うるさい救い
頭が痛い。
病院に来るまでに、やけに時間がかかった。
来ようと思えば、いつでも来れたはずなのに。
後回しにして、
見ないふりをして、
気づけば何日も過ぎていた。
朝霧ユウ、二十四歳。
建材メーカーに入社したばかり。
覚えることは山ほどあるのに、
何ひとつ、うまく回らない。
空回り。
その言葉が、これほど似合う人間もいないと思う。
――今日こそ行けって。
そう言ったのは、安田先輩だった。
面倒見がよくて、
でもちょっとだけ怖い人。
「もう、それ我慢するやつじゃないからな」
半ば強引に休みを取らされて、
ユウは町医者の待合室に座っている。
ズキン。
こめかみが脈打つ。
ズキン。ズキン。
周囲のざわめきが、やけに遠くて、やけにうるさい。
申し訳なさそうに背を丸める。
――なんで俺、こんななんだろ。
視線を落とした先で、
赤がちらついた。
さくらんぼ。
子ども用の、小さな絵本だった。
幼い頃は良く見ていたなぁ…と思い手に取る。
他に理由はない。
ただ――少しだけ、楽になりたかった。
ページをめくる。
やさしい色。
丸い線。
何も起こらなさそうな世界。
その一ページ目に、赤いマントのさくらんぼを模した女の子がいた。
次の瞬間――
「うぉおおおおおおお!!!
出れたーーーー!!!ひゅーーーー!!!」
「!?」
ユウは飛び上がった。
椅子がガタンと音を立てる。
周囲の視線が突き刺さる。
……あれ?
誰も驚いていない??(自分にだけ聞こえたのか…)
「……すみません お騒がせしました……」
(終わった。完全にやべえヤツだろ俺ぇえ!!)
顔が熱い。消えたい。
だが、それより――
「ねえねえねえねえ!!ここなに!?ひろい!!!」
声が、近い。
近すぎる。
ゆっくりと見上げると
絵本の外に、少女がいた。
「……は?」
「すごい!!人いっぱい!!ねえ!!ねえ!!!」
「いやいやいや…へ??」
「…なにそれ!?」
「…ほまえだよ!!!(小声のつもり)」
思わず声が出る。
周囲の視線、再び。
(あー、詰んだ)
その時。
パサッ。
隣の人の書類が、床に落ちた。
それを少女が持っていた。
「やめろぉおおおおおお!!!!」
不自然に宙をまう書類
慌てて奪い、戻す。
「あれぇ??なんか?風かな??(苦しい)」
風、ない。
「……ほら!見ちゃダメよ、行きましょっ」
(終わった)
「ねえこれなに!?これも触っていい!?」
「ダメだ!!!」
ズキン。
頭が痛む。「…っ!!」
「痛いの?」
「……いいから、黙ってろ……」
ユウはこめかみをさすった。
その時だった。
ふわり、と。
少女の衣装が、少しだけチラリとはだけた。
――!?なにか、見てはイケナイものをみた感覚に襲われて視線を外す。
次の瞬間。
ズキン、と来るはずの痛みが、来ない。
「……は?」
静かだった。
頭の中が、嘘みたいにクリアだ。
「ねえ!これすごいね!!!みてみてみて!!!」
「……ダメだ…帰ろう…」
「アレ!?ねーねーちょっとぉーーー!!!」
パタム!
ユウは絵本を閉じて棚に雑に戻し、受付で急用だといい診察をキャンセルした。
そしてユウは逃げるように病院を出た。
---
家に戻る。
スマホを取り出して “いよいよ” な症状を検索してみた。
「頭痛 幻覚」
「幻聴 触れる」
…検索結果が地獄だった。
(町医者じゃなくて、そっち系か……?)
ベッドに倒れ込む。
平日の昼間。
妙に静かで、少しだけ贅沢な時間。
「……あれ?」
頭痛がない。
さっきまであんなに痛かったのに。
「治ってる……?」
その瞬間――
「すげぇえええええ!!!ここ君の部屋!?すげーーー!!!男子の部屋ー!男子の部屋だぁああ!!うっひょーい!!」
「……!?なんでいるんだよ」
「だって一緒じゃん!」
「一緒じゃねぇよ」
「一緒だよ!」
「帰れ」
「やだ!!!」
即答だった。
「……やだって、はっw 何なんだよお前」
「チェリ!!!」(ドヤ顔だった)
「ねーねーこれ触るー!」
「やめろ!触るな…ちょっ…なんなんだ!」
チェリは机に置いてある書類にいきなり赤いペンでイタズラ書きを始めた。
それは安田先輩から頼まれていた不良品の修正チェックリストだった…
「どわぁあぁあああああっ!!!」
もう遅かった…なんて事してくれたんだよ…泣
それもそっちのけではしゃぎ回るチェリ。
修正リストが…修正不能だ。
完全終了。
——その時。
ピンポーン。「朝霧ぃ?大丈夫かぁ?(安田ボイス)」
世界が止まった。
(終わったわ…終わりが畳み掛けてきたわ)
ドアノブに手をかける。
…未来を想像する。
怒られる。
呆れられる。
見放される。
「くっ…」
「お友達ぃい!?ねえねえ開けよーーー!!!きゃっほーーーい!!!」
「やめろ!!!!」
「っすーー」
ガチャ。
「お疲れ」
「お疲れ…さまです 汗」
「……朝霧」
チェリがめちゃくちゃにして床に散らばる修正リストが目に入る。
「あいやー、これ、お前がやったのか?」
(終わった)
「……あ、甥っ子が……ですねぇ…(ごめん居ないはずの甥っ子)」
「は?」
「一瞬来てですね……その……」
(何言ってんだ俺)
「……病院も……午後に……」
グッタリとうなだれる。…色んな意味で。
沈黙。
「……そうか」
安田はポケットから小瓶を取り出した。
「これ、飲め。ファイト10発だっ!」
「…顔、やばいぞお前」
「まぁ、書類はまた出せるし」
「無理するなよ」
「ちゃんと診断書もらってこい」
「じゃ」
ドアが閉まる。
静寂。
「……いい人すぎるだろ……」
ベッドに崩れ落ちる。
その瞬間――
「くぅううーーーーー!!!ねえねえ!ドラマぁ!?ねえ今のなに!?アニメ!?かっけーーー!!!」
「惚れてまうやん?
ア チ キ!!!きゃぁああああっ!!」
「何キャラだよそれ!!!」
仕方ない…でもこやつ、どうしたものか…
ユウは決心して再び町医者へ行くことにした。
「いいか、絶対ここから出るな」
「なんで!?へへー!楽しいからでないけどっ!!にーー」
「いいからだ!!!」
「じゃあねぇ、甘いの買ってきて!!!」
「……は?」
「甘いの好き!!!」
「……大人しく待ってたら買ってくる」
「待つ待つ待つ!!!一生待つ!!!きゃっほーーーい!!!」
「一生は待つな…(いつまで居るつもりだ…)」
⸻
――数時間後。
「ガチャ、ん?静かだぞ??」
「おかえりーー♪甘いの??ねえねえねえ!」
…予想を遥かに上回る…壮絶極まりない散らかり様…
「お前なぁ…いい加減に」
床には剥き出しのDVDソフト、乾いたマジックペン
ムフフな本などが散らかっている…
あっ!!と、足でそっと踏みつけて隠した。
そして誤魔化すように
「……これ、やる」
プリンを差し出す。
「きゃぁあああああああ!!!!!」
「なになになにこれ!!食べるーー!!」
一口。
「……おいしい……」
チェリの瞳からぽろぽろと涙が落ちる。
「こんなの……なかった……」
ユウは、少しだけ固まる。
(……なんだこいつ)
「……意外にかわいい……?」
「いやいやいや!!可愛くねぇよ!!!!!」
「ねえこれもっとないの!?あとさ!!」
「……こういうの趣味なん?」
ユウの足元をイタズラに睨みつけるチェリ
「…エッロw」
「くぁあああああ!!!!お前なぁああああああ!!!!」
その日、
ユウの頭痛はなかった。
ただし――
「うるせぇええええええ!!!!」
別の意味で、ずっと頭が痛かった
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