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二千円こえるお好み焼き

作者: 関本なにがし

はじめまして、関本なにがしです。

ぼんやりとした小説です。

電車のおともになれば幸い。

大人になるとは、毎日夜中にトイレで目をさますことではなかろうか、としみじみ思う。二十歳やそこらで大人になれたなんて思うのは未熟者の考えで、熟した人間とは夜中にトイレで目を覚ますようになった人間のことである。おかげさまで熟すことができましたが、熟したからといってその実がうまいとは限らない。まずく熟すこともある。俺は渋柿なのかもしれない。

 渋柿には渋柿の生きる道があるようにも思う。なにかあるはずだ、で、もう、あきませんわ、で煙草に火をつけてしまう。

 もう、あきませんわ。

 実際問題、本気で煙草をやめようと思っていたのか。本気では思っていなかったな。本気で思っていたら煙草を捨てる気がする。本気で思っていないから煙草が七箱換気扇の下に置かれているのだ。これは再度喫えるように煙草さんに待機してもらっていたと解釈するしかない。なんのために禁煙をしようとしたかというと、失業者になったからである。


昼間、大衆酒場大川で飯田にこう言ったのだ。

「俺はね、きめましたよ、この一箱で煙草をやめましょう、そういう覚悟です」

 覚悟とはなんでしょうか。十時間で煙草をやめることをやめるような人間にはわからぬ。わからん。そんな人間がだ、今日はすこしやりすぎたというか、なんというかかんというかだ。


大衆酒場大川は非常に安い居酒屋で大瓶ビールが三百八十円である。大瓶ビールが三百八十円以上に何を望むことがあるだろう。そして大衆酒場大川は煙草が吸える。飯田が大事な話があるから今から会えますかと言われ、それはまあ会えなくはないが、私は今、大川でビールを飲んでいるのだが、それでもよいのか、というと、それでもよいという。平日二時にビールを飲める。これを余裕のある失業者という。


「ね、俺ね、ほんとうね、吉仲さんについていくって決めたんですよ」

そうやすやすついていってはならないと思います。ついていくというのは、もうあとはないぞおおお、という時に矢切という川にて渡し船に乗るか否かというような、それこそ覚悟というやつだと思うのです。たかだか同じレンタルビデオ屋にて3年一緒に働いただけである。そんなことでついてきてはならない。

 大衆酒場大川は非常に安い居酒屋で大瓶ビールが三百八十円である。大瓶ビールが三百八十円以上に何を望むことがあるだろう。そして大衆酒場大川は煙草が吸える。

「まあちゃんがね、人生には勝負の時があって、その勝負の時を見極めることができない人には一生勝ち目はない、なんていうんですわ」

まあちゃんというのは、飯田の妻。妻は飯田よりも五つ上の三十歳。飯田は妻をまあちゃんと呼ぶ。まあちゃんの本名は涼子さんである。涼子さんがいかなる経緯でまあちゃんになったかは何度か話されたが、覚えていないのはきっと心のどこかで涼子さんがまあちゃんに至った経緯というお話が自分の中でわりとあほらしいと感じていたからだろう。しかし、まあちゃんの本当の名前がまさこでもまさえでもマルシアでもなく涼子さんだということは覚えている。で、そのまあちゃんが飯田に言ったそうだ。

「人生には勝負の時があって、その勝負の時を見極めることができない人には一生勝ち目はない」

そんな新書のタイトルみたいなこと奴とは別れた方がいいようにおもうぞ、飯田。それはそれとして、その時失業者は思ったね。勝ち目とはなんだろうかと。多分飯田の中ではレンタルビデオの店員で一生を終えることではなかったのだろう。ほな俺はどうだ。レンタルビデオ屋の店員で一生を終えるのを勝ちではないと思ったのか、だから辞めたのか。いや、どうだ、なんだろう。勤務歴が長くなり、店長なんて呼ばれだすと、いろいろいろいろごちゃごちゃごちゃごちゃ言われる。ごちゃごちゃ言われながら生きるのが社会人かもしれないが、極力言われたくはないし、それが社会人なら社会人も辞さない覚悟だ。いつまたどうなるかわからない原発を思いながら店長会議でコンサルタントの話を熱心にきく芝居をするのはなかなかに疲れる。コンサルタントはなぜあんなに自信満々なのだろうか、NHKの受信料を払っているからだろうか。

 飯田の言う勝ち目とは、まあちゃん好みのお好み焼き屋をつくることである。カウンターの真ん中で甘辛く煮たマグロの目玉をつつきながら飯田は語る。

「コロナでね、親戚が天満の店を誰かに渡したい言うんですわ、で、そこね、そこそこええ場所というか、親戚も歳やし、助成金とかややこしいというか、そこそこやれてるし、わかります、その、このね、なんというか甥っ子に店を譲りたいと、そうなったらね、まあちゃんが俄然乗り気なんやけど、やっぱりね、おしゃれじゃないとね、ね、わかります、おしゃれ、そのねおしゃれじゃないとね、なかなかね水商売の女の子はこないんですよ、それをわかってるんですわまあちゃんは、それはね、あのね、水商売の女の子の髪をセットする仕事をしてたからなんすけどね、夜の女の子にきてもらうための内装がいるんですわ、その内装をつくらんと、ね、思いません」

とへべのれけれけ飯田節。思いません、と言われても何も思わないてのが本当のところで、飯田の話よりもカウンター左隣のおじさんが派手なおねえさんに「最近ヤモリを飼い始めた、それを見に来ないか」と誘っているのが気になっていたのだ。派手なおねえさんはヤモリとはなんだと問うている。

「吉仲さん、お願いします、三百万貸してください」


この勝負、飯田が勝利を収めたのは、きっと要所要所で

「吉仲さんって他の社員と違うものもってましたよね」

とか

「吉仲さんから見た世界ってきっと一般人とは全然違うんでしょうね」

のようなあなたは非常に特別な存在でありますよ、ということでおだててきたからだろう。おじさんというのは、いや、人というのはあなたは特別な人間ですねと言われると弱い。美人がおじさんにお酒を提供する店で美人がすることと言えば、水割り等の酒をつくる、そして

「あなたは他の人にはないものがある」

なんてことを会話の端々に散らすことである。そういうことをしていると、客が店に通ってくれる。つまり、飯田の「吉仲さん他の人にはないものを持っている」攻撃でガードがさがってしまったのだ。

そしてもうひとつ

「おにいさんも手伝って」

ととなりに座っていた見ず知らずのおじさんが冷の日本酒を俺のコップにどぼどぼいれてきたということもあるだろう。おじさんは言う。

「パチンコに勝ったときは人にふるまう、これが俺の生き方、おにいさんどう思う」

ふるまい方によると思う。ビールが残っているコップに冷酒を捧ぐのはいい生き方ではないと思う。

「あなたの生き方は人に迷惑をかける時もあることをわからないといけませんよ」

ということは言わず

「あ、えらいすんまへん、ありがとうございます」

と飲み干した。人にはなんらかの才能があるものだ。俺には才能がある。それは食卓にあるものを残さないという才能だ。才能をいかしてコップのビール日本酒を飲み干す。するとたちまちその場でだいたいのことはどうでもいいと思いだしてきた。将来年金がもらえるかということ、奥歯がきりきり痛むこと、自転車の空気がまったくないのに一年ほったらかしてにしていること、エトセトラエトセトラエトセトラ、ケセラセラ、ケセランパサラン、京橋のキャバレーは紅蘭、それがどうした文句があるか、あらへんよ

「ね、どう思います、吉仲さん」




 換気扇の下で思うことは三百万円貸すなんていうんじゃなかったなあ、ということだ。禁煙は三百万返ってきてからということにしようと思う。酔っぱらっても記憶は鮮明で、おねえさんはヤモリには関心はないが、焼肉を食べに行くことには賛成であるという意思表示をし、帰り際におじさんが

「大将、こちらのおにいさんにもう一本、あと唐揚げと、憶えておきや、ここの唐揚げは尼崎で一番うまいから」

と言って冷酒と唐揚げをおごってくれたのを覚えている。そして、そののち、飯田にこう言ったのも覚えている。

「まあちゃんに伝えろ、あとは何とかするから」

と。


 




飯田の口座に金を振り込んだ日の夜から、炊飯器の蓋が閉らなくなった。「ぱちっ」という音はするのだが、蓋が閉まらない。ガムテープで蓋と本体をぐるぐる巻きに貼り付け炊飯することはできた。当然、ガムテープを外さないと米を喰うことはできない。ガムテープを外しながら思うのだ。これでいいのだろうかと。四十を超え、貯金の残高は百万を切るし、奥歯は痛いし、失業者だし。ひとまず新しい炊飯器を購入したいが、ガムテープを巻いて米が炊けているわけで、まいいかで暮らしている。だってね、失業者だから。


  東灘区の失業者達が学校の教室のようなところに集められ、二時間ほど座る。各自台紙にハンコを押される。マスク姿の失業者達、マスク姿の職安職員。

 

 テレビを観ていると馬鹿になる。といって、スマホばかり見ていても馬鹿になる。馬鹿になる「なる」と変化したように言うが元から賢いわけではない。酔った勢いでそこまで親しくない人間に三百万を貸す人間が賢いわけはない。当座の金は雇用保険でなんとかなるにしろ、節約をしていかなければならない。ならないのだが、なかなかどうして、いろいろ金がかかる。ほんといろいろ金がかかる。今日も今日とて金がかかる。なにがてねやっぱり煙草を吸うてしまうのだ。煙草すって、焼酎のんで、素人がプロアイスホッケー選手になる映画を観ている。レンタルビデオ屋の店員だった男がアマゾンプライムで映画を観ている。時の流れというかなんというかかんというか。新潟店の店長が一度視察ということで西宮店に来た時。新潟の店長はこう言った。

「あれですね、まだ西宮は映画の店ですね」

まだ映画の店でやれている。それはもしかしたら奇跡かもしれない。だいたいのレンタルの店は雑貨屋になっている。ともしたら半ばパチンコ屋だ。換金できないスロットやパチンコを置いて、夜は家で寝ていたら青春の無駄遣いだと思っている若い者の薄い財布から金を抜く。これはなんとかせなならんならんならんと言うてる間に店長がアマゾンプライムの会員になっているのだからどんならんね。午前十時から焼酎を飲む。結局失業者の友は焼酎になる。なぜそうなるかというと間違いなく値段だろう。ビールより安い。テレビではどつくのがうまいという理由でアイスホッケーの選手になれたという映画。そんなバカなことがあるかねとスマホで検索するとアイスホッケーてのは喧嘩のためだけの選手がいるらしい。世界は自分の知らないことだらけだね、なんて一時停止した映画を再生。

「ぽおおおおおおおん」

は、何、なんだね、とあたりを見回す。映画の音ではない、え、なんだよ。


 米が部屋に散らばっていた。


落ち着かねばならない。銃声ではないことはわかった。銃声と米はあまり結びつかない。落ち着く。テレビの前には物体がある。よくわからない。落ちつくことが必要だ。これは、あれだ、これは、あれだね、これは炊飯器の蓋だ。天井には米。蛍光灯の隣にはへこみ。

これは、あれか、炊飯器の蓋が天井にあたったてことか。ええええと、えええええ、天井がへこむほどの勢いの炊飯器の蓋が俺にあたらなくてよかった。実によかった。炊飯器の蓋にあったて心臓がとまるのはさけたい。理想の死に方はこの上なく穏やかな笑顔で死んでいくことであり、炊飯器の蓋が当たって死ぬことではない。そうか、炊飯器の蓋をガムテープでとめて炊飯してはいけないのか。そうか。そうなのか。そうか。

「一気に八号も炊くんやなかったなあ」




「鍋で米を炊くということもあるのでしょうが、それよりも炊飯器がいるななんて思いまして、えええ」

なんてことは面接の場で言ってはならない。ここは面接会場。目の前に毛の量の多いおじいさんと毛の量の少ないおじいさん。

「当社は感染対策に力をいれておりますもんでねえ」

と非常に小さい声で毛の多いおじいさんが言う。すると毛の少ないおじいさんがうなづく。そして沈黙。レンタルビデオ屋の店長をしていると、それなりの回数面接官をいう役を演じることになる。

「こいつはもう厄介だぞ厄介だ、ともに働くなると厄介だなあ」

なんて人間が面接の相手であっても、それなりに対応したものだ。それなりの対応というのは

「今現在面接をしている」という状況をつくり続けることだ。それをするには面接官がそれなりに話さなければならない。応募してきた人間が延々べらべらべらべらべらとまらない自己主張人間もいることもあるにはあるが、そういうのは稀で基本的には面接官がリードしていくものだ、と思っていた。ところがこの目の前の毛の多い方のおじいさんと毛の少ないおじいさんはほとんど何も聞いてこないのだ。二人でなにやらぼやぼやぼや小さい声で話てはたまにうなづき、競馬で二百円勝ったぐらいの小さな笑みを浮かべる。

「製造業はあれですか、どうですか」

と毛の少ない方のおじいさん。

あれですか、どうですかてなんだ。

「ええ、そうですね、あれです」

「そうですか」

何をわかったんだ、何を。


 


 はい、まあ、だめな時もあるでしょう、そうしたものだと、そうしたものだと鍋で米を炊く昼下がり。春はアマゾンで映画を観て、夏は転職をする日々になりそうだ。尼崎市は市民税を払わないと怒ってくる。市民税を払わないで褒めてくれる市もないだろうが。家にずっといる生活をしてわかったことだが、NHKの受信料をとりにくるおじさんは三日に一度はやってくる。インターホンのない文化住宅。ノックだけでは判断できるわけもなく一度玄関を開けてしまった。そのあと気づいたね、俺の家に用事のある人は受信料を集める人間しかいないということを。

 新卒でそのまま入社、二十年。レンタルビデオ屋の店長。わりと幸福だったように思う。わりと、ううん、若い頃は同期の人間でスノーボードにいったりした。ワンボックスで。ま、楽しいわな。そういうの青春ぽいね、ぽい、ぽいな。あの頃はよかった、と思うのは嫌なものだ。今がダメみたいだから。今が最良ってわけはないが、ダメとまではいかないだろう。今はダメではないが、あの頃はよかったと思ってしまう。自分と言う人間はものすごい能力を持っていて向かうところは敵がいないと思っていた。レンタルビデオ店で働き二十年、わかったね。自分の能力は使いどころがないということに。

 小さい頃は口にしたら熱がでた。といっても三十七度ぐらい。一時間もすればおさまる。さしてしんどいということもない。ただただ揚げ物を口にすると三十七度の熱がでる。それだけだ。それだけでは最強なんて思わなかった。最強だと思い始めたのは二十歳の頃、昼間電車に乗っていた。ぼんやりと電車のつり広告を眺めていた。「北海道の唐揚げ、ザンギの魅力」

と書かれた広告。どこかの百貨店で北海道の物産展をするとのこと。カニやラーメンの写真、そして北海道の唐揚げザンギ。ザンギの写真をみていたら、少しぼんやりとしてきたのだ。これはもしやと思った。家に帰って折込チラシの揚げ物の写真で試した。やはりそうだった。俺は能力者だ。揚げ物の写真を見ると三十七度の熱がでるという能力。気づいた時には思ったね。これは、なんか、この能力をうまく使えば、世界は俺のものではないかと。


今ならわかる。そんな能力使い道がないではないか。だから揚げ物を見たら発熱をするなんて能力を活かせる仕事はこの世にないので、ほかのもっとこうまっとうな仕事を探さねばならないのだが、今年一番の暑さなので、蝉が鳴く前にクーラーをつけましょうと電源をいれたら埃がクーラーから舞ってきて、これはいけないとエアコンのフィルターをシャワーで洗っている時だった。電話がなる。

「あの、石松製造所の成瀬と申します」

やっぱりこの男、声が小さい。



 

おおむねどっかで誰かが何かを作っている。食パンの袋を留めておくあれは食パンの袋をとめておくあれ工場で作られているのだ。食パンの袋を留めておくあれを目にすることは多々あれど、そういうものばかりではない。自分は見たことがないけれど、どっかで誰かがが作っていて、どっかで誰かが使っていて、それがまわりまわって経済というか世界というか、そういうのがあるのです、というようなものがある。

「金属等を加熱する装置」

というものがある。

「というものがあって、吉仲さんにはそこで、断熱材をいれる仕事をしてもらいます、こちらが岩田さんです、岩田さんにいろいろおしえてもらってください」

 と班長代理と呼ばれる同年代であろう男性が言った。岩田さんは背が高くて細くて強面だがいい人のように見えた。


 いい人とはなにかというのはわからないが

「ボケ、そんなんもわからんのか」

と言ってくる人をいい人だと思わない。嫌な奴である。端的にいうと岩田さんは嫌な奴だった。いい人に見えたというのはなんだったのかいうと、見た目ではわからないということだ。中には

「俺は確実に連れ子をどつくね」

という風貌の人間もいるが、そういう人間が実は連れ子をどついてなかったり、その実やっぱりどついていたり、なかなかわからんですねということだ。ああだ、こうだ、お前は仕事を舐めている、お前ほどの愚か者はいないというようなことを言われながら、断熱剤というやつをスプレー糊で鉄板に貼っていく。グラスウールと呼ばれるそれは白いものと黄色いものがあり、黄色も辛いが白はもっと辛い。なにがそんなにつらいのですかというと、痒いのだ。ちくちくちくする。グラスウールとは細かいガラスを綿状にしたもであり、これが作業着と体の間にはいりこんできて、チクチクチクチクチクチクする。背中に藁が入ったなんてものの比ではない。痒くて辛いが

「痒くて辛いから帰ります」

なんてことを言うとそこで辞めることになる。一週間もすると、仕事と人に馴れるかというとそんなわけはなく、一層辞めたくなり、チクチクチクチクするぐらいなら炊飯器などなくてもよいという考えに至り始める。


「おまえな、八時間もかかって、二台しか製造できへんて、おまえさ、考えられへんで、な、な、ちゃうねん、怒ってるわけじゃないねん、な、な、一週間もやってさ」

と十七時に言われてはたまったものではない。こちとら、このチクチクチクを落としたい、ひとまず風呂、しかしこれ風呂に入ってもちくちくするのよね、だけども風呂と思っているところに岩田さんの怒っているわけではない話だ。

「な、な、自分さ前でなんの仕事してたん」

自分というのは、大阪弁であなたということである。大阪は自分のことは自分といい、相手のことも自分と言う。つまりは、前職をきかれた。

「レンタルビデオ屋の店員です」

「ほおおおん」

ほおおおんか、ま、そうか。三十分というのは結構な時間でカップ麺が三十分たてば別の食べ物になる。それぐらい付き合った。だから、まあ、言いたいことは言うようになる。

「あの、帰っていいですか」

「ああ、おまえ、教えてる側の人間が話してるのによお帰れるなあ」

ま、いいか、となった。ま、よくつきあったほうだ。

「岩田さんが教えてる側です、そして私が教えてもらっている側で、いらいらするのももっともでしょうが、そんだけずっと怒られたら、帰りたくもなってね」

勢い声も大きくなりだす。

「あのさあ、おまえさあ、めっちゃきれるやん、な、お前もし俺が前職工藤会の頭です言ってもおんなじように怒ってるか、怒ってないって、もう、ええわ」

「何、何、今何が工藤会関係あるん」

「ないよ、ない、ない、ないよ」


 と、もめていたらそれを傍で見ていた人間が班長に言いつけに行く。班長登場。

 「ここは喧嘩をするところではなく、生産をするところだ」

というようなことを言うのだが、大の大人が喧嘩しているのに、何を賢ぶってるねんスカタン。


 すかたんだらけに見えてくる。世界はまるですかたんだらけ。

 岩田も岩田で痒いし、俺も俺で痒い。その中で痒くない部長と呼ばれる小柄な男と面談しなくてはならない、なんてことになると、もうやめてくれである。面談の終わった岩田が出てくる。待っている俺の顔をみて、ふん、と言った。嘘みたいだった。人の顔みて「ふん」と言えるのは映画かドラマか漫画かなにかだと思っていた。現実世界で「ちぇっ」と発するこどもはめったにいないように、人の顔をみて「ふん」と言って顔をそむけられるというのはなかなかに貴重な経験だ。


 


「もうね、暑くてかゆいわけ、で、これはね、地獄だよ、今の仕事は、ごめんな、愚痴をいってしまったね、ね、知らんがなやな」

「いや、全然全然、飲んでください」

飯田の店はとてもいい。実にいい。これがいわゆるところの高いお好み焼き屋というやつで、高いお好み焼き、それも個室、なんて店だ。そりゃ、ま、金さえあればくるわな。だいたいがお好み焼きが高いというのは合点がいかない。高くなるわけがない。大阪のお好み焼きは小麦粉とキャベツでできている。それをどこをどうしたら高くすることができるのだ、となるが、そこは確かに飯田の奥さんまあちゃんのセンスであるな。お好み焼き屋で間接照明だ。俺はそれをお好み焼き屋として認めないが、俺が認めなくても俺以外の人が認めれば商売というのはできるのだ。お好み焼き屋というのはお好み焼きを提供するものだが、さにあらず、これはもうなんでもかんでも鉄板で焼くぞ、肉とか、海老とか、アワビとかも鉄板で焼くんです、しかも個室でいいでしょう、ま、値段は張りますがね、という造り。

「吉仲さん、今度の定休日に来てくださいよ、吉仲さん、出資者なんですから、いわば配当的な意味合いで」

なんて言われ、参じたら飯田相手に愚痴をこぼしてしまう。

「あれやね、こうやってええもん喰わしてもらったら、料理というのはシンプルと言えばシンプルやね、そのうまいものを鉄板で熱したら端的にうまいねんからね、それでお前はなんとか、かんとか、ね、しかし、コロナ渦ですよ、なんとかなってるの」

「ええ、想定してたぐらいの売り上げはありますね、あと家賃がないですから、叔父の土地やから」

「そうか、そうか、じゃ、そうか」

「なんですか、じゃ、そうかって」

「いや、よくよく考えたらここに土地を持ってる親族がおるってのは、お前は元々ぼんぼんなんかな、思って」

「いや、ぼんぼんやないですよ」

だいたいぼんぼんは自分のことを

「はい、いかにも私はぼんぼんです」

とは言わないものだ。たとえ皇室の人間であっても

「私はぼんぼんではありません」

と言うのではなかろうか。

「で、その岩田って人は辞めはったんですか」

「え、この話まだ関心ある」

「ありますよ」

「そう、辞めた、よおわからん、俺が辞めるいうてるのに、なんでベテランの方が辞めんねんて、なんかこんな痒い仕事嫌や思ってたみたい、そう思いながら十年以上やってはったみたい、つまりま、俺がきっかけを与えた感じで、部長さんからということで断熱剤張れる人が君しかおらんから辞めんといてくれ言われたんやが、しらんやん、俺かて嫌じゃで辞めるつもりやったんやけども」


 とりあえず、土日をはさんで今後どうするか考えてみて、いや、辞めるの一択やなくて、もう少し、せめて月曜日は出社して答えきかせてほしいわ、お願いします、お願いします、なんてことを今まで話たこともない部長と呼ばれる人に頭を下げられる。常々権威なんてつまらんものだと思い生きてきたが、実際問題権威のある人間に頭を下げられたら自尊心というものをくすぐられる。しかし、話は簡単で岩田さんと私以外従事する人間がいないということだろう。誰しも痒いは嫌だ。SMクラブというのがこの世にある。金を払って叩かれたり、踏まれたり、蝋燭の蝋を垂らされたりするところだ。基本的にはされて嫌なことをされることにより喜ばしいと思う人が行く場所だ。そういうSMクラブにも痒いというプレイはない。痒いはSMの人間をしても嫌なものなのだろう。

 次の仕事、次の仕事、と求人を眺める日曜の午後を過ごしていたら、母親から電話。

「もしもし、もう、えらいことやがな」

「なにが」

「あんたマスク足りてるか」

「あるよ、何」

「えらいことやがな」

「だから何が」

「マスク足りんかったら言うてや」

「いや、あるし、なによ」

「あんた、昨日の大雨でやな、うちに雷おちたがなもう」

「え、なんて」

「雷」

「雷やがな」

「え」

「雷」


「ま、辞めるに辞めれんわな、実家の家電がだいたい壊れたてなことになったら、なんで、ほんま、雷も落ちてええタイミングと落ちたらあかんタイミングがあるがな」

「お母さんは大丈夫やったんですか」

「ま、なんか雷落ちてから肩こりがましになったというてるわ」

「あの、あのですね、あのですね、雷の流れからこの話は絶対おかしいんですけど、まあちゃんがね、人生には勝負の時があって、その勝負の時を見極めることができない人には一生勝ち目はない、なんていうんですわ」

なにか合図でも決めてたかのように厨房からまあちゃんが獺祭をもってこちらにやってくる。

「吉仲さん、今勝負にでたら多分俺ら勝てるんですよ。もう少しだけ俺に金を貸してくれませんか」

おい、おまえ、そのためによんだのか、おい。

まあちゃんが獺祭をコップについでくる。




 尼崎で一番家賃が安いのではなかろうか、という文化住宅に住む。なぜ尼崎で一番家賃が安いかというとアンテナが折れていて、テレビを見れない故、家賃が安いらしい。どうしてもテレビがみたければ自分でパラボナアンテナをつければいいのだろうが、そこまでテレビが観たいとは思わない。激安家賃文化住宅から歩いて十分で駅に着く。電車にのって四十分。おかはんにマスクは足りていると言ったが、引き出しにはもうなかった。ノーマスクの電車。電車を降りたらコンビニで買おうと思ったのだが、それどころではなくなる。腹が痛いのだ。人間何が大事てね、結局体なわけですね。体を大事にすればあとはなんとかなるてのは言い過ぎだが、道端で千円拾ってもその時、靴の中にビーズぐらいの大きさの石が入っているなら足は痛いのだ。いくら前日に班長から

「明日は生産台数が多いから気合いれていきましょ」

と言われても腹が痛ければどうしようもないわけで、途中駅で大便をしたのだ。

「腹が痛いので遅刻します」

と駅のトイレで並びながら電話をかける。イヤホンからは自分が最強だと思っていた時代に聴いていた曲。ミレニアムという歌詞がでてくる。時代だな。あの時も今はやはり朝方は腹が痛い。

「何かが違うと考える頭は真っ白に」という言葉がイヤホンから流れる。トイレに座り、真っ白になる。そして安堵。


遅刻だ遅刻だあちゃあと思いながらタイムカードを切ったが、言うてまだ二十分の遅刻。そこまでではないな、そこまでではないからもういいでしょ、とはいかない。班長さんに頭を下げに向かう。


「もし、吉仲さんみたいに全員トイレで遅刻したらこの会社どうなります、ね、どうなります、僕言いましたよね、今日は忙しいですって」

班長の話はとまらない。こいつの話はとまらない。会社には雄弁になれるタイミングを探していて、雄弁になれるタイミングがきたなら思う存分雄弁になってやろうとする人間が多い。しかしね、おまえがいくら何を言おうが、おれは大便を優先するよ。

「吉仲さんみたいな人がいるからコロナがおさまらないんですよ、わかりますか、マスクなしで会社を歩かない、これ絶対です」

びっしと言えたぜてな顔してるぞお前、マスクしててもわかるぞ。マスクしていないやつが嫌ならマスクしていない人間を目の前に二十分も説教するなよ、雄弁さん。


 やっぱり今日も痒い。痒い中昼飯喰いたくないが、それ以外やりようはない。工場の隣にプレハブ造りの食堂がある。そこで調理をしているわけではない。仕出し屋が弁当を運んでくるのだ。赤く塗られた弁当箱の蓋をあける。唐揚げが入っていることへの期待を抱きながら蓋をあけると唐揚げは入っていなかった。唐揚げがはいっていなくてもなんとかなるさ。スマホで唐揚げの写真はたくさん出てくるようになっている。


痒くて暑い帰り道。人生ではじめて能力を活かせたように思う。

熱があっては働いてはならない。そういう時代がやってきてよかった。本当よかった。大体が今までがおかしいのだ。体調不良でも働け働け、これがおかしい。おかしい。今歩きながらおかしいと思っているが俺はここにいる。じゃ、昔の俺はどうだった。レンタルビデオ屋の店長だった俺は、体調不良で今日はバイトを休みますと電話をかけてきたアルバイトにむかつきはしなかったか。少なくとも

「君みたいに熱がでたでバイト休む人だらけになったらこの店はどうなるの」

ということは言わなかったように思う。ただ、むかついていてたな。言葉として表現しなかっただけで。口にしようがしまいが大差はないのだろうが。パチンコ屋にはパチンコをしている人がいて、立ち飲み屋にビールを吞んでいる人がいる。ホテルの前でハイタッチをして別れる若い男女。生きているなあ、みんな。そう感じる俺もまた生きている。貯金はどんどんなくなるが、生きている。貯金はなくても借金がないんだからいいかと思ったり、このままずっと痒い痒いとぼやきながら生きるのかと思ったらぞっとしたり、朝八時からラジオ体操する生活を続けるのかと思ったら、ぞっとしたり、ぞっとしたり、ぞっとしたり。周りの人間は体操しながらも楽しそうだ。吉仲なにがしがこんなにぞっとするのは、どういうわけだ。ほんの数か月前レンタルビデオ屋の店長だったころはここまでぞっとしていたか。いいや。今なぜぞっとする。仕事のせいか。映画は好きだが、金属を温める装置はそんなに好きではないし、体が痒くなるのも好きではない。四十歳になったというのも関係しているかもしれない。明白におじさんになるというのは精神を揺さぶってくるのかもしれない。俺にはきっとこの先ホテルの前でハイタッチをする日はこない、だろう。ぞっとするな。

 コンビニを超えると、やくざの組長の家がある。やくざはどうだ。やくざもやっぱりぞっとするのだろうか。やくざの家の門の前で立ち尽くすスーツ姿の若者。若者はやくざには見えない。首からタブレットをぶら下げている。やくざは首からタブレットをぶらさげないだろう。いや、ま、知らんけど。さあ、どうだ、最近はそういうのもいるのか。


 歳をとっていいことは様々ある。そのうちの一つがだいたい朝の六時には目が覚めるということだ。それはいいことだと思うのだが、会社に電話をかけていいのは7時45分からとなっている。二時間近くごろごろスマホを触る。

「あの、昨日検査にいきまして、陰性といわれたのですが、ええええ、一応といいましょうか、ま、偽陰性の疑いもあるかもというか」

「ええ、休んでください、お大事に」

人に誇るほどの才能ではないし、面接の時いうほどの才能でもない。揚げ物を見たら熱がでることは父亡きあと、母親しか知らないという状態である。晴れて休みになった今するべきことはビールを呑むことであり、今してはならないことはビールを控えることである。アマゾンプライムで映画を選ぶときに大事なことは時間である。ビールを呑みながらだと二時間半も三時間も映画を観れないのだ。寝てしまうからね。九十分前後の映画をさがして観る。結果ロビンウィリアムズさんは仕事が忙しくて家族キャンプもままならないという内容と説明文にある。多分最後はうまくいくという映画だろう。家族は大変なんだろうが、四十過ぎのやもめにとっては結婚してこどものいるおじさんの映画は少し応える。もうあとはハッピー以外ないですなという時にノックの音。昨日の昼マスクを送ってくれとたのんだら翌日昼にはとどくかね、県またぐのにね。

で、ドアをあけたら、首からタブレットぶらさげたスーツ姿の若者。

「吉仲様ですね」

「はあ」

「NHKの受信料を払っていただけますか。NHK は皆様の受信料でなりたっております」

「いや、あの、あれよ、このアパートテレビのアンテナないのよ、集合アンテナ」

「いや、そんなことはありえないでしょ」

「ありうるよ」

「いえ、ありえません」

「ほんだら隣いって聞いてこいや」

「しかしですね、しかしですね、スマホをもっておられるでしょ、スマホというのはですね、テレビを受信する機能がありまして、ンNHKを観ることのできる端末を所有していれば受信料は徴収できると法律で決まったわけです」

「いや、あの、専門家が無知なやつを論破しようとしてるんやろうけど」

「論破しようなんておもってませんよ、ただただただ義務を果たしてもらいたいだけです」

「スマホの話に変えたいんやろうけど、アンテナのたってないアパートがあるってのは認めてくれるの」

「あるいは」

「あるいはってなんやねん」

「NHK は皆様の受信料でなりたっております」

「だからさあ」

「あの、マスクしてもらえますか」

「今ないのよ、それともなにか買ってくるまでここで待って、マスク買ってきてからまた話しするの」

「いえ、私の差し上げます、どうぞ」

お兄さんがマスクをスラックスの尻ポケットから取り出す。

「なんでお兄さんの尻汗すったマスクをせんとあかんねん」

「尻汗とは」

「尻からかく汗や」

「それを尻汗というのですか」

「言わんのかもしれんけど、あのさ、もっと金あるところから受信料徴収したら、ええかここは文化住宅やぞ、文化住宅ってのはぎりぎり文化的な生活を送ることができない人間が住んでるねん、もっとこう受信料とっても痛くも痒くもないところがあるやろ、川の脇の大きい家とか、そこからとれや、な、あれやくざの組長の家や」

「はい、あのですね、昨日やくざ様のお宅に伺いまして、殺すぞとインターホン越しに言われました」

「うわああ、あんた根性あるなあ、あんた根性あるわ、そこは間違いないわ」

「NHK は皆様の受信料でなりたっております」

で、このタイミングでスマホがなる。

「ほら、ね、スマホをおもちでしょ。NHK は皆様の受信料でなりたっております」

「ちょっと黙って、もしもし、あああ、どうしたん、おん、おん、おうん、え、まじか、まじか、いや、みるわ、え、まじか、よっしゃ、いや、タイミングはまかすけど、俺はそんなにおお、俺そんなんなんもわかってないから、任すわ、よっしゃ、ありがとう」

今日は特別な日だ。スーパー銭湯にいって、食堂で二千円台の料理を喰らおう、それに値する日だ。

「お兄さん、ちょっと中はいって」

「いえ、ここで結構です、受信料さえ払っていただければ」

「はいり、お隣さん夜勤やし、あまりうるさくできんから、なんせはいり」

半ば強引に部屋に引き入れる。

「そこ座り、な、なんか飲みいや、汗だくやがな、ビールでええか」

「いえ、なにもいらないです」

「あかん、ビールを呑め、祝杯や」

「いえ、コロナ渦ですし、家にあがるのもはばかられる立場ですし、ビールというのは」

「ほならこれ飲め、ウーロン茶ペットボトルな、な、いらんかったらおいて帰れ、ただまあ、とりあえず二人で乾杯や」

「いや、あのう、受信料をはらっていただく話ではないのですか」

「よっしゃ、受信料払ったろう、な、せやけどまずは祝杯や」

「払っていただけるのですか」

「しかし待ちなさい、待ちなさい、あと三か月ぐらいね」

「いや、それでは困るんですよ」

「話を聞け、な、三か月後ぐらいには俺はそこそこの金持ちになるであろう」

汗だくで受信料受信料受信料と言っていたおにいさんが今はあっけにとられている。

「ええか、後であんたの好きなそのスマホをみればいい、な、話せば長くなるけども、そこを短くしたくもないんやけども、まあ、短くしよう、自慢というか喜びというか、溢れてしょうがない、ま、端的に言おう、俺はイソジンの株を買っています」

「はあ」

「つまりや、シオノギの株を買っている、な、わかった」

「あの、なにをおっしゃてるのか」

「ほら、な、テレビを観てみろ、ロビンウィリアムズめちゃ笑ってるがな」

汗だくで受信料受信料受信料と言っていたおにいさんが今はあっけにとられている。大阪知事に会見の模様がテレビでやっているだろうが、残念ながらこの文化住宅ではテレビニュースを観ることはできない。




飯田はただただエビを焼くことに徹し、お客様対応はまあちゃんへと変わっていた。獺祭でべろべろになっていて判断力がほぼない中で、海千山千の女の話は理解が追いつかなかった。

「誰にでもこんな話しないですよ、吉仲さんやからです、あの状況でお金を貸してくれたんわ吉仲さんだけやったんです。吉仲さんがビデオ屋辞めた時この人も辞める言うて、あほちゃうか思いました。多分、あほなんですよ、で、金を貸す吉仲さんもあほです」

何を言いたんだこいつは。

「あほうだからこそ乗れる勝負なんですよ」

「あのね、あのね、ま、疑ったらきりがないから、全部本当のこととしましょ、議員さんがこの店に女の子と来た。で、個室と言えど話は漏れると、女の子に近く知事がコロナにはイソジンが効くという発表をすると言ったと、な、あほやろう、そんな発表したらまた叩かれるのにと言うてたと、男は酔うとべっぴんさんいいかに自分が偉大な仕事をしているかと語りたがると思う。いくら賢い人でも根はそんなもんやと思うよ、で、それは嘘ではないと涼子さんは判断したんね」

「まあちゃんでいいですよ」

「まあちゃんとは呼ばないがあああ、でさ、涼子さんの人を見る目が正しいとしてそういうたまたまにしろそういう情報を得て利益をえたら、それはインサイダーというか、多分なんか法にかかるよ」

「捕まればね、捕まれば、ただそこをなんとかしてくれる人間を知ってますし、その人がいうにはおそらくこのケースで捕まるようなことはないだろうとの判断なんですよ」

「いや、とはいえさあ、その人が誰かは知らないがあ」

「吉仲さん、あなたには他の人にはない何かがありますよ」

「まあちゃん、もうその手にはかからんよ、もうね、その手にはね」

飯田のコテさばきはしっかりとした鉄板屋のそれだ。料理人が料理しているのを見る、それは一種のエンターティメントなんだろう。

「これ、あの、まあちゃんの実家が新潟の長岡でして、そこの名物が厚揚げなんですよ、メニューにするかまだわからんのですが、一回食べてもうてもええですかね」

焦げた厚揚げの上にネギが置かれ醤油がかけられる。厚揚げを揚げ物ととらえたことはなかったが、これも間違いなく揚げ物だろう。熱でた頭でこのあと、まあちゃんの口車をかわすことができるか、どうなんだ。俺には目の前に並べられたものを残さないという才能がある。才能と口車、酒と厚揚げとインサイダー。




 大人になるとは、毎日夜中にトイレで目をさますことではなかろうか、としみじみ思う。二十歳やそこらで大人になれたなんて思うのは未熟者の考えで、熟した人間とは夜中にトイレで目を覚ますようになった人間のことである。おかげさまで熟すことができましたが、熟したからといってその実がうまいとは限らない。まずく熟すこともある。俺は渋柿なのかもしれない。渋柿も焼酎につけて干せば喰えるのだから、それはそれでいいだろう。コロナを生きていけてるかを、気にかけてくれるのはおかはんだけ。長生きしてもらいたい。電化製品はそろえてやったにしろ、まだまだもろもろ金がかかるだろう。コロナとはなんなんだろうか、ということはさておき、少し金ができたからとはいえ、再び満員電車に乗らなければならない日がやってくる。やっていけるか、どうだ。ま、その辺はまた明日、90分ぐらいの映画を観ながら考えよう。まあちゃんが二号店をだしたいなどと言わなければ、当面はしのげるはずだ。


電車のお供、寝る前のお供になることを願って。

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