3
授業終了のチャイムが鳴る。
その瞬間、机に突っ伏している生徒たちは一斉に顔を上げ、そそくさと帰り支度をはじめる。なかには最初からノートも教科書も鞄にしまってあって部活へとかけ出していく人もいる。
厳しい運動部ではたとえ授業が伸びたせいで遅刻したとしても言い訳無用でペナルティが与えられる。それがグラウンド十周だか二十周だかしらないが、とにかく余計な練習を与えられるのは無意味だ。
それが部活全体の規律を守るのに必要だと説明されたが、結局のところ無駄な圧迫感が増しただけだった。おまけに連帯責任という非常に不可解で非合理的なシステムのせいで部活内の雰囲気はギスギスしていたように思う。
ただでさえ足手まといのおれはなんとか遅刻しないように、授業が終わると猛ダッシュで部室に向かったものだ。ときには部着を授業前に着込んで、あとは上に羽織った制服を脱げばいいだけということもあった。
いまは急ぐ必要こそない。が、違うプレッシャーを感じていた。
おれは横目で隣に座っている女生徒の行動をたしかめる。
部活には入っていないという話だったから支度を済ませるとそのまま寄り道もせず自宅へ帰るのだろう。動作はゆっくりだがためらっているとチャンスを逃してしまう。
小さく息を吸い込んでからおれは彼女に声をかけた。
「あのさ」
口は開かず、視線だけで「なに?」と返してくる。
少しばかり気が重いが、やるしかない。立花先輩にはすでに鈴森を今日中に引き合わせるという約束を取り付けてしまった。おれの心臓のあたりをうろついている不快なわだかまりをちょっとでも解消しようと試みた結果だったのかもしれない。
「今日の放課後、用事あるかな」
「……どうして?」
鈴森は小動物みたいに警戒心をあらわにして質問を返した。
ただのクラスメイトでしかない男子から放課後の予定を尋ねられれば疑いたくなるのも当然だろうが、ここまで露骨に反応されるとさすがに落ち込む。
おれは動揺を気取られないように答える。
「会ってほしい人がいるんだ。二つ上の先輩なんだけど、鈴森のこと話したらすごく興味を持ったみたいでさ。ぜひともアポイントを取ってくれって。あ、ちなみに女の先輩だから大丈夫」
なにが大丈夫なのか知らないが付け加えておく。
奥手そうな外見からして、十中八九、鈴森は男に慣れていない。
たかが性別が違うというだけでこちらのことを針でさす害虫かなにかと勘違いしているのではないだろうか。おれも他人のことをとやかくいえる立場ではないが、いくらかでも信用してほしいものだと思う。
人見知りだと自分のことを形容していたのを思い出す。どちらかといえば人間不信だ。
「その人、百合?」
「ユリ?」
「レズ」
「ああ、そのことね」合点がいった。立花先輩すら疑っているらしい。「前に本が好きだっていってたじゃん。だからひょっとしたら小説書くのも好きなんじゃとか思って先輩に報告したんだ。その先輩文芸部でさ、絶賛部員募集中なんだよ」
「そう」
「ちょっと会うだけでいいから。別に無理に入ってもらおうなんて考えてないし、先輩もいい人だから平気だよ」
「井原くんが」と彼女はいった。「入部すればいいのに」
「おれには無理だよ。これっぽっちも小説なんて書けないし」
昨夜のことを思い出して、胃の奥がじわりと熱くなった。
とっさに笑いながらごまかすが、知らないうちに眉間に皺がよっていた。この感覚は大嫌いだ。
「だれにでも書ける。小説なんて」
「鈴森さん、書いたことあんの?」
「べつに」
そっけなく返事をされる。
相変わらずおれのことを疑っているような表情をしている。鈴森は机においてあったものをすべて鞄に詰め終えると動きを止めた。どうやら机の中に教科書を放置していくタイプではないらしい。
おれはポケットから携帯電話を取り出し、時間を確認した。
とりあえず先輩とは文芸部の部室で落ち合うことになっている。今まで場所さえも知らなかったが、物置同然の小さな教室を使っているのだと教えてもらった。
そこまで鈴森を引っ張っていけばミッションクリアだ。
おれは改めて彼女の横顔をうかがった。この誘いをどう捉えているのかさっぱり見当がつかないが、心底嫌がっている様子ではない。
「行こうぜ」
ここは思い切って強引に行くべきだと判断し、催促すると、以外にも素直に席を立った。おれが部室まで案内しようとした矢先に、か細い声でこういった。
「途中で帰らないでね」
「え」
「帰ったら怒るから」
正直、鈴森が先輩に押し切られてしまうのは目に見えていたので、罪悪感をなるべく減らすためにも彼女を引き渡したらすぐ逃走しようと計画していたのだが、正面から頼まれてしまっては断りようがない。
おれはぎこちない笑顔を浮かべながら、わずかにうなずいた。