(19) 混沌の血脈<1>
・・・
「…で、お前は予備校も行かずドコで何をしてたんだ?」
不機嫌そうな声が、玄関先で俺を待ちかまえていた。
・・・
・・・
途中で、またしても気絶してしまった俺は、戦いがどのような結末を迎えたのか知らされていないが、目を覚ますと隠れ家になっていた生活雑貨の倉庫にしつらえた段ボールベッドの上…ではなく、清潔な病院のベッドの上だった。
そこで、1週間ほど治療を受けて、俺は今日、やっと辛うじて退院できる程度に回復し、約10日ぶりに自宅に帰ることになった。
その病院には…異世界からの住人…などは一人も現れず、俺は、全てが夢だったのではないかと思うぐらい、平穏に治療を受けることができた。
しかし、夢であったなら、このように全身に重傷を負ったりする理由は無いはずだ。
…夢だったとして…だったら、いつからが夢なのか?
病院の医師や看護婦に聞いても、救急車で搬送されてきた…程度のことしか分からないらしい。そもそも、誰が救急車を呼んだのか、その辺りも良く分からないらしいが、とにかく治療が必要な状態で運ばれてきて、幸いベッドの空きもあり、治療を拒否すべき理由もない善良な病院は、身元が不明であっても、ちゃんと俺を治療してくれた。
事件性の有無を確認するために警察官が病院からの知らせを受けて事情の聴取に来たが、異世界云々などという説明が信じてもらえるワケもなく…それ以前に、俺に異世界云々の話をする勇気もなかったのだが…間違いなく現実の出来事であったビルの2階からのダイブについてだけ話すことになった。
一応、その件は、目撃証言もあり、「やり過ぎた」と反省したイジメっ子たちが、素直に詫びを入れてくるという、スッキリしない展開もあって信じられた。
勤勉な警官が聴き取りをまとめた結果、1週間ほど前に、背中に銃で撃たれたような大怪我を負った青年が手術を受けた後、謎の水蒸気爆発の混乱の際に、行方不明になったという事実が判明した。
ビルから落ちただけで、何故、そのような傷を?と、しきりに首をひねっていた警官だが、結局手がかりは他に何もなく、何らかの事件に巻き込まれた可能性はあっても、加害者というわけではない俺を拘束しなければならない理由も無く、「何かあったら知らせるように」と指示されて、その後は、聴取も受けることなく治療を受けることに専念できた。
同じ病室の中年のオヤジにそれとなく聞いたところ、噂によると、一時期、異国の姫を、身を挺して守った青年…というニュースがまことしやかに報道されたらしいが、写真が掲載されたわけでもなく、数日後には誤報であったとの謝罪記事が掲載され…すぐに人々の記憶から忘れられたらしい。何故なら、その時期に他国からの姫が来訪していたという事実は、公式に認められておらず、お忍びの姫というシチュエーションも考えられなくはないが、わざわざ誤報の謝罪記事がでたネタを、あれこれと調べようという物好きもなく、何もかもが、もやもやとした霧の中に消えてしまったかのようだった。
医師も驚くほどの回復力により、俺は1週間ほどで退院する運びとなるのだが…当然、治療費の持ち合わせのあろうはずのない俺は、最初の病院に残っていた身分証明書…予備校の受講生証…を確認され、しっかりと後日支払い用の請求書を手渡されたのだった。
そして、俺は、治療費の立て替えを願い出るために、久しぶりの実家へと帰宅したところである。
・・・
・・・
体中に未だに残るグルグル巻きの包帯を目にして、年齢の離れた中の悪い兄貴が、玄関先で俺を睨み付けている。
兄貴は、俺の何倍も頭が良く、学業成績優秀で、大学卒業後は地元企業の開発室のホープとして活躍をしているらしい。物心ついた頃から、兄貴の俺への発言の中に、マイナスの愛情以外の色を俺は見たことがなく、知り合いのオバサンなどから、「仲の良い兄弟ねぇ」などと知りもしないくせに愛想を振りまかれた時など、互いに途轍もなく嫌そうな顔をして目を背けあったものだ。
そんな兄貴に、帰宅と同時に真っ先に遭遇してしまうところが、俺の不幸な体質のなせる技なのかどうかは知らないが、俺は、兄貴との会話をできるだけ早く収束させるために、必要最低限の答えを返した。
「えっと。ちょっと色々巻き込まれてね…オヤジは居る?」
オヤジは、何をやって稼いでいるのか不明な人で、何日も家に隠っているかと思えば、出かけると数日戻らなかったりを繰り返している割には、予備校通いで下宿する俺に、文句も言わずに相当な額の仕送りを欠かさずしてくれる…まぁ、有り難い親だ。
兄貴に金を貸せと言うよりは、オヤジに泣きついた方が確実なのは間違いない。
ただ、オヤジもマイナスではないが、俺に対する愛情が0以上の値であるかは微妙な気がする。俺が川で溺れても、木から落ちた時も、慌てて駆けつけたり、怒ってぶたれたりしたことはなく、心から心配された…と、親の愛を噛みしめられるような感動的なシーンは一度足りとも経験したことがなかった。
しばらく、俺の事を、冷たい目で見ていた兄貴だが、不意に俺から目を外し、俺のさらに背後を気にしながら答えをくれた。
「オヤジは留守。…で、お前は、オヤジにその娘との結婚の許しでも乞いに来たのか?その娘の親族一同引き連れて…」
まどろっこしい言い回しの嫌みはいつもと同じだが、その内容に俺は、ある種の予感を感じながら、恐るおそる振り返った。
「ひ…姫様?」
困ったような表情を浮かべて居心地が悪そうにしている姫様。そして、その後ろに、無表情で付き従うラサさん。横を向いているジン。満面の笑みを浮かべ胸の前で両手を振っているクア。他の従者隊のみなさんたちは、いくつかの荷物を重そうに担ぎながら、俺の背後の家の様子を見て、何か囁きあっている。
「おい、この連中を連れてくるのに、ワシの全財産を使い切っちまったからな。治療費だけでなく、その分も工面してくれよ?」
な…何で…ナヴィン爺さんまで…。
俺の前で笑顔を見せることの無いはずの兄貴が、珍しく笑みを浮かべ…
「ふうぅん。何か面白そうなことになってるんだな?お前」
そう言って、少し考えるそぶりを見せた後。
「まぁ、立ち話もなんだ。皆さんを居間へご案内したらどうだ?」
そう言い残して、兄貴はさっさと玄関の奥へと消えていった。
・・・
・・・
「何も言わずに姿を消してしまって…本当に悪いことをした。すまない」
姫様に頭を下げられると、色々、聞きたいことや言いたいことがあったのを全部忘れてしまう。何も言えずに、ラサさんの方に目を向けると、うむ…と頷かれた。
「では、私から簡潔に説明をしよう」
いや、別にあんたに振ったわけじゃないんだけど…。と、思いつつも、姫様が頭を下げたままで、動きをとめているので、俺はラサさんの話を黙って聞くことにした。
話の内容を要約すると次のようになる。
暗殺集団は、自分たちが異世界へ帰るための儀式を行うために必要な要素が枯渇するギリギリ前に、姫様を害するという目的を放棄して、一斉に撤退していったという。お世辞だとは思うが…俺の奮闘もあって、姫様は目立った傷を負うこともなく無事であったと礼を言う。
隠れ家としていた倉庫は、クアが尽力したものの燃え上がる炎を消しきることができず放棄するよりなかった。倉庫の所有者には申し訳無く思うが、こちらの世界の住人ではない姫様たちには弁償すべき資金はなく、心で詫びるしかなかったらしい。
クアの水系の能力に治癒効果を持つ技があり、要素の使える限界まで俺を含む皆の治療を頑張ったが、さすがにクアも戦いの疲労もあり、俺を病院での治療無しに連れ歩ける状態にできる前に力尽きたという。そこで、最初の病院の時と同様、こちらでの生活経験が比較的豊富なナヴィン爺さんが、救急車を呼び、適当なことを告げて…あとは俺の知るとおりとのことだ。なるほど。
病院へ顔を出せば、倉庫での騒ぎと俺の関係がむすび付き、俺の立場を危うくする可能性があるとジンが主張したため、協議した結果、俺が退院するまでは姿を現さないことにしたそうだ。それに、何も知らないままの方が、疑われることも少ないし、万が一、疑われても、騒動の真相に繋がるような情報を漏らし難い…という計算もあったようだ。
「そこまでは…了解したけど…何で、家に?」
「まぁ。なんだな。ワシの住み処も手狭でな。これだけの大人数を匿うには無理があってな。なんとか昨日までは、代わるがわる野宿組とワシのねぐらで寿司詰め組とに別れて乗り切ってきたんだが…」
「はぁ…」
「…お前さん…そんな、むさっ苦しい生活を、姫様にいつまでもさせる気かぃ?」
むむ。確かに、それは気の毒だな。
「ク…クアが、水の技を使えれば、が、我慢は出来るのだが…」
姫様が顔を赤らめて、ボソッとつぶやく。?。俺は一瞬考えたが、すぐに風呂のことだと気が付いた。自分も受けたあの水に全身を擽られる、クアのキレイキレイ攻撃は、要素の残存容量が限界を下回った1週間前から使えないということか。
俺は、姫様がクアの技で艶めかしく身もだえる姿を一瞬、想像してしまう。自分が受けた時の得も言われぬあの感触を思い出して、鼻血が出そうな予感に鼻頭を指でつまむように押さえて揉む。
それから、辛うじて我に返り、はっ…となる。ということは、うら若い乙女が、もう1週間近く、入浴出来てないってことか?
「これ!鼻の穴を広げて、姫様に近づくでない!この匂いフェチの変態が!」
無意識に姫様ににじり寄ってしまっていたのか?俺?…またしてもナヴィン爺さんに、横から頭を叩かれる。ラサさんは呆れ顔。ジンは氷のように冷たい視線。クアは何故か面白そうに喜んでいる。
あぁ…こうやってフザけたことを言ってられるってのは、当面の危機を乗り越えられたんだなぁ…ってことを実感できて良いな…と、俺はつくづく思った。やっぱり平和が一番だよ。お帰り!日常さん!これからもヨロシクね!
「み…みんなでお風呂を借りに来たってこと?」
俺の不完全な理解にラサさんが、お笑い番組のひな壇芸人たち顔負けにガクッとずっこけた。
「おいおい。冷たいことをいうな。風呂だけ浴びたら、姫様にさっさと帰れというつもりか?」
さすがに俺への丁寧な言葉使いも姿を消して、フランクな口調でラサさんが牙をむいて笑う。
「ご、ごめん。じゃ、じゃぁ、みんな家に泊まるってこと?」
「うむ。しばらく、ご厄介になりたいのだ」
「この家は、見かけは古いが、なかなかどうして立派な家じゃな。ワシは気に入ったぞい」
「な…なんでナヴィン爺さんまで?」
「なんじゃ?この間と違って、今日は頭の回転が見違えるほど悪いのう。ワシが、面倒を見ずして、この哀れな連中をどうやって異世界へ帰すというのじゃ?」
色々と想定外の展開にどぎまぎしながら話を続けていたけど、「異世界へ帰す…」という言葉を聞いて、俺は、声を小さく聴き返した。
「え?爺さんは、自分が帰れないくせに、みんなを帰せるの?」
そこでナヴィン爺さんは、どうしようかの?…と言いながらラサさんに顔を向ける。
「話してやって下さい。いずれにせよ…彼の協力が不可欠なのですから」
ラサさんは、目を閉じてナヴィン爺さんに頭を下げた。
そこでナヴィン爺さんは、「うぉふぉん」とわざとらしく咳払いをして話し始める。
「それが、帰せるかもしれぬのじゃよ。お前さんの協力如何によるのじゃがな?」
「俺の?」
「お前さんは、おそらく何も知らぬと思うから、細かいことは敢えて省略して言うが、ワシの見立てでは、おそらく、お前さんには混沌の因子の資質が隠れておる」
「はぁ?」
「…まぁ…そういう反応になるじゃろうな」
俺は、あまりの予想外な発言に3秒ほどフリーズしてしまった。因子とか何とかって、異世界人の人の特性じゃないの?しかも「混沌」って何?…それと「帰れる」ことと、どう関係があるの?
頭には、色々と疑問が浮かぶが、言葉にはならない。そのぐらい、意味がわからなかった。
「混沌って…」
「詳しい説明は、長くなるから、追々するとして…混沌の因子は、水や炎…それからワシの無などのような単一の色合いを持つ因子とは違ってのぅ。極めてレアぁな属性の因子なのじゃが、複数の因子の特徴を混ぜ合わせて持っているらしいんじゃ」
「…らしい?」
「混沌は、その可能性が噂されとっただけで、あっちの…ワシらの世界でも、学者どもが理論上はあり得る…程度に予言しておっただけの代物なんじゃよ」
「そんな…なんで?」
「そう。何でなのじゃ?お前さんは、あっちの人間では無いはずなのじゃが。ワシが興味を持ったのは、そこなんじゃ。だから、しばらく一緒に暮らさせてもろうて、じっくり観察させてもらおうと思ったのじゃ」
なんか、この爺さん学者みたいなこと言うな…と思ったら、後で聞いたところ、ナヴィン爺さんは、かつては姫様の祖国きっての大学者様だったんだそうだ。
混沌。元々の意味は、天地創造に関する神話や伝承で、まだ天と地が分かれる前の、物事の区別が付かない様子…らしい…だそうだが、異世界でも同じ意味かどうかは知らない。だが、説明を聞く限り同じ意味のようだ。
俺の?場合。異世界で知られている様々な特性を持つ因子の、ほぼ全ての因子の特性が混ざり合って、何色とも何模様ともつかない状態のため、異世界人である姫様やラサさんが、普通に接しても、簡単には俺が、その特殊な因子持ちとは気づかない…ある意味、隠されたような状態になっているのだという。
本当かいな?
言葉の出ない俺に、ナヴィン爺さんも、「まっ、確証があるわけでは無いがな」と耳の後ろあたりをボロボロ掻いている。「しかし、他人の能力を無理矢理発動させるなどという芸当は…」ごにょごにょと、意味不明なことを口走っているが、俺は、一番大切なことを確認した。
「じゃぁ、俺に、もしかして『混沌』とか言うのが本当にあったら、それで姫様は帰れるようになるの?」
「まぁ、仮説の段階じゃが…混沌の中に、鍵やその他の必要な因子と同様な効果が揃っているなら…あとは儀式の作法を試すだけじゃ」
…そうか…帰れるのか…
俺の中に、少しだけ複雑な思いがよぎる。その複雑な思いの理由と名前を俺は巧く名付けられることが出来ないでいた。
・・・
「…話が面白くなってきたところで水を差して悪いが…茶を入れてやったから…台所へ移動しな。運ぶのは、さすがに無理だし、面倒臭い」
一見、お茶でもてなそうとしているようだが、失礼を絵に描いたような態度と仕草で、姫様たちを台所へ追いやる兄貴。無関係の兄貴に、異世界の話をベラベラ話す訳にもいかず、話を中断して、皆、指示通り狭い廊下を通って台所へ向かう。
最後に居間を出ようとする俺のズボンのポケットを、兄貴が指で引っかけて、俺を止める。言葉には出さず、お前はちょっと残れ…的なオーラを発している。
「…異世界人…ねぇ?」
どこから聞いていたのか、兄貴は、平気で盗み聞いた単語を口にする。
「お前さ。あのお姫様っぽい方の彼女に惚れちゃったってワケか?」
「な…兄貴には関係ないだろう!」
突然の図星な発言に、俺はついムキになってしまう。
「ふふん。ビンゴか」
「・・・」
「お前、異世界人とかって…本気で信じてんの?」
馬鹿にしたような顔に、俺はちょっとむかついた。
「関係ないだろ?人の話を盗み聞きするなよ」
「おっと、失礼。だけどな、異世界人って本気で信じてるお前は…」
「なんだよ…」
「異世界人と自分が、同じ体の構造だって思い込んでるだろう?」
「は?何いってんの?」(意味がわからない…)
「お前が後でガッカリしないように忠告してやってるのさ。仮に異世界人だってことを認めたとして、お前は何故、惚れる?」
本意の分からないくどい質問攻めに、俺は少しイライラしはじめる。
「・・・」
睨むばかりで言葉を返さない俺を、哀れむように見下して兄貴は言う。
「異世界人が、本当に居たとして、お前は、どうして体の構造や遺伝子が、俺たちと一緒かどうかを疑問に思わないんだい?」
「え?」
「そもそも、服を脱いだら、俺たちとは違うモンが付いてたり、万が一似たような男女の体のつくりでも、交尾の結果、子をなせるかどうか…遺伝子だって、全然違うことだってあるだろうが?遺伝子なんて概念が無いかもしれないしな」
「こ…交尾って…」
俺は、あからさまな表現に絶句する。顔を真っ赤にして抗議しようとする俺に、さらに追い打ちがかけられる。
「異世界ってのは、通常、世界のルールが異なる世界なんだろう?ライトノベルなんかじゃぁ、確かに、異世界に召還されたり迷い込んだ主人公が、あっちのヒロインと、良い関係になったりするのは多いけどな。ありゃ、こっちの人間である作者が、こっちの人間が感情移入しやすいように、都合良く設定して書いているだけだろう?」
本気で信じるなら、本気で疑問に思えよ。
怒りで言葉を失った俺を残して、「ふん」と鼻をならすと、兄貴は部屋から出て行った。
残された俺は、もやもやとした胸の思いをどうすることもできず、姫様たちのいる台所へ、ぎこちない足取りで歩き始めた。
俺の今の気持ちこそ…まさに「混沌」ってヤツだよ…
俺のそう大して上手くない比喩は、俺の口から発せられないまま、頭の中でグルグルとリフレインを繰り返していた。
・・・




