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 社交界ではダンヴェール侯爵家の一連の事件が大きな話題となっていた。

 ミーリアの兄であるラルフレッドが叔父の不正を突き止めた事で、身内間の事件ではあるもののようやく正規の領主となれた。

 ラルフレッドは若くして領主の座についたとはいえ、ただ家督を継いだわけでなく叔父を断罪した手腕に加えていまだ未婚で婚約者もいない。

 以前から侯爵家という肩書とすっきりと整った顔つきで若い女性から人気の高かったラルフレッド。娘を持つ親世代にも目をつけられてしまっては、もうしばらくは話題を独り占めしそうだ。


 そんなラルフレッドの妹ミーリアもたまに話題には上るが、以前から婚約者の存在は知れ渡っていたので兄ほど騒がれることはなかった。

 ただ、両親の死という悲しみの中でデビュタントという華やかな夜会に出席出来なかった彼女は今年こそデビューしてその姿を見られるだろうと、ラルフレッドと繋がりを持ちたい令息らには密かに期待されている。


 本人が落ち着いた時には復学するだろう。それまではミーリアに会いに行くのは止めておこうと決めた俺はこの時まだ何も知らなかった。



 それは寝耳に水の話だった。

 俺の父ドストル公爵とラルフレッドが叔父の不正の証拠をかき集めていた最中に起こった。


『なんでミーリアが行方不明に?!』


 我が家に駆け込んで来たラルフレッドは正気を失った表情でミーリアの実情を話し出した。

 それは俺達公爵家一同には衝撃的な話だった。


 ラルフレッドの叔父であるビラルディに侯爵家を乗っ取られた、というのは父から聞いていた。けれどまさかミーリアが邸を追い出されていたなんて知らなかった。あまりの話に語気が強まる。


『追い出されたっ?!ミーリアは何処にいたんだっ?そんなこと俺は全然聞いてないぞっ!』

『そんな馬鹿な?!本当に知らないのか?

……ミーリアが、短い期間でも侯爵令嬢がアパートメントに出入りしてるなんて知られたくないと……。だからあえて学園から少し離れたアパートメントにしたんだ。馬車も用意しようとしたら、マクベスかシャルル嬢に送り迎えしてもらうと言っていたのに……』

『……俺もシャルル嬢も送り迎えはしていない』



 まさか毎日歩いて帰っていたのか?と考えたが、今はそれより別の事が気になった。


『それよりも、今ミーリアは休学中だろ?』

『休学中だと?!何故だ?そんな事、俺は許可した覚えはないぞ?!』


 今度はラルフレッドが面食らう番だった。

 休学届は親権者のサインが必要なはずだ。

 連日学園を休むミーリアを不審に思ったシャルル嬢は教師に理由を聞いた。休学理由が家庭の事情というザックリとしたものなのでシャルル嬢も教師を問い詰めたらしいがきちんと親権者のサインも入っていた書面を見た、と聞いていた。


『………まさか、ミーリアは叔父に強要されたのか?』

『………分からない。けれど届けが提出された翌日から学園を休んでいる』


 幼い頃からラルフレッドとも親しかった俺は兄のように慕っていた。いつも飄々として自然体で何でも卒なく熟すラルフレッドは自慢の義兄だった。そんなラルフがこんなにも取り乱すなんて並大抵のことではない。それだけ叔父を憎んでいるのだろう。

 働き出して慣れてきたとはいえ、普通に昼夜勤務をしながら父と城内でこっそりと連絡を取っているラルフには自由に動ける時間がない。


『俺がミーリアを捜す』


 他にも俺とミーリアの仲を知る少ない友人や親戚にも声をかけてミーリアを捜す。

 絶対に捜し出す!と、翌日には俺も学園に休学届を出してからシャルル嬢に声をかけた。シャルル嬢も学園を休んで捜すと言ってくれたがそれは止めてくれと頼んだ。ミーリアの親友であるシャルル嬢に危険な事をしてほしくなかったし、何よりシャルル嬢まで休んだらミーリアに何かあったのかと噂が立ちかねない。そう説得すると学園が終わってから夕刻までだけでも馬車で捜すと言ってくれた。


 その日から俺は愛馬に跨がって一人でめぼしい所を捜し回った。万が一に備えて、国内の修道院にも一筆したためた。

 綺麗な栗色で長く真っ直ぐな髪。大きくて愛らしい翡翠色の瞳。ここ何年も見なくなったけど笑うと左頬にだけ笑窪が出る懐かしい記憶を頼りにミーリアの特徴を書き込む。もし訪ねてきたら連絡してほしいと何通も書いて各所に送った。


ーーー


 俺の大切なミーリア。

 近くにミーリアさえいてくれれば何でも頑張れた。

 幼い頃からミーリアが大好きだった俺は父や母を急かしては何度もダンヴェール侯爵邸に遊びに行った。


『マクベスしつこい。それじゃいつかミーリアに嫌われるよ』


 3つ年上の姉マリアンに何度も注意された俺は次第にミーリアと一定の距離を保つ事にした。ベタベタとしつこい男は嫌われる。父や執事や護衛騎士や馬房のおっちゃん、皆が揃ってそう言うから幼いながらにミーリアと一定の距離を保つ術を身につけた。

 俺から無闇にミーリアに触れない。本当は触れたくて堪らないのをひたすら我慢した。するとミーリアの方から手を握ってくれたり抱きついてくれた事が嬉しくて耐えられた。


 ミーリアが7歳になる誕生日前日に両親から嬉しい話を聞かされた。

『明日、ミーリアにも伝えるがマクベスの婚約者をミーリアに決めたよ』

 大喜びの俺は姉のマリアンに、いち早くその報告をした。

『良かったわね。でもミーリアは喜ぶかしら?まだ婚約者なんて意味もよく分かっていないはずよ?』

『ミーリアなら絶対に喜ぶよ!』

 何故か絶対的な自信はあった。けれど、マリアンは自分の婚約者の話を俺に聞かせた。

『婚約者がいても邪魔をしてくる女は必ずいるものよ。嘘の噂を流されて、私がブラッドの陰口を叩いてると言われたり、逆にブラッドが私を煙たがっていると噂されたわ』

 マリアンの婚約者は同じ公爵位の令息ブラッドだ。俺から見てもマリアンとブラッドは好き同士だと思っていたからそんな話を聞いて驚いた。


『ミーリアは素直な子だから噂されたら信じてしまうかもしれないわよ?』

『そんなっ!じゃあ、どうすればいいの?』

 不安になった俺にマリアンはうーんと頭を捻った。

『あ。マクベスの婚約者がミーリアだと言わないってのはどう?』

『………どういうこと?』


 まだ婚約というものがどういうものか知らなかった俺は姉の話をしっかりと聞いた。

 婚約誓約書という紙に書いてある名の二人は婚約者同士だ。この紙は国に提出するから、婚約者同士とその家族しか婚約した事を知らないらしい。


『友達や周りに聞かれても誰が自分の婚約者か言わなければ婚約していても相手の名前までは分からないはずなの』

 俺の婚約者が誰なのか、王城に出向いて情報開示というものを求めれば、俺とミーリアの名前が書かれた紙を見られるらしい。

『そんな面倒くさいこと誰もやらないから、婚約者の名前を言わなければミーリアだとバレないはずよ』

 私達もそうすれば良かったなと後悔するマリアンを見て、俺はマリアンの提案を実行する事に決めた。

 とはいえ、この話をミーリアに話すつもりはない。どのみち付き合っていくうちに勝手に噂は流れるらしいから。というか、ミーリアが婚約者を聞かれた時には俺だと言って欲しい願望があった。


 マリアンのこの提案は予想以上に効果があった。学園に入学するや否や、声をかけてくる女子には『大切な婚約者がいる』と言えば必要以上に声をかけられなくなった。相手は誰かと聞かれても『彼女との仲を邪魔されたくないから教えない』と言えば皆引き下がってくれた。


 ただ、予想外だったのはミーリアだった。

 彼女が入学したら婚約者だとバレるだろう。でもそうなったら俺がミーリアを守ればいい。

 子供の頃とは違う。今の俺ならミーリアを守れる自信はあった。

 でも俺の婚約者がミーリアだとバレる事はなかった。それを寂しく思っても、ミーリアの両親が急死した事もあって悲しんでいるミーリアをそっとしてあげたかった。


 なのに、友人から予想外の噂話を聞かされた。俺の従兄弟と付き合いだした同じクラスの伯爵令嬢ベスティア。彼女から従兄弟の事を聞かれて何度となく話をしたが、まさかベスティア嬢が俺の婚約者だと勘違いされるとは思わなかった。

 その噂を聞いた俺は従兄弟や父に話をしてさっさと婚約しろと急かした。そのかいあって暫くすると従兄弟はベスティア嬢と婚約した。二人の仲睦まじい姿を見た者は俺の婚約者じゃなかったのかと納得してくれた。

 でもこの一件で俺はクラスメイトといえど話しかけてくる女子全てを警戒した。


 そんな時に、たまたま会ったシャルル嬢。彼女のことはミーリアから直接紹介されて知っていた。そのシャルル嬢が周囲に人がいない事を確かめてから俺に話しかけてきた。

 ミーリアの婚約者が俺だと知る数少ない存在の彼女は俺に相談してきた。ミーリアが笑わなくなったと。

 それは両親の悲惨な事件が関係していることは明らかだった。だから俺にミーリアを慰めて甘やかしてくれと言ってきた。

 彼女に言われなくてもそうしたかった。そうするつもりだった。


 ミーリアの両親の事故を聞いた俺は父と一緒にダンヴェール侯爵邸に駆けつけた。そして泣き崩れるミーリアを無言で抱きしめた。ミーリアが泣き止むまでそうしたかった。けれど身内でない俺にはそれ以上は踏み込めない。

 嘆き悲しむミーリアが自室に戻るとそれから数日間は部屋から出て来なかった。俺が訪ねても顔も見せてくれない。落ち着いたらまた学園に行かせると言ったラルフレッドの言葉を信じて待った。

 葬儀後、ミーリアが復学するとすぐに声をかけたが『今は一人になりたい』と言われ距離を置かれた。そしてそのままミーリアは俺と距離を縮める事はなかった。

 抱きしめて甘やかしたいと思っていてもミーリアに距離を置かれた俺には為す術もない。

 それでも諦める事を知らない俺はシャルル嬢の言葉に頷いた。それからはシャルル嬢からミーリアの事を色々聞いていた。明らかに(やつ)れていく彼女をどうにかしたかった。



 なのに俺がシャルル嬢から話を聞いていた時間、ミーリアは一人寂しく邸にも帰れず、馬車も無く、途方に暮れていたと言う。

 そんな馬鹿なっ!?何故、俺やシャルル嬢に頼らないんだ?!

 いつまで待てばミーリアは俺との距離を縮めてくれるんだ?


ーーー


 馬に跨がって最初に向かったのはスラム化した一帯だった。一番最悪な状況を考えながらミーリアがこんな場所に居るはずないと信じて捜し回る。早くミーリアを見つけなければと焦りだけが増していく。


 けれどミーリアは一向に見つからなかった。気付けば捜し始めてから2週間近く経っていた。

 その間にラルフレッドは証拠を握りしめて父と王城の騎士団員らと共にダンヴェール侯爵邸へと踏み入っていた。

 最悪、ビラルディが姪のミーリアを殺したのではと考えたが、ビラルディはミーリアを殺してなければ何処にいるかも知らないと言った。休学届はミーリアに頼まれてサインしたと言う。奴の言葉を鵜呑みにはしないが、殺されて何処かに埋まっているのではないかと考えると気が狂いそうになった。


 諸悪の根源であるビラルディはもう邸にいない。なのにミーリアは邸にいない。

 最愛のミーリアだけがいない世界はこんなにも色褪せた世界なのかと精神的に衰弱しきっていた。

 そんな時、夜遅くに邸に帰った俺を待っていたのは父だった。

 夕方までシャルル嬢が邸に来ていたと言う。


『お前の友達が街にミーリアらしき女の子がいるという情報を掴んだ。お前が学園にいないから代わりに話を聞いたシャルル嬢が邸に来たらしい』

『それは本物のミーリアなのかっ?!』

『それを確かめる為にシャルル嬢は待っていたんだよ。彼女一人では入りづらい平民だけが集まる大衆食堂だ』

『大衆食堂?!』

『場所が場所なだけに大勢で押しかけたくはない。かといって俺やラルフレッドが簡単に行ける場所ではない』


 父やラルフレッドは今や時の人。市井にまでダンヴェール侯爵家の事件が話題になっていた。


『姿を見てミーリアだと確信出来るお前とシャルル嬢にこっそりと確認してきてほしい』


 俺の友人からの情報。それは俺とミーリアの仲を知る友人に違いない。父の言葉に頷いた俺はミーリアに会えるかもという期待感でいつも以上に眠れない一夜を過ごした。



「確かにミーリア様かもしれません。けれど彼女は"自分には婚約者も友人もいない"と言ってお会いする事を拒否しています」

 アミルという大衆食堂の看板娘が店の奥から現れるとそう告げた。

「………どういうことだ?」

「……友人もいない?」

 俺とシャルル嬢はアミルの言葉に戸惑った。


 あれはミーリアだった。

 服こそアミルが着ている物と変わりなかったが店に入り、ミーリアという娘を捜していると説明している時に一人の女の子がこっそりと店の奥へ逃げた姿を見逃さなかった。


「俺はさっき見たんだ!あれはミーリアだ。俺が見間違う訳ないっ!」

 拳をキツく握りながらアミルを一瞥するが、普段から酒飲みの平民を相手にする彼女は怯まなかった。


「ミーリアは"知らない人と会えと強要するなら今すぐ店を出て行く"と言っておりました。ミーリアの身を案じるのであれば、ミーリアが()()()()()()に迎えに来て頂くほうが賢明かと思います」

「知らない人だとっ?!」


 あれは絶対にミーリアだった。なのに俺達を知らない人だと言うのか?何故だ?

 あ然とする俺の横にいたシャルルがポツリと呟いた。


「………私には会いたくない、のね」

 何故か納得するかのように、目の縁に涙を溜めたシャルル嬢が踵を返した。

「え?シャルル嬢?」

 理由が解らないとシャルル嬢の後を追う。店を出たシャルル嬢は乗ってきた馬車に駆け込むと大泣きした。

 困り果てながらもシャルル嬢を落ち着かせようと、御者にこのまま待機と命じて馬車に乗る。

 俺が乗り込んだところでシャルル嬢は口を開いた。どうやらミーリアが姿を消す直前、シャルル嬢はミーリアに話しかけても拒絶されていたようだ。返事をしてくれない、茶化しても驚かせても顔を合わせようとしなかったと言う。


「私は……ミーリアにとっては友人じゃない、ってことなんだと思う」

 泣きながら話すシャルル嬢の言葉が俺を不安にさせた。

「そんなこと無い。ミーリアは俺に君を親友だと紹介してくれただろう?」

 彼女を慰めながらも背中に嫌な汗をかきはじめる。

「………あの時はそうでも、今はそうじゃなくなったのよ」

 今はそうじゃなくなった?

 友人はいないと言われたから?

 それじゃ、俺はーーー?


「あ、でも、マクベス様は婚約者よ!ミーリアは………もしかしたら誰かとマクベス様を見間違ったのよ!」

 言葉を失って固まる俺を見たシャルル嬢が今度は俺を励ます。

 けれどアミルの言い方だと、俺というよりも婚約者自体がいないという口調だった。まさか、知らぬ間に婚約が破棄されたのか?もしかして何気なく俺を避けていたのはそのせいなのか?俺は婚約者じゃなくなっていたのか?だから会ってくれないのか?


 愕然と項垂れて頭を抱える。いつからミーリアは俺を見てくれなくなったのか。いつもミーリアを見ていたはずの俺はそんな変化に気付いていなかったのか。

 己の不甲斐なさに苛立ち頭を掻きむしる。

 昨晩はミーリアに会えると心が浮き足立っていたというのに、ミーリアに会うことを拒否されるだなんて考えてもいなかった。


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