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 期末テストの勉強はいつもどおりに一夜漬けだったが、中学の頃と変わらない要領で乗り切ることが出来た。おそらく今回も平均点より少し下くらいの成績が返ってくることだろう。十分に及第点だ。労力が少ないに越したことはない。

 先輩に一方的な喧嘩別れをしてから、おれは一度も文芸部の部室を顔を出していないし、鈴森と会話をすることもなかった。

 日付を確認すると、締め切りまで一週間も残されていない。

 印刷と発行は先生にかなりの無理をいって続けてもらっているらしく、一日でも入稿が遅れれば『猫缶』は作れないのだという。おれはあれから一度だけ、ペンを取ってみた。だが、原稿用紙にみっちり書き込まれたプロットは眺めるほどアホらしくなってしまい、結局やめた。

 まだボールをリフティングしていたほうがマシというものだ。

 ボールを落とせば、自然にはじめられるのだから。

「ねえ」

 不意に鈴森がいった。

 あまりに声量が小さいのと、こちらに顔を向けようとしないので、話しかけられているのか怪しかったが、彼女は再び「ねえ」といった。

「なんだよ」

「もう来ないつもりなの」

「まあ」

「先輩、残念がってたよ」

「あっそう」

「ねえ」

「なんだよ」

「わたし、あなたのこと嫌いだと思う」

「は?」

 それだけいって、あとは黙りこくってしまう。

 おれだって鈴森みたいな根暗は大嫌いだといい返してやりたがったが、教室でそんなことをすれば女子に糾弾されるのは間違いないし、男からも批判の眼差しを向けられるだろう。

 伝えたいことだけ伝えて、自分は読書に逃げている鈴森をありったけの力で睨みつけ、おれは深く呼吸をした。気分は落ち着きやしなかったが、怒鳴りつけるのだけは回避できた。

 最近、イライラしっぱなしだとは自覚している。テスト勉強が原因なのか、小説が原因なのか、先輩が原因なのか。どれもそうで、それも違う。

 おれが何より嫌いなのは、たぶん、自分自身なのだと薄々感づいてはいた。ただ、それを認めたくなかっただけのことなのだ。

「二次創作って知ってる?」

 唐突に鈴森が質問した。

 本を読む姿勢のまま、口だけを動かしている。おれも対抗するように黒板のほうを見つめながら答えた。

「知らねーよ」

「漫画とかゲームとか、既存の作品の世界観やキャラクターをそのまま使って新しい作品を生み出すこと。わたしは、ずっとそれに励んでた」

 いきなり自分のことを語り出したので驚いたが、からかうような雰囲気ではまったくなく、おれは素直に耳を傾けた。腹立たしい思いはすこしだけ脇に寄せておこう。

 鈴森にも鈴森なりの事情があるのかもしれない。

「もちろん周囲には明かさなかった。そうだと打ち明ければ気持ちがられるのはわかってたし、自分だけでひっそりと楽しんでればそれで良かった。いまはネットもあるから同じ嗜好をしている仲間はたくさん探せた。そういう身内でこっそり賞賛しあって楽しめればいいと思ってた」

 鈴森は平坦な口調で続ける。まるで壊れたテープレコーダーが淡々と音声を流しているみたいだった。

「はじめたときはもちろん下手っぴだったけど、そんなわたしをみんなは温かく受け入れてくれた。面白いっていってくれた。人見知りはネットのなかでも相変わらずだったのに優しかった。だから私はもっと小説を書こうとした。もっと褒めてもらいたかった」

 東京から引っ越してきたという鈴森は、前の学校でも同じように無口な少女だったに違いない。うまく学校生活を送っていたのかどうかも定かではないし、ちゃんと友達がいたかさえ怪しい。

 すくなくとも今の学校では目立たない生活を送っているみたいだ。数人だけど友人も出来ている。しかし、それが以前もそうだったという証明にはなりえない。

「口下手で面白い話はできないし絵も描けなかったけど、小説はいくらでも練り直せたから、わたしはたくさんの時間を費やして取り組んだ。たぶん上達はしていたんだと思う。ちょっとずつファンも多くなって、有頂天になった。けれど、あるとき、匿名の誰かにボロボロに批判された」

 それは衝撃的な体験だったという。鈴森のなかで形成されていたプライドは切り刻まれ、自信の牙城は崩落した。誉められることしかなかった彼女は脆かったのだろう。

 おれは鈴森の横顔から表情を読み取ろうとしたが、平静と大差ない、パーツの揃ったシルエットが見えるだけだった。

「その人は二次創作全体に対しても厳しかった。レベルの低い連中が身内で傷の舐め合いをしているだけだと指摘した。それはその通りだったと思う。優しすぎるぶん誰も批判をしようとしなかったから。わたしはそれが悔しくてたまらなかった。下手くそな自分が嫌だった」

 無感情だとばかり信じていた鈴森にも悔しいという気持ちが芽生えるのか。先輩は小説のすべてを認めると豪語していたけど、それも優しすぎる好意なのかもしれない。スポーツと違って目に見える結果が出にくいため良いか悪いかの判断基準が難しいのだろう。

 おれは鈴森の読んでいる小説に思いを馳せる。

 この小説を書いたどこかのプロも、きっと何万人といる物書きの競争を勝ち抜いたトップレベルの人間なのだ。そう、ただの素人なんて世間は見向きもしないのだから。

「たくさん練習もした。けど私は二次創作に慣れきっていて、普通の小説はどう書けばいいのか知らなかった。こんなときに引越しが決まって、高校生になって、ちょっとドタバタしてたせいもあって、私は小説からいったん離れた。その時間は執筆から逃げているわけだけど、どうしても苦しくて気分が落ち着かなかった。そんなとき井原くんが立花先輩に会わせてくれた。私はあの人に『小説がうまくなりたい』って気持ちを包み隠さず伝えた。先輩なら全部受け止めてくれそうな気がしたから。その予感は間違ってないと確信してる。だから井原くんには感謝してる。怖がっていた私の背中を強引に押してくれたから」

 おれは鈴森のためになるなんてまったく意図していなかったのだが、結果的に良い方向に転がっていたらしい。実をいうと先輩と一緒に脅すようにして勧誘してしまったので内心嫌がっていないか心配はしていた。どうやらそれも徒労に終わったようだ。

「だからこそ、井原くんが前に進めないでいるのを見るのはイヤ。他人のことは無神経に突き放せるくせに、自分はずっと悶々と悩んでる。ちょっと前の私にダブって感じるから嫌い。それだけのこと」

「――ずいぶん自分勝手だな」

「そっちもね」

 そして会話は終了した。

 いまだにお互い心が通じ合っているわけではないけど、すこしは鈴森の考えていることが知れて安心した。それと同時に、おれの両肩にかかる期待が重みを増した。もう期待を裏切るのはやめたいのに。おれにできることは期待通りの成果を出すことではなく、最初から期待されないことだけなのだから。

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