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ユーカリと殺し屋の万年筆  作者: 趙雲
龍勢淳編
59/130

「12話-解放-(前編)」

(中編を纏めようとして間違えて消してしまったので、再投稿です)


※約4,100字です。

2018年4月1日 夕方(事件当日)

片桐組 総長室

藍竜組総長 藍竜司



 あれから数時間――


 録音済みだったアナウンスが無情にも流れ、湊が片桐総長に書き出させた3点については既に話し合いを終えた。

それから妥協案の合意書にサインをし終えた俺は、自分よりも1枚多くサインを書く片桐総長を見遣った。

彼は細部まで目を通さずに筆記体でサインを書き、副総長に出させた朱肉に指を浅く付けると勢いそのままに紙に押し当てたのだ。


 貴方はいつもそうだった。

数年とはいえ片桐組に所属していたのだから分かる。


 報告書はろくに読まずに捨てる。

嘆願書は目の前でシュレッダーに掛ける。

かといって、口頭での報告も提案も聞き入れない。

報酬を決める面談は買って出る割に、要求額には程遠い値段にされ生活はカツカツ。


 はじめは、強姦や輪姦が日常茶飯事の組を変えようと先陣を切った俺だけなのだろうと楽観的に考えていた。

だが裾野の話を聞いて、よく分かったのだ。

自分のお気に入りだけ聞き入れる。

藤堂からすや黒河月道、そして裾野――彼らが貴方のお気に入りであり、手出しが出来ない事も知っている。


 だからこそ総長になり、自分の目の前に現れたのが俺だった事に心底憤りを感じたことだろう。

大事なお気に入りに危害を加えられる可能性に常に苛まれていただろう。

――知っている。

貴方は俺をろくでもない男だと思っている。


 

 そんな貴方に俺が出来る恩返しは――



「藍竜司」

サインを終え、様子を伺っていた俺に僅かに口角を上げて顔を上げる片桐総長。

「はい」

俺は別に合意書の真意に気付かれても構わないとは思っていたので、淡々と返事をした。


「お前は"BLACK"を止める交渉をこれから始めたいと思っているだろう? だがその前に1つ言いたい事がある」

片桐総長はハンカチーフで朱肉の付いた指を拭くと、それを乱暴に副総長に投げつけながら言い、

「大事な事だから、一度しか言わない」

と、釘を刺し、大きく脚を開いて前のめりの姿勢になった。


 意図を見られたか、既に何かしらの手を打ってあるか。

どちらにしても、答えは用意しておかないと。

そう思いながら暁と湊を見遣ると、2人は大きく頷いた。

だが湊は何かを考えているのか、将又何も考えていないのか、見当もつかないような表情をしていた。



「裾野聖をくれ」

だが盾も壁もあっけなく貫いた剣は、俺の心の真ん中をいとも簡単に突き刺した。

自覚できる程に目が泳ぐ。

判断がつかなくなる。

徐々に呼吸が荒くなるのが自分でも分かり、暁と湊の腕を掴み生唾を呑んだ。



 今の裾野に重要な判断を任せられないうえに、もし血迷った返答をされたら!!



 そう思うのは、今までに一度も言われた事の無い、隊員の引き抜きに驚愕を覚えているのもある。

だが俺が最も焦燥を抱くのはそこではない。


 何せ殺し屋界では企業が行う社員のスカウト――ヘッドハンティングとは全く異なる。

組の崩壊等で総長や経営陣が機能していない場合、所属隊員からの嘆願書と数十回の会議の末の合意の場合、または――

隊員の引き抜きを申請した組が、申請された組を買収もしくは傀儡目的等で。

最も優秀な隊員の名と共に宣言した場合に隊員の引き抜きが申請されたとし、申請された総長は。



 申請された総長は。



「そりゃあそうだろうな。折角のスーツが台無しだ」

片桐総長は嘲笑いながら踏ん反り返り、副総長と顔を見合わせて再び大声をあげて笑った。

そう言われて太腿を見下してみれば、500円玉程の大きさの汗染みがいくつも出来てしまっていた。


 それもそうだ。

申請された総長は、当日までに本人に意思を聞き取り文書にまとめ、申請者に提出しなければならない。

否定であれば契約は反古、肯定であれば当日中に移籍。

間に合わないまたは拒否をすれば、買収を余儀なくされる。


 このような規則になったのも、全て片桐と後鳥羽が政府に頼み込んで仕組んだ事。

それだけに悔しさがより一層募る。

ただでさえ、"BLACK"を未然に防げず妥協案に持っていくのが限界だった自分に苛立っているというのに。


 誰も救えない。

解放してあげられない。

たった4人であれだけ救ってきた者がいるのに、自分は今――



「兄さん」

その時にか細くはあるが声を掛けてくれたのは、暁だった。

「裾野聖の事は大丈夫。契約書を信じよう? そうすればきっと、大丈夫」

蚊の鳴くような声だが、芯のある彼の言葉に俺は何度も頷き鼻を啜った。


 契約書の効果さえ出れば、今抱いている感情が希望へと変わる筈。


「俺も今の裾野を信じて良いと思う。だからここは一つ、任せてほしい」

湊は片桐総長を見透かすように見ながら囁くように言った。


 片桐兄弟は俺たちの反応が面白いのか、2人で何やら話し合っている。


「一応心配だから訊くが、何をする気だ?」

俺は精神を削ってまで人に幻覚を見せる能力、言わば幻覚空間を作る能力を使う事が心配だった。

それでメンタル崩壊でもしてしまったら、彼の弟たちに顔向けできないだろう。


 湊は徐に立ち上がりながら、一瞬こちらに顔を向けた時は笑顔だったのに、突然腹を抱えたと思えば、

「ふっ……ふはは……はははははははは!!!!」

と、廊下に響く程の大声で仰け反りながら笑い出しだのだ。


 その様はまさに"狂気"。

裾野が話してくれた、"狼狩り"の異名を持った由来の話の時に近い……内なる狂気の暴走だ。

大きく手を広げ、目を零れ落ちそうな程見開いた湊の姿は、付き合いは長い方だが初めて見た。


 そう感じたのは俺だけではないようで、流石の片桐兄弟も笑顔を失くし湊の様子を伺っている。


「感謝しているよ、片桐。お前が俺にとって1番厄介だったあいつを、俺の手を汚さずに消してくれるなんてなぁ!!!!」

湊は更に大口を開け、ハリウッドスターさながらの動きと表現で片桐兄弟を狂気の笑顔で見下した。

「あいつ? 思い当たる人物が多すぎるが、裾野だったら消すつもりは無い。あいつは俺の(ペット)だからな」

片桐総長は再び踏ん反り返り、わざと長い脚を見せびらかすように脚を組むと、副総長を顎で指した。

「こちらが最近拷問を受けた隊員または捕虜のリストです」

と、副総長がご丁寧に顛末まで書かれた紙のリストを机の上に置くと、湊はあいつと呼んだ人物を見つけたのか、紙がよれる程指を差して破顔一笑した。


「如月龍也を1番鬱陶しいと思ってたのはお前らじゃねぇんだよ……俺なんだよ!!!! ……はははは……はははははは!!!!」

湊は復讐を達成した喜びからか、指の根が切れてしまいそうな程紙に押し付けると、心底嬉しそうに拍手をしたのだ。


 俺は彼のその姿が、俺の為の演技なのではないか。

むしろ演技であって欲しいと思い、こう声を掛けた。


「兄弟想いなのだから、無理しなくて良い」

冷や汗がどっと吹き出しはしたが、今は構っていられない。

暁も何度も頷き、同意の意思を示した。


 しかし湊は笑いを止め、視線をこちらに向けると表情を途端に無くし、

「本当にそう思っていたのか?」

と、言い終えるや否や小馬鹿にしたように笑ったのだ。


 彼がそこまでして片桐組と藍竜組の交渉の流れを変えたいと考えているならば、俺の力が不足していたということだ。

遅かれ早かれ、裾野の引き抜き宣言はなされたであろう。

それなのに何もしてこなかったのは、総長である俺のリスクヘッジが足りていなかったから。


 "BLACK"中は言われないだろうという…………!!

つくづく先延ばしにする自分に苛立つ。暁にも対策はある程度しておくように言ったが、"BLACK"中の裾野ではどうにもならない。


 とはいえ、1つだけ延期する方法はある。


「裾野聖は現在心身ともに健康の状態ではない為、今月中に本人に意思確認を致します」

俺はつとめて冷静に話しているつもりだ。

だが暁が思わず俺の手を取り、心配そうに見上げてきたところから俺こそ心身ともに健康の状態ではない事を思い知らされた。


 湊がたとえ正気でそう言ったとしても、演技で言ったとしても今の俺には誰も救えないのかと。

これは総長失格とさえ考えていたが、湊の狂気の笑いと片桐に感謝する姿を見ていれば自ずと正気のように思えてきた。


「なるほど。来月、良い返事を期待している」

片桐総長は額に僅かに汗を光らせており、僅かに言葉尻が震えてはいたが、圧倒されている副総長を置いて出て行ってしまった。

「良い返事を期待しています!」

扉の音で我に返った副総長は、早口で捨て台詞を投げるとそそくさと出て行ってしまった。

机の上に指紋付きの朱肉を置いたままで。



「……」

言葉が見当たらない。

裾野に言葉では言い表せない程の負担を負わせた。

組を守る為とはいえ、本当にこれで良かったのか。


 あれ程組の為に自らの命も愛も削り、注いできてくれた裾野聖にそこまで負わせるのか。


「兄さんに従う。それよりも、湊さんだよ」

暁は俺だけに聞こえるように囁くと、俺は重い腰をあげて狂気と向き合う事にした。


「湊」

呼び慣れた名前なのに、異様な緊張感が身体を支配したのは初めてか。

さて、これからどう話を繋げていこうか。


「ん?」

返ってきた言葉も声色も、思考回路の反対側を行く普段の優しい声だった。

「……」

俺は驚愕のあまり言葉を失ったが、

「さっきのは」

と、話を切りだすと、

「ああ。騙して悪かったな」

と、あっさり元の笑顔に戻ったのだ。


 なんだそれは。

俺は安心のあまり溜息が出、外の夕焼けにも自然と目がいくようになった。

今日はこんなに綺麗な夕日が顔を出していたのか。


 妥協案であれ、回答を延期した結末であれ、結果的に契約書通りに事が進みそうなのだから、今はもう良いだろう。

夕日と湊に感謝しなければならない。


「ありがとう」

無意識に席を立ち、高窓の前に立って一度振り返ってから湊に言うと、暁と湊も隣に並び顔を見合わせて笑った。

「今は境を司る夕日だから、俺が勝つようにお天道様が仕組んだのかもしれない」

昔からそうだった。

藍竜司の名前は0時に生まれたから、昼と夜を司る。暁は早朝で彼誰時に生まれたから、次の時間帯である暁。

それを聞かされてから、ずっとそれを信じて生きてきた。

得意な時間帯なのだと。


「うん」

暁も珍しく声をあげて笑い、俺は湊と暁の肩を思い切り抱いた。


 今だけは何もかも忘れさせてほしい。

自分の時間帯である夕日の時だけは、と思いながら夕日が沈むのを見送り、沈んだ時には扉を背に立つ堂々とした副総長の姿があったのだった。

中編に続く・・・

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