序章
序章
世界が嫌いなら、
自分の世界を作ればいいじゃない。
誰かが作った世界で生かされるなんてまっぴらだ。
そうだ。
そのために独裁者になろう。
そして誰も苦しまない世界を作ろう
セフィーネの朝は早い。何処からともなく聞こえてくる鶏の鳴き声でベットから這い出してくる。
キングサイズのベットであるのに、ベットとして機能している箇所はシングルサイズより小さめであるが、セフィーネにはそれでもちょうどいいのだ。ちなみに、ベットを占拠している物は大量の本だ。
慎重にベットから足を下ろそうとしている床には、いくつもの本の塔がそびえ立っていた。下手に当たれば隣接する塔を倒しかねないので、ここは特に気を使う。
ベットの周りにある本の塔は、そこだけではなく寝室中にあり本の迷路が出来上がっていた。幅は人が横になってギリギリ通れるくらいしかない。しかし、セフィーネは特に気にするでもなく器用に迷路を潜り抜けていき、あっという間にテラスへと通じる大きな窓へと辿り着く。
レースのカーテンの隙間から暖かい朝日が差し込み白く輝く窓辺からは、赤レンガを敷き詰めたテラスと、広大な庭、そしてそこから海まで見渡せる絶景が待っていた。
昨日は雨。あれだけ降れば翌日の天気は――
「晴れ!」
晴れ渡った青空への喜びから、つい手に力を込めて窓を開いたせいで、本の塔による大迷路が大きな音を立てて連鎖反応で崩れ去った。
セフィーネは一度後ろを振り返っただけで、あまり気にすることもなく裸足でテラスへ歩き出す。レンガが少し冷たくて少し身を縮めた。
「うっう――ん」
空気には春の香りが伴っていた。空は青空が広がっていて快晴である。
朝戸風がテラスを撫で、レースがあしらわれたネグリジュの裾と、桃色がかったセフィーネの長い髪がフワリと宙を舞う。少し冷たい風だが、まだ残っていた眠気を吹き飛ばすちょうどいい風だった。
「ありがとう」
それに答えるようにまた、セフィーネの髪が舞った。
「さてと」
セフィーネは、右手を広げ、親指と中指をくっ付け勢いをつけて親指を擦る。
――パチン!
と、小気味のいい指パッチンが鳴るはずが不発に終わる。もしこれが成功していたら、銀河ネットワークラジオが起動するはずだった。
「む」
高台に位置する広大な庭を有しているセフィーネの西洋風の屋敷には彼女一人しかいない。それでも、カッコつけようとして失敗したらそれは、恥ずかしい。
また、負けず嫌いの性格がある者ならば次こそ成功させようと挑戦するだろう。セフィーネも、歩いて三分もかからない寝室へ行き端末に触れればいいものを、人一倍負けん気が勝るセフィーネにはその手段は論外であった。
――数分後。
テラスには、古めかしい音楽が流れていた。
結局セフィーネはあきらめて、論外の手段を選んだ。
不発続きで、指が擦れて真っ赤になっていたからだ。
(もう、誰よ。こんな紛らわしい設定を入れたのは・・・・・・)
セフィーネは不機嫌そうにアンティーク風の木製の椅子に腰掛ける。
その設定を入れた本人は誰にぶつけるわけでもない不満をブツブツ零しつつも、屋敷中に流れるノイズ交じりの古めかしい音楽に耳を傾けていた。
――ガサガサ。
陽気にうとうとしていたセフィーネは、ハッと目を覚まし音のする方角を凝視する。この屋敷は周囲を山で囲まれているため隣人はいない。屋敷もセフィーネの一人住まいだから使用人もいない。そうすると今座っている椅子から数メートル先にある垣根の奥で音を立てる犯人は動物であろうと推測できる。(なんだ。ネコかイヌあたりか)
そう思いまた眠気がやってきて、二度寝の機会を余すことなく掴もうと――
「いだっ」
は、出来なかった。
セフィーネの前に、垣根を越えて男が倒れこんできたのだ。
「あいたた」
突然やってきた闖入者にポカンと口を開けて驚いていたセフィーネは、ヨロヨロと立ち上がった男と鉢合わせしてしまった。
数秒間時間が止まった。
「あ。す、すみませ―」
「きゃああああああああああああああああああああああああああああああ――――」
セフィーネの絶叫が屋敷中に響き渡った。
男はまだ若い少年で短めの黒髪に、どこか見覚えのある服を着ていた。
少年は、生地の薄いネグリジュを身にまとった少女から突然悲鳴を発せられたことで動揺しアタフタしていた。そして、こんな大きなお屋敷なら今の悲鳴を聞いて人が集まってくると思い一目散に、少年は倒れこんできた垣根へと飛び込んだ。
そこは急斜面となっていて上り下りするのは容易ではない。
案の定少年は途中で足を滑らせた。
「うわあああああああああああ――」
悲鳴が斜面の下から漏れその後、バリ、バリ、バキという何かが折れる音が続く、そして最後にグシャという嫌な音を最後に何も発せられなくなった。
ただ森で羽を休めていた鳥が驚いて飛び上がっただけ。辺りには、ラジオからながれる曲だけのいつもの庭に戻った。
下手に触れば火傷しそうな足跡を伴いセフィーネは通路を闊歩していた。すれ違う人々はセフィーネに気が付くと挨拶をしようと口を途中まで開きかけて、そしてそのまま黙り込んだ。今言葉をかけるのは大変よろしくないと判断したからだ。だが中には、条件反射で「あ。おはようございます」と声を掛けてまるで親の仇でも見るかのように睨みつけられ、半泣き状態で固まってしまう不幸な人もいた。
セフィーネは、丁寧な装飾が施されたドアノブを握るとアンティーク風のドアを半ば蹴り開けるように中へ入った。
「おはようございます」
中に入るとまず補佐官が挨拶を交わし、いつも以上に乱暴な開け方でドアを閉め、そして立派な大きな机に備え付けられた、これまた立派な皮の椅子へ体を投げ入れる。
「な、なにかありましたか?」
この状態は、何やらとてつもない事態が起こったのではと、黒縁メガネをかけた金髪の男の心の中は冷ややかではなかった。
何せこの少女は普通の少女ではない。見た目は十一〜十二歳くらいの子供であるがこの火星には居なくてはならない重要人物なのだ。
補佐官が下手に触って蛇を出さないように、いつもどおりに少し温めの紅茶をそっと出すと、セフィーネはそれを乱暴な手つきで一気飲み。
その様を見て、これはただ事ではないと補佐官は背筋にヒヤリ、と冷たいものを感じた。
ソーサーにティーカップを置くと、への字に結ばれた重苦しい小さな口が開く。
「ある人物を探して欲しいの」
そう大声で言い放った。
室内に居ようが、人と会おうが、いつも帽子をかぶっているためその表情は伺いしれないが、肩がわなわなと小刻みに震えている様子から、酷くまずい状態だと理解できた。
川のせせらぎがすぐ側で聞こえその音で目を覚ますと、小川の側に倒れていた。
少年は体を起こすと体の怪我の程度を見える範囲で確かめる。
頭に少し痛みがあるのと両手の甲に擦り傷があるがいたって無傷であった。あの急斜面から転がり落ちたハズなのに。
「しかし、びっくりしななぁ。あんなところに人が住んでいたなんて」
服に付いた泥を叩くと、少年は斜面の上を見上げた。
(綺麗な女の子だったなぁ)
大きなお屋敷で偶然出会った桃色髪に青い瞳が美しい少女。その姿を見たのは一瞬であったが一瞬であったため、より脳裏に焼きついていた。
しばらくぼーっとしていた少年はハッと我に返り、ズボンのポケットを漁った。そこから出てきたのは、少年の顔写真がついたカードだった。
太陽に透かすと、桜の花びらの透かしがカードの四隅にあしらわれてあり、中央には同じく桜の花びらが付いた紋章がある。見た目は普通のカードだが、なかなか凝った作りでそこには『プルーム学園学生証 長崎・銀次郎 Nagasaki Ginzirou』と書かれある。
ポケットに学生証があったことに安堵して、銀次郎は時計に目をやる。最後に時計を見たときは朝の六時で今は九時になろうとしていた。
(まずい。かなりまずい)
まさかこんなに時間が掛かるなんて。
指定された時間は今日の夕方、日が暮れるまで。
それまでに手続きが進まないと失効してしまう。
せっかく掴んだチャンスを逃すわけにはいかない。なんせ地球でも名門と謳われる『プルーム学園』から留学生として招待状が届いたのだから。近くの公立高校にギリギリは入れるかどうかという成績の自分に留学生の資格があるのかと三日三晩考えた。亜空間ネットワークでもこの学園の公式ページは無く、他の人間に聞くと「プルーム学園は変人の集まりで、その者の隠された素質を見出し、それをより高みへと導くことをモットーにしている。火星の住民なら苦も無く入れるが留学生となれば別で、学園が選んだ人物しか入学させない。月の大富豪が天才ともてはやされる一人息子を留学生として迎え入れるように要請したが断られ、目もくらむような金額の寄付をすると伝えても頑として受け入れなかった。しかもその話に似た噂が複数あるというのだから、よほど変人の学園であろう」という意見が返ってきた。
当然家族は大喜びして、親戚や近所の人達まで集まって壮行会を開いてくれた。
火星に到着して学園の寮に来るまではよかった。
悲劇は、翌朝起こった。
学園から送られてきた資料には、入学手続きを期間まで行なわないと資格を失効すると書いてあり、銀次郎は真っ先に手続きをしようと必要書類を揃えて学園の事務室に出向こうとした。が、それは先延ばしにするしかなかった。
寮の部屋で持参する書類を確認していたとき、一匹の鳥が舞い込んできて書類の中でも一番欠かせないモノ、この学生証を咥えて飛んでいってしまったのだ。今思うと、何故あの時窓を閉めておかなかったのかと、後悔が後悔を呼んでしまうがこうして取り返すことができたのだから、結果よければ全てよしだ。
しかし、普通鳥が学生証を咥えていくかとはなはだしく疑問に思うが、さすがにこれだけの装飾を施してあるんだから鳥が巣の材料にしようと思うのは無理ないか。
銀次郎は学生証を今度は大切に胸ポケットにしまう。
下ろし立ての制服は泥を払ってもしつこい汚れは落ちず、かなりみすぼらしい。丸一日山の中を、学生証を咥えた鳥を探していたのだから当たり前だった。斜面から転げ落ちもしたし。
期限までは半日ある。この姿で事務室を訪ねるのはいささか失礼にあたる。
(一度着替えてから出向くか)
その時。
銀次郎は、自分が窮地に立たされているとは知る由も無かった。