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真白に曇天

 隣でなくて良いから、せめて傍に立ちたいと思うようになったのはいつからだったか。力はあった。我ながら、人間の限界を超えていたのだろうとさえ思う。ただ、良く褒められる可愛らしさだけが、邪魔だった。だから捨てた(・・・・・・)

 艶のある肌は、曲線の残る四肢は隠した。身体を晒さず、布で潰し、一人の騎士として刃を振るう。それで良かった。それで良いと思っていた。人としての幸せは、捨てたって構わないのだと信じたかった。




「……はっ」


 夢の余韻。柔らかな光、見慣れない木の壁。髪に遮られた視界は、横向きになっている。壁際の箪笥、消されていない灯り。七時半を指す、壁掛け時計。


「って、朝?! いつの間に!」


 やけに身体が痛い。何故こんな妙な体勢で寝ていたのだろう。昨日は――確か、本を読んだ。旅費の心配は無さそうだと安心して、なんとなく落ち着かない心を鎮めようと本棚を眺め、一冊の本を手に取った。寝台に腰掛けて、途中までは読んだ記憶がある。そこから導き出される答えは、


「そのまま眠気に負けた、と」


 つまりはそういうことである。


 軽く伸びをすると、背骨が騒々しく音を立てた。すっきりしない目覚めである。

 まだ辛うじて理性が残っていたのか、読みかけの本は閉じられて端にちょこんと置いてある。確かに自分は真面目かもしれないな、と誰に言われたかも覚えていない言葉を反芻し、苦笑。真面目で何が悪かろう。不良よりはマシだ、不良よりは。


「カルヴィン、起きてる?」


 コンコンコン、とノックに続き、ルイーゼの声。


「起きてますよ」


 今起きたばかりだが、別に嘘ではない。


「今からお湯沸かすけど、お風呂入る? 着替えは準備してあるから心配しなくても大丈夫だよ」

「ありがとうございます、ではお言葉に甘えて」

「はーい。じゃあまた呼びに来るね、ちょっと待ってて」


 さて、今日は何について教えられるのだろう。私が魔法を使えるようにならないことには、なにも行動が起こせない。別に強制されているわけでは無いが、自分達だけでこの森から出られるとは思わないし、ここまで世話になっておいて我儘の一つも聞かないとは如何にも恩知らずというものだ。しかしながら、魔法を教える。それ以外に何も求めず、素性の知れない我々を置いておくと言うのは、理解し難いことだ。何か理由はあるのだろうが、何が彼女をそうさせるのだろうか。

 考えたところで埒が明かない。まだ少し眠い目を擦り、ひとまず多少は身支度する。



「いっ――」


 現実は非情である。どうしてそうなったのか、と言われれば偶然そこに有ったから、と答える他無い。どこの言葉だかは知らないが、脛のことを弁慶の泣き所と言う。泣き所と言うからには、弱い。余りにも弱いのだ、人間の脛は。

 ――脛を、机の脚に打ち付けた。蹲ることしかできなかった。目の前に星が散ったような気さえする。みじめだ⋯⋯。


「カルヴィン、入るよ。え、どうしたの? 何々、僕何かしちゃった? 大丈夫?」

「なんでもありません、大丈夫ですよ。少し惨めな気持ちになっていただけです」

「えっそれ本当に大丈夫……?」


 優しさが身に染みる。でもせめてノックはして欲しかった。惨めさに加わって、恥ずかしさまで心を占領する。仕方ないさ、そんな日もある。きっとある。誰だってある。


「えっと、うん、着替え置いとくね」


 ただ笑うしか無かった。一生分の恥と言っても過言ではない。最悪な朝だ。




「……で、昨日話したことは覚えてるかな? 大丈夫ばっちり覚えてる、って前提で話すよ。大丈夫だよね?」

「大丈夫です」

「信じるからね!」


 変わり映えのしない風景である。二日目にして、すでに見慣れてきている。ソフィーナは昨日も今日も私達とはまた別の所に居るらしいが、一人にしていて本当に大丈夫なのだろうか。


「んー、どこまで話したんだっけか。あ、思い出したぞう! 今日はいざ実践、って感じだね!」

「とは言え何をすれば良いのでしょう」

「そうだね、まずはオドを感じるところから始めよう。ちょっとじっとしてて」

「あ、はい、一体何を?」


 ずい、と差し出されたのはルイーゼの持つ杖……のような何か。


「これ、持っててね」


 有無を言わせず押し付けられる。何をするつもりなのか、説明を下さい説明を。


「よしよし、そのまま手を前に出して。絶対に動かないでね、最悪吹っ飛ぶよ!」

「何をするつもりですか?!」

「集中しててよー、さーん、にーい――」


 話を聞いている様子がない。とても身の危険を感じる。今更ながら、ルイーゼの頼み――魔法を教わること、だけだが――を受け入れてしまったことに、激しく後悔している。


「いーち!」


 思わず歯を食いしばる。体をなにか熱いものが駆け抜け、のようなものへと流れ、そして――赤い光が弾けただけで、何も起こらなかった。


「びっくりした? 大丈夫、今のはただオドを通しただけだよ。僕の体から、君を通って、杖に流れ、何にもならずに消えた。なんか体が熱くなったりしたでしょ?」

「はい、これが……オド、ですか」

「そういうこと。自分の中にもあるのが分かるでしょ?」


 言われてはたと気付く。今までは気付かなかった何かが、身体の中に流れているのを感じる。


「じゃあ、今度は簡単な魔法でも使ってみようか。ちょっと水を出すくらいなら魔法具とかもいらないし、やってみよう」

「水を……」

「うん、水。一滴くらいでもいいよ。基本中の基本っていうか、落ちこぼれでもオドさえ感じ取れればできるから、ひとまずやってみてよ。オドの一部を、そのまま液体に変えるイメージで」


 一部を、液体に変えるイメージ。無意識に右手を前へ出し、その先に少量の水を思い浮かべる。流れが一箇所に集まり、消え、弾けるように水流が生まれていた。


「うわ」

「上手上手、この調子なら慣れるまでそう時間はかからないよ。魔法を使うときにオドが集まる場所があるよね。そこがコア、僕らにとって一番大切な――命と同じ価値を持つ場所だよ。絶対に、絶対に壊さないようにね」


 なんとなく、核の場所が分かったような気がする。上手く使うには時間がかかりそうだが、充分だろう。


「肝に銘じておきます」

「本当に、気を付けるんだよ。核の役割は、ただ魔力を変換することだけじゃない。オドが生命力に直結してるって話はしたよね。そのオドを蓄え、循環させているのも核。つまり、核を失うのは――」

「――オドを失うことと、同じ」

「そういうこと。物分りが良くて助かるよ、実は座学も得意なんじゃないの?」


 別に座学が苦手だと言った覚えは無いが、得意だとも言っていない。実際、軍人より学者のほうが向いているのでは無いかと思ったことはあるが、特に何かを学びたいわけでもないのでこれで良かったのだろう。


「さーてと、まだ魔法陣とか詠唱とかは教えてなかったよね」

「初耳です」


 そんな言葉は、今まで一度でも会話に出てきたことがあっただろうか。いや無い。


「だって言ってないもの」


 清々しいほどに罪悪感の一つも感じさせない笑顔で、そんなことを宣うのだった。


「今さっきやってもらったみたいに、自らの想像力を信じる! なんていうのも悪くないとは思うけど、魔法って集中力と想像力が鍵になるからね。言葉や文字、図形とかで手助けをすることが多いの。言葉を口に出せば詠唱、平面に描けば魔法陣なんて呼ばれるよ。鮮明に想像できれば使うオドも少なくて済むし、覚えておいて損は無いかな」

「よく分からないことが分かりました」

「それは何もわかってないときに言う言葉だよね絶対」


 軽快に進む会話は心地良いが、それはそれとして本当によく分からない。


「――考えるな、感じろ」

「教えることを放棄しないでください」


 格好付けて言ってもこの場合、それは格好良い台詞では無い。断じて無い。


「むむむ……まず、オドがあります」

「はい」

「そして、核があります」

「はい」

「で、オドの持ち主が何かを念じたとき、要するに魔法を使うとき、オドを核が魔法――物質や現象に変換します。つまり、持ち主の思念に応じてオドの形を変えるのが核。結果できたものが、魔法」

「なるほど、わかりました」


 最初からその説明では駄目だったのだろうか。


「で、その手助けをするのが、詠唱と魔法陣。上手く使えば、星を降らせるようなこともできる優れものだよ」

「物騒ですね」


 魔法というのはやはり、万能なのでは。


「いやぁ、でもほとんどの場合は自分が持ってるオドの分しか魔法は使えないからね。どうしても大掛かりな魔法を使いたい!ってときは、自分の身体をオドに変換してしまう人もいるし」


 また新たな概念が登場した。色々と説明が足りていない。


「マナを利用できる、と言っていませんでしたか?」

「うん、よく覚えてたね。マナ……えっと、エーテルは基本的には僕らの魔法に干渉しない存在なんだ。何物にもならない、無色透明の触媒。空気みたいなものだね。それを無理矢理オドに近いものとして利用するわけだから、当然けっこう難しくて。わざわざマナを使うよりも、オドが許す限りのことを極める方が良いって結論になっちゃうかな」


 マナを使えば許容範囲以上のこともできる、と。そういう認識で良いのだろうか。


「でも、さっきも言ったみたいにどうしても大魔法をこの手に! みたいな人って居るんだ。そういう人は、自分の身体をオドに変換して使う。まあ、そんなことしたら九割がた死んじゃうけど」

「そこまでして使いたいものでしょうか、魔法というのは」


 なにも魔法に拘らずとも、他にやりようはあるものだと思うが。


「魔法が使えなければ魔術に頼って、結局死んでるよ。そういう人は、元々どこかおかしいんだよ。最初から死ぬってわかってるんだから、さ」

「自らの命を対価とすることもできるのですか?」

「本当になんでも良いんだよ、対価は。価値があるものならなんでも良い。例えそれが命、果ては魂だろうとなんだって構わない。それが魔術なんだから」


 不作のときや干魃に苦しんだとき、若い娘を人柱に立てて豊作を乞う――などという話はよくある。おそらくは、そういった儀式はみな魔術だったのだろう。対価が命でも構わないというなら、確かに辻褄が合う。


「閑話休題。詠唱と魔法陣の話だったね。詠唱については実際のところ何でもいいんだけど、僕ら魔法使いには、先祖代々受け継いでる呪文があるんだ。どうせ戦争なんかしないんだから、簡単な魔法を一言で……とかなんとか」

「本当に何でもいいんですかそれは」


 魔法使いというのは先祖代々どこか雑なのだろうか。


「信じてないなあ、本当だよ。本人にとってわかりやすければ何でもいいの。まあ、詠唱とか無くてもある程度魔法って使えちゃうもんだけどね」

「案外適当なんですね」

「そんなもんだよ。でも、魔方陣は割とキッチリしてるというか……正直覚えるのが面倒臭いんだよね」


 仮にも教える立場の者がそのようなことを……。いや、それが彼女の美徳だ。そう思うことにしよう。


「どうせそんなに使うことは無いし、必要になったら都度覚えていけば良いよ」

「そういうものですか」

「そういうもの。詠唱はしっかり理解していってね」


 勿論それは構わない。むしろ、ぜひ教えてくださいとお願いしたいくらいだ。ここまで来て途中で終わるのは、なんというか後味が悪い。


「僕らは普段話す言葉と、詠唱で使う言葉は分けてるんだ。意識を分けるため、かな。例えば、燃えよ(Feuer) って言ったらその辺に火を灯す。そういう魔法を使うんだ、そういう現象を起こすんだ――そんな思念を強くするため、僕らは何かしらの言葉を唱える」

「公用語……では、ありませんよね。詠唱で使う言語は、それ専用のものなのですか?」

「まあ、だいたいそんな感じかな。でも別にこれは覚えなくていいよ。僕らは染み付いてるからこっちの方がいいけど、カルとかソフィみたいに元々魔法使いじゃない人は普通に公用語で唱えた方がわかりやすいし」


 さりげなく愛称で呼ばれたような気がするが、ひとまずそれは置いておこう。


「なるほど、大体は分かりました」

「よーし、じゃあ実践! 練習しよっか」

「何をしたら?」

「うーん、そうだね。何も考えてなかったや」


 もうこの雑さにも慣れてきた。慣れてきてしまった。なんということだ。


「本当に、考えるより慣れる方が早いからなあこういうのは……。どうしよっか」

「そう言われましても」

「必要に迫られないと魔法使ったりしないし……」

「それはそうですけど」

「あっそうだそうだ、こういうときは過去の偉人に頼ってしまおう! ちょうどいいものがあるしね。|集めよ《Sublimation》 !」


 ルイーゼが詠唱するとすぐに、落ち葉を巻き上げながら沢山の本が現れた。どういう仕組みなんだろう。


「凄いですね、これも魔法ですか?」

「その通り。どっちかと言うと、今のは解法したって感じだけどね」

「ところでこの大量の本は……」


 見たところ、背表紙は全て何やら見慣れない文字が描かれている。高級そうな素材だ。


「呪文、詠唱、攻撃用魔法。そんな感じかなっ!」


 中から適当に一冊を選び、差し出してくるルイーゼ。


「表紙はちょっとあれだけど中身は読める文字で書いてあるし、初級のはずだからまずはこれを覚えよう!」

「はいっ頑張ります!」


 なんでもいいと言っていたような気がするのだが、気のせいだろう。きっと気のせいに違いない。もしくは空耳。


「じゃあ頑張ってねー、僕はちょっとソフィの様子を見てくるよ」

「えっちょっと待っ」


 見かけ以上の脚の速さで去っていってしまった。ぽつん、と一人取り残される。

 仕方がない。渡された本を適当に捲る。


「あ、意外と読める……」


 中身は沢山の呪文が記してあった。行う魔法の開設、呪文、謎の言語の順である。

 しかし、かなりの量がありそうだ。果たして本当に覚えきれるのだろうか。いや、覚えないことには進まないのだろうけれど。全く、大変大雑把な指示である。ソフィーナにもこの調子で教えているのだろうか。もしそうなら、四日で放置されていても問題ない程に成長したソフィーナは天才だろう。才能がある、というのは本当のことだったか。

 私は別段才能があるとも思えないので、地道にいこう。ただでさえ四日分遅れているわけで、あまり迷惑はかけられない。


 そんなこんなで、至って地味かつ長い道程が始まってしまったのだった。

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