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【第一話】はしる指先に恋をして

ひたすらキーボードを打ち込む男子と、そのひたむきな姿勢をひたすら観察していたい女子。無風状態の場所で過ごす、二人の関係の物語。

第3回キネティックノベル大賞恋愛小説部門応募作品です。

 みんな忘れがちだけど、タッチタイピングはかっこいいものだ。


 放課後、常政律郎(つねまさりつろう)は物寂しい部屋でひとり、キーボードを叩いていた。

 カタカタと均整な音が鳴る。水が流れるように滑らかに指が運んだかと思えば、にわかに静止し、迷うようにさまよい、また新たな道を見つけたように揚々と走りだす。

 彼の眼差しは、常に画面に注がれている。キーボードは見ない。配列は指が覚えている。それが、タッチタイピング。IT技術が広がって久しい昨今、別に珍しくもなんともない特技だった。


 それでも、誰もが一度は憧れたはずだ。


 ロボットアニメ、管制官がシステマチックな口上をまくしたてながらキーボードを鳴らして、ロボットの出動をサポートするシーン。スパイ映画、凄腕のスパイが事もなげにキーボードを叩き、敵の機密を盗むシーン。

 幼き律郎の目には、それは魔法の打鍵に映った。

 幸いにも父親はガジェットギークだった。父はウキウキで、余っていた端末を律郎にあげた。搭載OSはWindowsMEだった。起動するのに6分間かかった。

 イミのわからんQWERTY配列。ワケのわからんローマ字入力。

 アルファベットもままならない幼い律郎だったが、それでも教えてもらったプロンプトの真っ黒な画面に、適当に文字を打ち込んでいくだけで楽しかった。自分の指先がカタカタと、ウィットに硬い音を響かせるのに興奮した。自分が管制官になったように、スパイになったように、心が躍った。


 もっと、もっと、この音を聞きたい。文字を書きたい。できれば意味のある言葉の列を。

 成長するに従って、律郎はそう考えるようになった。そして、目をつけたのが本──いや、本というより、中身の小説だった。

 律郎は、母親の蔵書を模写し始めた。最初はたどたどしい手つき。それでも、子どもの順応性の高さから、あっという間にローマ字を覚え、配列を覚え、タッチタイピングを身に着けた。

 しかし、理想の指さばきを習得していくうちに、律郎は不満を覚え始めた。本の模写では、本→画面→本→画面と視線を移さなくてはいけない。これがまどろっこしくてイヤだった。

 画面だけを見ているようにしたい。それなら、本への視線をカットすればいいが、文章を見ることができない。とすれば、まるまる覚えるしかないが、これも無理な話だ。自然、何を書けばいいのかわからなくなる。

 書くものがなくなってしまった、と律郎は悩んだ。

 それから、ある時、ふっと気がついた。

 

 ──じゃあ、自分でお話を創ればいい。


 こうして、律郎は物書きを志した。


 高校一年生になった律郎は、放課後の部室でキーボードを叩く。管制官の気持ちで、スパイの気持ちで、その瞬間に生み出される物語を紡ぐ。

 カタカタカタカタ、とキーボードが穏やかに鳴る。呼応するように机がほんの少しだけ揺れ、微かに低い音を出す。画面には、意味のある文字たちが、物語を喋る。そんな現象たちに、律郎は食らいついている。憑かれたように指を走らせる。まるで小さな小さな舞台で、踊っているようだった。


「はぁ……」


 一息ついて、律郎はキーボードから指を離した。

 文の辿る道が途切れてしまった。小休止。


「あっ」


 すると、残念そうな声が隣からした。律郎は隣に目を向ける。

 そこには、ひとりの女の子が座っていた。楽しみにしていた動画が途中で終わってしまったような、消化不良な表情をしている。

 彼女の名前は、流山珠悠(るやますはる)──律郎と共に“元文芸部”に所属している女子だった。


「休憩中?」

 律郎が訊ねる。珠悠は頷いた。

「休憩中」

 珠悠は部活に所属していないのだが、なぜか、委員会の手伝いだとか、学校で飼ってる犬の世話だとか、そういう雑用を多く請け負っていて、忙しくしていることが多い。

 マイペースというか、正直者な彼女は、疲れを覚えると仕事を置いて、ここへやって来る。

 理由はいくつかあった。座れる。閑静。

 そして、常政律郎がいること、なんて、字面だけ見れば太った自意識をしていると思われかねないけれども。


「ね、いま来たばっかりなんだけど」

 珠悠は手でぱたぱた首元を仰ぎながら、のんびりと言う。その日は梅雨の晴れ間、夏がつま先を覗かせたような気候だった。

「気づかなかった」

「それはいつものことじゃん」

 そうじゃないだろ、と珠悠は律郎を見る。

 今日はねだる気分か。律郎は息を吐いた。


 物好きなのか知らないけれど、珠悠は、律郎のタッチタイピングを見るのが好きだった。それが、彼女がここへやってくる理由なのだ。


 適当な曲を弾いて、とリクエストされたピアニストの気分。そんなに大層なものでもないけれど。

 律郎はキーボードに指を置いたが、しばらく動き出せなかった。

 自分で勝手に書く分には良いが、珠悠に頼まれる形でオリジナルのお話を書くのは、なんだか気恥ずかしくて、ためらわれてしまった。

 なので代わりに、律郎はメモ帳と青空文庫を立ち上げて、文章の模写をすることにした。谷崎(たにざき)潤一郎(じゅんいちろう)の「刺青(しせい)」。どんなチョイスよ、と思うけど、別に朗読するわけでもないし、いいや。


 ──其れはまだ人々が「愚」と云う貴い徳を持って居て、世の中が今のように激しく軋み合わない時分であった。


 タイプしていて、気持ちがいい文章。もちろん原文は、キーボードとは無縁の時代に書かれた日本語だけど、不思議なことに、良い文はデジタルで打ち直しても快いのだ。

 律郎は続けて、キーを叩く。


──殿様や若旦那の長閑な顔が曇らぬように、御殿女中や華魁の笑いの種が尽きぬようにと、じょうぜつをうるおちゃぼうずだのほうかんだのというしょくぎょうがりっぱに


 突然、打ち込む文章がひらがなだらけになった。

 律郎は画面すら見ていなかった。指だけ適当に走らせながら、珠悠の顔を見ていた。正確には、珠悠の視線を見ていた。

 珠悠は、律郎のはしらせる指先をじっと見ていた。

 その眼差しをなんと表現すればいいか。。

 カブトムシを観察する男子小学生、ペットショップでチワワを見つめる女子小学生、楽器屋のショーケースに飾られたトランペットを眺める未来のジャズスター。

 なんていうと、目をキラキラ輝かせているようなニュアンスが滲む。違うな、と律郎は思った。

 彼女はきっと、何も考えていない。ふさわしい言葉は、熱心、無心、無私、放念、云々……ぼーっと見ている、が正しい気がする。車の往来を見つめるような、川の流れを見るような、山頂から絶景を見渡すような。


「常政くん」


 呼び掛けられて、律郎ははっとする。珠悠はちょっとむすっとした顔をしていた。

 手元を見ると、谷崎潤一郎の文章がぐちゃぐちゃになっていた。珠悠の眼差しに見入って、打鍵がおざなりになってしまっていたのだ。

 ただ、彼女のお気に召さないポイントはそこではなかったらしい。

「私のこと、意識してる?」

 珠悠が訊ねてくる。律郎は少し緊張した。

「……意識って?」

「さっきはもっと……指が踊ってるみたいだったから。それがみたい」

「あぁ……」

 律郎は息を漏らした。模写をしているか、創作をしているか、珠悠には一目でバレてしまうらしかった。


「そうそう、意識してる」

 律郎は素直に言った。

「じゃあ、意識しないで」

 珠悠も素直に言った。律郎は呆れた。

「無茶な」

「……ふーん」

「まあ、善処します」


 観念した律郎はメモ帳とブラウザを閉じて、オリジナルのプロジェクトを開いた。

 自分の綴る物語。ここから何を書こうか──ちょっとの逡巡の後、おっかなびっくり書き出す。やがて、筋のようなものが見えてくる。文の目指す先が現れてくる。そこまでいけば、後は楽だ。指が運んで行ってくれる。カタカタカタ、と不規則で硬質な音が、踊るように響いた。

 ここまで来て、律郎は自分を取り巻く世界を忘れることができる。隣に座っている珠悠を意識しない、たったひとつの方法。

 これで彼女のオーダー通りになる。

 でも──そんなのは、もったいないような気がした。


 集中に入る直前、律郎は不意打ちのように珠悠の方に目を向けた。文章はそこでちぎれてしまうが、別にいいや、と思った。

 珠悠は律郎の指先を見ていた──その目元に、穏やかな笑みを浮かべて。

 それを見て、律郎は他人事のように思う。

 

 恋する乙女の眼差しだな、と。


挿絵(By みてみん)


「あ」


 その眼差しと、かっちり目が合った。

「な、何?」

 珠悠はびっくりしたように言った。律郎はすっと、目を逸らした。

「いや……そ、そんな目で見てるんだなって」

 あまりの動揺から口を滑らせる。珠悠は、両手でばっと目元を抑えた。

「えっ! どんな目!」

 正直に言うわけにはいかなかった。

「……楽器屋でトランペットを見る未来のジャズスターの目」

「もー、わかんないよー!」

 通じなかったけど、なんか笑ってくれたので、別によし。何がよしなのか、よくわからないが。


 その時、部室の戸が勢いよく開き、キラキラとした容姿の女子生徒が現れた。

「流山ちゃーん! ちょっと手伝って欲しいことが~……って」

「あ、江川先輩……」

 名前を呼ばれた珠悠が反応する。

 先輩・江川麻衣子(えがわまいこ)はアイドルみたいに整った顔で、ふたりを見比べると、あー、と考えるような声を漏らした。

「もしかして、邪魔しちゃった?」

「いえ」「いいえ」

 二人揃って否定した。何の邪魔かについては、突っ込まなかった。

 珠悠はぱっと立ち上がると、律郎の方を向いて、

「じゃ、休憩おしまい。また来るから」

 そんな一言を残して、江川先輩について去っていった。


 ひとり、その場に残った律郎は、余韻を確かめるように、キーボードの表面を指先でなぞる。

 それから、言い訳をするように呟いた。

「かっこいいよな……タッチタイピング……」

 忘れがちだけど、と心の中で付け加えて。

(第一話・終わり)

挿入イラスト:とうかさん(https://twitter.com/nightrium)

素敵なイラスト、ありがとうございます!

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