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「いらっしゃーい!」

 田舎の街角にある居酒屋に入ったみたいなノリで立花先輩は歓迎してくれたが、その瞬間に鈴森が身を翻しかけていたのをおれは見逃さなかった。事前に彼女の性格は伝えてあったのでまさか無茶なことはしないだろうと高をくくっていたのが間違いだった。

 表情を固くしている鈴森の退路をさりげなくふさぎつつ、おれは初めて目にした文芸部の部室の窮屈さに驚いていた。

 部屋の大きさは普通の教室の半分もないだろう。

 さらにそのほとんどが用途の分からない備品で埋め尽くされているため、三人も部屋にいると息苦しさを覚えるほどだった。

 部屋の中央に、普段使っている机が三つ、額を寄せるようにくっつけられている。

 その内の一つには先輩のものなのだろう一昔前のノートパソコンが置かれていた。それ以外に私物らしい私物は見当たらず、部室というよりも物置の隅に居候しているような印象だった。

「さ、お菓子もジュースもあるよ」

 そそくさと鈴森に席を用意する。

 鈴森と先輩の紙皿の上にはチョコドーナツが置いてあり、なぜかおれの分だけはポッキーが二本、箸のように乗せられているだけだ。

 さらにジュースも女性陣のカルピスに対しておれに与えられたのは麦茶だった。

 この時点で泣きたくなったし帰りたかったのだが、こんなことで心を折られて鈴森のお願いごとを無視するわけにもいかない。元はといえばおれの方から依頼したことなのだから、もう少し辛抱しよう。

「あの……」

「うん? どうしたの?」

 餌を目の前にしたカメみたいに喰い付いている先輩が、間違って鈴森まで丸呑みしてしまうのではないかと心配になる。身の危険を感じたのか肩を縮ませながら口をわずかに開いて喋ろうとしている彼女が可哀想に思えてきた。

「帰っても、いいですか?」

「ごめん、ムリ」先輩は微笑んだ。「もうちょっとだけ話を聞いて行ってよ。ね、いざというときはそこにいる男に助けてもらえばいいじゃない?」

 おれがどうあがいても立花先輩に敵わないことを隠しながら説得する。

 それ以上の反抗は性格的にできなかったのか、鈴森はうつむきがちに先輩の話を聞く体勢になった。ジュースにも菓子にも手を付けようとしない。

 最後まで食べないようだったらおれが頂こうと考えているうちに先輩はいつぞやの部誌を披露しはじめた。『猫缶』である。そういえばまだ目を通していなかった。帰ったら先輩の作品だけ読んでみよう。

「……読んでみてもいいですか?」

「どーぞどーぞ。今度の『猫缶』には真司くんも作品を載せる予定だから、期待しててね」

「そうなんですか」

 意外だというふうに丸っこい瞳を向けてくる。

 おれだって成り行き上そうならなかったら、絶対に小説を書こうなんて思わなかったはずだ。普段から読書なんてしないし、ましてや日記すらつけていない。読書感想文すら満足に書けないようなやつが物書きの真似事をしようというのが間違いなのだ。

 おれは鈴森にどう返事をしたらいいかわからず、二本しかないポッキーをかじった。

「ちなみに、鈴森さんは小説を書いた経験はあるかな」

「――えっと」恥ずかしそうに声を小さくする。「ちょっとだけ」

「なるほど、なるほど」

「でも全然下手くそで、それにつまらないし」

「別にいいんだよ」

 先輩は鈴森に向かってだけ話しかけているわけではなさそうだった。気楽なふうを装っているが口調はいつになく真剣で、先輩であることを改めて認識させられる。

「小説なんて気楽なものでいい。自分のやりたいように、自分の好きなことを綴っていけばいいだけ。みんな堅苦しく考えすぎなんだよ。教科書で明治文学ばっかりやってるからいけないんだね。だからヘンに敷居が高く感じる。本当はもっと、幼稚園児がクレヨンで落書きするみたいに書き散らかせばいいんだよ。それを笑う奴がいたらあたしは許さない。さすがにそれで稼ごうって心づもりならいくらでも批判を受けるべきだけどさ、あたしらみたいに誰かに読んでもらって一言『面白いね』って褒めてもらえるだけで満足できるような人たちはややこしいこと考えずにやればいい。そのためにペンネームっていう便利なものがあるし、最近はネットにも投稿できるようになったからいくらでも発表の機会はあるわけよ」

 息継ぎの合間に、立花先輩は一口カルピスをあおった。

「うまくなろうという意志は必要だろうけど、無駄なプレッシャーを感じることないよ。ダメ元で書いてみてさ、ほんの一節だけでも誰かの心に残る作品になったなら、それはすごく素敵なことだと思わない?」

 おれたちは無言だった。

 心打たれていたのかもしれない。先輩の情熱を馬鹿らしいと思っていたのかもしれない。どちらだか自分でもよく理解できていなかった。

 だけど、たぶん、おれの抱いていた感情はそのどちらでもなかった。

「チャンスは誰にでもあるんだよ。ほんの少し勇気を出してみようよ」

 鈴森は口を結んだまま机の木目を見つめていた。

 空気を入れ替えよう、といって先輩は教室の窓を開け放った。まだ夏には早すぎるが、せせこましい部室は汗ばむくらいに暑くなっている。古臭いノートパソコンの排熱よりも三人もの人間がいることが原因みたいだった。

 生暖かい風が抜けていく。

 勢いのない春風は『猫缶』の表紙をわずかに揺らした。

 エアコンがないので、夏の間はさぞかし暑くなることだろう。ワープロを叩くだけならば涼しい図書室でも作業できるから、部室にとどまる必要性はないのかもしれない。

 けれど先輩はきっとこの部屋で小説を書くのだろうという確信があった。誰もいない場所でひとり、世界を練っていくのは孤独だろうと思った。

「文芸部には立花さん以外、誰もいないんですか」

 遠慮がちに鈴森が尋ねた。

「いちおう後輩に幽霊部員がいたんだけどね。結局部活に来なくなってやめちゃった。いまはどうしているのか、わたしは知らないけどね」

「ひとりきりでも部活はなくならないんですか」

「先生の温情で残してもらってる。いまは超少数精鋭とはいえ昔からある部活らしいし、後輩さえ入ればまた復活できるって信じてるから。だから今年は勝負の年だったんだけど」

 誰も入部しなかったのは仕方ないことなのかもしれない。

 よほど小説を愛しているというのでもなければわざわざ三年生の先輩がひとりしかいない部活を選ぶ物好きはいないだろう。加えて、さっき先輩が説明していたようにネットに投稿するなど、執筆した作品を見て貰う方法はいくらでもある。

 それならスポーツなり楽器なり、個人では続けにくいものを選択するほうが自然だ。

 おまけに『猫缶』は文芸部以外からの投稿を受け付けているというから、入部するメリットはほとんどないといえる。ある意味、絶望的なまでに魅力のない部活ではあった。

「そういえば先輩ってどうして文芸部に入ったんですか」

 ふと思いついた疑問を口にしていた。

「なんでって、小説を書きたかったから」

「それだけですか」

「正直いうとカッコいい先輩がいたっていうのもあるし、あんまり厳しい部活には入りたくなかったのもある。まあ見ての通りうちは緩いから居心地はすごく良かったんだよね。いまじゃただの狭い物置だけどさ、数年前はみんなでワイワイガヤガヤやりながら切磋琢磨してたのよ」

「想像つかないですね」

「まあね。その頃も人数は少なかったけど『猫缶』の厚さは倍くらいあったし、活気もあったよ。カナも時々来てたし」

「姉貴が?」

「そ、イケメン先輩目当てだったけど。一回だけ『猫缶』にも詩を載っけてたっけかな。これは秘密だけどね」

「へえ」

 意外だった。

 下ネタばかりで文学センスの欠片も無さそうな姉貴が過去に詩を作っていたとは。どんな内容だったのだろう。顔に似合わず純朴な恋愛とかをテーマにしていたのかもしれない。

 しかし、そんな昔から立花先輩と交流があったとは。先輩が我が家に出没しはじめたのは姉貴たちが二年生になってからだったので、てっきりその頃に仲良くなったものだと思っていた。

 よく姉貴の部屋にこもって二人でぺちゃくちゃ際限なく喋っていたのを覚えている。

「なかなか素敵な詩だったよ。だからきっと真司くんにも才能があるはずだって」

「おれはおれ、姉貴は姉貴ですよ。似てたら困りますから」

「あたしにいわせれば、そっくりだけど」

「どこが」

「素直じゃない性格が」

「そーですか」

「鈴森さんは兄弟とかいないの?」

 話の矛先を変える。

 あまり会話に参加してくるタイプではないので、置いてけぼりにならないよう先輩が気を使っているのだろう。今日のゲストなわけだし。

「いないです」

「そっか。じゃあ、中学で部活なにやってたの」

「吹奏楽部です」

「へー、すごいね! なんの楽器?」

「クラリネットです」

「そうなんだー」

 まるで職務質問みたいな会話だ。親睦を深める方向に発展しそうにない。クラスでもそうだが鈴森が饒舌になっている場面を見かけたことはないから、話題を広げるのは難しいだろう。

 なにか共通の趣味で盛り上がれないだろうか。

 たとえば読書とか。良いアイデアな気がする。

 おれは先輩に口の動きだけで「読書」と伝えようと試みた。我ながら上出来だった。

「トクホ? お茶飲みたいならまだあるよ」

 空気を読まず、おれの口の動きも読まず、先輩はまださほど中身の減っていないコップに麦茶をなみなみと注いでくれた。ちっとも嬉しくない。

「違いますよ。そうじゃなくて」

「なに、お菓子はあげないからね」

「ポッキーで十分です。せっかく先輩を手助けしようと思ってたのに」

「なになに、教えてよ」

「――あの」

 突然、鈴森が意を決したみたいな表情をして口を挟んだ。

「あの、ごめんなさい、けど、ちょっとだけ先輩とふたりきりで話したいんですけど、いいですか」

 おれと立花先輩はふたりで目を見合わせた。

 突然なにをいい出すかと思えば、先輩とサシで会話したいらしい。なにかおれが邪魔な事情でもあるのだろうか。それとも、先輩に心を許して、おれが必要なくなったのだろうか。

 どちらにせよ帰らせてもらうのに反対する理由もない。おれは紙コップぎりぎりまで注がれた麦茶を一息に飲み干すと、鞄を手に立ち上がった。

 残っているのは空になった紙皿とコップだけ。

「それじゃ、おれは帰りますね。あとはお二人でごゆっくり」

「うん、ありがとね」

 先輩が笑顔を見せる横で、鈴森は小さく頭を下げる。ショートカットと呼ぶには少し長すぎる黒髪が降りてきて、彼女はそれを耳にかき上げる。いまどき染めていないほうが珍しいくらいだが、きっと茶色や金にすることはないだろうと思わせるくらい、指通りの良さそうな黒髪だった。

 どうして髪の毛なんかに注意がいったのかわからない。けど、その光景はやけに強く印象に残った。

 薄汚れた教室のドアを閉じる。もう、なかの様子は知ることができない。おれはため息を付いて、家路につくことにした。鈴森とはいっしょにいるだけで疲れる。それはお互い様かもしれないが。

 グラウンドの方から野球部だかサッカー部だかの悲鳴にも似たかけ声が聞こえてくる。おれは教師がそばにいないのを確かめてからイヤホンを両耳にはめた。

 帰ったら、本でも読んでみよう。そんな気分だった。

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