「16話-希求-(後編)」
ゆーひょんが声を失った事を気にかけるもう1人の人物の希求とは。
※分割投稿していた分をまとめたので、長くなりました。(2020.9.20)
※約63,000字です。
2018年4月5日 13時30分頃
自室
如月龍也
Coloursが龍の見舞いに来て、戻るよう必死に訴えてる姿が頭から離れない。
そのうえ"BLACK"からゆーひょんの声はまだ戻ってない。
知らなかったとはいえ、俺が死んだと口に出したばかりに声を失った。
だがそれを誰も俺のせいだと責める事無く、あことしは龍の言葉に納得してくれた。
――自分が死んだことにしたい時は、理由はどうあれ誰かを愛するが為と敵を騙す為の行動だ。
それはお前自身もだろう。
大切な相棒である竜斗を紅夜の能力により一時的に消し、内心不審がられても普通にColoursと接してる。
そうか……龍が記憶の"怠惰"で消したのなら、ゆーひょんの声は"解放"すれば治るのか?
蒼谷の心を読んだ時は少なくとも、藍竜とのアポを取れていない様子だった。
「……"解放"か」
俺はその一言を頼りにある人物の元を訪ねることにした。
・・・
念の為藍竜組の門の前で電話を入れてみると、「今なら暇だ」と、早口で言われた為早歩きで向かう。
それから3分も経たない内に部屋の扉をノックすると、副総長である暁さんが慎重に扉を開け招いてくれた。
部屋の奥に目を遣ると、藍竜は自分のデスクで忙しなく文字を叩きこんでいる。
これはかなり多忙の時に電話してしまったか。
「……」
暁さんは応接間に通すや否やお茶を淹れてくれ、藍竜が来る前に口に含んでみると常温だった。
電話から部屋に来るまでが早かった為、暑いのではないかと気を遣ってくれたのだろう。
「ありがとう」
と、礼を伝えてみれば、暁さんは目を伏せて頷いた。
やがて陽も沈み始めた頃、藍竜はノートパソコンの電源が落ちてるか確認して蓋を閉じた。
「待たせて悪い」
藍竜はゆっくりと立ち上がってパソコン用眼鏡をその上に置くと、俺の向かい側に腰を下ろす。
書道有段者だからか、相変わらず姿勢がピンと伸びていて膝も揃っている。
「いや、忙しい時にすまない」
俺が謝罪の言葉を口にすると、藍竜は面倒そうに首を捻る。
その意味を察した俺は再びお茶を含み、早々に流し込んでしまうと、
「単刀直入に言うが、ゆーひょんの声を戻してくれ」
湯呑をコトンと置いて言う。
面倒臭がる時こそ冷静に話さなければ、藍竜は聞く耳を持たなくなる。
「それか。蒼谷から連絡はもらっていたが、断った」
藍竜は溜息混じりに言うと、続けてこう付け加えた。
「殺し屋に人助け頼むんだったら、相応のモン獲って来いってな」
と。
「? 相応のモン――まさか!!」
俺が身を乗り出すと、藍竜は「そのまさか」と、腕を組む。
まさかとは片桐組元総長、副総長である片桐兄弟のことだ。
俺達を満身創痍にさせ、建物が崩れると分かったら"反射"の能力で身長を小人サイズにして逃げ切った。
"BLACK"の元凶だ。
「"BLACK"中に結んだ契約で本国から強制退去させたが、不安を払拭出来た訳ではない。何せ本人が来られなかろうと、片桐兄弟の息が掛かった連中を本国で動かす事は可能だからな」
藍竜は目を伏せ、「人望無いから烏合の衆だろうし、契約には入れなかったんだ」と、肩を竦めた。
「だが"BLACK"直後から弱った組織が次々に潰れていてな、藤堂からすに調べてもらったら片桐兄弟の部下だと判明した」
そう言葉を切る藍竜の次の言葉は読めている。しかしあいつらは確か今――
「藤堂から2人は英国でマフィア稼業をしてると聞いた。数日間は華国にも居たらしいが、偶々居合わせたとある青龍刀使いに壊滅させられたらしい」
藍竜は華国拳法のような動きをして言うが、その人物を捜した方が良い気もしなくはない。
おそらくだが、その人物もかなりの大物マフィアか何かではないのか。
「まぁこれは余談だ。本題に戻ると、英国にある片桐兄弟の組織ごと潰して来い。そうすれば、声を戻してやらないでもない」
随分と曖昧な条件の提示だが、やらなければ声は一生戻らないと考えている藍竜のことだ。
ここで受けなければ、一生後悔することになる。
「……分かった」
二つ返事で応じた俺に、藍竜は口の端を僅かに歪める。
受けない訳が無い、か。
圧倒的な自信に思わず息が漏れたが、俺は忙しい藍竜の為にも軽く挨拶をしてその場を後にした。
・・・
自室に籠り、早々に英国へ発つ準備を始める。
パスポートの期限はギリギリだが問題無い。
スーツケースもあるし、荷物は最低限で良いだろう。
あとは友人知人は勿論のこと、兄弟全員に伏せて飛行機に乗るだけだ。
俺はスマフォからチケットを取り、誰にも会わぬようタクシーで空港まで向かい、本国を後にしたのだった。
2018年4月7日 20時30分頃
英国 田舎町
如月龍也
本国を後にした俺が向かった先は、英国のとある田舎町。
後に藍竜から連絡があり、詳細の住所を共有してもらったのだが行くのには少々苦労した。
スマフォに表示された空白だらけの地図を見ながら歩いていると、赤く点滅した場所と自分の位置情報が重なった。
「……」
そこには曇天の前に聳え立つ蔦が絡みついた4階建てのマンションが見えた。
観察してみると、元は真っ白な壁だったのだろうが今は見る影もない。
どうやら片桐兄弟がアジトとして住んでいるのは、ここの2階の中部屋らしい。
ということは、建物の構造からして204あたりだろうか。
「華国で一度壊滅したと聞いていたが、ここまで落ちぶれるとはな」
ここで呟いたところで理解できる人間は居ない。
いや、まず人っ子一人歩いていないのだから問題は無いだろう。
俺は今にもひび割れて崩れそうな階段を上り、2階の部屋を目指した。
しかし仮にもマフィア組織のボスのアジトに乗り込んでいるというのに、本当に誰も居ない。
華国に居たであろう部下も片桐組の元隊員すらも。
「藍竜の言う通り、烏合の衆だったんだろうな」
俺は溜息混じりに言葉を零すと、204の前に立ち周囲を捜索することにした。
まず扉を辛うじて照らしている蛍光灯を頼りに、備え付けられたポストを慎重に探ってみる。
そこには数日分の新聞が無理矢理詰め込まれている。
その新聞を避けて他の書類を捜したが、督促状や支払通知が見当たらないことから、事前に押さえていた物件ではないことが推測できた。
そうは言っても、本当に片桐兄弟が住んでいる部屋かは分からない為ドアベルを鳴らした。
「……」
音の反響具合からして人は居るようだが、数秒経っても返事がない。
だが踵を返そうとしたところで扉が不快な音を立てて開き、こちらに向かって身を乗り出し、
「……本国の人、ですね?」
と、掠れた声で言う男。
髪はボサボサでやつれた表情こそしているが、龍に撃ち抜かれた右目が潰れたままなので片桐組副総長の片桐湊司だろう。
しかも華国で壊滅させられた際にとある青龍刀使いに斬られたのか、頬を横切るように刀傷がついている。
俺は予想に反して普通に応対された為、鼻で笑っていると、
「貴方は如月龍也ですね!? こちらへ来なさい!!!!」
と、腕を掴みながら叫ばれ、部屋の中へ引きずり込まれた。
バタンと重々しく閉まった扉の内側は、埃とカビの匂いが充満しており非常に気味が悪かった。
そのうえ夜なのに電気が付いておらず、家具の位置や間取りを把握することは出来ない。
ただ、気配からして湊司は右横で深呼吸をしている為、離れていない事は分かる。
「ボス!! 如月龍也です」
そう湊司が部屋の奥に向かって叫ぶと、どこかの扉を開いた湊冴と思われる人物が目の前に立つ。
「よくここが――まぁ分かるだろう」
湊冴は落ちぶれた今でも貫禄や威厳を感じとることができ、声にも気迫があった。
「藍竜ですか?」
湊司は湊冴の右隣に動き、暗順応してきたせいか湊冴を見上げる鼻に陥没箇所があるのが見える。
青龍刀で相当抉られたようだ。
「お前に対する態度を見ればな。その様子だと、俺達を消せば何か褒美が貰えるのだろうな」
湊冴は2m程ある為かなり見下される形になり、褒美という言葉には怒気が籠っていた。
龍や他の人の話を聞く限り、片桐組に褒美なんて無かったからな。
「藍竜は甘い。俺達を仕留めなかったあのガキと同じだ」
湊冴は続けて唇を噛んで言い、言い終えると唾を床に吐きつけた。
「あのガキ――俺、通りすがりだからぁと言ってましたね」
湊司は青龍刀使いの言い方を真似て言う。
ということは、1人で部下含めこの2人に深手を負わせたのか。
是非一度顔を合わせてみたいものだ。
「さて……無駄話もここまでだ」
湊冴は首を捻り、関節を大きく鳴らすと、
「首を斬り落とすまでが勝負だ」
どこかに手を翳し、何かを反射させ俺に向けて飛ばしてきたのだ。
俺は壁に手を当て薄さを確認すると、物が壁に当たらないように刀で弾き返した。
だが湊司は自分の元に返ってきた物を封じ、決して丈夫とはいえない床に叩き落とす。
生憎俺はここの部屋の造りを理解していない。
せめて電気が付けられれば多少はマシなのだが、どこにもスイッチが見当たらない。
もしかして――
「電気があるとでも思ったか?」
真後ろに立つ湊冴を一瞥し、敢えて刀を振らずバックステップで距離を取る。
「……」
本当は好きなだけ暴れたいものだが、それで両隣あるいは上下の部屋に何かあってからでは遅い。
とはいえ、目の前に居るのは自分と互角に戦える相手だ。
どうするか。
迷っている間にも何かが反射し、壁に当たりそうになるのを防ぐ。
俺がどんな一撃を繰り出そうとオーバーキルは絶対無い、本性を出したところで嫌われるまでも無い。
こいつら相手なら、俺は一切悲しまなくていい。
そして何より早く帰還し、藍竜にゆーひょんの声を取り戻させなければならない。
どう足掻こうと、"解放"できるのは藍竜だけだ。
それならとっととこの勝負……決めねぇとな。
気持ちを切り替える為に息を吐き、刀を封じようとした湊司の背後に回り込み、
「俺が今まで、何で十分に力を発揮出来なかったか分かるか?」
と、耳打ちする。
その瞬間反射してきた椅子の軌道を変えた為、椅子は空中で動きを止めた。
「知りませんね。いえ、知る意味すらありません」
湊司は椅子を見上げ鼻で笑うと、バリアを何重にも張り反射してくる物を防いだ。
「そうだろうな。力を発揮出来なかったのは、周りの人間に俺の本性を見られて、嫌われたくなかったからだ」
と、俺が言い終えると同時に反射してきたのは湊冴自身だった。
気配は感じていたのでノールックで背後に向かって突きをしたが、手ごたえが一切ない。
だが右に強い覇気を察知し、即座に刀を振った俺の背後に居たのは湊司で、逆にバリアに押され軽く頭を打った。
「裾野聖も使っていましたね。彼は蜃気楼だと勝手に言っていましたが」
声の方向から飛んでくるのは、湊冴が反射させたであろう家具だ。
立ち上がりながら壁に当てないよう弾くと、間髪入れずに左横から飛んできたナイフが腕に刺さる。
そして右横から顔目掛けて飛んでくるテーブルを避ければ、何故か同じ方向から割れたワインボトルが飛んできて肘に破片が刺さる。
おかしい。
湊司の声は背後ではなく、正面から聞こえる。
おまけに湊冴の気配は正面にあるが、姿はどこにも見当たらない。
どこかの部屋に逃げ込んだとすれば、後追いすれば罠に掛かりにいくようなものだ。
しかし扉が開く音は聞こえなかった。ここは俺の耳を信じるとすれば答えは1つ。
「なるほど」
電気が付く環境であれば、この2人は一瞬で地獄送りに出来たかもしれない。
そもそも郵便物を探った限り、水道や電気は止められていない。
ということは、音こそしないが空調は強風に設定されていることだろう。
だから臭いが滞留せず、入った瞬間に気味が悪いという感情が先に来たのか。
俺はどうやら固定観念に縛られすぎていたようだ。
真四角のマンションの部屋であれば、玄関、廊下、扉があって部屋という一般的なものを思い浮かべていた。
だがここは――いや、この部屋だけは違う。
外から見える窓だけは四角でも、部屋自体は円型だったのだ。
それで扉なんてものは玄関以外には無い為、扉の音は隣の住民が帰宅した時のものだったのだろう。
数日とはいえ、住民の行動を把握していたのには舌を巻くな。
しかしこうも構造が分かってしまえば、あとはこっちのものだろう。
「どうしました? 俺達に嫌われたくない?」
湊司が致命傷ではないものの流血をしている俺を見下す。
残念だが、そのニヤケ面もここまでだ。
「なぁ……ここなら好きに暴れてもいいんだよなぁ?」
と、嬉しそうに口の端を歪める俺に、湊司の首が一瞬後ろに引く。
「ええどうぞ」
それから湊司は首の後ろの汗を拭い、再びバリアを張る。
その後ろに降り立ち、空間を響かせるように舌打ちをする湊冴は、
「あのガキ共――"悪魔の目"がぁ……!!」
と、目を吊り上げて叫ぶ。
それもそうか。
龍の平和のコンタクトを外した"もう1つの人格"と似たようなことを言ってるからな。
それでガキ共ということは、青龍刀使いも同じような事を口走ったのだろう。
「やっと……!! 暴れられる!!」
俺は刀を握り直し、目をカッと見開く。
不気味ともいえる笑顔のまま、2人に向かって走りだした俺の記憶はここで途切れている。
・・・
――30分後。
冷泉湊、神崎颯雅、龍勢淳の頭に、如月龍也の危機を知らせる警鐘が鳴り響く。
これは単なる嫌な予感というものではない。
確信に近いものだ。
まず冷泉湊が神崎颯雅も所属するResolute GeraniumのグループCAINに、龍也の行方について投稿する。
するとリーダーでもある藍竜司から、ものの数秒でこんな返事があった。
――英国に逃げた片桐兄弟を潰せば、ゆーひょんの声を"解放"するという条件を付けた。
冷泉湊はすぐさま龍勢淳にもCAINで伝え、それぞれの部屋から龍也の元へと瞬間移動をしたのだ。
この4人だけの特殊能力だが、瞬間移動で互いの居場所にのみ移動することが出来るのだ。
「――!!」
一足先に着いていた龍勢淳がスマフォのライトを当てると、目を見開いたまま呆然と立ちつくす。
「龍也!!」
次に到着した冷泉湊が、浅い傷を無数に付けて気絶している如月龍也を揺する。
「おい2人共!! 野次馬が集まって来てる!!」
最後に到着した神崎颯雅は、玄関外からの騒ぎ声に耳を塞ぐ。
それもその筈だ。
片桐兄弟はちょうど30分前に如月龍也によって発狂死させられ、その時の叫び声はマンションの外まで聞こえていたというのだ。
――カラース……カラース……
いつの間に入ってきたのか、割れた窓の側で1羽の烏が月夜に向かって悲しそうに鳴いていた。
「あの鳴き方は……」
思い当たる節のある冷泉湊は、烏に向かってこう呟いた。
「藍竜とからすに神崎医院に来るよう伝えてくれ」
と。
それから3人は如月龍也と2体の遺体を神崎医院に移動させ、如月龍也の意識が戻るのを待っていたのだった。
??? ???
??? ???
???
気を失ってどのぐらい経つだろう。
懐かしさを感じる匂いの中で仄かに香る薬品の臭い。
ここはどこか。
最悪敵地の可能性もある為、恐る恐る目を開けると暗闇の中に天井がうっすら見えてきた。
それから仰向けのまま周囲を見渡してみれば、サイドテーブルの手前に置かれた卓上カレンダーが目に入った。
幸いにも過ぎた日付にはバツ印が付いている為、どうやら今日は2018年4月8日らしい。
あとは時間帯を知りたいが、この暗さなら深夜か明け方か。
それなら時計は……卓上カレンダーの傍にデジタルの置き時計とは気が利く。
そこにはぼんやりとではあるが、4:44と表示されている。
「……」
おそらくここは病院で、何かしらの理由で入院させられているということか。
それにしても俺は、一体誰なのだろう。
そのうえ、目が悪いのかいくら時間が経とうとも視界が晴れない。
「どこかに――」
逃げなければ。
そう俺が半身を起こしながら言いかけた時、背の高い男性が暗闇から現れ耳の上に何かを通す。
その物質の冷たさと唐突さに背筋が凍えたが、急に視界が晴れたことからそれが眼鏡だと認識できた。
「……ここは」
俺が太い黒縁眼鏡を掛け直し、外を確認しようと体を揺すると、今度は目がチカチカした。
なんだ、電気を付けただけか。
不必要に腕で顔を覆ってしまったではないか。
「寝てたから、電気消しててね」
物腰柔らかそうな男性が眉を下げて微笑む。
頬に刻まれる笑い皺が特徴的で、優しそうな印象を受けた。
この人はきっと30代で弟か妹が居るのだろう。
それよりも――
「こんなに居たのか」
周囲を改めて見渡すと、先程の男性を含めて5人も見舞客が居たのだ。
見舞客たちはそれぞれに何かを話しているが、聞き覚えのある声ではない。
ましてや顔も知らないし、電気を付けられても病院であること以外は分からない。
そうして俺が視線を泳がせていると、鳥の巣のような頭をした男性が胸の前で手を振り、
「お~い、"たつや"、生きてる~?」
と、垂れ目を覆う睫毛の上を羽ばたく前髪を退けながら、間延びした言い方で言った。
「"たつや"……?」
俺がオウム返しの如く呟くと、男性の表情筋が一瞬だけ痙攣を起こした。
「んえ? あれ~? "たつや"……どうしちゃったの~?」
そして時を追うごとに眉を下げて目を潤ませてしまった為、俺は咄嗟に口を噤んだ。
どうしちゃったのとは、一体どういうことだ?
そう訊いてしまえば楽だったが、すぐに目を潤ませるような人には見えない。
それだからか、逆に驚いてしまった。
「んえ? ……神崎、ちょっといい~?」
男性は俺が驚いたことに目を丸くし、神崎と呼ばれた男を手招きした。
神崎はオレンジ色の髪で見るからに不良そうだが、非常に顔が整っている男性だ。
その見た目の割には優しさが滲み出ていて、一目見るだけでは本当の彼を知ることは出来なさそうだ、と直感した。
「"たつや"、それが兄貴の名前だ」
神崎の口から出たのはあまりに衝撃的な言葉だった。
だが彼のキリッとした目元を見る限り、嘘ではないことは明白だった。
え……?
俺の名前だったのか?
それに、こんなに見た目が違う、しかも俺より大分年上の奴の兄貴って……。
そう思い、掌に目線を落として数秒後に返してみれば、それなりの年を重ねた手の甲がそこにあった。
流石に40まではいかないだろうが、30代前半は確実だ。
「顔、見とく~?」
先程目を潤ませた男性が薄い箱型の鏡を近づけてくれた。
「……!?」
俺は恐る恐る鏡を覗き込んでみたが、そこに鮮明に映る自分の姿に言葉を失っていた。
俺ってこんなに年食ってんのか?
あくまでも感覚ベースだが15辺りだと思っていたから、尚更ショックが大きかったのだ。
「ありがとうございます」
俺は鏡を見せてくれた男性に礼を言うと、男性は不思議そうに鏡の下部に付いたボタンを押した。
それから鏡の部分をスライドしたり、触ったりしているので、変わった人なのだろうと思うことにした。
「……」
どうやら見舞客からの話がひと段落ついたようで、俺は誰にも気付かれないよう溜息を吐いた。
これは年を食ってたからではない。
俺の顔を見て物凄く寂しそうにする男性と女性が居るからだ。
1人は電気を付けてくれた男性で、もう1人は可愛らしい女性だ。
この人も知り合いか何かなのか。
いや、違う。
どちらも今にも泣きそうな顔をしているのだ。
そうなるとこういう仮説が立てられる。
神崎の兄が俺ならば、男性は俺または女性の兄、女性はどちらかの妹という可能性だ。
それなら涙ぐむのも無理はない。
「……」
そんなことをぼんやりと考えていると、もう1人の見舞客の男性と目が合った。
黒髪短髪で背はそれほど高くないが、焼けた肌のせいか威厳と覇気を感じさせる人だ。
それから男性は俺の方に歩み寄り、メモ帳とボールペンを懐から出し、
「名前の言い方が不自然だ。君の名前は"たつや"ではなく如月龍也。俺の名前は藍竜司」
と、メモ帳の真ん中に達筆な字で書きながら言ってくれたのだ。
「どうだ、書道の師範だから字上手いだろ?」
そのうえ、本当は俺を心配しているだろうに無理矢理笑みを見せる。
「……ありがとうございます」
俺は礼を言い終え、精一杯表情を柔らかくしたつもりだが、藍竜さんは目を細めて頷くだけであった。
その時、ピリッと背筋を小さな電流が走った。
気のせいかもしれないが廊下の方角を見てみれば、黒い影が見えたのだ。
誰も気付いていないことからして、時間にしたら1秒も無かった事だろう。
その時にどうやら無意識に口で呼吸してしまっていたので、喉の渇きを唾液で誤魔化す。
全く俺としたことが。……俺としたことが? 俺が一体なんだって? 30くらいなら会社員ではないのか。
だがそいつからは確かに何かを――殺気を感じたのだ。
……何で俺は殺気だって分かるんだ?
頭の中を何かが駆け巡っていくのに、俺はちっとも追いつけやしない。
一体何が俺を走らせているのか。
そう思い、そいつが居たであろう方角を見続けていると――
ガタッという音と同時にベッドが僅かに揺れた。
「淳……! 大丈夫か……?」
声を抑えた神崎が、ベッドの柵を掴もうとした彼女を受け止めながら囁いた。
倒れかかった女性――淳は大量に汗を掻いており、意識は朦朧としているようだ。
「どうした……?」
俺がナースコールを押そうかと悩んでいると、神崎は淳の背中を擦りながら寂しそうにこう言った。
「龍也の殺気が強すぎたんだよ」
と。
俺はまさかと思い、他の見舞客を見渡したが全員が冷や汗を掻いていたのだ。
倒れていないだけマシだという楽観的な考えは一瞬で吹き飛び、俺は何かを思い出そうと頭を抱える。
俺の、殺気……?
ダメだ、何も思い出せない。
今まで何をしていたのか、自分がどんな人物で、今ここにいる人達は誰なのか。
神崎は俺を兄だと言ったが、他の人達は関係性を明かしていない。
それは俺が混乱するからで――いや、何で混乱するんだ。
混乱とは何も無い、何も知らないから情報が多くてパンクすることでもある。
ということはつまり俺は――
「記憶喪失だ」
神崎が顔を上げた俺の代わりに口を開いた。
その言葉に一同は頷いたり、何も表情に出さなかったり、心配そうに目線を遣ったりしていた。
一体俺はこの先どうなるんだ。
記憶はどこからあって、どこからが無いんだ。
それとも今何となくある記憶は偽物なのか。
もし戻らないのなら、もう何かに向かって希求することは出来ないのか?
数多の疑問が俺の頭の中で走りだしていったのだった。
2018年4月8日 4時50分頃
病室
如月龍也
数多の疑問が俺の頭の中で走りだしていったのを止めたのは、神崎の一言だった。
「言動から推察して、兄貴の記憶は全てを失ってる訳じゃない」
神崎の目線は真っすぐで、俺を射貫かんとする意志の強さも感じられる。
間違いない――神崎は嘘をついていないんだ。
「記憶をパズルで例えたら、多くのピースが消失してしまって、ほんの一部のピースしか残ってない状態なんだ」
俺の右隣に傍にあった丸椅子を持ち込み、腰をかけた神崎は眉を下げる。
「恐らく片桐兄弟との戦闘で、能力を使い過ぎた事による反動なんだと思う」
神崎が呟くと、藍竜さんが神崎の隣に同じく丸椅子を持ちこんで座る。
誰かと何かしらの理由で戦ったなら、止めをさせていなければ意味がない。
もし殺りきれておらず、誰かに迷惑をかけていたら面倒をかける。
それに息の根が止まってなければ、喉を掻っ切らなければ――
「片桐兄弟というのは、龍也が記憶を失う直前に戦った相手だ。……大丈夫だ、記憶は無いだろうが発狂死させている」
藍竜さんは俺が殺気立った顔をしていたのか、最期のことまで教えてくれた。
「で、片桐兄弟ってのは俺の上司っていうか……俺が居た殺し屋組織のトップの方々だったんだよ~」
鳥の巣のような頭をした男性は、痒そうに後ろ頭を撫でた。
「けど、記憶がそれなりに残ってるのと、駆け付けた時に無数の浅い傷だった事から、相当余力を残して戦ってたんだろうな」
神崎は何も表情を浮かべず、俺を見る目も近親者だからこその心配からくる優しい目線だった。
「そうか……」
俺は片桐兄弟という人物たちを知らない。
ただ、俺がこの程度の傷で勝ったならそれなりの相手だったのだろう。
記憶が飛んだのは少々面倒だが。
それから神崎は淳の側に立っている男性に目線を遣り、
「龍也は藍竜の指示で、片桐兄弟を消したんだ。ある人の声を戻す為に――」
それを合図に、笑い皺に特徴のある男性が遠慮がちに声をかけてきた時……俺の脳内の時計の針が重々しく右に一度だけ動いた。
誰かの声を戻す?
その為に片桐兄弟を消した。
――ガタとまた右に動く。
藍竜さんの指示?
この世界は能力を持つ者が多いから、きっと何かの能力に必要だったんだろう。
――ガタ。
何で能力者が多いって分かってるんだ?
俺の記憶は断片的だと神崎が言っていたのに。
――ガタ。
でも俺は急いでいない。
記憶はそのうち戻ればいいと考えてる。
何故だ?
――ガタ。
そもそも藍竜さんは何の能力者だ?
これが分かれば見えてきそうだ。
「藍竜さんは何の能力を持っているんですか?」
背筋を伸ばして訊く言う俺に、藍竜さんは目を細め小さく頷いた。
差し詰め、やっとそこまで思い出したかとでも言いたそうだ。
「正式名称ではなくても伝わるだろうが、"解放する"能力だ」
腕を組み、口の端を歪めて言う藍竜さんの言葉に、更に針が右に動いた。
「"解放する"……」
一文字一文字を口に出す度、固まっていた何かが音を立て崩れていく。
そして時計の針が進むのを阻んでいたモノがひび割れていき、消えていた記憶が流れ込んでくる。
如月龍也は30代ではない、33歳だ。
一度賞金首にかけられた事もある。
そうだ、少しでも記憶が戻っているならここに居る人達の事も分かる筈だ。
神崎は……神崎颯雅。
俺の義理の弟で、剣技が達者な頼りになる男だ。
記憶を操れる能力を持つ。
隣に居る藍竜司は、藍竜組という殺し屋組織の総長だ。
槍使いで隊員のことを1番大事に思う優しい男だ。
本人は隠しているが、本当は目が悪い為隊員が居ない時は眼鏡を掛けている。
鳥の巣のような頭をした男性は、藤堂からす。
片桐兄弟に育てられた男で、謎の人体実験をされた為人間と烏のハーフだ。
祖父、父親と親子三代情報屋で、片桐組があった時は役員だった男だ。
淳の側に立っている男性は、冷泉湊。
俺の義理の兄で、幻覚の空間を創り出せる。
淳は、義理の妹である龍勢淳。
剣を扱えるが、兄妹の中では1番非力で心優しい女性だ。
そして俺達は全員心が読める筈だ。
顔を上げ、たまたま目が合った湊を見つめていると、自分が知らない筈の情景が見えてきたのだ。
・・・
いつの映像かは分からない。
だが湊の部屋を主観視点で見つめているから、湊の記憶であることは間違い。
湊が目線を落としているのは、さっきまでは鏡だとしか認識できなかったもの――スマフォの画面だ。
そこにはResolute GeraniumのCAINのグループトークが映しだされており、藍竜に俺の行方を訊いているようだった。
しばらくして返信があり、そこにはこう書かれていたのだ。
――英国に逃げた片桐兄弟を潰せば、ゆーひょんの声を"解放"するという条件を付けた。
ということは、この映像は俺が記憶を失くす直前のもの?
或いは失くした後の話ということか。
ゆーひょんという人物のことも、何がそこまで湊を憤らせたのかは俺にはまだ思い出せない。
ただ、湊は字面を目で追った直後には藍竜組まで瞬間移動していた。
そこで淳が俺の元へ行ったことを直感で知ったものの、湊は怒りに任せドアを蹴破った。
「藍竜!!!!」
藍竜のデスクまで大股で踏みしめて歩く湊に、藍竜は面倒そうに溜息を吐き、
「ドアを蹴破るのは面白いが、ノックを忘れている」
と、憤った湊を前にしても背筋をピンと伸ばしたまま座っている。
流石書道の師範と感心している暇はないか。
しかし湊は相当頭に血が上っているらしく、藍竜の胸倉を勢い付けて掴み、
「どういうつもりだ!!!!」
と、喉が裂けそうな程に叫ぶ。
「もうじきリゾゼラは活動再開のライブをする。喉は大切にしろ」
藍竜は俺の記憶が合っていればボーカルだ。
そのせいか、自分の喉を指差し呆れた表情を浮かべている。
「はぁ……!?」
湊はその態度が気に食わなかったのか、一旦胸倉から手を離すと、
「<鎖されし世界樹>!!!!」
大声を張り上げ、技宣言をしたのだ。
「暁を仕事に行かせて正解だったな」
藍竜は入口付近にあるデスクに目を遣り、肺が空になる程の溜息を吐く。
暁さんという人物は、藍竜の名前の言い方と湊の記憶を見る限り、藍竜の実の弟といったところだろう。
たしかこれは……湊の記憶によれば必殺技のようだ。
どんな技かは思い出せないし、まだ上手く心が読めない。
ただ、空間の色素が段々と変わって見え、全体を覆い隠そうとしていることから幻覚系の能力だろう。
そのまま蹴破られた扉まで覆いそうになった時、颯雅が空間に滑り込んできたのだ。
「何していたんだよ湊!!」
颯雅は眉を下げ、一瞬で藍竜の目の前に回り込む。
「邪魔するな!!」
湊は右手を高々と上げて何か技を繰り出そうとしたが、颯雅は姿勢を低くし、鳩尾に拳をお見舞いした。
「……っ!!」
本気で殴った訳ではなくても拳がめり込む程の威力だったせいか、湊は一歩退いて腹を押さえた。
今記憶を見ても混沌としている為、理解が追いついていないのだろう。
「目は覚めたか?」
颯雅はさっきとは打って変わってニヒルな笑みを浮かべる。
ようやく状況理解が追いついた湊がゆっくりと頷いてみせると、颯雅は顔の筋肉を引き締め、
「今は淳が1人で龍也の元に向かってる」
と、外を振り返らず指差して言った。
湊は颯雅の次の言葉を待っているのか、何も言葉を発しようとしない。
「龍也が居たとしても、あの兄弟の元に淳1人で向かったら尚更危険だろ!!」
颯雅は戦いに敗れたボクサーの如く立ちつくす湊に、必死に訴えかけている。
「頼む、湊の力が必要なんだ……何かある前に、龍也を助けたいんだよ」
目線を落として弱々しく言う颯雅の姿に、藍竜を射貫かんとする湊の鋭い目線が若干弱まった。
「藍竜さんとのやり取りは後だ。この幻覚を解除してくれ」
颯雅が両膝に手をつき、頭を下げて言うと、湊の目線は最初に部屋で感じたいつもの落ち着いた雰囲気に戻った。
そして必殺技も解除されたのか、空間が元の姿へと返り咲いたのだった。
「颯雅、この埋め合わせは後日させてくれ。今は分かっているだろうが――」
と、藍竜が申し訳なさそうに呟くと、颯雅は無表情のまま振り返り、何も言わずに立ち去った。
「……」
湊も恐らく同時に動いたのだろうが、颯雅よりも早く俺が倒れている現場に着いていた。
・・・
これが俺が記憶を失った後の記憶か。
「……」
俺は試しにではあるが、湊に向かって何も言葉を発さず礼を伝えてみた。
すると同じ方法で「どういたしまして」と、返ってきた為肩をビクッと震わせてしまった。
早く慣れないものか。
「思い出したみたいだな」
藍竜が微笑ましそうに俺を見つめている。
「全部ではないが、俺が何故声を取り戻そうとしたのか、湊が俺の為に藍竜の組織の扉を――」
ぽつりぽつり思い出したことを俺が言いかけると、藍竜が胸の前で手を振り、
「修理代は『如月龍也代』として藤堂からすに請求した上に、もう直ったから大丈夫だ」
と、藍竜の後ろに立つからすを親指で指して言った。
「んえ? たしかに請求書来てたし払ったけど、あれ扉代だったんだ。道理で安い訳だ~」
からすは自分の肩を撫でると、小馬鹿にしたような言い方で藍竜を煽った。
「お前の所の元ボスよりは安いだろうな。俺は隊員にお金を使いたいんだ」
藍竜は椅子に座り直し、脚を組んで言うと、からすはふんと鼻で笑ってみせる。
「ふふっ」
俺はその様子がおかしく見え、思わず笑ってしまうと、2人は示し合わせたように頷き合った。
ということは、修理代の件は嘘なのだろう。
「だろうと思ったよ」
颯雅は始めから修理代の事が嘘だと分かっていたようで、肩を竦めて息を吐いた。
湊と淳は3人のやり取りを微笑みながら見守っている。
その間に外へ目を遣ってみると、カーテンが段々と日に照らされていき、布の目が粗いからか光が多少入ってきた。
こうして俺の入院2日目の朝がやって来るのか、と思うと少しだが記憶が戻るのも楽しみに思えてくる。
今の希求は、記憶が戻り皆とこうして笑いあえること。
たとえ俺に封じられた残酷な記憶があろうとも。
2018年4月9日 15時頃
藍竜組 総長室
如月龍也
俺が入院している病院の名は、神崎医院というらしい。
そこの院長でもあり、颯雅の父親の景雅さんから外出許可を貰った。
というのも今日は湊、颯雅と共に藍竜に呼び出されていたからだ。
ただ、昨日記憶でも見聞きした通り藍竜と湊は気まずい状態の筈だ。
幸いにも颯雅が居るから大丈夫だとは思うが、一抹の不安はある。
部屋に入って全員が応接間の席に着くと、藍竜が入口付近のデスクに座る男性に目を遣る。
彼が昨日湊の記憶で一瞬出てきた暁さんだろうか。
この時期なので長袖長ズボンはおかしくないのだが、マスクに手袋までしているとなると状況が変わる。
何かから隠したいのだろうか。
だが恐らく190cmくらいありそうな背丈でスラッとしており脚が長い為、隠すには勿体無い気もしてしまう。
「……?」
目が合うと、くっきりとした二重瞼にハキハキしていそうな雰囲気の派手な顔立ちで、再び驚かされた。
それ以外にも部屋に入ってから、湊と藍竜は一言も言葉を交わしていない。
入った時に挨拶をしたのは颯雅と俺のみで、湊は顔にこそ出していないが怒りの感情が見えた。
そのうえ、藍竜も表情の裏の声は「颯雅が居て助かった」と、言っている。
だがそれだけではない。
湊と颯雅、そして藍竜の心を読むと、3人とも共通して「暁にはまだ隠さないと」と、思っている。
ということは、暁さんともう1人のメンバーには湊と藍竜の話はしていないのだろう。
いや、"まだ"ということは俺達が帰った後メンバーで集まって話すのだろうか。
「暁さんの記憶は戻ってねぇようだな」
隣に座る颯雅が気を遣って藍竜に声を掛ける。
「ほう。暁は俺の弟で、リゾゼラのセクシャルヴァイオレンス・ベース担当」
藍竜がお茶の準備をする暁さんの後ろ姿を見ながら意地の悪い言い方をすると、暁さんは思いきり首を横に振った。
「言い方が古いぜ」
颯雅は苦笑いを浮かべているが、藍竜は心底楽しそうにしており説明をしようとしない。
「リゾゼラのベースでもあるが、本職は忍者で藍竜組の副総長だ」
そこで颯雅が半分呆れながら紹介すると、暁さんは首だけで振り返り会釈をした。
その所作も洗練されたものだったせいか、俺はぎこちなく頭を下げた。
藍竜は場が温まってきたところで机に写真を並べ、
「話が逸れたが、本題はこの写真だ」
と、真剣な表情で俺達を順番に見渡す。
写真には倒れている俺の姿と、顔の似ている兄弟が人とは思えない姿で写っている。
これが記憶にも出てきた片桐兄弟という人達だろうか。
「朝匿名で届いたもので、鳩村に加工されていないか調べてもらったが、本物だと断言した」
藍竜は続けて早口で言うと、俺を真っ直ぐな目で見て、
「本当に倒してくるとはな」
と、目を細めて腕を組む。
だが打って変わって目線を獣のように鋭くさせると、
「ただ、声を戻すことは出来ない」
1トーン低くした声で唸ったのだ。
その一言に、俺は勿論湊も颯雅も何を言っているのか、一瞬理解が及ばなかった。
というのも、藍竜がこの後言う言葉すらも俺には分からなかったからだ。
「まぁ……誰からも依頼されてないからな」
そう、藍竜が放った言葉はこれなのだ。
つまり俺は藍竜から依頼された筈なのに、何故か誰からも依頼されていない事になっているのだ。
それか記憶違いが俺の中で起こっているのか?
ちょうどその時暁さんが全員分の湯呑を机の上に置きに来て、
「蒼谷の依頼断ったよ?」
と、中低音の歌姫のような綺麗な声で言った。
藍竜は湯呑を受け取りながら、
「そうだった? 忙しいから忘れていたな」
と、すっとぼけて言うので、颯雅は溜息を吐いていた。
「嘘。本当は?」
暁さんは全員分を置きおえ、藍竜の隣に腰を下ろしながら言う。
藍竜は暁さんの真摯な目線に白旗を振る如く目を瞑り、
「分かった分かった。だがな暁」
と、弟に言い聞かせるように言い、右目だけを薄く開き、
「他人がいつの間にか声を戻す条件を満たしていて、知らぬ間に声が戻っていたとしたらどうする?」
続けて言われた時、暁さんにも俺にも電流が走った。
今、俺はゆーひょんという人物には何も言わず、声を戻す交渉をしてしまっているのか。
要するに勝手に行動していたということか。
でも何故? そこまで俺はお人よしじゃない。
強いて言うなら、ゆーひょんという人物が親友という可能性か、兄妹の誰かの親友という可能性はあるか。
「もやもや?」
暁さんはある程度事情を知っているせいか、相手が声を戻す交渉を知らないだけという状況で話してるようだ。
自信は無いが、俺が依頼を受けた経緯は知っていそうな雰囲気はある。
「そう。俺はリゾゼラとしての協力は惜しまない。彼らには借りがあるからな」
藍竜は湊と颯雅に目線を一瞬遣って人差し指を立てる。
"借り"? 何のことだ?
そう思い、俺が首を傾げていると、
「借りというのは、リゾゼラ結成時にとてつもなく世話になったことだ」
湊がこっそり耳打ちしてくれた。
「つまりColours全員で依頼してこなければ、この話はナシだ」
続けて口を開く藍竜は、湊、颯雅そして俺にも圧をかけて言った。
「あぁ、Coloursは片桐組同期だった蒼谷、あことし、ゆーひょん、佐藤、そして藍竜組役員で颯雅の親友の裾野で組んでるロックバンドだ」
藍竜は先日も使ったメモ帳を懐から出すと、メンバーの名前をバランス良く書きこんだ。
そうか、裾野という男が颯雅の親友なのか。
だからこの依頼を受け、実行に移したという訳なのだろうか。
とはいっても、これは今の俺の考えであって記憶が戻った後の俺の考えとは違うかもしれない。
だからあくまでもここからは推測に過ぎないが、5人で頼みに来れば声を戻すよう言ったか、仕向けたかはしたのではないか。
「なるほど」
同い年で組んだバンドなら上手くいきそうだ、と月並みな感想の続きを心中で言うと、湊が小さく頷いた。
「まぁしがない総長の要求は、颯雅が伝えておいてくれ」
お茶を飲み干し、音を立てずに湯呑を置いた藍竜は、暁さんの背中を叩いた。
「……」
暁さんは叩かれた衝撃で背筋をピンと伸ばしたが、目に不機嫌さが見えた為不快に思っているのだろう。
「全く、藍竜が言えばいいのにな」
颯雅は俺だけに聞こえるように言っているが、内心で恥ずかしいのは分かってるがな、と思っている。
「……」
藍竜は俺達の様子を見て、ただただ微笑んでいる。
いい加減、暁さんにバレないように湊と過ごすのも限界なのだろうか。
これは早く帰った方が良さそうだ。
それからしばらくして総長室を後にした俺達は、Coloursのリーダーだという蒼谷に連絡した。
すると後日Coloursと淳で藍竜に会いに行くという返事が来た為、後の事は静かに見守ろうと決めたのであった。
明日からまた記憶を少しずつ戻せばいい、そう心の片隅で思いながら。
2018年4月10日 14時50分頃
藍竜組 総長室前
あことし
藍竜組に入るのは初めてだし、ここまで来るのもすそのんのんの案内が無ければ来られなかったなぁ。
だって、学校みたいな見た目してるのに中身単純じゃないんだもん。
「ここが総長室だ。茂、佐藤とビデオ通話を繋ぐ準備は出来ているか?」
すそのんのんは数時間だけだけど外出許可を貰ってくれたんだ。
だけど、今日は見覚えの無いスーツを着てる。
「勿論です。あことし、ゆーひょんもすみません。昨日の今日でよく空けられましたね」
しげちゃんは真っ青の手帳型スマフォケースを開けたり閉めたりしながら、俺達に愛想笑いを向けた。
相当緊張してるんだなぁ。
それは俺もゆーひょんも同じで、ゆーひょんはずっと右腕に付けたシュシュを触ってる。
ゆーひょんがシュシュを触ってる時はね、すっごく緊張してる時なんだよ。
それで何でここに俺達が居るのかは、昨日の夕方頃にしげちゃんから藍竜さんに会いに行くって連絡が来たからなんだ。
そこで全員午後のスケジュールを空けてってお願いされたんだ。
会いに行く理由も勿論聞いたよ。
ゆーひょんの声を戻すには、俺達全員でお願いしなきゃダメだって。
それは分かりきってた事だけど、声を本当に戻してもらえるのかずっと不安だった。
「……ねぇ」
隣でシュシュを触るゆーひょんの腕を叩くと、ゆーひょんは機械仕掛けの人形みたいにガタガタとこっちを向いた。
「俺達なら大丈夫だよね!」
そんな相棒の姿を見てたら、俺が明るくしなきゃって思えてきてつい大声をあげると、すそのんのんが微笑んでくれた。
「勿論だ。俺達なら何も問題は無い」
すそのんのんがそう言うと、しげちゃんも安心しきった顔で頷いてくれた。
その後すそのんのんが扉をノックすると、中から優しそうだけど威厳のある男性の返事が聞こえてきた。
それですそのんのんは先に扉を開けて入っていったけど、しげちゃんが続いて行こうとする俺の腕を引いたんだ。
「この前はすみませんでした」
しげちゃんは今にも泣きそうな顔をしてたけど、俺は首を横に振って笑顔を向けたんだ。
だってもう気にしてなんかないもん!
作詞作曲で詰まっていたところに立ち会えたのも貴重だし、しげちゃんが少しでも俺達に弱いとこを見せてくれたのも嬉しかったよ。
しげちゃんはあれから煮詰まってたのかもしれないけど……。
「いいよ! ゆーひょんだって気にしてないでしょ?」
って、俺がしげちゃんの後ろに居るゆーひょんと淳ちゃんに向かって言うと、2人揃って頷いてくれた。
「何しているんだ? 総長がお待ちだぞ」
こっちを振り返って呼びかけてくれたすそのんのんは、もう応接間に通されていた。
「は~い!」
俺がそのまましげちゃんを引っ張って行くと、しげちゃんは軽く躓いたみたいで大きく腕を振ってたよ。
それから俺達が一通り挨拶を済ませると、
「Coloursは元気が良いな。……あぁ、席次は気にせず座ってくれ」
藍竜さんは5人掛けのソファを差しながら言った。
藍竜さんは暁さんの隣に座ってて、リゾゼラ結成の時みたいなキラキラした感じもあった。
だけど、どこか暗いというか悩んでいる雰囲気も見えたんだよね。
もしかしてゆーひょんの声は戻さない、とか?
「あことし、そんな怖い顔しないでくれ。颯雅から聞いたと思うが、全員で依頼してくれさえすれば戻すから」
藍竜さんは俺が相当心配そうな顔をしていたみたいで、眉を下げて声を掛けてくれた。
「……」
俺が小さく頷いてすそのんのんの隣に座ると、「大丈夫だよ」と、背中を擦ってくれた。
その時、左隣で大音量の「もしも~し?」って声が響き渡ったから、しげちゃんが佐藤に繋いでくれたんだろうな。
通話する前に何か音楽でも聴いてたのかな?
「すみません。それで如月さんとはどんな条件で声を戻すと?」
しげちゃんは音量調節ボタンを5回くらい押しながら早口で言った。
「華国で一度敗北した片桐兄弟が英国に逃走し、細々とマフィア稼業をしていると聞いてな。ただ、俺や暁、裾野が今本国を離れるのは危険なのは知っているだろう?」
藍竜さんは、片桐兄弟が華国っぽい空港から身を隠しながら逃げる写真を机に置きながら言った。
「はい、リゾゼラはもうじき再開しますし、裾野は入院しておりますから」
しげちゃんは俺達を見回してから頷いて言った。
「そうだな。それで龍也に、片桐兄弟を潰せば声を戻すかもしれないと伝えた。だが龍也はその後に条件を付け足している」
藍竜さんは人差し指を立てて、少し身を乗り出して言った。
それでもめちゃくちゃ姿勢が良くてこっちが驚いちゃうんだけどね!
「それは、『たとえ自分が条件を満たして戻って来たとしても、Coloursの5人で依頼しない限りは声を戻さないでくれ』というものだ」
と、脚や腕を組んでる訳じゃないのに威圧感たっぷりに言う藍竜さんは、龍也さんの提案には驚いたみたいで肩をすくめている。
「俺達の為にそこまでしてくれたんだ。じゃあ俺達からお礼言わなきゃだよ!」
って、思わず立ち上がって言う俺に、皆は大きく頷いてくれた。
「そう言うだろうと思って、CAIN通話繋いでおいた。今は様子を見て入院しているから、声量には気を付けてくれ」
藍竜さんは懐からスマフォを取り出すと、ビデオをONにして机の上に置いてくれたんだ。
「怪我軽そうで良かったです! あの、俺達の為にありがとうございました!!」
俺が立ち上がったままお礼を言って頭を下げると、しげちゃんが腕を引いて座らせてくれた。
「すみません、あことしが急に。今、藍竜さんからお話を伺ったところでございまして、本当にありがとうございました」
しげちゃんはスマフォを持ってお礼を言うと、頭を下げながら俺を跨いですそのんのんにスマフォを渡した。
「すみません、お忙しいところ助けて頂いて。感謝してもしきれません」
すそのんのんは言い終わると、ゆーひょんにスマフォを渡した。
「本当にありがとうございます。声が戻ったら、お見舞いにお伺い致します」
ゆーひょんは淳ちゃんと一緒にカメラに映って、お礼を伝えている。
やっぱゆーひょんが真面目に話していると、お医者さんなんだなって感じするし、政治家だったんだなって思わされちゃうな。
皆を助けたいっていつも思ってるから政治家はきっと向いてたんだろうけど、嘘を吐いたら声を失っちゃうもんね……。
ゆーひょんは俺に一旦スマフォを戻したから、しげちゃんのスマフォと向かい合わせにした。
「1番事情よく知らないんですけど、ありがとうございます。今度何か奢りますねって茂が言ってたので、楽しみにしててください」
佐藤は無邪気に笑いながら言ってるけど、しげちゃんは佐藤の見えない所で鬼の形相をしているよ……。
「そうか、ありがとな。俺は、俺のせいで声を失ったヤツの声を取り戻したかっただけだ」
龍也さんはしげちゃんの鬼の顔は見えてたんだろうけど、男らしい発言されて俺は心がふわって舞い上がったよ!
「ありがとうございました!!」
最後は全員でお礼を言って通話を切ると、しげちゃんが藍竜さんにスマフォを手渡した。
「構わない。それでは、ゆーひょんの声を戻させてもらおう」
藍竜さんはそう言うと立ち上がって、自分のデスクから1冊のキャンパスノートを持って来た。
藍色のノートの表紙には『木田優飛用』って書いてあるから、ゆーひょん専用ノートなのかな。
それにしても筆ペンっぽいし、達筆だなぁ。
「俺は能力を使うと、対象者――今回はゆーひょんだが、君から俺に関する記憶が消えるんだ。その消えた記憶を使い、病気や怪我は勿論、能力で失われたものを"解放"することが出来る」
って、分かりやすくジェスチャーを加えて言ってくれた藍竜さんは、特に俺の事をよく見ながら言ってたんだ。
多分、1番頭が悪いってすぐ分かったんだろうね。
「ただ、消す記憶が少なければ中途半端な治療になる場合もあり、最悪の場合は記憶だけ消えて治らない場合もある。まぁ……初対面だったらまず無理だな」
藍竜さんは丁寧にゆっくり区切りながら説明すると、ゆーひょんに向き直った。
「リゾゼラ結成の時、Coloursには借りが出来た。その恩返しとあれば、声ぐらいは戻せるだろう。一応ここに記録はまとめておいたから、後からこれを読んで俺の事は思い出してくれ」
って、ノートを手渡しながら言う藍竜さんに、ゆーひょんは何度も頷き口パクだけど「ありがとうございます」って、言ってたよ。
「よし…………<歌色解放>」
藍竜さんが技宣言をすると、藍竜さんの髪の毛1本1本から藍色の光を放って、それがゆーひょんへと橋みたいに繋がっていった。
そしてゆーひょんの喉に繋がった光は、虹色になって宝石みたいにその場でキラキラ輝いてたんだ。
「わぁ……」
俺が思わず声を漏らすと、ゆーひょんは嬉しそうに喉を触った。
だけどすぐに手を離して、ぷらぷらさせていたから熱かったのかもしれない。
やがて2人に灯っていた光が消えて、いつも通りの総長室に戻った時、
「…………よし、全部戻った筈だ」
って、藍竜さんが言うから、4人でゆーひょんをじっと見てたんだ。
だけどゆーひょんは藍竜さんが言った通り、藍竜さんの事が分からなくなってるみたいで、
「あ……あんた誰?」
って、口走ったんだ。あれ? 口走ったの?
今のは淳ちゃんの声じゃないの?
「私は何もしてへんで」
淳ちゃんは皆の心の疑問に答えてくれたけど、そしたら今の声はやっぱり……!!
「ゆーひょん! 声! 声、出てるよ!!」
俺がまた立ち上がって叫んじゃうと、ゆーひょんは首を傾げる。
「え? 出てないじゃない……え!? 出てるじゃないの!! 何で何で!?」
ゆーひょんはノートを持っている事も忘れてるのか、ぶんぶん振り回して何回もしげちゃんの腕にぶつけてる。
「こちらの方が貴女の声を"解放"し、元に戻してくださったんです。こちらの方に関する資料は、今貴女の手元にありますよ」
しげちゃんは藍竜さんの手前怒らないけど、腕を擦ってるから結構痛かったのかな。
「ほぇ~……何となく思い出してきたわ。茂、ありがと」
ゆーひょんはノートをパラパラめくってるけど、本当に分かってるのかなぁ。
眉をひそめたまんまだから、ちゃんとは理解してない気がする。
「この度は私の声を戻して頂き、誠にありがとうございました」
って、握手を求めて言うゆーひょんは、やっぱ根っこは御父様譲りなんだなって思ったよ。
言い方も政治家っぽいし。
「とんでもない事でございます、木田先生」
藍竜さんもゆーひょんの政治家時代の事を知ってるから、握手をしながらノッてくれた。
「ほんまよかったわ~」
淳ちゃんがソファの背もたれに身を預けながら言ってたから、
「ほんっとありがとね! 今度、ゆーひょんが奢ってくれるって!」
って、冗談交じりに言ったら、ゆーひょんは親指を立ててウィンクしてくれたよ。
「何とかここまで来たな」
すそのんのんは先々の事も全部考えているからか、心配そうに呟いてた。
「そ、そうね……聖、本当にごめんなさい」
ゆーひょんはすそのんのんの前に跪いて言うと、すそのんのんは首を横に小さく振った。
きっと龍也さんの事で知らない間に嘘を吐いちゃった事だよね。
でもこれはすそのんのんが、死を偽装したい時は敵を欺くのと誰かを愛する為の行動だって言ってたよね!
だから知らなくても仕方ないんじゃないのかなぁ。
「その話はもう……あことしも納得しているから、とはいっても俺には強く言えないな」
すそのんのんは歯がゆそうに俯いてるけど、ハッキリ言わない優しさもあるからゆーひょんには辛いだろうな。
「嫌だ! せっかく声戻ったのに、2人して気まずいって顔しないでよ~」
俺が、ゆーひょんとすそのんのんの間に立って大きく手を広げて言うと、
「あことしの言う通りですよ」
って、しげちゃんが腕を組んで頷いてくれたんだ。
「それなら、握手するのはどう?」
しかも淳ちゃんまでノッてくれたから、俺はひょいと退いておいた。
そしたら2人はまた気まずそうに手を出したり引っ込めたりしてるから、
「はい、握手!!」
って、無理矢理つながせちゃった。
「ぷっ……あははっ!!」
ゆーひょんは俺の行動にふき出すし、すそのんのんは微笑んでくれたんだ。
「藍竜さんもやっていらっしゃったが、やはり政治家が抜けていないぞ」
すそのんのんはちょっとだけ呆れて言ってたけど、ゆーひょんは盛大に溜息を吐いて、
「やだも~何年前の話よ~」
って、皆の笑いを誘ってたんだ。
それでしばらく皆で笑ってたんだけど、すそのんのんが腕時計を見てハッとした顔して、
「すまない、そろそろ戻らないと検査の時間に間に合わない」
って、言いながら慌てて準備を始めたから、Colours総出で手伝ったんだ。
すそのんのんにはしては珍しいなぁなんて思ってたんだけど、見送る時に藍竜さんに肩を叩かれて、
「そのスーツ、"狼狩り"らしくて格好良いぞ」
って、言われた時のすそのんのんは恥ずかしそうだったけど、きっと嬉しかったんだろうなぁ。
「……声も戻ったし」
淳ちゃんはすそのんのんが帰ってからしばらくして、ポロッと呟くと、
「そうやなぁ」
って、皆の事を見渡してたんだ。
俺はそれが何だか面白くて、作詞またやりたいなぁとかいつも思ってる事を心に出していたら、
「それや! 作詞を皆でやったらええやん!」
って、目を輝かせて言うから、皆は唖然としちゃったんだ。
「いえ、これはあくまでも私の問題ですから」
しげちゃんはいつも通り頑固だから、淳ちゃんの提案を退けようとしたんだけど、
「いいじゃない? 聖に贈る曲なんだから、4人でやったっていいじゃないの」
って、ゆーひょんが肘でしげちゃんの脇腹を突っついて言ってくれた。
「貴女は作詞経験が無いでしょうに。以前も言いましたが、これは裾野の気持ちに寄り添い、裾野が感銘を受ける――」
って、またこの前みたいな事を言おうとしてたから、
「でもみんなが納得するものをって言ってたじゃない。ほら、みんなで作詞案に賛成の人~!」
ゆーひょんが手を挙げるように促すと、俺も佐藤も、まさかの淳ちゃんまで手を挙げてくれた。
「いいです、良い機会ですから。その代わり覚悟してくださいね?」
しげちゃんは溜息と一緒に早口で言うと、眼鏡の縁に乗ってる前髪を鬱陶しそうに退けた。
「やっぱり元気良いな~」
藍竜さんは暁さんと一緒にずっと微笑んで見つめてたけど、喜んでくれてるみたいで良かった。
「ありがとうございます。それでは、私達は作詞をするのでこれで」
しげちゃんは手で下から扇ぐジェスチャーをして全員を立たせると、そそくさと扉の前に歩いて行く。
「おっと忘れ物だ」
藍竜さんは1番後ろに居た俺に6枚の藍色の紙を差し出し、柔らかい笑みをしてる。
「ありがとうございます! って、これリゾゼラ活動再開ライブのチケットですよね!?」
俺はあっさり受け取ってから文字を読んだから、その場でひっくり返りそうになっちゃった。
昨日しげちゃんがチケットを取るんだって意気込んでくれたんだけど、1枚も取れなかったんだよね。
本当にアクセスが凄かったらしくて、サーバーもダウンしかけてたみたいだよ。
あのからすさんをもってしても……って、相当だよ!?
「メンバー全員分とは本当によろしいのですか? ん? 6枚ということは、龍勢の分もありますね」
しげちゃんは今にもチケットを返しそうな雰囲気だったけど、藍竜さんは胸の前で両手を出して「受け取ってくれ」って、言ってくれた。
「箱は広くないが、暇だったら見に来てくれ」
藍竜さんが苦笑いしながら言ってたのが若干気にかかったけど、暁さんもどこか暗い表情だったんだよね。
リゾゼラ、何かあったのかな?
でも俺達も万全じゃないのに首突っ込むのは違うよね?
きっと皆もそう思ってるから、皆何も言わないんだよね?
「ありがとうございます!」
って、全員で扉の前に横一列に並んで頭を下げて言うと、2人は少しだけ笑顔を見せてくれたんだ。
それで総長室を後にした俺達は、一旦佐藤との通話を切ってスタジオに戻ったんだ。
スタジオに戻ると早速ゆーひょんが佐藤にCAINのビデオ通話を繋いで、作詞作業が始まった。
その間、しげちゃんは曲を作るって言い残して機材部屋に引きこもっちゃったんだ。
とはいってもしげちゃん以外だと俺と佐藤は作詞経験もあるし、入れたい歌詞を適当にまっさらな五線譜に書いてたんだよね。
そしたらいつの間にか1時間くらい経ってて、思わずスタジオの天井付近に掛けられた時計見て声を上げちゃったんだ。
「おぉ! 結構出たね!」
俺がそれぞれの字で真っ黒になった譜面を見下すと、ゆーひょんは女子高生みたいに小躍りした。
「そうね! これだけあれば後は組み合わせて詞も出来ちゃいそうだし、曲はどうなってるのかしら?」
ゆーひょんは淳ちゃんと顔を見合わせて笑ってて、俺もスマフォを傾けて佐藤にも見えるようにしてみた。
「すごい。組み立ては俺がやるから、ちょっとそのままで」
佐藤はスマフォを持つ俺に指示を出しながら詞を組み立てて、30分くらいもするとほぼ出来上がってきた。
「うん、こんなもんかなぁ。茂が直すかもしれないけど、スクショ3人に投げるから見て」
腕を組んで頷いた佐藤は、CAINの個人チャットにそれぞれ投げてくれたみたいで、ドミノみたいに遅れて3回音が鳴った。
「ありがとね! 淳ちゃんも見て見て~」
ゆーひょんはめっちゃお世話になった淳ちゃんに少しでも恩返しがしたいのか、すぐに画面を見せてた。
「ありがと~」
淳ちゃんは画面を見ながら、ここは誰っぽいとかコメントしてたよ。
「すごいなぁ」
俺はゴミ屋敷みたいな手札から、一流の手札に直った詞を見て感嘆の声が漏れた。
だけどこの感じだと、珍しく皆の歌ソロは無しなのかなぁ。
まぁ佐藤が前に作詞作曲してくれた曲にも、ソロは無かったけどね。
「そうでもない。茂から後で直すって返信来たよ」
佐藤は画面を見せようとしてくれているけど、ビデオ通話状態だと見せられないから肩を落としてた。
「そうなんだ。早く曲できないかなぁ~」
俺が後何分で出来るか賭けでもしようか、とトランプを広げた瞬間に、しげちゃんが部屋から出てきたんだ。
「お待たせしました。曲の骨組みは出来ましたし、先に詞を終わらせましょうか。佐藤、ソロパートの歌詞はどれです?」
しげちゃんが俺の隣からひょっこり顔を出して佐藤に訊いてるけど、たしかにソロが無いんだよね。
再開ライブにも使うかもしれないのに、ソロが無いのは寂しい気もするなぁ。
「え? 作ってない。作るなら、マイスウィートハニーのパートは誰が考える?」
佐藤はあんまり申し訳なさそうにしてないから、やっぱ最初から作る気は無かったんだね。
「そこなんですよね」
しげちゃんのこの一言を境に、皆で押し黙っちゃったんだ。
そもそも考えてないなら、歌う順番も決まってない。
誰から歌えば良いのか、すそのんのんは何番目でどんな歌詞にするのか。
皆は多分同じ事で悩んでるんだよね?
そのまま5分くらい経って、また今度にしようかって声を掛けようとした時、
「茂を最初にしましょう」
って、声をあげてくれたのは、ゆーひょんだった。
俺もしげちゃんも、佐藤も淳ちゃんも文句や意見も言わなかった。
だってこんな俺達を20年くらいかな、そんなに長く支えてくれたリーダーなんだもの。
だから俺が作詞作曲した曲のCメロの歌ソロパートも、しげちゃんが最初だったんだよ。
それにもう1回作詞作曲させてもらえるなら、またしげちゃんを最初にしたいし!
「私を指さし、夢を笑った」
しげちゃんは皆を見回して、ぽつりぽつりと呟いた。
すると淳ちゃんがゆっくり右手を挙げて、
「笑われた人が夢に泣く」
って、すそのんのんパートを言ってくれたんだ。
そしたらゆーひょんが瞬きをして順番を譲ってくれたから、
「立ち上がりたい」
って、続けたら、
「想いが夢の」
と、ゆーひょんが繋いでくれたから、次に続く詞が頭の中にすぐ流れ込んできて、
「背中を押す」
って、言ったらゆーひょんも同じことを言ってたんだ。
「すごい!! ここ2人でもいい!?」
俺が興奮気味にしげちゃんに詰め寄ると、しげちゃんは呆れた顔をしながらも頷いてくれた。
「私含め皆さんが言ってくれた詞はメモしておきました。あとは軽く手直ししますので、誰がどの詞を考えたか教えてください」
しげちゃんはスマフォを弄りながら淡々と言うから、佐藤が真似して棒読みで詞を読み上げだしちゃって皆で笑い合ったんだ。
それでしげちゃんが皆がどの詞を考えたか聞き終えると、また部屋に籠っちゃったんだ。
だけど10分も経たないうちに出てきて、
「歌詞が出来ました!!!! あとは曲さえ付けば裾野に伝えられますよ!!」
って、珍しくスタジオ中に響き渡るくらいの大声で言ったんだ。
それだからか、俺達皆でフリーズしちゃっててしばらく動けなかったんだ。
だって、しげちゃんが大声出すって怒る時くらいなんだもん。
「ですが、リードギターパートのみ出来ていません……いえ、全く手が付かないんですよ」
しげちゃんはさっきとは打って変わって肩をガックリと落として、今にも死にそうな声で呟いた。
その声を聞いた俺達は、佐藤が作曲経験もあるし皆でまたやろうと言おうとしたんだけど、
「あ! それなら提案なんやけど――」
って、淳ちゃんが目を輝かせて人差し指を立てて言いかけた時のことだった。
突然スタジオ入口の扉がとんでもなく大きな音と共に開け放たれ、5人の男性が背の順で横一列に並んで立っていたんだ。
しかもまさかの全員腕組み状態で黒スーツという、ダークヒーロー感たっぷりの出で立ちだった。
「困った時こそ、同業界の人間を頼れ!」
1番左端に立つ藍竜さんが一歩踏み出して言うと、
「手伝える事がある筈だぜ!」
って、隣に立つ颯雅さんが声を張る。
「一緒に作ろう!」
颯雅さんの隣に立つ湊さんが、若干不慣れな雰囲気のまま叫ぶと、
「がんばろう」
って、1番右端に立つ暁さんが恥ずかしそうに俯きながら言ってくれたんだ。
「黒河は来られなかったが、絶対役に立つ筈だ!!」
藍竜さんが拳を高くあげて言うと、3人はぎこちないけど「おー!」って、叫んでいたんだ。
普段の雰囲気を知っているからこそ思うんだけど、かなり無理してる気がする。
湊さんと暁さんは特に反対してただろうなぁ。
そう思いながらポカーンとしていると、淳ちゃんが困り顔のまま、
「リゾゼラを呼んでみたんやけどって説明しようとしててん」
って、呟いてくれたから、元は淳ちゃんが呼んでくれたんだってやっと理解出来た。
「あぁ……タイミングが悪かった?」
藍竜さんが申し訳なさそうに後ろ頭を掻いて言うと、
「今じゃない、言ったよね……」
って、暁さんが溜息混じりに言う。
「絶対今じゃねぇって止めただろ」
颯雅さんも湊さんと目配せして言ってた。
「……いやぁ、すまない。ダークヒーローのイメージでって淳が言うから、ついテンションが上がってなぁ」
藍竜さんはダークヒーローとか悪役のボスが好きってしげちゃんから聞いてたから、俺はゆーひょんと顔を見合わせて微笑んでおいた。
「あ……ありがとうございます。それではお言葉に甘えて、相談に乗っていただいても?」
しげちゃんは状況を飲み込みきれてないだろうけど、藍竜さんにスマフォ片手に近づいて言った。
「構わない。まずはスコアを4人分お願いできるか」
藍竜さんが急にいつものテンションに戻ってしげちゃんに指示をすると、
「今、メンバー含む皆さんのCAINトークにお送りしましたのでご確認ください」
って、しげちゃんも仕事モードっぽい言い方をしたから、俺達もスコアを確認することにしたんだ。
曲名もまだ決まってないけど、ドラム結構大人しいなぁ。
もう少しどこかで暴れても良い気がするけど、どこに入れようかな。
「イントロで暴れんのはどうだ?」
いつの間にか颯雅さんが真横に居てビックリしちゃったんだけど、俺は早速ドラムセットの椅子に座って色々叩いてみたんだ。
「あことし、今の音ください。かなり良かったです」
そしたらしげちゃんが藍竜さんの所からこっちに来てくれて、録音までしてくれたんだ。
そっか、最初から暴れるのも悪くないかも!!
「やった~! ありがとう!!」
俺は曲の練習も兼ねて色々叩きながら言うと、颯雅さんはニッと笑ってくれた。
そんな俺の横ではゆーひょんと湊さんがキーボードで色々弾いてて、
「こんなに目立っちゃっていいのかしら……」
って、珍しくゆーひょんが謙遜してたよ。
いつも目立たないって文句言ってるのに、いざ目立つと怖いのかなぁ。
俺が作詞作曲した時なんてすっごく目立たせちゃったのに。
「せっかくですから、たまには違う視点から作曲してみましょうか」
しげちゃんは、暁さんと藍竜さんを前にベースを弾きながら声を掛けてくれた。
そのおかげか、最初出来た曲からどんどん派手になっていって、曲自体も磨きがかかっていったんだ。
リードギターパートも、藍竜さんのおかげで少しずつ音が増えていってソロ以外は完成。
う~ん、やっぱソロはしげちゃんが考えたいみたい。
そのまま合同作曲は大盛況の中終わったんだよね。
それでしげちゃん、ゆーひょんと淳ちゃんはリゾゼラをお見送りしてくれている。
だけど俺は佐藤との通話を切っておいてって、しげちゃんからお願いされたからちょっと話してるところなんだ。
だから皆とは離れてドラムセットの近くで話してるんだよ。
「ねぇ佐藤、1つだけ聞いてもいい?」
それまでは今日の練習の事とか話していたから、急に真面目なトーンになった俺に佐藤も真剣な顔で頷いた。
「忍さんの退院日っていつ?」
俺が皆に聞こえないように声を抑えて言うと、佐藤は「そのことかぁ」と間延びした声で呟いた。
「医者は断言してない。でも退院の手続きをしてたから、明日っぽい」
佐藤は忍さんと病室が近いから事情を探ってもらってるんだよね。
「分かった……ありがとう。おやすみ」
俺がちょっと不安そうな顔をしたせいか、佐藤は俺の言葉を聞いた後、
「おやすみ。何するか知らないけど、がんばれ」
って、言ってくれたから、お礼を言ってから切ったよ。
――だらしない赤穂組の連中を始末した俺に感謝させなきゃだから。頭を地面に擦りつけさせて、ありがとうございますって言わせなきゃ。
絶対にあいつらだけは助けてやんない。ぜーったい!
今思えば、片桐組で働いていた時に何であんな事をしげちゃんに言っちゃったんだろってなるよね。
でもそのおかげ? で、こうして実家と決別できるチャンスが回ってきたんだし、やらなきゃだよ。
忍さんは俺の実家で門番をしてる訳だし、無事に治療までさせて突き出せば……もう関わりも妨害も絶てるよね?
はぁ……嫌だなぁ。
「何かあったらいつでも言って?」
肺の空気を全部出しちゃうくらいの溜息を吐くと、淳ちゃんが心配して声を掛けてくれたんだ。
てことはお見送りも終わったんだね。
「うん、大丈夫。ありがとうね」
俺はキーボードの所まで戻ってきたゆーひょんにスマフォを返しながら言うと、淳ちゃんも小さく頷いてくれた。
だけどやっぱ退院の瞬間に誘拐なんて、不安でしかなかったから、
「……ごめん、今日は俺もう帰るね!」
って、断りを入れてスタジオを後にしたんだ。
そんな俺の様子をしげちゃんもゆーひょんもどこか怪しんでいた。
でもしげちゃんが提案したことだとしても、結果俺が決めたことだからやらなきゃ。
だから少しでも準備させて――心の準備を。
スタジオからゆーひょんの家へとバイクを走らせ、部屋に戻った瞬間誘拐に使いそうな物を用意することにした。
賭け事で見えてきたのは、バスタオル2枚、縄、鎖、睡眠薬を混ぜた霧吹き。
大丈夫、全部ある。
あとは誘拐方法……え!? 正面突破で100%なの!?
まぁ賭け事でほぼ負けナシの俺なら問題無いし、今は能力使ってるから尚更平気。
正面突破なら、同乗者用のヘルメットの内側にめっちゃ睡眠薬吹っ掛けておけばいっか!
ちょっと粗い気もするけど、勘もそれで行けって言ってるし、やってやろう!!
そうやって準備した物がゆーひょんにバレないように、1泊用のボストンバッグに詰め込んでベッドの下に入れておいた。
よし、これで明日を待つだけになったね。
Colours活動再開の条件が揃うまで後少し。
俺も何も気にしないでメンバーに戻れるように、希求し続ける為にケジメをつけるんだ。
2018年4月11日 10時30分頃
総合病院 入り口前
あことし
やらなきゃいけない事がある。
後少しでColours活動再開の条件が揃う。
個人的だけど俺の役割は、何も気にしないでメンバーに戻れるように、希求し続ける為にケジメをつける事。
今まで逃げて皆に頼って、楽な道ばっか通って来たから今度こそ茨の道を通るんだ。
「……」
変わるのは怖いけど、俺ってずっと賭け事やってきたせいかワクワクするんだよね。
まぁ本当のとこは、追い詰められないとやらないのが悪いんだけどね。
「頑張らなきゃ」
俺は腹話術みたいに口を開かずに呟くと、受付で花束を拒絶する夜月忍さんの姿を捉えた。
忍さんはすそのんのんの上司だった人だけど、俺は1回すそのんのんと一緒に居た時に会ったくらいの面識なんだよね。
だけど俺の実家の赤穂組に移ったって聞いた時は、絶対ボッコボコにしようって決意したよ。
だって門番をやるってことは、実質1番強い人だもん。
もちろん運営してる両親や兄たちの方が強いけど、隊員の中では1番ってことになるんだ。
だから緊張してる訳でもビビッてる訳でもないし、俺の賭けと勘は嘘を吐かないから大丈夫。
「……よし」
俺は「見送りするな、気分が悪い」って、偉そうなこと言ってる忍さんが入口前の自動ドアから出てきた所に飛び掛かった。
そのまま近くの茂みで押し倒すと、昨日睡眠薬を振りかけておいたヘルメットを無理矢理被せた。
「貴様!! 赤穂家の雑魚如きが――」
それでも忍さんは俺を罵倒しようとするけど、結構強い睡眠薬だから何か言いかけたまま寝息を立て始めちゃった。
「何とかなった……」
思わず安心しきった声を出しちゃったけど、こっから忍さんをおんぶしてバイクまで連れて行かなきゃ。
「重いなぁ」
力仕事は基本ゆーひょんだし、ドラムセットとスナイパーくらいしか持たない俺には慣れないや。
そのせいで何度も背負い直したけど、何とかバイクには跨れたよ。
あとは途中で目覚めても抵抗されないよう後ろ手に腕を縛って、バスタオルを上に被せる。
それで忍さんの腰と腕も巻きこむ形で俺の腰と鎖で縛る。
最後に、見えないようにタオルもいい感じに鎖の上から巻いたら出来上がり。
これでバイクからは落ちないんだけど、だいぶ締めつけたせいでちょっとお腹がキツい。
「……たしか」
こっから実家までは1時間くらい掛かるんだよね。ほんっと遠いし、面倒なんだよなぁ。
残念なことに整備されてない林の奥にあるから、アクセスめっちゃ悪いの。
だから第二公園っていう駐輪場もあるような大きな公園で停めて、そっからは歩き。
だけど逃げない。
劣等感を理由に言い訳しないよ。
「よし」
出発前のセルフチェックが終わってヘルメットを被ると、忍さんが起きないように囁いた。
それからエンジンを掛けて約1時間、ありえない形でのバイク旅が幕を上げちゃったんだ。
――第二公園 駐輪場
駐車場よりも奥にある駐輪場にバイクを停めてエンジンを切っても、忍さんはまだ寝息を立てていたんだ。
「……結構強いんだね、これ」
って、バイクから降りてシート下の物置に入れたカバンを取り出しながら呟く。
一応途中で目覚めちゃった時の為に睡眠薬持ってきたけど、要らなかったかぁ。
「こっからは歩きなんだよね」
周りに人が居ないことを確かめてから呟き、忍さんが起きないようにそっとバイクに寄り掛からせる。
すると忍さんからちょっとだけ睡眠薬の臭いがして、思わず鼻を摘まんだ。
「……どうしよう」
だけど足は全然前に進まない。
それどころか、バイクの周りをぐるぐる回りそうになって、すぐ足を止めた。
もしかして、実家に突き出すのが怖くなった?
逃げたくなった? これもColoursの為なのに?
「…………」
でもこのままうじうじしてたら忍さんが起きて、大声をあげられるかもしれない。
それなら少しだけ頼りたい人が居る。
でもゆーひょんは声が戻ってから仕事も事務から現場に戻ったみたいだし、お昼前は迷惑かな。
う~ん、あんまり頼ってばっかなのもよくないけど、勘が大丈夫だって言ってるし電話してみよっと!
俺はColoursのグループチャット画面を開くと、メンバー一覧からソプラノからバスまで綺麗に並んだサックスのサムネをタップする。
そこから画面に付くくらいの手汗と一緒に無料通話ボタンを押すと、軽快な呼び出し音が鳴り始めた。
1コール、2コールと音が繰り返されていって、その度に心臓が脈打つスピードも上がっていった気がする。
3コール、4コール目になると流石に迷惑かなって思い始めてきて、スマフォの裏面を人差し指で軽く叩いた。
次で出なかったらまた掛け直そうかなぁ。
そう思いながらぼんやりと5コール目を聴いていると、突然音がプツッと切れた。
あれ、切れちゃったのかな? って思って画面を見てみると、通話中と表示されている。
「あことし? 聞こえるか?」
耳から遠ざけたから尚更機械音っぽくなっちゃった声が聞こえてくる。
そう、俺が頼った相手は入院中のすそのんのん!
軽い怪我だし、検査入院って聞いてたから外出許可も取りやすいかなって考えたんだ。
「ごめんごめん、切れちゃったかと思ってて」
俺は忍さんが起きないように声を抑えると、
「いや、大丈夫だ。通話ができるエリアまで移動していてな」
って、すそのんのんは周りの人を気遣ってるのか、俺と同じように声を絞ってる。
「ごめんね、急に電話しちゃって。実はColoursの件でお願いしたい事があるんだけど、外に出られそう?」
俺が忍さんの様子を窺いながら訊くと、すそのんのんは「ん~」って数秒唸り、
「次の検査が8時間後だから、6時間は取れると思う。どこに向かえばいい?」
って、事情も聞かないで受け入れてくれたから、俺はビックリして変な声をあげちゃった。
「んん? どうした?」
すそのんのんは本当に心配そうに聞いてくれたから、
「あ、ごめん。事情も聞かないでオッケーしてくれたから、ビックリしちゃって……そうそう、場所は第二公園だけど、分かる?」
って、素直に白状すると、すそのんのんは軽く笑い飛ばしてくれた。
「よかった、あことしに何かあったのかと思った」
すそのんのんは、息を吐いてからふんわりとした優しい声で言うと、
「第二公園だな。駐輪場の近くに車を停めるから、1時間後に駐輪場で落ち合おう」
って、仕事モードの1トーン低い声で返してくれた。
「うん、ありがとう。気を付けてね?」
俺がちょっとだけ仕事モードの事務的な雰囲気を出すと、
「勿論だ。じゃあまた後で」
って、すそのんのんもいつもよりかは事務的に返してきて、そのまま切られちゃった。
すそのんのんって、本当周りの事見てるなぁ。
電話の声だけであんなに変わるなんて、耳にも目が付いてるんじゃないかなぁ。
それとも沢山の人と関わってきたから、電話で分かるのかな。
そうだとしたら、カウンセラーだよね!
「……あ」
すそのんのんが来た時に起きたら大変だから、ヘルメットに睡眠薬スプレー追加で掛けておこっと。
シュッシュッと爽やかな音を立ててスプレーしてるから、ヘルメットを消臭しているようにしか周りの人には見えないと思う!
それからスプレーし終えると、すぐに鞄の中に仕舞い込んで、何事もなかったかのように肩に掛け直した。
あ~あ、まだ実家に帰ってもないのに、何でここまでヒヤヒヤするんだろう。
俺自身がすっごく忍さんを怖がってるって訳でもないのに、どうして?
それとも忍さんじゃなくて、実家に関係するもの全部がぼんやりと怖いとか?
え~……俺、あんまり難しい事は考えない主義なんだけどなぁ。
最近の俺、どうしちゃったんだろう。
Coloursの皆が頑張ってるから、俺も燃えてるのかな。
ここで感情的になったら、賭けに負けちゃうよ~……今何も賭けてないけどね。
そんなことを延々と考えていたり、スマフォで予定とか色々チェックしていたりしてたら、すそのんのんがこっちに向かって歩いてきた。
やっと1時間なのか、もう1時間なのか、ちょうど分からなくなってた頃だから助かった。
遠くに目を遣ると、すそのんのんの愛車がちらっと見えたからタクシーじゃなくて良かったなぁ。
だって、実家から追われて逃げるってなった時に俺のバイクだけじゃ頼りないよ。
それにすそのんのんの車と違って防弾仕様じゃないし。
それで1分もしない内にすそのんのんが俺の目の前に来て、ぐるっと周りを見て頷くと、
「忍さんを実家に突き出すんだな」
って、見事に目的を言い当てたから、衝動のままに拍手しちゃった。
「えぇ!? その通りだよ、ほんっとすごい! それでね、もう二度と俺に関わるな~って言いに行くんだ。えっとね、しげちゃんがこう言ってたんだよ~……ケツレツ?」
俺がしゃがんでから忍さんをおんぶしながら言うと、すそのんのんは片手でひょいと忍さんを持ち上げちゃったんだ。
「事情は分かった。だが茂が言ってたのは、決別だろうな」
すそのんのんは忍さんを右肩に角材みたいに担ぐと、微笑んでくれたんだ。
もしかして、色々詰め込んだ鞄を持ってたからなのかな。
「お~、ありがと~!! それじゃあ行こっか?」
俺が鞄の肩ひもを掛け直しながら言うと、後ろから誰かが走って来る足音が聞こえた。
「2人とも待って~」
声的に淳ちゃんかなって思って振り返ると、そこには速度を緩めてピタッと止った淳ちゃんが居た。
「行こうとしてるとこごめん、昨日あことしさんの様子おかしいなぁって思っててん」
淳ちゃんは瞬間移動でもしてきたのか、たまたまここに用があったのか、息は切らしてなかった。
それにすそのんのんは、俺がどうするのか目で聞いてくれてたから、
「あぁ~……ありがと! 淳ちゃんはゆーひょんの心の声通訳やってくれたし、そのせいで俺の過去も知っちゃったでしょ?」
って、後ろ頭を掻いて言うと、溜息が漏れてきちゃったんだ。
「あことし、もしかして」
すそのんのんは、眉を下げて申し訳なさそうにしてる。
てことは、俺が実家と決別したいもう1つの理由を悟られちゃったかな。
「あははっ、すそのんのん相手じゃあ隠し通せないかぁ。実家を恨んでるのもあるんだけど、実はまたバカにされるとか劣等感植えられて終了なんじゃないかなって」
俺は苦笑いをしながら早口で言うと、
「本当はただ逃げてて。でもColoursの皆が何かしらと向き合ってて、頑張って乗り越えてたのに俺だけ何もしてないから責任感じちゃったっていうか」
すぐに口をついて出た言葉も上手く言えなくて、自分でも嫌になるくらいに声が裏返ったし目が泳いだ。
「逃げじゃないんちゃうん? 今のあことしさんなら、絶対打ち勝てるって!」
それでも淳ちゃんは胸の前で手を握って励ましてくれた。
「そうかなぁ。流石にすそのんのん居るし、門前払いは無いだろうけどさぁ」
俺はいざという時思いっきり動くか後ろ向きになるんだって、改めて自覚した。
すそのんのんが居れば、藍竜組の役員だし後鳥羽家の御子息だから話さざるを得ないんだけどさ。
「なるほど、今まで言いづらかったんだな。メンバーとして気付かず、すまなかった」
すそのんのんは忍さんを落とさないように頭を下げた。
「えぇ!? 頭上げて!? てかすそのんのん優しすぎだよ! メンバーだったら普通怒るかガッカリするって……」
俺が腰に手を当てて項垂れると、すそのんのんはゆっくり頭を上げた。
「そうなのか? 他のメンバーでも同じことを言ったと思うぞ」
すそのんのんは忍さんを担ぎ直しながら言うと、頬を緩めた。
「う~ん、ありがと。そうだ、淳ちゃんは見送りに来てくれたの?」
俺が腕を組んで言うと、淳ちゃんは小さく頷いた。
「別にいいよ。一応言っておくけど、実家は赤穂組っていう殺し屋一家だから、危険で変な人ばっかだよ? 淳ちゃん、本当に平気なの?」
俺が何も知らさずに連れて行って、何か責任を負うことになったら大変だから念の為聞いておかなきゃ。
そんな俺の心の内を読んでたからか、淳ちゃんは満面の笑みで、
「気遣ってくれてありがとう! 裾野も居るし大丈夫やで」
って、言ってくれたんだ。
「だって! すそのんのんモテモテだね~!」
俺が脇腹を小突いて言うと、すそのんのんは優しい目で見下し、
「そうだな、期待に応えられるようにしよう」
って、俺の顔をまじまじと見てニヤッとするから、なんだかドギマギしちゃったな。
うわぁ。よく見たら剣もバッチリ2本携帯してるし、いざという時には一緒に戦ってくれるのかな。
まぁそうなっちゃったら、違う意味で決別しそうだから嫌だけどね。
「じゃあ……林の彼方にさあ行こう!!」
って、俺が実家の方を指差して叫ぶと、すそのんのんも淳ちゃんも「おー!」って返してくれて嬉しかったよ。
今の俺なら逃げないで勝てるのかな。
だけど今は賭けない。人間関係とか生死に関わることは、先を知りたくないから。
2018年4月11日 13時頃
赤穂組前の林
赤穂俊也 (あことし)
人生には勝負どころが必ずある。
俺の場合はいっつも勝負だけど、ここぞっていう時の勝負とは全然違う。
何て言えばいいんだろう、空気が違うんだよね。
キリッと引き締まるっていうか、俺の中の何かが沸騰してきて新しい力がみなぎる感じ!
う~ん、言葉に出来ない。
こんなんだから、しげちゃんに感覚派って言われちゃうんだよね。
もっとしげちゃん、すそのんのんみたいに言葉で説明したいな。
今は久々に実家まで続く迷路みたいな林道を進んでいるよ。
俺を先頭に、淳ちゃん、すそのんのんの順番で歩いてるから、バックアップもバッチリなんだ。
「忍さんが居なくなってから、参謀――下の兄さんが門番してるんだ」
俺がぽつりぽつりと話し始めて振り返ると、2人は何も言わずに頷いてくれた。
「だから門が見えてきたら、すそのんのんが1番前に来てくれない? 実家はさ、役員とか偉そうに聞こえる肩書が好きなんだよね」
と、続けて恨みを込めて言ったら、すそのんのんが大きく頷いた。
「問題ないぞ。それに、あの方々は名家の集まりにいらっしゃった際にも、後鳥羽を絶賛していたからな」
すそのんのんはちょっと困った顔をしていたけど、一体どんな事を言われたんだろう?
すそのんのん、実は俺に怒ってるとか?
家族があんなだから、人間性を疑ってるとか?
「そうなんだ……迷惑かけてごめんね」
無意識で謝っちゃったから俺は慌てて口を塞いだけど、すそのんのんは首を横に振ってくれた。
「誰かの為に謝れるのは尊い事だ。……本当に優しいよな」
しかもいつもよりちょっと低くて安心できる声で言うから、涙が込み上げてきてしまった。
まだ勝負もしてないのに。
すそのんのんの優しさで泣くくらいの覚悟なの?
「……」
運が良いことに、もうこの大木の後ろには実家の門が見える。
俺はゆっくりと足を止め、一旦忍さんを下ろしたすそのんのんに正面から抱き着いた。
ていうか、背中に腕回して無いからぶつかったが正しいかも。
「ん? ……結果的には1人で戦うのかもしれないが、俺達はずっと側に居るぞ」
すそのんのんは俺の頭をぽんと撫でると、見上げた俺を笑顔で迎えてくれた。
身長10cmくらい違うけど、すそのんのんって威圧感が無いから不思議。
「うん。頑張る!」
俺がファイティングポーズをとって言うと、すそのんのんも淳ちゃんも微笑んでくれた。
すそのんのんは、俺がどんなに迷っても裏切って自分を見失っても、「あことしはあことしだ」って、教えてくれた存在。
ずっとお世話になってばっかだし、絶対俺をバカにしないし、メンバーとしても殺し屋としても大好きなんだ!
淳ちゃんは皆の事を助けてくれて、いつも頑張ってるから俺も頑張ろうって思えるんだ。
だからこそ、忍さんを担いで歩きだしたすそのんのんの後ろを付いて行きながら、覚悟を決められた。
Coloursが誰1人欠けずに皆で、活動再開する時に見ようって決めたメッセージを読もう!
その前にすそのんのんに、今はまだ歌詞だけだけど早く曲を伝えるんだ!
そして門の前に居る参謀が横に並んだ3人を見るなり、俺の身長の3倍はある真っ赤な鋼鉄製の門を開けた。
まぁ……すそのんのんが目に入った瞬間、開けるボタン押してたんだけどね。
「それは赤穂組の……」
参謀はすそのんのんに何か言いかけたけど、俺と目が合ったら表情をコロッと変えて睨んできたんだ。
だけど睨み返さなかった。
もうすぐ関係も無くなる人達に、なんか反応するのも面倒だもん。
大嫌いだし。
だけど淳ちゃんを見た時に、苦虫を噛み潰したような顔をしていたのは何でだろう?
赤穂組の隊員は基本俺が依頼受けて消してたし、依頼横取も基本俺だったしなぁ。
もしかして、実家自体と何かあった?
甘党一家だから、スイーツ買い占めてるのを注意したとか!
淳ちゃん真面目だし、ありえそう!
門をくぐると、庭無いからすぐ玄関なんだよね。
威圧感たっぷりの門に隠れるくらいの家だし、そんなに大きくはないよ。
すそのんのんの実家に比べたらね!
ちなみに家は普通だよ。
木目調のえんじ色で、3階建ての本国家屋って感じ。
全部和室だし、布団敷いて寝る家だから洋風の家具とか無い。
「初めて来たでしょ? ほんっとセンス無いし大嫌いだから、大事な用でも来るの嫌なんだよね」
俺は精一杯強がってるけど、2人が居なかったらここまで来れてない。
だって、またバカにされたり劣等感植え付けられたりしたら嫌だもん。
「演出家らしい、立派な家だな」
すそのんのんはお世辞も上手い。絶対内心そんなこと思ってないもん。
「ええ家やけど、私が住むにはもったいないなぁ」
淳ちゃんは微笑みガードで表情に出さないようにしてる。これ、俺の勘だから当たるよ!
それからすぐに玄関扉が大きくこっち側に開かれて、門を閉めた参謀まで揃った赤穂家が出迎えた。
皆してすそのんのんに気に入られようと、気持ち悪い笑顔を向けてる。
「あらあら、こんな辺鄙な所までありがとうございます。藍竜組の役員様が来て下さるなんて嬉しいわぁ」
総長――母親が、ひと昔前の真っ黒な着物の裾をヒラヒラさせながら言う。
「遠い所、ご訪問くださりありがとうございます」
会長――父親が、えんじ色の羽織袴で腕を組んで威厳を見せつけて言う。
「おもてなしの準備が整ってます、どうぞどうぞ」
副総長――長男っていうか、上の兄さんが慣れない敬語で噛みながら言う。
「お気遣いいただきありがとうございます。ただ、本日は私裾野聖からではなく、俊也からお話をさせていただければと存じます」
すそのんのんが名家様スマイルと柔らかい口調で言うと、赤穂家は分かりやすく苦笑いをしてる。
しかも忍さんをそっと俺の側に下したから、全員の目線が忍さんに集中した。
「すそのんのんも言ってくれたけど、今日は俺の話を聞いて!!」
一歩前に出て叫ぶ俺を、冷ややかな目線が突き刺さす。
なにこれ、言うだけでもめちゃくちゃ怖い。
足が竦むし、今すぐ逃げたい。
でもすそのんのんも淳ちゃんも俺を絶対見捨てないし逃げないから、一緒に戦うよ!!
頑張るんだよ、俺!!
「貴方の話を聞くメリットはどこにありますの?」
総長が扇子で顔を扇ぎながら、面倒そうに俺を睨む。
「それは――」
と、言いかけた俺の言葉を、副総長が「あ~あ!!」って、大声を上げて遮った。
「全く。赤穂組の門番を……お前、バカなんじゃね~の?」
副総長が自分の頭を指差し、目を剥きだしてバカにしてきた。
やっぱ、この人が1番嫌。
10個も年離れてるから36歳なんだけど、俺のドラムセット壊した事あるんだからね。
しかも主にめっちゃバカにしてくるのは、この人だしさ。
「外傷が無い。治療したのか?」
参謀は頭がキレるから、精神面でも頭の良さでも俺に劣等感を植え付けた人。
小さい頃持ってたちょっと高い狙撃銃に細工をして、失明させようとしたんだよね。
お前は不注意で真剣に向き合ってない上に頭悪いから、気付かなかったんだとか言われて。
今でもそれは全部グッサリ心に刺さったままだから、片桐組入ってから持ってる奴は細工も出来ないような安い銃なんだ。
「そうだよ! 入院させて完治までさせた……それで、ここまで無傷で運んできた意味、分かるよね!?」
と、今までの怒りも込めて叫んでレイズをすると、全員が一瞬怯んだ。
お前らとの関係を切りたいんだよ、俺は。
そう内心で呟いてみたけど、これは俺っぽくない? かな?
とりあえず、ここはチェックでいこうかな。
「まさか……お前……」
副総長は、俺と縁を切ることで藍竜組との関係を絶たれるのが嫌って思ってる。
言う程仲良くないし、微妙な関係だってしげちゃんが教えてくれた。
「願ったり叶ったり」
参謀はもう先の事を考えてる。
赤穂組はそれなりに大きい組織だし、独立してもやってける道はあるって考え。
「何言ってるの! 今俊也ちゃんとの関係を絶ったら、藍竜組が敵に回るのよ!?」
総長は自分の事しか考えてない。家族の誰の事も見えてない。
今みたいに顔に出されちゃえばほぼ分かるんだけど、父親だけが表情を変えてない。
それに何も言いそうにもない。
俺の能力を知ってるから?
勘が当たるのを知ってるから?
多分どっちも違う。
普通の敵として、どう出るのか見てるって感じだと思う。
1番無関心だったし、俺の事を調べてるとは思えない。
そうじゃない。誰も俺の事を考えてないんだよ。
もちろん、考えてくれなんて思ってない。
でもこの家で生まれて、5年間は過ごしてきたんだよ。
その5年がどんなに悲惨だろうと、死にたくなっても、逃げたくても耐えた俺を、誰も見てなかったんだよ。
昔の事だよねって笑うつもりなんだよ。
この人達は俺をこんな人間にしておいて、責任も取ろうとしない。
謝られた事なんて一度も無い。まぁ今更謝られてもってとこだけど、気休めにはなるくらい。
それでもColoursの皆に出会って、俺の家族がおかしいんだって、皆それぞれ辛い思いもしてるってことに気付いた。
だから、そのまま育たなかっただけラッキーなんだと思う。
え? これっておかしくない?
犯罪者みたいなもんなのに、人間性をめちゃくちゃに曲げて育てようとしたのに、何も罰は無いなんて。
だから今までは俺が赤穂組の隊員を減らしたり、依頼を奪ったりしてたけど、もうそれも止める。
今から全部終わらせるよ。
2018年4月11日 13時20頃
赤穂組
赤穂俊也 (あことし)
逃げてきた、向き合ってこなかった家と決別する。
もうさようならするんだ。
だけど総長の口から飛び出たのは、藍竜組が敵に回るって言葉。
産んだ親がこれだよ?
赤穂家ってどうなってるんだろうね。
って思ったところで、頭の悪い俺には何も分からないよ。
「なんでそうなるの!? なんでいっつも家と家なの!? 片桐組が無くなったからって、今度は藍竜組!? 自分の家に力が無いって言ってるようなもんじゃん!」
俺は沸騰していくにつれて身振り手振りも大きくなって、声も自分でも嫌だと思うぐらいにひっくり返った。
「当たり前でしょ? 赤穂家は長年他の家に寄生し、劣等感を抱えて生きてきたんですもの。だから貴方個人の事なんてどうでもいいの」
総長はナメクジみたいに赤い唇を動かして言うと、肩を竦めた。
「は!? それなら勘当したっていいじゃん! 俺個人がどうでもいいなら、藍竜組との関わりだって期待出来ないんじゃないの!?」
俺は唾が飛ぶのも構ってられないくらいに驚いてた。
だって、中途半端で完璧じゃないものの為に俺を繋ぎ止めるなんて、バカバカしいと思ったから。
「それじゃあ私達の可愛い可愛い隊員達が危なくなっちゃうじゃない。ただでさえ貴方が始末しちゃうんだから、防衛に人員を割けないのよ……ほんっと大人しくパイプになってればいいのに迷惑よね」
総長は副総長や参謀と頷き合って、唇を尖らせる。
そんな中、何か言い返そうかと必死に頭を回してると、淳ちゃんが1歩前に出た。
さっきまでは俺の悪口で盛り上がってた3人も、淳ちゃんの脅しのオーラみたいなのに目を向けざるを得なかった。
「今の発言は特に聞き捨てなりませんね。前言撤回して下さい」
冷たい声で言う淳ちゃんはにっこりしてるけど、いつもと違って今にも剣を抜きそうだ。
「は? 貴女、どなた様?」
総長が腕を組んで眉を吊り上げると、
「こちらの方が、俺達兄弟が危険視している――」
って、参謀が小声で言い、総長は小さく頷いた。
「貴女が……そう。……あら、ご結婚されてるのね? お子さんは?」
総長が薬指の指輪を見つめて言うと、淳ちゃんはさっきの冷たい笑顔のまま無言を貫いた。
ていうか、何で今淳ちゃんの話になってるの。
今は俺の話じゃないの?
「淳ちゃんは今関係無い」
睨み上げて言う俺に、副総長は面白そうにクツクツと笑い、
「それもそうか! さぁて、お前の用事はもう終わりか?」
と、俺の顎を持ち上げ、挑発的な態度をとってる。
「そうそう、俊也ちゃん。まだあの野蛮な楽器やってるの? 狙撃銃だって賭け事だってそうよ? いい加減辞めなさい?」
総長は俺がColoursに居ることも知らないで、ライブの演出の総指揮を取ったことがある。
その時は顔出ししてないのもあったけど、それにしたってあの笑顔での挨拶にはムカついた。
俺を他人だと思うのは良いけど、全国のドラマー全員をバカにするのもいい加減止めてよ!
「……あのさぁ」
怒りが頂点に達すると、こんなにも声が震えて低くなる事を初めて知った。
でも今言わなきゃ、決別するって決めたんだから。
俺が怒ってるところは家族の誰からしても初めて見るから、皆して何が起こるんだと期待の眼差しを向ける。
「俺、今までどんな嫌がらせされても、劣等感を植え付けられようと何もしなかったよね? でもすそのんのんを傷つけてきた忍さんが、片桐組から赤穂組に転籍した瞬間…………絶対、お前らを許さないって心に誓ったよ!! だってしげちゃんに調べてもらったからね! 忍さんにわざわざ声掛けてスカウトしてたこと」
俺は家族全員を順番に、目で噛み殺せるくらいの覇気で睨んで言う。
流石にしげちゃんに調べてもらった事には、副総長がキョロキョロって目を泳がせてたね。
俺は黙り込む家族に向かって、呆れ半分の溜息を吐くと、
「そもそも出来が悪いから? ドラム――野蛮な楽器に興味を持ったから? 狙撃が好きだから? 賭け事が得意だからぁ!?」
って、1人1人の胸倉に掴みかかりながら言うと、乱暴に離して鼻で笑った。
「そんなこれっぽっちの、ほんっとちっちゃいことで差別する家族と、片桐組には親が居ないと所属出来ないからってさぁ! 今日まで縁をもってた事に感謝の1つも出来ないのかよ!!!!」
これ多分、俺史上1番叫んでたと思う。
そのぐらいムカついてたし、当たり前の事だって軽く見られてたんだなって思ってたから。
片桐組は片親でも親が居れば、組を追い出されることも無い。
てことは、親が居ない人は所属出来ないんだ。
だから今日までこうして縁をもってた。
だけど灰になった今、もうそんな決まりは無い。
そして俺の叫びと、声の大きさに会長以外は完全に怯んでいた。
「まぁ!! 俊也ちゃん!?」
総長は歯をガタガタ言わせながら、両膝をついた。
「忍さんは返すから、今すぐ勘当して。それでもう二度と俺にも仲間にも手を出さないで……そうすれば、俺も赤穂組とは関わらないよ」
俺の声は叫んだ後だから、聞き取りづらくなるくらい枯れていた。
でも赤穂組の人達は、何故か熱心に聞き取ろうとしていた。
副総長は俺の言葉を鼻で笑い返し、
「ふん、偉そうに。誰に口聞いてると思ってるんだ!」
と、拳を振り上げて言った。
だけど俺の前に現れた頼もしい影が、拳を掴んで地面に転がしてくれたんだ。
「今は頭を使って話をしているんでしょう? 俊也に何か言いたい事がございましたら、何なりと……その口で、お伝えください」
すそのんのんが執事っぽく丁寧に言うと、そっと俺の前から真横に移動したんだ。
もちろんあことしって呼べないから、さっきから名前で呼んでくれてるけど、くすぐったい感じがする。
ていうか、やっぱすそのんのんって格好いい!!
合気道強いし、剣も槍も使えて凄い!!
淳ちゃんも堂々としてて凛々しかったし、俺も頑張らなきゃなぁ。
俺はただ1人何も反応してない会長に目を向けると、
「会長は?」
と、無表情で見上げて言った。
すると会長は俺を無慈悲な目で見下ろし、
「藍竜組の役員様の前で言う事は何も無い。さて、赤穂組の隊員を殺さなければ、こちらも何もしないのだから、誓約書を用意して――」
って、懲りずに藍竜組の名前を出すから、1回温度が下がってた俺のお腹がまた沸騰した。
「なんで!? なんっで藍竜組を気にするの!? もう微妙な関係なら顔色窺っても仕方ないじゃん! そんなものにしがみつくくらいなら、いっそのこと全部捨ててどん底からやり直せよ!!」
俺がその勢いのままに叫ぶと、会長はズカズカと迫ってきて右手で俺の胸倉を掴んだ。
「分かったような口を利くな!!」
今まで会長に怒られたことなんて無かったけど、真剣に怒ってる顔を見たら俺もちゃんと応えなきゃって思えたんだ。
「分かってるよ! だって俺は片桐組が無くなって、Coloursだって休止してて――だから部下も総長達も失ったよ」
俺は会長の腕を両手で掴むと、最後には力が抜けちゃった。
だって、皆居ないんだなって……思い出しちゃったから。
「でも今自分が生きてること、すそのんのんたちが生きててまたColoursが出来るんだから俺は立ち直ったよ! それにお前ら――赤穂組は皆居るでしょ!?」
再び力を込めて握り直して言うと、会長の俺に似てくりっとした瞳が大きく開かれた。
「藍竜組にすがりついてる今ですら防衛に人割けないんだったら、藍竜組の手だって離してやり直しなよ!! 変わろうとしろよ!!」
俺が掴まれた腕をそのまま引き剥がし拳を強く握って叫ぶと、会長は俯いたまま一歩引いた。
そして会長が何かを口に出そうとした時、副総長が間に入って、
「綺麗事言うな!! 立ち直ったんなら、見過ごさない。まぁ今回は忍を治療して連れて来たから何もしないが、次はお前らの――」
なんてとんでもない事を言い出した。
すると淳ちゃんが副総長の後ろから肩を掴んで振り返らせ、
「勘違いされていらっしゃいませんか? 俊也さんの願いは、忍さんを返す"代わり"に勘当することです。受け入れないのならば、どうなるか分かりますよね?」
って、ニコニコしながら言った。
そしたらすそのんのんも淳ちゃんの隣に立って、
「何ならこの件を藍竜に報告しても良いんですよ?」
って、背筋がゾワゾワしてくるような笑顔を向けて言う。
「そういうことなら仕方ありません。勘当の書類を用意します」
副総長があまりに不利な状況だったからか、参謀が足早に家の中に入っていった。
「ただ勘当するだけではありません。今後一切の接触を禁じます。あと、御家族皆さんで俊也さんに謝って下さい」
淳ちゃんは参謀以外の赤穂組の人達を見回して言った。
「それでは私は、藍竜に赤穂組と藍竜組の関わりを絶つ旨の誓約書を依頼致しますので失礼致します」
すそのんのんは皆に向かって一礼すると、俺の背後に回り込んで、
「よくやったな」
って、他の人に見えないように後頭部を撫でてくれた。
「うん……ありがとう」
俺が半身だけ振り返って小声で言うと、すそのんのんはスマフォを耳に当てながらウィンクをしてくれた。
すそのんのんは慣れてるんだろうけど、本当にどんな時でも自分で居られるすそのんのんって凄いよね。
俺なんてさっきまでものすっごく自分を失ってたのになぁ。
なんであんなにいつも通りで居られるんだろう。
「おい……」
すそのんのんをぼうっと見てた俺に、副総長が遠慮がちに声を掛けてきた。
「なに?」
俺が目を吊り上げて言うと、副総長は口ごもってしまった。
だけどその間に参謀が戻ってきて、会長に資料を渡すと、
「判子はここに」
って、勘当の書類用の大きめの判子を手渡してた。
あ~やっと終わるんだ。
でもすそのんのんがさっきから不穏なこと言ってるのが、俺にはちょっとだけ聞こえてるんだよね。
え!? 取引停止の誓約書の書き方が分からないんですか!?
とか、暁さんはいらっしゃらないんですか!? とか……ちょっとマズい気がしてきたなぁ。
俺がすそのんのんに気を取られていると、会長が俺の名を呼んで、
「これをもって、お前と親子の縁を切る」
って、言いながら判子を押した書類を見せてきた。
会長は俺を睨みつけ、淳ちゃんも見下していたけど、淳ちゃんは微笑み返していた。
だけど赤穂組の人達は、まだしてないことがある。
「俺、こう見えても完璧主義なとこあるから、ちゃんと謝ってよ。土下座とか汚いのは要らないから」
面倒そうに目を伏せて言う俺に、赤穂組の人達の表情が一気に曇った。
そうだよね。
俺が完璧主義なとこあるのも、知らないよね。
頭は良くないけど冷静なとこあるのも、家族だった時も今も知らないよね。
「俊也ちゃん、貴方何言ってるの!?」
総長は完全に動揺してる。
「3人で来させて頂いた意味、分かっていらっしゃいますか? 私達3人"だけ"で貴殿方赤穂組を潰せる、という意味ですよ?」
淳ちゃんはニヒルに笑っているけど、呼吸回数が多いから怒ってる。
賭け事では何気ない行動を見る力が必要だから、自然と気になっちゃうんだ。
これ以上俺が何か言われないように怒ってくれてるんだね!
周りが優しい人ばっかでよかったなぁ。
するとすそのんのんがこっちに歩み寄って、
「お待たせ致しました。藍竜が誓約書を準備しておりますが、明日の同じ時間にまたお伺いした際のお渡しでもよろしいでしょうか?」
って、会長にやんわりと言うと、会長は小さく頷き、
「親子の縁は今切ったところですが、俊也を連れて来てはもらえませんか」
なんて言い出すから、俺は思わず「え……」って、声が漏れちゃったんだ。
「承知致しました。それでは我々はこれで」
忍さんを抱えたすそのんのんは、そのまま俺と淳ちゃんの背中を軽く押してその場を後にさせた。
すそのんのんが察してくれたけど、忍さんを返さないのは、勘当はしたけどまだ謝ってないから。
・・・
そして林の入り口まで戻って来ると、俺はよっぽど気を張ってたみたいでその場に座り込んじゃったんだ。
「はぁぁぁぁぁぁ……そうだよね、まだ全員から謝罪されてないや……明日もよろしくね、すそのんのん」
俺が気の抜けた声でぼやぼや言うと、すそのんのんは相槌を打ちながらしゃがんだ。
「よく逃げなかったな。立派だったぞ」
すそのんのんはさっきまでと声の調子が全く一緒だ。
もちろん言葉遣いは違うけど、ずっと堂々としてる。
「ありがとう。淳ちゃんも本当に助かったよ」
俺はいつの間にか一緒にしゃがんでくれた淳ちゃんにも礼を言うと、
「別にええで。大変やと思うけど、応援してるで!」
って、さっきとは違って眩しい笑顔を向けてくれた。
「うん! よし……頑張るよ!!」
俺は自分にもColoursのドラマーであるSniperにも言い聞かせるように、胸に手を当てて言った。
明日は赤穂組の人達に謝罪をさせて、誓約書もサインさせなきゃ。
まだまだ逃げないように、ちゃんと自分をもたなきゃ。
そう思い、希望に満ちた面持ちでバイクに跨ったのであった。
2018年4月12日 13時頃
第二公園
赤穂俊也 (あことし)
『曲名は未定ですが、裾野に伝える曲は後少しで完成致します』
昨日の夜、しげちゃんから挨拶も無く届いたCAIN。
しかもなぜか個人トークだった。
もしかして、俺の事を心配して監視カメラとか色々調べて知っちゃったのかな?
まぁそうだとしても、しげちゃんと俺は一蓮托生だからね!
ベースとドラムは連携が大事、最初にしげちゃんから教わった事。
それで皆はドラムでリズムを聴いて、ベースからラインを聴いて演奏してるって。
だから1番信頼しあわないといけないんだよね。
でもしげちゃんはスランプから脱出できたし、今度は俺の番なんだよね?
「はぁ……」
嫌になっちゃうくらい晴れ渡った空。
だけど太陽は俺を刺してる訳じゃなくて、応援してくれてるようにも見えた。
なんて願掛けみたいなもんだけどね!
そんなことを考えながらバイクに寄り掛かって太陽を見上げていると、聞きなれた足音が聞こえてきた。
「あことし、待ったか?」
すそのんのんの声はやっぱ安心するなぁ。
キッチリスーツを着こなしてるし、愛車から手を振ってる姿は完全に貴族だよ。
一応俺もスーツ着てきたけど、ネクタイ赤にしたのすっごく後悔してるんだ。
俺のメンバーカラーが赤だからなんだけど、すそのんのんはメンバーカラーじゃなくて落ち着いた藍色なんだもん。
ちょっと恥ずかしくなってきちゃったなぁ。
「全然!! 行こっか!」
俺が胸の前で手を振って言うと、すそのんのんは手に持っている黒革の鞄を持ち直した。
「そうだな、と言いたいところだが」
しかもすそのんのんは自分の後ろを見るように目で訴えてきた。
それで俺が首を傾げながらも振り返ると、
「私も一緒に行くで~」
って、林の入り口で言うとびきり可愛い笑顔の淳ちゃんが居たのだ。
いつからそこに居たのかは知らないけど、俺が気にしてなかったからかなぁ。
だけど今回は2人で行くように赤穂組の人達から言われているよね。
どうしようかな。
「すそのんのん。約束守った方がいいよね?」
俺は困ったらすそのんのんに頼る悪い癖があるんだけど、今回も口に出してから頭を抱えちゃったんだ。
「別に良いのではないか? あことしを連れて来てくれとは言われているが、俺と淳については何も仰っていなかっただろう?」
だけどすそのんのんはそんな俺にイライラしないし、微笑みながらふわっと言ってくれるんだ。
「そうだっけ? まぁすそのんのんが言うならそうだよね!」
って、小さく頷きながら言うと、
「乗りかかった船やねんから! 最後までちゃんと見届けな! レッツゴー!!」
淳ちゃんは満面の笑みのまま、1人で走って行っちゃったんだ。
いっつも思うけど、元気があって良い子だよね!
俺もColoursの元気担当ってファンの間で言われてるみたいだし、もっと元気よくやろっと。
「行こうか」
すそのんのんはポロっと呟くと、見上げた俺と目が合って微笑んでくれた。
・・・
相変わらず赤穂家に行くのは気が進まない。
とにかくすっごく嫌だ。
でもやらなきゃ完璧にならないし、雲が残っちゃう。
そうだ、すそのんのんに聞きたい事があるんだった!
「すそのんのん。昨日の電話ちょっと聞こえちゃって……藍竜さん、どうかしたの?」
俺が時々スマフォを見るすそのんのんに話し掛けると、すそのんのんは苦笑いをしながら俺を見下した。
「実は取引停止の誓約書は藍竜組から突きつけたことも、他の組から突きつけられた事も無かったんだ」
すそのんのんは気恥ずかしそうに言うと、スマフォを尻ポケットにサッと入れた。
「だから細かい事が分かりそうな暁さんを頼ろうとしたのだが、ちょうど外出されていてな。それでリスケさせていただいたんだ」
続けて言うすそのんのんは、分からなかった事を恥ずかしそうにしてるけど、取引停止なんて無い方が良くない!?
片桐組なんて何枚書いたことやらって感じだよ?
俺は書いた事無いけどね。
ほら、俺の上司は役員の黒河になっちゃうから……取引停止の書類書いてって依頼することはあったんだけど……ね。
「そっか! ま、片桐組は突きつけられてばっかだし、突きつけまくってたから、無いことは良いことだよ!」
俺が黒河への劣等感を隠しながら笑い飛ばして言うと、すそのんのんは気まずそうに頷いた。
多分、俺が資料作った事無いの……知ってるからだよね。
「そうだな。暁さんから完成した旨の連絡があった時は、かなり安心したな」
だけどすぐに微笑みモードになって、本当に安心した顔してたから、俺も笑顔で「あ~よかったぁ」って言いながら頷いたんだ。
すると先を行っていた淳ちゃんがバッと振り返って、
「取引停止の手順とか諸々、私に相談してくれたら良かったのに」
なんて微笑みながら言い出すから、俺はすそのんのんを一瞬見上げてからこう言ったんだ。
「なんで? すそのんのんでも知らないんだよ?」
危ない。まさか黒河に相談するの? って言葉が小骨になって引っかかった。
そんな自分自身に冷や汗を掻いちゃったけど、ただ単に興味が沸いたんだ。
ネットで調べても裏社会用なんて出てこないし、表の世界のとは書き方が色々違うらしいんだ。
そしたら淳ちゃんは人差し指を立てて魔法の杖みたいに振ると、
「まぁ、これでもそれなりの事なら調べる算段あるから」
って、得意げに言うから俺は目をキラキラさせてたんだけど、すそのんのんは無表情で頷くだけだった。
「なるほど。今後は機会があれば依頼する可能性があるかもしれないな」
しかもビジネスモードで淡々と言うから、お金が発生しそうな事はこのモードになるのかな?
でも依頼するなら見てみたいな。
調べる算段!
「そしたら俺も同席したいなぁ。お願い、すそのんのん」
拝むポーズをして片目を閉じる俺に、すそのんのんは仕方ないって顔をしてくれた。
「同席も大歓迎やで!」
淳ちゃんも嬉しそうに後押ししてくれて、俺はもっと目をキラキラさせてたんだ。
そうだ。
1番伝え忘れちゃいけない事があった。
皆で作詞作曲した曲を伝える事。
皆で納得して作ったものを伝える事。
しげちゃんから後少しで出来るって昨日の夜にメッセージ入ってたんだった。
「ねぇねぇ」
俺がすそのんのんの左腕の裾を軽く引っ張って言うと、すそのんのんは包んでくれる目で見下してくれた。
「もう少ししたらまた皆でお見舞いに行くんだけど、その時に伝えたい事があるんだ」
目が右に左に遊びに行っちゃったけど、最後に意志の強い瞳を見上げて言うと、すそのんのんは目を細めた。
「分かった、楽しみにしている」
親友同士の隠し事みたいに囁いて言ってくれたすそのんのんは、流れるようにウィンクをしてくれた。
「ウィンク上手っ!! 今度教えてよ~!」
俺が口を尖らせて言うと、すそのんのんは何かが晴れたみたいに爽やかな笑顔を見せた。
何があったんだろう?
それとも俺が家の事を乗り越えられそうだから、喜んでくれているのかな?
そうじゃないとしても、すそのんのんはずっと心に何かが残ってるから戻れないって断ったんだよね。
それが今、こうして俺が急にお願いした事にも同行してくれて、一緒に乗り越えようとしてくれてる。
それと……俺、すそのんのんに断られてから考えたんだ。
そこで、自分にも家の事があったのに前へ進もうとしてたことに気付けた。
だから家の事を完璧にまっさらにしたら、すそのんのんに自信持って帰ってきてって言えるよ!
この前チケットもらったリゾゼラのコンサートだって後少しだし、それまでにはColoursを復活させたい!!
2018年4月12日 13時20分頃
赤穂組
赤穂俊也 (あことし)
Coloursを復活させたい。
その為に俺が出来る事は、家との関りを絶たせる。
それからはすそのんのんに戻って来てもらえるように頑張る!
そう思いながら門を潜ると、参謀が目を逸らしているのが見えた。
だけど俺は一切彼とは目を合わさず玄関前まで先頭をきって歩み、3人で待ち構える会長に礼をした。
「ご多忙の中貴重なお時間を頂きまして、誠にありがとうございます」
すそのんのんがビジネスモードのキリッとした顔で柔らかく言うと、会長は小さく何度も頷いた。
「誓約書のご用意が遅くなりまして申し訳ございません。お手数をお掛け致しますが、ご査収願います」
すそのんのんは黒革の鞄からクリアファイルに入った書類を取り出すと、会長に手渡した。
その時に一緒に担いでいた忍さんも下した。
「……承知した。サインをするので少々お待ちいただけますか」
会長はずっと微笑みモードのすそのんのんを怖がってるのか、後ずさりしながら言った。
「承知致しました。左様でございましたら、こちらでお待ち申し上げております」
お人形さんみたいにキッチリ礼をしたすそのんのんは、会長が一旦引き上げるといつもの無表情に戻った。
「すそのんのん、やっぱ役員だね! カッコイイ!!」
俺がすそのんのんの脇を小突いて言うと、すそのんのんは苦笑いをしながら軽く首を横に振った。
「事務的な事は任せてもらっていい。だが、その後の事はあことしから話して欲しい」
すそのんのんが参謀に聞こえないように声を抑えて言うと、俺は大きく頷いて、
「任せて! 淳ちゃんも居るし、メンタル心強いからちゃんと伝えられるよ!」
って、自信に満ちた笑顔で言うと、すそのんのんも淳ちゃんも微笑んでくれた。
すると丁度会長が戻って来て、すそのんのんと誓約書を手に何か話し込んでいた。
俺にはよく聞こえなかったけど、組同士の大事な取り決めの確認でもしてるのかな?
ちょっとそこら辺は黒河がやってたから、俺サッパリだし……本当すそのんのんが居てくれてよかった。
「俊也」
クリアファイルを鞄にしまったすそのんのんが俺を手招きする。
てことは話が一段落ついたのかな。
俺が玄関先まで近づくと、
「赤穂会長、俊也から話がありますので宜しくお願い申し上げます」
って、すそのんのんが一歩下がって言ってくれて、淳ちゃんもすそのんのんと同じ位置まで歩み寄ってくれた。
「……」
会長と向き合った俺は、最初に何を言ってどうすれば完璧に事が済むか、ほんの一瞬だけ考え、
「赤穂家の方々を集めてください」
と、かしこまった言い方で言った。
だってまだ皆から謝ってもらってないから。
だけど俺、謝られても許せる気がしない。というか、どうするか決めておかないと。
「分かりました」
会長も俺と同じく他人行儀で言うと、参謀を呼びつけて家族を呼ぶように言った。
やがて5分も経たない内に総長と副総長を連れた参謀が来て、赤穂家は横一列に並ぶ形になった。
「この前はどうして謝れなかったの」
俺は全員が目の前に並ぶ状況に何故か自信が沸いてきてる。
逃げたいなんて思えない。これがまたとないチャンスというものなんだろう。
「皆プライドが邪魔したのだろう」
会長は家族と目を合わせる事も無く、一言呟いた。
「ただの虚しい言い訳にしか聞こえませんね」
淳ちゃんが俺の左後ろから言葉で刺すと、副総長が苦虫を噛み潰したような顔をした。
そりゃそうだよ。
プライドなんて俺に全然ないものだし、縁がないんだもん。
ていうか、持とうとしても全部崩してきたのは赤穂家の人達だよ。
「俺に持たせてくれなかったモノね」
何だろう。自分でも今の俺はおかしいと思うくらいに、嫌味ったらしい事ばっか思う。
すると総長が一歩前に出て、
「俊也ちゃん……ごめんなさい」
と、頭を下げて謝る。
「悪かったよ。もう関わらないから」
総長が同じように前へ出て、ぎこちなく頭を下げる。
「申し訳ございませんでした」
参謀がその場で深々と頭を下げる。
そして最後に会長が3人を下がらせ、
「大変申し訳ございませんでした」
と、ゆっくり頭を下げて言い、3人も会長に合わせた。
淳ちゃんは赤穂家の人達を冷たい目で見て、納得がいってない顔をしていた。
それでもやっと赤穂家の人達から謝罪してもらった。
それぞれの一言には、26年自分達が何を俺にしてきたか、事の大きさと重さも含まれていた。
全員から謝られた事実、目的は目の前で起こってるし、達成されたのに。
俺の心は全然スッキリしてなくて、むしろ心臓の音が聞こえるくらい緊張している。
賭け事でもここまで緊張した事なんて無い。
どうしよう、すそのんのん。
今すぐ頼りたいけど、ここで声を掛けたら違う。
それならもう……やることは終わったから、帰ろう。
このままバイクに跨って家に帰ったら、きっと実感が湧くんだよ。
俺がそう思うよりも先に足が無意識に動いていて、気付いたら整備が行き届いていない土を踏みしめていた。
「……」
これでいいんだ、と呟きたくなる自分を抑える。
もしかしたら赤穂家の人達が追ってきて、許したのかどうか訊いてくるかもしれない。
まだダメなんだ。
ひたすら言い聞かせ続けた俺は、コツンと爪先が固い物に当たって歩を止めた。
足元に目線を落とすと、そこには大きめの石が転がっている。
よく見れば、地面は茶色ではなく灰色になっている。
ここは駐車場?
そしたらもうバイクまでもう少し。
今はなんでだろう……誰とも話したくない。
ドキドキが止まらない。
何で? こんなにも落ち着いているのに?
そうして歩きだそうと右足に体重を乗せた俺の腕を引き、
「俊也……待たないか」
と、優しく声を掛けてくれたのは、すそのんのんだった。
「……!!」
俺は肩を震わせ反射的に振り返った。
もう赤穂家の人達は居ないし、公園に来ている一般の人も居ない。
それなのに、どうして本名で呼んだんだろう?
「驚かせて悪かった。だが、このまま帰らせてしまったら後悔すると思ってな」
すそのんのんは眉を下げて申し訳なさそうにすると、
「家と縁を切ったとはいえ、あことしはあことしだ。何も変わらない。それを伝えたかったんだ」
って、俺の両手首を軽く握って言った。
そこで初めて俺は、自分の手が震えている事に気付いた。
なんで? でもずっと緊張してたから、震えてた?
どうして? 家の事が終わったから? これですそのんのんにちゃんと伝えられるから?
それって俺1人だけの力じゃない。
全部すそのんのん、淳ちゃんが頑張ってくれて、一緒に居てくれたからだよ。
そして俺自身は何も変わってない事を教えてくれた。
「すそのんのん……淳ちゃん……」
2人の名前を呼んだだけなのに、どうして声が震えているの。
どうして目の前が霞んで見えるの?
それでも伝えなきゃ!!
「ありがとう!!」
俺は涙が落ちる前に、すそのんのんの隣に立っていた淳ちゃんも巻き込んで抱き締めた。
「お疲れ様です」
淳ちゃんは俺の手首を優しく包んで微笑んだ。
「本当に……よかったな」
すそのんのんは、表情はよく見えないけど自分に言い聞かせているみたいだった。
「うん!」
俺は何も気にしないように、澄み切った笑顔で頷いた。
それをきっかけに、2人も笑ってくれて俺の中でしっかり区切りが付けられた。
――1時間後
2人と別れ、ゆーひょんの部屋に帰ったのは15時くらいのことだった。
今日は早く帰れるって喜んでたし、ゆーひょんと一緒に復活ライブでやりそうな曲でも練習しようかな。
そう思って扉を開けると、ゆーひょんはベッドにうつ伏せで倒れていた。
「ただい……えぇ!? ゆーひょん!?」
俺は荷物を適当な場所に置くと、ゆーひょんの巨体を揺すった。
するとむくっと首だけを起こして、
「あ……あことし? おかえりぃ……」
って、今にも死にそうな顔で言うと、またベッドにポスッと顔を埋めちゃった。
「おやすみ~……」
俺はゆっくり後ずさりしながら呟くと、CAINの軽快な通知音が鳴った。
う~ん……立って見るのも肩に悪いから、ベッドに座っておこうかな。
ゆーひょんのも同時に鳴ったから、Coloursのグループトークかな?
『曲が出来ました。デモ音源を共有致しますので、各自次回までに練習しておいてください』
しげちゃんからの嬉しい報告が、文面だとなんか冷たく感じる。
その次に送られた音声ファイルには、【裾野へ伝える曲 タイトル未定】と書かれていた。
まだ続きがありそうだと思ってしばらく待っていると、
『アレンジ等の打ち合わせも行います。また、曲名とリードギターのソロは未定のままです。よろしくお願い申し上げます』
って、絵文字も顔文字も無い文面で来たから、どんな気持ちで打っているのかは読めなかった。
いつもなら、嬉しい報告はビックリマークが付いているんだけどね!
まだソロが出来上がってないから、手放しで喜べないって事かな?
『りょーかい! これですそのんのんが戻ってきてくれたらいいね!』
と、俺が送ると既読が3つ付いた。てことは、寝ているように見えるゆーひょんも、トークを見守ってはくれているのかな。
『そうですね。歌詞は私達が、曲はリゾゼラの皆様のご尽力で完成致しましたから、認めて頂けると嬉しいです』
しげちゃんが数秒で返事を返すと、
『黒河は最後まで来なかった?』
と、佐藤がハテナマークを浮かべる熊のスタンプと一緒に送ってきた。
たしかに、黒河は全然ギターパートの提案に来てくれなかったし、最後まで来なかったっぽいよね。
しげちゃんは声を掛けてくれてたのかな?
『はい。個人的に連絡を取ったのですが、その時に気になる事を仰っていました』
と、しげちゃんが送ってきたから、俺は次の文が打たれる前に、
『気になる!!』
と、返事を送った。
その数秒後に送られてきたのは、
『通し練習の際に毎回録音しているのはご存知だと思いますが、リゾゼラ結成前に裾野とあことしをサポートに入れて、デビュー曲である"Restart"を演奏した時のデータも残っていたんですよ』
という長文で、俺は思わず「わっ」と声をあげちゃった。
これは"Restart"の音声バランス調整の時の話だね!
リゾゼラ結成の時だから、4年前の11月……すっごい前のデータじゃん!!
よく残ってたなぁ。
『黒河は個人的に連絡した際に、裾野が弾いた"Restart"を聴きたいと言ってきましたので、データをコピーして渡したんです。その時、裾野が弾いていたギターソロが完全アドリブだった事に、相当衝撃を受けていた模様でして』
しげちゃんは淡々と文章を送ってくれてるけど、内心ではどう思ってるんだろう?
俺が劣等感をぶつけてる相手が、すそのんのんに衝撃を受けてるなんて。
『ついには、「俺がアドバイスする必要無くない?」と、返事が来たので依頼の旨を改めてお伝えしたのですが、そこから音信不通なんです』
しげちゃんが送った内容に真っ先に反応してたのは、「う~ん」と唸るゆーひょんだった。
どうやらちゃんと読んでくれてるみたい!
『え? それってすそのんのんが凄すぎて、黒河じゃギターソロのアドバイスが出来ないってこと!?』
と、俺がこの話を聞いてまず思ったことを送ると、
『そうなりますかね。私としてはソロで活動していた経験と、リゾゼラでのソロの弾き方を参考にしたかったのですが』
って、しげちゃんから数秒後に返信が来た。
しげちゃんの言う通り、黒河から学べることは沢山あると思う。
だけど黒河の人間性を考えると、1つ問題があるんだよね。
『やめた方がいいと思う。黒河は自分が考えたソロをマイスウィートハニーにアレンジされ、良くなったらショックを受けるから茂の話を断った。多分ね』
佐藤が俺の言いたい事をサラッと送ってくれた。
圧倒的力の差があるとか、技術の差で勝てないって分かってる相手に自分の技や心を教えるのを嫌がるんだよね。
すそのんのんがその1人だと思うんだけど……。
『そうなるんですか。それなら戻ってきてから、裾野と相談した方が良いですか?』
しげちゃんは黒河と関わりが無いから分からないんだと思う。
だけど、佐藤は何で分かったんだろう? すそのんのんから人間性とか聞いてたのかな?
それならここは佐藤を応援しなきゃね!
『俺もその方がいいと思う! 黒河もリゾゼラ復活ライブ前だし!』
俺がパッと送ると、佐藤もすかさず、
『復活ライブ、もうすぐだ』
と、ニコニコしている熊のスタンプと一緒に送ってきた。
『そうですね。そう言えばゆーひょんはどちらに? 彼の意見も聞きたいのですが』
しげちゃんのメッセージを見た俺がゆーひょんに声を掛けると、
「起きてるわよ~。今返信打ってるの」
って、学生みたいな速さでフリック入力をしながら返事をしてくれた。
『ごめんなさいね、既読だけつけてたわ。私もこれ以上リゾゼラに頼らない方がいいと思うの』
ゆーひょんは突っ伏したまま腕伸ばして打ってるから、見ないで打ってるんだけど誤字が無い。
『それはみんな絶対自分色を随所に残してるでしょ? でも聖はまだ自分色を入れられてないの。だから1番出せるソロは』
途中で送信ボタンを押しちゃったのか、中途半端なところで吹き出しが途切れる。
ゆーひょんもどこまで打ったのか分からなくなったらしく、むくりと首を起こして画面を見ると「うわっ」って、声を漏らしていた。
『戻ってからの方が手直しも必要無いし、いいものが出来るんじゃないかしら?』
後から2秒くらいで打った文に、俺は思わず『おぉすごい』と、送っちゃっていた。
『そうですね。でしたら、ソロの部分をカットした形で裾野には伝えるようにしましょう。細かい部分は次回の練習で』
しげちゃんからの連絡を最後に、俺達はそれぞれ了解の返事を送ってお開きになった。
そのタイミングでスマフォを閉じて振り返り、
「ゆーひょん、大丈夫?」
って、声を掛けたけど、ゆーひょんはスマフォを投げ出した姿勢で倒れ込んでいて、
「さとう……おぼえてなさいよ……」
という何とも不穏な寝言を最後に、すやすやと寝息を立て始めたのだった。
2018年4月13日 13時30分頃
しげちゃんのスタジオ
あことし
ゆーひょんの車に乗せてもらい、30分前にスタジオに着くと電車で来た佐藤が待っていた。
そういえば、昨日ゆーひょんが不穏な寝言を言っていたけど、佐藤に聞いた方がいいのかな?
それよりも俺が気になってたのは、佐藤がカジュアルな服装をしていた事。
「え!? もしかして退院したの!?」
俺が平然としている佐藤に声を掛けると、佐藤は首を傾げ、
「ゆーひょんから聞いてない?」
と、しれっと言い退けた。
「…………」
俺は佐藤の言葉に何も反応できなくてゆーひょんを見上げると、ゆーひょんは盛大な溜息を吐いて、
「あんた……病院に迷惑掛けてるんじゃないわよ」
って、恨みたっぷりに言うから、
「え? え?」
と、戸惑いながら言うと、
「昨日昼頃に佐藤が退院するって病院から連絡貰ったんだけど、行ったら佐藤が爆睡してたのよ」
ゆーひょんは怒りでかすれた声で言った。
「あそこの病院はね、何回も講演した事があって付き合いも長いのよ……もうこっちから謝ったからいいけど」
そして頭を抱えて左右に振るゆーひょんの様子からして、結構大変だったみたい。
「ごめん。退院日って忘れてたから、何で起こされてるのか分からなかった」
佐藤は身動き1つしないで淡々と言うけど、そこまで感情が一定だと賭け事にめっちゃ向いてるんじゃないかと思っちゃう。
実際はすっごく弱いんだけどね!
佐藤の返事に対して、ゆーひょんは両手で髪を乱しながら、
「個室じゃないから神経使うし、大きな声出せないから大変だったのよ!? はぁ……あことし、本当ごめんね」
と、ゆーひょんは何度も頭を下げて言った。
「なるほどね! お疲れ様」
俺がなるべく明るく振舞うと、ゆーひょんは小さく頷いて髪を整えた。
ちょうどその時しげちゃんの車のエンジン音が聞こえてきたから、皆で駐車を手伝うことにしたんだ。
止まれの合図とオーライの合図を同時に出してたり、タイミングが全然違ったりして後から怒られたけどね!
そうしてスタジオに皆集まると、しげちゃんは明日裾野に曲を披露しようと提案してきた。
だけど俺もゆーひょんもデモ聴けてないし、車の中で譜面読んだ感じだと一発で出来ないと思う。
「歌いこめてるから問題無いよ。でも2人はまだだってさっき話してた」
佐藤は昨日の事を申し訳ないと思っていたらしく、事情を省いて話してくれた。
だって事情説明したら、しげちゃんすっごく大事にすると思うから。
例えば、病院へ佐藤を連れて行って謝罪させるとかね。
「そうですか。それならまずはデモを聴いて、次に個人練習と全体練習という流れにしましょうか」
しげちゃんはスタンドに掛けていたベースを肩に掛けると、リモコン操作をしてデモ音源を流してくれた。
曲調は今までのColoursと違ってスタイリッシュでカッチリとした、格好良い感じ。
歌詞は佐藤がまとめてくれたものからそこまで変わってないし、何だかんだ気に入ってくれたんだと思う。
「ほんっとありがとう! いい曲だね!!」
俺が曲終わりとほぼ同時に言うと、ゆーひょんも大きく頷き、
「デモ流してくれてありがとう。曲も素晴らしいわ……復活ライブでもやりたいわね」
って、柔らかい笑顔を見せて言った。
「そうですね。裾野が戻ったら復活ライブのセトリも考えなくてはいけませんから、今日の練習を無駄にしないように」
しげちゃんはキリッとした顔で言うと、「個人練習30分で」と、声を掛けてくれた。
どの小節も叩いてて楽しい!!
目立つところも多いし、デモの段階でも皆自分色を残せてる。
すそのんのんが戻ってきてまたアレンジし直すのも、すっごく楽しみだなぁ。
あれ? そういえば、神崎医院って楽器演奏しちゃっていいのかな?
ふと疑問に思った俺が個人練習終わりに集まるように声を掛け、
「神崎医院って楽器おっけー?」
って、首を傾げて言うと、しげちゃんは口元を手で覆った。
まさか……ダメ?
「あことし、貴方病院で演奏するつもりなんですか? 町医者なので私やゆーひょんの実家のような広場は無いと思いますよ?」
しげちゃんは眉を吊り上げて牽制してきた。
だけど俺……お見舞いの時に伝えたい事があるって言っちゃったんだよね。
どうしよう。すそのんのんに嘘言っちゃったってこと?
「精密機器が多いから、病室での演奏は難しいの。アンプ繋がない状態のギターでギリギリなんだからね」
ゆーひょんが本当に困った時の顔をして言ってるってことは、どうにもならないって事なんだ。
「でも俺、お願いしてみるよ。すそのんのんに、お見舞いの時に伝えたい事があるって……言っちゃったから」
俯きながら言う俺に、ゆーひょんはスマフォ画面を突いて微笑んで、
「聖ならそのくらい察してるわよ。ほら、場所変わったって連絡してあげなさい」
って、俺の尻ポケットからスマフォを取り出して、手渡してくれた。
そっか。
何で気付かなかったんだろう?
病院でスマフォ使えるのに、どうして。
それだけ昨日も今日の俺も、いっぱいいっぱいだったのかな?
「何なら、私とゆーひょんが反対したと言っていただいても構いません」
しげちゃんが腕を組んで首を軽く横に振って言う。
「うん。ありがとう!」
俺は晴れた気持ちのままスマフォを受け取り、電話を掛けることにした。
――1コール、2コール……
「連絡ありがとう。待たせてすまなかったな」
すそのんのんの安心する声が聞こえてくる。
「大丈夫。すそのんのん、あのさ……明日お見舞いして伝えたいと思ってたんだけど、場所が変わったんだ」
俺が言葉に詰まりながら言うと、すそのんのんは「あははっ」と、遠慮がちに笑った。
「構わないが、その様子だと茂とゆーひょんにNGもらったんだな?」
ちょっとイジワルな言い方をしたすそのんのんは、誰か側に来たみたいで軽く挨拶をしていた。
てことは、病院NGのものだってバレちゃった!? それもそれで……まぁ仕方ないか!!
「うん……あ、それでね! 場所はしげちゃんのスタジオ。えっと……13時からって大丈夫?」
慣れない電話でしどろもどろになりながら言うと、すそのんのんは「大丈夫だ」と、即答してくれた。
「それで、もしよかったら颯雅も連れていってもいいか? ちょうど俺の見舞いに来てたみたいでな」
すそのんのんが颯雅さんの名前を何度か呼んでから言うと、俺はあまりの驚きに「えぇっ!?」なんて言っちゃったんだ。
そしたら3人が何事かと耳をそばだててきたから、「ちょっと待ってて」と、すそのんのんに断りを入れて3人に話したんだ。
「私は構いませんよ」
しげちゃんがいつもより声を張ると、
「問題な~し!」
って、ゆーひょんが続いて、
「どっちでもいいよ。マイスウィートハニーが来るなら」
佐藤が背伸びをしながら言った。
「だって!」
俺が最後にボリュームを1つ上げて言うと、すそのんのんと颯雅さんは笑い合っていた。
「分かった。明日の13時に一緒に行くから、よろしく頼む」
すそのんのんが嬉しそうに言ってくれたから、俺も「りょーかい! じゃあまた明日!」と、満面の笑みで言って電話を切った。
「ほら、聖は察してたでしょ~?」
ゆーひょんが俺の頬を突きながら言ってきたから、俺はしげちゃんの背後に隠れて、
「どちらにせよ、場所の変更は伝えなきゃいけませんでしたからね!」
って、しげちゃんの真似をして言うと、ゆーひょんと佐藤は大爆笑だった。
だけど一瞬で俺と向き合ったしげちゃんはロボットみたいな顔で、
「明日の演奏で結果を出せなかったら、この件は永久に許しませんのでそのつもりで」
って、威圧感たっぷりに言うから、俺は背筋から震えあがっちゃったんだ。
だって、このままだとしげちゃんに「プログラムゼロ、あことしを抹殺します」とか言いかねないし!
絶対すそのんのんに戻って来てもらわなきゃ!!
そう思いながら残りの練習時間を過ごし、しげちゃんの提案で明日に備えて早めに解散したのだった。
2018年4月14日 13時頃
しげちゃんのスタジオ
あことし
スタジオに入って来たすそのんのんと颯雅さんに、俺達は持ち場についたまま固まっちゃってた。
だって、ここまで来られたのは自分達だけのおかげじゃない。
リゾゼラの皆さんは勿論――俺にいたっては、すそのんのんと淳ちゃんにまでお世話になっちゃってる。
それに――ギターを持ったすそのんのんはそこに居るのに、演者側に居ない状況にみんな冷静で居られないから。
だけど颯雅さんがフッと微笑んでくれたから、俺もスティックを握り直して気合を入れたよ。
やがて用意していた椅子に2人が座ると、しげちゃんがベースを構え直し、
「本日はライブにお越しくださり誠にありがとうございます」
と、かしこまった声で言う。
「この曲は皆で作詞して、リゾゼラの皆さんと作曲しました」
俺が続いて浅い息の中で言うと、
「聖への想いを込めて皆で作った後、茂が最終的にまとめてくれました!」
ゆーひょんが緊張を飛ばすように、声を張って言う。
残りは佐藤の言葉。
そう意識してしまい、つい佐藤の背中を見つめてしまったけど、
「それでは聴いてください。"未定"」
って、いつもと変わらない声色で言う佐藤の声を聞いたら、物凄く安心しちゃったんだ。
だっていっつも変わらないんだもん。
何事にも動じないって、こういう時にめっちゃいいよね!
そう思い、リラックスした状態で始まった曲はColoursとリゾゼラが上手く融合した、格好良いサウンドだった。
それに実際自分が作詞した部分を叩くと、良い意味で力が入る。
勿論、いつもしげちゃんが作ってくれてる詞も大好きだけど、自分で作るとまた変わってくるよね。
そうして約5分の旋律が終わりを迎えると、すそのんのんと颯雅さんは立ち上がって拍手してくれた。
だけどその後、すそのんのんが不思議な行動に出たんだ。
だってさ傍に立てかけてたギターをケースから出して、
「今の曲のアンサーソングが出来た」
って、凛とした顔で呟いたんだよ!?
その言葉に流石のしげちゃんも焦っちゃって、
「は……? 別ファイルに録音しますから」
って、ベースをスタンドに立てかけて言うと、奥のブースに行っちゃった。
その間にすそのんのんは佐藤のギターとアンプを差し替えていた。
その2,3分後に戻って来ると、
「どうぞ」
と、手のひらで差してくれた。
「ありがとう。曲名は今決めたから、後で変えても構わない――"Answer"」
すそのんのんは曲名を言った直後に弦を弾き始めて、即興曲が始まった。
ギター1本で始まった曲は、バラードのようで激しく燃えている気持ちも込められてるから、聴いていて心地よかった。
歌詞もメッセージ性が分かりやすくて、どんどん引き込まれていった。
その中でも、音楽と離れたからこそ気付けたこと、Coloursの大事さを再認識したって想いが強くて嬉しい。
すそのんのんは藍竜組の役員もやってるし、後鳥羽家の仕事だってあって――俺と違って暇な時間なんて無いんだろうし。
だからそんなすそのんのんから、また戻りたいって気持ちを歌で聞けて胸がいっぱい。
やっぱギター上手いし、曲も作れるんだよ。
しげちゃんだって、もっと頼っていいんじゃないかな。
そして最後のフレーズを弾き終えたすそのんのんは、俺達を順番に見回して、
「……これが俺の気持ちだ」
って、ギターを大事そうに抱えて言った。
これって、本当に戻ってきてくれるってことだよね!
俺はあまりの嬉しさにゆーひょんと微笑み合い、しげちゃんの返事を待った。
でも何も返事をしないで肩を震わせるしげちゃんが見えて、2人で顔を見合わせた。
すると様子がおかしいと思った佐藤が歩み寄り、顔を覗き込むと、
「茂……泣いてる?」
って、不安そうに肩を抱いて言った。
「ん、どうした?」
すそのんのんはギターを背中に回して駆け寄ると、しげちゃんの顔を見るなりハンカチを差し出した。
「いえ……Answerですし、戻って……来てくださるん、ですよね……?」
ハンカチを受け取ったしげちゃんは、涙を拭きながら言う。
濡れたらマズいと思った佐藤がベースを背中側に回し、肩をぽんと叩いた。
このまま持ち場に居る理由もないと思って、俺とゆーひょんも3人の元に駆け寄った。
「伝わってよかった。素敵な曲をありがとう」
すそのんのんは俺達が来たのを見届け、懐かしそうに笑顔を向けてくれた。
「こちらこそですよ、しかも即興とは。……あぁそうでした、“未定”にはギターソロがまだ無いのですが、一緒に作っていただけませんか?」
しげちゃんが涙を拭き終え、すそのんのんを遠慮がちに見上げて言うと、
「勿論だ。茂が良ければ、すぐに作ろう」
って、すそのんのんは目を細めて言ったんだ。
俺はいつも通りの皆が戻って来てくれた嬉しさで、
「すそのんのん!! おかえり!」
って、声を掛けると、ゆーひょんもすそのんのんの肩を叩いて、
「聖、本当にありがとう。私からも1ついい?」
って、人差し指を立てて言う。
なんだろう?
これから曲のアレンジとかもやるし、Answerを皆で演奏できるように編曲? しなきゃだよね!
「ん、なんだ?」
すそのんのんはギターを前に回し、ネックを左手で支える。
「Coloursが活動停止になるって決まった時……皆で譜面にメッセージ書いてそれぞれに渡したの、覚えてる?」
ゆーひょんが皆を見回して言うと、全員の目が一気にキラキラした。
「勿論だ! 今からそれぞれで読むか?」
すそのんのんも珍しく興奮気味に言うから、
「いいの!? 俺、毎日持ち歩いてるからあるよ!」
って、俺がカバンから取り出して言うと、
「持ってますよ」
って、しげちゃんが腫れた目で言って、
「もちろん。言い出しっぺは?」
って、佐藤がゆーひょんを冗談で睨むと、
「あったりまえじゃない!」
って、ゆーひょんが飛び切りの笑顔で言った。
「それなら20分取りましょうか」
しげちゃんが号令をかけると、それぞれ楽器の持ち場に戻って読みはじめた。
俺とゆーひょんは楽器に譜面置けるけど、前列組は楽器抱えたままなのが微笑ましかったなぁ。
じゃ、早速すそのんのんのから読もうかな!
≪あことしへ。片桐組のエーススナイパー、お疲れ様。黒河が迷惑を掛けていると思うが、よく頑張っているな≫
わぁ……この時点で泣きそう。
まだ挨拶しか読めてないから、続き読もうっと。
≪いつも謙遜しているが、あことしは感覚派でありながら安定感のあるドラム裁きで、俺のアドリブにも即座に気付き対応してくれる秀才だ≫
え、待って待って! 努力の天才に褒められてる!?
しかもほんっと字綺麗で羨ましいなぁ。
≪ドラム、射撃技術、賭け事どれをとっても引き出しが多く、話す度に様々な発見があって付き合っていて飽きないぞ≫
引き出しが多いのはすそのんのんの方なのに、こんなに褒めてくれるとかどこかで落とされないかな?
≪またColoursとして再開できたら、ドラムも話も聞かせて欲しい。必ず生きて帰る。 裾野 聖≫
最後の一文は、今までの字と違って太く少し大きめに書かれていた。
すそのんのんは、いっつも人の為に無理をしちゃうから、今回は特に心配だったんだ。
だって皆で絶対生き延びなきゃいけなかったから。
俺だって菅野くんから逃げたんだよ。
多分、逃げてなかったら……俺、今頃ここに居なかったし。
そうだ、20分しかないんだよね!
次はしげちゃんにしよっと。
≪あことしへ。貴方が2番目に生き延びそうなので、今生の別れの文は書かないでおきますね≫
しげちゃんっぽい始まりだなぁ。
まぁ1番目に生き延びるのは、ゆーひょんの事だろうね!
あれ? 今生ってなんのことなんだろう? 後で調べとこ。
≪組んだ時から思っていましたが、貴方がドラムで良かったです。それと、一蓮托生だと繰り返し言ってきましたが、貴方でなければここまで言いませんでしたよ≫
しげちゃんってなんだかんだ俺を1番頼りにしてるよね!
こちらこそ、しげちゃんがベースで良かったよ!!
≪長くなりましたが、この先貴方のようなドラマーに出会える気がしませんので、これからもお付き合い頂けますと幸いです。 蒼谷 茂≫
最後まで堅いのはいつものことだし良いんだけど、死なないであことし! とか書いてあったら――想像したら面白かったからやめとこ。
よし、次はゆーひょんにしよ! 佐藤は絶対短いと思うから。
≪あことしへ! 相棒!! 私は死なないから、あことしも死ぬんじゃないわよ!! エーススナイパーあことし殉職ってニュースはお断りよ!≫
ゆーひょん、最初から激しいなぁ。
≪挨拶テンション上げ過ぎたわね……で! "BLACK"の時もその後も変わらないあことしで居てちょうだいね! 私との約束よ♪≫
俺がすそのんのんを裏切っても、そっから立ち直ってくれるだろうってゆーひょんは思ってくれてたのかな?
≪それで1つ思いついちゃったんだけど、ファンから歌詞を募集して茂が作曲した曲やりたくない!? とびっきりかわいい曲来そうじゃない!?≫
テンション高いけど、すっごく良い案だよねこれ!
≪かわいい曲来ても歌うの佐藤だけどね(笑) じゃ、"BLACK"は全員で生き残って皆に元気な姿を見せるわよ~! 相棒 ゆーひょん≫
ゆーひょんらしい文で、読んでて元気が出てきた。
この案、後で皆に提案してみよっか。
じゃあ最後に佐藤。
≪あことしへ。死なないで、俺を残して、桜散る 佐藤 順夜≫
やっぱ短い!! 俳句? 川柳? とにかく死んでほしくないってことかな?
でも皆それぞれに俺への想いを書いてくれて嬉しいな。
俺はあんまり書けなかったし、ゆーひょんみたいに案を書いた訳でもないしなぁ。
あの時は余裕が無かったんだよね……はぁ。
俺が1人溜息をついていると、
「なるほど!!」
って、しげちゃんがスタジオ中に響く大声をあげたから、ビックリして書いてくれた譜面を落としちゃった。
「裾野!! 貴方、私へのメッセージにヒントを残すとは!!」
しげちゃんが同じテンションのまますそのんのんに詰め寄ると、すそのんのんはゆっくり顔を上げて頷いた。
「もしかして、再開する時は――」
って、すそのんのんがぽつぽつと言葉を零すと、
「"始まり"を曲名に入れてほしい、ですよ!!」
って、目を輝かせて言うしげちゃんがドラム越しに見えた。
ん、ということは? もしかして曲名決まった?
なんて冗談半分で考えながら譜面を拾い上げていると、
「曲名が決まりましたよ!! "Anfang"!!」
って、しげちゃんがベースを高々と持ち上げて言うから、4人して口をあんぐり開けた。
ここまでテンション高いしげちゃんは見た事なかったし、お酒飲んでも数秒で寝ちゃうから。
ていうか、何て言った? あんふぁ?
「え? あんふぁ? それが始まり?」
俺が譜面をスネヤに乗せながら言うと、しげちゃんが眉を潜めた。
「Anfangです」
しかも冷たい目線で言うから、聞き取れなかったのが気に入らなかったのかな?
「カッコイイけど、すごい独語っぽいわね~」
ゆーひょんが俺を心配そうに見ながら言うと、
「むしろ独語ですよ」
って、いつもの冷静なしげちゃんになって言った。
「あはは……道理で耳が嫌がらないのね……」
ゆーひょんは俺にしか聞こえないくらいのか細い声で言った。
医療用語って、独語が多いイメージだから聞き馴染みがあるのかな。
なんかそれってカッコイイ!!
なんて目を輝かせていると、佐藤がこっちを振り返って、
「ゆーひょん、ナイスアシスト」
って、親指を立てた。
「そうなっちゃうわね? ありがと!」
ゆーひょんが右足をかわいらしくあげて言うから、
「たしかに! メッセージもありがと~!」
って、言った瞬間、皆に提案しなきゃいけない事があるのを思い出した。
「そうだ! 皆に提案があるんだ! ゆーひょんのメッセージにあったんだけどね――」
って、皆にさっきのファンから歌詞を募集する話をすると、皆の反応はすっごく良かったんだ。
「今新曲を作っている最中でもあるので時間もありますし、募集をかけましょうか」
しげちゃんがスマフォでパパッと文章を打ちながら言ってるけど、今新曲を作ってるって言ってたよね!?
スランプ脱出できたのかな!?
だとしたらお祝いしなきゃ!
「しげちゃん、スランプ脱出できたの!?」
俺が後ろから飛びついて言うと、しげちゃんは唇に人差し指を当てて、
「裾野と佐藤は私の一件を知りませんので、そっとしておいてください」
って、小声で言うから、俺はハッとして2人を見たけど、ゆーひょんとの雑談に夢中みたい。
「それと貴方にだけ言っておきますが、リゾゼラにも曲を提供しました。ただ、コンサートでやってくださるかは分かり兼ね――」
何も浮かばなくて泣いてたしげちゃんが、リゾゼラにも曲を書いたことが嬉しくてぎゅっと抱き着いた。
その時に見えたのは、機械マニュアルみたいな文章の塊。
これは直さなきゃ皆が読む気なくしちゃう!!
「すっごく嬉しい!! コンサート楽しみだね!」
俺がしげちゃんのファンクラブ向けの文章を直しながら言うと、しげちゃんはぎこちなく微笑んだ。
「よし、あとは誤字脱字チェックしてくれる?」
俺がスマフォを返して言うと、しげちゃんは何度もチェックしてくれた上で送信ボタンを押した。
「今、ファンクラブ向けに歌詞の募集と再開の見込みが出来たことをお伝えしました。枠は1つにし、特別良い詞があれば特別枠で入れましょう」
しげちゃんがスマフォを鞄に入れながら言うと、全員で目配せをした。
・・・
今日から6日後の夜に、Resolute Geraniumが活動再開する。
しげちゃんが提供してくれた曲はやってくれるか分からないって言ってたけど、絶対やってくれそうだよね!
だって、スランプ脱出したしげちゃんなら今よりもっと良い歌詞書いてそうだし!
前日の4月19日には、Colours全員で差し入れする話と明日のコンサートへの応援メッセージをそれぞれに送ったんだ。
その時に、すそのんのんからColoursのグループトークに不穏なスクショを載せたんだ。
画面をタップして拡大してみると、そこに書かれていたのは藍竜さんからのメッセージだった。
『片桐組鷹階元役員の"教祖様"こと新田鷹史が明日来る。新田は裾野の実家に居る新田執事長の実兄で、俺の旧友だ』
ここまで読んでみて何も問題無さそうだなと思っていたけど、次の一文に俺とゆーひょんは部屋で震えあがっちゃったんだ。
『もう役員を辞めて長いが、裏の人間の中ではまだ過剰反応する人間も居る。来てくれるのは嬉しいが、浮かれすぎるなよ』
俺とゆーひょんはお互いに顔を見合わせて小刻みに頷きあっていると、
『淳は俺が会場まで連れて行くから、皆も誰かと行動した方が良い。茂と佐藤はどうする?』
って、すそのんのんが冷静に送ってきてくれたから、俺達も気を引き締めてトークを見守った。
チケットを藍竜さんからもらったのは、俺達と淳ちゃんだから一緒に行こうって話になってたんだよね!
『私が佐藤の家まで迎えに行きましょうか? 佐藤は電車で行こうとしていますよね?』
しげちゃんが数秒後に送ると、佐藤は腕でバツマークをしてる熊のスタンプを送ってきた。
あれれ、拒否されちゃうと2人は1人ずつになっちゃうし危ないよね?
『電車じゃなくて1駅歩いてから電車のつもりだった。でも迎えに来てくれるなら嬉しい』
どうやら佐藤のバツマークは電車で行くの部分だったみたいで、2人して胸を撫で下ろしちゃった。
『驚かせないでくださいよ。それなら後のことは個人トークに送りますね』
しげちゃんは珍しく怒ってるキツネのスタンプを送って、そこからは個人トークに移動したみたいで流れが止まった。
『すそのんのん、淳ちゃんのことありがとね! 俺はゆーひょんと一緒に行くから、明日楽しもう!』
俺が閉じちゃう前にパパッと送ると、すそのんのんは親指を立ててる猫のスタンプを送ってきた。
と思ったらすぐに寝てる猫のスタンプを送ってきたから、もう就寝時間なのかな?
明日、楽しみだけど若干不穏だなぁ。
何も無いことを祈って、あとしげちゃんの曲を歌ってもらえることを祈って寝ようっと。
なんだっけ……なんかは寝て待てって言うし、明日もきっといい日だよね!
俺はColours再開ライブへの希求と、リゾゼラ再開ライブへの期待に胸を膨らませて目を閉じた。
ここまでの読了、ありがとうございます!
後編をまとめましたが、いかがでしたでしょうか。
16話の他のお話に比べると、かなり変動のあったお話だと思います。
終編も乞うご期待くださいませ!
作者 趙雲




