表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/18

【第六話】パラレルな隣同士

 日曜日。学校説明会が開かれて、流山珠悠(るやますはる)はその手伝いに従事していた。

『受付の子が急病になっちゃって……流山ちゃん、頼めないかな?』

 と、江川(えがわ)から連絡が来たので、急遽請け負ったのだ。その日はちょうど暇で、適当に動物園でも行こうかと思っていたところだったので、気楽に引き受けた。なんで、江川先輩がフォローしてるんだろうと思いつつ。


 仕事自体は、来場者にパンフレットを渡す程度の軽いもので、午前中には自由の身となった。皆森の様子を見に行ったが、クレートに引っ込んで出てこないので、学校を出て、近くの河川敷に向かった。

 そこは公園として整備されていて、野球場があったり、自由に遊べる広場もあって、賑わっている。今も、小学生の子たちがフリスビーで遊んでいた。

 珠悠はのんびりと、その脇の遊歩道を歩いていき、川べりに立った。梅雨なので、川は普段より水量が多い。いつもよりも強い水の流れを、ぼんやりと見つめる。

 川の流れは永遠に見られるくらい好きだし、野鳥や、野生の亀を見ることができるので、そこはお気に入りの場所だった。

 自然に溶け込んだような心地の中、珠悠はまどろむ。


「あーっ!」


 ふいに遠くで、甲高い声が聞こえた。

 何気なくそちらに目をやると、ショッキングピンク色のフリスビーが、珠悠めがけて飛んできていた。珠悠は、あぁ手元が狂ったんだろうな、と思った。

 風向きとか気圧とか、軌道を決めるランダムな要素はあるんだろうけど、飛んでいくフリスビーの挙動にはあんまり惹かれない。どうせ、すぐ落っこちて終わってしまうんだろう、と白んでしまうからだろうか。

 まあ、問題はこのまま突っ立ってたら、自分の身体のどっかしらの部分に当たるのが終着点、ということだったけど。

「あぶなーい!」

 小学生の危機を知らせる大声が聞こえる。視界の中でショッキングピンクが、みるみると広がっていった、その時。


 横からひゅっと伸びた腕が、フリスビーを捉えた。パス、と軽い音が鳴る。


「ひゃっ」

 珠悠はむしろ、その予想外な出来事の方にびっくりした。

「ふーっ、セーフ! 大丈夫?」

 ひゅっと、フリスビーを投げ返しながら、助けてくれた人物が言った。

 誰かと思って顔を見ると、それは常政律郎(つねまさりつろう)だった。これまた予想外な登場に、珠悠は息が詰まってしまった。

「えっ、常政くん……何で?」

「何でって。全然避けようとしないから……」

 どうしてここに、の意図の「何で」だったが、律郎はそうやって返してきた。

 そのちょっと呆れたような物言いに、珠悠は反射的に口を開く。

「違うの、も、もうすぐ見るのに飽きて、ちょうど避けようとしてたとこだったの」

「ええ……ちょうど避けようって思うことある?」

 律郎は困惑したようだった。その顔を見て、珠悠はハッとする。せっかく助けてくれたのに、これでは嫌な奴だ。やっちゃった、と思って、慌てて言い繕う。

「あ、今のもまたちがくて──えっと、ごめんね、ありがとう……」

 幸い、律郎は笑ってくれた。

「ま、大丈夫そうだね」

「本当にごめんね……」

 常政くん、大人だな、と思いながら、珠悠は謝る。

 こんな小さい自分でごめん、と。


 律郎は、学校説明会があるとは知らず、元文芸部室に休日出勤しようとして、締め出されたらしい。説明会の日は、関係者以外は校舎内には立ち入れないことになっている。

 そこで、せっかくだし気になっていた喫茶店でも行こうと思ったら、その途中で川辺に佇む珠悠を発見し、あの救出劇に至るということだった。

「喫茶店……」

「あの道の先にあるんだけど」

 と、案内されるがままにのこのこと、珠悠はその店の前までついてきてしまった。

 想像していたよりもカジュアルな店構え。「学生限定!飲み物全品200円」と宣伝するのぼりが躍っていて、まさに律郎とか珠悠みたいな面々をターゲットにした店らしい。

 200円ならいける、と珠悠は勇気を出して言った。

「……お、おごるよ」

 さっきのフリスビーの件のお詫びのつもりだったが、律郎は手を振った。

「えぇ、いいよいいよ。気にしないで」

「でも……」

「あーっと……それじゃあ、付き合ってくれるだけでいいよ。最初に来る店って、ひとりじゃ入りにくいし」

「えっと、それじゃあ……うん、そうしていい?」

 結局、珠悠はその懐の広い一言に甘えてしまった。


 氷のたくさん入ったコーヒーに、砂糖とガムシロップを入れて、かき混ぜる。渦巻く表面。あっという間に黒と白がまじりあって、変化はおしまい。珠悠は物足りなさを覚えた。

 4人掛けの席を贅沢にも2人で向かい合って座る。対面を見ると、律郎がそわそわしていた。つられて、珠悠も落ち着かない気分になる。

 ラップトップを間に置かないで律郎と向き合うなんて、珍しい状況だった。出会ったばかりの頃、一度くらいはあった気がするけど、その時はテンパってしまって、何を言ったのか全然覚えていない。

 その時の気まずさが蘇ってきて、なんとも口を開きにくい雰囲気になっていた。


 やっぱり、私たちには、媒が必要だ。


「いいよ、パソコン出しても」

 珠悠は言った。律郎の背筋が伸びた。

「え? でも、せっかく来たのに悪いよ」

「ううん……私が、見たいから」

 口にしてから、何言ってるんだろう、とすごく恥ずかしくなった。顔のほてりを消すように、あるいは隠すように、珠悠はほろ甘コーヒーをストローで飲んだ。

 律郎は、ぽかんとした顔をしたのち、「じゃあ……」と照れくさそうに、いつものラップトップを取り出す。そのシルバーの筐体を見て、珠悠は少しほっとする。


──これで、落ち着いて、常政くんの隣にいられる。


 と、思っていたのも束の間だった。

 対面で座っていると、ディスプレイに隠れて指の動くところが見えなかったのだ。

(そんな……)

 珠悠は衝撃を受けた。元文芸部室では隣に座るのが当たり前だったので、こんな事態は初めてだった。これでは、幕が閉じたままの演劇を見ているようなものだ。

 でも、だからといって、隣に座るなんて途方もない大冒険に感じられた。学校では平気なのに、喫茶店ではダメって、どういうことなんだろう。聖域みたいに感じられて、おいそれと踏み入るのははばかられた。

 珠悠は、せめてもの抵抗というふうに、律郎のはす向かいに移動した。一応、片手はちょっと見えたけど、指先は見えない。一番忙しない、そこを見るのが好きなのに。そこがマグロでいう中トロなのに。


 どうしよう、と珠悠は考え、ひっそりと立ち上がった。

 店の人に許可をもらって、近くの椅子を運んでくる。

 それを、誕生日席になるように机の端に置いて、座った。視界は良好だった。珠悠は満足した。

 欠点は、はた目から見れば、1人しか集まらなかった誕生日会でしかないところだけど。


「……どうしたの、そんなところで」


 そして、当然のように、不審に思った律郎に声をかけられて、珠悠はびっくりした。

「あっ、いや、その、指が見えなくって……」

「ああ。それなら、隣に来れば」

「と、隣……」

 律郎がなんてこともないふうに言ってきたので、珠悠は気が抜けてしまった。

 ──まあ、確かにいつもしてることだけど……常政くんは、別に気にしないんだ。

「うん、そうする……」

 変に気を回していたのは自分だけかと悔しく思いながら、珠悠は腰を上げた。


◇◇◇◇


 律郎は、隣に珠悠が座った瞬間、それがどういう意味を持つのかを知った。

 元文芸部室で隣に座るのとはわけが違う。飲食店で敢えて隣に座るなんて──カップルのやることじゃないか。

 と、いう邪念に反応して、律郎の心の目が、かっ開いた。

 いやいや、そうではない。自分と彼女は、指の走りと眼差しで繋がっているのであって、隣同士、これが適切なフォーメーションなのだ。下心はない。スポーツマンなんだ、俺たちは。

「なんか、常政くん、いい匂いする」

 ぽつりと珠悠が言った。汗にまみれたスポーツマン表象はどこかへ行った。

「そんな、女子に近づいた男子みたいなことを……」

「だって、ほんとに女の子みたいな匂いするんだもん」

 普段、自分で感じないだけに改まって言われると恥ずかしい。

 律郎は言い訳をするように言い立てた。

「あー……姉と妹がいるんだけど、父親が在宅仕事してて、家に加齢臭散らすの嫌がって、フレグランスにめちゃくちゃ凝っててさ。その煽りを食らってる感じ」

 姉はもう家を出たので、正確には妹がレガシーを継いだ形になる。説明しながら、なかなかにひどい話だな、と思った。

「へえ。じゃあ、お父さんもいい匂いなんだ」

「あんま感じないけど、そうかも」

 珠悠はくすくす笑ってくれたので、まあ、よしとする。


(いや、何もよくないが……)


 身体の匂いを感じられるほど、近くにいるということだ。

 その事実に律郎はうろたえてしまった。頭が全く回らなくなる。次に何を書くべきかを見失う。しかし、何かを書かなければ、珠悠が隣に来た意味がなくなって、ただ隣同士に座りたい人たちになる。

 必死に言い訳をするように、律郎は指を走らせる。

 がむしゃらに、この場を引き留めるように、キーボードをタイプしていく。

 やがて、頭が空っぽに近くなった時、ひとつの疑問が浮かんだ。


 そういう風に見られかねない状況を、珠悠はどう思っているのだろうか。


 その瞬間、律郎の心に凪が訪れた。

 そうだ、こんな変に緊張しているのは自分だけ、と考えた方がいい──なにせ、俺にそういう風が吹いたことはなかったから。

 そう思いなしたからか、少し気が落ち着いた。そう、期待するのが悪い。自分と珠悠は、ただの元文芸部の部員同士でしかない。それ以上でも以下でもない。


 珠悠にバレないよう小さく息を吐いて、文章の続きを始めようと、改めて指をキーボードに載せる。そして、ディスプレイを見て、声が出た。

「ってなんだこれ!」

 文字化けを起こしたような、意味不明な文字列がずらっと並んでいた。

 律郎は思わず自分の指を見る。さっき悶々としていた間に、無意識のうちにタイプしてしまっていたらしい。珠悠の眼差しに応えるためだけに動かしていたので、本当に適当な怪文章ができあがっていた。

「え、なに?」

 律郎の反応を見て、珠悠がひょい、とディスプレイをのぞき込んだ。「待って」と声をかける暇もなかった。彼女は「ひっ……」と小さく悲鳴を上げた。

「ど、どうしたの、これ……」

 観念する、とはこういうことなのだと、律郎は深く噛み締めた。

「いや、流山が隣に来るから……なんというか、緊張して」

 なんてうぶな弁明かと、変な汗が出る。これには、珠悠も困惑するだろうと覚悟していたが。


「えっ、常政くんも──」


 パッと口にしかけた言葉を、珠悠は慌ててひっこめた。

 律郎は、彼女の顔を見る。珠悠は、言おうとしたことを察されていませんように、というような視線を向けてきていた。

「流山も?」

 その一言で、珠悠はにわかに動揺を見せ始めた。

「だ、だって、なんか場所が変わるだけで、いつもやってることなのに雰囲気が変わってきちゃって、でも、常政くんはいつも通りだから、変に意識してるの私だけかなって思っちゃって──」

 もごもごと心情を並べ立てていく珠悠に、律郎は温かい気持ちを抱いた。


(……かわいい)


 さっきまで、自分には風が吹いたことがないから、とか考えていたことは、とうに忘れていた。もしかして──と、予感めいたものが、律郎の胸中に微か、閃いていた。


(いつか、タッチタイピングって口実がなくても……)


 ──こうしてゆっくり話せたらいいのに、と、律郎は思ったのだった。

(第六話・終わり)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ