side:聖女
豪華なシャンデリアを見上げながら私はそっと息を吐き出した。
(やっとゲームの始まりね……)
前世では絶対に体験しないであろう煌びやかな世界が目の前に広がっている。優雅に流れる曲、談笑している貴族たち。時折こっちを見ては何かをひそひそと話している。
(どーせ、聖女と言っても所詮はただの平民ってバカにしてるんでしょ!)
ゲームでヒロインをバカにしていたのを見ていたからね! 私はお皿に載ったデザートを豪快に頬張った。うん! おいしいっ!
以前、暇つぶしに見ていた動画で中世の貴族の食事は冷たくて兎に角しょっぱいか激甘って言っていたから、この世界もそうなのかな? って心配しちゃったけど杞憂だった。ちゃんとご飯は温かいし味付けも丁度良い。
(この辺はやっぱゲームだからかな?)
ゲームのヒロインも「こんなおいしいごはん、初めて食べました」って喜んでいたし。
「味はどうかな?」
「ふぐっ!」
いきなり視界に入ってきた美少年に私は喉を詰まらせた。
「だ、大丈夫かい⁉」
慌てた美少年が「これを飲むといい」とシャンパンの入ったグラスを渡してきて、私はそれを一気飲み干す。
「……も、申し訳ありません。こんなおいしい食事初めてでしので……。ついたくさん食べてしまいました」
「ふふ。聖女に喜んで貰えるなんて光栄だよ」
美少年が嬉しそうに笑う。うっ! 眩しいっ! 流石男主人公たちの中で人気ナンバーワンになった男!
柔らかな金髪にサファイアの瞳、そして常に優しげな微笑みを浮かべる美少年はこの国の王太子ギルバートだ。品行方正、文武両道、全てにおいてパーフェクト。天は二物を与えずというが彼は三物も四物も持っている。正直言って盛り過ぎだ。
(でも、こんな天使のような笑顔をしていても、バットエンドではSっ気全開でヒロインをエロ調教しちゃうんだよねぇ)
ギルバートのギャップがヤバいと友人は息を荒くしていたな。はは。
私は心の中でため息をついて、ちらりと他の攻略者たちを見た。
宰相の息子ダミアンに、第一騎士団長アレックスと第二騎士団長のヴィルヘルム。
(まだこの時点では居ないけど魔塔のジルに隠しキャラの王族の狗と呼ばれているサイフォン……)
私の最推しはジルだけど、正直一番安全なのがアレックスなのよね。バッドエンド的にも。
(誰ともくっつかないっていうのも一つの手だけども……)
あれ、好感度アップが少しでも偏ると即バッドエンドになるのよね。ちなみにバットエンドは攻略者たちに輪姦かれるか、モブ姦になる。絶対嫌だっ!
(うう。所詮はゲームって思っていたけど、いざ同じ立場になると泣きたくなる)
もう何がなんでもアレックスの好感度をガンガン上げて、ハッピーエンドを迎えてやる!
(そのためには……)
私はちらりとアレックスと話すヴィルヘルムを見た。
(アレックスとのハッピーエンドを迎えるためには、彼の協力が必要なんだよねー)
ある分岐点までにヴィルヘルムの好感度を上げておかないと、アレッスクルートがストップしてしまい、そのままヴィルヘルムルートへ突入してしまうのだ!
ヴィルヘルムルートではハッピーエンドが奴隷の首輪を嵌められた上の監禁で、バットエンドが死亡だ。
(攻略者の中で一番避けたいキャラ!)
はぁ……とため息をついた時、不意にヴィルヘルムと目が合った。
(ひえっ!)
ヴィルヘルムはアレックスに何かを言うと、こっちに向かってきた。
(はわわわわわっ!)
内心パニクる私。目の前まで迫ってきたヴィルヘルムは私の横にいるギルバートの前に立ち止まった。
「王太子殿下、私はこれで失礼いたします」
「もう帰るのか? ご令嬢たちががっかりするぞ? ほら、お前とお近づきになりたくてチラチラとお前のことを見ている。今後の為にも挨拶ぐらいはしてもいいんじゃないか?」
大袈裟に肩を竦める王太子の隣で、私は「ひぇ!」と小さな悲鳴を上げた。ヴィルヘルムの無表情が怖いっ! でもそれは一瞬で、ヴィルヘルムは何もなかったように笑みを浮かべた。
「私にはもうすでに心に決めた方がいるのです。その方以外と生涯を共にするつもりはりません」
「へ?」
間抜けな声が出て、慌てて口を押さえた。え? ど、どゆこと?
(そんな設定なかったよね?)
困惑する私の横でギルバートがため息をついた。
「何度も言っているが、 お前がいくらそう言っても周りは信じてないぞ。婚約を避けるための言い訳だってな。一度ぐらい公の場に連れて……」
「王太子殿下」
ギルバートの言葉を遮ったヴィルヘルムの声は、ゾッとするほど冷たかった。
「最近、第二王子殿下からお誘いを受けているのですよ」
ギルバートの耳元で囁く声が私のほうにも聞こえた。
「私は聞き分けのいい人間が好きです」
ギルバートから離れたヴィルヘルムは「それではごゆっくり」と私に一礼して去っていった。ギルバートを見上げると心なしか顔色が悪かった。
「だ、大丈夫ですか?」
「あ、大丈夫! ごめんね! 驚いただろ? あいつちょっと色々あって人間不信なんだよ」
ハッと我に返ったギルバートが笑った。その「ちょっと色々」の部分はゲームで知っている。でも……。
「あ、あのヴィ……、バウムガルド伯爵の婚約者? 様はお身体が弱い方なのですか?」
「いや、本当にいるのかどうか怪しい。気になり過ぎて一度お忍びであいつの領地に行ったけど、婚約者のこの字もなかったよ」
お忍びって…何やってるのこの人? というか今日出会ったばかりの私に話していいの?
「あ、そういえば閉鎖された教会に…」
ドッと心臓が跳ねた。閉鎖サレタ教会……。
(ハッピーエンドでヒロインが監禁された場所……)
ギルバートの言葉が耳に届く。
「奴隷がいてびっくりしたよ」
「ど、奴隷⁉」
ギョッとする私にギルバートは「珍しくないよ」と言った。確かにゲームではちょくちょく単語が出てきたし、サイフォンも元奴隷だったし……。でも実際に聞くとやっぱり引いちゃう。
(おかしい……)
ヴィルヘルムに婚約者がいることも、閉鎖された教会に奴隷がいることもゲームにない設定だ。
(私が転生した影響で?)
……それとも私以外に転生者が……いる?
「そういえば」とギルバートが口を開く。
「その奴隷、君と同じ髪色と瞳の色をしていたな? まあ、君のほうが遥かに美しいけど」
優雅に私の手をとり甲にキスを落とすギルバート。気のせいだろうか、ギルバートの目がぎらついた気がした。
「あははは……あ、ありがとうございます」
私はなんとか笑ったが、顔が引き攣っているのが自分でも分かった。
(どうしよう、クリアする自信がなくなってきた)
でも、その時の私はまだ知らない。
あの子が私を手助けしてくれることを。
あの子が闇落ちしたヴィルヘルムを救うことを。
ヴィルヘルムが魔女として復活したベアトリクスを、聖女の力なしで倒してしまうことを。
あの子のお陰で無事アレックスとハッピーエンドを迎えたことを。
ヴィルヘルムとジンがホモになっていたことを。
私は、まだ知らない……。
side:聖女・完