水神の記憶(1/5)「おまえ、人間か?」
水鏡に映る日の光の上で僕の影は踊っているようだった。
少し高い岩場から跳んで、空気を裂いて、透明が近づいてくる。影が踊っているなと思った刹那、視界が暗くなり、くぐもった音がして孤独な水の中。焦らず大きく腕をかいて日の当たる場所へ上っていく。勢いよく水面から顔を出すと笑いながら歓声を送るみんなの顔が見えた。
僕と同じ年頃の、十二、三歳くらいの子たちが五人、みんな歯を見せて笑っている。木々に囲まれた川は僕たちの身体を浮かべながら鮮やかに輝いていた。
僕は少し照れながら得意げに「気持ちよかった」と言う。本当はちょっと怖かった。でも、せっかくみんなと会えて遊んでるんだから、誰かがやんないといけない。やった方がぜったいに場が親密になるって予感がした。
「やってみせたなあ」
すらっとした男の子が言った。
「やってやったぜ」と僕は答えようとした。けれどすぐ女の子の一人から「少し怖かったんじゃない?」と訊かれ、慌てて答えをすり替える。
「いや、平気だったよ!」
「ほんと~?」
その髪の短い女の子が、動物みたいに大きく表情を動かして、思いっきり探るような目で見てくる。なんだかその顔が面白かった。人間の目ってこんなに横に伸びるんだ。
ゴチン、と女の子の頭を拳で叩いてから、丸い顔の男の子が「なんだっていいじゃねえか。じっさい跳んだんだから大したもんだ!」と力強く言った。
「ふふん」と僕は笑って返事をしながら、それとなくみんなの様子をうかがった。女の子は服を濡らしながら川の水に浸かっていて、三人の男の子は全員上半身裸だ。推測だけど、どの子も川遊びに慣れている感じがする。
学校の友達は、遊びに誘ってもなかなか打ち解けてくれないことが多い。さっき会ったばかりですぐに打ち解けてくれた彼らに、僕は好感を抱いていた。
だから余計に、雰囲気が固まることが不安だった。
僕は岩場から跳んでみせた。次は誰が跳ぶんだろう?
身体を動かさないでいると、川の温度が僕の胸を冷やした。
焦った僕が盛り上げようと、何か言おうとしたとき、髪の長い女の子が浅瀬に立って、キラキラした水を掬い上げ「きれい……」と呟いた。
長い髪や袖を捲った肩にも淡く光が反射して、川沿いに立つ木々の手前に浮かび上がっている。
頬に傷跡のある男の子がその横に行って遠くを眺めながら「ここは景色が綺麗だなあ」と味わうように言った。
そうか、今は静かに感傷に浸る時間なんだ。
僕も真上を見上げ、葉っぱの間からのぞく高い空を眺めた。葉擦れの音を響かせて山の上を吹き渡る一陣の風。風に乗って一羽の山鳥が飛んでいく。たしかに綺麗な景色だ。
ほどなく水鉄砲の応酬が始まり、僕たちは長いことその水辺ではしゃぎあっていた――
帰り道はひとり。石の転がる道の上をてくてくと歩く。
楽しさの過ぎた時間は静かで、少し心細い。周りのことを考える時間もなく、ひとりぼっちで足を動かしていると、僕の歩みは知らず知らずのうち早くなっていく。ぼんやりとしたまま、ずっと無心で進む。
暫く進んでから僕の頭は潮が引くように覚めた。
なんとなく歩いて来たから、帰り道を朧気にしか覚えていない。こっちで合ってるんだろうか?そもそも僕はなんで一人で帰ってるんだろう。川の向こうに民家があるなんて話は聞いたことがないのに、みんな向こう側から帰っていった。
それに、あの子たちの顔を学校で見た覚えがない。すごく特徴的で印象的な表情なのに、初めて見る顔だった。
遠くから遊びに来た子たちなのだろうか?
ぽつり、と肌に雨が弾ける感触がして、地面が水滴で染まっていく。僕の心は心細く焦りだして、きょろきょろと見覚えのある場所を探しながら濡れた道の上を早足で進んだ。
早く帰りたい。けれどそんな気持ちに逆らうように、雨は勢いを増し、周りの森はだんだん深くなっていった。
そのうち道の上に苔が生えるようになり、僕は靴底に当たる馴染みのない植物の感触を気持ち悪く思いながら歩いた。ときおりそれは石の上でぬるりと滑って僕を転ばせた。
僕はしかし泣いたりしなかった。何度か転んだあとは、じっと足元を見据えながら黙々と木々の間の道を辿りながら歩き続けた。幸いなことに雨はほどなくして止んだ。
とうとう日が暮れかけた頃、少し開けた広場のような場所に出た。そしてそこが道の終点で、目の前で大きな石像が右の手の平を顔の横に掲げて立っていた。その姿はまるで、ここは行き止まりだよ、帰り道ではないよ、と言っているようだった。その顔と上半身が泥で汚れていたから、僕は近づいていって、服で泥を拭いながら手の平を使って汚れを丁寧に落とした。
それが済んでから、諦めて元来た道を引き返そうと思った。だけど、どうしようもなく喉が乾いていた。何か飲まないことには、とてもじゃないけどまた歩き回ったりするのは無理だ。ほんの少しでいいから広場のどこかに水気がないだろうかと探したけれど、水場のようなものは見当たらなかった。
僕は呆然と立ち尽くし、その場に座りこもうとした、その時だった。ちょろちょろと音を立てて木の上から水が滴り落ち、石像の体をつたって軽く差し出している左の手の平に溜まった。
それを見たとき、僕はなぜか言いようのない畏れのようなものを感じた。
思わず石像の顔に目を向けると、石像はしかし穏やかに笑っているようだった。その表情は瞬間的にこわばった僕の心を優しくほぐし、ほっとしたと同時に、焼け付くような喉の渇きを覚えて、僕はもう一度石像の左手を見た。
飲み物、飲み物だ。僕はすぐに石像の左手に駆け寄ると、その水を啜るようにして飲んだ。汚いかな?と一瞬だけ思ったけれど、信じられないくらい澄んで冷たく美味しい水だった。
すると背後の道から、物音がした。
びっくりして振り返る。袖の短い和服を着た二、三歳年上の女の子が目を丸くして立っている。
僕は声をかけようとした。けれど、喉が掠れて上手く声が出ない。すると向こうから話しかけてきた。
「おまえ、人間か?」




