21話 大人の入り口
デューの部屋を借りて住む様になって一カ月と少し経つ。
私は相変わらずミリーの待女として至って呑気に過ごして居る。
しかしデューはとても忙しいようで、五日に一度有る筈の休日を返上して仕事をして居る。
騎士隊も収穫祭の時期は人数が減るので、上官としては休んでいられないのだろう。
夜も私の居る自室に休みに来る事は無く、最初の頃の「食われるかも」と言う嬉しいような期待感は薄れ、「やっぱり恋人がいるんだろうな」と思う失望感が定着していた。
「久しいな」
五日前までは通常通りに「協会」へと出向いていたが、ミリーが長期休暇に入った為に私の仕事も休みになった。(ミリー付きの待女やお針子さん等も休みになる)
だから当然この五日間は会って居ない。
「そうだね」
ステップを覚えようと必死だった為に、顔は下を向き足元ばかりを気にしていた。
だって、やっぱり足を踏むのは良くないだろう?
「ミオ」
名前を呼ばれて顔を上げれば、直ぐ近くに顔が有る。
「綺麗だ」
私の頬にデューの頬が寄り添い、デューの擦れた囁き声が耳を染める。
外野からは悲鳴に近い声が湧きあがっていたけど、私自身もそれに近い声が心の中で騒いでいた。
(な、なんだ!?どうした?こんなに優しい顔をしたデューを始めてみたぞ!?)
此方の世界の男性、特に騎士隊や宮廷仕えの男性達は自分の感情を顔や態度に出さない。
もちろん王やあの馬鹿王子でもそうである。
直ぐに感情が出る事は幼い事だとされており、それは一般庶民の男子でも同じであるが、先に述べた人達(特に私の周りの男性達)は強面が多いのが日常だ。
馬鹿王子も胡散臭いとは言っているが、それはミリーとのらぶらぶを毎日目にしているからそう思うのであって、日常の仕事ではどちらかと言えば仏頂面に近い。
「・・・あっ!」
急な事に足元が疎かになってしまい、ステップを間違えて足を踏んづけてしまった。
「気にするな」
繋ぐ手に力が増し、腰に回された腕にも力が増した事により、今まで以上に体が密着する。
「ご、ごめんなさい」
何時もと違うデューの雰囲気に戸惑い、すぐ目の前の顔を見る事が出来ず自然と視線が下がって行くが、何故か目の前には見慣れた物が有る。
「顔を上げてくれ」
少しだけ冷静になれたお蔭で、顔を上げて視線を合わせた。
「このベスト、私のドレスと似てる」
深紅色のベストは無地に見えるが無地では無かった。
花柄織と言う織物で、幻の花と呼ばれているサフランの花の柄織だった。
私が今着ている深紅色のドレスにも一部使われており、その生地に物凄く酷似しているのである。良く見ればデューの黒のロングジャケットも私のスカートに使われている黒い生地ととても似ている。
「この洋服はサンドラに仕立てて貰った」
この人は顔色も変えずにこんな事をサラリと言ってくれるのだから困った物である。
「えーっ?マジでー!?」
私は驚き全開で反応してしまった。
(だって、これって、何気ないペアルックだよね?)
そう言えば、サンから日本の男性の正装についてしつこく聞かれた事があった。私も余り詳しくは知らないのでうろ覚えで教えたのだが、普通のスーツや燕尾服、果は中世の貴族の服の話まで持ち出し、最近ではコスプレで見かけた洋服の話までしてしまったのである。
どうやらそれらをヒントに作ったようであるが、サンのセンスには脱帽するしか無いと実感した。
嫌、それよりもこういう事は教えて欲しかったなと、少し寂しく思ってしまったのだった。
踊りながらデューの顔を見上げれば、其処には見慣れない優しい笑顔がある。その笑顔に困った表情をして見せると、ふっと零れる様に表情を崩して笑いかけて来る。
(嗚呼、どうしよう)
何時もは読み取れない表情から些細な思いを読み取ろうと頑張ってみるけれど、所詮まだ子供である自分には何も読み取れる事は何も無かった。
それなのに、今夜のデューは私を気遣い優しく笑いかけてくれている。
あのキスの夜以来、期待ばかりが大きく膨らむのを漸く宥めて、平静さを取り戻せたと思って居た。
でももう無理だと思う。
何度も落ち着かせようと必死だった胸の高鳴りは、早くなるばかりでもう止められない。
曲が変わり、次の曲は自分と踊って貰おうと集まるご令嬢達の距離が近づく中、デューは私の腰に手を回したまま貴賓室と呼ばれる王族専用の休憩室へと向かったのだった。
「デュ・・・ぁ・・・んっ!」
扉を閉めた途端、頭をホールドされ唇を重ねられる。
(こっちの世界の男はどうして強引なんだ!?これが当たり前なのか?こんなだと心臓が幾つ有っても足りーん!)
腰が引ける私を逃がさない様に力強く抱きしめるデューの腕の中で、戸惑いや恥ずかしさや期待で膨らんだ私は動くことが出来なかった。
「お前を誰の目にも触れさせたくない」
やっと離された唇から降り注ぐ言葉に眩暈がする。
「デュー・・・」
その先の言葉の続きを聞く事もせずにまた唇が塞がれる。
コンコン、ノックの音が部屋に響いた。
「失礼致します」
そう言って此方の返事も待たずに扉が開けられ、少し困った表情をしたおじ様が其処に立って居た。
私とデューは丁度テラスへ出ようとしていた所だった為、まあ見た目は普通だったと思う。
「デュアリス様、クラーク伯爵様がお探しです」
振り向いたデューの顔が、さっきまでの優しい表情では無く、何時も協会で見ている無表情の顔に戻って居た。
「分かった」
私の手を取り、甲に軽い口づけを落とす。
「失礼をお許しください。またお会い致しましょう」
軽く一礼をして部屋から出て行った。
その後を追う様におじ様も扉に手を掛けたが、少しだけ私の方に顔を向けて苦言を残した。
「明日、話をしよう」
何時もの優しいおじ様の顔は其処には無く、何か言いたい言葉を飲み込んだ影が当主と扉の間に漂っていた。
「はい」
私は平静な振りをしてそう返事をするしか無かった。
扉の向こうの夜会会場へ出て行く気分になれず、さっきデューが開けたテラスへ出た。
其処から中庭に出られたのでぷらぷら歩いてみる。
(異世界の常識、私の非常識なのかな。)
夜の庭には等間隔で街灯が置かれているからやわらかな明るさが有る。私が歩いて居る細い道には小さな淡い光の玉が浮かんでおり、人が近づくと点灯し離れると消える。日本で良く使われている高感度センサーの様な作りだけど、此方の方が断然可愛くて癒される。
そのまま何処までも続く細い道を考え事をしながら歩いて居たら、大きな東屋が目の前に現れた。
その東屋は庭の南端に置かれた物で、夜会会場の建物の真正面から続く長い道(約150メートル)の先に有る。
建物の方からは大きなざわめきが聞こえるが、此処に居れば話し声は当然聞こえない。
「賑やかじゃのう」
東屋の中から人の声が聞こえた。
「・・・そう、ですね」
一呼吸遅れて返事をしながら東屋の中を覗くと、其処には長い髭を生やしたお爺さんが座っていた。
「一緒にお茶でも如何かのう」
テーブルの上にはお茶道具一式と、甘い焼き菓子が乗っている。
「はい、ご一緒させて頂きます」
私はそのままテーブルの脇に立ち、お茶の準備を始めた。
お爺さんは何も話さない。
でも穏やかな雰囲気が心地好く、何も考えないでお茶とお菓子を楽しんだ。
お爺さんのカップにお茶のお替わりを注ぎいれる。
ついでに自分のカップにも。
「良い娘じゃのう」
自分の長い髭を撫でながら、ふぉっふぉっと目を細めて笑っているお爺さん。
「そうだと良いんだけど」
目の前に浮かんでいる柔らかい光をぼーっと眺めて気の無い返事を返す。
「良い娘じゃよ」
繰り返された言葉が気になって、お爺さんに視線を合わせるが、相変わらず穏やかに笑っていた。
「・・・ありがとうございます」
否定的な言葉が飛び出しそうになったけど、お爺さんの言葉を素直に受け取る事にした。
の、だけど。
「良い娘が過ぎるのも善し悪しじゃ」
「へっ?」
如何いう意味なのかと思い尋ねようとしたけれど、私の名前を呼び走ってくる人の気配に思わず振り向いた。
「マリア様、ミリアム王太子妃様がお探しです」
ミリー付の騎士、ジョイが少し慌てた様子で私の側に傅き、直ぐに会場へ戻る様に促した。
「あ・・・」
そう言えば誰にも言わずに出て来てしまったのに、此処でお爺さんとのんびりお茶を飲んでいる場合では無かったのだと思い出した。
お爺さんに謝罪の言葉とお礼の言葉を掛けようと思い視線をずらしたが、さっきまでお爺さんが座っていた場所には誰も居なかった。
「えっ?」
「如何されましたか」
「あっれ?其処にお爺さんが居たよね?」
「いいえ、どなたもいらっしゃなかったと思いますが」
ジョイは少しだけ驚いた顔をしたけれど、彼が私を見つけた時には此処には私しか居なかったと教えてくれた。
ジョイに促されて会場へ戻る時、思わず振り返ったテーブルの上には、湯気の立ったティーカップが二客置かれたままだった。
何だか少し雲行きが怪しげです。
穏やかな毎日に少しだけスパイスです。(笑)