36話 綾香は貧乏性
カークランド家別邸(旧ハンプシャー家)のリフォームも終わり、異世界からやって来た黒髪の少女達の引っ越しの日がやって来た。
黒髪の少女たちが来ている洋服はえんじ色のジャージで、両腕両足の脇に三本の白いラインが入ったオーバーサイズのもの。これは美桜の通っていた高校の指定ジャージで、何故か皆が持っている。それも「花沢美桜」とフルネームの刺繍入りだったりする。
確かにジャージは動きやすくて便利だけど、手伝いに来てくれた人達は見た事の無い姿に目を丸くして驚いていた。
手伝いとして駆り出されたのは非番の騎士隊員達と副司令官のアシュレイさん、ミリーの好意でルルとイトとサンも来てくれた。後、驚いた事に庭園師のダナさんも来てくれた。
しかし、私個人の引っ越し荷物は殆ど無いから手伝って貰う事が少なく、その分のんびりと皆を眺めていた。
イシュダールに住んで居た頃はお城での侍女としての生活が中心だったので、下着や支給される衣類だけしか持って居なかった。別にそれで十分足りていたので不満も無かったし、欲しい物もこれと言って無かったから余り気にした事も無かった。
最近の生活の拠点はアシエル国のお城のクオーレ邸で、其処には母が用意してくれた大変可愛い部屋が有るし(勿論美千瑠の部屋も用意されているよ)こっちに来た時は誰かのベッドで一緒に寝ていたから、それはそれで楽しく「部屋」を欲しいとも思って居なかった。
でもこれからは仕事も兼て週の半分は此処に住む訳だから、初めての自分好みの部屋の作成にわくわくしたのは事実である。
偶々綾香と一緒に市井に買い物に行った時、おもちゃ屋さんで飾っていたミニチュアのドールハウスが気に入り、それと同じ家具を注文して作って貰ったのである。(勿論ドールハウスも購入しましたよ!)
それは珈琲色の艶のある木材に彫り込まれた十字架とサフランの花の彫刻が見事なベッド、それとお揃いのチェストと机と椅子が置かれた寝室である。
ドールハウスと言う小さな物でも結構な高額で、これを実際の家具として注文したらと思ったら手が出そうに無かった。しかしゆっくり考えている時間も無いのでアルに相談してみたら、意外な事に「大した金額でも無い」と言い切ったので速攻注文したのだった。
寝室とは別にもう一部屋続き間が有り、其処には深紅のソファセットを置くことにした。
他の部屋も同じ間取りで、続き間で二部屋が与えられる事になっている。
それぞれの部屋にはその他にクローゼット、バスルーム、トイレが併設されている。
しかし賑やかな引っ越しでは有るけど、私以外の三人は大変そうだ。
この世界に来てまだ三か月に満たないのにまた引っ越しなのだ。
アルの家に住むと決まった時に、家具からベッドからドレスからと全て新調したばかりで、やっと部屋に馴染み始めた頃だったと思う。
物によっては部屋の大きさに合わず、新たに注文した物も有るらしい。
(何だか勿体無いなぁー)
色々思い出していたら、綾香が物凄い形相で走って来るのが目に入った。
「美桜、これ預かってて」
綾香から手渡されたのは、長くて太い真っ赤な鞘に収まった剣である。
「け、剣?」
「アッシュってばこんな物を腰にぶら下げながら手伝うのよ!私の大切なチェストに傷をつけて置いて「気にするな」だってよ!マジ本当に信じらんない!」
綾香はぷりぷりと怒りながら、玄関ホールで椅子を片手に持ち上げているアシュレイ副司令官に向かって又何か文句を言っている。
「アヤカ、此れは何処へ運ぶんだ」
「ぎゃー!アッシュ!もっと丁寧に運んでよー!」
今日は観戦している方が面白そうな一日に思えた。
舞はサンと数名の騎士に指示を出して荷物を運び込んでいる。
自分の荷物より先に、大量の布や裁縫道具の運搬に忙しそうだ。
それらは舞の部屋では無く、別に設けた「仕事部屋」にと運ばれて行く。
美千瑠はイトと話しながら、残り数名の騎士達に大きな家具の運び込みを指示している。
騎士の中の数名は美千瑠に声を掛けられて嬉しそうに目尻が下がっている。
(美千瑠はハーフの所為かこっちの世界の人種と似通って見えるし、何より美人だからねえ)
「ぎゃっ!」
カエルを潰した様な声が聞こえてそっちを見ると、立てかけたベッドマットが斜めになり、その下でマットを片手で支え反対の腕で綾香を抱えているアシュレイが見えた。
「少し落ち着け」
大方ちょろちょろと動いて、立てかけてあったベッドマットに蹴躓いて下敷きになりかけたんだろう。
救出された綾香はアシュレイの腕の中で頬を赤くしていた。
そう言えば、初めて綾香に会った時も、彼女は顔を赤くして怒っていたなと思い出した。
あれは私が高校二年生の夏休みの事、姉ちゃんは出版社の人と打ち合わせ方々食事会だと言って出掛けていた。
普段は出不精で半引籠りじみた生活をこよなく愛しているのだけど、一度出掛けてしまうと帰る事を忘れて遊び呆ける悪い癖が有る。(酒に強いから余計かもね)
春の歓送迎会の時は、二次会三次会と遊び続け、有ろう事が社長のマンションまで押しかけて、注がれたシャンパンのグラスを手に持ったまま寝てしまった人である。
だから間違いなく本日も午前様だろうと思い、深夜のアニメ番組を見てから布団に入ったのだった。
翌朝と言うかお昼近くに茶の間に降りて来ると、姉ちゃんと初めて見る女の人が膝を付き合せて正座をしている所だった。
姉ちゃんは銀行に行ってくるよと行って自室へハンコ類を取りに立ったので、私は台所へ行って珈琲を入れる事にした。
珈琲メーカーから全ての珈琲が落ち切るまで、何となくその女性を眺めていた。
ベリーショートと言ってもいいくらい短い髪の毛、その先に続く首筋は細くて肩幅も余り無い。俯き加減にしているから表情は良く見えないけど、女性には珍しい太い眉毛、高めの鼻筋は真っ直ぐで、薄い唇は少し青い色に変色しておりその下には尖がった細い顎が僅かに歪んでいる。
入れたての珈琲を「どうぞ」と言って女の人に差し出してみれば、その女性は顔の所々を赤くしており、一重で切れ長の目には一杯の涙を貯めていた。(若干青紫に変色しかけてた部分も有ったよな)
綾香には親がおらず物心付いた頃には養護施設で暮らしていた。
高校を卒業すると施設の近くにあった精密工場に就職し、やはり施設の近くのアパートで独り暮らしを始めた。休みの日には施設に行って子供達と遊んだり、勉強を教えたりするのが日課となっていた。
穏やかな毎日がこのまま続くかと思って居た頃、突然の外資系会社の破たんを切っ掛けに不景気に陥り会社は閉鎖、再就職もままならなかった。
施設の職員からの口利きでコンビニのアルバイトを始めたのだけど、それは色町と呼ばれる夜の歓楽街にあるコンビニだった。
そして、そこに良く来る男性と親しくなった。
綾香は質素な生活をしていたから貯蓄はそこそこ持っていた。
男性は色町で働くホストだった。
やさしくされる事が嬉しくて、騙されてると分かっていても離れたくなかったと言っていた。
綾香は全財産を無くし、アパート代も数カ月滞納しており、行く宛も無かった。
最後に頼ったのはホストの男性だったのだけど、暴力を振るわれて罵声を浴びせられて捨てられた。
姉ちゃんは偶々その場に居合わせたらしい。
男が綾香を殴った数だけ殴り返してやったと笑っていた。
アパートの滞納分を立て替えて支払い、自分のアシスタントとして雇う事にした。
綾香をアシスタントにした事で、姉ちゃんの出不精が余計酷くなったのは言うまでもない。
毎日来るようになって分かった事は、姉ちゃんと同じ理数系女子で頭が良く、毎晩ジョギングを数キロ走っている所為かスタイルは良い。綾香がが筋肉フェチになったのは、出版社の人と同行した水泳選手への取材が切っ掛けだと聞いている。
しかし、おっちょこちょいで落ち着きが無く、何時も何かをしていないと気が済まない所は貧乏性だと思われる。
玄関ホールに置かれた荷物は殆どがそれぞれの部屋へと運び込まれ、残っているのは家具を包んでいた布や紐と少しのゴミだった。
其れ位片づけて置こうかなと思い立ち上がりかけたら、箒と塵取りを持った綾香が現れた。
その後ろにはアシュレイが居る。
(お邪魔だな)
そう思ってまた座り直したら、別の所から声が掛かった。
呼ばれた先は厨房で、其処では姉ちゃんとダナさんが腕まくりをしながら白い粉を捏ねている所だった。
「引っ越しうどんとかって言うの、美味しいですね!」
今日の引っ越しの手伝いをしてくれた人達皆に振る舞った「引っ越しうどん」は大好評で、瞬く間に完食となった。
姉ちゃんは日本からしゃくやくの花の苗を持って来ていて、それをこの別邸に植える為にダナさんを呼んだのだと教えてくれた。
花の植樹は意外と早く終わり、皆が忙しそうに引っ越し作業をしているのを見ながら、引っ越しなら引越しそばよねー等と思い出し、そこで引っ越しそばが食べたいと思った姉ちゃんは、厨房にある小麦粉に目を付けて「引っ越しうどん」を作ったのだと笑っていた。
その夜、私の部屋に皆が集まり久しぶりの女子会となった。
珍しく姉ちゃんも一緒だ。
厨房からチーズやハム、ナッツ等を持ち出し、酒蔵庫からはワインに似たティーチを一本失敬して宴席の準備が整った。
それぞれのグラスにピンク色のティーチを注ぎ「乾杯!」とグラスを合わせて口に運ぼうとしたら「美桜!誕生日おめでとう!」と皆の声が響き渡った。
「えっ?あ、今日?」
私の誕生日は一月七日、七草粥の日である。
私の誕生日はお鍋の日と決まっていたようなもので、毎年様々なお鍋で祝って貰って来た。例えば蟹鍋・みぞれ鍋・ふぐ鍋・しゃぶしゃぶ・きりたんぽ・すきやき・・・
寒い季節に生まれたから毎日が暖かいこの国に居ると、今日が誕生日だと言われても実感が湧かないのが正直な所だった。
「はい、プレゼント」
姉ちゃんから渡されたのは小振りな箱で、中には青いビロードの箱がさらに入っていた。
それを取り出して開けてみると中には半透明な赤い石が入っており、部屋の明かりに照らされてキラキラと輝いている。
「綺麗・・・これ、ガーネット?」
「そうよ、あなたの誕生石よ」
「へえ・・・ありがとう!」
その後も美千瑠・綾香・舞からのプレゼントが続き、賑やかな宴となった。
舞が持ち込んだラジカセにスマホを繋げて、懐かしい日本の音楽を流し始めると自然と皆で合唱となる。中にはその歌手の真似をするヤツも出てきて大盛り上がりだ。
そんなノリの中、次の曲は何だろうと皆が耳を欹ていると、少し懐かしい曲が流れ始めた。
『恋に恋い焦がれ恋に泣く~・・・』
心の中で「カチャリ」と音がした。
「ああ、父さんの好きな曲ね」
姉ちゃんがそう呟いた。
「ぅぁ・・・・・」
今までピンク色に染まっていた頬は、一気に白を通り越して青くなったのだった。
「姉ちゃん、本当に好いの?こんな高価な物貰って・・・」
「そうね、日本の祖国の形見って感じかな」
「形見?」
「もう、帰れないから。円は全部持って来れる物に換金したのよ。他の皆もそれぞれ自分の好きな物に換金してるわ」
「そっか、そうだね」
「ごめんね?美桜の欲しい物が分からなくて、誕生石にしたの。それも思いっきり純度の高い綺麗な物を奮発したのよ」
「うん。凄く綺麗!」
土地や両親の遺産等を合わせると億を超す資産となった。
その殆どを純度の高い宝石に換金して持って来たのである。
純度の高い宝石(無力)はこの世界では貴重品であり、高額で取引されるのである。
姉ちゃん、やっぱり抜け目が無い。




