噂の少女
声をかけてきたのは、ふんわりカールした長く濃い赤髪に二本の細長い角がある女性。店長のピレアだ。
絶対若くはないが、少し濃いめの化粧で年齢不詳だ、といつもシダルゼアは思っている。どの種族だろうと女性に年齢を聞くものではない、と心得ているので、実際のところはいくつなのか知らない。
「通りでたまに会うだろ」
「だけど、店には来てくれないじゃない。せっかくのいい男なんだから、もう少しおしゃれなさいな」
「必要な時が来たらな」
「もう、少しは売り上げに貢献しなさいよ。で……そのかわいらしいお嬢さんは?」
クコはシダルゼアの後ろに隠れるように立っていたが、ピレアは入って来た時からしっかり気付いている。客商売だから、その辺りは抜かりない。
「遠縁の子で、昨日田舎から出て来たんだ」
五十年前の鬼国から、なんてことを言っても信用されない。話が面倒になるので、そういうことにしておこう、と昨夜の時点で話を合わせている。
「服をみつくろってもらえないか。新しい服を買ってやるって約束してたんだけど、俺じゃどういうのがいいかわからない。動きやすいのを頼むよ」
それらしい理由をつけて、シダルゼアはピレアに丸投げした。
シダルゼアは姉妹も彼女もいないので、クコの年代の女性にはどんなものがいいか本当にわからない。クコに至っては、店にどんなものがあるかもよくわからないから選びようがなかった。
ここは、わかる誰かに任せるのが一番だ。
「わかったわ。この辺りじゃ、珍しい髪色ね。その色目であなたくらいの背格好なら、こっちの棚の服が合うんじゃないかしら」
言いながら、ピレアはクコを女性用の服が置かれている棚の方へと連れて行く。ちらりとこちらを見られたのは、本当に遠縁の子かしら? とでも思われているのか。
「なぁ、あの子……」
待つ間、シダルゼアは手持ち無沙汰で店内を適当に見て回る。そんな彼の耳に、ささやき声の会話が入ってきた。
狭くはないが広くもない店内に「あの子」と言われるような客は見当たらない。人間や鬼人の客が何組かいるが、みんなシダルゼアと同世代か上に見受けられた。
「そんなふうには見えないぞ」
「だけど、鬼人って結構力があるんだろ?」
どうやら、会話の主は若い人間の客二人だ。彼らがちらちらと視線を送る先は、やはりクコ。
力が何だと言うのだろう。確かに、鬼人は人間に比べれば腕力がある。だが、獅子や熊の獣人だって相当だ。人間だって鍛え方によっては、弱い鬼人レベルまで腕力を上げることは可能なはず。
もちろん、彼らは一般的な話をしているのだろうが、それでも鬼人が一番強い腕力というのではない。
不自然ではない体で、シダルゼアはその会話がされている方へと近付く。だが、人間達は彼が近くに来ると、そそくさと店を出てしまった。
ふと周囲を見回せば、他にもクコがいる方を見ている客がいる。
妙な空気だな。昨夜、クコは街へ来たらすぐにリガロの屋敷へ連れて行かれたって話していたが、まさかその時に目撃されていたのか? だとしても、さっきの「力がうんぬん」ってのは、それとはちょっと違うよな。
クコはピレアに勧められた服を試着するため、フィッティングルームへ入ったようだ。シダルゼアは、別の服を整理しながら近くで待っているピレアの方へ歩み寄った。
「いいのはあったか?」
「ええ。今試着中よ。彼女、小柄だけど足が長いから、短めのパンツが似合うと思うわ」
そんな話をするピレアに、シダルゼアはさらに近付く。
「なぁ、昨日今日で何か事件でも起きたか?」
「……あなた、聞いてないの?」
何でもない会話をしている表情のままなのは、さすが年の功、と言ったら、殴られるだろうか。
「職業柄、それはちょっと問題ありよ」
「昨夜遅くからここへ来るまで、外へ出てないんだ。新聞は読んだが、特に大きい事件はなかっただろ」
「ええ。私も店を開けてから、少しばかり聞いたくらいだけどね。鬼人の女の子が魔獣を大量に殺した……って噂が流れてるみたいよ」
話の中身に驚いたシダルゼアは、ピレアの顔を見る。
「鬼人が魔獣を? なんでまた」
「それは知らないわ。噂はそれだけじゃないの。獣人の宝を盗んだから、捕まえた者には賞金が出るとか、人間を喰い殺してるとか、竜の宝石を盗んだから横取りすれば大もうけできる、なんて話も出てるわ」
「まさか、それがクコだって言うのか」
「あら、彼女、クコちゃんっていうの? 噂には全部、薄青の髪の鬼人の娘が……ってついてるみたいよ」
さっきの会話はクコを見て「噂の少女ではないのか」と言っていたのだ。彼らがどの噂を聞いたか知らないが、力がどうのと言っていたから「魔獣を殺した」あたりか。
「私が聞いたのはそれくらいだけど、他にも何か言われてるみたいよ。さっき、珍しい髪色って言ったでしょ。私が知る限り、あの髪の色の女の子はこの辺りにはいないわ。噂の中身がどうであれ、この髪色は目を付けられるわよって言いたかったんだけど」
てっきりコーディネート上の言葉だと思っていた。こんな噂が流れているのに、連れ回して平気なの? という意味が込められていたのだ。ちらりと見られたのも。
「あいつ、本当に田舎者で何も知らないから、街のことなんかを教えてたんだ。そんな噂が流れてるなら、俺だってもっと考えて行動する。たった半日で、誰がそんな噂を流してるんだ」
少なくとも、昨日の時点ではそんな噂は一つも耳にしていない。
「それを調べるのは、あなたのお仕事じゃない? とにかく、クコちゃんが着替えたら早く帰った方がいいと思うわ。噂を本気にして、あの子を襲って来る無分別なのがいるかも知れないから」
人間を喰い殺してるなら、その家族や知人が復讐と称して襲って来るかも知れないが、彼女はそんなことをしてないからこれは無視していいだろう。
シダルゼアと会う前、クコが本当に人間や魔獣を喰い殺していたなら、血の臭いがするはず。人間以外の種族は、程度の差こそあれ鼻がいいから、簡単にはごまかせない。
魔獣や獣人程ではないにしても、シダルゼアの鼻ではクコから血の臭いは嗅ぎ取れなかった。
だが、誰かの宝を盗んだ、という類の噂については、本気にする輩が現れるかも知れない。うまくいけば自分の懐が温かくなると思えば、腕に覚えのある者なら鬼人の少女くらい……なんてことを考えかねないだろう。
話を聞いたシダルゼアは、ラセットに連絡を入れた。クコについておかしな噂が流れているようだから、そちらでわかる限り調べてくれ、と伝える。
「あの……これでいいのかな」
シダルゼアが連絡を終えた頃。
少し頬を染めながら、クコがフィッティングルームから出て来る。
襟の大きな白い長袖シャツに、明るい赤のショートパンツ姿。ピレアが言ったように、足が長いのですらりとして見える。
だが、クコは今までこんな短いパンツをはいたことがないので、実は下着の類ではないのか、と思って恥ずかしい。もちろん、村でこんな格好を見ることはなかった。
でも、何だかわくわくしている。真新しい服なんて、たぶん初めてだ。これまでは、誰かのお下がりを直してもらった服ばかりを着ていたから。
新しい、というだけで、気分が高揚する。こんなに肌触りのいい布を身に付けられるなんて、嬉しい。
「あら、すてき。動きやすいものって言われたからそれにしてみたけれど、ふんわりしたブラウスやスカートもきっと似合うわよ。靴はこのスニーカーね。サイズは合うかしら?」
差し出された靴とくるぶしまでの靴下は、シンプルな白。走りやすそうだ。
「ああ、それとこれを合わせてみて」
言いながら、ピレアは薄いベージュのキャスケットをクコにかぶせる。
「やっぱりよく似合うわ。目がくりっとしてるから、前髪を上げて顔を見せるようにしてもかわいいわよ」
ピレアは、クコの前髪をささっと帽子の中に入れてしまう。肩まである髪はそのままだが、何もかぶっていない状態よりは髪の色がわかりにくい。少なくともすぐに目が向かないし、角も見えなくなって鬼人とはわからないはずだ。
「悪いな、店長」
角と薄青の髪が目印になるなら、それを隠してしまえばいい。キャスケットをコーディネートしたのは、ピレアの機転だ。
それがわかって、シダルゼアは礼を言った。
「どういたしまして。それ、どうかしら。気に入ってくれたなら、そのまま着て行けばいいわ」
「う、うん。あの、シダル……どうかな、これ」
「ああ、よく似合ってる」
シダルゼアに言われ、クコは嬉しそうに笑った。誰かに何かをほめられるのは、いつぶりだろう。
一方でシダルゼアは、こんな笑顔の少女がなぜこんな不穏な噂をたてられるのだろう、と強い疑問が渦巻く。あまりにも不釣り合いだ。
シダルゼアは代金を払うと、店を出た。
「他にも行くつもりだったが、予定変更だ。帰るぞ」
「え? うん、わかった」
クコは予定を教えられていなかったので、予定変更と言われてもうなずくしかない。
「クコ、事務所までの道は覚えたか?」
「うん。街って色んな種族が歩いていて、大きな建物がずらっと並んで面白いなって目移りしちゃったけど、森や山と違って目印がつけやすいもん」
だいたいの枝振りや動きそうもない岩などを目印にし、森や山を歩く。それを思えば、建物は目印になりやすい。似たような建物も多いが、看板などで違いはわかる。
事務所は本屋がある角を曲がって、大通りから一筋入った所。
昨夜は暗かったし、初めてだったから覚えるというレベルに至らない。だが、今の店へ行くまでに周囲をきょろきょろ見ていたから、位置はある程度認識できた。
「そうか。じゃ、何かあってもすぐに帰れるな?」
「うん。……何かって何?」
「帰ってから話す」
そういう言い方をされたら不安になるのだが、シダルゼアが帰ってからと言うのだからそれまで待つしかない。
ラセットから連絡が入った。声は魔法具を持っている者にしか聞こえないようになっているので、クコにラセットの声は聞こえない。
「ああ、今帰るところだ。……帽子は買った……そうだな……わかった」
クコが横で首を傾げているうちに、通話は終わった。
「ちょっと寄り道するぞ」
帰るはずだったのに、また予定が変わった。
「うん。どこ行くの?」
「散髪屋だ」
「サンパツって何?」
意外な質問が来て「え?」と聞き返したくなる。
「髪を切る所だ。クコは今まで、髪を切る時はどうしてたんだ?」
「自分で切ってたよ」
クコの髪は肩辺りだが、その毛先の長さはまちまちだ。あまり「切り揃えられた」という感じはない。だが、自分でしたというなら、かなりきれいにできている方だ。
「前髪はいいけど、後ろは見えないからどうしても大雑把になるの。街では、そういうのもお店があるのね」
「ああ、今日は切らないけどな」
シダルゼアはいつも行く店へ向かう。そこで染め粉を買った。
いくつかの色があるが、鬼人の髪は黒か赤が多いので、黒にしておく。
その後は足早に、今度こそ真っ直ぐ事務所へ戻った。
「ただいま。何がわかった?」
帰った挨拶もそこそこに、シダルゼアはラセットに尋ねる。
「いろいろとね」
ラセットは軽くため息をつく。
「クコは知ってるのかい?」
「いや、まだ話してない。道でゆっくりできる話ではないからな」
「シダル、帰ってから話すって言ってたけど、何?」
自分に関わりがあるらしいとわかり、帰る前に意味深なことを言われたこともあって、クコはどんどん不安になる。
「その前に、もう一度聞いておきたいことがある。クコ、俺に会う前、それと俺があの屋敷へ向かってから、どこへ行った?」
やけに真剣な面持ちで尋ねられ、クコは少し緊張しながら話す。
「えっと……知らない場所に来たと思ったら、いきなり現れた熊達に屋敷の方へ連れて行かれて、そこから逃げてシダルに会った」
「屋敷から逃げて、俺と会うまでは?」
「わかんない。とにかく誰かいる所にって思って走ってたから、どこって言われたら道としか……」
初めての場所で、しかも夜。同じ場所へ行け、と言われても、行ける自信はあまりない。方向音痴ではないつもりだが、あの時はあまりにも情報がなさすぎて、周囲を把握しきれていなかった。
「そうか。で、俺と会った後は?」
「シダルがあの屋敷へ向かうのを見て、どこへ行ったらいいか、どうしたらいいかわかんなかったし、シダルが心配だったからまたあの屋敷の近くまで行ったの。しばらくして、警衛? 同じ服を着た誰かがいっぱい来たのを見て、それからシダルがこっちへ来たのがわかったから、声をかけた。それ以外には、他の誰とも会ってないよ」
つまり、クコはどこへも行っていないし、シダル以外にはあの熊の獣人としか会っていない。
にも関わらず、誰かを殺した、何か盗んだ、という話が出ている訳だ。
「お前が人間を喰い殺した、という噂が流れてる」