お使い以上クエスト未満
ある日のことだ。
いつも通り仕事をしていた僕は、凄い事実に気が付いてしまった。
「あれ? うち赤字じゃない?」
こちらがここ数ヶ月の収入の合計で、こちらがここ数ヶ月の支出の合計。
支出が、収入よりも明らかに多い。
うん、教科書に載せたいほど典型的な赤字だね。
今すぐ危ないというわけではないけど、何の対策もしないといずれ貯金が底をつくだろう。
逆に言えば、今から頑張れば十分挽回可能だけど。
やはり、モンスターに自重させたのが原因なんだろうな。
僕はほら、元現代人だし。人が死んだり、怪我したり。血生臭いのは苦手なわけですよ。
生存競争なのだから、冒険者とモンスター両方の命が失われるのは仕方がない。このことに関しては、僕はもう自分を納得させるしかなかった。
でも、出来れば失われる命は最小限であって欲しい。
こう思う僕は傲慢なのだろうか?
ダンジョンの中で誰かが死ぬ。僕にも責任の一端がある。その覚悟はもう済ませている。
その上で、理不尽な死がなければいいなと考えているのだ。
モンスターを自重させたのにはこういう理由があった。
今のダンジョンは、ちゃんと準備を済ませ、体調を万全に保ち、実力にあった階層に挑戦する限りにおいては生命の危険は限りなく少ない。
運動靴で雪山に登るようなレベルの無謀でもしない限り最悪の事態にはならないだろう。
収入の大半はダンジョン半ばで倒れた冒険者の遺留品を換金したもの、支出の大半はモンスターの餌代だ。今のポリシーを捨てる気はないため、ダンジョンの難易度を変える以外の方法で収入を増やさなければならない。
「いっそ、入場料でも……」
考えて即却下する。
魔王自らが入り口で接客するダンジョンとか、画期的にも程がありすぎる。
大体、入場料は既に冒険者ギルドが入り口で徴収しているのだ。
僕に何の断りもなく。僕の家なのに。僕の家なのに!
買い物の帰りとか、僕は自分の家なのに入場料を払っているのですよ。切ないよね。
大体、僕の本業は魔王であるからして、定常的に長時間拘束されるような方法は副業に向かない。
不定期で構わなくて、時間の融通が利いて、拘束時間が短くて、かつ実入りが良い。
そんな方法があれば理想的なのだけど……。
あった。
不定期で構わなくて、時間の融通が利いて、拘束時間が短くて、かつ実入りが良い方法。
これなら、副業としても申し分なく、その経験を本業にも生かすことが出来る。
その方法とは、冒険者だ。
魔王なのに冒険者とは洒落が効いているし、正直どんなものなのか興味もあったんだ。
では早速行ってみよう、冒険者ギルドへ!!
――☆――☆
「駄目だね」
一言の下に却下されたぁー!!
冒険者ギルドの受付である。
ダンジョンの中に入るだけなら入場料を払うだけで良いが、ダンジョンから持ち帰った物を換金するためにはギルドに所属している必要がある。
そんな訳で早速ギルドへ名簿登録に来たのだけど、僕の顔を見ただけで却下しやがりましたよこのおっさん。
「な、何故……」
どうして!? 僕が一見未成年に見えるから? それとも華奢で全然実力があるように見えないから?
……あ。何だか僕自身駄目なような気がしてきた。
「と言うか、坊主。お前最近ダンジョンの入り口でよく見かけるが、親御さんはそのことを知ってるのか?」
んん? なにやら風向きが怪しい気がするよ?
「あそこはまだ坊主のような若造が一人で入るには早い。今後は大人の連れがいないと入れさせないから、そのつもりでな」
やぶ蛇だった!
どうしよう、帰れない! いきなり自分のおうちに帰れない!!
「えぇと……ほら、僕はもう大人だから」
「ガキはみんなそう言うもんだ」
うん、僕も自分で言っててそう思った! 思ったけど!! 信じて!?
僕が帰って世話をしないと、お腹を空かせたモンスターが大量にダンジョンから湧出してしまう。
まだ冒険者が到達してない階層には、攻略法が確立されていない危険なモンスターだっている。
あれ? これ地味に世界の危機じゃない?
確かに僕は魔王だけど、こんな形で世界を滅ぼしたい訳じゃないんだ!
「おや、可愛い子がいるね。どうしたんだい?」
新たにギルドに入ってきた女が、こちらの騒ぎに気付いたのか受付の男に声を掛けてきた。
ブルネットの髪に愛嬌のある顔立ち、そして艶のある声。並の娼婦なら逃げ出しそうな色気だが、腰に下げた一振りの剣と鍛え上げられた身体が、彼女が冒険者であることを示している。
「何だ、戦慄か。いや、この坊主が冒険者になると言っていてな。ガキにはまだ早いと諭していたところだ」
「ふ~ん、この子がねぇ」
そう言って、僕の方を無遠慮にジロジロと眺める。うぅ……美人のアップは緊張するなぁ。
やば。何か変な汗出てきたかも。
「なんだい、まだ毛も生えてないような子供じゃないか」
ははは生えてるよ!?
戦慄と呼ばれた彼女は身体を屈めて僕の肩に手を乗せ、瞳を覗き込みながら言った。
乱暴な仕草からは想像出来ない程に真剣な視線と口調だ。
「良いかい坊や。冒険は遊びじゃないんだ。おっぱい臭いガキはおうちに帰ってママの小便でも飲んでいな」
!!?!?!!?!?
「あ、間違えた。逆かー。まぁ似たようなもんだ」
全然違うわ!!!
謝れ! 母乳でちゃんと子育てしているお母さんたちに謝れ!!
恐ろしい……まさに戦慄。わはははと豪快に笑う女を、僕は怯えと共に見上げた。
「……と言っても納得しづらいところがあるだろ?」
そう言って女は軽くウィンクをした。こうした所作が絵になるのだから、美人は得だよね。
「こうしようじゃないか。あたしに一撃でも入れることが出来たら冒険者にしてあげる。駄目だったら諦める。良いかい、ギル?」
受付の男はギルと言うらしい。
「まぁあんたが言うんなら構わないだろう」
ギルはあっさりと頷いた。二つ名を持っていることと言い、この女はそれなりに信頼を得ているのだろう。
しかし、腕試しか……。
子供に間違われてこんな事態になっているけど、こう見えても僕は魔王だ。その辺の冒険者に後れを取るはずがない。
「一撃でも入れることが出来たら」と女は言ったが、本気で当てれば肉片すら残らない可能性もある。
そうでなくとも、異常さを見せて僕の正体が露見してはまずい。
実力を隠したまま女に一撃を入れる。難しいが、これが今回の勝利条件だ。
「おいでっ!」
その言葉と共に、僕はまっすぐ腕を突き出した。
!!
決着は一瞬で付いた。
掴みかかった僕の腕を軽やかに躱し、背中を見せた僕の肩をトン!と押す。軽く触れられただけなのに、僕の身体は凄い勢いで部屋の隅まで飛んでいった。
背中を壁に強く打ち付けた所為で、しばらく呼吸も満足に出来ない。
あれ? ……あっれぇー??
僕魔王だよ? 強いんじゃないの?
今の女の動きは全く見えなかった。手加減するつもりでやったけど、例え本気で掴みかかっていたとしても結果は同じだっただろう。
そっかー。魔王的なチート能力でも目覚めているかと思ってたけど。この感じ……元の世界でサラリーマンやってた頃と全然変わってない!!
道理で魔王になっても自分の身体に違和感を感じなかった訳だよ……。
おかしいとは思ってたんだ、だってダンジョンの階段を上るだけで息が上がるんだもの。
「……実はとっても筋が良くて、『このあたしが鍛えてやるよ』とか言って、若くて可愛い弟分ゲット! ってお約束の展開だと思ったんだけどね」
女は呆然と呟く。
「悪いことは言わない。冒険者になるのは諦めな。さもなきゃ簡単に死ぬよ」
馬鹿にしているのではない、本気の忠告だ。
「どうも……お騒がせ……しました……」
とぼとぼとその場を後にする。
ダンジョンには、秘密の裏口から入りました。最初からこうすれば良かったなぁ……。
――☆――☆
「……と言うかさ」
自分の部屋でくつろぎながらごちる。
「確かに戦闘力は低いけど。ダンジョンの構造は知り尽くしてるし、モンスターは懐いてるし」
冒険者になったら、いずれ異常性が明らかになって異端視されていたね。
そのことを考えると冒険者にならなくて正解だったかも知れない。
幸い家計もそこまで逼迫しているわけでもないし。自分にあった方法をゆっくり探していけばいいよね。
今日のことは良い経験になったと思う。いつか魔王の間まで冒険者が辿り着いたとき、素直に戦えば勝負にならないことをこうして事前に知ることが出来た。
折角来てくれた冒険者を失望させないためにも、きちんと対策は練っておかないとね。
……よし。
今日は疲れたから明日から頑張ろう!
そう決心して、僕は床に就いたのだった。