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「30話-枝垂桜が咲く頃に-」

片桐組総長である片桐湊冴の圧倒的な強さを前に、どう立ち向かうか。

また、裾野さんと菅野さんの相棒の絆をじんわりと感じられるお話にもなっています。



※過去編("BLACK"当日のお話)は最終話でございます。

 以降は現在編のみのお話になります。

※約7,900字です。

※裾野さん、菅野さんの過去編を読むと辛さが2倍になります。(お時間がございましたらどうぞ!)

2018年4月1日 22時過ぎ(事件当日)

片桐組 迷路跡地



 あれから何時間経ったのだろう。

そもそも裾野さんを救う為に"BLACK"に乗り込んだ僕らは、夕紅さんが片桐組側の人間(スパイ)でありながらも協力を誓ってくださったり、誰1人殺さない正義を貫く石河さんが裾野さんを助けたいからと同行してくださったり……。

自分でも驚く程殺し屋の世界というものは狭いのだと実感した。


 それまでは途方もなく広く、裾野さんは1人で巨大な敵といつも戦っているイメージであったし、トリプルスパイどころではないぐらい股に掛けていると思っていた。

だけど本名である後鳥羽龍の顔では、"山田執事長"と名乗る片桐湊司と暁副総長を見破れなかった。

それに乞田さんが気付いていた2人の計画は……彼が殺された数年後に実行された長男と次男である後鳥羽龍之介と智輝の殺害。


 これは後醍醐詠飛さんに手紙を書かせた藤堂からすさんが――

それで彼に連れられて片桐組に見学に来た2人を捕まえ、殺害方法をテレビの視聴者参加型サービスで選ばせて……惨い殺し方をした。


 そのおかげで結果的には後鳥羽家の情勢は良くなった。

後鳥羽紅夜さんが当主になってから、何かの力が働いたかと思える程……確かに全てが好転した。

――例えば、裾野さんのお父さんとか。

この事に本当に裾野さんが気付いていなかったとは思えない。

たとえ、"山田執事長"が2人居る事や扮している人間を知らなかったとしても、僕よりも数十倍も賢い彼がそんなミスをする筈が無い。

何か策があるのだろう。


 そう思いながら戦況を見守っていたのだが、何せ隠れる場所が少なさ過ぎる。

今は増田梓さんが乗り入れてきたマスタングの影に石河さん、空くんと隠れている。

車の持ち主であった彼女は、散々仕えてきた総長によって蹴飛ばされ粉々になってしまった。

それにしても……1人に対してあそこまで人数を充てているのにどうして傷1つ付けられないのだろう?



「……俺のせいだ」

すると裾野さんが斬撃を飛ばし片桐湊冴と距離を取り、ぽつりと言葉を零した。

その側には膝をついて苦しそうに息をする鳩村さん。

夕紅さんは片桐湊冴の攻撃によって、武器の刃の部分が大きく削れてしまっている。

「は?」

それにいち早く反応したのは菅野さん。


 沙也華さんが攻撃を引き受け、夕紅さんがその後に続いたときに石河さんは鳩村さんをこちら側へ連れてきてくださった。

「そもそも俺を助けに来てくれたのだろう? それなのに俺が皆を苦しめている……そうだろう?」

裾野さんは真剣に向き合う菅野さんに眉を下げて言葉を零した。その言葉はあまりにも弱々しく、先程まで先頭を切って戦っていたとは思えない姿だった。

菅野さんはそんな彼を見て何回か首を横にゆっくりと振ると、拳を強く握り言葉をぐっと堪えた。

「そんなんちゃう……せやけど、弱気の裾野は知らん裾野やで」

その代わりに出てきた言葉は、寂しさの裏返し……そう、菅野さんは後に僕に語ってくださった。


「そうだよな。すまない……竜斗には――」

それから突然本名で呼ばれ、菅野さんは胸が苦しくなったという。

というのも、裾野さんが本名で呼ぶ時は……自分が死ぬかもしれないという覚悟を決めた時と、本当に大事な事を伝えたい時だから。

だから菅野さんは裾野さんの胸板を叩いて抱きしめたい衝動を我慢し、

「お願いやから生きてや……!」

と、目に光るものを浮かべ、涙声で言うと裾野さんはいつものように頭を撫でた。

「そうだったな。俺が死んだら、マスターの死亡とされて……"商品"である菅野も命を落とす。太ももの"印"はそういった決まりだったな」

だけど裾野さんが微笑みながら紡いだのは、菅野さんからすれば見当違いの言葉。


 たしかに人間オークションで売られた"商品"に付けられた"印"を支配するマスターとの契約の1つに、マスターの死亡="商品"の死亡というものがある。

それでも裾野さんが便宜上マスターになれば、"印"に触れただけで命令を下さなかった太田雄平のマスター権限が剥がされるから。

それで2人はマスターと"商品"の関係になった……片桐兄弟と増田梓さんの言う"番"に。

 内容は後に菅野さんから聞いた……命令はされたけど、"自由に生きろ、誰の命令にも機械的に従わなくていい。それと――叶うならば"

ここまでで僕に伝えようとした菅野さんは言葉を詰まらせた。

恐らく、裾野さんが命令を口外させないようにする為のキーワードを仕込んだのだろう。

紙に書こうとしても書けず、スマフォに打とうとしても打てない……絶対のキーワードを。

閑話休題。



 裾野さんから見当違いな言葉を言われた菅野さんは、涙を堪えてこう言ったという。

「何でいっつも気付いてくれへんの!? もう顔も見たないわ……!」

頭を撫でる彼の手を払い、ポケットティッシュで鼻をかんだ後に槍を構え直して走り出した菅野さん。

このときの事を菅野さんは後悔していらっしゃるという。

だって――睨みつつ振り返ったら、裾野さんの瞳が揺らいでいたのと"後悔"のオーラが溢れ出ていたから。


 だけど夕紅さんによって腕を掴まれ、持っている武器に似た電柱を一列に天井を突き破る勢いで生やすと、

「バラバラの向き、見ている気ぃしますなぁ」

と、大都弁独特のはんなり口調で言うと、沙也華さん、菅野さん、裾野さんはそれぞれ思い当たる節があるのか、一度俯いて視線を逸らした。


「ほら。言いたい事ある人からどうぞ」

夕紅さんは、まぁあまり時間はありまへんけど、と電柱のヒビの入り具合から分析して呟いた。

 すると沙也華さんは裾野さんの方を向き、

「先程の件ですが、貴方の責任ではありません。今回の一連の事件を引き起こしてしまった責任は……」

と、女声から語尾に向かって男声に変わっていき、それと同時に白色の花びらが散って舞い上がっていくと如月龍也さんの姿になったのだ。


 その様子はどんな怪盗の変装解除よりも美しく、また散った花びらが独り手に舞っていく様子は目を見張るものがあった。

そうして龍也さんの姿に戻った後、

「俺にある」

と、彼の本物の声でどっしりと言われたとき、全員が目を丸くした。

それもそうだ……あことしさんとゆーひょんさんに殺された筈だったから。

ということは!!

ゆーひょんさんは今頃嘘を吐いたから、言葉を失ってしまったのか!?

そこまでして僕らに隠し事をしたかったのか。


「何を仰っているのか、分かりかねます」

裾野さんは龍也さんの登場に驚いてはいるが、唇を撫でて思案しているようにも見える。

そんな彼を申し訳なさそうに、また疑いの目で見上げている菅野さん。

本当なら食ってかかりたいのかもしれない。

だけど――

「そもそも俺が優秀なスパイであれば、感情的にならなければ良かった話でしょう。要するに片桐組に隙を見せてしまったのですよ」

と、淡々と言い頭を下げて謝罪する裾野さん。

僕はこの時気になっていた言葉がある……"感情的"にいつなったのか。

それを菅野さんに訊いても、笑顔ではぐらかされるのも。

もしかして、2人が"番"になった時に何かあったのか? 喧嘩でも言い合いでも。


――ガシャァァァァン!!

「まぁ……責任の所在を話し合う時間はあらへんようで」

夕紅さんが肩をすくめ、壊れた電柱の欠片をかき集めて言うと、裾野さんは無表情のまま剣を構え電柱の欠片と共に斬撃を飛ばした。

そのときに龍也さんの姿が片桐湊冴の前に晒され、それと同時に彼の覚悟を感じ取ったのか、片桐湊冴は歯ぎしりをした。

「揃いも揃って死に急ぐか、後鳥羽龍!! 如月龍也!!」

片桐湊冴の攻撃は反射を利用したもので、飛び道具は勿論近距離であっても対象に入る。

逆利用しようとも物理攻撃は全て跳ね返ってくる。精神攻撃も言葉も効かないどころか、下手をすれば跳ね返される。

一体全体どうやってダメージを与えれば良いのか、全員が頭を悩ませた。

鳩村さんが言うには、"全てを反射する能力"だそうだが……欠点も応用能力も無い特殊能力だという。



 だがその中でも龍也さんが裾野さんと並んで勝機を見据えているかのような自信に満ちた表情をしていたのだ。

「これでやっと暴れられる!」

それからコンタクトを外すと、美しい黒色の瞳からマリーゴールド色に変わり、背後からでも好戦的なオーラを感じ取る事が出来た。

おそらく今までは沙也華さんの姿だった事もあり、攻撃力等を抑えていたのだろう。


 それにしてもどうやって声とか変えていたのだろう? 月道みたいに元から声域が広いのかな? 胸はどうとでもなるって言っていたから……。

「先程の件は後にしましょう。貴方となら勝てそうですからね」

裾野さんは龍也さんにだけ聞こえるような声量で――菅野さんにも聞こえていたそうだが、言い終えるとウィンクをしたという。


 そこから戦況は大きく動いた。

何よりも龍也さんが本気で立ち向かっているので、裾野さんも合わせやすいらしく怪我を負いながらも順当にダメージを与えられるようになってきていた。

その様子を見ていた菅野さんは、いつでも助けられるように心の準備をしていた。

それを横目で見ていた夕紅さんはポツリとこう零したそうだ。

「あんた、旦那の帰り待ってはるペット――犬みたいやな」

と。

それに対して何も言い返さず、ふんと鼻を鳴らした菅野さんは内心ではこう言っていた。

――"番やからそう見えるんやな"

本当は相棒を心から信頼して待っている風に見られたかったと、悲しそうな笑みを浮かべていた菅野さん……。

この当時はどんなに信じていても、裾野さんからすれば何でも無いもの、余計なものなのかな、とも考えたという。



 やがて片桐湊冴と互角に戦えるようになってきたか、という所まで戦況を持ち直し始めたとき。

片桐湊冴の斜め左横に突如床と天井を突き破りつつ枝垂桜が生え、その側で颯雅さんと大崎さんが必死に呼びかけているのが聞こえてきた。

それからすぐに倒れている片桐組隊員の武器がそちらに向かって急速に吸い込まれていき、それが徐々に桜の蕾となっていき下方から花びらを付け始めた。

その中心で目を閉じ、胸の前で指を組んでいるのは……青龍暁副総長!?

どうしてここに!? 颯雅さんと一緒に脱出した筈では!?

「"山田執事長"め……"また"邪魔するか」

片桐湊冴は桜を睨み上げ、僕らが裏に隠れているマスタングに歩み寄ると片桐湊司を肩にひょいと乗せた。

そして急に姿が見えなくなり、立ち上がってみれば虫のようなものが走っていくのが目に入った。

こんな所に生き物なんて居たのかな。



「"人柱"……"桜を誘う能力"、の……応用、能力、だよ……」

鳩村さんが咳をしつつ仰った言葉を石河さんに託し、全員に伝達していただくと目を見開き言葉を失った。

裾野さんは想定にあったのか、頭を抱えていた。

「人の、愛が無い無機物は……吸収され、て……花になる。だけど……副総長は――」

と、鳩村さんが途中まで言うと、

「人柱となる。如何なる攻撃も通らない状態になり、相手のあらゆる武器を奪い戦闘を強制終了させる様から……"戦争終了の福音"とされてきた。要するにこの能力を持つ人間は、1人じゃない」

と、裾野さんが付けたし、「これも想定はしていたのだが……」と、ため息混じりに仰った。


「じゃあ副総長は!? あのまま死んじゃうん!?」

菅野さんは裾野さんに掴みかかり、段々と花を付けていく桜を指差して叫んだ。

「あぁ……。だがそれを阻止する能力が、近親者に必ず現れる。"あらゆる物事から解放する能力"として」

裾野さんは涙ぐむ菅野さんの腕を掴んで掴みかかった手を下させると、桜を見上げた。

「近親者……!? それって藍竜総長なん!? でもここに居らんやんか!!」

菅野さんはその手を逆に強く握ると、胸板をドンと叩いた。



 その言葉に裾野さんは一瞬喉を詰まらせたが、大崎さんがこちらに向かって走りながら叫んだ言葉に思考の波がドッと引いていった。

「バラバラに逃げろ!! 建物も人工物だからか知らないが、急ピッチで崩れ始めたぞ!!」

石河さんは空くんを抱え、夕紅さんは大怪我をしている鳩村さんを背負い、僕は2人をサポートできるように背後についた。

しかし颯雅さんと龍也さんが逃げるのを止めるように手で制した。

「俺に掴まってくれ! 触れているものなら一緒に瞬間移動できる!」

そう龍也さんが叫ぶと、大崎さんは大きく頷いた。

――その間にも桜は三分咲きとなり、建物は外から見たらどうなっているか分からないが床も天井も徐々に崩れ始めていた。

僕、夕紅さん、石河さんと空くんは龍也さんに即座に掴まり瞬間移動に成功した為、この先は菅野さんから聞いた話だ。



「なぁ、どうして行かへんの?」

菅野さんはいつまでも拳を強く握って動こうとしない裾野さんのジャケットの裾を引いた。

だけど話しかけても返事をしない。

疑問に思い、横に並んで見上げてみれば肩を震わせて葛藤しているかのような表情をしていたという。


「あぁ、菅野か」

じぃっと数秒も見上げていると流石に気づき、ふわりと微笑んで言う裾野さんは酷く孤独に見え、

「あことし、ゆーひょん、茂は無事か……潤、竜馬、利佳子は平気か、兄さん達は逃げきれたか……詠飛さんも気がかりでな」

と、寂しそうに呟く姿を見ているだけで、菅野さんは涙が零れてきたという。


――四分咲き、天井のコンクリートの破片が菅野さんの肩に落ち始めて来たときのことだった。


「まさか、行かへんやんな!?」

思わず右腕を掴み、グイと引いて衝動的に叫んでしまった事に気恥ずかしそうに俯くと、裾野さんは肩にポンと手を置き、

「菅野だったら……行っていたけどな」

と、ふにゃりと笑う姿に頬を伝う熱いものを感じ、顔を背けてしまうと、

「桜を見てほしい。総長と湊さんが助けてくれている……だから大丈夫だ」

と、裾野さんに促されるままに桜に目線を遣ると、総長と湊さんが何かを叫びながら駆け寄って行くのが目に入った。


「皆が戦わなくていいように、傷つかないように……泣かないように……桜にならないと……役に立ちたいから……」

桜越しに零していく副総長の言葉は、桜伝いにエリアに居る人間全員に聞こえていた。

「違う!! お前は"終戦の福音"じゃない!!」

総長が珍しく喉が潰れるぐらいの声量で叫んでいる。

「思いとどまってくれ!」

湊さんも総長の後を追い、桜の幹の方へと走って行く。



――五分咲き。



「そんなら後は2人に任せて行こう?」

菅野さんは心配そうに見つめる裾野さんの腕を引き、待ってくれている颯雅さんの方へと連れて行こうとした。

だけどビクともしない彼。

仕方なく先に歩き出すと、

「そうだな、菅野は先に行って――」

と、彼にとっては聞き飽きた言葉が飛び出した。


 菅野さんはズカズカと裾野さんに迫ると、少し距離こそ空けているが隣に立った。

「……」

裾野さんはそんな菅野さんを見て、鼻で笑ったという。

いつも通りだな、とでも言うかのように。

人の事ばかり心配して、最後まで自分が忠義を尽くす総長が無事に帰れるか見届けたい裾野さんを知っているから。

だから菅野さんも颯雅さんもそれを待った。


――六分咲き。


 ついに桜の幹まで辿り着いた藍竜総長は幹を冷静に且つ迅速に登っていき、湊さんは幹の側で見上げ見守っていた。

ここからは能力者にしか出来ないことだから。

解放する為には解放したい"桜を誘う能力"を持つ人間の胸に手を当てないと効果が発揮されない。

それ以外の人間なら、その部位に触れれば効果があるのだが……。


「……総長は」

菅野さんがポツりと言葉を紡ぐと、裾野さんは優しい目をして見下してきた。

「弟の能力を止める役になったとき、どう思たんやろな。俺なら怖いな……実際そうなったら必死になるとは思うんやけど」

そして続けた言葉に裾野さんは桜を見上げて目を細めた。

「そうだな。愛する者を護る役割を担って、自分が護れる事に喜びを感じたと思う。自分の使命になるのだから」

胸を張って凛とした声で言う裾野さんはまるで自分に言い聞かせるようだったという。

「へぇ~……あ! ついに使命を果たす時が来たで!」

菅野さんは裾野さんの腕をぺちぺちと叩き、腕を組んで見守る裾野さんを呆れさせていた。

そのときに気付いた事があったそうだ。


――結婚式の時にあげたブレスレット、付けてへんやんか。


 危険を感知すると割れる宝石を使ったブレスレット。

それでもあの時は、このくだらない"BLACK"の終焉が見られるから興奮していて、当時は何とも思わなかったそうだ。


「俺の大事な、大事な人だから!! 二度と自分を傷つけるな!!」

そう叫んでいた総長の言葉に、裾野さんは息をつき自分の胸に手を当てて一礼していた。

菅野さんはその様子を不思議そうにじっと見ていたが、そのときぐらりと視界が揺れた。

自分たちの足場が崩れ始めていたのだ。

裾野さんは菅野さんの腕を引き颯雅さんの元へ走ったが、解放した事により崩壊のスピードがドミノ倒し並みに瞬く間に上がり、菅野さんが足を取られたとき。

「颯雅!! 頼んだ!!」

と、喉が張り裂けそうな程叫び、引いていた腕を支点に菅野さんを颯雅さんの方に投げたという。

「嫌や!! 一緒にっ……!!」

そう叫んだ声は空しく虚無の空間に吸い込まれ、裾野さんが伸ばした手の指と菅野さんの指が掠め、彼はそのまま奈落の底へ落ちていった――

だけど落ちていった彼の顔は、絶望なんかじゃなかった。

むしろ希望に満ちた顔だったという……。


「こんなん嫌や……もうどこにも行かへんって言うたやんか……!!」

菅野さんは颯雅さんの拘束から逃れようとしたが逆に瞬間移動させられ、別れる間際にこう言われたという。

「必ず龍を連れ戻す!」

と、覚悟を決めた凛々しい顔で。



 瞬間移動した先は病院のような所のベッドの上だった。

放心状態で横になっている菅野さんの側には奥さんである淳さんと彼女の義兄である湊さんが居て、焦点の定まらない生気すら感じない目をじっと見つめていた。

その時に精神科医らしき男性から言われた言葉は耳に嫌でも貼り付いていたという。


「心が著しく壊れていますね……記憶喪失の危険性はございませんが、彼の生気を戻すような大事な人、または物――」

「写真や指輪といった贈り物、とにかくその人との思い出があれば飾ってください。それでせめて……最低限は保てますから」

そう言って部屋を出ようとし、振り返って菅野さんの側に来た医者はこう言った。

「あの、不躾な事を訊くようですが…………大事な人って、奥さんじゃないんですか?」


――大事な人って、奥さんじゃないんですか?


 その言葉に菅野さんは生気を吹き返し、精神科医の胸倉を掴んで掠れた声でこう言った。

「淳も大事に決まってるやろ。せやけど俺にはもう1人大事な人が居んねん、失礼な事抜かすんやないでお前」

数時間振りに出す声は自分でも気味が悪い程声が低く、すぐに側にあったストローを差してある500mlのスポーツドリンクを飲み干した。

「大変失礼致しました。意識が朦朧とされていたときに、"裾野"という名前をずっと呼んでいたものですから……」

医者は胸倉から離すように菅野さんの手に触れようとしながら言うと、

「お前には関係あらへんから」

と、一度手に力を込めてから雑に離し、医者をあしらった。

だけどその医者の目は、どこかで見た事があるような気がした。

目の奥から感じる……冷気がそう感じさせたのかもしれないけども。



 菅野さんからこの話を喫茶「ふるよし」で聞いたとき、僕には1つの仮説が立てられた。

だけどもしその通りなら……残酷で優しい裾野さんらしいとはいえ、菅野さんにとっては辛すぎる試練にしかならない……。

それとも僕には分からない相棒愛がそこにはあるのだろうか?

紫色へと染まりゆく空を見ながら、僕は思案と推理の海へと漕ぎ出して行った――

過去編最終話ですって!?

作者の趙雲です。


大丈夫です、現在編にて裾野さんを助けると飛び込んだ颯雅さんのその後や、

全員の"BLACK"後の所在等、現在編ですら書ききれない事が沢山ございます。


来週以降は現在編のみになります。

どうぞお楽しみに。

更新日は、21日(土)または22日(日)でございます。

それでは良い一週間を!!


作者 趙雲

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