(20) 混沌の血脈<2>
・・・
「・・・」
親父と兄貴、そして俺。本来、3人暮らしのこの家の、それほど広いわけではない台所に、姫様ご一行+αの総勢14名が黙ってお茶をすすっている姿は、とてもシュールな光景だった。
4人掛けのテーブルの西側と南側に、姫様とナヴィン爺さんの二人が、それぞれ腰掛けている。それを取り囲むように、むさ苦しい従者達の面々が、直立不動でお茶の湯飲みを口元に両手で当てている。
テーブルの北側と東側を空けてあるのは、遅れて台所に来るであろう兄貴と俺が座る場所として、気を使っているのだろうか?
そんなことを考えながら、俺が東側に腰掛ける。最後に、北側の席。ラサさんに背もたれを引かれたのに対して「…どうも」と一応の礼を返して、兄貴が腰掛ける。
兄貴を除く全員が、まず俺を見る。俺は、お茶を口にしながら、そんな皆を順に見返したが…さっきの兄貴の妙な指摘が頭から離れず、姫様と目が合いそうになった時、俺は慌てて目をそらした。しかし、そらした先には偶々…そう、偶々だよ…クアのそこそこ豊満な胸部があって、しかも、俺の目線の移動に気づいたクアが、「あは」とかいって谷間を強調する姿勢を取ったりするので、俺はお茶を吹き出しそうになる。
何とか堪えて、荒い息をつきながらお茶の湯飲みを両手で抱えてテーブルに寄りかかるように俯く俺。兄貴は、冷たい目線を斜めに、俺の後頭部に向けてしばらく見つめてから、おもむろに言葉を発した。
「この家は、親父の所有物だ。親父が不在の時は、俺が責任を預かっている。…そこの、どっかに下宿中の浪人生に何かを頼んだって、期待する答えを得るのは無理だぜ?」
もう、ほとんど全部の会話を盗み聴いていたとしか思えない、核心をついた発言をいきなりする兄貴。その目線は、手元の湯飲みの中。「お、茶柱発見。やはり今日も俺は最高のコンディションだ」とか、小さな声で、独り語へと移行する。
ラサさんとジンさん、姫様と爺さん。後ろのそれぞれの従者隊の一同が、顔を見合わせて軽く頭を傾げる仕草を、そろってしている。やがて、兄貴の言葉の意味を覚ったのか、ラサさんが代表で、恭しく頭を垂れてお願いモードに入る。
「…これは、さすがマモル殿のお兄さま。話がお早い方とお見受けいたしました。私を始め12名の従者隊。母国では姫様の警護の他、部屋の掃除、食事の支度、庭の草刈りから植木の剪定…雑事一般、速やかにこなして見せることが可能でございます。お兄さまの手足として、ご自由にお使いいただいて結構でございますので、何とぞ、我が姫様を、こちらでゆっくりとさせてはいただけないでしょうか?」
あれ?…姫様だけ?俺が、今の発言の微妙な奥ゆかしさに首を傾げると、「…私たち従者隊は…まぁ、最悪、近くの空き地などで、気配を消して…」ごにょごにょと、筆頭従者らしくない歯切れの悪さで語尾を小さくする。
「ワシは?」…と、ナヴィン爺さんが自分を指さしてラサさんと姫様を交互に見ているのを無視して、兄貴が、ふぅ…とため息をつき…
「…風呂は、さっき自動制御のスイッチを入れてきた。とりあえず、そこのランプが入浴可の状態に点滅したら、好きな順番で入ってこい。初対面で言うのも何だが…少し臭うぞ?」
兄貴の思いやりがあるんだか何だか微妙な申し出に、姫様は顔を赤らめて俯き、クアは自分の腕をクンクン嗅いでいる。ラサさんが、表情を明るくして…「では!」と言うと…
「…あわてるな。まずは風呂だけだ。寝泊まりについては、親父の了解も得ないといけないが…。護、お前、道向かいの離れ屋に行って、蜘蛛の巣が張ってないか見てこい」
「え?じゃぁ、全員、面倒見てもいいの?」
若干、捨て猫を拾ってきた時のような受け答えになってしまったけれど、俺は不気味なほどに物わかりの良い兄貴に、とりあえず感謝して、指示通り、道向かいの離れ屋へ蜘蛛の巣確認に走った。「お掃除なら我々が…」と、従者隊のみなさんも、機敏に後をついてくる。
・・・
道向かいの離れ屋。
元々、赤の他人の老夫婦の所有する家屋だったが、夫を亡くし、都会に住む息子夫婦から一緒に住むように言われて引っ越すこととなった年老いた婦人が、見ず知らずの人に売るよりは、ご近所の誰かに買って欲しいと願い出たため、親父がキャッシュでポンと買ってあげた物件らしい。
そこそこに小金持ちな親父だ…と驚いたものだが、相場より相当に安い価格で買いたたいたという噂も聞いた。買ったものの、男3人家族に離れが必要なワケもなく…物置小屋として贅沢に半放置されている。
蜘蛛の巣は、それほどでもなかったが、やはり埃はひどく、従者隊が気合いを入れて掃除にかかっていた。…ま、あんた達が使うんだから、満足行くまで綺麗にしてね!…俺は、異様な速度で掃除と片づけを進行し、ついでに雨漏りやら家具の傷みまでも修繕していくのを、片頬をひきつらせて見守っていたが、やがてそれにも飽きて、先に台所へ戻ることにした。
・・・
「ワシも理由はわからんが…ワシと同じく、もう数十年前に、こちらの世界へ来た男で、この世界の娘と所帯を持った奴もいるが、ちゃんと子を為しておるぞ。おそらく、その逆も可能じゃろうて?」
俺が台所へ戻ると、姫様が涙目になって顔を真っ赤にしている。相当に居心地も悪そうだ。
もしかして、さっき俺に言ったのと同じことを、姫様にも質問したのか?…こ…交尾とか?いや、あの様子からすると、もっと突っ込んだ質問したのかも!!!?
「ふうぅん。じゃぁ、少なくても男型の生殖構造は、こっちの男と互換性があるということか?…子ども生まれてくるからには、遺伝子構造的にも類似している…染色体数が同じ…というか、遺伝子とか存在するのか?お前等?」
うわぁ~!!!姫様たちに何て言う失礼なことを!
「ワシも、向こうでは学者の端くれだったからな。お前さんと同じような疑問は考えたことがあるぞ。さしずめ、お前さんは、魔術的な何かこの世界には無い力で無理矢理子を成したとか、そういう可能性も含めて言っておるんじゃろ?面白い発想じゃが、それは、生まれてきた子が、ずっと安定して成長していくことを説明するのには無理があるじゃろうが?」
「…ふむ。因みに、爺さんが知る例の中で、孫まで成した例はあるか?…子までなら、ある程度の染色体の近似で出来る場合があると聞くが…」
「ワシ自信が、そんなに大昔からコチラに暮らしているわけじゃないのでな。この目で確認したことはないが…おそらく孫の例も伝え聞いたことがあるぞい」
「ふうん。じゃぁ、『交雑』ってレベルじゃなくて、体の構造上は同種と呼べる程度の同一性があるってことか…。女型がこっちの男性とくっついた例は?あるのか?」
その発言に、また姫様が縮こまる。
「う~む。どうかのう」と茶をすすり、そこで戻った俺に気づいて、ニヤリと笑う。嫌な予感。
「そっちの弟君が、そのうち実証してくれるんじゃないかの?」
ふぉふぉふぉ…じゃねぇ~よ!このジジイ!
別に俺は、まだ出会って10日余りの姫様に…そりゃぁ、若干の好意は持っているけれどさ…こ…交尾とか…じゃないや、付き合いたいとか、け、結婚したいとか、そういう大それた感情を抱いているワケじゃないんだから。
「…すまぬが…それは、無理だ」
そうだよねぇ。無理だよね?…!!!!!!って、姫様?残り少ないお茶を、ジッと見つめながら姫様が、起伏の少ない抑揚でつぶやく。
「私は、我が祖国へ帰還した後には、父王の命に従い、他国と関係を強固とするために指示された国の王家の者の妃とならねばならぬ。…そのように、定められているのだ」
はい?…今どき、そんな古風な…って、異世界に「今どき」とか言うのも変だけど…女性を政治の道具みたいに使うのって…どうなの?
「ん?男尊女卑的な文化体系なのか?」…兄貴も同じ感想らしく、そう質問した。
「ダンソンジョヒテキ?…」…言葉の意味を理解出来ずに姫様が固まると、ナヴィン爺さんが代わりに、「あぁ、そうでもないぞ。国同士の力関係によっては、末っ子の王子が婿に出されることもある。まぁ、そこそこには公平なもんだ」と答えた。そこで、ようやく兄貴が俺の方に向かって言葉を投げる。
「良かったな。お前が、一人で盛り上がる前に、お姫様がお前とは無理だと教えてくれたぞ。…どうしても、異世界の女型と契りたかったら、もう一人のほどよく巨乳で陽気な姉ちゃんの方にしとくか?」
きょ…巨…って、兄貴!しっかりチェックしてやがるんだな。クールな振りして、やっぱりあんたも男だな…とか、考えてる場合じゃなかった。別に、姫様に未練があるとかでは無い…と思う…けど、俺は思わず余計なことを聞いてしまった。
「も…戻れなかったら?」
俺の質問に、一瞬、動きを止めた姫様。数秒間の沈黙のあと、「そうだな。その時は、こちらで幸せに家族を持つというのも…考えてもよいのかもしれぬな…」と、表情を和らげて言った。
「ほう。その覚悟が、本当に決まったら。いつでも、俺の研究室で、被検体として体中調べてやるから、申し出ろ。それなりのまとまった収入は保証してやる」
「あ、兄貴、シャレだとしても笑えないよそれ…」
「誰がシャレだと言った。俺は本気だぞ?」
「って、聴きようによっては、なんか口説いてるようにも聞こえるし…」
「おぉ。面白いな。お前がヘタレでお姫様をモノにできそうにないなら、俺様が、異世界の女型とこちらの男性の間での生殖の可能性について、自ら実証実験をやるというのも一興だ」
姫様は、俺たち兄弟の自分をネタにした酷いやり取りに、目を白黒させて困り果てている。「ケダモノ兄弟じゃの!」…ナヴィン爺さんも、目を丸くして驚きの言葉を吐く。俺は、兄貴のペースを崩すために、深呼吸をして、反撃した。
「兄貴。さっきから『女性』じゃなくて『女型』って表現に拘ってるけどさ…」
俺の突然の切り返しに、なんだ?…と鼻をならして兄貴が睨む。
「兄貴、そもそも、姫様たちが異世界から来たって話を、本当に信じてるの?俺、そっちの方が、正直言って不思議なんだよね。まず、普通なら、疑うべきは異世界なんて荒唐無稽なものが本当あるのか?ってことじゃないの?」
「ほう。言ってることは正論だが…お前、異世界から来たと主張する本人たちの前で、それを言うってことは、どういう意味に聞こえるか理解できてるか?」
はっ…と俺は、姫様とナヴィン爺さんに視線を移す。二人とも、表情には何の色も映していない。映していないが…逆に、それが、とても気まずい空気を産む。
「おそらく、俺は、お前と同じ思考を経て、取りあえず異世界については、議論しないことにしたつもりなんだが…。お前、今更、異世界の有無をここで議論するつもりか?どれだけ、話の矛盾点を見つけても『それは、異世界では矛盾じゃないです』と言われたら、検証のしようが無いんじゃないのか?」
「あぅ。そ、その通りです」
俺が、その思考に至るまでに要した時間が情けなく思えるほど、兄貴は居間で盗み聞きをした時点で、即、その結論に至ったようだ。こういう兄貴の頭の良さが、俺が兄貴に対して持つ劣等感を持たざるを得ない理由だ。子どもの頃から、こんな感じで論破されまくるから、仲良くなりようがないのだ。
【ぴよりよりよらろり~~~~~ぃ】
気まずい沈黙を破るように、お風呂が「入浴可」の状態になったことを知らせる、やや間抜けなアラームが鳴り響いた。
「ま。虐めて悪かったな。久しぶりの風呂なんだろ?ゆっくり入って、良い香りになって戻ってこいや。その方が親父殿のウケもいいだろう。野獣な我が弟が、こっそり覗きにいかないように、俺が見張っててやるよ」
「は。はい。お気遣い感謝します」
姫様は、完全に上から目線の話し方の兄貴に対し、もはや俺に対する話し方とも違った、姫様という立場から一段下がった言葉使いで、敬意を表して、立ち上がった。
「風呂の位置は、さっきの居間の横の廊下を奥に向かった突き当たりを右だ」
「は。はい。分かると思います。それでは、お先に使わせていただきます」
「…念のため言うが…浴槽を泡だらけとかにするなよ」
「この世界のこの地方の作法は、ナヴィン殿から聞き習っております」
「ふん。じゃ。ごゆっくり」
俺は、二人のやり取りに割ってはいることもできず、おろおろするばかりだった。
・・・
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道向かいの離れ家が、ぴかぴかにキレイな状態になり、一通り全員が風呂を堪能し終えた頃には、夕方になっていた。
「お風呂も、ちゃんとキレイキレイにしておきましたので…。私たちの後になってしまい、申し訳ありませんが、ご家族様も、気持ちよく、ご入浴いただけると思います」
水の能力は使えなくても、王家御用達の訓練を受けている水の従者のクアは、俺が名付けた「電波系」というレッテルを外してやろうかな?…と思うぐらい良く気の付く娘のようだ。明るいし、よく見ると可愛いし…巨…いや、あの、まぁ、見なおしたということだから、誤解しないで欲しい。兄貴が変なことを言うから、姫様だけでなく、何となくクアのことも直視しづらくなってしまった。
「親父帰ってくるってさ」
携帯端末のメールでやり取りしていた兄貴が、俺に言う。
「口下手なお前が困らないように、俺が要点をまとめてメールで説明しといたが…肝心の部分は、お前から頭を下げろよ?」
俺はそこまで面倒見る気はないぞ…的な意味合いだろう。兄貴は、居間のソファーに腰掛けて新聞を広げている。よく考えたら、兄貴、今日は仕事いかなくて良い日だったんだろうか?俺が疑問を口にすると…
「お前が金の工面に帰ってくるって連絡したんだろうが?留守に勝手に家の中の金目のモンを持ち出されても不快だからな。出迎えてやったんだ。それに。俺ぐらいの優秀な研究員になると、比較的、仕事の時間設定は、自由にできるのさ」
と、聞いてもいないのに、自慢話を混ぜ込んでくる。
・・・
・・・
従者隊の連携による見事な料理パフォーマンスにより、男所帯の緋宮家では、経験したことのないような美味そうな香りが、台所から漂いはじめた頃、玄関を開ける音がして、親父が帰ってきた。
「ようこそ!ようこそ、緋宮家へ!ついに我が家に異世界からの客人を迎える日が来ようとは!」
そう言って、ポケットから出したクラッカーを、次々と俺や兄貴、姫様、従者隊の皆さんへと配っていく。最後に、「ほう、ご老人。アナタもですか?」とか言って肩をバンバンたたきながら、ナヴィン爺さんにクラッカーを渡すと…
「歴史的、運命的…この素晴らしき日を祝って!」
そう叫んで、クラッカーをパンと鳴らす。
シーンと静まり帰る一同。誰も親父のハイテンションについて行けない。
ややあって、親父も満面の笑みを、すっと真顔に戻し…
「ご挨拶が遅れました。私が、護の父、緋宮伝次郎です」
と頭を下げた。掃除の手間が大変だからね、無理に使わなくてもいいんだよ…とか、寂しそうに言ってクラッカーを回収し終えた父は、「長男の明の自己紹介は、済んでおりますか?」とか、ちょこちょこ声を掛けながら、居間に広げた大人用のテーブルの上の美味そうな料理を、つまみ食いし、「これは美味い!」とかやっている。
俺も、兄貴も、こんな親父を見るのは初めてなので、姫様たち同様に言葉を失ったままだ。親父って…最近会ってなかったのは確かだけど…こんなキャラだったけ?
「…で、皆さんは、どこまで異世界と、この世界の関係についてご存じで?」
比較的見覚えのある表情にやっと戻り、父は、ナヴィン爺さんに向き直る。
今、何て言った?聞き間違いかな?
「親父。どういう意味だそれは?」
兄貴も、同じように、父の言葉のニュアンスに含まれるものに気が付いたのだろう。間髪を入れずに問いただす。
「護はともかく、明。お前は、気が付いているんじゃないのか?」
な、なんだ、なんだ…この展開。俺って、普通の家の子だと思ってたけど…もしかして、ひょっとするとひょっとしちゃうのか?
「で、伝次郎殿。御主も、ひょっとして、異世界から?」
静まり帰る一同。が、親父は「は?」とか言って首を傾げる。
「あぁ。私は、こちらの世界で生まれて、こちらの世界で育った、根っからのこちらっ子ですよ?なんか、誤解させるようなこと言っちゃったかな?」
兄貴の方に顔を向けて聞く親父。「・・・」、兄貴は難しそうな顔をして黙っている。
「そ、それでは、伝次郎殿の親御さんのどちらかが異世界のお生まれとか?」
「いやいやいや、それは無いですよ。数代遡っても、異世界生まれとか、居ないはずです。家系図と私の曾爺さんからの聞き伝によると…ですがね」
皆が、首をひねっていると、親父がニカッと笑って言う。
「私も、研究者でしてね。長男の明と違って、特定の会社に所属してはいない、フリーの研究者。資金の出所は、これは、ちょっと秘密なんですがね。明よりも、私の方が、年収は、まだまだ多いですよ」
「はぁ?」
皆、未だに、親父の言いたいことが分からない。兄貴だけが微妙な表情を浮かべている。
「それって、やっぱりあの論文の件か?」
「おぉ。やっぱり、お前、勝手に盗み見たんだな。父さんが気が付かないとでも、思ったのか?…まぁ、見られても困らんがな。…見たんなら、分かるだろう?」
父と兄貴だけで、勝手に話が進んで行く。
そして、俺だけでなく、異世界からの面々をも驚かせる、親父の研究成果の一部が、この後、語られることになる。
俺は、頭の片隅で…「あぁ、せっかくの料理が冷めちゃうな…」とか、どうでもいいことを考えていた。
・・・




