(30) 暗殺組織
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「…で。失敗したまま戻ったことについては、素直に認めるのかな?」
強力な因子通信を頭蓋に直接叩き込まれて、私は目眩と吐き気を抑えることが出来ない。それでも部下たちの前で、無様な姿を晒すことはできない。気力で必死に体を支え、額から脂汗の滲み出るのを堪えたまま、短く答える。
「はい。認めます。ボス」
ここは、どの国にも属さない中立外回廊の外郭。
つい1周旬ほど前に、碧色の森泉国の式典部と諜報部が、異界送り用の術符を頒布するために設営した坑道内の仮住居だ。
用を終え、証拠の隠滅後に放棄されたその横穴内の廃墟となった施設を、我々は異世界からの帰還後の仮隠家としている。
運良く異界送りとなる直前の隠れ場所に近い白暮の石塔国の外れにある白の泉の水中へと転移することが出来た我々は、人目に付かないことを最優先に、この中立外回廊の外壁に掘られた隠住居へと身を隠したのだ。
「…しかし、我が組織にとって有益な情報も持ち帰りました」
私はボスのように、相手の頭蓋に直接因子通信を送るなどという強力な能力を一人で発現することなどできない。いや、この基盤全体を探しても、それほどの強い因子通信を操れる従者はいないだろう。弱々しく、自らの口から音声を吐き出すことしかできないが…ボスはどこに居ようと、その微かなつぶやきを聞き漏らすこともないらしい。
「ほう。それは、それは。単なる言い訳でないのなら、ぜひとも聴いてみたいね。その有益な情報というのは?」
「あの世界では、ご存じのとおり要素が永続して存在できずに、短期間で因子の能力を発動することができなくなります」
「いまさらな情報だね。だから、彼の世界は、我々にとって魅力の欠片もない流刑地に過ぎない扱いを受け続けてきたのだろう?で…どこが有益なんだい、それの?」
ボスの口調は、威厳を感じさせるようなものではなく、むしろ友だちと話すときのようなくだけた口調だ。だが、それが逆に私を萎縮させる。緊張に体中の筋肉をきしませながら、それでも自分の有用性を認めて貰うために話し続けなければならない。
「しかし、過去に何人かの流刑者は、鍵の因子を発動して帰還を果たしています」
「それも知ってるよ。だから君たちも帰って来られたんだろう?」
「そのとおりです。しかし、帰るための要件は非常に複雑かつ困難です。実際、私も帰ることができない可能性も覚悟の上の任務でした」
「うん。その点は、君の…君たちの覚悟を組織としては大いに評価しているよ。優秀な君たちを異界の塵として失わずに済んで、我々組織としては非常に喜ばしい限りだ。………だから、そんなに萎縮しなくてもいいんだよ?ハル君。君と、君の一族であるクロコ・ロップルの衆を、組織としては今回の失敗だけで不要だとみなすことはない。安心したまえ…そんなに緊張すると、君の因子から微弱に発せられる思念を読み取りにくいじゃないか。リラックスしたまえ」
「は…はい」
ふぅ…っと、私は大きく息を吐く。私だって、ハル・クロコ・ロップルを名乗る以上、クロコ・ロップル暗殺一族の長として毅然と振る舞う必要は誰よりも知っている。
「ボスへお届けする価値ある情報として、その第1ですが…」
「おぉ、ワクワクするね。早く教えてくれたまえよ」
「異世界では、要素は我々の体内に短い時間であれば備蓄が可能であるという事実です」
「…ほぅ」
「実際には、意識して保有するということは困難ですが、私があちらの世界の時間単位で約2週間を過ごすにあたり、事前に白暮の石塔国の辺境に隠棲していた異世界からの帰還経験もつ老婆から聴き取っていた情報は事実でした。
体内や周囲に偏在してた要素の気配が、時間の経過とともに弱まっていくのを私は注意深く感じ取りながら、帰還の為に必要な分量を残して姫とその従者たちへの暗殺を図っていました」
「ふむ。なるほど。しかし、2週間というと…こちらでいう約15周刻にあたるということだろう?…実はここだけの秘密だが、僕も異世界へは行ったことがある。帰還のための条件揃だけの間を、とても要素を保持したまま過ごせそうには思えなかったから、即座に鍵の因子を発動させて帰還したよ。転移の直後なら、まだ世界と異世界の境界が曖昧なままだからね」
「ぼ、ボスも帰還経験者だったとは…。恐れ入りました。しかし、ボスのお感じになったとおり、私も任務でなければ直後に帰還をしたいという想いを抱きましたが、風の従者と水の従者に次に鍵の因子を発動可能な周期を測らせたところ、運良く要素が欠乏しきる前の約15周刻後になら帰還が可能だと分かったため…それまでに姫と従者たちを亡き者として、帰還できるように準備し、事に当たっていたのです」
ボスからの因子通信はすぐには返って来なかった。私のような組織の末端にある者は、組織の全容を知ることなど不可能だが、私がボスと呼ぶこのくだけた口調の彼以外にも、組織には幹部がいるようで、ボスは時々こうして間をあけ、どうやら幹部たちと相談をしているようなのだ。
「…今のは何?…聴き様によっては、単に『運良く帰れそうだったから、任務を途中で放棄して帰ってきました』っていう意味にも取れるんだけど?」
「そうではありません。任務を完了できなかったことについては、いかなる処罰も覚悟しております。しかし、過去に数周刻以上、異世界で過ごした後に帰還を果たせた者はおりますでしょうか?」
「…ふん。確かに、我々が調べた限りの伝承や実例でも、長くて2~3周刻だね。偶々運良く帰還条件が連続で整った場合の奇跡のような運の持ち主だけだ。歴史上にも、何十人とはいないだろうね」
「私は数人しか知りません」
「で?」
「人数が多ければ、それだけ長きにわたって要素を保持できるようなのです」
「君や君の一族が偶々、そういう体質だってことを自慢したいのかい?」
「いえ。我々だけでなく、暗殺対象の姫とその従者の数も同じ程度の人数でしたが…向こうも、我々と同じ長期に渡って要素を保持していたようなのです。そうでなければ、力を失った相手など、我々の死の因子の前に簡単に下すことができたはずなのです」
「ふぅうん…」
そう言って、またボスからの因子通信は途切れた。
「…じゃぁさ。君は大勢で異世界に行けば、数人で行くよりは長期間要素が使用可能だからって、それで何が有益だと思うんだい?」
「ある程度、自由に異世界との間を行き来できる可能性がございます」
「あははははははは。暗殺業から足を洗って、異世界への観光旅行会社でも興そうっていうのかい?」
「ご冗談を。ボスなら、私が何を考えているのか、当然お察しだと思いますが」
「…ふむ」
今回の依頼主である碧色の森泉国ダルガバス宰相は知らないようだったが、各国の王にとって異世界から希にではあるが帰還する者があることは周知の事実だった。奇跡的な帰還者が持ち帰る異世界の高い技術を窺わせる装飾品や、その語る話は夢のような話ではあったが、王たちはそれが本当ならば他国に先駆けて異世界との交流手段を見つけて優位に立とうと、帰還者を他国の目に触れないように隠蔽して研究をしているようだった。
しかし、必ず帰れるという保証はない。むしろ帰れない可能性のほうが断然に高い。仮に帰れるとしても、異世界で帰還条件が次に揃うのがいつかは行ってからでないと測れない。そして、それが想定以上に長ければ要素の欠乏という事態に陥り、帰還を果たせなくなる危険性が高いのだ。帰還者を囲うということは、王たちにとって吟遊詩人を囲うことに等しい程度の意味しか実際にはなく、本気で異世界との交流が可能だと考える王も皆無だと言えた。
「…王たちよりも、我々の組織が上に立つ。その切り札にできるやも知れぬ。…君はそう言いたいのかね?」
「御意」
「なるほどね。不確定要素が多くて、まだ、使い道は見えてこないけれど、面白い情報ではあると認めよう。で、第2は?」
私としては、今の話だけにしておこうという気持ちになりかけていたが、さすがにボスは、私が始めに「第1ですが…」とこぼしてしまった一言を聞き逃してはいなかった。
「…異世界人に、不思議な力を操る青年がいました」
「不思議な力?」
因子の能力が当たり前、そして詠唱者という魔法使いのような存在も知られているこの基盤世界にあって、「不思議な力」などという表現は滅多に使われることはない。それだけにボスの興味をひいたようだ。
「何と表現して良いのか…私にも分からないのですが…。異世界にありながら、我々と同様に因子の能力を使っておりました」
「ふむ。過去の流刑者の子孫なのでは?」
「そうかもしれません。しかし、そもそも要素が欠乏した世界で、厳しい訓練により使いこなすことが可能となる因子の能力を当然のように使うなど…考えられるでしょうか?」
「ふむ。では、我々が知らぬだけで、最近、異世界へ流されたこちらの人間では?」
「それも…そうかもしれない…のですが…しかし、我が組織の情報網に引っかからないような異世界送りの発動など…」
「うん。考えられないね。アレは、一般レベルの因子使いにだって感知出来るほどの影響が周囲に及ぶからね」
そしてまた、ボスの因子通信は少し間を開ける。
「…不思議ではあるが、所詮は因子の能力なのだろう?不思議というのは?そんなことなのかい?」
「いえ。…その者は、他の者の因子の能力を勝手に引き出し、また我々の因子の能力を不思議な結界でねじ曲げて防いでいたのです」
「………それは…僕にも出来ない事だね」
やはりボス程の力の持ち主でも無理なのか…。ボスに話せば、力の謎が判明するかとも思ったのだが…。
「面白い。けれど、それは異世界にある。僕には確認しようがないな」
「意味の無い情報だったでしょうか。申し訳ありません」
「いいや。意味はあったよ」
ボスの因子通信の力が強くなる。私はやっと耐えていた頭痛がさらに酷くなり、ついに片膝をついた。
「今の話を聞いて、僕は君の任務放棄を、やはり放置しておくことができなくなった。だってそうだろう?…姫とその従者たちだけでも、帰還してくる可能性が捨て置けないのに、そこにさらに不思議な力をもった青年までいるとあっては…。
暗殺の依頼主碧色の森泉国ダルガバス宰相は、異界送りから帰ってくるものがいるなんて信じてはいないが、念のためにということで我々を雇ったんだ。組織の大事な戦力の一部を異世界に一緒に送られるという損失に対し、僕はかなりの見返りを既にダルガバス宰相から受け取ってしまっているんだよね。
そこにのこのこと姫たちが万が一にでも帰ってきてしまったら…組織としては立つ瀬が無いということさ」
「…は、はい」
「ということで、僕の顔に泥を塗ったままということは無いだろうね。ハル・クロコ・ロップル君?」
私は、極度の緊張のあまり呼吸を忘れた。
「数周刻中に、連合国か森泉国のいずれかの詠唱者たちによって、異界送りの術式を発動させるように組織として手配する。
君は、いつ異世界へ送られても良いように、2度目の失敗をしないだけの準備をしておきたまえよ。人数が多ければ…という君からの情報だが…残念ながら一度の異世界送りで異世界へ送ることができる人数にも限りがあるからね。
しかも、君の情報を僕は信じるけれど…組織に所属する全一族が信じたわけではないからね。申し訳無いけど…また、君の一族だけで行っておいでよ」
私は無様な姿で跪いているのを部下に見られたことを苦く思ったが…部下たちもボスの因子通信の余波を受けて全員倒れているようだった。
「じゃぁ。こちらも異界送りに向けて色々と両陣営に吹き込まないといけないから…忙しくなるんで、この辺で失礼するよ。僕を今度はガッカリさせないでくれよ。組織の中でも君たちを一番買っているのは僕なんだからさ。
期待してるね」
その因子通信を最後に、私は圧力から解かれた。
ぜぇはぁ、ぜぇはぁと、鍛え抜いた自分が信じられぬほどに息を乱している。部下たちが意識を失っており、無様な姿を見られずに済んだことを、喜んで良いものか…複雑な気持ちのまま…私も崩れ落ちて、しばしの眠りに落ちたのだった。
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