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 お茶の間に置かれたノートパソコンを起動させる。家族共用のパソコンなので姉貴や両親が使っていない時間帯を見計らって奪い取らなければならないのが辛い。我が家ではワープロを使うのも一苦労だ。

 宿題以外にはインターネットを利用することがほとんどないので、タイプするのにも時間がかかる。

 まずはブラインド・タッチを覚えることから始めたほうがいいだろうか。手元に視線をやらないで打ち込めるのは見栄えもいいし、実用的だ。

 そんなことを考えながら人差し指だけでパスワードを入力する。

 亀みたいにのんびりした動作で画面が切り替わっていく。もう少し高性能なパソコンがほしいものだといつも思う。

「宿題?」

 リビングで大の字になって寝転がっている姉貴が訊いてくる。これで立花先輩と同じ高校三年生だというのだから驚きだ。もうちょっとは乙女の恥じらいとかを自覚してほしい。少なくともパンツを半分はみ出させながら漫画を読んでいる姿は、女子高生の理想から程遠い。

「そんなもん」

「成美の要望は聞いたんでしょ。あんた文芸部に入るわけ」

 成美というのは立花先輩のファーストネームだ。

 脅迫まがいの交渉が終わってから、おれは体の前半分を雨に濡らして帰宅した。久しぶりに走ったせいで息は荒く上がり、玄関に倒れこむようにして転がり込んだおれを迎えたのは呑気にアイスをかじっている姉貴だった。

 おれが部屋のことを尋ねると、こともなげに

「嘘に決まってるでしょ。私だって弟のプライバシーをむやみに侵害したりしないわよ。だいたいあんたが夜の間に色々やってんのは知ってるし、今時スマホがあるんだからアナログなものなんて使わないでしょ」

 といってのけた。

 本当ならば言及しなければならない点がひとつ存在しているたのだが、その時のおれは安堵でいっぱいになり些細な事まで思考を回す余裕がなかった。

 結局あのことは聞けずじまいである。

「文芸部になんて入らない。ちょっと部誌――『猫缶』だったっけ――に載っける小説を書いてほしいって頼まれたから、ちゃっちゃと完成させるつもり」

「ふーん。頑張ってね」

「姉貴が書いてもいいけど」

「私がやったら官能小説になりかねないからやめとくわ。あと一年で卒業だっていうのに退学とかなりたくないし」

「ってかそんなもの書くなよ」

「好きなようにやればいいって成美もいってたし」

 姉貴が書く官能小説なんて読みたくもない。

 頭の中がピンク色なんじゃないかと疑いたくなるくらい日常的に下ネタを振ってくるし、その内容も年々ディープになっているので、おそらく発禁レベルの中身になることだろう。

 自分の肉親だと信じるのが嫌になる。

「あ、そういえば成美からちゃんと監視するように厳命されてるんだった。完成したら私のとこに持って来なさい。検閲してあげる」

「どうせ赤ばっかりだろ」

「それはあんたの文才次第よ。意外と隠れた才能が有るかもしれないし。まあ十中八九ないだろうけど」

「こんなもの一時間で完成させてやらあ」

 息巻いてワードを開く。書体や文字の大きさは後で調節すればいいだろう。最初に決めなければいけないのはなんといってもタイトルだ。

 夏休みの読書感想文につけるハリボテのおもちゃみたいなタイトルではなく、小洒落た響きのある言葉がいい。それに、できることなら短い単語で頭に残るようなやつにしよう。

「なあ、どんなタイトルがいいと思う」

 と姉貴に聞いてみる。

「さっそく挫折してんじゃない」

「こういうのは他人の意見を聞いたほうが良質なものになるんだよ。なんだっけ、ブレインストーミングってやつ」

「なんか間違ってる気がする」

 姉貴はそう前置きして、思案するように天井に視線を這わせた。

「そうねえ――『ノルウェイの人間失格』とか『吾輩は人間失格である』とか、『国境の長いトンネルを抜けると人間失格』なんてのも面白そう」

「どんだけ人間失格させたいんだよ」

「主人公が真人間だったらつまらないから、クズなくらいでちょうどいいのよ」

「そういうものなのか?」

「あんた文豪と呼ばれる人の経歴でも勉強したら。みんな精神を病んで結局自殺してるの。そのくらいの精神状況じゃなきゃ名作なんて書けっこないわ」

「別にそんな高尚なモノを望んじゃいない。さくっと書けて、ほどほどに面白いのが作れればそれでいいんだ」

「適当にやるって宣言してた割に妥協しないのね」

「立花先輩に馬鹿にされるからな」とおれはいった。「あの人に笑われたくない」

「成美はそんなことしないわよ」

「するね」

「あんたちょっと他人様のこと悪くいいすぎ」

 姉貴の口調はむすっとしていた。それに唇がへの字に曲がっている。こういう時の姉貴の機嫌はとても悪い。

 お説教になると長くなりそうだったので、おれは口をつぐんでパソコンと向き合うことにした。

「別にあんたのことなんて誰も気にしちゃいないし、貶めようなんてなおさら思ってない。ちょっと自分が失敗したからって八つ当たりしてんじゃないわよ」

 そう言い捨てて、二階の自室へと姿を消した。

 腹いせに思い切りドアを閉める音が聞こえるのを待って、おれはこっそりため息を付いた。

 急に怒り出す人間は嫌いだ。せめてもうすこし予兆らしきものを出して欲しい。怒りたくなったら胸のボタンがピコピコ光り始めるとか。そうすればお互いに面倒な感情を抱かないよう回避することが出来る。

「あーあ、やんなっちゃったな」

 誰に向けるわけでもない言い訳をして。

 おれはパソコンをシャットダウンすると、すぐ横においてあった携帯ゲーム機に手を伸ばした。かすかな罪悪感が胸をよぎる。

 まだ時間はある。

 ネタを考えるのは後からでも間に合うだろう。授業中にでもゆっくり探せばいい。そう弁解しながらスイッチをオンにする。

 聞き慣れたはずのゲームのBGMが、色褪せて聞こえた。

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