人間界
人間以外の種族は自分達の世界が別次元に存在していて、それぞれそこに住んでいる。
だが、彼らの魔力が次元を不安定にすることが多々あり、そのまま崩壊することがよくあるのだ。
自分の世界が滅びそうになってくると、大抵はリーダー的存在が現れる。その彼、もしくは彼女が種族を統率し、魔力でもって別次元に新しい世界を造るのだ。
一方で、自我が強くてまとまらない種族もある。そのまま世界と共に滅んでしまうことも、時としてあるようだ。
そんな世界の状況で、人間界は異常とも言える程に安定した次元に存在している。さらに、他に例がない程に広い。
元々、人間界にも鬼人を始めとした魔族は少数いた。そこへ滅びを目前にし、種族の存続と安定を求めた別次元の種族が、次々と人間界へ流れ込むようになったのだ。
それらを受け入れても、飽和状態になる様子はない。現在の人間界は「混成界」とも呼ばれている。
強い魔力を持つ種族が、魔力を持たない人間を支配するのは簡単だろう。この世界の広さと安定性は大きな魅力だ。
しかし、あまりにも色々な種族が存在し、突出した魔力の者がおらず、そんな中で一つの種族が世界を支配するのは難しい。
なので、今のところはどうにかバランスを保って平和な世界が続いている、というのが現状だ。
鬼国は文字通り、鬼の国。鬼人が造った世界だ。
しかし、ここもまた不安定な次元だったため、世界は滅びを迎えた。
それが、五十年前。
現在は、自分達だけの世界がいい、と言う者達で、新しい鬼国を造りつつある。だが、鬼人は魔族の中でも魔力が低いため、なかなか新世界として確立しない。
数字の上では、世界の半分以上の鬼人が人間界へ流れ込んだ、と言われている。
そんな現状なので、今の鬼国に街はもちろん、村もまだ存在していない。
新しい世界には建国に携わっている鬼人の集落がいくつかあるようだが、そこにクコのような少女は存在していないだろう。何をきっかけにして再び滅ぶかも知れないのだから、一般の鬼人は住んでいないはずである。
……そういったことをラセットに説明され、クコは言葉が出ない。
世の中には鬼人以外に色々と種族がいることは知っていたが、みんな人間界にいるんだろう、とざっくり考えていた。これまで考えようとも思わなかったのだ。
言ってみれば、他種族の話。これまで関わることなどなかったし、よその土地にいる彼らに会うことなどないだろう、と。
それが、各々の次元で世界を造っていたなんて、初めて知った。土地どころか、文字通りに次元が違う。別次元でそれぞれが暮らしていたなんて。
いや、それよりも。
自分が数時間前までいた所が、とうの昔に滅んでいる、なんて……大問題だ。
「えっと……それじゃ、あたしは五十年前の鬼国から来たってこと?」
「クコの話が本当なら、そうなるな。滅んだのは五十年前だが、実際にクコがいたのはもっと前ってことになるかも知れない。もうすぐ鬼国が滅ぶらしいぞ、なんていう噂は聞いてないんだろ?」
「うん。毎日、平和そのものだったよ」
田舎だから情報が入って来なかった……という可能性もある。
「ギバーナ村って言った? ちょっと待ってね」
シダルゼアの隣に座ったラセットは、中指で眼鏡をくっと押し上げると、自分の顔より少し大きいサイズの板を持ち、その表面に指をすべらせている。火はなさそうなのに、板の片面がやけに明るい。
「何してるの?」
「今のクコには理解しにくいだろうが、あの中にもンのすごい量の情報が入ってる。そこから村のことを調べてるんだ」
「え、その板で?」
クコが目を丸くしている間に、ラセットがギバーナ村の情報を探り出した。
「あったよ、ギバーナ村。やはり滅んだ鬼国の中にあった村の一つみたいだね。当時、村には二十八名の鬼人がいて、人間界へ移動したことになってる。今の所在までは、さすがにすぐわからないけどね」
人間と鬼人は見た目はほとんど変わらないが、三十代を超える頃から鬼人の方がゆっくりと年を取る。なので、同い年でも鬼人の方が若く見えたりするし、平均年齢も百五十歳前後で人間より長命。
クコがいた村の鬼人達は、はっきり年齢を聞いてないが、やや高齢が多かった。たぶん、みんな百歳前後。
クコの知る鬼人達が人間界へ異動したのが単純に五十年前だとしても、ほとんどの者は寿命が近いかすでに全うしているだろう。
「二十八……うん、それくらいの数だった。ちゃんと数えたことないけど。だけど、みんなはどうやって移動したの? 村で移動能力があるのは、ひとりだけだったよ」
自分達の世界から人間界や他の世界へ行くには、特殊な移動能力が必要になる。村から街へ出るよりも、さらにずっと強い力だ。
「移動装置を使ったんだ。魔力がない、もしくは低い奴はそれで移動する。そういった装置を魔力がない人間が作るんだから、大したもんだよな」
人間には魔力がない。その分、想像力や技術力が飛び抜けて高い。一種の魔力と言ってもいいくらいだ。その力は、最強の魔力を持つ竜族に匹敵するレベルだ、とまで言われる。
「ラセットが持ってるその板も、人間が作った。魔力を持たない、もしくは低い奴が街で便利に暮らせるための道具は、全部人間の手によるものだ。魔力に頼ってる奴には到底作れない代物ばかりだぜ。鬼人も、どっちかと言えば魔力は低いからな。その恩恵にあずかってる」
「じゃあ……村のみんなは、ちゃんとどこかへ無事に移動できたってこと?」
「すぐに消息をたどることは難しいけれど、無事だったはずだよ。事故の記録もないしね」
鬼国の大きな街には、人間界にいる同族とコンタクトを取る力を持った鬼人がいる。彼らが移住を望み、人間界側から移動装置の力で鬼国の鬼人全員をこちらへ移動させたのだ。
移動が完了した鬼人達は、それぞれ自分達が望む場所へと散って行ったらしい。
「よかったぁ」
不思議な板のことはとりあえず、どうでもいい。ギバーナ村民が何事もなく移動できたと聞き、クコは胸をなでおろす。
それを見て、シダルゼアは笑みを浮かべた。
「お前、優しい子だな」
「え?」
シダルゼアの言葉に、クコの頬に朱が走る。
「自分の状況もよくわからないってのに、村の奴らの無事を喜べるんだからな」
「だって、自分が育ってきた場所だし、みんなにはお世話になったし……」
知り合いがトラブルに巻き込まれた、なんて話は聞きたくない。それに……あまりにも色々なことを言われ、自分の状況がわからない、ということを一時忘れていたのだ。
「うんうん、そうだよね。みんな、誰かの世話になってるんだ」
ラセットがにこにこしながら、小さく何度もうなずいた。
「だけど、どうしてあたしは時間を飛び越えたのかな。そんな力はないし」
「時間を移動できる種族は、表向きいないはずだよ。いたとしても、場所を移動するのとは違うから、相当な魔力が必要になると聞くしね」
「あっ、あたし、十七って言ったけど、そういうことならもしかしてシダルよりずっと年上になっちゃうの?」
「お前が五十年の時間を生きていれば、だろ。十七年しか生きてないなら、十七歳だ」
何が正しいのか判断は難しいが、クコはその言葉で少し安心した表情になる。
「よかった。いきなりおばさんになっちゃったのかと思った」
鬼人でも十七歳は思春期。それが一気に老け込んでしまうとなれば、これはこれで大問題だ。
「年齢はともかくとして、クコは時間を超えただけじゃなく、場所もかなり移動してる。次元から次元だしな。それを同時にしているし、そんなことが魔力の高い竜族でもできるか怪しいもんだ」
クコの様子からして、彼女は嘘をついていない。
だが、それならどうしてこんなことになっているのか。
もしかするととんでもなく厄介な話だろうかとも思うが、なおさら警衛に話さなくてよかった、とも思うシダルゼア。
いくら魔法が普通に存在する世界でも、突拍子もない状況だ。こんなことを話したら、からかっているのか、と気の短い警衛達に怒られるのは目に見える。
見張りをしたということもあるから、クコが不利な状況に陥りかねない。さらには、やってもいない鍵あけの罪まで上乗せされてしまう。
「ものすごく不確かだけど、考えられることはあるよ」
「時空を飛び越える方法がか?」
シダルゼアが聞き返す。まさかこんなすぐ、ありえそうな方法を出されるとは思わなかった。
「道の石の力が働いた、という可能性はどうかな」
「んー、何とも微妙な説を出してきたな」
「道の石?」
話がわからないクコは、聞いても首を傾げるばかりだ。
「未知の石、とも呼ばれる石があってね。神隠しの一因じゃないかって言われてるんだ。あ、神隠しってわかるかな。突然、行方不明になることなんだけど」
シダルゼアがクコと会った時、冗談めかして言っていたことだ。鬼人が行方不明になると、鬼隠しと呼ばれる。
「あくまでも推測を交えた記録なんだけど、その行方不明者がいなくなったであろう地点に石があることが多いんだ。普段は何でもない石なんだけど、何かをきっかけにしてよその土地や時間を超えて移動させる力を出す、と言われてる。強く願ったり、行きたい場所をつぶやくとそうなるってことも言われてるけど、真相は不明。いなくなるのは、人間か魔力がないに等しい鬼人や獣人ばかりなんだ。たぶん、他の魔族なら自分の魔力で何とか戻れるから、神隠しにならないで済んでいるって話なんだけど。魔力がなければ、戻って来るのは難しいからね。記録上、行って帰って来た者はいないとされてるけど、とにかく全てが推測でしかないんだ。調べている研究者もいるけど、今も謎のままのようだよ」
だから、あくまでも可能性として、とラセットは話したのだ。それ以外、これと言ってあてはまりそうなものがすぐには思い付かない。
「その道の石って、どんなの?」
「その研究者達が言うには、黒っぽい灰色の石。大きさはまちまちみたいだけど、そんな石なら探せばどこにでもありそうだからね。狼が寝そべったような形をしている、なんて記述もあったかな。そういう石と言うか岩なんて、山や森なんかの自然が多い所にいくらでもあるからね。人間のぼくが迂闊に近寄ると、戻って来られないかも」
「あの……あたしね」
神妙な顔で聞いていたクコは、ぽつぽつと話し出す。
「ここへ来るまでは、村のそばの森にいたの。ヒョウロ義父さんが森や山で獣を捕っていて、あたしも教えてもらった。ヒョウロ義父さんがいなくなってからは自分だけでやってたけど、あたしは足が速いだけでうまく捕まえられないの。で、今日もうまくいかなくて、疲れたから岩に座って休んでいて……それ、灰色っぽかった気がする」
「……それから?」
ラセットが眼鏡をくいっと上げながら、続きを促す。
「街へ行った方がいいかなぁって、つぶやいてたような。義父さんは爪で獣をさばいてたけどあたしの爪はそんなに鋭くないし、前からあたしに狩りはあまり合ってない気がしてたの。街で別の仕事を探した方が、今より貧乏じゃなくなるよねって最近ずっと考えてた。それから……気が付いたら場所が変わってて、時間も昼過ぎだったはずなのに夜になって」
ああ、それでさっき狩りって単語が出たのか、とシダルゼアは納得する。村の近くにある森や山で、自給自足の生活をしていたのだろう。
「夢でも見てたんじゃないか……って言えたら楽なんだがなぁ」
クコがでたらめを話していないと仮定すれば、何だか符合するようなことばかりが出て来る。
断定はできないが、本当に道の石の力が働いたのでは、と思えてきて、ますます頭を悩ませることになってしまいそうだ。
「座ったのが道の石で、クコがそう願ったからこの街へ来たってことになるのか。それにしても、場所も時間も飛ばしすぎだろ。じゃあ、同じようにすれば、元の鬼国へ戻れたりするのか? そんな都合よく、石が転がってたりしないだろ」
「昔、この街にもそれらしい石があったそうだよ。だけど、その石が本当によそへ飛ばしてしまうのなら撤去してくれって声が上がって、粉々に砕いた後で次元の狭間に捨てられたんだ。まぁ、その石が残っていたとしても意図的に使うってことは無理だから、どちらにしろ戻るのは不可能だね」
言ってからラセットは「不可能」という言葉は使うべきではなかった、と少し悔やんだ。目の前の少女を絶望させかねない言葉だ。
「……それに、戻っても五十年後には、村を含めた鬼国は滅ぶんでしょ?」
実際に滅んだのは現時点から五十年前ということになるのだが、クコにとっては未来の話になる。クコが平均寿命を生きれば、少し歳を重ねた頃にまたこの街へ来ることになる……かも知れない。少なくとも、人間界へ来ることは、確定だ。
「ああ。だから、クコは一足先に人間界へ来たってことになるな」
「そっか。じゃ、あたし、この街に住む」