「17話-燈籠-(後編)」
様子がおかしくなった菅野さんを見守る事にした龍也さん。
Colours復活ライブまでの菅野さんとの軌跡を語る。
※約14,000字です。
※分割投稿していた6話分をまとめました。
※「16話-希求-(終編)<後・後中肆>」
「16話-希求-(終編)<後・後終壱>」
の龍也さん視点のお話もあります。
2018年5月3日 11時30分頃(療養期間終了まで 後7日)
関東中心部 某所
如月龍也
昨日は恐ろしい、いやそんな一言で済ませて良いような事ではなかった。
事の発端は、人間オークション会場の跡地で行われた、裏社会からの人間オークションの撤廃の記念セレモニー。
そこに裾野が呼んだのは、殺し屋の相棒である菅野。
裾野のプランAでは心身ともに自立出来た彼を迎えに行き、再び相棒として仕事したい旨を伝えるといったものだった。
だが裾野が姿を消し、人工的とはいえ記憶喪失になった時、菅野は裾野が想像していなかった反応を示した。
どこにも行かないで。
裾野の推測を遥かに超える程、菅野は裾野に依存していたのだ。
そして菅野は贈り物であるネクタイに、酸素に触れると蒸発するタイプの睡眠薬を散布していたのだ。
それによって眠った裾野を取り返そうとしたColoursや俺達を、彼はたった1人で退け連れ去った。
・・・
平たくまとめてしまえば以上のようになるが、友好的だった筈の菅野に矛先を向けられる恐怖は尋常ではない。
湊や颯雅、淳と雑談する中で分かったが、彼は裾野や藍竜、暁さんに鍛えられてきた逸材の1人なのだから。
そんな彼が裾野を求め、周囲を拒絶した。
とはいえ、このまま放っておく訳にはいかない。
俺は颯雅と共にその後の彼の行動を監視――いや、見守る事にしたのだ。
あそこまで裾野以外と関わるのを拒む彼だ。
もし一般の人にも影響が出てしまっては、藍竜組にとってもプラスにならない。
その旨を藍竜に伝えた時、ちょうど暁さんに動いてもらおうか否か話し合っていたそうだ。
なのでそこは俺達で請け負うと話し、今に至る。
・・・
今日は1日オフだと藍竜から聞いていた為、確度の高そうな関東中心部を歩いていると彼らしき雰囲気を感じ取った。
表通りから一本入った道だが、人通りはある程度あるような住宅街、か。
この時間だと買物帰りの主婦または主夫が多いか。
「……」
菅野は回収が遅れてると思われるゴミ捨て場で足を止めた。
貼り紙を張られていないところから、違反してるせいで遅れてる訳ではなさそうだ。
近くの家の塀に隠れ、しばらく様子を見る事にしたのだが、そこに数羽の烏が飛んで来た。
それから破れた網の隙間に体をねじ込み、ゴミ袋を突っつき始める。
「…………」
その様子を不自然な程じっと見つめる菅野に、周囲の人達は少し離れた所でヒソヒソ話しだす。
ついにはしゃがんで見つめだしたせいか、警察に通報するか否かまで話題にあがっている状況だ。
ここは何か声を掛けた方が良いかと思案を巡らせていると、反対側からからすがゴミ捨て場まで歩み寄り、
「……?」
何も言わず、肩に乗ってる烏と一緒に首を傾げた。
しばらくはそうして様子を見ていたが、
「何してんの~?」
と、いつもより声を張って言うからすに、周囲の人達は少々安心した様子だった。
モデル体型で顔も小さく目立つ容姿をしている菅野が奇異な行動をしているせいか、からすが不審者に映らなかったようだ。
「消えたいなぁ」
菅野は烏達と一緒になってゴミ袋を指で突くと、からすを生気の無い眼で見上げた。
「人間って病むからいいよね~。ん~……病むよりも病める、なのかなぁ」
からすが自身の顎の下に手を遣って言うと、菅野は心底意味不明そうな顔でからすを見つめた。
「俺は動物がメンタル病んでるの見た事無いよ。こんなの人間くらいじゃない?」
菅野の表情から察したのか、からすが加えて言うと、ゴミ袋を突っつく烏達に餌を撒いた。
突然の餌に烏達は一瞬たじろいだが、肩に乗ってる烏達も食べているのを見たせいか、嬉しそうに飛びついた。
「……動物って、楽しいんですか」
菅野が烏達を見遣って言うと、からすは餌をあげた烏達も肩に乗せ、
「さぁ? どうなの?」
と、立ち上がった菅野に横目で目線を遣った。
「……」
菅野はからすが冗談で言ってない事をゆっくり認識し、
「ん? 俺に訊いてます?」
と、自分を指差す。
「人間でしょ? 楽しいの?」
からすは人体実験のせいとはいえ人間と烏のハーフだから、純正の人間の1人がどう考えてるのか知りたいのだろう。
だが菅野は次第にからすから目を逸らし、穴が開く程地面を睨み、
「はぁ……今は……全然……」
と、消え入る声で言った。
からすは菅野の結婚指輪に視線を向け、
「じゃあ楽しかったんだよ。どうして楽しくなくなったんだろうね」
と、真摯な質問をぶつけたのだ。
菅野はからすの言葉で我に返ったのか、首が取れそうな程勢いよく顔を上げた。
それから自分の腕を抱き寄せ、
「……俺が悪いんです」
と、バツが悪そうな顔をして呟いた。
しかしからすは意外にもキョトンとした顔をし、
「そうなんだぁ」
と、間の抜けた声で言ったのだ。
それに対し菅野は自分とからすを交互に指差し、
「え!? 知ってて聞いてきたんとちゃうんですか!?」
と、これまでの数十倍の声量で叫び、周囲の人達の中には驚きのあまり飛び上がっている人も居た。
菅野はそこで初めて様々な人に見られていた事に気付き、それぞれのグループの方向に何度も頭を下げている。
対するからすは欠伸をしたと思えば面倒そうに伸びをし、
「おぉ若い若い。じゃ、俺は用事あるからそれ宿題ね~」
と、軽く手を振ってその場を立ち去る。
菅野はあっさりその場から居なくなろうとするからすを呼び止め、
「あの! ありがとう……ございました」
と、胸の前で手を組んで言う。
するとからすは振り向き様に、
「んえ? 俺何かしたっけ? まぁいいや、頑張れ~」
と、貼り付けた笑顔で言う。
「どこ行かれるんですか?」
菅野は何かお礼をしたいのか、からすの眼前に回り込んで言うと、
「お散歩~。はいそこ邪魔~」
からすは冷たくあしらい、脇を通って歩を進めた。
「……そ、そうですか。また」
菅野は礼を諦めたらしく、少々俯いたまま呟く。
「はぁ~い。よろしく~」
からすは再び大きく口を開けて欠伸をすると、俺達に向かって目配せをした。
俺は引き締めた表情のまま頷き、颯雅は少し微笑んでそれに応えた。
「掴めへん人やなぁ」
菅野は腕組みをし、からすという人物について分析しようとしている。
「奇遇だな。調子はどうだ?」
そこに俺と颯雅が近づき声を掛けると、菅野はどこか安心したような表情を向けてきた。
「あはは……からすさんに宿題貰ったとこです」
淳の結婚相手でもある菅野は、こんな柔らかい表情もするのかと感心してしまった。
ただ忘れているだけだと思うけどな。
「宿題?」
颯雅が一歩進んで言うと、菅野は後頭部に手を遣り、
「はい。どうして楽しくなくなったのか、考えておくよう言われました」
と、眉を下げて言う。
「なるほど。今から時間あるか?」
俺が腕時計に目を遣って言うと、菅野はスマフォで何かを確認しながら頷き、
「はい、2時間くらいなら」
と、微笑んで言うので、颯雅は「宿題やるか!」と、ガッツポーズをして言ったのだった。
2018年5月3日 13時前(療養期間終了まで 後7日)
自宅 リビング
如月龍也
早速自宅まで移動し、先程より更に落ち着いた様子の菅野にお茶をもてなす事にした。
とは言うものの、湯を沸かしてティーバッグを用意するだけだ。
すると颯雅がキッチンまで駆け寄り、
「菅野はロイヤルミルクティーが好きなんだ。あと、ミルクと角砂糖も用意してくれ」
と、耳打ちしてくれた。
なるほど。
それは残念ながらまだ戻ってない記憶だ。
「ありがと――」
と、俺が言いかけたが、颯雅はティーバッグを収納している棚を見て項垂れ、
「ロイヤルじゃねぇミルクティーしかない」
と、今にも崩れそうな砂城の声色で言った。
「ロイヤルじゃないと飲めないのか」
俺が言い終えた時ちょうど湯が沸いたのでスイッチを押すと、ピーという機械音が響いて照明がゆっくり消えた。
その間も颯雅は冷蔵庫を漁り、牛乳パックを軽く振って、
「苦いって言われたんだって。まじか、ミルクも砂糖もそこまでストックが無いなぁ」
と、ビンに入った10個程の角砂糖を見下しながら言う。
おそらく、苦いと言った相手は裾野聖――本名だと後鳥羽龍だろう。
そうか、普段牛乳は飲んでも角砂糖を使う機会が無い。
颯雅も湊も使わないし、淳はたまに甘くしたいからと入れるが頻繁では無い。
そのうえ、今湊が夕飯の買い出しに行ってるから、夕飯時にならないと牛乳はフルにならない。
これでは……ロイヤルミルクティーの素材が圧倒的に足りない!
だが焦る俺とは対照的に颯雅はスマフォの画面を見て、
「ん? 粉の砂糖はあるし、牛乳も120mlあれば出来るのか!!」
と、ティーバッグ2つとお湯を透明なボウルに入れ、タイマーで3分をセットしながら言う。
その間に牛乳を計量カップに注ぎ、ちょうど120mlのメモリでパックが力尽きると、俺も一緒に胸を撫で下ろしてしまった。
それから鍋に水80ml、牛乳、砂糖小さじ1を入れ、3分置いたボウルも注いだ。
また3分待つと、茶葉と牛乳の甘い香りが漂ってきた。
「ロイヤルミルクティーは作れるのか」
と、俺が不思議そうにスマフォ画面を覗いて言うと、颯雅は「レシピサイトだな。動画が付いてて分かりやすいんだ」と、得意げに微笑む。
そうか。
無ければ同じものを1から作ればいいのか。
それなら記憶も――いや、それは人に迷惑が掛かるだろう。
颯雅はティーカップにロイヤルミルクティーを淹れ、リビングに戻って菅野に出すと、
「ありがとうございます」
菅野は何かを打ち消すように口元を緩め、美しい所作で角砂糖を5つ程入れてから口に含んだ。
すると少し言いにくそうに目線を泳がせ、
「あげてもらっておいてすみません。ミルクあります? まだ苦くて」
と、関西のイントネーションで言い、眉を下げた。
これは相当な甘党のようだ。
だがミルクはロイヤルミルクティーの原料で使ってしまった。
「あぁ。さっき作った時に使ったんだ」
俺が席に着き、目線を落として言うと、
「ごめんな」
と、颯雅も続いてくれた。
だが菅野は俺達の顔を交互に見ると破顔し、
「えへへ。御二人共ありがとうございます」
と、言ってくれたのだ。
そんな彼の笑顔には痛々しさと苦しさが窺え、いかに龍の存在が大きいかを思い知らされる。
まぁこっちが泣き言言っても仕方ないな。
「それでからすの宿題をどうするか、だったな」
俺が話題を変えると、
「楽しくなくなった理由かぁ」
顎に手を当てた颯雅が続き、2人で菅野の様子を窺う。
毛の量が多そうな暗く短い茶髪は、長らく美容室に行ってないのか毛先に乱れが目立つ。
とはいえ、スタイルや顔の小ささはテレビや雑誌で見るようなモデルと同レベルの美しさがある。
それに1つ1つの所作に洗練されたものがあり、相棒である龍の厳しい指導の賜物とも取れる。
「はい。俺、裾野の事――分からへん。昨日皆に矛先向けて裾野連れ去った後、深夜やったかな」
菅野がぽつりぽつりと話し始めた為、俺達は聞き役に徹する事にした。
「すっごい恥ずかしいんですけど、裾野に夜這いしたんです」
菅野は頬を僅かに紅潮させ、膝の上で組んだ手を強く握る。
その行動からは、不完全な記憶の俺ですら分かる程の後悔の海を感じた。
「でも拒否されて、そこで俺おかしいなって、淳にも酷い事して裾野にも嫌な事して、何で? 俺どうしたんって――すみません、バラバラで」
菅野は固く握った拳に力を入れ、肩を震わせて言った。
ちなみに淳への酷い事は、彼女の首を絞めた事だ。
一時の感情とはいえ、義兄として淳に手を出された事には憤慨した。
「俺、裾野にあんなにハッキリ拒否されて、違うんやって気付いたんです。せやからその――」
菅野は声を震わせ、最後の方には嗚咽混じりに言うと、口を噤んでしまった。
菅野の心から溢れているのは、どれも龍に対する感謝だった。
どんな時でも菅野を側で支え、一人前の殺し屋、そして誰から見ても上品な男性に育てた龍の本当の愛情に気付いたのだろう。
そこには一時でも恋愛感情があったが、必死に封じ込め指導者に徹していたのだ。
自分が龍の立場なら出来ない。
怖くて逃げてしまう。
そんな弱気な気持ちが見え隠れする菅野の心には、なぜか晴れ間が見えていた。
それは彼が見ていたのが、淳と龍と笑い合う姿だったからだ。
なるほど。
完全に精神を病んでる訳ではないな。
ならばまだ、救える。
「滅多なことじゃ使わないけどな」
俺は向かい側に座る菅野の背後に回り、背中を擦ってやった。
能力で多少とはいえ精神を癒してやれば、顔を出してくれた太陽が後は雲を退けてくれるだろう。
「……」
菅野は涙の染みを沢山作っていたが、少しずつ落ち着いてきている。
颯雅は心配そうに顔を覗き込んでたが、菅野の様子が更に良くなってきたのか顔を綻ばせる。
「あの、気持ちは嬉しいんですけど、記憶大丈夫ですか」
菅野は俺を涙目のまま見上げ、心配そうにゆっくりと瞬きをする。
まだ戻らない記憶を心配しているのか。
一瞬そうも考えたが、菅野は能力のデメリットを知ってるのだろう。
「ちょっとだけしか使ってないから大丈夫だ。それより、菅野が思い詰めてる方が心配だ」
俺が微笑んでみせると、菅野は打って変わって向日葵の笑顔を見せ、
「俺、たしか本名で呼ばれてましたよ。改めて、関原竜斗言います」
と、大分明るくなった声色で言われ、俺は即座に謝った。
そうだったか。
実を言うと、菅野――ではなく、竜斗に関する記憶は義兄妹達の情報で補っていた。
なるほど。
菅野海未はコードネームで、そっちが本名だったか。
「でも俺の為に何でそんな? 淳は義理の妹やから分かりますけど、俺、"裏の世界"から来た義理の弟ですよ?」
竜斗は不思議そうに首を傾げているが、ちゃっかり颯雅が用意したティッシュを大量に使っている。
「俺は淳を大切にしたいのに、何で――」
自分自身への呆れから吐息混じりに言う竜斗に、俺はふぅと息を吐く。
「確かに淳は大切な妹だ。けどな」
俺が竜斗の隣に腰を下ろし、頭に手を置いて、
「兄弟じゃなくても、竜斗も同じくらい大切だよ」
と、表情を引き締めて言うと、竜斗は目を細め左胸に両手を当てた。
それからしばらく颯雅と一緒に様子を見る事にし、颯雅は優しい表情で見守っていた。
やがて竜斗はゆっくりと口を開き、
「そうですか」
と、温かさに満ちた声で呟いた。
竜斗が発した言葉はたった一言だった。
だがその中に数えきれない程の感謝の気持ちが込められていた。
救われた、そんな言葉が聞こえたような気がする。
刀傷や痣の無い小麦色の手は、今生きてる事とからすの宿題の答えを肌で感じてくれているのだろうか。
「さて、からすを呼ぶか」
俺は湊に連絡を取り、からすの予定を聞くと、買い物帰りに合流したと返信があった。
「え? あ、ありがとうございます」
竜斗は突然の事で困惑していたが、ゆっくりと頭を下げた。
するとからすが来るなら、と颯雅は俺の向かいに座り、竜斗の向かいを空けてくれた。
それからしばらくすると、湊とからすが談笑しながら入って来た。
「夕飯カレー? いいねぇ」
からすはビニール袋を指で突っついて言うと、ダイニングテーブルに座る俺達に目線で挨拶をした。
「からすさん!」
竜斗が勢いよく立ち上がって言うと、からすは眺めていたリンゴを天高く投げてしまい、
「わぁビックリ」
と、肩に止まってた烏がキャッチしたのを見届けながら言い、
「えっと? 宿題?」
と、湊に手渡しながら訊いた。
「はい!!」
竜斗が勢いそのままに言うと、からすは溜息を吐きながら席に着いた。
「で? どうして楽しくなくなったの~?」
と、からすがスマフォを見ながら――記録を見ながら言う。
「あの、俺淳にも裾野にも酷い事したのに、それが自分のせいってちゃんと気付けんくて逃げてたんです。せやから、楽しくなくなったんやと……思います」
竜斗がぽつりぽつりと話しだすと、からすは頬杖をついて適当に相槌を打った。
「ふ~ん。で?」
竜斗が話し終えると、からすは両肘をついて姿勢を崩す。
「え?」
竜斗は分かりやすく狼狽し、視線を落とす。
「んえ? 終わり?」
からすがもじゃもじゃ頭を掻いて言うと、竜斗はハッとした表情をする。
「あ、えっと……淳には今日会って謝ります。でも、裾野はあの日、すっごい勢いだけで謝ったきりで、その、復活ライブ近いし申し訳ないかなって」
と、竜斗が面倒そうな態度を取るからすを真っ直ぐに見て言うと、からすは背もたれに寄りかかった。
「結婚相手は適当でいいの?」
からすは腕組みをし、烏達も彼の動きに合わせふんぞり返る真似をする。
「そういう訳では、無いんですけど」
竜斗は近親者である俺達も居るせいか、口ごもってしまう。
「はぁ……無意識ならもっとマズイんじゃない? 裾野は力関係からして菅野に勝てるけど、結婚相手の淳は? 淳は一途に考えて悩んだのに、挙句菅野は淳のこと絞殺しかけたよね? 自ら望んで……死を選んで無いよね?」
からすは俺の気持ちも代弁してくれ、それでいて最後の言葉は――この場に居る全員の心に重く響いた。
「それって――ごめんなさい!!」
うわ言のように続けた言葉の先は、竜斗の心の情報によれば、「優太さんの事?」だった。
慌てて立ち上がった際に椅子は倒れてしまったが、竜斗は誠心誠意頭を下げていた。
あの時――記憶の治療をしてもらってる時に見えた、雨の中烏姿で泣いている彼の映像が思い浮かぶ。
あれは、自らからすに殺害を望んだ元相棒の光明寺優太を手にかけた後の映像だったのか!!
そう思ってからすを改めて見上げると、そこに適当さも笑顔も無かった。
怒りの中に悲しみがあり、それをどうにか自分で戒め引き締めていたのだ。
「あはは、熱くなっちゃったね~。俺さぁ別に菅野に死んで欲しいんじゃないんだって」
からすは先程とはうってかわったへらへら笑顔で言い、
「人間は追い詰めると自死を考えちゃうんでしょ? 部下、いや元部下の茂が言ってたしさ~」
と、記録に目を落とし、面白おかしそうに頬を緩める。
「それはその、人によりますけど、俺はそないな事ありません! おかしくなっちゃう、ので。でも、ほんまにありがとうございます」
竜斗はバツが悪そうに言い淀むと、目線を忙しなく泳がせた。
「やだなぁ。これからも淳を大事にしてって龍也が思ってるから言ってあげたのに~」
からすは俺に優しく微笑みかけて言うと、テーブルをポンと叩いて立ち上がり、
「裾野は誠意さえ伝われば分かってくれるから、頑張ってね~。ば~い元上司!」
と、言い残して窓から飛び立ってしまった。
からすが微笑みかけてくれた時に目で礼は伝えたつもりだが、からすの事だ。
ごめんごめん、記録に無いやとでも答えるだろう。
「ありがとうございました! 俺、考えてみます!」
竜斗は虎の勢いそのままに家を出ると、淳に謝罪した連絡が届いた。
だがいつまで待っても、5月12日――復活ライブ当日になっても竜斗は龍に謝罪した旨の連絡をして来なかったのだった。
2018年5月12日 7時頃(療養期間終了 2日後)
自宅 リビング
如月龍也
5月12日はColoursの復活ライブの日だが、颯雅による記憶治療の期限から2日経っている。
その事は後程述べるとしよう。
からすとの記憶と共に。
今は先に竜斗との記憶を述べ、ここまでの物語を完遂させよう。
・・・
竜斗はライブ当日まで連絡を寄越さなかった訳だが、行動をしなかった訳ではない。
俺が独自に彼に勘付かれない程度に様子を見ていた限りでは、龍に対し何かを言いかけては言い淀んでいたからだ。
「……」
龍から聞いたが、今日の8時――今からだと約1時間後から会場でリハーサルをやるそうだ。
それまでに連絡が来れば嬉しいが、来なかったらどうにかコンタクトを取って会おうか。
そう考えていた時に、丁度CAINの通知音でスマフォがダイニングテーブルの上で震えた。
この前家を訪れてくれた時に、連絡先を交換しておいたのだ。
隣に座ってる颯雅も気になっていたのか、俺のスマフォを覗き込んできた。
それなら一緒に見ようと目で話し掛けると、颯雅は強く頷いた。
早速俺はCAINの緑色のアイコンをタップし、トーク一覧の中から竜斗を探す。
プライベート用を滅多に人に教える事は無いと言っていたから、名前は『Ryuto』の筈だ。
幸いな事に彼以外誰も送ってきていないらしく、新着トークは竜斗の分だけだった。
俺自身逸る気持ちを抑えたつもりだが、いつもより強くタップしてしまう。
『今日まで謝れなくてすみません』
1番上に来ていた吹き出しは、謝罪の言葉だ。
『迷惑なのは分かってるんですけど、これから会場に行きます』
次にスクロールすると、颯雅と俺は何度か読み返してしまう程驚いた。
バイク乗りなのは既に思い出していたから分かっていたが、まさか1人で行ってしまうとは思わなかった。
こちらに一言――いや、今がその一言なのか?
そうではない。
俺達が想定していたのは、一緒に来て下さいという一言だ。
「今から!? 藍竜組からだと――1時間くらいか!?」
颯雅はマップアプリを駆使し、バイクの場合の所要時間を調べながら言う。
「おそらく相当飛ばして向かうと思う」
俺は竜斗が乗ってるバイクのメーカーを思い出せず、額を何回か突いていると、颯雅は「そうだな。海外のだったかな」と、口を挟む。
「それに龍が先に出てるから、止める人が居ない」
俺は完全に戻って来た記憶を手繰り寄せ、竜斗の行動を予想する。
その為今の言葉は独り言ぐらいの声量になってしまったが、颯雅は隣で相槌を打つ。
そして颯雅と俺は同時に息を吸い、
「「会場に先回りした方がいいか」」
と、一語一句、話す速さまで一緒の言葉が出てきた。
あまりに珍しいせいか、互いに顔を見合わせる。
それからじわじわと互いの口元が緩んでいくのが分かった。
この状況なのに。
違うな。この状況、だからかもしれないな。
2018年5月12日 8時前(療養期間終了 2日後)
武堂館 会場前
如月龍也
それから何とかリハーサルが始まる8時前に着いた俺達は、竜斗の姿を探していた。
もう会場に入ってしまっただろうか、追い出されてしまっただろうか、それとも――
「――!!」
俺と颯雅の視線がほぼ同時でバイクに注がれた時、竜斗はバイクに跨ったままでいた。
ヘルメットは外していて、ライダースジャケットに細身のパンツ姿だ。
暗めで短い茶髪は時折優しく吹く風にふわふわと揺れる。
俺達が気付かれないよう慎重に歩み進めていると、
「あはは……何でやろ。飛ばしすぎたんかなぁ」
竜斗は自嘲気味に言い、ミラーに映っている俺達に微笑みかけた。
流石は龍と相棒関係の殺し屋だ。
目の奥にも敵意を感じさせない、穏やかな雰囲気を纏っている。
「良かった。間に合ったな」
颯雅が俺を見上げて言うと、竜斗は長い脚を滑らせバイクから降りた。
「流石にタイミングが悪いぞ」
俺がたまらず声を掛けると、竜斗はこちらを振り返り"無"の笑顔を向けた。
「話し合おうぜ」
続いて颯雅が声を掛け、竜斗の腕を掴もうとすると彼は渾身の力で振り払い、
「オーラで分かるんです!! 俺だけやなくて龍の事も気にしてるやないですか!!」
と、涙を浮かべながら叫び、会場に向かって走り去る。
珍しく竜斗の口からコードネームの裾野ではなく本名が出た事に驚いたが、今はそれどころではない。
早く追いかけなければ!!
「待て!!」
と、俺が叫び、一度は腕を掴みかけたが、無情にも空を切った。
俺は空の手を見下し、固く握ってしまったが、
「早く行こう!」
と、焦燥感に溢れた表情の颯雅に促され、竜斗より一歩遅れて会場に入った。
そこには思い切り扉を開き、龍の制止の声も無視しステージまで走っていく竜斗の姿があった。
「待て!! 菅野!!」
颯雅はコードネームで竜斗を呼ぶと、竜斗はステージの前で額を打ちつけて土下座をしていた。
この様子にColoursは当惑の目をこちらに向けていた。
「帰るぞ」
俺は一秒たりとも迷惑を掛けたくない為、竜斗の腕を掴んで言った。
「皆今リハ中だから邪魔しねぇ方がいいだろ」
と、颯雅も続けて言うが、竜斗は頑なに首を横に振る。
「ごめんなさい!! ごめんなさいっ!!」
それどころか、顔を伏せたまま謝罪の言葉を繰り返す。
俺達はどうしたものか、と顔を見合わせたが、ステージ上からは舌打ちが響いた。
「自己満!? それとも俺達に謝ってる!?」
声からしてギターボーカルの佐藤だ。
何かを我慢するように唾を飛ばす彼からは、Coloursを心から大切に思う優しさが見えた。
それに対し、竜斗は顔を上げてから唾を飲み込み、
「ごめんなさい。赦してなんて言いません。皆さんを傷つけ、相棒の愛にも気付けなかった……俺の事赦してなんて言いません……!!」
と、芯のある声で言ったのだ。
そこまで言えたならもういいだろう。
これ以上ここに居ても迷惑を掛ける。
俺はそう思い、
「帰るぞ」
と、威圧を掛けたのだ。
だが予想に反して竜斗はその場を動こうとしなかった。
潤んだ瞳からは強い反抗心すら感じたが、俺や颯雅に向けられたものではなく、帰るという言葉へのものだろう。
すると龍が佐藤にギターを預け、ステージから舞い降りてきた。
ゆっくり一歩ずつ歩を進め、少しずつ竜斗の領域に入っていく姿は、最早救世主といっても過言ではなかった。
そのあまりの神々しさに、『神様への御祈りは済んだかい?』と、戦闘前に声を掛ける彼こそ神なのではないか、と一瞬思ってしまった。
竜斗も内心のどこかでそう思っていたのか、土下座をしようとする。
だがその手を優しく握り、立膝をついた龍は竜斗の目をじっと見て、
「スーパーにまた行って欲しい」
と、優しく呟く。
その言葉に竜斗は龍と出会った頃の事でも思い出したのか、星空の如く目を輝かせ、
「うん」
と、少々子どもっぽい声で微笑む。
なるほど。
とはいえ心配だな。
本当に今までの関係――相棒関係に戻れたのか。
「ライブ、行くよ! 颯雅さんと龍也さんと一緒に見てるから!」
それから竜斗は今にも唇が触れそうな距離で、満面の笑顔を向ける。
少し前までの竜斗であれば、無理にでも龍を欲しただろうに。
こんなに近付いてもいつも通りならば、もう彼は――
「ありがとう」
龍は何かを感じ取ったのか、柔らかい表情で頷き、ステージへと戻って行った。
「邪魔したな」
俺は本当に龍と竜斗が戻れたのかが気にかかったままではあったが、Coloursに声を掛けた。
「……ありがとうございました」
竜斗は会場を後にする俺達のすぐ後ろを付いて来て言うと、左手のピンキーリングを撫でた。
それは龍からプレゼントされたものだと記憶している。
やっぱり戻ってないんじゃないか。
龍への依存心はそのままなんじゃないか。
そんな俺の心配を拭うかのように、竜斗は隣の指に付けている指輪も愛おしそうに撫でた。
それは――淳と竜斗の結婚指輪だった。
2018年5月12日 ライブ開始20分前(療養期間終了 2日後)
武堂館 楽屋前
如月龍也
それから休憩などを挟んでライブ開始30分前に、竜斗はColoursに挨拶をしてきたようだ。
その表情は入る前とは打って変わって晴れやかであり、謝れた事への安堵と想いを伝えられた事への達成感が見える。
「よかったな」
颯雅が声を掛けると、竜斗は先程龍と話していたくらいの子どもっぽさを見せ頷いた。
なるほど。
龍の事が絡むと、少々子どもっぽくなるのだろうか。
それとも懐かしい感情から正気に戻ったから、無意識にその時の口調になっているのか。
不思議なものだ。
もしかしたら、俺も最初は今よりかなり幼い口調だったり、思考回路をしていたりしたのかもしれないな。
記憶とは――そう考えると、儚いものでもあるな。
性格等重要な部分に関わるものが1つでも欠けたら、考え方も口調も変わってしまうのだからな。
・・・
ライブ会場に入ると、皆既に席に座りサイリウムや団扇等の確認を行っている。
俺達も前から4列目の席に座ると、俺はステージとの近さに感心してしまった。
「ふふん」
竜斗は座ってからも落ち着きが無く、龍のメンバーカラーのサイリウムを頻りに振っている。
俺は特にする事も無いので、周囲を見渡してみた。
すると、数列後ろにResolute Geranium――藍竜、暁、黒河が隣同士で座り、談笑している様子が見えた。
水を差すのも悪いから、今は話し掛けない方がいいだろう。
後は誰か来てないものか。
2階席まである会場だから、全ては見渡せないにしても他に知り合いらしき人は居ないようだ。
それにしても、"こっち向いて"や"手を振って"等と書かれた団扇は、ステージから見えるのだろうか。
興奮した様子の竜斗の話を聞いている颯雅に、この疑問を振るのは難しそうか。
さて、あと――おっと照明が絞られ始めたな。
そしてメンバーが入場すると、客達は5人の鼓膜がはち切れるくらいの歓声をあげた。
それだけここに居る人達は待ってくれていたのか。
俺が1から10まで世話した訳ではないが、何故だか感慨深く思ってしまう。
それから1曲目に入る前のMCを蒼谷がした後、「ただいま」と、呟いていたのだ。
だが聞こえたのは、俺達の列くらいまで。
ならば――
「おかえり!!」
普段は舞台俳優をしている俺なら届くだろうと声をあげると、全員の顔が綻んだ気がした。
Coloursの活動中は顔出ししてないから、本当のところは分からないけどな。
・・・
Coloursはどの曲にも"光"があり、佐藤の澄んだ歌声が旋律の上を撫でていく。
Resolute Geraniumとは違った色で、虹色と青空が広がっていて、それでいて星や月も見える。
表現が難しいが、一言で纏めるなら"光るものを皆が持ってると気付かせる音楽"なのか。
とにかく聞いていて落ち着いていくが、胸の奥がじんわり熱くなるような高揚感も与えられる。
そうして最後の曲となり、龍が作詞作曲した曲のギターソロでステージ上のこちら側に来た。
それだけで竜斗は小躍りしていたが、龍は奏でた後に竜斗を指差して手を大きく振ってきたのだ。
「え!?」
竜斗は目から大粒の涙が流れているのに気付かず、渾身の力を振り絞って振り返す。
その時に俺と颯雅の肩に何度もぶつかっていたが、目を瞑るとしよう。
・・・
あっという間にライブが終わると、竜斗は興奮冷めやまないままに浅い呼吸を繰り返し、
「夜空にっ……ぶわって! 凄い勢いの――」
と、苦しそうに言うので、俺が手で制し、
「夜空に猛る龍の如く」
と、助け舟を出してみれば、竜斗は俺を指差し、呼吸と合わせて上下させ、
「それです! 会った時から星の見えない夜のイメージなんです!」
と、天井を仰いで言ってみせる。
既に観客は退場していたが、竜斗は龍の名を呼ばなかった。
どうやらこんなに舞い上がっていても、殺し屋だという事は忘れないようだ。
「星の見えない、か」
俺が俯いて呟くと、竜斗が聞き返してきたが、俺は首を横に振る。
「帰るぞ」
颯雅が俺の話し方を真似て言うと、竜斗は今まで溜めていたものを吐き出すように笑う。
「はぁ……」
俺は呆れる振りをし、颯雅と竜斗の後に続く。
「ずっと見守ってくれてありがとうございました。それと、迷惑掛けてほんますみません」
竜斗は颯雅と俺を順に見て微笑むと、最後には眉を下げ申し訳無さそうにした。
俺は自分よりもColoursや淳が許しているならいいか、と何も言わずにおく。
勿論俺も気にしてない訳だが、これからが大事だぞ、と目線で訴えておくか。
「俺達、家族だろ?」
対する颯雅は気持ちの良い笑顔を見せ、竜斗の肩を小突いた。
「ありがとうございます!! やっぱり俺、バンドやってみたいです!」
竜斗は毛量の多い茶髪を軽やかに振り、俺達を交互に見て眩しい笑顔を見せる。
「いいじゃねぇか。思い切ってやってみるのも大事だぜ」
颯雅がドラムスティックを指の間で回す振りをして言うと、竜斗は最大限の笑顔で、
「そうですよね!」
と、快活に言ってみせるが、
「死んじゃったら後悔出来ないですし」
と、闇の顔を垣間見せる。
これは話題を変えるべきだろう。
「鳩村も誘うのか?」
と、俺が口を挟んでみると、竜斗は止めてあったバイクに跨る。
それからエンジンを掛け、ヘルメットを被る前にこちらを振り返り、
「勿論です! じゃ、俺はここで」
と、向日葵の笑顔を見せて言い、俺達の前から轟音を立てて走り去った。
龍が――竜斗の言葉を借りるとして――星の見えない夜なら、菅野は曇天の下で咲く向日葵だろうか。
2人は決して交わらないが、どこかで絆が繋がっているかもしれない。
龍と竜斗は、そんな関係性なのだろうな。
走り去る彼の背中が小さくなっていく。
空はColoursギターボーカルの佐藤を思わせる澄んだ青空だった。
今日は夜までスッキリ晴れていた。
だが、星も月も休演中だった。
ここまでの読了、ありがとうございます。
作者の趙雲です。
次回投稿日は、5月15日(土) or 5月16日(日)です。
それでは良い1週間を!
作者 趙雲




