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ユーカリと殺し屋の万年筆  作者: 趙雲
龍勢淳編
76/130

「15話-偏倚-(後編)」

透理さんの真の意味の過去の清算が幕を開ける。

病室を訪れた人物は、いつもとは違う顔を見せるあの人で……?


※約20,000字です。(2020/5/3 分割投稿分をまとめました)

――数日後


2018年5月13日 10時30分頃

木田総合病院 VIP Room

後鳥羽透理(ごとば とうり)



 淳ちゃんに蹴られてから数日が経った。

手術されたらしいからどっか切られたらしいし、薬も飲んだらしいし、点滴もされているらしい。


 目覚めは最悪だったけど、VIPの部屋だから良しとしよう。

それにしてもさ、目の前を覆うカーテンまで金色って……ボクを何だと思っているのかな。

まぁいいけど。


「……滝本」

ボクが生まれた時から執事長を務める滝本を呼ぶと、カーテンの右端からひょっこり現れた。


「執刀医からの説明や今後の方針は(わたくし)が代わりに聞いておきましたが、どうやら木田家の方が挨拶したいとのことでございます」

滝本は黒染めした髪をオールバックにしているから、一見しっかりしてそうだけど実は結構頭が弱い。

言葉遣いは流石に40を超えているから問題無いけど、たまに他の家の執事と話しているとコケたくなる時がある。


「は~い。いいよ」

今日は気分も良いし、受けてもいいかな。

ボクは大きく伸びをして答えると、左右に体を捻った。


 しばらくすると、滝本と共に3人の男がボクの元に訪れた。

生憎人の顔は覚えられないから、滝本を睨んでおく。

あれ? 右端の人、もしかしてオカマさん?


「左から木田家御長男の大輝(だいき)様、次男の海尚(うみひさ)様、そして三男の優飛(ゆうひ)様でございます」

滝本は1人ずつ掌で差して紹介すると、カーテンの向こうに控えた。


「当病院の小児科統括を任されております! 木田大輝でございます」

長男の大輝は頭においてはそこまで良さそうではないが、子どもに好かれそうな雰囲気だ。

30手前に見えるが、明るい茶髪と小麦肌のせいかもっと若く見積もってもおかしくはない。


「脳外科統括の木田海尚です。透理様のお目に掛かれて幸いでございます」

礼儀正しく堅物、黒髪を低い位置で結っている海尚は、神経が細そうだ。

だが裏では遊んでいる……だって、首筋に見えちゃイケナイ痕があるからね。


「三男の木田優飛。龍様と同い年です」

優飛は見た目とは裏腹で、かなりの博愛主義と見受けられる。

オカマなのは先天性ではなさそう。


「は~い、よろしくね。もう下がっていいよ」

ボクが左手で追いやるような仕草をすると、長男と次男はすぐに部屋を出て行った。

しかし優飛は何か言いたげな表情をしている。


「なに? キミも心読めるタイプ?」

気味が悪いので、ギリッと睨みつけておく。


「いいえ。ただ、前から思っていたんですけど、勿体無いですよ?」

優飛は軽く首を横に振ると、ボクを優しい眼で見下し、

「後鳥羽家という恵まれた環境に居るのに、こんな狭い場所に留まるなんて」

と、カーテンを全部開け、外の景色を見上げながら言う。


 だが言い終えるとすぐにカーテンを閉めてしまい、

「あ! すみませんね、出過ぎた事を申し上げました。本日はお会い出来て光栄でございました」

と、わざとらしく口角を上げ、走り去っていった。



 なに? このボクのプロファイリングでも優飛の言いたい事が分からなかった。

後鳥羽家が広い場所で、その対比が狭い場所。

まさか病室な訳ないし、一体何が言いたかったのか。


 悔しいけど、滝本じゃなくて龍の執事長の橋本ならヒントくれそうなんだよね。

あ~あ……執事選び失敗してるのかな。


 まぁいいや。

今日は過去の清算が終わったかどうか確かめる為に淳ちゃんを呼んでるし。

そうそう、的確な指示を飛ばしてくれた如月龍也って人も呼んでるんだった。


 さて、人と会う前のルーティーンやらなきゃね。

ボクはタブレット端末を枕の下から取り出すと、カバーをスタンド代わりにした。


「今日は何を聴こうかな」

それから音符マークのアプリをタップし、プレイリストを何度もスクロールさせていく。


 あったあった。

Resolute Geraniumのプレイリスト。

ヘッドフォンを装着し、自分だけの世界に入り込む。


 じゃあ…………"Legendary"にしよっかな

この曲にはいつも励まされているから。

先駆者、そして輝く存在になれって言われている気がして。


 ボクは再生をタップし、ギュッと目を瞑る。

目の前に見えるのは、Resolute Geraniumのライブ映像。


 ボーカルの力強い高音がボクの心を揺さぶる。

でも本当は――本当のボクは――



 さぁ、今度こそ過去の清算を始めよう!



2018年5月13日 11時前

木田総合病院 VIP Room

龍勢淳(たつせ じゅん)



 あの日について話したい事があるんだ。

申し訳ないけど、如月龍也も呼んでくれる?


 龍くんのお兄さんである後鳥羽透理からの呼びだしは、いたってシンプルなものだった。

そのうえ、当日にあの日と同じく藍竜経由での手紙で渡すなんて。


 でも考えるよりも動かなきゃ!

そう思った私は龍也を連れて木田総合病院を訪ねたのだった。


・・・



 入口の自動ドアが開いたと同時に、職員が案内する旨を言ってくれた。

「ありがとうございます」

私と龍也が礼を言うと、職員は軽く首を横に振り、

「お礼を言うなら、木田優飛さんに……あの方の計らいですからね」

と、柔らかい笑みを浮かべた。


 流石ゆーひょんやな!

勝手なイメージやけど、透理さんは事前に話通すタイプとちゃう気したから。


「そうだったんですね! あとで言っときます!」

私は病室を掌で指す職員に笑みを向けると、職員は深く頭を下げた。


 それから金色の扉をノックしたが返事がない。

もしかして検査とかでいないんかな?


「気配はあるな」

首を傾げる私に龍也が鋭い目つきをして言うので、慎重に扉をスライドさせた。


「……!」

そこには偉そうにふんぞり返る訳でもなく、不機嫌そうにしてる訳でもない――音楽を真剣に聴いてる透理の姿があったのだった。



 ミルクティー色の髪は若干乱れていたが、俯いているせいか一瞬だけ龍くんに見えた。

「……」

そんな私をよそに、龍也は遠慮がちに肩を叩く。


「ん? あ~ごめんごめん」

透理がヘッドフォンを外しながら言うと、少しだけリゾゼラ――Resolute Geraniumの曲が聞こえてきた。

藍竜たちが頑張ってるの知ってるから、めっちゃ嬉しい。


「急に呼び出してごめんね。ボクのキミへの過去の清算が終わったかどうか確かめたかったのと、キミは的確な指示を飛ばしてくれたでしょ? 礼を言いたくて」

透理はタブレット端末を枕の後ろにしまうと、背中を擦った。

今のところ"嫉妬"の翼は出そうにもないけど、思い出したりすると出るんかな?


「キミさ、龍を庇おうとしたんでしょ? 一時的とはいえ、ボクの"嫉妬"向けちゃってごめんね」

彼以外の人が言ったら軽く聞こえるのかもしれないが、一切笑みを見せないこともあってか真摯な気持ちが伝わってきた。


「それとキミと淳ちゃんの関係、滝本が調べたんだけどさ……本当にごめん」

それから龍也にも頭を下げる透理は、本気で当主を目指してるという心意気が見える。


 それでも……傷ついたのは、私たちだけじゃない。


「それ、竜馬と利佳子にも言うたん?」

私の一言に、彼は項垂れた。


「言ったよ。そしたら竜馬も利佳子も、キミと全く同じ事を言ってたよ。それ、淳ちゃんにも言ったのかって」

透理は頬に掛かった毛先を耳にかけると、小さく息を吐いた。


「だからキミに"嫉妬"の力を得るまでの話をして、それでも翼が出なければ……龍と真正面に向き合えるから」

続けて呟く透理に、龍也は掴みかかりたい衝動を抑えているのか拳が震えていた。


 龍也の気持ちも分かる。

"嫉妬"を一方的に向けられた龍くんを救いたいと思って庇っても、彼の代わりになれない。

あくまでも龍くんを乗り越える為の足掛かりにしか――でも違う気がする。


 一時的でも龍くんから"嫉妬"を逸らせた事実はある。

それに足掛かりが無ければ、もしかしたら乗り越えられなかったのかもしれない。

何よりもここで放ってしまえば、龍くんに迷惑が掛かるのではないか。


「分かった。こっちも後鳥羽家の事に片足立ち入ってるので、話くらいなら……ええけど」

なので、私はあえて龍くんの名前を出さずに承諾することにした。


 あくまでも後鳥羽家の事として引き受ける。

それぐらいしか思いつかへんかってん。


「ありがとう。まずはボクが"嫉妬"の狂育を受けた理由から話すよ」

透理は話を聞くと申し出ても表情ひとつ変えず、神妙な面持ちで口を開いたのだった。



2018年5月13日 11時前

木田総合病院 VIP Room

龍勢淳(たつせ じゅん)



 神妙な面持ちで口を開いた透理は、「大分前の話なんだけどね」と、口元を緩めて呟いた。



「1998年1月1日。ボクが"嫉妬"に目覚めた日でもあるけど、その前から滝本の性格の影響で嫉妬深かったんだよ」

透理は目を伏せたままポツリと言葉を零し、生唾を呑んだ。


「それで後鳥羽家恒例の新年の挨拶をマスコミの前でして、取材が終わった帰りに龍と乞田が話しているのを見掛けたんだ」


「まぁボクは龍が成績優秀で、何でもデキて、性格も良くて、執事達とも名家の方々とも親交があるし、しかも楽器の才能もあれば字も上手い。所謂欠点無しな所に嫉妬し始めた頃だったからさ、"24日組"だから継げないって事をバカにしようと思った」

スラスラと龍くんの事を褒める透理の表情は若干曇っていたが、まだ体に異常は無さそうだ。


「そしたら乞田に効いちゃったのが意外で、でもさ龍はスルーしてたの……無性に腹が立ってね。これがボクから龍への"嫉妬"のきっかけ」

透理は懸命に淡々と言おうとしているが、少し苦しさが窺える。

本当に話しきれるのだろうか?


 つまり、透理は何でもデキる弟である龍くんに対し、怒りをぶつける――即ち攻撃対象として"嫉妬"し始めたということだ。

たしかに、めっちゃ完璧主義だし実際誰から見ても完璧で、気を抜かない強さはある。

だけど本当は乞田さん、橋本さん、御爺様に弱みを見せていた。


 その面を知らず、分からなかっただけなのにスルーしていたと勘違い。

きっかけはほんま些細な事なんやな。



「それから丁度4年が過ぎた時に、偶然自宅の図書館で龍に会ったんだ。その時はね、乞田の事を調べてて内容に疑問を抱いていたから、からかったんだよね」

そこまで話すと、サイドテーブルに置いてあったペットボトルから伸びるストローに口をつける。

おそらく、滝本執事長がやっておいたのだろう。


「その時に初めて動揺する龍を見た。あぁなんだ、デキる弟でもボクと同じ部分はあるんだって思ったけど、やっぱり無いモノを持っている龍にはさ――」

口を噤み、中の液体が激しく波打つ程に強くサイドテーブルに叩きつける透理。

だがすぐに頭を横に振り、頬をパンと軽やかな音が響くぐらいに打つ。


 色々思い出してしまい、いよいよ"嫉妬"に耐えられなくなってきたのか?

でも透理の背からは翼は生える気配がない。


「ごめんごめん、次ね。3か月後だから4月2日……だったかな。"強欲"の狂育をしないでまともに育てちゃってる乞田を裁判にかけた日なんだけど、今度は必死に<生きろ>なんて叫んでさ」

溜息混じりに後悔の笑みを浮かべる透理。

今だからこそ龍くんの気持ちが分かったのか、瞳が若干水面のように揺れていた。


「執事なんてただの世話係としか思ってなかったのに、龍は生まれたその日から執事達を親のように慕ってたんだよ。紅夜兄さんもそうだけど、どうしてあの人達は……」

並々と注がれた感情が零れ、頬を伝う。

歯を食いしばる音が空気を乱し、私たちが不快に思わないよう鼻を啜る。


「だから龍そのものを消して、嫉妬に狂ったのはお前のせいだって事にして清算してやろうと思ったのにさ。殺し屋の……癖に……どうせ名家に逆らえなくなる癖に……何であんな生き生きしてんの……」

透理はとめどなく溢れるものを抑えきれず、覆う手を濡らしていく。


 すると遠慮がちに扉が開き、

「……お話中に申し訳ございません。ティッシュを切らしておりましたので」

と、滝本執事長がサイドテーブルに箱ティッシュを置きながら言う。


「…………」

透理はティッシュを数枚抜き、丁寧に拭き取っている。

さっきから仕草や立ち振る舞いを見ていて思ったが、どれも洗練されていて名家の格を感じざるを得ない。

もちろん、龍くんも竜斗に厳しくそこらへん教育してたから知ってはいたけど……どんな状況でも抜けないんやな。


「見苦しい(とこ)、見せてごめんね。次が最後なんだけど、それは2年後の12月でさ……ボク自身の中のあらゆる"嫉妬"が湧き上がっちゃって、龍を殺してやるって思ったら意識が途切れてた」

透理は打って変わって冷静に言葉を紡ぐと、顔を上げて口を大きく開けたのだ。

そこには八重歯が生えていたと思われる傷跡が2箇所見える。


「何時間経ったか分からないけど、気づいたら八重歯が生えててドス黒い色の翼が生えてた。今までのが比べモンにならないくらい巨大なね。だから滝本を襲った事を思い出したのは数日後だし、最初目覚めた場所は後醍醐家の裏山だったし、でもね」

そこで言葉を切った透理は、自身の左手をなぞり、

「その時はとにかく龍への良く分からない"嫉妬"でずっと苦しくて、結局どの龍に嫉妬していたのかも考えられない程心臓の鼓動が早くってさ。結論が出た時にこっそり帰ってきたんだ」

と、柔和な表情で言う透理は、どことなくスッキリしているように見える。


 だがすぐに緋色の眼を爛々とさせると、

「その結論っていうのが、どんな理由であれ"嫉妬"に狂わせた責任を負えって事。それで龍を見たら攻撃で、(つい)には相棒まで一時的とはいえ嫉妬するし……とどのつまりボクはさ」

滝本執事長と目配せをし、言いづらそうに何度も視線を泳がせる。


 そうして数分が経ち、龍也と何か助け舟でも出そうかと考え始めた時、透理は震えた息を吐いたのだ。

「自分でも驚く程心が狭くて、素直になれないんだなって気付いたんだよ。龍は記憶喪失になった時も覚え直すとか言って、その時々の自分を受け入れて解決に向かうのにさ。最早今は……清々しい程羨ましいんだよ」

話し始めた時よりも声色が明るくなった透理は、大きく伸びをする。

そんな何気ない仕草も、兄弟だからか龍くんに似ている。


「……長々とごめんだけど、これで全部。2人には話せたけど、後は龍の前でも淡々とやらなきゃなぁ……泣いたり怒ったりしたら清算できないらしいし」

言い終えた瞬間、滝本執事長が透理に耳打ちをし、彼が離れた瞬間透理は飛び退いたのだ。

そこからは驚きというよりも、嬉しさが混じったような複雑な何かを感じ取れる。


「いやぁ、ちょっと早いなぁ。まぁいいけどさ……2人もいいかな?」

透理は右の眉を下げ、申し訳なさそうに顔を伏せる。


「……」

私と龍也は顔を見合わせ、ゆっくり頷いた。



 私も龍也も心が読めるから耳打ちの内容は分かっていた。

それを見越して許可するか否かしか訊かなかったのだろう。


 でもまさか今すぐにとは、あの人たちは一体何を考えているのだろうか?

程なくしてノックの音が聞こえ、入ってきた2人の男性。


 この場に居る全員にとって見覚えどころか、当たり前に会えるぐらいの近しい人物の姿が見えた時。

透理は断罪人を目にした囚人のように、覚悟を決めて頭を垂れていたのだった。



2018年5月13日 11時30分頃

木田総合病院 VIP Room

後鳥羽透理(ごとば とうり)



 目の前に現れたボクの断罪人。

言い過ぎだって? そんな事無いよ。

実際、この人を前にすると自分が嫌いになってくるし。


「滝本から呼ばれて伺いましたが、過去の清算に関する用件でしょうか?」

物腰柔らかに訊いてくるのは、黒髪短髪を整髪剤で自然に整えていて如何にも誠実そうな人。

腹違いとはいえ兄弟で、過去の清算をしなきゃいけない相手――後鳥羽龍(ごとば りょう)だ。


 龍は、ボクのプロファイリングをもってしても読み取れない表情や行動をするから恐ろしい。

大人しいようで大胆で、完璧主義なのに隙を見せる人には見せる。

パターン化出来ない数々の行動や態度には、本当に――駄目だ。


 過去の清算をしなきゃ。



「そうそう。紅夜兄さんまですみません」

ダークレッドチェリーの髪が良く似合う紅夜兄さんに目を遣って言うと、へにゃりと口元を緩めた。


「俺はいいよ~。そうだ、過去の清算といえば淳ちゃんの分は? もう話しちゃった?」

紅夜兄さんは、平静を保とうと目線を泳がせるボクを微笑ましそうに見守る。


 対する紅夜兄さんは、裏では面倒だと思っていても最低限の礼儀は欠かさないから分かりやすい。

基本的にボクには優しいし、声を荒げたりはしない。

でもあの日は……ボクが腕を失った日は違ったけど。



「え、まだですけど」

龍とバチッと目線が合ってしまい、慌てて逸らして言うと、紅夜兄さんは柔らかな笑顔を浮かべ、

「じゃあ話そ~か~」

と、いつもの倍近くゆったり言った。


「承知致しました。それではこれより、龍勢淳への清算を始めます」

紅夜兄さんに言われたら拒否権も何も無いので観念し、何とも言えない表情で見下す淳ちゃんに目線を送った。


 するとボクが言わんとした事が分かったのか、小さく頷いてくれた。



・・・


 2015年8月26日のこと。

後鳥羽家本館の御手洗が故障していたから、仕方なく別館のを使う事になってしまったボクは心底苛立っていた。


 だって別館の御手洗は新しいけど、偶に変な匂いするんだもの。

血なのか精液なのか知らないけど。


 まぁ住んでるのが"色欲"と"悪食"な時点で察して欲しいけどさ、本当に行きたくないんだよね。

話が逸れたけど、仕方ないから別館に行ったんだ。


 そこで見掛けたのが、潤の部屋に入っていく淳ちゃんだった。

"悪食"の潤は、警戒心はほとんどないし話せばちゃんと笑ってくれるけど、いつか寝首掻かれる気がして怖いんだよ。


 でも淳ちゃんは普通に話しているし、部屋を出る時も笑顔だった。

その時に龍の顔も浮かんじゃって、逃げるように御手洗に行ったんだ。


 その時に色々思い出したんだ。

そう言えば、紅夜兄さんとも普通に話すし馴染んでるよな~って。

いつも話している兄弟たちは笑顔だし、あんまり笑わない方だと思ってた龍も笑ってるしさ。


 何で?

ボクと話す時の龍は、笑ってなんかないし。


 あとね、何で後鳥羽家の一員みたいに振舞っちゃってんのって思えてきて、その時に"嫉妬"が沸いてきたんだ。

そのせいか、御手洗に居る時に淳ちゃんが何か叫んでる声が聞こえてきたら、自然と笑みが零れていたんだよ。


 あぁなんだ。"色欲"に染められて終わっちゃうんだって。

龍も居ないし、他の弟や妹なんて彼に勝てやしないし。

紅夜兄さんも来客の予定入ってたから、助けに行けないだろうなって。


 そしたら竜馬が淳ちゃんを助けちゃったんだよ?

思わず盛大な溜息が出ちゃったよね。


 しかも助け出された淳ちゃん、竜馬にどうして力を使わなかったかって言われて何て返したと思う?

「お兄さんに刃を向けられる訳ないやろ!」

だって。


 それだけじゃない。その後にも、

「それに、力は誇示する為にあるんとちゃうくて、人を護る為に使うもんなんちゃうかな」

って、必死に言ってる雰囲気を感じ取って、尚"嫉妬"が燃え上がってきちゃったんだ。


 心からの優しさ、育ちの環境が(もたら)す性格の美しさ?

プロファイリングがどうでもよくなる――こう、脳じゃなく感性に訴えてくるものがあって、理解しきれない苦しさで座り込んでたよ。


 あぁそうだ。

淳ちゃんって、ボクと違って物凄く感受性が豊かで素直でしょ?


 龍も似た所あるけど、人からどんなに心無い事言われても一旦受け入れるし。

何なら悪くなくても謝るし、そのうえで人の意見を聴くでしょ?


 そこがとにかく受け入れられなかった。

まとめると、潤と普通に話せる事、後鳥羽家に馴染んでる事、そして龍と素直な性格が似ている事。


 これが……全て。


・・・


 やっぱり龍の時よりかは冷静に話せたけど、一時的とはいえ"嫉妬"を向けた人物だ。

油断すれば感情に飲み込まれそうなくらい、彼女に向けたものは大きかったようだ。


 一時的に向けた人はもう1人居たけど、ここまでじゃなかったのに。


 ボクは龍の端正で凛々しい顔立ちを見上げて声を掛けようとしたが、突如淳ちゃんの呼吸が荒くなったのだ。

「大丈夫か?」

龍はボクのベッド側にあったナースコールを押そうとしたが、それを手で制したのは如月だった。


 その後如月なんと、淳ちゃんの肩を抱き寄せて擦ってあげていたのだ。

手慣れているから、前にも同じような事があったんだろうね。


「透理は素直じゃないからな~」

紅夜兄さんはボクから淳ちゃんを隠すようにベッドの縁に座ると、布団の素材を確かめているのか数回触っている。


「透理兄さん、もしかして一時的に向けていたもう1人は……まさか」

龍は心底不安そうに眉を下げているが、勿論彼の予想通り。


「龍の相棒だよ。でも、恋情向けてるって知ってからは完全に消えちゃった。ボクは龍に恋してる訳じゃないからね」

と、肩を竦めてみせると、龍が急に父親の顔になったから口をあんぐり開けてしまった。


「それなら安心致しました。それにしても……翼が出ないという事は清算出来たという認識でお間違いありませんか?」

再び顔を曇らせた龍は、淳ちゃんの様子を横目で見ながらもボクに話し掛けている。


 差し詰め時間稼ぎ、かな。

たしかに無言で待たれるよりかは落ち着くのも早いんだろうけどさ。


「そうだね」

返事を短く切り上げ、

「龍はさ、過去の清算って済んでるの?」

と、カマを掛けてみたが、龍は至って冷静でそれ以外読み取れない表情をする。


「そうですね、9割は済んでますよ」

龍は寂しそうな表情を一瞬見せてくれたが、すぐ元に戻ってしまう。


「早いね~。俺なんて詠飛にまだ答えてもらってない問いがあるのにな~」

紅夜兄さんは溜息混じりに言っているが、それについては思い当たる事がある。


 後醍醐詠飛さんが回答に窮している、紅夜兄さんの究極の問い。

歴史を大事にするあの人なら、答えられなくても無理は無いんだけどさ。

多分、紅夜兄さんの事だから単純に答えれば良いんだと思うよ。


"俺と名家だったらどっち?"

ボクが思うに、こんな問いはさ……名家全体と後鳥羽家のどっちに肩入れするかって事だと思うけどな?


 実際本人に意味訊いた訳じゃないから、分からないけどね。


「左様でございましたか! まぁ――恐らく詠飛さんは、とんでもない勘違いをされているような気が致しますが――早く答えてくださると良いですね」

龍は途中声を押し殺していたが、笑顔を崩さない辺り詠飛さんから質問の意図について相談されたのだろう。


「ありがとね~。何年待たせるんだか」

紅夜兄さんは明後日の方向を見ながら呟いている。

これは本当気付いていないパターンだな……詠飛さんの悩みには。


「……」

どうやらその間に淳ちゃんの症状が治まってきたらしく、紅夜兄さんが2人の後ろに移動している。


「透理」

と、先程とは打って変わって真剣な声色でボクを呼んだ瞬間、いつもよりゆっくりと動かした口元を凝視してしまっていた。


 "何事も受け入れる器が無ければ、一生当主にはなれない"


 ボクが腕を失っても、紅夜兄さんは事態を受け入れ責任を取ろうとした。

逆の立場ならどうした?

ふざけんな、命で詫びろとか言っちゃってた?


 今、なんだろう。

変われるか、否かの選択は。



 落ち着いたとはいえ淳ちゃんは表情を消し、只管涙を流している。

「それでも、周りの人を巻き込むのは間違ってるわ」

涙声のまま言う彼女は、真っ直ぐにボクを見つめる。


 続いて抱き寄せていた手を戻した如月がボクを睨み、

「あの時は湊が居たから横槍は入れなかったが、俺は今でも、淳を執拗に攻撃した貴様を、すぐにでも殺してやりたい」

と、恨みの籠った声色で言う。


 ボクは2人の言葉を、後悔の2文字で収めて良いか分からないけど……とにかく反撃しないでその箱の中に入れる事にした。

「…………」

今まで掛けてきた汚い言葉の数々が頭を(よぎ)る。


 それは全部素直じゃなかった自分が、自衛の為に掛けていた言葉。

これは捨てなきゃ。


 もう頼らなくて良い言葉でしょ?


「闘技場での件、並びに過去の清算の件につきまして……御二方に多大なるご迷惑をお掛け致しまして、大変申し訳ございませんでした」

立ち上がれない為、半身を折り曲げ2人に謝罪を伝えると、背中がほんの少し軽くなった気がした。


 ボクの謝罪に対する2人の返事は無かったが、紅夜兄さんは小さく頷いていて、龍は目を伏せていた。

これで、一先ず淳ちゃんへの過去の清算は終わったんだ。


――La la la la...


 安心しきっていた時に突然流れ出した大好きな音楽に思わず肩が震えたが、どう考えてもボクのスマフォの着信音だ。

「あ……」

しかも慌てて取ろうとしたからか、スマフォを床に落としてしまう。


「病室での通話は禁止されておりますので、私から伝えておきますね」

何も気にせずに拾い上げた滝本は小走りで病室を出て行ったが、誰かこの中にColoursファンでも居たら分かっちゃうんじゃ?


 ボクが本当は無類のColoursファンだって事が。


「……」

Coloursは顔出ししていないバンドだし、知らない人は知らない、よね?

そう思いつつも、顔に出さないだけで冷や汗バリバリだったボク。


 だけど誰も何も言わないまま、無情にも時間が過ぎていく。

そんな中戻って来た滝本は、特に焦った様子ではなかったのでボクも何故かホッとしてしまった。


「退院後、再びご連絡するようお伝え申し上げました。それにしても透理様、通話終了後にプレイリストの画面になっていたのですが……」

と、言葉を切る滝本は申し訳無さそうにスマフォをボクに手渡し、

「一面Colours様ですよね。たしか、Resolute Geranium様のファンではございませんでしたか?」

全員に聞こえるように言った為、ボクは滝本からスマフォを引っ手繰り布団を被った。


 だがすぐに布団を剥がし、

「隠れファンだよ。リゾゼラのライバルだから、どんな音楽なのか気になってね?」

と、誤魔化そうとしてみるも、紅夜兄さんの目線が特に痛い。


「ほら、ボクのキャラ的にはリゾゼラでしょ? でも歌詞が心に刺さってくるのはその……Coloursでさ」

と、口ごもってしまうと、紅夜兄さんと龍が目配せをして微笑んでいる。


「特に、作詞作曲もやっててリーダーでベース担当のS.lunatuyの人間性とかコメント、音楽に懸ける想い全般も好きで」

いつの間にか、ぽつりぽつりと自ら語り始めてしまう始末。

きっとボク、誰かに話したかったのかな。


「5人の絆も深くて、誰か欠けたら全力で探し出す所と、リードギターが復帰するまで絶対ライブしなかったエピソードとか――」

と、それからも何十分と褒め讃えていると、紅夜兄さんが「あれ?」と、呟いたので言葉を切った。


「もしかして、"嫉妬"ってそういうのも有り?」

しかも突拍子も無い事を言うので、ボクと滝本は首を傾げてしまった。


 でも他の皆はそれぞれに頷き合っている。

え、どういう事なの?


 龍はギター弾けないし、弾けたとしてもあの素人目でも難しそうなリードギターパートを弾ける訳が無い。

だってさ、銃みたいな音とか出せる訳無いでしょ。


 そうやって戸惑うボクと滝本を見兼ねた紅夜兄さんは、細い目を更に細めてとんでもない事を訊いてきたのだった。



2018年5月13日 13時頃

木田総合病院 VIP Room

後鳥羽透理(ごとば とうり)



「翼が出ないって事は、"嫉妬"は攻撃対象だけを指さなくなったって事でしょ。ということは、"嫉妬"の定義の中に羨望も入ってきたんじゃない?」

そう言われてみれば、いくら憎しみ寄りの"嫉妬"の話をしても翼が出たり、運命を操ってやりたいと思ったりする事も無い。


 それにしても何故羨望?


「どういうことです?」

と、首を傾げて言う俺に、紅夜兄さんは腕を組んで考え込む。


「じゃあ~Coloursのメンバーの中で1番好きなのは?」

考え込んだのは時間にして数秒だろうか、目を伏せたまま言う紅夜兄さんは何か迷っているようだ。


「それは……リードギターのH.Sakuraです」

ボクが言葉に詰まってしまった理由は、彼の好きな所の1つに指先が好きという変態要素が潜んでいるからだ。


 別に手フェチでも指フェチでも無いんだけど、活動休止前のラストライブでのみ開かれた握手会の時、かな。

メンバー全員と握手する形式で、最後に1番人気のH.Sakuraだったんだけど、差し出された手が綺麗過ぎて驚いちゃってさ。


 まぁその、指の腹が硬くて程よい温かさで細長いし白いから、ボクさ……生まれて初めて羨ましいなって思っちゃって。

顔は勿論見えなかったけど、しばらく握ったまま動けなくって。

それで結局スタッフに剥がされちゃって、何か言わなきゃって思った時に一言こう言ってくれたんだ。


――必ず戻って来ますから、その時にまた。


 その人間性も羨ましくって、輝いて見えて――


「いつまで固まったまま目を輝かせてるんだ? H.Sakuraは、今まさにお前の目の前に居る」

如月がボクの眼前で手を上下に振り、現実世界に引き戻す。


「え?」

ボクは如月、紅夜兄さん、龍と順に目線を泳がせたが、背の高さから考えて兄さんか龍だ。


「あれ? 分かるかな~?」

紅夜兄さんがひょいと如月の方に寄り、龍に前へ出るよう促す。


・・・


 嘘だ。

だってさ、ファンミーティングの時に、彼にこう質問した事があったんだよ?

「"嫉妬"された事は無いんですか」

って。


 そしたら、すぐにこう回答してくれたんだよ?

「羨ましいと思われた事は何度もあるのですが、ネガティブな感情を向けられた事はありません」

って。


 ボクが散々に"嫉妬"をぶつけてきたのに、何で?

別人として演じていたんだろうけど、それにしたってさ……どこからプロ意識が生まれるの?


・・・


「黙っていて申し訳ございません。H.Sakuraこと、後鳥羽龍です。もし、信用していただけておりませんでしたら、ギターを持って来ますが――」

と、眉を下げて言う龍にジェスチャーで近くに来てもらうと、即座に手を取った。


「あの? 透理兄さん?」

困惑する龍をよそに、ボクは握手会を思い出しながら指を入念に触る。

色形が似ていても、あの温かさは彼にしか無い筈。


「…………!!」

え、ほ、本物だ。


 あまりの衝撃に目が何往復もしてしまっている。

呼吸もままならない。

指の腹の硬さとこの温かさ……本当に龍があのH.Sakuraなの!?


「ギターはいいよ……本物だって分かったから」

ボクは手を離すと、活動休止以来何年も姿を見ていなかったのに元気だった事への安堵からか、無意識に項垂れていた。


 それから背に手を伸ばしたが、翼は生える気配も無い。

それは龍への敵対心が無くなったからなのか、それとも"嫉妬"の形が変わったからなのか。


 あぁなんだ。

ボクってホント、プロファイリング向いてないなぁ。

はぁ……滝本から無理に教わっただけじゃ、やっぱ無理か。


「"嫉妬"を攻撃の為に使うことを考えすぎたんとちゃう?」

淳ちゃんが遠慮がちに声を掛ける。


 全くもってその通りだよ。

どうせ心が読めるんだ、ボクの今の心の声だって届いちゃってるんでしょ。


「それなら今後の"嫉妬"は、龍ではなくColoursへの羨望を力にすれば良いのでは?」

如月が腕を組み、ボクを100%許していない目で見下す。


「……Coloursへの羨望、ね。ボクもそう思うよ」

と、改めて龍の凛々しい顔を見上げて言い、恐れ多くも左腕をそっと握る。


「龍には過去の清算をしなきゃいけない。淳ちゃんと如月には予行練習で話したんだけど、まだ本人に話してないから」

柔和な表情で膝をつく龍は、ボクを慈愛に満ちた目で見上げ頷く。


 どうしたらこんなイイコに育つんだろうね?

龍の相棒の菅野海未って子も、龍に途中から育てられたから所作も問題無いしさ。


「……」

今までのネガティブで黒い気持ちを吐き切るくらいの息を吐き、龍に淡々と話した過去の事。


 本人からすれば、聞くのも嫌な事だと思う。

だけど、後鳥羽家が出来るずっと前――鳥羽家の時から当主は純潔なものとされてきた。

だから過去の清算と称して、自分の醜い部分を出しきらなければ当主の候補にすらなれなかった。


 しかも純潔になるって意味で、無感情で淡々と話さなければアウトっていう条件付きでね。


 それはボクも一緒。

龍も残り1割あるらしいし。


 紅夜兄さんについてはさ、別に……醜い訳じゃないから良しとされたんだよ。

いつか聞けると良いけどね。


・・・


 そんな事を考えている内に感情を出さずに話し終え、龍に深々と頭を下げた。

ここまで何年、何十年掛かってんのさ。

殴って蹴っ飛ばされたって可笑しくない。


 それでも龍は、愛おしそうにボクを胸に抱いたんだ。

まぁボクにとっては、腹違いの弟に赦された嬉しさと、H.Sakuraにハグしてもらった興奮が拮抗してたんだけど。


「話して頂き、誠にありがとうございます。ですが、翼が出なければ戦闘に影響が出ませんか?」

ボクの体をゆっくり離した龍は、心底心配そうに潤んだ目で見つめている。


「そ、そうなんだけどね。まぁそれについては、退院してからでいっかな~って」

内心あざとい龍というかH.Sakuraに緊張しちゃってたんだけど、極力表情に出さないように掛け布団で手汗を拭いた。


「左様でございますか。大変失礼だとは存じますが、透理兄さん。急に弟に対して緊張しすぎてはございませんか?」

龍はゆっくりと表情を和らげ、ボクの頬に貼り付いていた髪を耳に掛けた。


「いやぁだって、ライブ一度も外した事無くって、デビュー当時からずっとファンだったのにさ、龍だとは思わなくて」

と、自分で言いながらとある事を思い出す。


「もしかしてこれって、思い込みの偏倚とか偏見って事?」

ハッとして早口で付け足すと、龍は父親が見せるような安堵の笑みを浮かべ、

「そうかもしれませんね?」

と、読唇術が不要なくらいゆっくりと言ったのだった。



・・・


 この日から数日後に無事退院し、翼復活計画を立てる事にした。

だけど、ふとした瞬間に龍に訊きそびれていた事があったのを思い出してしまったのだ。


 それはもしかしたら、Coloursにとって触れて欲しくないのかもしれない。

それでもどうしても知りたかった。


 活動休止の本当の理由を。



2018年5月16日 15時頃

後鳥羽家 自室

後鳥羽透理(ごとば とうり)



 曇天の空に姿を隠した太陽をステンドグラス越しに見上げる。

あの日の翌日、無事に退院したボクはまず龍に訊きそびれないよう、何度も切り出す練習をしておいた。


 あと数分で龍、如月、淳ちゃんが来る。

あ~あ、外野でやいやい言われるのも好きじゃないから、滝本も下げちゃったし。

暇だな。


 でも本当に訊いちゃっていいのかな。

表向き? では全員の将来を考える時間をくださいってリーダーのS.lunatuyが言ってたけど。

本当にそうなの? って、本当にそうだったらどうすんだよボク。


 嗚呼、また歩き回っちゃったじゃん。


――コンコンコン。


「透理兄さん、いらっしゃいますか?」

H.Sakura……じゃなかった、この声は龍。

ボクは一度深呼吸をしてから扉を開ける。


「急に呼び出してごめんね~」

平静を装いながら、滝本に用意させたゴシック調の椅子に座るよう促す。


「いえ、構いません」

龍は席次を考えてか、ボクに近い順から如月、淳ちゃんを先に座らせた。

まぁボクとは向かい合う形だし、別に席次は考えてなかったんだけどね。


「……淳ちゃん」

一瞬躊躇っちゃったけど、彼女には改めて謝罪をしようと決めていたからさ。


「過去の清算は完了したよ。本当にごめんね」

立ち上がり、お腹に旋毛が付きそうなくらい頭を下げると、

「もう謝らなくていいですよ」

淳ちゃんの優しくて温かい声が降ってくる。


 それでもボクは頭を下げ続けた。

それは当主になるのに大事な心掛けだから――それだけじゃない。

人として忘れかけていた最低限の礼儀だから。


「その気持ちや誠意を、これからの行動で表していただければ充分です」

淳ちゃんは心を読んだ上で、ゆっくり頭を上げるボクに微笑む。


 だけど隣に座る如月は、龍並に無表情で彼だけは一生許してくれなさそうだ、と落胆の溜息を吐く。


 しばらくしてボクは二、三度瞳を往復させてから、龍の名を呼ぶと、

「紅夜兄さんが言ってたけどさ、やっぱ龍には"嫉妬"じゃなくて羨望を抱いているみたい。だから、これでやっと翼も――」

言い終えるや否や3人に背を向け、いつも通り翼を出そうとする。


 あれ? でも背中に違和感はあるし、翼の先端くらいは出てそうな感覚があるんだけど。

「もしかしてColours全員居た方が、ライブ感が出て感覚も掴みやすいのでは?」

無表情のままの如月の声が背に刺さるが、今は龍にお願いするしかないだろう。


 ライブ、また行きたいし。

輝くステージの上で、今度は龍だと思って観たいし!


「龍、あのさ――」

と、高まる気持ちのまま伝えようとした時、龍は既に部屋の隅でスマフォを耳に当てていた。


「…………」

相変わらずの行動派。

ボクが呆れ顔で座り込むと、2人は顔を見合わせていた。


・・・


 数分後。


 再び着席した龍は、不貞腐(ふてくさ)れたボクを見るなり慌てて謝罪の言葉を述べた。

「いいよいいよ。もしかして、呼んでくれたの?」

髪を耳に掛けながら言うと、龍は小さく頷いてくれた。


 そう言えば、他のメンバーってどんな人たちなんだろう?

あんまりMCもしないし、ファンミーティングも素顔を出さないから分からないんだよね。

大体の性格なら分かるっちゃ分かるけど、それはColoursとしてなのかもしれないし。


「ねぇねぇ、他のメンバーの素顔知らないんだけどさ、どんな人たちなの?」

ボクが小首を傾げると、龍は目を見開いた。


 それから一度目を伏せ、

「兄さんもお会いした事があるので、一目で分かるかと存じます」

と、気まずそうに目を逸らす龍。


 一体誰なの?

ボクは益々湧き上がる疑問の波に攫われてしまっていた。



・・・



 やがて曇り空も濃くなってきたところで、快活なノック音が部屋中に響いた。

ようやくその姿を見る事が出来るのか、と思うと嬉しい――だけど、知らないからこそ良かったのもあるから複雑。


 折角予定合わせて来てくれたから、他のファンには絶対できない体験をしてやろうと思っていた。

でもそんなボクの幻想は、この後儚くも散りゆくことになるとは思いもしなかったのだった。



2018年5月16日 15時過ぎ

後鳥羽家 自室

後鳥羽透理(ごとば とうり)



「どうぞ~」

防音構造のせいか、外で何を話しているかは分からない。

ただ、楽しそうな4つの気配が何やら揉めているように感じられた。


 しばらくして扉が開け放たれると、黒縁眼鏡の青年が丁寧にお辞儀をする。

「お騒がせして申し訳ございません」

と。


 洗練された動きと言葉、そしてこの真面目すぎる風貌。

龍の言う通り見た事あるし、両親は有名な安楽死系のお医者様じゃなかった?


「ねぇ~別に押したっていいじゃ~ん。……あ! すそのんのんのお兄さん、こんにちは~!」

子どもっぽく挨拶をするのは、両親も2人の兄も殺し屋組織に関わる家の三男坊。

この人だけ他と違ったか何かで違う組織に入れられてたんだっけ。


「はぁ……透理様、病院振りですね。お身体はいかがですか?」

続いて挨拶をするのは、ボクがお世話になっていた病院の三男。


 え、本当に知ってる人ばっかじゃん。


「うわ~真面目だよ? これって真面目にするべきなのかな~」

先程の殺し屋一家の三男坊が3人の周りを歩きながら言うと、

「好きなように。俺の家だけ名家じゃないから、何で呼ばれたか分からない」

残りの巨漢が腕を組んで目を伏せる。


 最後の1人だって知っている。

母親がSugerというハイブランドのアパレル会社を経営していて、名家の集まりにもチーフデザイナーとして来ていたのが父親の筈。

Coloursもリゾゼラも最初の1着は無名のデザイナーが持ち込んだらしいけど、その後はここの会社に依頼していたって聞いた事がある。



 待って。

全員、どこか見下していた家の人達だよ。

医者で名家の仲間入りしているのは成金としか思ってないし、殺し屋関係は地頭悪そうだと思ってる。

それに服飾関係はSugerに限ってはスーツが好みじゃないから、個人的に絶縁してた。


 嘘でしょ……?


「透理兄さん? どうかされましたか?」

龍は、愕然とし無意識に頽れたボクの二の腕を掴み、立ち上がらせようとしてくれている。


「あれ……この人達って片桐組の同期なんでしょ?」

項垂れ、懺悔する罪人の如く弱々しく言葉を漏らすと、龍は躊躇いがちに息を吐き、

「左様でございます」

と、ボクの今までの悪行を思い出したのか、声を震わせる。


「皆、ボクが散々バカにしてきた人達だよね。パーティー会場でも皆様に聞こえるように罵倒し笑った事もあったよね」

言葉にする度、息を吸うのが辛くなるこの感覚は何だろう。

過呼吸一歩手前なのに、何か言わなきゃ言葉にしなきゃって急かされるのは何故だろう。


 そうか。

ベース担当のS.lunatuyが、蒼谷総合病院の三男の蒼谷茂(あおたに しげる)

ドラム担当のSniperは、赤穂組を経営する赤穂家の三男坊の赤穂俊也(あこう としや)

キーボード担当のChili.yは、ボクがお世話になった木田総合病院の三男の木田優飛(きだ ゆうひ)

そして、ギターボーカル担当のMirror.Jが、アパレル経営者とチーフデザイナーの間に生まれた嫡男の佐藤順夜(さとう じゅんや)なんだ。


 何これ。

そこにリードギターとして龍が居るって。

片桐組の同期が4人居るって聞いたから、てっきり同じレベルの名家と付き合っているとばかり思ってた。



 それなのに、Coloursのメンバーは顔を上げたボクに対して心配そうな顔をしている。

あんなにバカにしてきたのに。

彼らの両親を罵倒した回数なんて数えきれない。



「そうですよ~。まぁほら? みんな、バカにされるの慣れてるんで大丈夫ですよ」

殺し屋組織に関わる家の三男坊こと、Coloursドラム担当のSniper――赤穂は、溜息混じりに諦め顔をする。


「……!!」

あれ? バカにされるのに慣れている?


 もしかしてそれって……ボク自身も他の名家にバカにされないよう、舐められないよう"嫉妬"する事で誤魔化してきたって事?

それじゃあ"嫉妬"を創りだした狂育のせいにして、メンタルを保ってそのまま名家を見下したって事?


 そうなると龍への清算が終わっても翼が出てこないのって、根本的な部分の考えを改めないと無理って事!?


「……」

十数年分の後悔に苛まれ、冷や汗が流れるのも気にせず頭を抱え込む。


 目の前には、いつの間にか如月が立っている。

「今更気付いたのか」

目を伏せ呟く如月は、無表情ではいるが軽蔑しているようにも見えた。



「ぅ……!!」

背中に強烈な痒みを覚え、背に手を伸ばそうとした刹那、言葉の魔法に掛かった翼は夢のようにゆっくり伸びてゆく。


 また感覚だけかと思いつつも首だけで振り返るボクの瞳には、あり得ない光景が広がっている。

神秘的で繊細な白銀の粒状の輝きを放ち、両の翼角(よくかく)にのみ後鳥羽家の家紋である菊花が針程の細さで描かれている。

それだけでなく、段々と姿を現し始めた初列風切(しょれつかざきり)は翼角側を始点に白から白銀、そして黒へと色が虹のように重なっている。


 やがて待っていたかのように1枚ずつ顔を出す次列風切(じれつかざきり)三列風切(さんれつかざきり)、最後に肩羽(かたばね)脇羽(わきばね)雨覆(あまおおい)

その全てが醜い感情を捨て去ったボクを歓迎し、晴れ渡った空を見せてくれる。


 いくら空が曇っていようと、翼を見ているこの瞬間だけは違う。

嫉妬と羨望はここまで違うのか、と生まれて初めて悟る事が出来た気がする。


 そんな事を考えている間に背中の痒みが消え、確かめるように広がった約2mの翼を上下に動かす。

「……」

自分に隠されていたモノなのに、粒状の輝きが一緒に舞う姿に目を奪われてしまった。


 ボクは(もや)を振り払うが如く、ドス黒く淀んでいた醜い蝙蝠の"嫉妬"の翼を記憶から消す。

それから見る者の足を止めずにはおかない、今のボクに相応しい羨望の翼を代わりに埋め込む。


 なんだ。

この十数年間、歪んだ曇り空の世界でしか生きてなかったんだ。


「……!!」

その場に居た全員が各々に感心の意を示す。

それは言葉に出さずとも、ボクには分かる。


 心を読める訳じゃないけど、当主候補の勘でね。


「綺麗やなぁ……」

淳ちゃんが翼に見とれながら呟く。


「人間、変わろうと思えばいつでも変われるんだ」

如月が相変わらずの無表情のまま呟いた。


「私も変われるかな?」

胸の前で手を組み、如月を見上げる。


「淳ならきっと変われる」

淳ちゃんに向かって優しく、親のように微笑む如月。


「……透理兄さん」

すると龍が一歩前へ出て、ボクにそっと手を差し出したのだ。


「……」

ボクは全ての感情を飲み込んだ微笑みを浮かべ、その手を丁寧に取る。


 ずっと応援してきた手でもあり、ずっと妬み恨んできた手なのに……今日はいつもより温かく感じる。

「もう……謝らなくていいの?」

翼をゆっくり戻す事に意識を持っていきつつ訊いてみると、龍は小さく頷いた。


「必要なのは今後の協力関係ですから。また、ライブにいらしてくださいね」

それから見せるH.Sakuraとしての柔らかい笑顔に、ボクは思わず両手で彼の手を揺すってしまった。


「絶対行くけど、変に気を利かせて最前列にしなくたっていいよ。いつも通りでいいんだから」

ボクが手を離さないまま興奮気味に言うと、佐藤が「時間です」と、スタッフの真似をして剥がしてきた。


「承知致しました。それでは、皆様を門までお送りして参ります」

と、いつもの無表情で言ってる龍だけど内心どこか嬉しそうで、ボクもついつい皆に向かって手を振ってしまった。



・・・

(龍視点に移ります)



 門までの道を、これ程までに晴れやかな気持ちで歩いた事は無い。

そのぐらい今日の出来事は、神秘的且つ美しかった。


「気苦労が絶えないな」

龍也さんが俺の側を歩き、声を押し殺して言う。


「そうですね。ですが、ファンの存在は必要不可欠ですよ。心の底からそれこそ親兄妹のように応援してくださりますから」

と、Coloursとしての笑顔を向けて言う俺に、あことしがパタパタと走って近づいて来た。


「ファンもメンバーも大事にするすそのんのんのおかげで、再結成だってできたもんね! でも次のライブは、お兄さんが来るって分かってやるから緊張しそ~」

あことしがドラムスティックを回すフリをしながら眉を下げると、ゆーひょんが肩を控えめに叩き、

「大丈夫よ。こっちが緊張しちゃったら、ファンの皆も緊張しちゃうでしょ?」

と、頬を突きながら言う。


 それに対し、蒼谷と佐藤は顔を見合わせ呆れ顔で息を吐く。

やはり、再結成して正解だったな。


 やがて門が見えてきた時、淳がふと足を止め、

「今度行ってもいい?」

と、屈託のない笑みを見せる。


「勿論良いが、何せファンクラブの中から抽選だからな……当たるように祈っている」

俺が腕を組んで小さく頷くと、佐藤は「平等だ」と、鏡を見ながら呟く。


「ありがとう! 龍也も行こ~!」

と、輝かしい笑顔で言う淳に、龍也さんも自然と頬が緩んでいた。


「皆、今日はありがとう。またどこかで……Coloursは明日スタジオでな」

と、全員が出た後の門を閉めて言う俺に向けられた皆の顔は、どれも色彩豊かで美しかった。


 何度でも人が生まれ変わる姿を見る事や、その瞬間に立ち会える事は、その人からの信頼も相まって本当に感動する。

俺もそんな存在になれていたのだろうか。


 あの日。


 再びステージに上がり、スポットライトを浴びて立つ俺達に掛けられた素敵な言葉の数々。

それまでの軌跡を知らない筈なのに咽び泣き、ペンライトを振るファンの方々。


 観客として透理兄さんもいらっしゃったのだろうか。

輝きの中に立つのを許してもらえた再結成後の1stライブに。



・・・

(透理視点に戻ります)



 皆を送った後、部屋の奥に仕舞っているColoursグッズを見返していたボクだったが、肝心な事を訊きそびれているではないか。


――活動休止の本当の理由を!!!!


 ボクは即座にグッズを仕舞い、早歩きで龍の部屋に向かったのであった。

ここまでの読了、ありがとうございます。

作者の趙雲です。


14話で結成の話が出たResolute Geraniumが、プレイリストとはいえ再登場致しました!

おっと、それよりもいよいよ過去の清算パートですね。

無事に終われば良いのですが。


それでは良い1週間を!

(2020/5/3に分割分をまとめましたので、次回投稿日部分を削除致しました)


作者 趙雲

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