七 キャバレー
「月は何でくっついてくるか知っているか。」
「ずっと遠くにあるから、こちらが少しくらい動いても見え方が変わらないんだよ。」
「お前は何も解っちゃいない、1たす1は2みたいな公式通りに物事は運ばないんだ。」
冬の夜道でそんなやり取りをしたことがあった。
今夜は雨が降り出しそうで月はなかった。
「ちょっと月を見にいくぞ、女房には内緒だぞ。」
普通の父親は「お母さんには」でしょ、だから「あのひと」なんだよ。
そして、普通の父親は子連れでキャバレーには行かないと思う。
「未成年お断り」の貼り紙があったけれどあの人は無視していた。
階段を地下に降りると大音量の音楽が迫る。
「あら、遅かったわね。」とおばさんが出迎えた。
「社会見学にガキを連れてきた。」
「さあ、ふたりともどうぞいらっしゃい。」
うす暗いなかにミラーボールが回っていた、目がくらんでしまった。
「土産に寿司を仕入れたから皆で喰おう。」
「じゃ、お茶を煎れるから、ちょっと待って。」
「ビールでいいよ、こいつもな。」
乳房をはだけた女の人たちが集まってきた。
「あら、かわいい、私も一緒していいかな。」
「抱っこしてもいい。」
「ちょっと止めなさいよ。」
ガシャーン!と音を立ててスタンドが倒れた。
誰かが足を引っかけたらしい。
「形あるものはすべて壊れる。」とあの人。
「さあ、座った、座った。」とおばさん。
「やっぱり、お前は先に帰れ。」
助かった。
「じゃあ、私が見送ります。」
「太郎君、お願いがあるの、これでケイコと食事してあげてね。」といって白いものを手渡された。
明るいところで紙をひろげると四つに畳んだ千円札があった。
お金は汚いもの、なのかな。
紙の裏側には南口の喫茶店の名前と地図があった。