「19話-フィルター越しの世界-」
騅の中に渦巻く感情。
だけどそれは振るい方を間違えれば、人を傷つけかねない武器にもなる。
時に人を見るときのフィルターは、とてつもない結果を招く。
※約8,500字です。
2018年4月某日 お昼ごろ
藍竜組 総長室
騅
どうしてここまでしてしまうのだろう?
だけど2人の事を書けば書くほど、不自然に思えてきたのだ。仕方ない。
数年前のクリスマス。僕はたまたま寝る前に水を飲み過ぎて、御手洗いに行きたくなって意識が浮上してきた頃のこと。
だいたい午前0時頃だったかな……普段なら絶対に聞こえないような声が聞こえてきたのだ。
それで2人に対して、次第に不信感を抱くようになっていった……でも殺し屋としても人間としても信頼しているし、尊敬もしているから何も言わなかった。
だとしても、何も知らない淳さんと弓削子さんはどうなるんだろう?
そう考えたら、総長に相談無しに何も動けなくなってしまったのだ。
総長室に入ると、総長は事前に簡単に用件をメールで伝えているせいか、入口付近で立っていらっしゃった。
表情はどことなく複雑そうで、それが僕の感情を逆撫でした。
「総長。用件は既に伝えてありますが、2人はもう……そうでしょう!? 知っていて見過ごしていたんじゃないんですか!?」
一歩詰め寄って声を荒げた僕に、総長は背の圧迫感で一歩下がったが、
「十数年居たからって、対象になるとは限らないだろう。頭を冷やしてから話してくれないか」
と、はぐらかされ、僕は無礼を承知で音が響く程力強く両肩に手を置いた。
「裾野さんはずっと菅野さんに……セクハラと言っても過言ではない行為をしていたんですよ!? あの日のクリスマスだって、きっと無理矢理――」
僕が感情的になってしまい、思わず肩に置いた手に力が籠ると、総長は深い溜息をついた。
「裾野が菅野にセクハラ……? なるほど……では菅野は触られるのを嫌がっていて、騅に何かしら訴えてきたのか?」
真っすぐな目で見上げる総長にそう言われ、僕はバツが悪くなり肩に置いていた手を離し、数歩後退した。
「いえ、そのむしろ……恥ずかしそうにされていて……嬉しい、のかも分からないんですけど、でも好きでもない人に触られるんですよ。内心では――」
言えば言うほど自信が無くなり一歩ずつ下がる僕に、総長は眉尻を下げ肩をすくめた。
「おそらく、昨日の弟の言葉だろう。小説を読んだが、深い仲の意味を取り違えないでやってほしい。あれは言い換えると、親友って意味で言いたかったんだ」
総長は僕の言葉を遮り、呆れたような顔で仰るので僕は身長差がある筈なのに、総長が何故だが大きく見えた。
「そうなんですね……。ですがそれでも、クリスマスの日に2人は……」
僕は反論しなければ、2人の伴侶の立場が無いと思い更に加えようとしたが、ここまで言ってみるとあのとき菅野さんは……むしろ受け入れていたような声だった気がしてきたのだ。
嫌だ、とも離して、とも仰ってなかった……つまりは――
「隊員同士の恋愛事情にいちいち首は突っ込まないが、2人が相棒になった時代よりも多少は寛容になった世界だ。俺が間に入ってどうこうしたら、今度はパワハラだ」
と、総長が煙草に火を付けながら仰るので、僕は初めてハラスメントの基準の難しさを知った。
総長が上から全部言えばいいってものでもない……ある程度の自由を守る為に、きっとパワハラという言葉が出来た。
元からトップダウン型じゃないけれど。
「騅が見たものは、フィルター越しの世界だったんじゃないか? 裾野が全部悪い世界で、菅野を無理矢理云々して伴侶の龍勢淳を悲しませた……大方そんなところじゃないか?」
それから追い打ちのように放たれた言葉に、僕はついに何も言えなくなった。
全くもってその通りだったからだ。
だけどもし2人が一線を越えたなら、それぞれの伴侶はどうなる?
自分とではなく、妻の居る男性に取られるなんて……僕が女性なら耐えられない事案だ。
「じゃあ……それでは、淳さんと弓削子さんはどうなるんですか。どうしたらいいんですか……?」
震える声で紡いだ言葉は、総長に届いているのだろうか。
意を決したお顔で総長は一度生唾を飲み込み、
「龍勢淳は気づいているが、高橋弓削子は気にも留めないだろう。前者は知ってて知らん振りをするが、後者は薬で黙らせる。女性2人はそれを覚悟で結婚したんだろうから、騅が直接裾野と菅野に言っても響かない」
と、呆然とする僕にも分かるように、スピードを落として諭すように仰ると、
「経営者は時に隊員に意思決定を任せてみるべし。それは他力本願ではなく、信頼と尊敬に値する人物であるからだ」
と、デスクに向かって歩きながら仰ると、そのまま総長デスクにお座りになった。
「……僕は裾野さんの事、性的にだらしない方とばかり思っていました。過去を知ってからはフィルターも薄まったんでしょうけど、それでも弓削子さんよりも菅野さんに手を出そうとしていたから、無理矢理言いなりにさせたものとばかり……」
僕は視線を落とし、春の陽光で逆光になる総長のお顔を見ない様にしていると、総長は盛大に吹きだして笑いだしたのだ。
「え!? 裾野が!? 性にだらしなかったら、今頃何百回も菅野に酷い事している筈だろ! 騅は面白い、本当に面白いな!」
そう涙を浮かべながら豪快に笑い転げる総長を見ていると、僕は何てバカだったのだろう、と惨めな気持ちになる。
もっと早く誤解を解いていれば、もっと早く2人に直接訊いていれば、あんな事には――。
思い込みは時に人の価値観をも変えることを、僕が身をもって証明することには……少なくともならなかった筈だった。
2018年4月1日 18時5分(事件当日)
片桐組 迷路の途中
騅
目を瞑ったまま裾野さんと対峙する菅野さんは、どことなく寂しそうで槍にも迷いが出ていた。
素人の僕でも分かる程、菅野さんには裾野さんに対して躊躇しているのが感じ取れた。
相棒だから? それだけだろうか?
本当はあの日の事があるから、攻撃しにくいだけなんじゃないのか。
考えれば考える程、2人が異様に仲が良い事が気になった。
とりあえずで結婚したんじゃないか、とまで考えが及ぶと、流石に頭を思い切り横に振った。
瞳のサイコパス人格に操られている裾野さんの攻撃は、一撃一撃がとてつもなく重く、連戦を乗り越えてきた菅野さんですらも圧倒した。
「……やっぱ……強いなぁ……」
菅野さんは肩を上下させ、口元を袖口で拭いつつ、槍を構え直し地面を蹴った。
数々の相手を倒してきたどんな技でも容易く流してしまう裾野さんに、菅野さんも覚悟を決めたのか、それからは一切躊躇せずに攻撃を繰り出すようになっていった。
すると裾野さんの全身を護るようにガラスの破片が飛び出し、菅野さんの頭上あたりを円を描くように回り始めたのだ。
そうなるとオーラで裾野さんの攻撃を読んでいた菅野さんは、ガラスによって感覚が攪乱させられてしまい、キョロキョロとしてしまっている。
そもそも"ガラス師"は、数年前に父親である後醍醐詠飛さんから没収し、政府の所有物となっていた筈。
何故それを裾野さんが所持しているのか、またガラス玉を飲み込むタイプの能力は扱いが難しい筈なのに……ここまで使いこなしているのか。
全く見当もつかなかった。
「あれ? オーラがめっちゃある!」
菅野さんはどこから倒していいのか分からず、手当たり次第に槍を振っているが、ガラスの破片は再び同じ場所に戻る。
このままでは……だけどあの中を突っ切っていける自信は無い。
そこで石河さんの様子を見ると、「りーちゃんに任せといて」と、口パクで言い、可愛らしくウィンクをした。
一見可愛らしく、そこまで強く見えない石河さんだが、レールガンを菅野さんに向かって撃ったときだ。
どのガラスにも当たらずに菅野さんを輪の中から追い出したのは、今でも殺し屋としても人としても尊敬する。
「ありがとう! レールやったから、石河やんな? 助かったでー!」
と、菅野さんが目を閉じたまま笑顔でこちらに向かって手を振って叫んでいたので、石河さんは微笑んで頷いていた。
――おい、聞こえるか?
そのとき背後からハウリング状態の声が聞こえ、思わず耳を塞いでいると、半透明な何者かが僕の目の前にぬっと現れた。
今思い返せばとても失礼な事をしたとは思うが、突然半透明な人間のシルエットが目の前を浮遊していれば……誰もがこう叫ぶだろう。
「で、で、で、で……出たぁぁぁぁぁぁ!!!!」
僕と石河さんはムンクの叫びが如く頬を両手で圧迫し、飛び上がって叫んでいた。
そのうえ、隠れているコーナーをグルグルと走り回り、最終的には互いに壁にぶつかってようやく冷静になった。
「……ごめんなさい、傑さん」
僕が顔をあげ、側で肩をすくめている傑さんに視線を遣ると、傑さんは掌程も無い小さな鳩柄のケースを差し出した。
これは裾野さんが普段から着けている、平和のコンタクトのケースだった。
ただ、これを僕が受け取っても……菅野さんに渡せる自信がない。背後を取っても、ガラスがあれば別だ。
厳重にガードされているところを見ると、僕ではとても無理だ。
「なぁにそれ? りーちゃんがあの人に渡せばいいの~?」
すると石河さんがひょいと受け取ってしまい、隙をついてレールガンで菅野さんに届けていた。
菅野さんはこちらを見て、軽く会釈をしていたがすぐに次の攻撃を寸前で躱していた。
「助かったぜ。騅、お前どうしたんだよ?」
石河さんに笑いかけながら言う傑さんは半透明になっても色気を放っていたが、心配そうな表情を見るのは久々だ。
「いえ……。僕は近距離専門ですから」
僕は違和感も何も悟られないように言葉を濁し、傑さんが何かを言いかけたちょうどそのときだった。
「な、なんやお前!」
と、胸を押さえて数歩後退する菅野さんに、片手で剣を構えて首を捻る裾野さん。
一体何があったというのだろう? もしかして、大怪我を負ったのではないか!?
「わざとやな? 戦闘中に痴漢とか無いわ、ほんまに!!」
と、間髪入れずに叫んだ事で、僕の中で2人に対する疑心が一気に膨れ上がるのを感じた。
顔を赤らめて体を大事そうに抱きしめる菅野さんに、満更でもないのか口の端を僅かに上げる裾野さん。
……やっぱりそうだったんだ。
抱き寄せようとしたり、突き飛ばそうとしたりして……まるで!!
菅野さんの行動で僕の中で疑心は絶望に変わり、弓削子さんと淳さんの為には僕が行動するしかないと思った。
だからこそ、石河さんと傑さんに気付かれないように裾野さんと菅野さんの背後を取った。
こんな事は殺し屋になってから初めてだった。
藍竜組の稼ぎ頭である2人の背後を取れる日が来るなんて……今まで能力を鍛えて良かった。
並んでイチャつく2人を、心が読める淳さんが見たらどう思うか。また、勘が鋭い弓削子さんが傷つかない筈がない。
たしかに今まで2人の事を応援してきた。
だけどそれは恋愛に発展して欲しいんじゃなくて、相棒としての信頼関係を強固にしてほしい。
だから旅行中の夜に何にも無かったのを残念がってみせたのも、この2人なら裏切らないと信じていたからだった。
何ならイチャイチャしてやろうか、なんて言わないでくれたのが嬉しかった……。
スキンシップだって、それで信頼が生まれるなら良いと思っていた。
それなのに……どうして陰で支えてくださっている淳さんと弓削子さんを裏切れるのだろうか?
弓削子さんとは政略結婚だから多少同情はするが、淳さんとは恋愛結婚なのだ。
――懐からナイフを取り出し、裾野さんの心臓の位置を確かめる。
絶対に許さない。
女性を大事にしないで、裏切るだなんて……僕は絶対に!!
――ナイフを上段に構え、突き刺そうとしたその刹那。
「危ない!!」
と、金切り声で叫んだ石河さんの声で背後に僕が居ることに気付いた2人。
そして狙いが裾野さんだと瞬時に判断した菅野さんは、裾野さんに勢いよく抱き着いて押し倒した。
――これでいい……何かを掠めた感触はあった。これで……これで……。
そのとき、ケースが僕の膝に当たったので視線をそちらに向けると、押し倒している勢いに任せてコンタクトをのめり込ませるように着けていたのだ。
「裾野、怪我してへん!?」
菅野さんはすぐに裾野さんの上から退くと、人格が競争しあっているからか中々目を覚まさない裾野さんを回復体位にした。
「頭は……さすがやな」
と、咄嗟の事とはいえ、頭の後ろに自らの腕を敷いていた裾野さんに、菅野さんは僅かに表情を和らげた。
それから僕を睨みあげると、
「お色気作戦が台無しやんか!! 裾野を連れて帰るんに、殺したら意味な――っ!?」
と、途中まで猛虎の如く叫んでいた菅野さんだったが、僕のナイフの切っ先は菅野さんの脇腹を掠めていたらしく、裾野さんに掛からないように苦しそうに血を吐いた。
これを皮切りに石河さん、傑さんが駆け付け、裾野さんと同じように回復体位にはしたものの、そこからどうしたら良いのか分からない様子であった。
「え……どう、して……」
しかし僕にはこの状況が何一つ呑み込めていなかった。
急所さえ狙わなければそこまで殺傷能力が強くないナイフだから、菅野さんぐらいの強靭な体の人なら掠り傷にしかならない筈。
なのにどうして血を吐いて……倒れ込むのだろうか。
そう思い、切っ先に目線を落とした瞬間……ほぼほぼ無意識にナイフを落としていた。
それは……吐血から徐々に内臓を吐き出させる猛毒を塗り込んだ方のナイフだったのだ。
「…………僕は、どうして……」
手の震えが止まらなくなり、5分もしないうちに菅野さんが息絶える事を考えただけで立っても居られなくなり、力なく膝から頽れた。
「菅野さん!!」
必死に叫ぶ石河さんの声に、何とか首を動かして力なく反応を示す菅野さん。
「しっかりしろ!! モデル殺し屋!」
傑さんが霊体にも関わらず、揺さぶろうとしている。
僕は女性を守る為に元凶である裾野さんを刺そうとした。それなのに、今までずっと味方で居てくれた菅野さんを刺すことになるなんて。
何でいつもこうなるのだ。
「菅野!? これは……!」
2人の叫ぶ声で目が覚めたのか、裾野さんは瞬時に飛び起きるや否や2人を押しのけて周囲の状況を確認した。
そのときに僕とも目が合ったのだが、その目は……元の通り黒くなっていた。
「騅の毒だ……。傑さんは鳩村に話して、毒担当の医者を連れて来るようにお願いしてください!」
傷口と菅野さんの容態から判断した裾野さんは、的確に指示を飛ばしていく。
「石河! ポシェットの中に、ふわふわではなく手ぬぐいのようなハンカチ、無いだろうか!?」
そう叫ばれた石河さんは目を輝かせてポシェットの中を探し、手ぬぐいを取り出すと裾野さんは差し出される前に引ったくった。
「すまない、時間が無いんだ! ……菅野、俺を助けている場合ではないだろうに……!」
裾野さんは石河さんには手を合わせて謝り、菅野さんには頭を撫でながら応急処置に当たった。
ハンカチを体温程に温め、只管傷口を圧迫する。
吐血していたら、必ず血は拭っておく。
この毒を預けてもらうときに、僕が裾野さんに教わった応急処置方法だ……。
特殊な毒だから、解毒剤以外には応急処置ぐらいしかないと仰っていた裾野さん。
懐かしい……。
だけどここまで必死になるのは、相棒だからではなく既に一線を越えたからではないのか。
そう思い、ナイフを取って立ち上がると、よろめきながら裾野さんの背後に立った。
今度は間違えない。
大きく振り上げ、頭に向かって振り下ろしていたとき――
「ふざけんな! きんきら騅が!!」
と、傑さんが医者を連れてきながら叫び、霊体であっても鳩村さんの能力の範囲の為、タックルされても吹っ飛んだのだ。
「たしかに詠飛兄は、女を大事にしろってうっさかったけどよ……なに憶測で私情挟みまくってんだよお前」
と、呆れたようにも激怒しているようにも聞こえる声で言い、不格好にも尻餅をついた僕の胸倉を掴んで自身に向けて引っ張り上げると、
「今、まさに騅は2人の決闘を邪魔したんだぞ、分かるか!? 菅野のお色気だが何だか知らねぇが、その作戦を潰したんだぜ!?」
傑さんは目くじらを立て、全身が痙攣を起こしそうな程の声量で僕を圧倒した。
その通りだ……。勝手なフィルターで勝手に行動をした。
そのせいで本来刺す筈でなかった菅野さんを傷つけ、全員に心配をかけた。
すると傑さんは打って変わって眉尻を下げ、
「俺にやっとのことで勝った奴を……ここで惨めに死なせたら許さねぇ!」
と、負けた悔しさというよりも、何度も傑さんに負けてきた菅野さんを思いやった発言に、僕はようやく目が覚めた。
それに視界が晴れたような気さえしてきた。
これは……僕の中のフィルターが無くなったからなのだろうか。
「申し訳ございません……ありがとうございます」
だからだろう。僕は無意識に傑さんに対し、謝罪と感謝を述べていた。
そうすると傑さんは胸の前で軽く手を振り、「本人の前では今の事、言うんじゃねぇよ?」と、唇に人差し指を当てた。
その仕草は女性なら誰でもイチコロであろう、傑さん独特の色気というものを感じさせた。
「菅野さん、裾野さん、大変申し訳ございませんでした。僕で良ければ出来ること……ありませんか」
僕は背後から声を掛けてしまった為、集中していた裾野さんの肩がビクッと跳ねるのを見た瞬間、
「も、申し訳ございません!! 背後を取ってしまって……」
と、更に言葉を付けたしたが、裾野さんは落ち着いた様子で振り返り、ゆっくり首を横に振った。
「会話は聞こえていた。傑さんも何だかんだ、騅の事を心配していたのだな。そうでなければ、騅が何故俺にナイフを向けるのか分かり兼ねる」
裾野さんは冷静に分析すると、静かに眠る菅野さんの頭を撫でながら、
「今、鳩村の医療班が治してくれているところだ」
と、安堵の表情で言う裾野さんを見ていると、今まで僕は何故この人を元凶なんて思っていたのか、と馬鹿馬鹿しくなった。
それにしても、どうして菅野さんとの事だと分かったのだろう。
「そうなんですね……。何から何まで、ありがとうございます」
僕は医療班と時折医療用語を交えながら話す裾野さんの横顔に向かって言うと、微笑んで軽く頷いてくださった。
「いや。今度は俺が騅に謝る番だ。4年前だったか、あの時のクリスマスあたりから騅の様子がおかしいとは思っていたが、あの日ならマッサージをしていただけだ。本当に申し訳ない」
裾野さんは誠心誠意、深く頭を下げて謝られ、僕は疑心は僅かに残ってはいるものの、「え、その、頭をあげてください」と、ぎこちなく言葉を紡いだ。
すると顔をあげた裾野さんは、正面であれば僕の心が多少なりとも分かるのか、
「マッサージであんな変な声はあげない、と思っているのだろうな。だが何なら今度目の前で見せることも出来るぞ。……菅野は本当に凝り性だからなぁ……」
と、僕の肩に手を置いて言う裾野さんの表情を見るに、絶対に嘘はついていない。
そうなると、全てにおいて誤解だった事になる。
だけどやっぱり、ここに関しては現在になって総長に問いただしたように、正直疑っていたのだ。
その理由は、裾野さんがマッサージだの変な声だの、凝り性だのと言うと、何故かそっちの方に聞こえてしまうという……どうしようもないことからだ。
「は、はぁ……」
それだからか、僕は当時そう言うのが限界だった、という記憶しかない。
そうして傑さんも用が済んだからと言って帰り、半透明医療班の処置も終わった。
帰りがけに裾野さんに「応急処置が完璧でした」と、声を掛けていたが、撤収は幽霊だからか異様に早かった。
やがて菅野さんが目を覚まし、こちら側に居る全員が落ち着いた頃になると、浮かない顔をした裾野さんは、
「菅野を傷つけようとしたこと、全員に順路を回らせて迷惑を掛けたこと、本当に申し訳なかった」
と、深々と謝罪したので、僕らは誰もが訊きたいであろう質問をぶつけようとした。
――司令塔とは誰なのか。
――何故浮かない顔をしているのか。
――自分たちが来るまでに、酷い目に遭ってはいないか。
だけどその疑問を全員が口にしようとしたときに、裾野さんの目が大きく見開かれ、突然首を掻きむしり始めたことで全員の動きが止まった。
「裾野……? どないしたん?」
菅野さんは回復体位の姿勢のまま、裾野さんのパンツの裾を引っ張っていると、あまりの苦しみからか膝をついた。
それで首元が見えるようになったからか、菅野さんも同じように目を見張り、
「何やあの縄のオーラ……めっちゃ太いやんか!!」
と、叫んだと同時刻、僕らの居る迷路に現れたのは…………!!
「"狼狩り"のクセに使えないのですね。全く……冷酷な貴方らしくありませんね……。それとも何ですか、また昔のように感情移入でもしましたか?」
と、賢そうだが慈悲の心も無いような声が聞こえてきたとき、全員が生唾を呑んだ。
まさか……向こうから来るなんてことがあるのか……!?
「く……か、たぎ、り……そ、う……じ……!!」
首を絞められながらも必死に紡がれた人物の名前を聞き、誰もが迷路の先に目線を遣った。
革靴の音だけが迷路に鳴り響き、靴の先芯が見えた瞬間……
「片桐組副総長の私を御呼びで?」
と、裾野さんと菅野さんの攻撃ですら傷1つ付かなかった壁を、いとも簡単に破壊して言うその人こそ……。
――"新BLACK"の主催者である片桐組の副総長、片桐湊司であったのだった。
趙雲です。
体調不良で延期してしまい、申し訳ございません。
数日置いてみて変だと思う表現を変えただけなのですが、なかなか終わりませんでした。
新年度の生活にはようやく慣れまして、だんだんふくよかになってきたような気が致します……。
意識して運動しないとマズいことになりますね。
次回投稿日は、5月6日(日)です。
それでは良い一週間を!!
趙雲




