「12話-解放-(中編)」
藍竜司、青龍暁、冷泉湊の机上の戦い、そして語られる過去の訓話――
中編を纏めました。
※約11,000字です。
2018年4月1日 18時過ぎ(事件当日)
片桐組 総長室
藍竜組総長 藍竜司
今だけは何もかも忘れさせてほしい。
自分の時間帯である夕日の時だけは、と思いながら夕日が沈むのを見送り、沈んだ時には扉を背に立つ堂々とした副総長の姿があったのだった。
副総長は俺たちを見下し、盛大な溜息をついたと思えば表情を硬くし、
「藍竜司。今も藍竜組の隊員が次々と医務室に運ばれ、今無事かも分からない状況です」
と、自分自身が考えるのを少しでも止めた隊員の事を言われ、思わず表情が強張ってしまった。
「それに貴方には無自覚の罪が多すぎる」
副総長はそう言うや否や、俺との距離を一気に縮め、
「それを貴方は全部良い話にして、心の底から向き合おうとしてこなかった。そうでしょう?」
と、自分を透明になるまで見透かす目で見られて言われると、流石に何も言えなくなってしまった。
「…………一生十字架を背負って生きればいい」
と、耳元で呟いた副総長は横目で表情を見た俺の肩に手を添え、
「弟の事を考えた方が良いでしょうね」
更に口元を歪め声のトーンを落とすと、互いに目線を動かし一瞬だけ火花が散った。
言葉は要らなかった。
「……」
俺は一度目を伏せ自らの行いを自省しつつ彼に背を向けると、既にそこに副総長の姿は無かった。
「……」
暁も様子をじっと見ていたが、蝶番が不自然な閉まり方をしているのに気付きドアを開けようとしたとき。
「ノブが反応しない」
暁が握ったのと逆のノブを回そうとした湊の声色には、どこか自信に満ち溢れているように聞こえた。
「俺達を閉じ込める気でいたんだろうが」
湊はノブから手を離すと、目を伏せた。
「どうした」
と、隣に並んで微動だにしないノブを握りながら言うと、
「封印する前にこちらが支配していたとしたら?」
と、湊も隣のノブを握りながら言い、そこから手を離すと独りでに扉が開いたのだ。
それと同時に何かが脳内を通り抜けていき、頭が軽くなったような気がした。
「……どういうことだ」
ただ、俺としては能力を使う事へのデメリットを考えてしまい、つい厳しい口調になってしまった。
というのも、湊の幻覚の能力の反動は精神を削る事だからだ。
だが湊は安心させるような笑みを向けると、
「実は副総長の五感を予め支配して、この部屋を封印しているという幻覚を見せていたんだ。だから副総長は俺たちがこれから外に出る事を知らない」
と、柔らかな口調で言ったのだ。
「はぁ……」
俺は彼に異常が見られない事から、精神へのダメージはほぼ無いのであろうと予測はできた。
とはいえ、よくそんな機転が利いたものだな。
まさか俺とキョトンとした様子の暁まで巻き込んでいたとは。
それなら大いなる自信を抱いていてもおかしくはないか。
「時間が無い。早く行くぞ」
それから振り返って言う彼の姿に、俺たち兄弟はただただ目を見張って溜息をつくばかりであった。
程なくして部屋を脱出した俺たちは今後について相談することにした。
「裾野と菅野が合流できたか不安だな。とはいえ裾野には――いや、どうしたものか」
と、俺が思案を巡らせていると、湊が落ち着かせるように肩に手を置いた。
「その話はまた今度にしよう」
湊の少々厳しい言い方を聞いてすぐ振り向けば、暁が怪訝そうな顔をしていた。
というのも、暁は裾野と菅野の今後の為に仕組んだ戦略の事を話していないからだ。
それについてはいつか、話せたら話す。
この様子だと湊にはお見通しのようだが。
俺は湊に目配せをし、互いの意思を擦り合わせてから暁の名を呼んだ。
「……」
暁は警戒している訳でもなく、忍者装束から覗く瞳からして疑念までは抱いていないようだ。
「暁はこれからどうしたい」
それならばと大雑把な質問をしてみれば、暁は見上げていた純粋だが濁りも見える瞳を伏せた。
しばらくして確固たる意志を持った瞳で見上げた暁は、
「裾野と菅野、早く助ける。だけどその前に、サーバールーム…………情報屋のところ一緒に行って」
と、強く拳を握って言うが、情報屋のところとなると藤堂からすと対峙するということか。
それは危険だ。
暁の身もそうだが、仮に押さえ込めたとして片桐総長か副総長がこちらに来る事になる。
そうなれば俺の戦略が丸潰れになる。
そのうえ、暁が知ってはならない情報を掴み応用能力である"人柱"を使えば――考えたくもない!!
だがそれを明かせないとなれば、どうする?
「反対?」
暁は普段よりも1オクターブ低い声で刺すと、
「どうして」
と、眉を潜めたのだ。
今まで割に聞き分けが良く、何でも従ってくれていたがここに来て疑問を呈するとは。
暁は本気か? それとも戦略に気付いてしまったのか?
すると湊が間に入り、
「それは後にしようか」
と、回答を迷う俺の代わりに笑い皺を深く刻み、笑顔を向けてくれたのだ。
「……」
暁は釣られて僅かに頬を緩めたが、軽く頷くだけで何も言葉は発しなかった。
湊の前では声も普通に出せるうえに、警戒心も特に無いというのにどうしてだ。
「救出した後に戻って、やりたい事をした方が心配事も無い筈だ。――説明なら俺が引き受けるから、そこは心配しなくて良い」
と、敢えて察せているであろう暁の思考には触れずに諭す湊は、途轍もなく頼もしく映った。
それに心配性というか、何かと気にし過ぎる父親譲りの暁の性格も考慮されていて、俺ならキツく言ってしまうところを――
説得関連は身内が言わない方がいかに良いか、つくづく思い知らされる。
「兄さんは?」
暁は湊の説得に渋々頷きはしたものの、何か俺には感じ取れないような目の色をして見上げる弟の言葉に――
「暁の知りたい、やりたい事なら俺は良いよ。藍竜組の副総長として信頼しているから」
と、笑顔を浮かべながら言ってしまったのだ。
これで良い。やりたい事もあるだろう。
副総長として心底頼れると思っているのも事実で、少しずつ隊員とも触れ合えるようになってきた彼の姿に安堵している。
だが言い終えた時の暁の瞳の僅かな揺れに、後悔と自責の念に駆られ何か言おうとしても焦りばかりが募り、
「暁は――」
と、俺が話し始めた瞬間、目前に枝垂れ桜の彫刻が入った短刀を突き立て言葉を遮った暁の瞳は――
「どうして!?」
怒りと失望感が溢れ、忍者装束を濡らしてしまっていたのだ。
そのうえ短刀を握る手もカタカタと音が鳴る程に震えていたので、湊は様子を見ながら短刀を預かった。
その行動に何の因果があるのか。
何十年も一緒に生きてきた筈の兄弟なのに、全くと言って良い程分からなかった。
A型で繊細、心配性で平和主義的なところがある弟と、O型で大らかに物を捉えて生きてきた俺とではまるで違うのは知っている。
それにしても……何故だ。
思い返せ。
思い出せ――"BLACK"が始まる前から今までを。
不変でない箇所を洗え。
無意識に傷つけていることは――そうか!!
隠し事をしているせいか?
「すまない」
俺に出来ることは謝罪だけだ。
頭を深々と下げ、誠意を見せる事。
「もういいよ……先行くから」
それでも暁は爪先をこちらに向ける事も無く、忍術で桜の花びらと共に消える直前に、
「暁!!」
と、湊が呼び止めてくれたが、こちらに背を向けたまま消えてしまった。
何が彼をそこまで苦しめたんだ?
秘密があると察してしまったから?
それなら内容を問い詰める筈だから…………どんなに考えても分からない!!
俺は思わず髪を掻き毟り、
「隊員の事なら手に取るように分かるのに何故だ!!」
と、声を荒げてしまうと、湊は唇を噛む俺の肩を軽く押し部屋に戻るように促した。
・・・
部屋に戻り、ソファが反発を恐れる程の勢いで座ると幾分か落ち着いてきた。
そうして温度が戻ってきた脳みそで暁の瞳の揺れの原因を考えてみれば、自ずと答えは見えてきた。
「副総長として信頼しているなんて他人行儀な事を言ったせいだ」
顔を覆い、天を仰いで呟いてみたが、湊は「それもあるかもしれないが」と、向かい側に座りながら切り出した。
「兄弟の問題だから口を挟まないでおいたけど、青龍は一緒に戦いたかった。それか"何か"を知ろうとする自分を止めて欲しかったんだと思う」
湊は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする俺を見て苦笑すると、
「まぁそうなるよな。だけど青龍の事を想っているのは伝わってきたよ」
と、微笑みながら言うので、前髪を押さえて目を伏せた。
「昔から心は暁と1つだと思っているから、気持ちが少しでも離れそうになると焦るんだろう。……情けないところを見せたな」
それから何と言って良いのか思いつかなかった俺は、ふと本音が漏れ出てしまった。
湊は俺の本音に対して笑いもせずに柔和な表情で見守ると、
「昨日のように感じる話を思い出したから、心を落ち着けるついでに昔話をしていいか?」
と、目を細めて語り掛けたので、俺はほぼ無意識に頷いていた。
これは記憶の彼方に追いやった愚者の――無意識に暁を傷つけた今回の発言とも繋がる昔話兼訓話だ。
2018年4月1日 18時30分前(事件当日)
片桐組 総長室
藍竜組総長 藍竜司
日も落ちた部屋の中灯りも付けずに向かい側に腰を下ろす湊に、俺は僅かに顔を上げた。
「懐かしい話だから、間違いがあれば訂正してくれたら助かる」
湊は暗がりでも分かる程の温かい笑みを見せると、座り直してからこう切り出した。
・・・
(湊視点に変わります)
今から24年前。
藍竜組を創設した藍竜は当時両親から経済的、人員支援を受けつつスタートさせた。
その結果、暁の尽力で資金に困る事も無く、両親が事前に話をしてくれたおかげで理念に心底共感する人物を集める事ができた。
そのうえ、両親の援助無しで回るようになってきた半年後には総長自ら説明し、週1で全隊員を集めて理念を発信している。
加えて1か月に1回全隊員に対し、最初は紙面、後々電子端末と手段は変わったもののアンケートを行っている。
そのおかげか、離隊率は0%。
――その他にも様々な事を行っているが、敢えて触れる必要は無いだろう。
その中で何よりも俺が驚いたのは、総長が総長室に籠っておらず組内を歩いていたり、食堂や憩いの場に居たりすることだ。
それは総長としてやることが無いのではなく、時間を捻出して隊員の為に自由に使える時間を現在でも使っているのだ。
心から感心の意を表したい。
あくまでもこれは私見だが、藍竜は暁との付き合い方をまだ模索しているように見える。
両親とは上手く付き合えているのに、実の弟である暁とは端からは上手くいっているように見えても、どこかボタンを掛け違えてしまっている。
そんな気がしてならない。
とはいえ俺が兄弟の問題に口を出す訳にもいかず、これは杞憂だろうと様子を見ることにしていた。
だが5年が経って組が安定してきた頃に事件が起きたのだ。
組を揺るがす程の兄弟喧嘩をする程になった、あの大事件は俺の中で忘れたくても忘れられない話だ。
・・・
創設から5年が経って組が安定してきた頃の春、暁は急に藍竜に対してよそよそしくなったという。
総長室兼副総長室で談笑をするのが楽しみの1つである藍竜にとって、それは何よりも耐え難いものだった。
それが数日続いたある日の談笑時間の事。
時折藍竜の顔を見ては目を伏せ、熱を帯びた目をする彼の手を引き、藍竜は仮眠室のベッドに放ったという。
藍竜はその時、自分に対して良からぬ感情を抱いているのではないか、又は何かを妄想しているのではないか、と疑っていたのだ。
片桐組に所属していた時に嫌という程、周囲の人間の醜い感情を見てきたから。
「しばらくはそこに居ろ。落ち着いたら出ればいい」
だからこそ藍竜は実の弟であれ、性に対しては厳しく接した。
そのうえ暁からは特に反論の言葉も無く、ただただ俯いていただけだったという。
その翌朝、女性の秘書が慌てて部屋に入ってこう言い放ったのだ。
「金庫より数百万円盗まれております!!」
秘書は肩を激しく上下させ声も裏返ってしまっていたが、扉を背にして寄り掛かる姿から真実である事は窺い知る事ができた。
「犯人は」
藍竜が椅子から立ち上がりながら言うと、秘書はゆっくりと首を横に振った。
「既に逃げており、防犯カメラも向きが変えられておりました」
それから秘書は机に寄り掛かる藍竜に歩み寄り、
「ただ、最後に防犯カメラに映っていた人物が――その」
と、言葉を濁すので、
「一刻を争う。はっきり言ってくれ」
と、語気を強めて言うと、秘書は項垂れてしまった。
「はい。そう仰るなら――」
と、気まずさから一度口を噤んだ秘書であったが、数秒すると藍竜が舌打ちをしたので、
「副総長です!!」
と、拳を肌が白くなるまで握って言う秘書に、藍竜は深呼吸をし小さく頷いた。
「分かった。戻れ」
・・・
当時の暁は藍竜組の間接部門全般を任されており、経理の統括も担当していたのだ。
ということは金庫の鍵は勿論、金庫の鍵を保管している鍵も彼が持っている。
犯行は普通に考えれば彼以外には不可能。
そう考えた藍竜は、暁を部屋に呼び出したのだ。
「……」
暁は数日前とは違い顔を赤らめる事はしていなかったが、違和感に動揺しているのが瞳の動きから読み取れた。
「暁は――」
藍竜はそこまで切り出してから、片桐組時代の事を思い出したという。
組織の金を持ち逃げし、1週間という時効の最終日の晩に捕まった人の意外な隠し場所の事を。
それはどんなに探しても見つからず全額使ってしまったのではないか、という噂が流れたまま迎えた時効の日の晩のこと。
狼階所属だった男性隊員は時効まで逃げきれたと確信し、パートナーと艶やかな一夜を過ごそうと自身の下着に手を掛けた。
――カラン。
床に儚くも零れ落ちたのは、後の調べで判明したが隠し金庫の鍵だったという。
そのときの事を聞かれたパートナーは、どこに合ったのかと問われた時にこう言ったという。
「言われてみればいつもより硬いと思ったし、油断したんだろうな」
・・・
そうだ。
弟というよりも男だから気にしていなかったが、そこに隠している可能性は十分にある。
だから恥ずかしそうにしていた?
それなら、今はどうしていつもの表情をしている?
「……兄さん?」
暁は怪訝そうな表情で覗き込んでいたが、その瞳には疑念が僅かに映し出されていた。
「ごめん。悪く思うな」
藍竜は少しずつ暁に近づきながら呟いたが、暁は後ずさりし、
「何、するの?」
と、壁に背が当たると怯えきった目で座り込んでしまった。
「そこに隠してるんだろ?」
藍竜は無慈悲な目で見下し、蹴って確かめようとした時だった。
「どうして」
むくりと立ち上がり、首を傾げて言う暁の表情は憤怒の化身そのものであった。
「どうしてじゃない。隠すなら尚更怪しい! 何も近親相姦をしようって訳じゃないから!」
藍竜は触れようとする手を何度も払いのける暁を見下し、少々焦りを滲ませながらも表情を伺った。
本当は疑いたくなんかないからだ。
ただ、片桐組時代に「抱いて」と、言い寄られすぎたあまり――少しでも恥ずかしそうな表情をしていたのが気に食わないのだ。
それに持ち逃げの疑惑まで掛かっているのだから、藍竜としては暁の犯行でない証拠が欲しかった。
「違う! 俺は――」
暁は涙を浮かべて藍竜の胸倉に掴みかかろうとしたが、藍竜はそれを答えだと勘違いしたのだ。
「よく分かった」
と、目を閉じたまま掴みかかろうとした腕を捻じり上げ、壁際に追い詰めると、
「暁も片桐組と同じなんだな」
光の無い眼で見下して溜息混じりに言い、膝で鳩尾を突き上げた。
そのときに実は肋骨を1本骨折していた暁は、痛みで目の焦点が定まらなくなっていた。
それで救済を求めて無意識に藍竜に抱き着いたという。
「お前まで! お前まで…………俺は……どうしたら良いんだ?」
だが藍竜は性行為を迫られていると思い込み、頭部こそ手で添えて守ってはいたが勢いよく押し倒した。
とはいえ、声は震えていて今にも泣き出しそうだったという。
「なぁ……どうしたら良い?」
馬乗りにはなったものの、上体を起こしたまま天を仰ぐ藍竜に、暁は何も言えなかった。
いや、正しく言えば口下手である自覚はあるから、何も言わない方が得策だと考えたといったところか。
「性行為……求めてない」
5分程互いに目を合わせないままでいた頃、暁が掠れた声で紡いだ言葉に藍竜は大きく振りかぶった。
爛々とした目で暁の瞳を射貫き、頬を叩こうとしていたその手は寸前で止められた。
なぜなら。
暁は幼少期に母親から凄惨な虐待を受け、その傷や痣を隠す為に忍者装束を常時身に付けなければならない状態だ。
それを知っていて――そのうえ、鳩尾を蹴り上げた事も思い出した藍竜には、最早暴力なんて振るえる訳が無かった。
しかし暁は寸前に止められた手を優しく両手で握り、
「兄さんはお母さん、似てるよ。殴って、言う事……聞かせるんでしょう? それなら良いよ。殴って? 兄さんは、良いよ?」
と、微笑んで擦り寄る彼に、藍竜は何度も首を横に振り、頭を抱えて声にならない音で泣き叫んだという。
そんな藍竜を、暁はずっと笑みを浮かべながら抱きしめていた。
「俺は大丈夫。犯人探し、今はいいね」
と、瞳の奥のどす黒い感情をよそ行きの声で隠しながら。
・・・
――コンコンコン
――コンコンコン
――コンコンコン
何度も響くノックの音に気付かず叫び続ける藍竜に、肋骨骨折状態にも関わらず冷や汗一滴も垂らさずに背中を擦る暁。
痺れを切らして入室した客人の目に飛び込んできた光景は、素人目に見ても異様だった。
「藍竜司さん、青龍暁さん」
桁外れの額はするであろう上品なスーツに身を包んだ紳士が2人の名を呼ぶと、2人は青ざめていたという。
「……」
「後鳥羽、当主様……申し訳ございません」
暁は口を閉ざし、代わりに藍竜が謝罪の言葉を述べると、後鳥羽当主――龍の父親は笑顔で会釈をした。
2人は慌てて後鳥羽当主を上座に通し、自分たちもソファに座った。
生憎お茶や茶菓子は切らしていたが、後鳥羽当主が来るという事は秘書には聞かせられない話だろうと思い、深々と頭を下げた。
「実は息子をこちらに入れたくてね」
後鳥羽当主は2人に何があったかを聞くこともなく、単刀直入に話を始めた。
「御子息でございますか。失礼ですが、現在はおいくつでいらっしゃいますか?」
「申し訳ない。今ではなく、入れたいのは彼が10歳から15歳になる頃だ。だから3年後から8年後の間の話になる」
そう頭を垂れて話す当主は、今思えば龍の話し方にかなり似ていた。
「なるほど。どうして藍竜組に?」
「実は仮の契約書は作成済みだから、よく読んで頂きたい」
そう言って差し出してきた契約書には、内容こそ覚えていないが後鳥羽家にかなり有利な条件ばかりが並べられていたという。
「いいえ。全て読む必要はございません」
藍竜は目の前で仮の契約書を真っ二つに破りながら言うと、
「藍竜組は人を見て入れますので、直接面接して腕試しをさせていただかないと難しいです」
と、眉を潜めてきっぱりと断ったという。
「やはりそうでしたか。ですが、事情がありまして今は会わせられません。ただ、この場で人となりを説明する事は出来ます」
後鳥羽当主は一度目を瞑ってからそう言うと、政府公認の印鑑のある乞田執事長の推薦状と当主からの推薦状を机に出した。
「彼は実に頭脳明晰で、運動神経も申し分ない。気遣いが出来て、とても紳士的だ。そのうえ完璧主義だから、自分にも他人にも厳しい。
料理の腕は後鳥羽家の料理長として雇えるレベル、音楽はサックス、ピアノ、ギター、声楽を嗜んでいる。
ギターとサックスは、Coloursというバンドを同期と組んで能力を発揮しているようだ。
武器は槍。相棒との関係は良好、かなり社交的な方だ。それに使命感や忠誠心が厚い、といったところでしょうか」
「ありがとうございます。かなり優秀な御子息ですね。……最後に1つだけ」
藍竜は腕を組んで推薦状の最下部を指差し、
「片桐組に居られなくなる程の恋愛下手、とは?」
と、後鳥羽当主に見えるように紙を回転させてみせると、後鳥羽当主は徐に立ち上がった。
「あいつに人として正しく、法に触れないような恋愛も身に着けさせてやってください。お願いします」
と、予想に反して深々と頭を下げて言うので、藍竜まで立ち上がってしまい、
「こちらこそ! ただ、御子息の好みのタイプは……?」
と、尻込みしながら座ると、後鳥羽当主も姿勢を正して座り直し、
「小麦肌で茶髪の元気な雰囲気のある男性、かと。欲を言えば、関西弁を話す方ですかね」
隠し部屋で執事があるモノを見つけたのですがね、と苦笑いをして付け足すので、藍竜は複雑な表情で愛想笑いをしたという。
まさか同性愛者とは、と。
当時から数年前までは同性愛者に強い偏見を持っていた事もあって、藍竜はあまり本心から歓迎はしていなかった。
「左様でございましたか。それでしたら、人間オークションの目玉商品を奪う隠密任務等をやらせてみましょうか。
好みの男性が出れば、ですけど……」
と、言葉を濁しつつ言った事が、まさか本当に実現するとはこの時誰も思っていなかったであろう。
それが今の誰かは最早言う必要も無い。
・・・
面談も終わり、後鳥羽当主が立ち去った後。
藍竜と暁は一切口を利かなくなった。
そうなると組の雰囲気は悪くなり、任務を詰め込む隊員が増えてきた。
その頃、2人と親交のある俺は同じような相談を受けるようになったので、どちらにもそれぞれ主犯を捕まえようと動いた話をした。
暁は礼を言い、怪我は無かったかと気遣ったが、藍竜は憤慨した。
「どうしてそんな危険な事をした!? もしかなりの熟練者で、藍竜組を潰そうと考えている輩だったら!?」
藍竜は自身の隊員もそうだが、周囲の人間にも割に熱くなるタイプだ。
「大丈夫だ。ただ、既に――すまなかった」
俺は謝罪の言葉を伝えるので精一杯だったが、藍竜は小さく頷き、
「両親にはもう話したから、また1から頑張ることにする」
と、明らかに無理をしているような笑顔を見せたのが、この上なく心苦しかった。
何かできることはないのか。
――そうか。
俺はその日から、相談してくれた恩返しをすることにした。
・・・
翌日。
藍竜は経理担当から出所不明の入金があったと報告を受けた。
「……?」
入金額は決まって440,013円。名前は平吉。
心当たりも無いうえに、13円という細かい金額まで計算して入金するということは意図がある。
そこまでは気付いたようだった。
それから数日後、蝮の平吉という人物から4,401,315円の入金があったということで俺に相談しにきた藍竜は、満面の笑みを浮かべていた。
「湊が出ていた舞台と映画のギャラ、龍也さんの好きな数字の15か。おかげで助かったよ。今度お礼を――」
と、言いかけた藍竜を手で制した俺は、
「これは相談してくれたお礼だから、藍竜は黙って貰ってくれ」
と、笑い皺を刻んで言うと、藍竜は観念したようにわざとらしく大きく頷いた。
・・・
(藍竜司視点に戻ります)
あれからすぐに俺は暁を呼び出して、互いに謝罪したうえで向き合って来なかった事を聞こうと決めた。
暁がどうして恥ずかしそうにしていたのか、持ち逃げされた日は何故そうしていなかったのか。
すると暁から衝撃的な言葉が飛び出したのだ。
「秘書から、金庫の鍵の話されて。隠し場所、鍵掛かった机の中って言ったら、片桐組では下着の中って……」
それを聞いた俺は、ほぼ衝動的に暁の下腹部に手を遣ってしまったが、暁は寸でのところで手を払い、
「それで、鍵が……擦れるから……」
と、恥ずかしそうに目を伏せるので、俺もドギマギしてしまい鼻の下を指で擦った。
「でも、持ち逃げの前日の記憶曖昧で。秘書に紅茶入れてもらって、暑くなって……」
暁は耳まで赤くしながらポツリと言葉を零すと、ハッとした顔をする俺を見て同じ事を思ったのか忍術で姿を消した。
本当はこの事を俺に言いたかったのか。
だけど内容が内容で恥ずかしく、報告しようにも言葉が出てこなかったのだろう。
そのうえ、俺には勘違いをされる始末。
だからお金が先か組織が先か、将又他の選択肢か、分からなくなってしまったのだろう。
俺とした事が。
一方的な勘違いで、報告しようとした暁を変な目で見てしまったなんてな。
謝っても謝りきれない。
数分もしないうちに暁は金庫の鍵と貸金庫の鍵を手に持った女性の秘書を連れ、ソファに横たわらせた。
秘書は入隊時よりもスカートを短くしており、髪型もカリスマ美容師にでもやってもらったのかヘアアレンジまでされていた。
今では無用の長物だが。
「貸金庫、ほぼ全額無かった」
暁は幸せそうに眠る彼女を見下し、鍵を俺に手渡した。
「そうか。……片桐組の金庫の鍵の話には続きがあるんだが、秘書から聞いたか?」
と、切りだしてみると、暁は目を泳がせてから首を横に振ったので、続きを話してやった。
「…………」
暁は黙ったまま俺の肩にぽす、と顔を埋めると、
「二度と、雇わないで」
と、また耳を真っ赤にして呟くので、背中をひと撫でして返事の代わりにした。
後日、一連の報告とお礼を言う為、湊と龍也を部屋に呼び出した。
「この度は、ご迷惑をお掛け致しました。申し訳ございません」
と、龍也には慣れていない暁の代わりに2人分言うと、
「いいって。まさか秘書とはね」
湊は龍也と顔を見合わせて苦笑いを浮かべていたが、暁は不服そうにしていた。
「暁さんは何も悪くない」
その様子にいち早く気付いた龍也は暁に声を掛け、優しく微笑んだ。
「……」
暁は俺を何度かチラ見していたが、肩を抱いて笑顔を向けると暁も大きく頷き、
「あ、ありがとうございます」
と、ポツリと呟いた。
「兄弟は不変だけど、状況は変わる。それは記憶がいつか、笑いに変えてくれる良い変化の兆し。この話も笑って出来るようになりますように」
湊は笑い皺を刻みながら柔らかな口調で言うと、暁にもようやく笑顔が戻っていったのだった。
・・・
十数年前の話に花を咲かせていた俺たちは、話し終えた後に暁の分まで大声で笑った。
「やっと落ち着いたな、俺も」
伸びをして呟いた俺は、それが年のおかげかはさておき、と、心の中で付け加えながら廊下に出た。
湊も「昔よりかは、な」と、深くなった笑い皺を刻んだ。
すると向こうから見知った顔が暢気にこちらに向かってきたので、
「大崎月光か?」
と、声を掛けると、
「おっお~! これはこれは藍竜司総長。それに……誰?」
と、彼らしい間延びした話し方にマジシャンらしい丁寧な指の差し方をしたので、
「冷泉湊です、よろしくお願い致します」
と、湊が自ら自己紹介をしてくれた。
「おっお~、失礼。あれ、先程青龍暁副総長を見ましたけど、別行動ですかな?」
月光は赤いスパンコールの衣装を翻しながら言うと、烏階の方を見遣った。
「あぁ。だが隊員たちの無事も確かめないと……」
と、つい本音を漏らしてしまうと、月光は限界まで目を見開き、
「それならお助けしましょう!! 大崎なら、烏階とここの近道も知っておりますよ」
と、俺と湊の手を握って目を輝かせているので、目配せをしてから頷くことにした。
こうして大崎月光を加えた3人で烏階に向かうことになったのだが、俺は胆が冷え切ってしまって仕方が無かったのだった。
令和元年2日目投稿に伸びまして、誠に申し訳ございません。
趙雲です。
ようやく中編が出来上がりました。
後編はすんなり書き上げたいところでございます。
次回投稿日は、5月4日(土) or 5月5日(日)でございます。
それでは良い1週間を!!
趙雲




