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悪魔の血宴

作者: 葵屋昴
掲載日:2026/04/23

           ⅰ     

       

 大多数の人類には、異星の神の血が流れている。

 一万二千年前、異星より降臨した神性に遺伝情報を賜った小集団が、現在の北アフリカに高度な文明を打ち立てた。文明は支配権の簒奪を恐れた地球の神々によって洗い流されたものの、僅かな生き残りが各地に伝播し、先住民と交わりながら支配種の礎を築いたとする説が魔術世界における定説である。その祖神の潜性形質が隔世的に遺伝し、祖神に準ずる能力を得たヒトを、識者は生来の魔(ダイモーン)と区別して悪魔(デーモン)と称した。稀少種であり、二十体が現存すると『魔堂教会』は達している。



 澄社(すみしろ)市。首都圏北東部に位置する衛星都市であり、森林や澄社山を擁する風光明媚な住宅都市である。この土地に古くから根を下ろす名家の一人娘、桜屋瑠璃子(さくらやるりこ)は母屋に併設された道場にて、早朝から薙刀の稽古に勤しんでいた。

 瑠璃子はやや癖のある長い黒髪を、耳より低い位置で左右に束ね、眼鏡をかけた愛嬌のある佳人だ。暫くして稽古を終えると、広大な庭内を軽く掃き清め、温室の植物に水を与える。そうして朝の日課を終え、瑠璃子は浴室で汗を洗い流した。

 桜屋家の祖先は巫であった。巫は神慮の代弁者であり、原始国家における政治と宗教の中心人物だった。だが、国力の増加に伴って組織を統率する神官と立場が逆転し、その地位と技能を失ったのである。しかし、中には桜屋家のように、野に逃れて精髄を後世に繋いだ巫も居たのだ。

「瑠璃子ー早くご飯食べちゃいなさい。また遅刻するわよー」

 母の声を受けて、瑠璃子は手早く身支度を整えると、脱衣所を出て居間に足を運んだ。既に父は出勤しており、居間には母の八重子と祖母の千恵が食後の緑茶を啜っていた。時刻は八時十分。朝礼は八時四十五分。悠長に朝食を摂っている時間は無かった。

「申し訳ありません。のんびりしている時間は無さそうなので、行って参ります」

 バターが塗られたトーストを咥えながら、瑠璃子は足早に学校へ向かった。

 私立澄社高等学校。市内唯一の進学校である。生徒の自主性を尊重する校風であり、染髪や化粧等も黙認されている。

 時刻は八時四十分。安堵の溜息を吐いて、瑠璃子は席に着いた。すると、親友の七瀬美影(ななせみかげ)が声を掛けをてきた。

「また遅刻ぎりぎりだな」

 そう言って、瑠璃子の頬に付いたパン屑を指で拭うと、そのまま口に運んだ。美影は銅色の髪と唇に開けたピアスが目を引く少女である。明け透けな物言いで教師や他の生徒と衝突する事も多いが、不思議と瑠璃子とは馬が合った。

「おはようございます。美影さん」

「いっそ堂々と遅刻してきた方が清々しいんじゃないか」

 桐宮葉介(きりみやようすけ)が皮肉を挟む。総髪に端正な面差しの青年だ。桐宮家と桜屋家には浅からぬ縁がある。当人達もそれを自覚して、良好な関係を築いていた。

「おはようございます。葉介さん。さすがに堂々とは遅刻できませんよ」

 苦笑して、瑠璃子は胸の前で小さく手を振る。

「また薙刀の稽古か? 毎朝よく続けるもんだな。部活でもないのに」

 感心したように美影が口にする。

「慣れれば平気ですよ。それにしても、どうして私が稽古をした事が分かったんですか?」

「髪がまだ濡れてたからな。大方シャワーで汗を流して、髪を乾かすのもそこそに出てきたんだろ?」

「髪は放っておけば乾きますから」

「相変わらず几帳面なのか大雑把なのか分からない性格だな」

 美影が呆れた表情で溜息を吐いた直後、担任が姿を現して、朝礼が始まった。



 善隣門を潜り抜け、姚曉月(ヤオ・シャオユエ)雨木春吾(あまぎしゅんご)は横浜中華街に踏み入った。曉月は外見こそ十二歳程度の花のような少女だが、千年以上の時を経た悪魔であり、随行する春吾もまた年数は浅いが、精悍な顔つきの青年の姿をした悪魔である。

 程なくして、曉月と春吾は菜華酒楼と看板を掲げた店の前で立ち止まる。楼閣を模した立派な建物だ。準備中の札を無視して中に押し入ると、三十余名の従業員が、跪いて拱手礼を示した。

「よくぞお越しくださいました!」

 本家の中国がそうであるように、黒社会は中華街のあらゆる領域に浸透している。建ち並んだ店舗の中には、犯罪組織の窓口として機能する物が存在しており『鵬』の場合は菜華酒楼がその役割を担っていた。

 鵬は宋代に端を発する秘密結社である。古の中国において、秘密結社は広域的な相互扶助を実現する社会装置であり、民衆に広く浸透した存在だった。清代以降、増加する幇会や軍閥から身を守る為に無頼の性質を帯びたものの、その本質は変わらない。鵬は今日も神仙道を修める魔術師──即ち神仙方士の互助組織として在り続けていた。その頭目が他ならぬ曉月だった。

「あーそういうのいいから。楽にして楽に。頼んでおいた物は手配できてる?」

「はい! 最新のゲーミングPCを用意しております!」

 趙義(チャオ・イー)が答える。義は日本で活動する鵬の顔役である。

「ん。じゃあ早速案内して」

 充てがわれたのは楼閣の最上階の豪奢な部屋であり、二人で過ごすには充分な広さと設備が整っていた。調度品は全て優雅な中華風に統一されている中で、二台のゲーミングPCを中心とした環境が異彩を放っていた。

「本当に力を貸すつもりか?」

「うん。だってレアアイテム欲しかったし。春吾は気乗りしない?」

「愛国も博愛も掲げるつもりは無いが、それでも、な」

 曉月と並んでオンラインゲームに興じていた春吾が、手を止めてコントローラーをデスクに置いた。

「そう深刻に考える必要は無いよ。大丈夫。春吾には僕がついてる。悪いようにはならないさ」

 そう言って、曉月は笑う。千年の月日を感じさせない可愛らしい笑みだった。



 時刻は午前二時。梢の潮騒が響く澄社市郊外の森林地帯に、魔術師ラメル・ヴェーニアが足を運んでいた。

 澄社市には最古参の悪魔(グレートオールド)ヨルダが封印されている。祖神に匹敵する権能を有しており、その能力を以て脆弱な身体を捨て、悪魔として新生する事がラメルの目的だった。だが、封印を解くには六つの要を破壊する必要がある。ラメルは一つ目の要である石碑の前に立ち、後ろを振り向いた。そこには悪魔デュオン・バルバトルが佇んでいた。

 デュオンはフランス出身の悪魔であり、最古参の悪魔(グレートオールド)リュカが統治する地底に滞在していたが、ラメルの勧誘を受け、悪魔の王国を打ち立てるべく参加した。杖刀を手にした老紳士然とした悪魔である。

「ごめーん遅れたー」

 姚曉月が雨木春吾を伴って現れた。曉月は複数のオンラインゲームのレアアイテムと交換にラメルに協力している。

「全員揃いましたね。では、始めましょう」

 ラメルが口を開き、石碑を破壊する。途端に虚空から巨大な魔獣が姿を現した。

「こんな細工を施していたとはな。門外漢の私が言うのも何だが、こういうのは要を破壊する前に現れるんじゃないのか?」

「恐らく、この魔獣が要そのものなのでしょう」

 デュオンの疑問にラメルが答える。

「僕がやるよ」

 そう言って、曉月が進み出る。直後、魔獣に崩拳を放った。矢のような打突が魔獣に直撃するも、損傷を与える事はできない。しかし、次の瞬間、曉月の足下の地面が陥没するや否や、魔獣の肉体が爆ぜて塵と化した。

 脱力による重心移動の勢いを拳に乗せ、打拳を密着したまま衝撃を放つ「寸勁」と呼ばれる中国武術の技法の一つだ。但し、その威力は並の武術家の比ではなかった。

「素晴らしい」

 感嘆の声がラメルの口から漏れる。

「百年も套路を練れば誰でもできるよ。さぁ、この調子でサクッと終わらせよう」

 曉月の予想以上の実力にラメルは笑みを浮かべながら、一行を率いて次の要へ向かった。


           ⅱ           


 桐宮葉介は魔堂教会に属する魔術師である。

 魔堂教会は■■■を救世主に戴く世界最大の宗教結社の暗部{本性}であると同時に『神秘』の守護を旨に奇跡を独占・管理する世界最大の魔術組織である。神秘とは古の思想家が()()()()()と説いた概念であり、根源(arkhē)(to hen)(ain)(tao)阿頼耶(ālaya)等の仮称を擁する神の座を示している。だが、神秘(mystic)の語源が暝黙(muo)を意味する通り、歴史上その正体を解き明かした者は居ない。それでも人類が神秘に手を伸ばすのは、原初への回帰がヒトの本能だからだ。その最たる人種が魔術師なのだ。

 魔術師と一般人を隔てる核は第三器官{松果体}に有る。第一器官は肉体に作用する感覚器であり、五感に相当する。第ニ器官は精神に作用する感覚器であり、第六感が該当する。第三器官は魂に作用する感覚器であり、変容した松果体が形而上の概念を認知し、物理法則に干渉する働きを備えている。

 深夜。けたたましい警笛の音で葉介は飛び起きた。直ちに状況を察し、各所の封印の要に使い魔を送ると、教会と瑠璃子に連絡を取った。

 明けて夕刻。葉介は『幽冥の門(シェオル)』から派遣された執行者を伴って桜屋家の屋敷を訪ねていた。葉介から連絡を受けて、既に母達は父方の実家に避難した為、瑠璃子がその応対をしていた。

 幽冥の門(シェオル)は法王庁直属の特務機関であり、完全な実力主義で常に九人の執行者が在籍している。基本的には教会でも対処できない魔が現れた時に出動するが、その実態は教会に対する抑止力である。教会が暴走した時、それを鎮圧するだけの戦力を保有するとされている。

「まずはこれを観てくれ」

 葉介が手元のリモコンを弄ると、複数の男女が要の魔獣を一撃で屠る様子がテレビに映し出された。葉介は使い魔に小型カメラを取り付けて、情報を共有できるようにしていたのだ。

「これはとんだ貧乏くじを引いたな」

 壁に寄りかかっていた男が自虐的に口を開いた。テオヴァルト・エーベルシュタイン。幽冥の門(シェオル)の暫定第九位の執行者にして魔術師であり、黒髪と全身に施した紋様が特徴的な大男だった。

「ああ。だが残る要はここだけだ。何としても護らなければならない」

 力強く、まるで自分に言い聞かせるように葉介は応えた。

 ヨルダは桜屋家の先祖が封印し、後にその危険性を感知した教会が、監督役として桐宮家を据えた経緯がある。以来、教会内でも機密情報として秘匿されていたが、悪魔の研究を進めていたラメルの目は欺けなかった。

「私が片付ける。お前達は屋敷に籠って要を護っていれば良い」

 そう言って、エレン・アーネスは煙草に火を点ける。腰まで伸びた赤毛と左眼に聖銀(ミスリル)の眼帯を付けた眉目秀麗な女性だ。若輩ながら幽冥の門(シェオル)の第四位の執行者であり、大口を叩くだけの実力を有している。

「エレン、それは蛮勇と言うものだ。下位者の俺が進言するのも何だがな」

 テオヴァルトの言に、巻き込まれても怨むなよ、と応えてエレンは紫煙を吐いた。

「皆さんお腹は空いてませんか? 何か作ってきます。空腹で戦はできませんから」

 瑠璃子は立ち上がり、台所へ向かった。

「緊張感の無い娘だな」

 思わずテオヴァルトが呟いた。

「だからと言って、ずっと緊張している訳にもいかないだろ? 心配しなくても瑠璃子はやる時はやる女だ。それに瑠璃子の作る飯は美味いぞ」

 そう言って、葉介は姿勢を崩した。

 それもそうだ、とテオヴァルトはポケットから携帯酒瓶(ヒップフラスコ)を取り出すと、キャップを開けてスコッチを呷った。

「おいおい、いざという時にへべれけじゃ困るぜ」

「心配するな。水と変わらん。お前も呑むか?」

「生憎と俺は下戸だ。匂いで酔う」

「そいつは残念。エレンはどうだ?」

「遠慮する。安酒は悪酔いするからな」

 テオヴァルトは肩をすくめて、再びスコッチを胃に流し込んだ。

 それから暫くして、瑠璃子が台所から戻ると、手にした丸盆の上にサンドイッチが鎮座していた。

「お口に合うか分かりませんが、どうぞ召し上がって下さい」

 そう促して、瑠璃子はサンドイッチが盛られた皿を食卓に移した。トマト、レタス、胡瓜、スモークサーモン、卵、鶏肉等の様々な具材が柔らかいパンに挟んである。空腹感を覚えていた葉介とテオヴァルトがサンドイッチを口に運ぶ。

「おお? こいつは結構いけるな!」

「言っただろ? 瑠璃子の料理は美味いって」

「ありがとうございます。エレンさんもお一つ如何ですか?」

 腹は減っていない、と言ってエレンは吸殻を携帯灰皿に押し込んだ。

「庭内を見て回ってくる」

 そう言い残して、エレンは屋敷を後にした。

「嬢ちゃん気にするなよ。エレンに愛想が無いのは元からだ。それより、おかわりを貰えるか?」

 テオヴァルトの言に笑みを返して、瑠璃子は空になった皿を丸盆に乗せて台所へ向かった。



 葉介、エレン、テオヴァルトの三人は、十間の距離を置いてラメル達と対峙していた。時刻は零時。寂然とした庭内を淡い月が覗いていた。

「退いていただければ命は取りません」

「優しいんだな。俺は土下座されてもお前を殺すつもりだ」

 ラメルの言葉に対して、葉介は敵意を剥き出しにして返す。

「押し通るしかないようですね」

 修羅場の気配が周囲に漂う。先に動いたのはデュオンだった。

「惑乱せよ『光闇の迷宮(プリヤール・エペ)』」

 突如として濃霧が敷地内全体を包み込んだ。悪魔は()()()()()()()()()を有しており、その能力を以て己の()()を具現化する術理を魔術世界では『真世界』と称する。

「悪魔の真世界か。私が行く。巻き添えが嫌ならお前達は下がっていろ」

 葉介達が止める間も無く、エレンは霧の中を進んで行った。

 真白の闇の中、唐突に気配を感じたエレンはホルスターからベレッタM92を抜いて発砲する。途端、デュオンのカタチをした霧が四散した。

 真世界の中では主である悪魔は不死だ。故に不死性を無効にする手段が必要になる。エレンの拳銃の弾丸には不死性の無効化が施されているが、幻惑に特化したデュオンの真世界の前では苦戦を強いられるのは必至だった。

 エレンは再び気配を感じて拳銃を構えたが、今度は四方八方からデュオンが襲いかかってきた。エレンは何かを悟ったように、拳銃を下ろして眼帯を外した。そうして、本物のデュオンの杖刀がエレンの脇腹を斬り裂いた──刹那、虹色の眼光が迸る。デュオンの身体が硬直した。

「何だ……何だその眼は!」

 デュオンは焦ったが、徐々に身体が朽ちていった。

 バロールの魔眼。神代のアイルランドを襲撃した海賊の首領バロールが所有する魔眼だ。視たモノを死に至らしめる最上級の魔眼であり、バロールが光神ルーに敗れた後もアーネス家の先祖によって受け継がれてきた秘中の秘である。

「遊びが過ぎたな。玩弄するつもりだったんだろうが、即座に私を殺さなかったのがお前の敗因だ」

 「不死」を覆す圧倒的な「死」。デュオンは完全に朽ち果てた。

「くッ!」

 エレンが膝を折る。脇腹の傷に加えて、無理矢理人間の器に納めた魔眼の使用による過負荷に中枢神経が悲鳴を上げているのだ。エレンが眼帯を付け直すや否や、突風が霧を吹き飛ばした。デュオンが具現化した真世界を曉月が上書きしたのである。

「あー鬱陶しかった。画面が見辛くて仕方がないっつーの」

 エレンは傷口を押さえながら蹌踉とした足取りで葉介達の所に戻る。

「後は任せた」

 そう言って、エレンは腰を下ろして煙草に火を点けた。

 携帯ゲーム機に熱中する曉月を残して、春吾は前に進み出た。続くように、葉介とテオヴァルトが歩を進める。

 仕掛けたのは春吾が先だった。だが、テオヴァルトは春吾の崩拳を躱すと、紋様が発光して左腕に集束し、強烈な左拳を春吾の鳩尾に打ち込んだ。

 洋の東西を問わず、武術が体系的に成立したのは十四世紀頃の話だ。それらは時代の停滞期に保存されたが、戦争の火種が燻り続けた西洋では、戦場の主役が火器に移行した事も手伝って、古の武術は保存する間も無く表舞台から失われた。一部の例外を除いて。

 テオヴァルトは数少ない西洋古武術の使い手であり、霊的加工を施した紋様を操って攻防に用いる武闘派の魔術師だった。

「!」

 テオヴァルトは僅かに驚いた。内臓を砕いた感触があったのにも関わらず、春吾が渾身の回し蹴りを打ち込んできたからだ。人間では無い。そう断じてテオヴァルトは兜の緒を締めた。

 春吾は曉月の遊び相手であると同時に中国武術の弟子でもある。師事してまだ数年だが、本人の努力と悪魔の身体能力も相まって、技量で上回るテオヴァルトと善戦する事ができていた。

「チッ!」

 春吾が舌打ちする。テオヴァルトの攻撃の合間を縫って、葉介が魔術(火弾)を放ったのだ。その手には魔術宝典(グリモワール)が把持されていた。魔術宝典とは、個人または一族が奇跡をカタチに成したモノである。多くは桐宮家のように書物にして後代に遺すが、稀に武具や装飾品などのカタチで保存する者も居る。

「無粋な真似とは分かっているが、まだお嬢さんが控えている以上、長期戦は避けたいんでね。ここからは二人がかりでやらせて貰うぜ」

 葉介の戦術に不承不承といった様子のテオヴァルトだったが、即席の連携は確実に春吾を追い詰めていった。しかし────

「闇夜を貫け『一天覆う千の光翼(グランレイフィールド)』」

 唐突に鳥の姿を模した光が上空に現れた。春吾の真世界である。その数は千を超え、輝きは夜を昼に変えた。時を移さず、テオヴァルトは春吾から距離を取る。

四重障壁(クアドラプルバリア)!」

 葉介が上空に障壁を展開すると同時、

天の崩落(ヘヴンズフォール)

 光の雨が降り注ぎ、轟音と共に庭内の一画を焦土と化した。葉介とテオヴァルトは肩で息をしながらその場に立ち尽くしている。障壁は春吾の攻撃の大部分を防いだが、貫通した光が二人の肉体を穿ったのだ。

「もういいよ春吾。時間は充分に稼いだでしょ。後はラメル次第だ」

 曉月の台詞に違和感を覚えたテオヴァルトは、佇立するラメルに光弾を放つ。すると、ラメルは夜の闇に溶けるように霧散した。

「くそっ! 幻影か!」


           ⅲ           


 エレンがデュオンと戦っている頃。ラメルは影に潜んで屋敷内に侵入すると、地下へと続く階段を探し当て、降って行った。その先は石畳の敷かれた広大な空間で、蝋燭の灯りで視界は保たれている。そこには要の石碑を背にした桜屋瑠璃子が立ち塞がっていた。

「ここから先は通しません」

 手にした薙刀を構えて瑠璃子が宣言する。同時に懐から取り出した角砂糖を口に含み、ラメルに接近する。

「荒々しいお嬢さんだ」

 瑠璃子の斬撃は、ラメルの影から現れた巨大な人影に阻まれた。それはラメルの動きに合わせて動く影法師で、ラメルが腕を振るうと、剛腕が瑠璃子を弾き飛ばした。そこに、ラメルの影から生み出された複数の使い魔が追撃を重ねる。その使い魔を、瑠璃子は一瞬で斬り払った。

 薙刀を構え直した瑠璃子の口辺には笑みが浮かんでいた。武術に関しては素人であるラメルも、瑠璃子の気配が変わった事を感じていた。

 肉体を通じて精神と結び付いた器物はその所有者の経験知を記録する。中でも卓越した使い手が経験知を記した諸物を、斯界では賢書に喩えて経典と称した。経典は適性に応じて持ち主に憑依し、精神の汚染を代償に経験知を伝承する。だが、瑠璃子には適性が無かった。故に巫術を用いて経典を憑依させ、例外的に経験知を引き出したのだ。

 巫は憑依・離魂を以て神託を得る。その際に巫は変性意識{トランス}状態に陥る。達者は自力で儀を成すが、多くは音楽や幻覚剤の補助を必要とした。角砂糖に染み込ませた幻覚剤の効果が切れるまでの間、瑠璃子は一時的に古豪の剣客と相違なかった。

 再び瑠璃子はラメルに接近する。今度はラメルが腕を振るうより速く、薙刀がラメルの腕を斬り落とした。すると、影法師の腕も消滅する。続いて、首を落とそうとした時、瑠璃子の背後でけたたましい音が響いた。にやり、とラメルが笑った。ラメルが生み出した使い魔が、石碑を破壊したのだ。ラメル本体に意識を向けていたあまり、石碑から意識が離れていた。その一瞬の隙をラメルは見逃さなかったのだ。そして、石碑に意識を向けた瑠璃子を、ラメルは残った腕で殴り飛ばした。

 石畳の上を転がりながら、瑠璃子は石碑が在った位置まで後退を余儀なくされる。加えて、石碑を破壊したことで現れた魔獣が瑠璃子に襲い掛った。

「!」

 咄嗟に魔獣の攻撃を防いだが、倒す訳にはいかない。それはヨルダの復活と同意だからだ。だが、魔獣とラメルを相手にしながらこの場を収めるのは至難だ。瑠璃子は魔獣に組み伏せられながらも、打開策を見出そうとするが、不意に魔獣が咆哮を上げながら塵と化した。ラメルの影法師が、槍のように変化した腕で、魔獣を貫殺したのだ。

「さぁ、今こそ顕れ出でよ! 秩序の破壊者よ!」

 ラメルの言に呼応するように、一瞬、大気が震えた。直後、浅黒い肌に金髪を掲げた赤眼の少年が姿を顕した。

「おお……! 何たる王気! ヨルダ様、私はラメル・ヴェーニア。貴方を尊崇──」

 台詞の途中でラメルの心臓を瑠璃子の薙刀が背後から貫いた。

「がッ!」

 ラメルは頽れて、這いつくばりながらヨルダに懇願する。

「ヨルダ様……どうか私を……貴方の同族に……」

 縋るように乞うラメルに、ヨルダは口付けを交わす──忽ちラメルの容態が急変した。斬り落とされた腕が再生し、貫かれた心臓が再び拍動する。ラメル・ヴェーニアは悪魔として新生したのだ。

「ふふ、はははは! 遂に手に入れたぞ!」

 哄笑した後、ラメルはヨルダに跪く。

「ヨルダ様。そこの娘は貴方を封印した一族の末裔。どうか私に貴方の代わりに雪辱を果たす機会をお与え下さい」

 ヨルダは応えない。それを了承と受け取ったラメルは立ち上がって瑠璃子に向き直る。瑠璃子は構えを固めた。

「Appari」

 ラメルの影から無数の使い魔が現れて、瑠璃子に襲いかかる。それを全て斬り伏せるも、使い魔は即座に再生した。現実の改竄だ。その気になれば、瑠璃子を無力化することも容易いだろう。そうしないのはラメルの慢心だ。瑠璃子はその慢心{隙}に勝機を見出した。

 影の使い魔を悉く斬り裂き、血路を開いた瑠璃子は、ラメルに迫ると、瞬時にその首を刎ねた。即座に思考の速度で現実改竄を行おうとするラメルの首を、瑠璃子は反射の速度で両断した。それは鳥が無意識に複雑な飛行をこなすように、積み重ねた経験知がもたらす妙技だった。

 驚愕する間も無いまま、ラメルの意識は闇{死}へと堕ちていった。しかし、まだヨルダが残っている。最大級の脅威は去っていないままなのだ。

「似ている」

 おもむろにヨルダは口を開いた。

「余を封じた巫とそなたはよく似ている」

 次の瞬間、二人は庭内に移動した。ヨルダの現実改竄(空間移動)である。突如として姿を現した二人に、曉月を除いた全員が喫驚する。同時にヨルダが復活した事実を理解した。

「余はいたずらに人界を荒らすつもりは無い。余の願いはただ一つ。そなたを妻に娶る事だ」

 ヨルダは瑠璃子から視線を逸らさずに断言する。

「……」

 予想外の告白に瑠璃子は当惑する。無理からぬ事だ。脅威と思っていた相手が求婚してきたのだ。混乱するのも当然だ。

「それで……それで本当に隠遁して下さるなら」

 そう言って、瑠璃子は構えを解いた。すかさず葉介が叫ぶ。

「馬鹿野郎! 悪魔の甘言に乗せられるな!」

「葉介さん……申し訳ありません。こうする事でしか桜屋家の責を全うできません」

「腹が据わったようだな。余に輿入れする以上、共に時間を過ごす悪魔(ヒト)に成ってもらう。後悔はさせん。必ずな」

 ヨルダは瑠璃子に近寄ると、その顔を引き寄せて唇を食む。それだけで、外見に変化は無いが、瑠璃子は悪魔へと変貌を遂げた。

「余はヨルダ。そなたの名は?」

「桜屋瑠璃子です。末永くよろしくお願いします。ヨルダさん」

 パン──、と銃声が夜気を裂いた。

「茶番はそこまでだ」

 拳銃を片手に提げたエレンは、眼帯を外して、ヨルダと瑠璃子に歩み寄る。

「私は元々ヨルダの封印が解かれる事を前提に派遣されてきた。確実にお前を殺す為にな」

 ヨルダは瑠璃子を庇う様に前へ進み出る。次の瞬間、エレンの魔眼がヨルダを射抜いた。

 視認した者に死をもたらすバロールの魔眼に対して、ヨルダは不死の現実改竄で対抗する。如何に最古参の悪魔(グレートオールド)と言えど、魔眼の直撃を受ければただでは済まない。だが、エレンも魔眼の力を行使するには相応の負荷を伴う。拮抗する短期決戦となる事は明白だった──途端、エレンが動いた。ヨルダに向けて三発の銃弾を放つ。同時に瑠璃子が飛び出した。瑠璃子は銃弾を全て斬り落とすという離れ技をやってのけると、返す刀でエレンを斬り伏せた。

「ッ!」

 決着はついた。深手を負った上に、魔眼の負荷に苦悶するエレンには、もう立ち上がる気力は無い。眼帯を付け直すのがやっとだ。背後に控えていた葉介とテオヴァルトが駆け寄る音を聞きながら、エレンは意識を手放した。



 エレンが目を覚ますと、桜屋家の客間に敷かれた布団の中だった。時刻は午前三時。いつの間にか浴衣を着ており、元から着ていた衣服は枕元に畳んで置かれていた。そこにはホルスターに納められた銃もある。上体を起こすと、どこにも異状は無く、瑠璃子に斬られた傷も消えていた。瑠璃子の現実改竄だ。

 目が覚めましたか、と襖越しに声がして、瑠璃子が姿を現した。エレンは一瞬、ホルスターに手を伸ばしかけたが、瑠璃子に敵意が感じられない無い事から思い留まる。

「お腹は空いてませんか? 簡単なもので良ければご用意できますが」

「必要ない。それより何のつもりだ? 私を生かしておいて、そちらの利になる事は一つも無い筈だが」

「はい。ですからお願いします。どうか私達を見逃して下さい」

 そう言って、正座をしていた瑠璃子は、平伏して畳に額をつけた。

「無理な話だ──が、命脈を保った借りがある。今回はこのまま引き上げよう」

 エレンの言に瑠璃子は面を上げる。

「ただ、すぐに別の執行者がお前達を殺しにくる。死にたくなければ上手く隠れる事だな」

「ありがとうございます」

「ヨルダは人界を荒らすつもりは無いと言っていたが、もしそうならなかったらどうするつもりだ?」

「私が止めます。妻ですから」

 瑠璃子の双眸には、埋め火の如き決意が宿っていた。最古参の悪魔(グレートオールド)に新米悪魔が敵う筈も無いが、エレンには瑠璃子なら何とかなると思えた。

「逃げるなら早くする事だ。何故わざわざ私が起きるのを待っていた」

「私なりに筋を通したかったんです」

 そう応えて、瑠璃子は客間を後にする。その背中を見送って、エレンは煙草に火を点けた。



「じゃあ瑠璃子は会って間も無い奴と駆け落ちしたって事か?」

「まぁ……そうなるな」

 学校の屋上で、葉介は美影に今回の顛末を語った。無論、詳細は省いた上でだ。

 瑠璃子が姿を消してから三日。美影は葉介が事情を知っていると見越して問い詰めたが、その内容に些か動揺していた。しかし、それも束の間。美影は空を仰いだ。

「親友にメールの一通も寄越さないなんて、薄情な奴め」

 美影は葉介に向き直る。その表情はどこか吹っ切れたようだった。

「話してくれてありがとうな。ジュースでも奢るから購買に行こう」

 そう言って、屋上を去る間際、飛び立った鳥影に、美影は瑠璃子の影を重ね見た。



 ヨルダと桜屋瑠璃子の出奔から三ヶ月。テオヴァルトは日本に留まり、教会が派遣した部隊の指揮官を務めていた。

 指揮官と言えば聞こえが良いが、事実上は左遷に近い。要するに「ヨルダを見つけるまで帰ってくるな」と言う事だ。それがどれ程困難な事か、幽冥の門{シェオル}に在籍しているテオヴァルトには理解できた。何せ相手は最古参の悪魔(グレートオールド)だ。現実改竄の練度が並の悪魔とは次元が違う。本気で隠れられたら見つけるのはほぼ不可能なのだ。そもそも、まだ日本に居るのかも解らない。能力の稀少性故に責務を免除されたエレンとは雲泥の差の扱いだ。

「所詮は暫定、か。俺も嫁さんを見つけて、この国に骨を埋める覚悟をした方が良さそうだな」

 嘆息して、報告書の束に目を通す。副官が淹れた珈琲を飲みながら、テオヴァルトは昨日と変わらぬ今日を過ごしていた。



「だから言ったでしょ? 悪いようにはならないって」

 鵬が本拠を構える上海のビルにて、曉月と春吾はオンラインゲームに熱中していた。

「結果論だがな」

「まぁ僕も結婚するとは思わなかったけどさ。あー敗けた」

 曉月はコントローラーを放り投げて、好物の芝麻球を口に運んだ。

「あの二人、上手くいくと思うか?」

「んー大丈夫じゃない? 案外お似合いかもよ。それにヨルダの気持ちも僕には分かる。どれだけ仲を深めようと、人間はいずれ死ぬ。だから、共に時間を過ごせるヒトを求めるし、傍に居て護りたいと願う。春吾にはまだ分からないだろうけど、長く生きた悪魔は程度に違いはあっても同じ考えをもってるんじゃないかなぁ」

 そういうものか、と呟いて、春吾も芝麻球を一つ摘んだ。



 東北地方山中。堂々たる屋敷が門を構えていた。

「ヨルダさん。お茶が入りましたよ」

 そう言って、瑠璃子は縁側に湯呑みを置いた。屋敷畑に出ていたヨルダは、その声で瑠璃子の許まで来ると、縁側に腰を下ろして茶を啜った。

 この地に潜んで既に半年。執行者の影も無く、穏やかな日々を過ごしている。最初は責任感から結婚した瑠璃子だったが、そうした日々の中でヨルダに対して情が芽生えていった。

 いつまで続けられるか解らない。だが決して後悔はしない。この生活が、ヨルダと過ごす大切な日々が、いずれ終わりを迎えても。瑠璃子は静かに心を固めた。



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