二 延命地蔵
昭和の国分寺シリーズ第二回は駅の連絡通路から北口の延命地蔵までです。
「おう、どうせ馬の帰りだろ、長いツラしやがって。右も左も判らんのはてめえだ。」
あのひとの左手は既に相手の襟首を掴んでいた。
駅の南北を継ぐ通路は狭い高架でホームに降りる階段に支えられていた。
東京競馬場前発のチョコ電がホームに着くと無数の靴が溢れ出した。
「この通路はな、電車が着くと競馬野郎どもが一斉に駆けてくるんだ。皆お揃いで馬面してるから、不思議なもんだ。ほらな、」
黒い靴の群れを見ていたら、急に目の前が活字だらけになって、新聞の匂いがした、顔にインクが付いたかな。
「ちょっと待て、この野郎。」
「ここは左側通行ですよ。」
「子供を突き飛ばして規則がどうのと、つべこべ言うな、馬面野郎。」
「馬面野郎?」
「おう、どうせ馬の帰りだろ、長いツラしやがって。右も左も判らんのはてめえだ。」
あのひとの左手は既に相手の襟首を掴んでいた。
とっさにポケットからパチンコ玉を一つ取り出すと、掲げて訴えた。
「ごめんなさい、おじさん、僕がパチンコ玉を拾おうとしてぶつかったんだ。」
「これは、悪かったな、おじさん。
俺はさ、タケシバオーよりはシンタロー派だよ。」
あのひとは呆れるほど爽やかな笑顔で、握手を差し出した。
危ない、その手に乗ったら、おじさんは右手を捕まれて、顔を連打されるはずだった。
とりあえず何か叫んで止めなければ。
「パチンコ玉ハ、錆ビテイルホウガ入ルヨネ。」
あのひとは一瞬驚いた顔をしてからこちらを睨めつけて、笑った。
「せがれがこれじゃ、馬がどうのといえないなぁ。都商事の社長が喜びそうだ。」
と、いなくなった相手に言うと、見物人たちもお開きになった。
「その錆玉、どうした?」
「延命地蔵サンノ前デ拾ッタ。」
「延命ってあの北向きの、、、よし、そのガセ玉一発で運試しをするか。」
ポケットから残りの錆玉を一掴み取り出して差し出した。
「それじゃ、ゴト師だ。」
北口に出てチェリー文庫を右に、自転車だらけのはたまん前を通る。商店街には盛大な七夕飾りが垂れ下がっていた。
「これだけ熱いと一雨来るな、七夕飾りが台無しになりそうだなぁ。お地蔵様に、願掛けするぞ。」
お地蔵さんに手を合わせていたら鼻から熱いものが滴った、指で拭うと血だった。
「お前が適当な嘘を付いたからバチが当たったんだ、そのガセ玉とお菓子もお供えしな。」