17話 立っても座っても
私は今、物凄く感動し、同時に物凄く落ち込んでいる。
デューの部屋を借りてから数日が経って居るけれど、私ときたら壁の本棚にびっしりと収まっている本が気になって、毎晩遅くまで本を読むと言う悪い癖が出ていた。
日本に居た頃はそれを止めてくれる人達がいたけれど、此処にはそんな人は誰も居ない。
元々本と言うか活字が大好きで、新聞も読むし、ネット小説も好んで読んでいた。もちろんマンガだって大好きである。
図書館などと言う空間に投げ込まれたら、家に帰るとか食事をするとかの全てを忘れて没頭してしまうだろう。(一回で良いからしてみたかったな)
そんな私が部屋に置かれた本を手にしない訳が無く、後少し後少しと思いながら椅子に座ったまま寝ているのが実情だった。
だから朝は遅刻寸前で、そろそろルルから呆れられそうな気配が漂ってきているのも知っている。
そんな状態なものだから、せっかく庭付きのテラスが有っても意味が無いのである。
仕事が終わると飛んで帰り、本を手にする。
そのまま朝を迎えて慌ててシャワーを浴び、着替えて仕事場に飛ぶと言うのが最近だ。
しかし今朝は爽やかな風と鼻をくすぐる甘い香りに、何時もより早くに目が覚めた。
そう言えば、昨夜は昼間の暑さが残る夜だったので、寝室のテラスの窓を少しだけ開けて寝たのを思い出す。
(この甘い香りは・・・もしかして・・・)
急いでベッドから降りると、扉と同じくらいの大きさが有る窓を開けてテラスへ出た。
この部屋に作られているテラスは広く、日本の自室と同じ位の広さが有る(六畳間と同じ位広いのだ)。長方形の形をしているテラスの三方に木々が生い茂っており、その手前の高さ60センチ程の背丈で手毬の形をした花が沢山咲いていた。
それは大好きな芍薬(しゃくやく)の花である。
それも、特に好きな手毬咲きで、テニスボール大の丸い花は豪華でとても可愛い。
庭に咲いているのは白、薄いピンク色、濃いピンク色の三色で、丸みを残したまま花開き此方に向かって咲いていた。
「嗚呼、もう少し早く気が付いて居ればっ!」
残念で為らないのは、全てが開いており、蕾が1つも見当たらない事だった。
「蕾の先が少しだけ綻ぶ所が好きなのに・・・」
残念だけど、でもこの花が自分の近くで咲いている事が物凄く嬉しくて、今夜からは本を読む時間を決めて、朝は早起きをする事に決めた瞬間だった。
本棚が有る隣の部屋のテラスには時々猫ちゃんが遊びに来たりするので頻繁に出入りしていたけど、寝室のテラスは豪奢なカーテンを引いたままで開ける事が無かったのである。
それから数日後、『王太子妃を囲む会』と言うお茶会が開かれる事になり、客室を飾る花を取りに庭園師の元を訪れた。
王太子妃のミリーは貴族の若いご令嬢達から物凄い人気が有り、10日に一回位の割合でお茶会を開いている。
確かに美人で優しくて頭が良くて、刺繍の腕前もなかなかだし、それでもって『治癒の力』なんぞも持っているのだから、人が集まるのもしょうがないだろう。
「こんにちは、ダナさん。お花を取りに来ました」
広い庭の西側に、小さなログハウスが置かれている。
それがこの庭園を預かっている庭園師のダナさんの仕事場である。
「はいよ。もう少しで終わるから待ってな」
ダナさんは縦にも横にも大きな女性で瞳の色は薄い赤茶色、赤い髪の毛を後ろに結び、赤いエプロンを付けている。
庭園の花は勝手に取る事が禁止されている。庭園はゆっくりと歩きながら見て楽しむ為の物であり、色々な種類の草花が綺麗なコントラストを作っているのが諏である為である。庭園は城に住む者や勤める者達の憩いの場であり、来客した者達への癒しともなるとされているからだと教えて貰った。
しかし花にも見ごろが有れば終わりもある。それを見極めてくれるのがダナさんである。
彼女は草花と意思の疎通が出来る「フェアリートーク」と言う魔力を持っている。
そのお蔭で、見ごろも終わりが近い花を摘んでは切り花として用意してくれるのである。
それらを綺麗にアレンジして私達に手渡してくれるのだが、見頃が終わりだなんて思えない程豪華な花束が出来上がり、毎回毎回感心してしまう。
「うわー、今日も凄く綺麗ですね」
「だろ?」
満足げに笑うダナさんも嬉しそうだ。
「あ、そうだ、ダナさんに聞きたいことがあるんです」
「ん?何だい。花の事しか分からないよ?」
「しゃくやくって花の事なんですけど」
「シャクヤク?何だいそれは」
此方での名前が分からなくて、絵を描いて説明をする。
「それはピーオニーだよ」
そう言えば前に英語で何て言うのかを調べた時に、チャイニーズピオニーって言うのを思い出した。こっちの花とかフルーツは英語読みに近い物が多いんだ。
此処の所毎朝早目に起きてテラスのしゃくやくの花を見ている。
枯れる事も散る事も無く相変わらず元気に咲いている。
余りに可愛くて、時々水を上げたりもする。
この花を他の人達にも見て欲しいと思うのだけど、あの部屋に勝手に人を招き入れるのは不味いだろうし、かと言って花を切ってもいいのかどうか分からない。
「へー、ピーオニーが咲いてる場所が有るんだ」
ダナさんは不思議そうな顔をして何処にどんな風に咲いているのかしきりに聞いて来る。南の塔の奥のこういう場所でと説明すると、思い切り舌打ちをして悔しがった。
ピーオニーは人が住む場所に咲かない花だと言われている珍しい花で、森の奥や人里離れた場所でしか見られず、まさかこの城の中で咲いているとは思えないと言うのだ。
「南の塔には行けないからね、残念だよ」
本当に残念そうに顔をしかめるダナさんだが、何かを思案している様にも見える。
「ねえ、其処には蕾は有ったかい?」
「いいえ、残念な事に全て開いているんです。私も蕾が見たいんですが、未だに出て来なくて」
それを聞いたダナさんはにやりと笑うと、ちょっと待っておいで、と言って何処かへ行ってしまった。
五分もしないで戻って来たダナさんの手には小さな鋏。
「この鋏を花の根元に近づけてみておくれ」
「近づけるだけ、でいいんですか?」
「そうだよ、近づけるだけさ」
私の手に鋏を握らせると、他の侍女が花を取りに来たので話はそれまでになってしまった。
翌日の朝。
昨日ダナさんから受け取った鋏を手にテラスへ出る。
その鋏は鉄をUの字に曲げた形をしており、尖っている筈の先端は丸く合わさる刃の部分も研がれていない。小学校の頃に見た「握りばさみ」に形が似ているが、これは鋏と呼べる物では無い。
しゃがみ込んでじっと花を見つめる。
長い事見つめ会っていたが、意を決して鋏を根元へと近づける。
「・・・・・」
二本、三本と繰り返したが何も起こらなかった。
「はぁ~緊張するし~」
何が起こるかと心臓はどきどきしており、手には汗まで浮いて来ていた。
後数本試して止めようと思い、少し木の陰になっている部分の花に鋏を近づけてみた。
「ぎゃっ!・・・何で?何でだよぉー」
思わず鋏を放り投げ、落ちている花を手に取りおろおろするしかなかったのである。
「ピーオニーもやっと休めるんだから、あんたが泣く事は無いよ」
慌てた私は落ちてしまった花を手に、ダナさんの居るログハウスへと飛んでいた。
「本当に咲いてたんだねえ、本当に綺麗な花だねえ」
そう言って一本のしゃくやくの花を眺めている。
「あんな風に落ちるなんて吃驚しましたよ」
「ごめんごめん、ちゃんと教えなかったもんね」
そう言って笑うダナさんが少しだけ憎らしかった。
丸い花が咲くしゃくやくの細くて短い茎の根元に鋏を近づけると、音も無くゴロリと花が落ちるのである。鋏を近づけた辺りから茎が取れ、大ぶりな花の割に細くて短い茎はそれを支えられなくなって、重心の思い花が下になってゴロリと落ちるのである。
最初こそ驚いてそのまま地面に落下させてしまったが、その後からは花に手を添えて鋏を近づける様にしている。
お城の中は魔力で満たされている。
特に南の塔は王族の住処であるからより強力な魔力が掛けられている。
その所為で、花たちは散る事を知らずに何時までも咲いているのだそうだ。
年に二度、強制的に刈り取りを行うが、住人の居ない部屋まではしていないのだそうだ。
散りたくとも散る事が出来ない花。
何だかそれも可哀想だと思う。
それ以来、週に一度、しゃくやくの花を抱えてダナさんの元を訪ねる事になった。
相変わらず花が落ちる瞬間は余り気分が良くないのだけど、それも花の為だと思えば我慢も出来た。
『立てばしゃくやく、座ればぼたん、歩く姿はゆりの花』
日本での美人を例えたことわざをダナさんに教えてあげたら、しゃくやくもぼたんも同じピーオニーだと言われて唖然とした。
しゃくやくとぼたんは似ているかもしれないが、違う花だと公言しても誰も分かってくれる筈も無かった。
私は、ぼたんの花が苦手である。
それに似ているしゃくやくの花は大好きである。
この微妙さは、自分だけしか分からない事なのだと、この時実感したのだった。
日本のことわざって美しいと思います。
微妙な花を喩に使って、女性の美しさを表現するなんて、本当に素晴らしいですよね!
『立てばしゃくやく座ればぼたん歩く姿はゆりの花』
She sits and stands a peony and walks a lily
英語に訳すると、上記の様にそのまんまです。
あー、なんか納得出来ないー!