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児童館のせんせー

誰かの『またな~』の後で ~児童館のせんせー

作者: 時司 龍
掲載日:2026/03/28

 児童館(じどうかん)とは、児童福祉法(じどうふくしほう)第40条に基づき、18歳未満の子供が自由に利用できる児童福祉施設(じどうふくししせつ)である。

 専門の職員・・・児童厚生員(じどうこうせいいん)が配置され、遊びを通じて子供達の健やかな成長を支えている。

 また、施設によっては学童保育(がくどうほいく)(放課後児童クラブ)が併設されている事もある。

 これは、そんな場所でのある日の出来事である。




 ボールが、壁にぶつかって鈍い音を立てた。

 ドン、と一回。

 間を置かず、もう一回。


 またか。


 (たくみ)は奥歯をわずかに噛みしめる。注意する前から、どう返ってくるかがわかってしまう。やめろと言えば、やめない。理由を言えば、笑う。

 それでも言わなきゃいけない場所で、言う側にいる自分が、少しだけ面倒だった。


「やめろって言ってるだろ」


 低く落ちた声に空気が一瞬だけ止まる。ちゃんと届いた手応えはある。けれど、それで終わる相手じゃない事も知っている。


「当たってねーじゃん別に」


 笑いながら言い返したのは、小学5年の史人(ふみと)だった。

 ほらな。

 胸の奥で小さく舌打ちをする。正論は、こういう場面では一番軽く扱われる。当たってないからいい。まだ大丈夫、だから続ける。幼稚な理論だ。

 そうやって、ぎりぎりを踏み越える癖がついていく。


 その隣で、小学3年の(あらた)が更にボールを強く蹴る。

 今度は床を滑って、本棚の足にぶつかった。がた、と本が揺れる。


 危ない、じゃない。危なくなる前に止めるのが仕事だ。ゲンコツでも落とせば、一発で静かになる。

 そんな考えが、反射みたいに浮かぶ。

 だが同時に、それが何を意味するかも知っている。今の時代、それをやれば指導じゃ済まない。簡単に虐待の線に踏み込む。

 だから、やらない。やれない、じゃない。選ばないだけだ。


「危ない」


 匠は二人に歩み寄る。足音は静かだけど、逃がさない距離で止まる。

 この距離。逃げようと思えば逃げられる。でも逃げにくい。怒鳴らなくても、圧だけは伝わる位置。


「ここ、遊戯室じゃない。わかってるよな」


 視線を落とすでもなく、二人をまっすぐ見る。目を逸らしたら負ける、なんて思っているわけじゃない。ただ、逸らした瞬間に本気じゃないと判断されるのがわかっている。

 新が、鼻で笑った。


「わかってるけど?」


 そう来るよな。

 匠は一拍だけ息を止める。言葉を選ぶ余裕は、もうあまりない。


「だったらやめろ」

「つまんねーじゃん」


 即答だった。

 史人が肩を揺らして笑う。


「ここさ、静かすぎんだよ。なんか気持ち悪い」


 確かに、この部屋は静かだ。声を潜める場所として大人が作った空間。

 壁際には低い本棚が並び、角の丸いテーブルと小さめの椅子が幾つか置かれている。床には寝そべっても大丈夫なように柔らかいマットが敷かれ、足音はほとんど吸い込まれてしまう。

 蛍光灯の光もどこか一段落とされたように柔らかく、窓から差し込む陽の光が埃を静かに浮かせていた。

 落ち着くための場所。だが、その静けさが必要な子達もいる。


 匠は新と史人から嫌な感じを受けた。

 部屋の端で本を読んでいた低学年の子が、びくっと肩を揺らした。

 その反応に、新が気づく。獲物を見つけたみたいに、にやぁと口元が歪む。


「ほら、ビビってる」


 そのまま、わざと足音を大きくして近づく。


「なに読んでんの?」


 しゃがみこんで、更にわざと近く顔を覗き込む。

 その子は答えない。ただ、本を握る手に力が入る。


「無視?」


 声が少しだけ低くなる。

 その時だった。

 部屋の端で様子を見ていたベテラン職員の京子(きょうこ)が、すっと一歩踏み出す。

 丸みのある体つきに、無理のない動き。背筋はぴんと伸びているわけではないのに、不思議と崩れない。短く整えられた髪は気取らず、それでいて清潔感がある。

 普段はよく動く表情も、今は静かに落ち着いていた。口元にわずかな緩みを残しながら、目の奥だけがきゅっと締まっている。その目に、軽さはない。怒っているわけでもないのに、ここから先は違うと立つ強さがある。


 本を読む子のすぐ横に立ち、さりげなくその前に体を入れた。

 押し返すでも、睨みつけるでもない。ただそこに立つだけで間に境界ができる。


 その瞬間。

「新」

 匠の声は、さっきよりも一段だけ強く落ちた。

 新の動きが止まる。


「ボール遊びがしたいなら、遊戯室でやれ。それ以上やるなら、外出るか、帰るか選べ。他の子達の迷惑になっている」

「は? 警察と親に言うぞ。オマエなんて首だからなっ」

「言うなら、言え。自分行動が間違っていないと思うならな」


 ゆっくり立ち上がる新。

 目が、まっすぐ匠を睨む。


「なんで俺だけに言うっ」

「だけじゃない。二人ともだ」


 史人にも視線を向ける。


「他の子達の迷惑だ。その最低限のルールを守れないなら、ここにはいられない」


 少しの沈黙。

 史人が、先に口を開いた。


「・・・別にいいし」


 そう言って、ボールを拾い上げる。


「外行こーぜ、新」


 軽い調子。けれど、どこか試すような目。

 新は一瞬だけ迷うように視線を揺らした。


「・・・チッ」

 舌打ちをひとつ。

 そのまま、匠の腰辺りにわざと軽くぶつかるようにして通り過ぎる。


「つまんねー」

 吐き捨てるみたいに言って、出入口へ向かう。


 史人が後ろで笑う。

「またな~ちゃんと仕事しとけよ~」

 ひらひらと手を振る仕草。


 ドアが乱暴に閉まった。ばたん、という音がやけに大きく響く。

 静けさが戻る。でも、それは元の静けさじゃない。さっきまでの空気をどこか引きずったままの、重たい静けさ。


「大丈夫?」


 京子はしゃがんで、声をかけている。

 その子は小さく、こくんと頷く。

 その様子に、少し離れたところにいた悠子(ゆうこ)が、ゆっくりと近づいてくる。


「お疲れさん」


 柔らかい声。でも、その奥に少しだけため息が混じる。


「・・・あの二人、また来ますかね」


 匠は言いながら明日もまた来るだろうなとしか思えない。

 悠子は少しだけ間を置いた。


「来ると思う」


 窓の外に視線をやる。まだ、あの二人の姿が見えているのかもしれない。


「来る場所、ここしかない子達だから」


 その言い方は優しいのに、どこか引っかかる。逃げ場って事か。匠は何も言わない。言葉にしてしまえば、軽くなる気がした。


「でも」

 悠子は続ける。すらりとした立ち姿に、整えられた肩までの髪。穏やかな表情の奥で目元だけが微かに冷えている。

「来た時にどうするかは、考えておかないとね」

 静かな声。けれど、その静けさはさっきまでとは違う意味を持っていた。試されてるな。

 匠は、ほんの僅かに息を整える。




 次の日。

 児童館は、いつも通りの時間に開いて、いつも通りに子供達が来て、いつも通りに走り回って、いつも通りにケンカして・・・そして、少しだけ静かだった。

 でも、その続きは来なかった。


「・・・来ないですね」

 匠が、ぽつりと言う。誰とも言わないのに、誰を指すのかわかっている。

「一日くらいなら、珍しくないけどね」

 そう言いながらも、来館カード置き場に目をやる。



 金曜。

 来ない。


 土曜。

 やっぱり、来ない。


 週明け月曜。あんなに毎日憎まれ口を叩きに来ていたのに、来ない。

 火曜も来なかった。



 水曜の放課後。

 低学年の子供達が、折り紙を広げているテーブルの端で。


「ねえ」

 匠は、なるべく自然な声で話しかける。

「最近、新、見てる?」


 何人かが顔を上げて、互いに目を見合わせる。

 少しの間。その中の一人が小さく言った。


「・・・ケンカした」

「誰と?」

「史人くん」


 空気がほんの少しだけ変わる。

 匠は表情を変えないまま続きを待つ。


「なんか・・・ゲームで」

「ゲーム?」

「うん。カードのやつ。ずるしたって」


 別の子が口を挟む。


「新くん、めっちゃ怒ってた」

「史人くんも」

「押したりしてた」


 言葉がぽつぽつと落ちる。

 断片的で、でも十分だった。


「それで?」


 匠は促す。

 最初に話した子が、少しだけ声をひそめた。

「・・・次の日から学校、来てない」



 その日の帰り際。

 ランドセルを背負いながら、ひとりの子がぽつりとこぼした。


「史人くんさ」


 振り返る。


「新くんのカード、盗ったって言ってた」

「盗った?」

「うん。レアなやつ。欲しかったからって」


 軽い調子。

 でも、その軽さが逆に引っかかる。それで済ませていい話じゃないと。


「それで?」

「新くん、めっちゃ怒ってた」


 そこまでは、さっきと同じ。

 でも、その子は少しだけ声を落とした。


「でもさ、史人くんもさ」


 更に声を潜める。


「どうせオマエのじゃねーだろって」


 その言葉が妙に残った。

 『どうせオマエのじゃない』

 カードの話だけじゃない響き。何か他の事も疑われている響き。自分のものじゃないから、雑に扱っていい。そんな理屈も透けて見える。

 匠は僅かに眉を寄せる。

 放っておいていい言葉じゃない。



 木曜。

 別の子から、似たようで違う話を聞く。

「外でさ、やってたよ」

「何を?」

「押し合い。新くん、めっちゃ怒ってて」

 手で押す仕草をする。

 隣にいた子も話し始める。

「髪引っ張ってて、」

「史人くんも、やり返してた」

「止めたの?」

「ううん」

 首を振る。

「なんか・・・怖くて」

 その怖さが匠の中で少しだけ形になる。ただのケンカじゃない時の、空気のやつだ。



 金曜。

 今度は、少し年上の子が面倒くさそうに言った。


「どっちも悪いよ」

「どういう事?」

「史人、前からちょっとやってたじゃん。人のカード勝手に持って行ったりさ」

「・・・」

「新もさ、すぐキレるし」


 肩をすくめる。


「今回だけじゃないよ、多分」


 断片が、少しずつ増える。

 でも。

 どれも決定的ではない。だから余計に想像が入り込む。


 匠の中で場面が組み上がっていく。

 カードを巡って言い合いになって。

 新が強く出て。

 史人が引かずに、余計な一言を乗せて。


 『どうせオマエのじゃない』


 その言葉に新が止まって。

 次の瞬間、押したのか、殴ったのか。

 そこは、わからない。



「・・・想像で補わない方がいいよ」


 背後からの声。振り向くと悠子が立っていた。

 いつの間にか話を聞いていたらしい。


「ありがとうね」


 子供達に微笑んで会話を切り上げる。離れてから、匠に小さく言う。


「二人が来てない理由、それかもね」

「・・・あの感じだと、どっちも引かないですよね」

「ええ」


 短く頷く。でも、その頷きは軽くない。


「顔に出てる」


 少しだけ苦笑する。匠は息をひとつ吐いた。


「すみません」

「別に」


 すぐに返ってくる。


「考えるのは必要だから」


 ただ、と続ける。


「事実と想像と混ぜると、見誤る」


 匠は頷く。わかっているつもりだった。

 でも。

 『どうせオマエのじゃない』という言葉だけは、どうしても引っかかっていた。



 その日の夕方。

 閉館後の静かな時間。窓の外は、もう暗い。


「学校には、確認しました?」

 匠が、事務スペースで書類を整えながら聞く。


「さっき、学校に電話しました」

 京子がため息混じりに呟いた。

「新くん、ずっと休んでるみたいです」


 紙をめくる音が、止まる。


「史人は?」

「それも、同じく」

 沈黙。短いけれど、重い。


「学校は、何か言ってましたか」

 問いかける。

 京子は少しだけ視線を落とした。

「詳しくは教えてもらえない」

 当然といえば当然。


「ただ二人とも、同じ日に休み始めたって」


 同時。それだけで、十分だった。


 静かなフロアを見渡す。

 走り回る子はいない。

 大きな声もない。

 問題は、今ここにはない。

 なのに。


「・・・外で続いてるかもしれないですね」


 匠の言葉に、京子も悠子も否定しなかった。


「そうかもね」

 短く。

 それだけ。


 あの二人がここじゃないどこかで、同じ続きをやっているのか。

 それとも。

 もう、別の形に変わってしまっているのか。


「来た時が、大事だね」

 悠子が言う。

 その来た時が、来るかどうかもわからないのに。それでも、そう言うしかない事もわかっている。

 匠は頷いた。考えるのは、その時でいい。

 そう思いたいのに。

 頭の中では、まだ途中の場面が何度も繰り返されていた。


「ただのケンカ、では終わってないかもしれないね」

 悠子の声は落ち着いている。

 けれど、その中に僅かな硬さが混じる。指先が組み直され、その一瞬に警戒の色が滲んだ。


「親も出てきて、大事にならなければいいけど」

 京子の言葉には実感がこもっている。何度もそういう場面を見てきたのだろう。小さく息を吐きながらも視線はパソコンの画面に落としたまま、手慣れた動きで書類の入力を続けている。


 匠も短く答える。視線は机ではなく、その向こう。子供達が過ごしていた空間の方へ向ける。

 さっきまでのざわめきが嘘みたいに、静か。


「・・・何か、できないですかね」

 思ったよりも小さい声だった。独り言みたいに落ちたそれを、悠子は拾う。

「児童館が現場でもない。その子の権利を主張できる立場でもない」

 淡々とした言い方。

 責めるでもなく、慰めるでもなく。


「児童館の職員なんて、こんな時は無力なもんよ」


 少しだけ間を置いて、そう続ける。

 言葉は軽くないのに声は静かだった。

 匠は何も返さない。ただ、その言葉を受け止めるしかない。

 視線の先には誰もいない。

 けれど、そこにいたはずの気配だけが消えきらずに残っている。


「・・・ああいう子ほど」

 京子が、ぽつりと言う。

「居場所なくすと、一気に崩れるから」


 匠はゆっくりと息を吐いた。

 何も言えないまま。

 何もできないまま。

 ただ、その言葉だけが静かに沈んでいった。


読んでくださってありがとうございます(*_ _)

ポイントを入れてもらえると、嬉しいです。

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