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 外はすっかり夏の気分に染まっていて、入道雲がゆっくりと太陽の前を横切っては巨大な影を地上に映し出す。気の早いセミはもう張り裂けんばかりの求愛をはじめ、ワイシャツには汗が滲むようになった。あれだけ立ち込めていた梅雨の面影はすっかりなくなって暑い季節が飛び出してくるのを待つばかりだ。

 もうすぐ夏休みになってしまう。

 授業はあと何回も残されておらず、もっぱらテストの返却にあてがわれている。

 だいたい想像していた通りのつまらない成績が知らされたところで、なんの感慨もなかった。赤点以上、平均未満。そんなところだ。

 隣の鈴森とは一切口をきいていないし、もちろん立花先輩にも会っていない。姉貴とはなるべく顔を合わさないよう部屋に閉じこもる毎日だ。

 正直、学校に来ること自体苦痛だった。

 はやく夏休みになってほしい。夏休みになってしまいさえすれば、おれは解放される。

 おれのものではない、誰か先輩が残していったのだろう傷跡だらけの机でアルバイトの情報誌を眺めていると、頭上から気楽そうな声がかかった。

「お、真司バイトすんの」

「まあな」

 元サッカー部の級友に答えながらページをめくる。そいつの顔ははやくも日焼けで黒くなっている。髪こそワックスで整えているがワイシャツのボタンは胸元まで大きく開かれているし、ズボンの裾も巻いてある。なんとも暑苦しい格好だった。

「なにやんの、ファミレス?」

「たぶんコンビニとか、そのへん」

「へー、金稼いだらなんかおごってくれよ」

「やだね」

 なぜこいつごときに金をやらねばならないのか。

 夏休みの暇と退屈を潰すためのアルバイトがもたらしてくれるものは、いったいなんだろう。高校一年の夏をかけて得た金はゲームや漫画や服で使い果たすのだろうか。

「じゃなにに使うんだよ」

「知らね。貯金とか」

「つまんねーな、ぱーっとみんなで遊ぼうぜ。もち真司のおごりで」

「だからやだって」

「じゃーサッカーの試合観に行こうぜ。もち真司のおごりで」

「悪い。サッカーは嫌いなんだ」

「嘘つけ」

 そいつは笑いながらおれの背中を軽く叩いて、他の友だちのところへいってしまった。蝶々みたいに移り気なやつだ。

 窓の外に目をやると、海の方から入道雲が首を伸ばしている。どうやら夕方くらいには雨になりそうだった。どうせ家にいるのだろうおれには関係のないことだけど。



 放課後のチャイムが鳴る。

 すでに荷物を詰め込んでいた鞄を肩に引っさげて、すぐさま教室を退場しようとしたところで鈴森が行く手を阻むように椅子を引いた。そのまま動く気配がない。おれのほうを見ようともしない。

「邪魔だからどいてくんないかな」

「立花先輩が、絶対に連れてこいって」

「悪いけどそのつもりはないから」

 そういって強引に押し通ろうとすると左腕を掴まれる。振りはらえばすぐに放してしまいそうな華奢な手だった。それでも逃がすつもりはないらしく、制服の袖口に指を絡めてくる。

 教室のなかはざわついていて、後方のおれたちに気を留めそうな雰囲気ではない。夏休み前の浮かれた空気が全体的に漂っているせいか、誰もかも楽しそうだった。

「放せよ」

「やだ」

「先輩にもお前にも関係ないだろ」

「『猫缶』の原稿は書いてもらうから」

 そのつもりも、準備もまったくしていない。夏休みにさえ入ってしまえば締め切りはなくなりおれは『猫缶』の呪縛から逃れることが出来るのだ。

 文芸部員になった鈴森にとっては重大な話かもしれないがおれに責任はない。元々、半ば脅される形で納得してしまったのだ。あんな脅迫まがいに結ばれた約束に意味なんてあるはずもなかった。

「だったら鈴森がおれの名前を使って書けばいいだろ。なにを書いてるのか知らないけどあれだけのスピードで進めてるなら二人分くらい余裕で作れるだろうし」

「それじゃ、意味ない」

「おれが嫌々やっても意味ない」

「本当に書くのが嫌いなの?」鈴森はおれの目を真っ直ぐ見つめて訊いた。意外と長い睫毛をしている、と思った。「そうは思わなかったけど」

「嫌いだね。あんなもののどこが楽しいんだか」

「私は好き」

「だからっておれも好きな理由には――」

 廊下を猛然と突進してくる革靴の足音が聞こえた。もう逃げ切れないことを悟り、おれは腕の力を抜いた。鈴森は警戒を解くことなくおれの制服を掴んでいたが無意味なことだ。

 いつかは先輩と話を付けなければいけないとは思っていた。姉貴とのつながりがある以上、立花先輩から姿をくらまし続けるのは不可能だ。鬼気迫るようでいて無表情な先輩と鈴森に両脇を抑えられながら文芸部の部室へとおとなしく連行される。途中、廊下の窓に雨粒が打ちつけられているのが見えた。外はいつの間にか黒く染まった入道雲で覆い隠されていた。土砂降りになりそうな天気だ。

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