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Lip's Red - 姫様と緋色の守護者  作者: kouzi3
第2章 暗殺集団襲来
19/39

(18) 封印の設定

・・・


 体が熱い。


 私は、色々な意味で、先ほどからされるがままに翻弄されて混乱する頭を整理しようと、何度も深呼吸を繰り返す。


 セクハラ…とは、何だろう?


 マモル殿は、先ほどの破裂音が響いた後、見違えるように能動的かつ積極的だ。私は、彼の一挙手一投足に、心を乱されている。

 王族の姫として、いつかは父王の命により、他国との同盟を強固とするために嫁ぐ定めにある私は、これまで商家や農家の普通の娘たちのように殿方と近づき接するという経験がまるで無かった。だから、マモル殿の男性的な一面に少し驚いている。

 私は、最初の暗殺未遂で彼に守られ…彼に対して、言葉では表現できない感情を抱いたことは確かだ。しかし…それは、話に聞く街娘たちのような男女のそれではない…はずだ。マモル殿を守護者としたのは、あくまでも、彼がそれに相応しいと信じたからだ。


 それが、こんなにも、心を乱されるとは。マモル殿は、どんな術を私にかけたのか?


 私は、心を落ち着ける。そう。マモル殿は、純粋に私の守護者として、私の無事を確認してくれているだけだ。私には王族の娘としての義務があることを忘れてはならない。今、心が落ち着かないのは、暗殺集団に命を狙われ、異国の…それも異世界の見知らぬ土地で、帰る術すら見つからぬまま怯えている…そのせいなのだから。


・・・


 何度目かの破裂音は、それまでの散発的なものに比して、凄まじい大きさで私の意識を現実に引き戻した。


 「こ、これは…なんだ?」


 狭い空間に押し込められ、振り回される。私は、目を回しそうになり、硬く目を閉じ、ラサに以前教えられたとおり、舌を噛むことの無いように唇を引き結んだ。


 私は、ナヴィン殿を下敷きにしてしまったようで、私の下からナヴィン殿の呻き声が聞こえる。では、私の前に居て、私の肩に手を添えているのは、やはりマモル殿なのだろう。

 何が起こったのか、全てを正しくは理解できていないが、おそらくマモル殿は、あの凄まじい破裂が起こるのを、いち早く察知されたのであろう。そして、何らかの策を講じ、私とナヴィン殿を、安全な場所へと隠してくれたのだ。


 マモル殿は、自分では気づいていないようだが、やはり、守護者としての資質をしっかりと備えている。私たちのような因子(ファラクル)能力者(パーランシャル)では無くとも、マモル殿は、マモル殿にしかない優れた武器を持っている。何と名付けるべきか、私には言葉が見つからぬが…確かな武器が。


・・・


 「ははは。はははははは」


 私が目を開くのと同時に、彼は突然、笑い出した。危機を回避できたことを喜んでいるようだ。彼が、皆の前で錯乱したのは、本当は恐怖に怯えたというよりも、自分がいざというときに、役に立てず、私を守るどころか、私に守られた…と思い込み…それを恥じたという理由の方が大きかったと思われる。どこか、精神的に追い詰められていたように感じる。


 しかし、そこで、突如、彼の表情から力が失われる。


 「マモル殿?…」


 私を見つめてくれていた、その優しい目は、色を失い薄く閉じられようとしている。

 私の肩に添えた手に、彼の腕を伝わって幾筋かの血が流れる。

 少しだけ無念そうな表情を、その眉根に浮かべ…それきり…力尽きたように、私の肩を抱いたまま崩れ落ちた。


 「ん。!」


 私は、目を開いたまま、彼を受け止めた。偶然とは思っても、鼓動が跳ね上がる。

 この殿方は、わざとやっているのだろうか?…


 怪我により意識を失ったのだから、そんなはずはないと理解していながらも、複雑な思いを隠せない。私は、彼を介抱するために自分の上からどかし、背中をこれ以上傷つけないよう、慎重に俯せに寝かせた。そして、自分の唇を指でなぞる。

 そこだけが、別の体であるかのように、熱を感じるが…今は、それどころではないのだと気持ちを切り替えた。


・・・


 この戦いにはタイムリミットがある。


 暗殺集団は、個人的に私に恨み辛みが有るわけでは無いはずだ。だから、彼らは、帰還できる望みを捨ててまで、私の暗殺に固執しないだろう。


 そして、今も徐々に失われつつある要素(ルリミナル)の残存状況から予測すると、もうあと僅かで、その刻限を迎えるものと思われるのだ。

 勿論、その予測が成立するには…ラサも言っていたが…2つの仮定が正しいことが前提だ。

 一つは、暗殺集団も、私たちと同様に、この世界の要素の枯渇の影響を受けること。

 もう一つは、暗殺集団が、私たちと同じ時にこの世界へ送られたということ。


 一つ目は、ナヴィン殿の話によるが、間違いないだろう。ナヴィン殿が知る限り、どの異世界からの帰還者も、同様の状況だったという話だ。異世界からの帰還者がほとんど無い理由の一つでもある。

 二つ目についても、ほぼ間違いないだろう。異界送り(ナザーダスヴォック)のような大規模な儀式魔術を、いくら碧色の森泉王(イエメルアーダム)といえども、そう何度も短い間隔で発動できるとは思えない。


 従って、今からの暫くの間が、暗殺集団にとっても最後の攻勢になるであろうし、私たちにとっても、それを凌ぎきれば、少なくとも生存の可能性はずっと高くなるはずだ。


     【ばぁうっ!】【ごぉおうっ!】


 思った通り、その直後から、間接的に箱を破裂させるという攻撃ではなく、私がいると思われる空間を全て焼き払おうと、炎系の因子の能力者が、前面に立って、こちらに炎の範囲攻撃を仕掛けてきた。


 ラサ達の防御のお陰か、若しくは、正確には私の居る場所が掴めていないのか…おそらくその両方の理由で、炎は私を直接に焼くことなく、しかし、傍らの箱を次々と炎上させていった。


 私は、防御系の能力をほとんど有していない。何故か、王族の血統の者には、そのような特徴が色濃く受け継がれるようだ。私たちが従者を常に引き連れているのは、自らの権威をひけらかすためではない。そうしなければ、身を守れないという切実な理由からだ。だから、本当の危機の時にも、守られるだけの善なる為政を王族の者は心がけなければならない。危機の際に、真っ先に見捨てられるような悪政を行えば、その王家は、即座に歴史からその名を消すだろう。


 しかし、今、この瞬間には、ナヴィン殿と傷ついたマモル殿の他には、私の傍には誰もいない。

 全く、暗殺集団というのは、恐ろしい者たちだ。見事に、王族の弱点を知り尽くし、私が無防備となる、この瞬間を作り出したのだ。


 私は、一つ深呼吸をして、覚悟を決める。


 マモル殿が、こんなにボロボロになってまで、守ってくれた我が身だ。絶望的な状況ではあるが、最後の最後まで、足掻いてみせよう。「攻撃はこれすなわち防御なり」と言うではないか。この世界では、そのような言葉があるのかどうか知らぬが、いつかラサが従者の心得の中の一節であると教えてくれた。


 もしも、ラサ達の守りを破って私の前に現れる者あらば、悉く撃ち倒すのみ。


 脱力の構えをとって、どの方向からの攻撃にも対応するよう備える。しかし、破れた窓や壁から吹き込む風に煽られ、私を囲む炎の手が勢いを増す。


 「…つっ!」


 炎の熱に焙られて、一瞬目を閉じる。


 ラサの怒鳴る声がする。


 目を開けた時には、【死】が、その顎門あぎとを開けて、私の前に立っていた。


 敵の首領と思われるその男は、氷のような笑みを浮かべ、躊躇することなく【死】を放つ。

 暗殺者の一族のみに伝わる、死の因子の能力。マモル殿の背中を穿ち、死の種を植え込んだ同じその技。決意していたのに、私は満足に反応もできず、体に死の種が穿たれるのを覚悟した。



      【ぶわっ!】



 その時。


 目に見えない激流が私の眼前に立ちのぼった…と…感じた。


 首領と覚しき男の目が驚愕に歪む。間違いなく発動した死の因子の能力。それは、この世界の銃に似ていると聞いたが、発動と効果の間に時間は存在せず、発動と同時に、私の胸に死の穴が口を開けるはずだった。その能力を受けた体の部位は、自らを死したものと認識し、穴が開いたように崩れ落ちるはずなのだ。


 マモル殿の傷を見た時、こちらの医師という者たちは、即座に「銃弾による傷か?」と口を揃えていったのだ。「体内に弾が残っていない」ということを、しきりと不思議がっていたが…。


 それでも、職業暗殺者は、驚愕したままでいるということは無い。すぐに頭を切り換えると、2撃3撃と、技を放ってくる。

 だが、それらも全て、効果を現すことなく終わった。瞬時に伝わるといっても、やはり伝わる必要はある。だから、技は私に伝わらなかったということだ。


 訳が分からないといった顔をしながら、やっと別の敵を引きはがし飛び込んできたラサの攻撃を防御しながら、暗殺者は後方へ飛び退る。


 「な…なにが…起きたのだ?」


 何も起きなかった…と言うべき状態だが、本来、起きるべき事が起きないという状況に、私は混乱した。



 その時。



 「俺が起きたのさ」



 聞き覚えのある…しかし、聞き慣れない口調の…男の声がした。


 私は、体中に寒さのような衝撃が走り抜けたのを感じた。<彼>だ。<彼>がまた現れたのだ。


 「キミの要素(ルリミナル)は、この際だから全部使ってしまうが、良いかい?」


 私は、おずおずと頷いた。<彼>に助けられるのは、これで三度目だ。

 病院での<彼>のことは、ラサも知っているが…私が初めて<彼>に遭ったのは、最初の暗殺未遂の時だ。私は、ラサにも語っていない、その時のことを思い起こす。


・・・


 あの時。実質的に私を助けてくれたのは、気弱な優しいマモル殿だった。初撃を彼が勇気を持って遮ってくれたお陰で、ラサやジンが反撃を開始できたのだから。だから、私は、本当にマモル殿に恩義を感じている。


 しかし、あの時、死の因子に体を穿たれ、命の炎を急激に弱めつつあったマモル殿を見て、錯乱し泣き叫ぼうとした私の目の前に、<彼>が<現れ>て、言ったのだ。


 「やぁ。綺麗な顔が台無しじゃないか。大丈夫、案外、生命力は強いみたいだから、キミが心配することは無いよ」…と。


 そして、彼は約束したのだ。超然とした笑みを浮かべて。


 「…ほら。泣くなって。キミは…俺が守る。あいつ等は…何度来たって、俺の守りは破れない」


 胸が高鳴った。<彼>は穏やかで自信に満ちあふれた声で、私の耳元に囁きながら、震える私を最後まで抱き支えてくれていた。


 「訳あって、俺はいつもは眠ってるんだ。でも、キミが信じてくれるなら…俺は、きっと目を覚ますから…」


 <彼>は、マモル殿なのか?それとも…?私には、分からなかったが、しかし、いずれにせよ、私は彼と<彼>に、体も心も守られたのだ。


 襲撃を退けたラサたちが駆け寄ってきた時には…もう…<彼>は何処かへさり、彼の唇に滲んだ血の味だけが、私の心を占めていた。


・・・


 そして、病院で、約束どおり<彼>はまた現れ…そして、また今も。


・・・


 何故かは分からない。私の心は、マモル殿を大切に思っている。しかし、私の感情は、この超然として、捉えようによっては鼻持ちならないほどの自信に満ちた<彼>に、何か期待し大きく揺り動かされている。


 「へぇ。珍しいね。この爺さんは、『無』の使い手か」


 <彼>と私の間を、グルグルと要素(ルリミナル)が循環する。下腹の辺りが熱をもって溜まらなくなる。私は漏れ出そうになる声を何とか抑えるのに必死だった。


 <彼>が何か因子の能力を発動しているようには見えない。


 しかし、おそらくは<彼>の言う「無」の因子が壁をつくっているのだろう。

 かなりの勢いで燃え広がっている炎の熱も、私の肌に少しも届くことはない。

 辺りは驚くほど静かだ。ラサたちと暗殺集団の激闘の様はハッキリとこの目に映っている。しかし、音だけが聞こえない。初めて見る因子だが、何かを打ち消すのか?…私を害するモノは、何も届くことはない…「無」とはそういうものなのだろう。


 「な。ななな。何なんじゃ。これは?…ワシの中を勝手に要素(ルリミナル)が巡っているぞ?」


 目を覚ましたナヴィン殿が、驚いたような声を上げる。

 声が聞こえるということは、彼も、この「無」の障壁の内側にいるのだろう。


 「…あぁ。残念。もう時間だ。姫様。覚えておいてくれ。俺の眠りには設定が施されている。解く鍵が、必ずあるから、キミはそれを知るといい。そうすれば、俺はいつでも現れる」

 「せ、設定とは何だ?…封印のようなものか?」

 「設定とは、環境と条件だ。あぁ…もう時間だ。キミに頼みがある。彼に伝えてくれ」

 「な、何だ?。誰に何をだ?」


 全てが謎めいた<彼>の言葉に、私は、言葉を巧く出せずに、どもってばかりだ。



 「…俺はキミだ。キミは俺だ…。キミはキミのやり方で辿り着け。必ず…」



 詩のように語る<彼>の言葉を、私は最後まで聴き取れなかった。


 「何だ。何と言ったのだ?」


 私は、横たわる<彼>の両頬に手を添えて顔を寄せる。

 しかし、時間制限があるのか…それとも、私の中の全ての要素(ルリミナル)が枯渇したことによるのか…もう、そこに<彼>はいなかった。


 !!!!!


 私は、ハッと顔を上げた。<彼>が居なくなったということは、「無」の壁も消えたということだ。もう、私を守る壁はない。


 「マモル殿を守らなければ!」


 私の頭に浮かんだ最初の思いは、間違いなくそれだった。自分の事を心配し怯える気持ちは、何故かもう何処にもなかった。

 音が…


 音が蘇ると思ったが…辺りは、静寂に包まれたままだった。

 しかし、ナヴィン殿の「ほ」っと息をつく音に続いて、「姫様!」というラサの声が聞こえて来る。窓や壁の隙間から吹き込む風の音も再び響き始め…私は、タイムリミットが経過したことを覚った。


 「皆、無事か?」

 「命を失った者は、幸い、おりません」

 「そうか、良かった…」


 要素(ルリミナル)が限界近くまで低下しているだけでなく、肉体的にも極限まで消耗したラサたちは、無事を喜びあう気力もなく、私たちの周りにへたり込んだ。

 この瞬間に、暗殺集団が再来襲すれば、もはや誰も助からないだろう。


 しかし、その場合、双方ともに、元の世界に帰れなくなり、争う意味を失う。

 襲撃者が職業暗殺者たちであったことを幸運に思うなどという微妙な喜びに戸惑いながら、しかし、結局、「鍵」をこちらに奪取することも叶わなかった。


 「さぁ、傷を癒しましょうねん」…自分も傷ついているであろうに、癒しの技を持つクアは、気力を振り絞って、怪我の症状が重い者から優先して応急の処置をしていく。

 敵が帰るために残した要素(ルリミナル)の残存時間を、私たちは傷の治療に使うことが出来たのを…今は、幸運と信ずるよりしかたがあるまい。


 当面。命の危機は去ったが。同時に帰る望みを失った私たちは…この世界の「秋」という時間の流れの中で、肌寒さを感じずにはいられなかった。


・・・

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