった。
「あなたは空を見るのですね、この場所で。
他の人は景色を見下ろしてばかりなのに」
ずいぶん経ってから尋ねられた。
君の真似をしただけだよ、と答える。
「ここは空に一番近い場所」
「私が空を飛ぶときはきっとここから飛び立つでしょう」
揺り椅子に座る少女がいつか言った。
「あなたは空を飛びたいと願ったことがありますか? 」
僕は窓から雪が降っているのを眺めたまま、ないよ、と答えた。
「私もない。」
「まさか私が飛べないだなんて思いもしなかった」
飛べると思っていたの?
「翼を振り下ろす筋肉のうなり」
「空気をたたく感触」
「視界が上に引っ張られる感覚」
「私は覚えている」
けれどそれが、偽りだった?
「感覚は本物。それが現実ではなかっただけ」
「これから私は願うことにする」
「私に翼をお授け下さいと、星に願いを」
外を見てごらん。雪が降っている。
少女は揺り椅子から窓へと移り、呟く。
「鳥… 」
窓の外、一羽の鳥が雪に逆らい、飛んでいる。
「あの鳥はきっと」
「痛くて痛くて、泣いてしまいそうで」
「心と体から血を流しながら」
「飛んでいる」
雪はあの鳥を苦しめるだけだろうか。
地上で束の間でも休んでくれという願いは重荷だろうか。
「何かを背負って飛べるほど皆強くない」
「身軽でなければ遥かな高みへ届かない」
「骨肉を削いで、血を流し、心を砕いて」
「何もかも失くして、ようやく―― 」
「私は飛びます」
そう残して少女は消えた。
昔から変化することが嫌いだった。
人にもし起源とも言うべき、核や本質、
生まれる前から定められた生き方があるのなら、
僕にとってそれは不変だろう。
普遍でなく、不変。
円環でまだ不十分。
春と夏と秋をなくして、冬が来てまた冬が来ればいい。
円ではなく線、あるいは点かもしれない。
かつて僕が初恋をした時も、僕は不変を貫き、少女は去った。
一緒に行くことも後を追うこともできなかった。
僕にできるのはただ待つこと。
遥かな高みへ飛んだ少女が、いつか堕ちてくるのを。
飛ぶ鳥はいつか羽を休めに地に降りる。
その時をただ。
「叶わぬ願いのその意味をあなたは私に与えてくれた」
「平穏と静寂と停滞を。執着と偏執の果ての悦楽を」
「私に翼をお授け下さいと、星に願いを」
星に託した願いは叶えられないと、君は言ったのに。
それが君の起源だろうか。
ただ飛ぶこと。
全てを失くして飛んだ君。
また会いたいと、星に願いを。