暖かな村
規則的に揺れる視界。
道を駆けるのは、二騎の馬。
関所には既に陛下が話を通していたらしく、軽く荷物の検査をするだけで通れた。
城へ帰るための術具の場所まで詳しく教えてくれたし、地図もくれた。
親切な人達だ。
「ところでカルヴィン、今日はどこの村に寄るの? この近くだと辺境伯の領地になるのかしら」
「そうですね、どうやらこの先に農村があるようです。そこに向かいましょう」
この国は、とにかく領土が広いと聞いた。その割には、村が少ないような気がする。
……まさかとは思うが、目指している村はかなり遠かったりするのか?いやいやまさか、そんな。
そう言えば、この国には、天使が居るのか。
この世界にあるすべての国は、天使によって守られている。
フロスタ王国を、除けば。
私たちが住む国、フロスタ王国。この国は、天使の守護を受けることなく続いてきた国だ。正確に言えば、守護天使が不在でありながら、代わりの天使が訪れることがなかった国なのだ。
本来、天使のいない国というのは存在してはならないはずだ。しかし、これまでこの国は攻撃されることなく、天使たちの目にとまることもなくあり続けてきた。伝承によれば、かつてサリエルという天使が、フロスタ王国を愛し、永遠に護ると誓ったらしいのだが。
世界は天使たちによって管理され、何も問題の起き無いように神がこの世を見守っている、らしい。実感はないが、この世界で私欲のための戦争が起きたことはない。私は生まれてこのかた、殺し合いというものを経験した事が無いのだ。
近衛騎士という立場ではあるが、武芸に励む他することも無く、ただ生きてきただけだ。特別な功績がある訳でも、特に秀でた何かがある訳でもない。
陛下は私のことをよく褒めてくださる。嘘ではないのだろう。しかし、私は陛下の期待に応えられているのかわからない。私には、誇れるものなんて何も無い。ただ女王陛下のために生きているだけだ。それでも、陛下のためなら命さえ捨てるつもりで居る。
「カルヴィン? どうしたの、暗い顔をして」
「いえ、なんでもありません。……前方に森が見えてきましたね」
いつの間にか、少女は隣に並んでいた。
考え込むとつい周りが見えなくなってしまう……気をつけなければ。
目の前に広がる森を抜ければ、目的の村まで半分以上は進んだことになる。時刻はまだ十時をまわる頃だ、今日中に村まで行けるだろう。
「そう言えば、朝は何か食べてきましたか?」
「いえ、何も食べていないわ。出来るだけ一日一食で済ませるようにしているの」
「そうでしたか、このまま休憩を挟まずに移動しても大丈夫ですか?」
一日に二食、もしくは一食程度しか食事をとらない人は多い。一般的に、一日に一度食事をとるのが健康的だとされている。かくいう私も、あまり食事はとらない。いや、食べるのが嫌いというわけではなく、時間が無いのだ。
「ええ、問題ないわ。日が暮れてしまってはいけないし、急いだ方がいいかしらね」
「そうですね。とはいえ、野営用の道具は持ってきていますから、焦らなくても大丈夫ですよ」
鞄のスペースが圧迫されている理由の一つは、この野営用の道具、つまりテントやナイフ、寝袋などだ。国から国へ、なんてサクッと行って帰って来られる距離ではないし、必要ではあるのだが。しかしまあ、これさえ無ければほんの少しの荷物で済んだだろう。
ふと横を見ると、ソフィーナはキョロキョロと周りを見渡しているようだった。
あまり乗馬は上手くないと言っていたが、危うげなく乗りこなしている。練習すれば良い騎手になれそうだ。
国境からかなり離れたはずだが、あまり景色が変わった気はしない。村まで行けば、なにかあるだろうか。
少し、楽しみにしていたのだけど。
村に着いたのは、日が落ちきった頃だった。
森が想像以上に広く、かなり時間がかかってしまった。
まさかとは思ったが、本当にここまで遠いとは……。
既に時刻は二十時を超えている。宿を探した方が良いだろう。
「カルヴィン、あそこ、酒場かしら?」
「大きい建物ですね。行ってみましょうか」
畑の向こうに、周りの建物よりも大きく、賑わった場所を見つけた。酒場があれば、宿もあることが多い。それに、他にそれらしい建物もないので、とりあえず行ってみるのがいいだろう。
広い畑を抜け、建物の前に立つ。
王都では畑は見かけなかった。作物も違うのだろうか。
家の明かりがあるとはいえ、暗くてあまり周りが見えない。これも王都ではできない体験だ。王都には街灯も多く設置されているため、夜でも周りが見えにくくなることはない。これまでも何度か王都から出たことはあったが、やはり少し新鮮な気持ちだ。
扉を開くと、人々の賑わいが耳を包んだ。簡単なつくりの机や椅子に集まり、酒を飲みつつ雑談に興じている。ここは居酒屋なのか。
何故か、少し安心する光景だ。
「いらっしゃい! あんたたち、旅人かい?」
「ええ、フロスタから来たんです。一晩泊まれますか?」
「もちろん。最近は客が少なくて困ってたくらいさ」
来客が珍しいのか、視線が集まっているのを感じる。私たちの他に旅人はいないようだ。
「右に部屋があるから、そこで休んでっておくれ。一晩百Gでどうだい?」
「わかりました、ありがとうごさいます」
「ほかに宿泊客はいないから、ゆっくりしていってくれよ」
妙に温かい目線だったような気がする。何故だろう。
ソフィーナは、あまりこういった場所には来たことがないのだろう、色々なものに興味をひかれているようだ。いわゆる箱入り娘、というものなのだろうか。
「とりあえず、荷物は置きましょうか」
「そうね。けっこう人がいるみたいだし、話、聞けるかしら」
使っていいといわれた部屋は、二人で使うには少し大きすぎる部屋だった。本来は大人数で使う部屋なのだろうが、ほかに客がいないということで二人だけで使わせてもらえるようだ。複数の寝台が並べられているが、どれも少し大きめのものである。
端の寝台の横に荷物をまとめておき、食堂に戻った。
もうすぐ二十一時になるが、まだまだ賑わっている。二十二時までには閉店しなければならないはずだが、間に合うのだろうか。
「あんたらは、公都に向かうのか?」
「そうですね、そのつもりです」
「なら気を付けたほうがいい、最近物騒なんだ」
通路の近くに座っていた男性から、声を掛けられる。
仕事の終わりに一杯、といった感じだ。ほかの客も村人と思わしき人が多い。客が少ないとは言っていたが、かなり人がいるように感じられる。人口の多い村なのだろう。
「物騒? そういう話は聞いてないわ。最近なにかあったの?」
うしろからひょっこりと顔を出し、ソフィーナが話しかける。彼女と店主の他に女性は見当たらない。彼女はこの空間で、よく目立っているようだった。
「ああ、なんでも天使に殺されたやつがいるとか。嬢ちゃんも気をつけろよ?」
「あら、ありがとう。よかったらその話、詳しく聞かせてほしいわ」
よかった、すこしは手掛かりが掴めそうだ。
「おれも詳しくは知らねえが、『神は決断なされた』とかなんとか言って、あーっと誰だったかな……まあいい、そいつを連れてったらしいんだよ」
横から別の男が口を挟む。
「その話だったら俺も聞いたぞ。女が一人、連れていかれたらしい。俺ぁ、神さんが気に入って連れてったとかだと思うんだがなぁ」
神は決断なされた。なんのことだかさっぱりだ。
「おれはなんだか、その女が気に障るでもしたから、怒って連れていかれたんじゃねえかと」
「お前んちの嫁さんじゃあねえんだし、んなこた無いだろうよ」
「あんだと?」
「あん?」
このまま居ると喧嘩に巻き込まれる気がして、ソフィーナを連れてその場から離れる。もう少し詳しく知っているものはいないものか。
「そうだわ、なにか食べましょう、カルヴィン。食べすぎはよくないけれど、食べないのもよくないわ」
「わかりました。居酒屋も兼ねているようですし、なにかいただきましょうか」
店主からも話を聞けたらいいが、何か知っているだろうか。
「すみません、夕食になにかいただけませんか?」
「あいよ、一食十Gいただくよ。今日のメニューは豆と野菜のスープ、干し肉、あとは焼いたばっかりのパンだよ」
十Gか、かなり安い方だと思う。もっとも、王都の食堂は値段が高いことで有名なため、あまり参考にはならない。私自身自炊はするし、思えば食堂にお世話になることはあまり無かった。
一応自分が恵まれている自覚はある。比較的頻繁に豚肉や淡水魚を食べられたし、焼き菓子を手に入れることもできた。もっとも、そのほとんどは、他の騎士やら衛兵やらにこっそり分けていたのだが。
そんなわけで、農民たちの、しかも違う国に住む人々の料理を前にして、私は柄にもなく少し興奮していたのだ。
「いただきます」
「いただきます」
味付けは案外違うが、食材はフロスタでも見かけるものがほとんどだ。普段食べていたものよりは味が濃い。都会から離れるほど味が濃くなると聞いたことがあるが、真実だったのか。
「明日は公都へ向かうのよね。一日で行けるのかしら」
「野宿も考えたほうがいいかもしれませんね。村から離れた場所の宿はあまり良いものではありませんし」
仕事の一環でこぢんまりとした宿に泊まったことがある。思い出したくはないが。宿選びは本当に失敗するとひどい目に合う。なんなら道端で寝たほうがましなくらいだ。
「距離がわからないのよね、この地図」
「簡単なものですし、ある程度は仕方ないかと。それにしても、思った以上に広い森でしたね」
この村から公都までは、朝早く出ればもしかしたら一日で行けるかもしれない距離だが、あまり期待はできないだろう。
「ちょっといいかい?」
いつの間に近付いていたのか、店主が話しかける。
「はい、どうなさいましたか?」
「公都まで行くんだろう? なら、この村の南に大木が生えてる。そっから真っ直ぐ行けば、公都までの道路があるから、そこを通って行くといい」
「ありがとうございます。村から公都まではどれ位かかりますか?」
「早い時間に出れば一日で行けるはずだよ。あすこの道はしっかりしてるし、あたしは通ったこと無いけど駅も多いって言うからね」
とりあえず、寝床の心配は必要なさそうだ。
フロスタも負けていないとは思うが、道路の整備がしっかりしている国は好感が持てる。大きい通りがあれば商人たちは迷わずに商売ができるし、野盗に襲われる可能性も低くできる。評判が良ければ客が客を呼び、お互いに得をする。なかなか良い仕組みだと思う。
「ありがとう、助かるわ。私達、旅は初めてなのよ」
「旅行かい? それとも、使いかなにかかい?」
「旅行よ。国から出るのは初めてなの」
「一人では心配だと言うので、私が護衛として付いてきたんです」
護衛、と言った瞬間に、周りの目線が少し少なくなったように感じる。何故だろう。
「なぁんだ、あんたたち付き合ってる訳じゃ無いんだね! あたしゃすっかりそうなんだと思って」
「いえ、違いますよ。私はともかく、彼女は許婚だって居るでしょうし」
「え? 居ないわよ?」
貴族に近いような家だし、許婚くらいいると思っていたのだが、そうでもないのか。
自分も婚約者など居ないことは棚に上げておこう。
「許婚って、あんた商人かなにかかい?」
「私の母が、科学者なのよ。私は母が何をしているのか知らないのだけど」
「ふぅん、科学者?」
怪訝そうな目をしている。何もおかしいところは無いはずだが、どうしたのだろう。
「ええ、彼女の母は王宮の近くで働く学者なんです」
「……ああ、そういやフロスタから来たんだったね。その話は他でしない方がいいよ」
「あら、そうなの? それはどうして?」
フロスタでは科学信仰のようなものがあり、実際に何をやっているのかは不明だが、科学者はそれなりの立場を約束されている。彼らの研究の成果が表舞台に出ることは無いが、我が国では重要な職業である。
「科学は神に反する力なのさ。ここじゃそんなこと考える暇も無いけどね、都会の奴らは気にしてるよ。親が科学者だなんて知られたら、牢獄行きだってありえるだろうよ」
「そんな……。知らなかったわ。教えてくださって、どうもありがとう。私も気を付けるわね」
「かまわんよ、最近はなんだかめっきり客人が減ったものでねえ。少し前までは商人やなんやが居たもんだけども、今は一週間に一人も来れば多い方なのよ」
店主に言われてふと気が付く。フロスタでも、商人たちを見かけることが少なくなっていたのだ。普段なら賑わっている市場も、最近は寂しさを感じる様子になった。
「フロスタでも、商人達が訪れなくなっているんです。つい最近のことなのですが、少し気になりますね」
「ちょうどその頃からさね、天使が人を殺し始めたのは」
思わず聞き流しかけたが、かなり重要な情報なのではないか。
商人たちが他国を訪れなくなったことと、天使が人を傷付けること。なにか関係があるのだろうか。考えすぎ、であれば良いのだが。
「さ、真面目な話は終わり終わり。どうだい、ここの飯は?」
「とても美味しいわ! 機会があればまた食べたいわね」
「そうですね、いつかまた訪れることがあれば」
そんなこんなで一日は終わり、明日に備えて床に入る。
「公都でもなにか新しい情報があると良いですね」
「そうね、でも今日聞いた以上のことを誰か知ってるのかしら? それに私、明日から身分をなんて言ったらいいかしら。科学は神に反する、だなんて初めて聞いたわ」
「そこは……まあ、そうですね。適当な貴族の娘とか」
「そんなに適当でいいのかしら!?」
まだまだ夜は長そうだ。