39話 もしかしてネガティブ?
夕暮れ近いテラスには誰もおらず、少しほっとして歩き出す。
でも直ぐに声を掛けられ其方の方を向くと、扉の脇に点在する椅子に何時かのおじいさんが座っていた。そしてその脇のテーブルの上にはお茶の用意がされており、ポットからは湯気が立ち上っていた。
「神官長のおじいちゃん」
「元気になったのう」
「ありがとう。あの時はきちんとお礼を言えなくてごめんなさい」
「よいよい、気にするで無い」
テーブルに近づきポットからカップへ注ぎいれると、ふわりと果物の香りが漂った。
「今日はゆっくりお茶出来ないよ?」
「分かっておる」
さっきまで飲んで居たワインに似た飲み物の渋みが口に残っていたので、このフルーティーなお茶はとても美味しく、ゆっくり出来ないと言いながらお替わりをして飲んでしまった。
「そなたの姉上は面白い女性じゃのう」
「姉ちゃんと良く会うの?」
「偶に、お茶を一緒にする」
「へー」
「そなたも偶には顔を見せに来てはくれんかのう」
「うん、喜んで行くよ。おじいちゃんのお茶は美味しいからね」
悠長にお茶なんぞしていたら、扉が開いてちらほらとテラスへ降りて行く人が増え始めた。
ティーカップに残ったお茶を飲み干して椅子から立ち上がると、おじいちゃんが残念そうに、でも少しだけ楽しそうにこう言ったのだった。
「もう行くのかい?直ぐに追いつかれるがのう」
「えっ!マジっ!?やばいじゃん!じゃー又今度ねー!」
神官長のおじいちゃんを残して脱兎の如くテラスの奥へと駆け込んだ。
(今夜は会いませんように!)
心の中でそう唱えながら向かった先は、庭園師のダナさんの作業小屋だった。
其処には木で作られたベンチが置いてあり、其処に座ると広い庭園が見渡せる。
ダナさんは帰った様だけど、ベンチの前には大ぶりな鉢に所狭しと寄せ植えをした花が色とりどりに咲いていて、一人でいても心休まる場所に感じた。
ぼーっと庭を眺めていたら、脇の植え込みの辺りで ガサガサ と木々が揺れる音がした。
(まさか、もう見つかった?)
首をすぼめてじっとする。暫くそのままじっとしていると「にゃん」と猫の鳴く声が聞こえて来た。
ガサガサと音のした辺りを探してみても猫の姿は見えない。でも、まだ小さな鳴き声が時折聞こえる。
まさかと思いながらベンチの脇にある大きな木を見上げてみれば、幾度も枝分かれした木と木の間に見覚えのある猫が丸まっていた。
辺りは随分と暗くなって来ていたので掌の上に光の玉を乗せ、バサッと翼を広げてゆっくりと上昇して行く。其処に居たのはやっぱりあの黒い猫ちゃんで、首には赤いリボンが結ばれていた。
「おいで」手を伸ばして呼んでみると「にゃっ」と鳴いて、もふもふの毛の塊が腕の中に飛び込んで来た。(ん?重い?)
猫ちゃんは私の事を覚えて居たのか、腕の中でゴロゴロと喉を鳴らしている。
地面に着地しベンチに座って猫ちゃんのもふもふを堪能していたら、向かいにある街灯の方から「にゃっにゃっ」と鳴き声が聞こえた。
膝の上に乗ってごろごろしていた猫ちゃんが顔を上げ、鳴き声がした方に耳をぴんと向けると直ぐに膝の上から飛び降りた。
街灯の下には白い猫が品よく座っている。
その猫に向かってのんびりと歩いて行く黒猫ちゃんは・・・お腹が随分と大きく膨らんで見えた。
「赤ちゃんがお腹に居る時は木に登るんじゃないよ~」
私が声を掛けると黒猫ちゃんは振り返って「にゃん」と鳴き、白い猫ちゃんと一緒に庭園の中へ帰って行った。
猫が消えた辺りを暫く眺めていた。
何時かは自分も誰かの側で微笑んで居たいと思う。
それは例えば日本の父や母の様に賑やかに、アシエル国の父や母の様に穏やかに。
互いの信頼関係が積み重なって揺るぎ無い者となるのかもしれない。
柄にも無い事を考えていた所為か、近づく足音に気が付かなかった。
「ミオ殿、此方にいらしたか」
「ん?」
素で返事をしてしまい、ハッと我に返るが時すでに遅し。
自分が此処で何をしていたのか、誰から逃げていたのかを完全に失念しており、今目の前に居る人物を見て思考能力が完全にフェードアウトしてしまった。
「デュー・・・」
日が落ち、月明かりに浮かぶ彫の深い顔には影が出来、青い瞳は私と同じ暗闇の色に染まっている。その瞳は何かを探る様に細められ、物言いたげな口元が僅かに歪んだ。
「ミオ殿?・・・」
駄目だ。何から話せば良いのか分からない。
記憶の欠片はばらばらのままのジグソーパズルの様で、所々が繋がっている様に見えても、まるで別の形のピースが無理やり嵌め込まれている部分があったりして纏まらない。
「・・・ごめん、もうちょっと待って」
デューの手が私に向かって伸びて来たけど、その手が私に触れる事は無かった。
(本当にごめん)
テレポートで飛んだ先は、城内のデューの部屋で一時期は私が暮らしていた部屋だった。
(何で?何でわざわざ此処に飛ぶかなあ~)orz
早々に別の場所へテレポートをしようと思ったけど、しゃくやくの花が気になった私はそっと寝室からテラスへ出てみる事にした。
記憶を取り戻して少し落ち着いた頃には、しゃくやくの花見たさに何度も此処へ来たいと思っていた。けどやっぱり今更この部屋に勝手に入るのも気が引けて、我慢していたから無意識に来てしまったのかもしれないと思う。
(結局勝手に来ちゃったよー、マジごめんねー)
居間には相変わらず沢山の本が置いてあり、幾分増えている様な気がする。私のお気に入りの椅子の上には読みかけの本がそのまま置いてあり、間に挟んだ赤いリボンがチラリと顔を出している。
何の本を読んでいたのか覚えておらず、気になりつつも寝室へと繋がる扉に手を掛けた。
(危ない危ない。今、本を手にしたら間違いなく読んじゃうよ)
カチャ、と小さな音を立てて扉を開けると懐かしい匂いが鼻をくすぐった。
散った花びらを乾燥させて作ったドライフラワーは、ポプリほど強い香りを放出させないけど心が休まる穏やかな香りが丁度良く、それと一緒に飾ったバーベナの葉が爽やかさを感じさせてくれる。
そーっと部屋に滑り込むと、何一つ変わらない物達が目に飛び込んで来て、思わず立ち尽くしてしまった。
黒とピンク色の天蓋付ベッドは余りにも大きくて、こんなのに一人で寝ていた自分を想像しただけで何だか情けなくなった。
その横にはトルソーが置かれていて、こっちに来た時のメイド服が着せられ上には猫耳が置かれている。メイド服の胸元には「まりあ」と書かれたネームが止められていて、何だか日本が懐かしくなった。
それ以外にもチェストや机を眺めては、此処での生活が思い出されて何だか悲しくなった。
(この部屋で、私はデューを待っていたんだ)
(何時から待つのを止めたんだろう)
(来ない人を待つのはもう止めよう)
ネガティブでも無いけどポジティブでも無い自分。
流されていると言われればそうかもしれない。
争い事や波風を立てる事は苦手だし、普通が一番大切だと思っている。
変わった事や目立った事に興味は無いし、皆と同じが一番楽ちん。
此れと言った自分の意見も無いし、我慢しているつもりも全然無い。
誰かの為に何かをしようとか大層な考えも持っていなくて、正直な所自分の事だけで一杯一杯な実情だったりする。
そうやって居られたのは皆が居たから。
姉ちゃんとアルは当然だけど、舞、綾香、美千瑠。
何時も皆に守られていた。
でも、この世界に来たら、私は居るだけで目立つ存在になっていた。
だから、皆の期待に応える為に、優等生になったフリをした。
自業自得。
しゃくやくの花を見たら、皆の所へ帰ろう。
寝室からテラスへ続く大きな窓に手を掛けようとしたけど、その手は宙に浮いたままそれ以上先へ伸ばす事は叶わなかった。
気持ちの切り替えは出来そうで出来なかったりしませんか?
出来たつもりだったのに、とか。
人間って、ネガティブでポジティブな生き物ですもんね。




