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監督デビュー

3.


三隅研次は1954(昭和29)年、『丹下左膳・こけ猿の壺』で監督デビューを果たす。

丹下左膳は言わずと知れたはやし不忘ふぼうの時代小説『丹下左膳』シリーズの主人公である。着流し姿で町を歩く素浪人、隻眼隻手ながら滅法腕の立つ剣の達人という設定で、異色のヒーローであるが、それが人気を博し、小説は多くの支持を得、何度も映画化された。が、何と言っても、大河内傳治郎の演じる左膳は有名である。「およよ、しぇい(姓)は丹下、名はしゃぜん」と訛りのある名台詞が有名で、漫才師らがそれを真似て笑いをとることがよくあった。

大河内の他には、嵐寛寿郎、月形龍之介、大友柳太郎、中村錦之助のちの萬屋よろずや錦之介と言った時代劇の名優らが演じている。

大河内左膳は全十六作品があるが、そのうち三隅が監督した『丹下左膳・こけ猿の壺』はその最後の作品である。この作品で三隅は師匠である衣笠貞之助に脚本及び助監督として協力を得ている。衣笠も異色の監督であり、元は自身も新劇出身の俳優であり、かつて女形おやま*として人気を誇ったが、新劇界も女優を用いるようになり女形新派に展望はないと見切りを付け、監督に転身したのであった。衣笠は、日本映画の父とも言われる牧野省三に見出され、黎明期の日本映画に多くの作品を残している。マキノ映画製作所で腕を磨いた後、松竹に移籍し、さらに東宝を経て、1950(昭和25)年に大映の専属となる。この時期に、三隅は助監督として衣笠の下で映画制作について学ぶ。衣笠は三隅の監督デビューに花を添えるために、自ら脚本と助監督を買って出たのである。

* かつて演劇界は歌舞伎のみならず、女性を用いることはなかった。演劇は元々、神事としておこり発達したものであり、女性を排除してきた。その理由は芸事を司るのは女神であるから、女性が舞台に上がるとその女神が嫉妬するからというものらしいが、定かではない。



さて、その『丹下左膳・こけ猿の壺』であるが、ストーリーはざっと次のようなものである。

初代将軍家康公を祀る日光御廟は老朽化し傷みが目立つようになっていた。幕府はその修復をすることにしたが、果たしてそれをどの藩に任せたものか案じているところであった。時の将軍(名前は伏せられているが、左膳が活躍する舞台は大岡越前と同時代と設定されているから、八代徳川吉宗公であろう。)は、湯あみ中に背中を流させていた愚楽爺ぐらくじい<役・高堂国典>にふと訊ねてみる。

すると禺楽爺は伊賀の柳生対馬守が良いのではと話す。聞くと、今となっては二万三千石の小藩に落ちぶれたとは言え、昔、その祖先が莫大な黄金を隠したと噂されていると言う。禺楽爺はその金を吐き出させて御廟の修復に当たらせては宜しかろうと具申する。それを聞き早速、将軍は、それを実行に移す手筈てはずを整える。

幕府は各藩の代表者を呼び出し「金魚くじ」なるものを引かせる。これは座敷に置かれた金魚鉢にそれぞれの代表が一匹づつ金魚を入れてゆき、最初にその金魚が死んだ者が当たりという御神託であり、柳生藩が運悪く当たってしまい、御廟修復の大任を預かることとなった。勿論、これは最初から仕組まれたはかりごとによるものである。

そうとは知らず、柳生藩では対応を思案する。そして先祖伝来の家宝である「こけ猿の壺」には、初代が隠した財宝のありかを記す地図が収められていることを知り、対馬守は我が子を養子に預ける際に引出物としてその壺を渡したことを思い出し取り戻そうとする。

養子先に談判に行った時、その家に盗みに入った女盗賊のお島<役・高峰三枝子>がその話を聞き、壺を盗み出し、子分の「鼓の与吉」に預ける。与吉は追っ手の目を眩ますために、通りがかりの子供にその壺を預けるが、壺とともに子供は行方を眩ます。

子供は与吉の下を飛び出し、逃げ込んだのが丹下左膳の住まいだった。左膳は天涯孤独の身の上の子供と我が身の素性とが相通ずることから一緒に暮らさないかと話し、子供もそれに応じ、左膳のことを「父上」と呼び親しむ。

やがて、「こけ猿の壺」を巡って、左膳と柳生一族らとの間で騒動が起こる。


結末は映画を観て確かめて頂きたいところだが、ソフト化されていないので見る機会は少ないと思う。ただ、同じ題材のものが「丹下左膳余話 百萬両の壺」のタイトルで山中貞雄監督、大河内傳治郎主演により制作されており、こちらの方はソフト化されている。


三隅はこの作品でデビューして以降、時代劇作品を次々に撮っていく。「桃太郎侍」「水戸黄門漫遊記」「四谷怪談」「女妖」「大菩薩峠」などが有名である。

「大菩薩峠」は中里介山の小説であり、何度も映画化されているが、三隅は市川雷蔵を主演にこの作品を撮っている。脚本はまたもや師匠の衣笠禎治郎が書いている。

物語は主人公の机竜之介が大菩薩峠で巡礼の老人を意味もなく斬りつける辺りから始まる。

竜之介は御岳神社の奉納試合で相手の宇津木文之丞の妻から八百長試合をして負けてくれるように頼まれるが、聞き入れず、それどころか手下に命じ、文之丞の妻を誘拐させ手籠めにする。そのことで怒り心頭した文之丞を竜之介は奉納試合で討ち果たす。

何とも陰惨な展開である。

三隅はこの作品で一切の情感を交えさせていないようにも見える。巡礼の老人を惨殺する場面も文之丞の妻お浜を犯す場面も、また文之丞を試合場で叩き斬る場面も市川雷蔵演じる竜之介にはまるで感情というものがないのではと思わせるような淡々とした表情で事も無げにやり遂げていく。

この後、文之丞の弟である宇津木兵馬も無残に討ち果たすのだが、その場面も淡々としている。

狂気と言うのでもない。単にそうあらねばならないという日常の延長のように事がなされていく。

現代の我々から見れば、それは異常に思えるかも知れないが、戦が絶えて久しい時代となっても刀を携える武士の心情とは実はそう言うものであったのかも知れないと思える。憎いから斬るのではない、恨みがあるから斬るのではない。腰に刀を差しているから斬る、それが武士の信条というものだと言わんばかりの竜之介に気持ちを寄せることなどできない。身分としては残しながら時代は最早それを必要としなくなった武士と言うもののアンニュイにも似た感覚が醸し出されているように感じた。三隅は恐らく、時代の変化との摩擦の中で生きる武士の姿を描きたかったのではないか。

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