11話 指揮官の困惑
此処は協会二階にある総指揮官の執務室。
指揮官殿は椅子に座り長い脚を机の上に投げ出した格好のまま目を瞑って何かを考えている。
その同じ部屋の応接セットのソファに腰を下ろし、書類に目を通しているのは副指揮官殿である。
「俺は変わったのか」 指揮官の単なる独り言である。
「嫌、変わってない」 返事を返してくれる副官のアシュレイは親友である。
『黒髪の少女』を初めて見たのは、尋常では無い大きな気配を突き止める為だった。
その日は月に一度の官長会議の日で、城内には高位の魔術者達や、高位の能力者が集まっている日であった。
そんな日に、城内の一点に落とされた濃厚な魔力の行方に誰もが恐怖を覚えた。
其処に居た誰もが、今まで感じた事の無い強い魔力に竦んでしまったのである。
その時俺は神官殿と一緒におり、神官殿の一言で直ぐに行動に移す事が出来たのだ。
「ほー、アルバートは何時でも突然じゃのう」
「あの、アルバートですか」
「しかし、落ちたのは別の者じゃ」
俺も、あの、アルバート程では無いが、転移術を楽に使う事が出来る一人だ。(異界までは行けないが、国内なら十分に範疇だ)
急いで向かった先には、赤黒い血を流した『黒髪の少女』が横たわっていた。
その『黒髪の少女』の傍らには、呪文を唱えながら必死に傷口に手を当て、その手先から迸る光に集中する王太子妃ミリアム殿が居た。
「傷口は塞がりましたが、かなりの深さと出血の多さに加え、転移術による体への負担が大きいようです」
「私が暫くの間は様子を見ましょう」
「お願い致します。私は、少し、休みます」
「その方が宜しいな」
ミリアム殿は『癒しの力』をお持ちだ。しかし、そのお力は体力を著しく奪う。
待女に支えられながら部屋を出ようとする王太子妃に、つと、言葉を掛けた。
「アルバート殿、に違い無いか」
「間違いなく兄様です」
王太子妃は振り返る事無く肯定した。
『黒髪の少女』は床に延べられたまま、その場で着衣を剥がれ、体を清められ、白い衣を着せられた。
一旦、その場を離れかけたが、その姿(黒髪)の所為で、その場に留められた。
(無論、後ろを向いて居たが)
その後は客間へと運び、寝室へ横たえたのだが・・・
何かの拍子に、少女の手が自分の衣服を捕まえていた。
そっと少女の手を取り、強く握られた指先を数度撫でると、その手から簡単に逃げる事が出来た。何故かその時、少し寂しく感じたのは気のせいだったのだろうか。
枕元には、タバコより一回り大きいが薄っぺらい白い板、猫の耳を模した物、白く四角い小さな板に「マリア」と書かれている物、その数点だけが置かれていた。
「マリア」
少女にそっと呼びかけて見る。
返事が返るとは思って居なかったが、少女は眉間に皺を寄せ、とても嫌そうな顔をした。
(違う名だな)
その後、元気になってからも「マリア」と呼ぶと、若干の間があってから返事をする事から、その事は今でも確信している。
真っ白いシーツの上に横たわる少女をじっと見つめる。
色味の無い白い肌を、黒く少し長めの髪の毛がくっきりと輪郭を作っている。
女性にしては太目の眉毛も黒く、その下の閉じられた瞳を覆うまつ毛も黒く長い影を落としている。
少しだけ開かれた唇も色味が薄く、ゆっくりと吐き出す息の音だけが微かに聞こえる。
先程抱き上げた時にも感じたが、子供の様に軽く細く、今も掛けられている上掛けには大して起伏が無い。
(幼子か・・・しかし・・・)
深い眠りに落ちている少女からは、魔力の欠片も感じられず、夕刻には待女長官殿と交代する事となった。
それから数日後、仲間達と外へ飲みに出、何軒か梯子した後に女の店へ向かうと言う仲間達と別れ、自分一人寄宿舎へと戻って来た。
そろそろ日が昇るかと云う時間だったが、今日は休みだからと別に気にした事でも無かった。
タバコを取り出し火を点けながら、練習場を横目に寄宿舎へと向かおうとした時だった。
横目に小さな雷が一本、とても細い小枝程の雷が見えたのだ。
それは、気配も音も無く。
ゆっくりと顔を向ければ、其処には、あの『黒髪の少女』が居た。
暫く、そのまま様子を見ていたが、何かを叫んだだけで動かない。
多少は酔っていたから、からかうつもりで後ろから近づいた。
「転移術が使えるのか?」
「***?」
「何を言っているんだ?」
振り返った少女は、自分の腰にぶら下がる剣を目に留めると、一瞬のうちに驚愕の表情に変わり、その場に倒れ込んでしまったのである。
(やはり黒く大きな瞳を持って居たのか)
今だからそう思うのだが、言葉を理解する為の道具も持たず、剣を見ただけで(ナイフで刺された記憶が蘇ったらしいが)気を失う等、アイツは全く無防備だ。
異世界とはそれほど身の危険が薄い場所なのか?
嫌、それは無いだろう。アイツ自身が重傷だったのだ。
やはり、アイツが馬鹿なんだろうな。
しかし、ただの馬鹿じゃ無いのが問題なのだ。
あの時、抱き上げた時に感じた僅かな「力」。
パチパチと爆ぜながら、その身の内に溶け込んで行ったあの「力」は「闇」へと吸い込まれて行ったように感じたのだ。
抱き上げればそれなりの重みが有る。
小さく華奢な体はその髪の色と瞳の色とに相反して白い。
その幼さが残る寝顔には不釣り合いな、ぷっくりとした桃色の唇は甘い味がした。
アイツの事が気になりながらも、只時間は過ぎて行った。
隣国との境界線で起こる盗賊の討伐や、隣国とのいざこざ等、小さな事を片づけるうちにアイツの事も薄れて行った。
「デュアリス、家から手紙だ」
「またか」
「何処も同じだな」
「今度は何処のご令嬢だろうな」
開封される事の無い手紙はそのままゴミ箱へ向かう。
いい加減に所帯を持たなければいけない年齢なのは十分に承知しているが、どうにもその気にならず、このまま騎士の宿舎で過ごすのも良いかと思う此の頃だ。
親も進んで婚姻を勧める訳でも無く、知り合いから届けられる写真と釣書を送って来るだけなのだ。
兄はとっくに婚姻しており子供も三人授かっている。
姉も王妃として嫁いでいるし王太子も居る。
俺は騎士隊に入ったし、早々婚姻するとも思っていないだろう。
別に、女が嫌いな訳じゃない。
男ばかりの騎士隊員らの噂話は酒と女の話が多い。酒場や市井の女の話も出るが、今年の城内の学生寮(元後宮)は豊作だと言う話を頻繁に耳にする。城へ出向く時に一番の近道だから、良く利用する者も多い。実際、其処で出会い婚姻までした騎士が居る事は事実で、それなりに双方楽しんでいる様子である。
あの日は実家からの手紙を多少気に掛けていたのか、気分が優れず、それでは気分転換の為にも「豊作」とやらを見学するかと、城までのルートを其方に取る事にしたのだった。
ある意味気分転換にはなったのだ。アイツの困った顔が見れたからな。
しかしその後、要らぬ事に首を突っ込み、身の危険と隣り合わせになるとは思わなかった。
黒い翼で空を飛んだり、遠くに有る物を手元に呼び寄せたり、そんな事はまだ可愛い事だった。
突然、バケツをひっくり返した様な水を浴びせられたり、周りが火の海になったり、自分目掛けて雷が落ちそうになる等、アイツの魔法は限度を知らない。ましてや取り扱い方法を知らないのが困り者だ。
そして、魔力をどれだけ使っても本人は疲れ知らずなのだ。
あの黒いタイルの様な物は意外と軽く、スマホと言う変な名前が付いて居るが、どんな構造をしているのか不思議でならない。
最近では身の危険を感じ、アシュレイにも立ち会って貰う事にしているが、アシュレイもアイツの力には驚いている様だ。
「ブルーグリフの別名を持つお前が手こずるのも頷けるな」
ブルーは青い瞳、グリフとは上半身が鷲で下半身が獅子の姿をした聖獣の事を指すのだが、アイツを見ていると自分の別名がお飾りの様な気がしてくるのである。
「それを言うな」
試しにアシュレイがそのスマホとやらを触っても、やはり何も作動しなかった。
今夜は何が起きるやら。
10時の消灯時間が過ぎる頃、黒髪ツインテールの少女は、手に籠をぶら下げてやって来た。
総指揮官様、ちゃっかり味見してましたね。(笑)
脳内に浮かんだ妄想を言葉に変換するのに苦労してます。
限りなく広い心でお待ちくださいませ。