「17話-燈籠-(中編)」
復活ライブ当日。
龍也さんが確かめたかった事とは――
※約10,000字です。
※中編をまとめました。
――10日後。
2018年4月20日 20時20分頃
武堂館
如月龍也
あれから練習を定期的に見に行っていたが、Coloursの蒼谷茂から曲提供があった時の態度の違いに驚いた。
というのも淳から事の顛末を聞いたが、蒼谷はスランプにより作詞作曲が出来ない状態になっていたという。
原因は裾野の一時離脱、復活への不安も考えられるとのことだ。
話が逸れたが、以下がメンバーの反応だ。
王者の余裕を醸し出し聞き入っていた藍竜、尊敬の目を向けていた暁さん、感謝を誰よりも伝えていた湊、立ち直りに感動していた颯雅。
そして舌打ちし、ギターソロに対し腹を立てていた黒河。
その理由は、俺にしか聞こえない声量で呟いたあの一言に集約されていると思う。
「裾野が弾きそうなラインにしやがって」
どうやら湊と颯雅によれば、黒河はリゾゼラに入るまでは1人でギターの腕前を披露していたそうだ。
そこに龍から連絡を貰い、藍竜、颯雅、湊と暁さんに対し、補助メンバーを入れずに演奏しろと要求した。
その後腱鞘炎と診断されていた黒河は、暁さんが腹違いの兄である騅に性格が似てる事に内心戸惑う。
その上、誰よりも黒河を気にかける暁さんが母親と兄の藍竜に向き合ってる姿に、黒河は自分には無いものを見たという。
それで加入を決意した、らしい。
黒河は騅の件を自分にも非があると自責してるそうだが、今の記憶ではそれが何か分からない。
そして彼の母親の事は今の俺には話さない方がいいから、と、言われたのは何故だろう。
とはいえ戸惑った出来事以降は2人が黒河の口から聞いた訳ではなく、漂う雰囲気や心中の情報から察したそうだ。
そうだった。
龍に対し腹を立てている理由は――これまた湊と颯雅に聞いたが――何年か前に龍の暗殺に失敗し、何らかで片桐組の弱みを握られたからだという。
その方法は思い出したら分かると言われたが。
また話が飛んでしまったな。
武堂館は初めて来たと思うが、来てみれば来るまでの坂道や門を忘れてしまう。
それに本国らしいといえばそうなのだが、昔の闘技場や国技を思わせる外観に圧倒される。
開演は10分後か。
それなのにグッズ売り場は未だに混んでいるな。
「Bacchusのグッズは全て売り切れとなっておりま~~す!!」
売り場のスタッフの呼びかけに対し、肩を落とし売り場を後にするファンの数が目視できるだけで30人以上居る。
Bacchusはたしか暁さんのバンドネームだったな。
いくら顔を隠していてもあのスタイルや雰囲気なら人気も出るだろう。
ベースの技術に関しては素人の俺には分からないが、力強さの中に優しさがあって藍竜の声と合わさると変化する所に魅力を感じる。
「……」
そろそろ行かないとな。
藍竜が招待してくれたおかげで関係者席に座れるのだ。
――武堂館 内部
リゾゼラのファンはどんな人達なのだろう。
曲を聴いてる限り鋭くも美しいロックの雰囲気があるから、多少尖った人が多いのだろうか。
そう思いながら失礼にならない程度に周りを見渡してみる。
目に入ってきたのは、グッズを購入出来た者同士が互いに見せあったり、好きな曲をやるかどうか話し合ったり、ペンライトの色の順番を確認したりしてる人達だ。
なるほど。
とはいえ、俺は他のアーティストのライブには行った事が無い。
これが普通なのかどうかも分からない。
だが警備員がどう考えても素人っぽくないということは、何かに備えているのだろうか。
それか藍竜組の人が駆り出されてるのか。
「……」
段々客席が暗くなり、ステージもやがて極限まで暗くなると、ステージがせり上がってくる音が聞こえた。
顔を隠したバンドだから、明るくしてしまったら真下の人達には見えてしまうかもしれないからな。
そして照明が上がっていき、円型に並んだ5人を見たファンの人達は皆笑顔で声援を送っていた。
一瞬ギターが誰か分からなかったが、黒河は黒髪ショートヘアのカツラを被ってるのか。
とにかく、復活する事に対し全員が歓迎している。
燈籠の如く見守ってきた俺にも、ようやく1つ役目を果たせたのか。
さて、練習の成果も最後まで見守るとしよう。
・・・
ライブが終わると、客席からは溢れんばかりの歓声が響く。
関係者席からでも、2階席のファンの汗の臭いと熱気が伝わっているのだ。
この中でも絶対アンコールに応えないリゾゼラは、やはり強いと思う。
というのも理由を藍竜から聞いたのだが、暁さんを守る為だと言うのだ。
アンコールがどう暁さんを守る事になるのか、それも思い出せたら分かるのか。
今のところは顔を隠す為のマスクや帽子で汗を掻かないように、としか思えないのだが。
「ぶつかり合っていても、仲間を想い合っている気持ちは他のバンドとは比べ物にならない程大きいのかもしれない」
そう呟いてはみたものの、一先ずライブ直後の疲れた所に会うのは迷惑だろうから、明日スタジオに行く旨を伝えておこう。
湊、颯雅と藍竜にそれぞれCAINでメッセージを送り、全ての客が帰ってから会場を後にした。
・・・
今は何時か。
腕時計を確認すると、22時30分ちょうどを指している。
「さて」
湊か颯雅に会ったら一緒に帰ろうかと思い、出口へと向かって歩きだすと見覚えのある影が見えた。
スラッとした長身でスピード型の筋肉の付き方をしてる人物といえば、リゾゼラの中ではあの人しか居ない。
「暁さん」
客が居ないか確認してから俺が声を掛けると、暁さんは軽く手を振って歩み寄ってくれた。
「? あ……来てくれた。ありがとう」
暁さんは暗くても分かる程綺麗な顔立ちで、優しく微笑む姿は先程まで激しくベースを鳴らしていた人と同一人物とは思えない。
「こちらこそ招待してくれてありがとう。ライブ、凄く良かったよ」
俺が釣られて微笑んで言うと、暁さんは頷き長い睫毛を伏せる。
「1つ訊きたいことがあるんだけど、いいかな?」
と、俺がジェスチャーを交えて言うと、暁さんは首を傾げた。
「犠牲の上に良い音楽は成り立つと思うか?」
藍竜には暁さんも分かってると言われてしまったが、本当に暁さんも共通認識を持っているか疑問だった。
俺の質問に対し、暁さんは一度流し目をして考え、
「どうかな。それが好きなら、望んでいるなら素敵な音楽、かな。答え合ってる?」
と、俺の目を真っ直ぐに見下して言う。
その姿に嘘偽りも無ければ、誰かに脅迫された様子も無い。
やはり共通認識はあるのか?
だが――そうだ、藍竜が感謝を伝える曲を作ると言っていた。
名前さえ伏せれば平気だろう。
「あぁ。あともう1つ……犠牲になってるのが2人で、1人が感謝を伝えると言ってきたらどうする」
俺が途中から表情を綻ばせる暁さんを見上げて言うと、暁さんは口元に手を持ってきて微笑む。
「まるで俺達みたい。でも何事も感謝の気持ち、大切だよ。受け入れる」
目を細めて言う暁さんは、上品だが人を惹きつける魅力がある。
「……」
暁さんも、ちゃんとわかってたんだな。
出過ぎた真似をしてしまっただろうか。
「気を付けてね」
暁さんは先程までは枯れて原型を留めていなかった桜の花びらと共に消えた。
「あぁ」
と、手を挙げる。
そこにはただ1人の黒いジャケットを見に纏った男と、桜の花びらが散って枯れていた。
そして桜の残り香と力なく置いてかれた花びらが告げる。
この歪な形こそが、彼らの在るべき形なのだと。
彼らの音楽を創造していく上での根幹なのだと。
2018年4月21日 15時頃
某スタジオ
如月龍也
今日で記憶を失ってから13日が経った。
明日で2週間も経つというのか。
それにしても、記憶は一部しか戻らなかったな。
それでも音楽に触れられたのは人生においても大きいだろうから、リゾゼラのメンバーには感謝を伝えないとな。
――ガチャ。
俺がスタジオに入ると、ちょうど休憩を取っていたようで暁さんが軽食を配っていた。
「冷泉と一緒に作った。如月も要る?」
暁さんが微笑みながら持って来てくれたバスケットにはクロワッサン、楽器の形のアイシングクッキー、桜の花びらの形のパンもあった。
湊が料理出来るのは知ってたが、暁さんも得意なようだ。
その証拠にいつもは即断出来るのに、どれからも美味しそうな香りがして選べない。
それならあまり食べる機会の無いものにしようか、と桜の花びらの形のパンを手に取ろうとしたが、
「は? クロワッサン選ぶとか有り得ないから」
と、大股で近づいて来た黒河になぜかクロワッサンを横取りされてしまった。
おそらく隣にクロワッサンがあったから、俺が手に取ってしまうように見えたのだろう。
「如月は――」
と、暁さんがフォローしてくれようとしたが、俺は手で制して改めてパンを手に取った。
黒河とは今の記憶上短い付き合いだが、勘違いで謝らせるのは彼との人間関係が拗れる予感しかしない。
「あ。そのパン……俺が焼いたんだ」
暁さんは少々恥ずかしそうに目を伏せて言う。
「そうか、楽しみだな」
俺が言い終えてから一口食べてみると、暁さんは嬉しそうに目を細める。
桜の葉の塩味や香り付けは勿論の事、パンの柔らかさまで絶妙だ。
ここまでのクオリティが作れるとは。
「お。桜の良い香り! 卵入ってないだろ?」
藍竜が暁さんの右横から顔を出すと、暁さんは優しく頷く。
それを合図に藍竜はひょいとパンを取り上げ一口で頬張った。
暁さんはそれを微笑ましそうに見送ると、颯雅に目線を送る。
記憶には今無い情報だが、藍竜はどうやら卵アレルギーらしい。
ということは血縁者の暁さんも何かしらアレルギーを持っているのだろうか。
颯雅はしばらく迷った後、アイシングクッキーをいくつか持っていった。
ん? 残りはマイクとギター。ということはドラム、キーボード、ベースを持って行ったな。
「クッキーなら大豆入ってないぞ」
湊が迷ってる様子の暁さんに声を掛けると、暁さんは礼を言いながらバスケットを湊に渡し、残り2つのアイシングクッキーを手に取った。
なるほど。暁さんは大豆アレルギーか。
どうせ後から思い出せるのに。
俺は何故この5人をもっと知りたいと思っているのだろうか。
・・・
「それで、龍也は何しに来たんだ?」
なかなか言い出さない俺に颯雅が痺れを切らしたのか、ドラムの形のアイシングクッキーを手に声を掛けた。
その一言に4人もこちらを向いてくれたので、俺は颯雅に軽く礼を言った。
「今日で記憶を失ってから約2週間だから、そろそろ仕事に復帰しようと思う。そこで世話になった5人に感謝を伝えたかったんだ」
俺が拳を握って言うと、藍竜と暁さんは顔を見合わせて首を傾げた。
黒河はバスケットからクロワッサンを手に取り、興味無さそうに食べ始める。
「そうか」
藍竜は腕を組み、小さく頷いた。
「明日から?」
暁さんは包み込むような笑顔で言う。
ここまで颯雅と淳が2時間程治療してくれてるおかげで少しずつではあるが、他の記憶も戻りつつある。
だから、そろそろからすの仕事を手伝いたい意思はある。
「短い間だったけど、ありがとな」
俺が5人に目配せをして言うと、颯雅は晴れやかな笑顔を見せた。
すると暁さんが俺の真正面に歩み寄り、
「ありがとう」
と、スッキリした表情で言い、
「リゾゼラの事、知ってくれて」
と、僅かに屈み俺の耳元で囁く暁さんにハッとさせられた。
・・・
――2018年4月10日
少し考え事をしてると颯雅が肩を小突き、
「龍也、ちょっと聞いて欲しい話があるんだ」
と、声を抑えて言う。
俺が颯雅の方を向いて耳をそばだてると、
「リゾゼラをもっと知って欲しいんだ」
と、メンバーに見られないよう顔を伏せた颯雅は、俺ですら聞き取れるギリギリの声量で言った。
・・・
そうだ。
俺が初めてスタジオに来た時、片桐組の残党排除の背景にリゾゼラの連携があった話を颯雅から聞いたんだった。
待て。
つまり、暁さんはあの時颯雅と俺の話を聞いていた事になる。
とはいえ、暁さんは藍竜から聞いた通り本業は忍者だ。
俺や颯雅を出し抜く事くらい容易だろう。
「――っ!!」
言い終えた暁さんがゆっくり離れていく時に、暁さんの灰色のマスクの隙間から背筋が凍るモノを見てしまった。
あれは――人為的な痣。
あの痛々しさと変色具合からして先天性のものではない。
――? 昔、ちょっとね。色々、あって。
セピアに血の色が混じった笑顔が見えてくる。
声は明らかに暁さんのものなのに、俺の記憶にはどこにも無い。
あんなに辛そうな笑顔を浮かべてまで、俺に何を打ち明けた?
「あ……あぁ……!!」
俺が右手で頭を抱え、ふらつく足元を何とか地につける。
その様子に5人の表情が一変したのは、空気で何となく察した。
――母親。青龍桜。元殺し屋で、俺の声が嫌い。駄目だ、痣が痛いな。
記憶の映像の暁さんは今より少し若く、表情が硬かった。
何年前だ? でもどこにもベースが無いから、リゾゼラを始める前なのか。
そうだ、確か母親から……虐待を受けてた。
声は母親から"嫌い"というトラウマを植えられ、乗り越えるのに相当苦労していたと思う。
それからリゾゼラを組む時、母親に許可を貰いに行って――
そうだ。
湊と酒を酌み交わした時にこの話を聞いて、暁さんの勇気や優しさに感銘を受けたんだ。
「あ゛ぁ゛――!!」
懐かしいような、苦しいような複雑な感情が頭を駆け巡り、俺はついによろけてしまった。
だが待っていたのは冷たい床ではなく、桜の香りと温かい暁さんの腕の中だった。
「大丈夫?」
慈悲の瞳で見下す暁さんに、俺の目は右往左往してしまった。
彼のオフホワイトのハイネックのセーターの下を、母親に付けられた痣が支配してる。
それなのに、慈悲の気持ちは自分ではなく常に他人に向けられているのだ。
「役に立てた?」
それどころか、暁さんは艶っぽく首を傾げる。
俺は足に力を込め、気力で体勢を立て直し、
「少しだけ……」
と、5人に目線を向けて言い、
「少しだけ、暁さんのこと、思い出したよ」
と、続けて八重歯を見せ笑って言ってみせると、5人の表情がガラリと変わった。
「八重歯! その笑顔は久しぶりだな」
藍竜が俺の頬を勢いよく叩いて言うと、黒河は小さく頷き、暁さんは黒河の隣で柔らかい笑みを浮かべる。
そんな中冷や汗を掻いている俺に、颯雅と湊は心配そうな表情をしていたが内心は嬉しそうだった。
というのも、2人が心中で言っていたのは――"龍也らしさを1つ取り戻してくれた"――だったからだ。
2018年4月22日 21時前
自宅 リビング
如月龍也
自宅といっても淳、颯雅や湊と同居している。
もう家を構えていてもおかしくない年齢ではあるが、淳を1人にする訳にもいかない。
その認識が俺含め3人の深層に根付いている限りは、この生活のままなのだろう。
さて、治療の時間まで後数分か。
いつも始まる少し前には自室からリビングに移動し、ダイニングテーブルで湊と談笑するのがここ最近のルーティンだ。
「今日はからすを呼んでるから、終わる頃に迎えに行ってくれないか」
俺が湊に声を掛けると、湊は微笑みながら頷く。
それからリゾゼラについて2人で話していたが、藍竜の言う通りメンバーへの感謝を伝える曲を作る話は伏せておいた。
一体どんな曲が出来るのか、今から完成が待ち遠しい。
「待たせたな」
颯雅が治療の準備が出来た旨を伝えに来た。
その後ろには淳も居て、視線を向ける俺と湊に微笑みかける。
「じゃあ行ってくる」
俺が立ち上がって言うと、湊は頬に笑い皺を刻み、
「あまり無理するなよ」
と、声を掛けてくれた。
そうしてリビングを出ると、自室とは違う部屋の前で俺達は足を止める。
ここで治療を行う訳だが、普遍的な扉からは想像できない景色が広がっている。
というのも、湊の空間創造の能力を使った技"如夢幻泡影"による部屋だからだ。
窓側に置かれているベッドは天蓋付きのもので、4人で寝ても余る程の大きさだ。
そのうえ、窓からは多種多様な花が咲き誇る様や、青々とした草が茂る様を見る事が出来る。
即ち、俺にとっても治療する2人にとってもこの上なく癒される空間となっている。
そしていつものように俺がベッドに横になると、颯雅は俺と淳に笑顔を向け、
「じゃあ、始めるか」
と、右手中指に指輪をしながら頼もしく言い、淳はそれに続いて「うん!」と、元気よく頷く。
治療時はエネルギーを大量に消費する為、颯雅は記憶、淳は回復の能力を解放し、見た目がそれぞれ変わる。
まず颯雅は元気の良いオレンジ色の髪が黒に染まる。それから徐々に腰程までに伸び、凛々しくなる。
次に淳は神々しい白髪となり、颯雅と同じように伸びる。
まぁ同じように髪が長くなるせいか双子にも見えるのだが、解放時は無表情になる為殺されるんじゃないかと思う。
勿論治療という名目は分かってるつもりなんだけどな。
俺はそんな事をぼんやり考えながら目を閉じ、颯雅に準備が出来た合図を送る。
すると俺の額に手が当てられ、俺の右手と繋ぐ手には指輪の感触があった。
ということは額の手は左、繋いでる手は右か。
あくまでも颯雅談だが、対象の額に手を当てる事でより集中出来るそうだ。
その願掛けに指輪をしてるのかもしれない。
――"銀沙羅の白砂"
颯雅が呟くと、俺の頭の中に無数の記憶がカラーで走馬灯のように流れていく。
最初の頃は走馬灯のスピードが早すぎて何も分からなかった。
だがここ最近は遅くなってきたせいか、ゆっくり思い出す時間も確保出来てきた。
その中で様々な人が笑い、泣き、怒り、喜んでいる。
それだけでなく、傷付き、血を吐き、倒れ、立ち上がる姿もある。
今日は治療の後にからすを呼んでいるんだ。
からすの記憶がどこかに無いか、俺は無我夢中で走馬灯に逆らい彼を探す。
どこに居るんだ!? 答えろ!!
――ガタッ
もう少しで彼が烏の姿で泣きじゃくる場面を掴めそうだったが、急に誰かの体と共に闇夜に突き落とされた。
まさか、これは思い出してはいけないのか?
一瞬そんな問いが脳裏を過ったが、それはただの思い過ごしである事は目を覚ました瞬間に悟った。
「颯雅……!」
俺が淳の声で目を開け、首を起こしてみるとぐったりとした颯雅が元の姿になって覆いかぶさっていた。
しかも息遣いが非常に荒く、冷や汗も尋常ではない為早期の治癒が必要だ。
「何度も言っているだろう、無茶するなと」
淳は能力解放時男性の口調になる為、勇ましく感じる。
――"清明のリナリア"
淳が回復能力を使うという事は、颯雅は限界まで能力を使ってしまったのだろう。
早く戻したいのは分かるが、こうも毎度無理されるのは心配になる。
「戻るぞ」
淳は能力を使用したままで、辛そうな表情で起き上がる颯雅を支えて言う。
「ああ。2人共ありがとな」
俺が声を掛けると、颯雅はゆっくりと微笑む。
淳は俺を真っ直ぐ見つめ頷き、颯雅を支えたまま先に部屋を出た。
・・・
淳と颯雅による記憶関連の治療が終わり、俺は疲労からか自然と枕に後頭部を預けていた。
つい先程部屋を出て行った2人の反応からして、もうかなり良くなってきているようだ。
ただ、現在に近づけば近づく程記憶が薄れているのだから、まだ過去の人間なのかもしれない。
とはいえ、颯雅との約束の期限は5月10日。
万が一戻らなかったら、颯雅は気に病むだろうか。
――ガッチャァ――ドン!!
この適当さを感じる扉の開け方――からすが来たか。
初めてリゾゼラのスタジオを訪れた時以来なのに、ひどく久しぶりに感じる。
そしてからすはいつも烏を連れているせいか、鳥類と餌の匂いが漂う。
からすが消臭剤等付けていない事に関して、俺は別段気にならない。
「生きてる~?」
からすは一回り大きいサイズの黒いカーディガンに白いロングTシャツ、烏色のサルエルパンツを着こなしていた。
ロングTシャツは鎖骨が見える程襟元が緩いものだが、からすが着ていると不快感を覚えない。
「ああ」
俺がベッドから半身を起こし笑顔を見せると、からすは少し胸を撫で下ろしたように見えた。
リゾゼラが俺の笑顔を見て嬉しそうにしていたのと同じだろう。
急がなくてもいいと思っていたが、こうして関わった人達の反応が変わると穏やかな気持ちになる。
からすはベッドの端にポスッと座り、
「藍竜の総長さんから聞いたけど、俺の仕事手伝いたいって~?」
と、右目を閉じ半身だけ振り返って言う。
「あぁ。その件も大切なんだが、1つ相談させてくれないか」
俺が目を伏せて言うと、からすはゆっくりと俺の肩に上体を倒し、
「ふ~ん」
と、もじゃもじゃ頭を近づけて言う。
すると、いつも肩に乗っている烏達が一斉にからすの太ももの上に飛び移る。
近くにサイドテーブルや高窓、ローチェアもあるのだが、真っ先にからすに移る辺り忠誠心が強いのかもしれない。
「いいよ」
からすが勢いをつけて立ち上がると、烏達は再び肩にちょこんと乗る。
「面倒臭くなったら断るけどね」
と、言いながらからすがパンツのポケットを探りながら背を丸めると、烏達は期待の眼差しを向ける。
「分かった」
俺が短く返答すると、からすは餌を天井スレスレの高さまで投げた。
これは後で掃除する羽目になりそうだ、とも思ったが、烏達は1粒も落とさずに食べ切ってしまった。
その統率力の高さに感心していると、からすはこちらを振り返り、
「6月19日って分かる?」
と、色の無い優しい目で見下す。
6月19日。
本国の祝日を一通り思い出しても当てはまらず、誰かの誕生日かと逡巡する。
それならからすの誕生日は? いや、朧げな記憶だが秋だった気がする。
一度整理してみよう。
どうして藤堂からすという人物は、記憶を失ってすぐの時にも居て、ずっと心配してくれているんだ?
適当な印象を受ける彼の瞳から、俺に対する優しさが滲んでいるのは何故だ?
思い出せたら分かる事なのだろう。
頭では分かっているが、あの目は――
――カーッカーッ
思案を巡らせた俺の思考回路を、人工的な烏の鳴き声が遮断する。
からすが尻ポケットからスマフォを取り出していたから、どうやらこれが着信音のようだ。
「ごめんごめ~ん。あ~黒河からだ」
からすは親指で画面をタップすると、黒河と話し始めた。
最近4人で過ごす内に知ったのだが、電話の声も集中すれば聞き取れるらしい。
少し聞いてみようか。
『はいは~い』
からすが間の抜けた声で話し始めると、黒河の舌打ちが耳を刺す。
『藍竜司の伝言の件だけど、冷泉湊が如月龍也と藤堂さんを組ませろって言ってきたから、伝言は忘れて』
黒河が捲し立てるように言うと、
『は~い、“新しい”総長さん。それ藍竜さんが言ってきたの~?』
からすは両手を仰ぎ、烏を頭の上に止まらせる。
『そうだけど。目的は如月龍也か冷泉湊に訊けば?』
黒河は冷たく言い放つと、からすの返事も聞かずに通話を切った。
「え~やっぱ面倒だなぁ」
からすはスマフォを尻ポケットに戻すと、サイドテーブルに腰を下ろした。
「ねぇ、冷泉さんは何で龍也と俺を組ませたいの」
恐ろしく面倒そうに言うからすは、脚を組み更に体重を預ける。
「実は何度か湊には相談してたんだが、昔からやってた人助けをからすと一緒にやれば大切な記憶を取り戻せそうだと思ったんだ」
俺がからすの態度を気にしないように平然と言ってみると、からすは重そうに瞼を下ろしていく。
もしかして断るつもりなのか。
人助けとなれば、殺し屋の間に入る事も可能性は低かろうと起こりうる。
「黒河組の隊員を邪魔しなきゃいいよ~。あと藍竜さんとこ」
だが予想に反し、からすは怒りを覆い隠した笑顔でケロッと言ったのだ。
黒河組と藍竜組でなければいい、か。
難しいかもしれないが、一緒に出来るなら一歩前進だろう。
ここまでの読了、ありがとうございます。
作者の趙雲です。
中編をまとめましたので、次回投稿日のご連絡は削除させて頂きました。
それでは良い1週間を!
作者 趙雲




