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はかない夢

作者: 髙橋英昭

       はかない夢


                              

 二〇??年三月、丸の内の三星商事では、歓送会が開かれていた。

 総務部長の真田信一郎(五四歳)が、四月一日付で、タイのバンコクにある「バンコク日本人会」の会長として赴任することが決まっており、この日は社長をはじめ、有力幹部による歓送会だった。

「真田信一郎君万歳!」という社長の音頭で、全員による万歳三唱に送られて、真田は会場を後にした。

 田園調布にある自宅に戻ると、妻のゆかり(四八歳)と長男の重男(八歳)が出迎えにでた。

「あなた今日はどうだった?」とゆかり。

「いや別に。社長はじめ皆が温かく、送り出してくれたよ」と真田が答える。

「ごはんは? それともお風呂が先?」とゆかり。

「うん。腹は減ってない。風呂に入ろうか」

 入浴後食卓に座ってビールを一口飲んで「やれやれ、これで東京ともしばらくお別れになるな」

「あなた、私がご一緒しなくても大丈夫なのですか?」

「うん。まず住む処を決めて、女中とか運転手とか雇う人を決めて、車や家具を揃えるのに一カ月近くかかるだろうから、お前はその後追っかけてきていいよ」

「重男も連れていらっしゃるんでしょう?」

「うん。未だ小学生なので、あちらで転校先を見付けてやらんといかん。それも一カ月以内に済ませる積りだ」

「ではあなた、宜しくお願いしますわね」



 四月五日、真田は長男の重男と共に、タイ国バンコクのスワンナプーム国際空港に到着した。

 外国への出張は慣れているが、ここバンコクに降り立つと、熱帯の暑く湿った、何とも言えぬ臭いが鼻につく。

 バンコク日本人会の出迎えの車に乗り、ひとまずホテル・ニッコー・バンコクへ向かう。

 空港からバンコク中心部まで約四十分。相変わらず道路わきに、故障車や事故車が放置されている。それからは、交通渋滞が激しく、更に四十分を要して、ようやくスクンビット通りのニッコー・バンコクに到着する。



 翌日、真田は重男を連れて、バンコク日本人会を訪れた。事務所はシーロム通りに面した簡素な五階建てビルの三階だ。事務所は事務員二十人程度の小ぶりなもので、会員数は約八十社ほどあるという。

 応接室に通されると、早速小太りの紳士が挨拶に現れた。差し出された名刺を見ると、副会長の寺岡泰雄とある。

 もうバンコクに赴任してきて八年経ったという。タイ語も日常会話ぐらいはできる。夜学に通って勉強したとのこと。

 昼食後、女性事務員に重男を預け、近くのベーンチャシリ公園などの案内を頼む。

 真田は、寺岡副会長と共に、日本大使館、日本人商工会議所、主要メンバーである商社、メーカー、銀行など挨拶回りを行った。

 市内は相変わらず交通渋滞が激しく、どこへ行くにも時間がかかる。

 夜は、バンコク日本人会の主要メンバーによる、歓迎会が開催された。

 一応息子の重男も皆に紹介され、目をパチクリしてジュースなどを飲んでいた。



 早速翌日から、まず家探しを始めた。

 日本人会があらかじめ調査してくれていた三軒の内、ルムピニー公園の近くの閑静な場所に建つ、築二十年ぐらいの邸宅に決めた。公園の横にあり、なかなか眺めが良い。

 次に運転手、炊事婦を兼ねた女中を二人、これも日本人会が推奨するタイ人を面接した上で雇用すべく決めた。出勤は一両日後から来てもらうこととした。

 重男が通う学校については、二、三の候補を当たった結果、トンロー駅近くのスクンビット通り沿いに建つ「バンコクプレップインターナショナル」に決めた。

 ここはイギリス系カリキュラムの学校であるが、日本語を第二外国語として選択可能としており、生徒の十パーセント程度が日本人だという。

 重男も何となく気にいったもようだ。

 通学は日本人会差し回しの車に、毎朝真田と一緒に乗り、まず重男を降ろしてから、真田もシーロム通りにある日本人会に通勤することにした。

 夕方もやはり同じ車で、まず重男をピックアップさせ、次に真田も乗車して一緒に帰宅する。



 休日には、重男を女中のひとりに任せて観光案内させ、真田は寺岡副会長等とゴルフを楽しんだ。

 ゴルフ場では、一チームに五、六人の子供達がキャディとボール探しを兼ねてくっついてくる。

 仮にボールが池にでも入ると、子供達はわれ先にと池に飛び込み、ロストボールを探す。見付けたロストボールを売ることにより、彼らは結構な小遣い稼ぎをしているようだ。

 真田は昼食時を挟んで、寺岡副会長から、バンコクでの日本人会の活動、会員向けサービス、治安状態とセキュリティ、タイ人との接し方等必要な情報のインプットを受けた。

 特に夜間小さな少路を歩いている日本人が、強盗に遭ったり、重傷を負わされる事件があり、タイは銃社会でもあるので、注意が必要だという。

 また幼児誘拐も、ここ数年多発しており、、人身売買防止を目指すミラー財団の報告によると、二〇〇三年から二〇一六年までに、タイで行方不明になった十八歳以下の子供は、二二九六名にのぼるとのこと。

 治安上心配ないと考えていた真田も、これを聞くと改めて「心してかからねば」と思った。



 重男は学校で日本人の友達もでき、女中から片言のタイ語も教えてもらうなどして、ようやく親子ともバンコクにおける生活に慣れてきた。

 八月に入った。暑い。東京より五度から十度は気温が高い。

 八月十日の夕方、いつもの運転手が事務所にやってきて、泣きそうな顔をして、「重男坊ちゃまがおられませんでした」という。

「おいおい、一体どうしたんだ?」と真田は声を荒げて聞く。

「はい、重男坊ちゃまを十六時にお出迎えするため出掛けたのですが、いつもお待ちするスクールの駐車場にお見えになりませんでしたので、スクールの先生に聞いたところ、坊ちゃまは授業が終わった十五時過ぎに近くを散歩すると言って出掛けられ、未だ帰ってきておられないとのことでございました。とりあえず旦那様にお知らせをと思い、飛んで参りました」

 真田はつい先日、ゴルフ場で寺岡副会長から聴取した幼児誘拐の話がピンときた。

「冗談じゃないぞ。おい。一緒に探しに回ろう。車を出せ」と真田。

 そこでインターナショナルスクールの近辺を、トロント駅周辺から、スクンビット通り沿い、ソイ三六、五五、四九、三〇、四七、四三などくまなく回ってみたが、重男らしい姿を認めることはできなかった。

 日も暮れてきたので、真田はやむなく自宅に帰ったが、重男のことが気がかりで、タイ人炊事婦の作った料理も喉を通らない。

 ベッドに入っても、まんじりともできず、一夜を明かした。



 翌朝、不眠の眼をこすりながら、真田がオフイスに出ると、既に情報が伝わっており、寺岡副会長以下が、早速会長室に集まり、も一度運転手の話をくりかえさせ、事態がのっぴきならぬことになったと、皆で頭を抱えた。

 昼食後、眠たさが戻ってきた頃、会長机の電話が突然大きく鳴った。

 真田が受話器を取る。相手は勿論タイ語でドスの聞いたしゃべり方だ。

 受話器を寺岡に渡す。彼はタイ語の会話ができる。

「会長の坊ちゃんを預かった。三千万バーツ(約一億円)用意しろ。警察に通報なんかしたら、子供の命はないぞ。追って連絡する」と男がしゃべった。

「お前は一体誰だ? どこから電話してるのか?」寺岡が声を大きく質問したが、相手は取り合わず電話を切ってしまった。

 


 誘拐事件と分かったので、真田は迷わず金を用意した上で、警察に届けることにした。

 勿論サラリーマンとして過ごしてきた真田に一億円もの大金があるはずがない。親類縁者に頼ろうとも、金が出てきそうなところは見当たらない。

 やむなく真田は、田園調布の自宅を担保に、とりあえず一億円を用意することにした。

 寺岡は反対した。「しかし会長、警察へ届けると、息子さんの命がないと脅かされているんです」

 真田は声を荒げる。

「馬鹿野郎、金を渡したら重男を返してくれるという保証がどこにあるんだ!」



 二人で出掛けたのは、ドウシット区シーアユタヤ通りにある、タイ王国国家警察庁首都圏警察本部だ。

 受付で事情を話すと、すぐ会議室へ通され、二人の目つきの鋭い男性が入ってきた。

 名刺によると、年配の方はチャムナン・リキットカヨーンという刑事であり、若い方はビチット・カンチャナプーミ刑事だという。

 早速真田及び寺岡より、昨夕重男が行方不明になり、本日午後、犯人らしき男から「三千万バーツ用意しろ。警察に連絡したら息子の命はないぞ」との電話があったことを報告した。

 チャムナン刑事は質問した。

「相手の名前とか電話してきた場所などはお聞きになりましたか?」

 寺岡より「それを質問しましたが、相手はいきなり電話を切ってしまい、聞けませんでした」

 真田より悲痛な声で付け足す。

「刑事さん、お金は用意します。何としても息子を助けて下さい。お願いします。お願いします」

 チャムナン刑事より「これは金銭目当ての誘拐事件です。必ず犯人は次の電話で、現金を受け取る場所を指示してきます。その際重男坊ちゃんの安全をまず確保する必要があります。我々も電話を持ち込んで、犯人からの電話を聴取させてもらう必要があります。事務所はどこですか?」

「シーロム通りにあるバンコク日本人会です」と真田。



 早速オフイスの会長室に刑事二名が出張り、電話回線装置が追加で取付けられた。

 会長室には、真田、寺岡、若手事務員一名、刑事二名の体制で、予備の電話線も敷設し、犯人からのコンタクトを待った。



 その夜、真田は東京の留守宅に電話し、ゆかりに対し、当地で自宅を構え、運転手も女中も雇い、重男の学校も決め、新生活のスタートを切ることができた。しかし肝心の重男が、八月十日に何者かに誘拐され、三千万バーツの身代金を要求されている顛末を話した。

 ゆかりは叫ぶ「え、何ですって。重男が誘拐されたですって?どうして?どうしてそんなことが起こったの?」

「そう騒ぐな。学校の授業が終わって、差し回した車に少し時間があったので、彼が近くの散歩に出かけたのだ。そこで犯人に拉致されたらしい。一応警察に届け出、刑事二名が、オフイスの電話の前で、張り込んでくれている」

「ひどい。ひどいお話し。もし重男に万一のことがあったらどうするの?」

「万一のことにならぬよう、日本人会と警察で万全の体制を敷いている。あとは犯人からの電話を待っているのだ」

「こうしちゃいられません。私も明日の便でバンコクに向かいます」とゆかり。

「パスポートは持ってるな?」

「はい。ありますから明日出かけます」



 八月十三日夕、真田ゆかりは、バンコクのスワンナプーム国際空港に到着し、日本人会から派遣した女性に迎えられ、ルンピニ公園近くの自宅に入った。早速叫ぶ。

「あなた。重男はどうなんですか? 無事なの? 心配だわ」

 真田は答える。

「今の処無事だと思う。金も用意した。刑事も二名日本人会の会長室に詰めてくれている。あとは犯人からの電話を待つだけだ」



 八月十五日になった。そろそろ会長室に詰めているメンバーに焦りの色がみえはじめてきた頃、電話の音が大きく響いた。犯人からだ。

「真田会長さんよ。金は用意できたか?」

「で、できている。息子は無事か?」と真田。

「無事に保護してるよ」

「では声を聞かせてくれ」

「よし。おいお前。父さんだ。何かしゃべってやれ」

 重男が叫ぶ。

「父さん、父さん、ごめんね。僕怖いよう」

 犯人が素早く電話を取り上げる。

「良くわかっただろう。明日十六日、午後二時に、トンロー駅の公衆電話の前に金を持って真田ひとりで来い。警察なんかに連絡したら息子の命はないぞ」



 翌十六日、真田は青いボストンバックに必要な金を詰めて、ひとりでトンロー駅めざしてでかけ、あとを刑事二名が、見え隠れしながら追ってゆく。

 トンロー駅の公衆電話は一か所しかない。

 真田は午後一時半から、ボストンバックを抱えて、犯人らしい人間が近づいてくるのを待っていた。

 二時になっても、二時半になっても、それらしい人物は現われない。

 三時が過ぎ、四時が過ぎた。さすがにもう犯人は現われないだろうと、刑事と電話で確認をとったあと、重い足を引きずり、事務所に戻った。

「どうでしたか?」早速寺岡が聞く。

「駄目だ。それらしい人間は現われなかった」と真田。

「犯人はこちらが警察と連絡したか、金を持ってひとりで来るのか、まず様子をみてるんでしょうか?」

「分からんが、そうかもしれない。チクショウ!」



 チャムナン、ビチット両刑事は、一旦署に帰り、署長に報告した。署長は

「君達の尾行に気づかれたのではないか?」

「かなり真田会長と離れて尾行しましたので、決してそんなことはないと思います」とチャムナン刑事。

「では一体何故犯人は現われなかったのだ?」

「犯人は真田が本当に金を持って現れるか、警察はついてきてないのか、まず調べたかったのではないでしょうか」とチャムナン刑事。

 署長より「我々は子供を保護し、かつ犯人を捕らえる必要がある。まして誘拐されたのは、日本人の子息だ。犯人は未だ金を奪ってないから、必ずまた連絡が入るはずだ。次は間違いなく子供を保護して、犯人を捕まえろ。良いな?」

「はい。分かりました」両刑事は声を揃えて回答した。



 八月二十日になった。

 また犯人から電話が入った。

「明日二十一日午後二時にルムピニー駅のルムピニー公園側の公衆電話の前に、ひとりで金を持ってこい」

「子供はいつ返してくれるのか?」と真田。

「ふふふ、来たら分かる」犯人は電話を切ってしまった。

 翌日は午後一時半から、また真田が青いボストンバックを抱えて、指定された公衆電話の前で待った。

 午後二時きっかりに電話が鳴った。犯人からだ。

「午後四時にワットプラケオまで金を持ってこい。そこで息子も引き渡す」

 真田は運転手に命じて、混雑する道路を必死でワットプラケオまで駆けつけた。

 寺院内は結構広い。見渡したところ、それらしい人物は見当たらない。当然二名の刑事も目立たぬように、あとを追っている。

 真田は寺院の横手にある電話ボックスの近くに立った。何となく虫の予感がしたのだ。

 午後四時きっかりに公衆電話が鳴った。真田はしがみつくように受話器を取った。犯人からだ。

「やあ、ご苦労。そこは目立つから子供を連れて行けなくなった。ついてはクロントーイ港に倉庫群があるのは知っているな。午後五時に一番南側の倉庫に金を持って来い。今度こそ息子を返してやる。間違っても警察を連れてくるなよ」

 そこで真田は、チャオプラヤー川に沿ったクロントーイ港まで出かけ、ボストンバックを抱えて、一番南側の倉庫に入った。中は暗くて何も見えない。

 しばらくすると、犯人らしい男の声が聞こえてきた。

「左側に進め。階段があり、川にボートが繋いである。その中にボストンバックを投げこめ」

 真田は必死に聞く、

「息子はどこだ。返してくれると言ったはずだ」

「まず金の入ったバッグを投げろ。そしたら息子がいる場所を教える」と犯人。

 真田は入口近くの暗がりに潜んでいる刑事の方も振り返ってから、指定された小型ボートに青いボストンバックを投げ入れた。

「バッグを投げたぞ。息子はどこにいるのだ?」と真田。

「奥へ進め。倉庫の隅に、椅子に括りつけている」と犯人。

 真田は奥へ突進し、倉庫の隅に、椅子に括りつけられ、猿ぐつわをはめられている重男を発見した。

 早速縄を解き「遅くなってごめん。無事か。どこか傷付けられたところはないか?」と質問。

「パパ。遅かったね」と重男はわっと泣き出す。

「よしよし。怖かっただろう。もう大丈夫だ。さあ家へ帰ろう。ママもいるぞ」

「え。お母さんも来てるの?」

「そうだ。お母さんも心配している。早く帰ろう」

 二名の刑事は、倉庫の左側、川に通じる階段を急いで駆け下りたが、既に小型モーターボートはエンジン音も高く、出発した後だった。

 早速チャムナン刑事からの連絡で、チャオプラヤー川一帯に非常線が張られたが、犯人らしい人間が運転する小型ボートの行方は分からなかった。



 日本人会の会長室に、臨時に設けられた電話受付のための体制は、ここで解かれることになった。

 警察にとって、誘拐犯から息子を取り戻すことはできたが、金を奪われ、犯人を捕らえることができなかったのは失態と言える。

 署に帰り、署長に報告すると、二人の刑事は大目玉を食らった。



 クロントーイ市場の近くの雑然とした街の中にあるアパートに、チャオ・チャロトーンという男が住んでいる。家族はいない。三星商事の総務部次長の冨山雄介が、以前バンコク駐在員として、七年間赴任していた時代に知り合ったワルだ。

 彼はウドーン・ターニーの農家に生まれ、義務教育である小学校と中学前期(十五歳)まで学校に通い、その後農業を嫌って、バンコクにやってきた。レストランの皿洗いから、工事現場を点々とし、その後もさまざまな職種をわたり歩いた。現在四六歳だ。

 三星商事の冨山とは、彼の駐在員時代に、賭けポーカーの賭博場で知りあい、お互いにウマが合ったのか、屋台の安酒を飲み歩いた間柄だった。

 チャオは食うに困って、デパートから商品を窃盗して、それを売り捌いて食いつないでいた。当然結婚もしていないし、家族も子供もいない。

 富山は屋台で彼の話を聞いているうちに、この男は将来使えるかもしれないなと感じ、若干の生活費につき面倒を見てやった。

 その後も、メールや電話などで連絡は取り合っていた。

 今回真田の長男重男を誘拐し、三千万バーツ(約一億円)を奪って逃げた犯人である。

 


 勿論この大それた犯罪は、彼の一存で計画・実施したのではなく、日本側に計画者がいたのだ。

 富山がチャオに対して、いつ、誰を、どのように誘拐し、幾ら身代金を要求し、いかに逮捕を免れて逃走するか計画を教えたのだ。

 上手く三千万バーツを奪取出来たら、日本側の計画者二名と、チャオの三名で一千万バーツづつ分配すべしと計画されていた。

 ところが、予定通りの誘拐劇が終了し、三千万バーツが手に入ると、チャオは、「危険を冒して全てを実行したのはこの俺だ。それなのに取り分が三分の一では不足だ」と考えて、相談もせず、二分の一の千五百万バーツを取り込み、残りの千五百万バーツだけを冨山に送金した。

 富山にしたら「この野郎!」とチャオの約束違反を攻めたが、埒があかないので、自分で一千万バーツを取り上げ、残り五百万バーツだけを計画者に渡した。

 その結果、最初に計画を立案した「計画者」へは、たった二千万円弱しか送金されなかった。

「最初にこの件を考えついて計画を始めたのに、この扱いは少し酷いじゃないか」と計画者は不満を募らせた。



 九月に入った。日本と違ってバンコクは未だ未だ暑い。

 真田一家は全員揃って繁華街の日本料理店へ出かけたり、平穏な暮らしをとり戻していた。

 九月十日、バンコク日本人会で、日本の商社から新人が派遣されてきたので、歓迎会が行われた。

 真田付きの運転手も若干酒を飲んだので、真田は車での帰宅をあきらめ、ほろ酔い気分でシーロム道路の事務所から、ルンピニー公園近くの自宅まで歩いて帰ることにした。

 ルンピニー公園は、総面積五七・六万平方メートルの大公園だ。噴水のある池や、うっそうたる樹木に囲まれた、ひととき喧噪を忘れられる場所だ。

 自宅へ通じる小道を歩いていると、突然前方からライトをつけた車が爆走してきた。

「これは危ない」と真田は横っ飛びに樹木の繁る林の中へ身を投げ、もう少しというところで、衝突を免れた。車はそのまま走り去った。

「ふう。一体誰がなぜ襲ってきたのだろう」自宅に帰って良く考えても、真田には思いあたることがなかった。



 翌日日本人会で寺岡に話すと彼は言う。

「だから申し上げたでしょう会長、バンコクは安全だと思っていたら違いますよ。特に夜道のひとり歩きはもう絶対に止めて下さいね」

「分かった分かった。以後注意しよう」

 寺岡副会長より、バンコク警察のチャムナン刑事に電話で顛末を届け出、一応捜査してもらったが、目撃者はおらず、防犯カメラも公園内はカバーしていないので、結局犯人を割り出すことはできなかった。



翌年三月になり、決算報告も兼ねて、真田は一度帰国することにした。妻のゆかりも、帰国したいという。

「私は重男の件で、突然バンコクに出てきて、近所や親類の方々に何も言ってきませんでした。一度帰って、きちんとご挨拶します」

 三月十三日十七時五十五分着の日航七〇八便で、二人は成田に到着した。

 会社差し回しの車で、田園調布の自宅へ。約一カ月留守していたので、久方振りの自宅ではあったが、何も変わっておらず、そのまま残っていたので、やや安心した。しかしこの家も重男の身代金を捻出するため、借金の抵当に入っている。



 翌十四日、真田は丸の内の三星商事へ出社した。

 会長、社長に挨拶し、経理部長へバンコク滞在中の諸経費を報告した。

 出発当時、総務部の次長であった冨田雄介が、真田の代わりに、総務部長に昇格していた。

 しかし、何故か冨山の目つきが、真田がバンコクへ出発する前と違って鋭くなっていた。

 夕刻、総務部の社員が「お帰りなさい」と料亭で一席設けてくれたが、何故か冨山新部長は「他に所要があるから」と断って出席してこなかった。



 その頃ゆかりは、代々木のラブホテルで、情人と会っていた。その情人というのは、三星商事で総務部次長から部長に昇格した冨山雄介である。

 ゆかりが言う。

「雄介さん、寂しかったわ。バンコクなんて暑くて 暑くて。それにしても息子の重男が帰ってきて本当によかったわ」

「良かったね。私もご主人が出られたお蔭で総務部長に昇格させてもらったよ」と冨山は言う。

「そうなの。それはおめでとうございます。ところで奥様とはどうなっているの?」

「もう愛情も何も無い。離婚を申し立てている。その内裁定が下りるだろう。そこで晴れて一緒になれるといいね」

「いろいろやってみたけれど、未だ真田が頑張っているうちは駄目よ。もうすこしの辛抱だわ」



 翌日は十時から、三星商事で恒例の部長会があり、会長、社長、及び各部の部長が出席した。

 諸般の議題についての審議が終わった後、山本営業部長が挙手して発言した。

「真田前総務部長がバンコクの日本人会会長として赴任されておられますが、聞くところによりますと、ご子息の重男様を誘拐され、ご本人は無事に保護されたとのことですが、膨大な身代金を奪われ、犯人は未だ逮捕されていないとのことですが、本当ですか?」

「恥ずかしながら本当です。」と真田。

「また九月には、飲酒後ひとりで歩いて帰られる途中、暴走してきた車に危うく跳ねられるところだったと承りましたが本当ですか?」

「それも本当です」と真田。

「真田さんは三星商事を代表して、バンコク日本人会の会長を務めて頂いております。ところがそのお方が、ここ半年の間に、二件も不祥事に見舞われています。幸いご子息も真田さんご自身も、今のところ難なきを得ておりますが、一体会社としてはどうしたものでしょうか。場合によっては人選をやり直さなくてはなりませんが、如何でしょうか」と山本は社長の方を向く。

 社長より発言あり。

「山本君は、どこから、その様な細かい情報を入手しているのかね?」

 山本が回答する。

「現地からの報告に基づいて、総務部の冨山君から逐一伺っております」

 社長はジロッと冨山新部長を睨む。冨山は顔を下げる。

 社長より発言。

「真田君には、折角新天地に赴任してもらったにも拘わらず、ご子息の誘拐と、ご本人の轢き逃げ未遂事件という大変な出来事を経験された。誠に遺憾であり、現地警察とも連絡を取り、是非とも犯人を挙げてもらいたい。なおご本人とご子息が無事でおられることはご同慶の至りである。外国に赴任すると、安全な日本とは違い、いろいろ治安上、生活上の問題があろう。どうか真田君も、これにへこたれず頑張って頂きたい」

 真田は目を赤くして社長の方を向き「どうもありがとうございます。今後とも治安には大いに注意を払い、任務を全う致します」と発言した。



 その夜は、真田は総務部の若手社員と食事を摂った後、久方振りに銀座へ出かけ、なじみのバー「園」で過ごした。

 ママの雪子が直ぐ寄ってきて、酒とオードブルを机に並べながら聞いた。

「久しぶりね真田さん。今夜はいいの?」

 真田は若手社員の方を向いて、彼らの注意が他のホステスに向かっているのを見てから小さく「いいよ」と囁いた。

 夜も更けて十二時になり、真田は麻布にある雪子のマンションで、水割りウイスキーを飲んでいる。

 雪子との関係はもう五年になる。

 妻のゆかりは痩せていて、一重瞼の目じりが少し吊り上がり、一見したところ、狐のような尖った顔だが、雪子は色の白い丸顔で、身体もふくよかな魅力がある。雪子は尋ねる。

「真田さん。お子様の件もあり、今回はバンコクで大変でしたね。いつ頃お帰りになれそうですか?」

 真田は答える。

「四月から赴任したばかりだ。未だ分からんよ。二、三年は滞在させられるのではないかな?」

「お身体には十分気をつけて下さいよ。お客様に聞いてみると、タイは安全かと思ったら、意外に銃をもつことを許可している国らしいですからね」

「分かった。分かった。心配ありがとう」



 夜中の二時頃。真田はタクシーで田園調布の自宅に帰った。ゆかりが未だ起きていた。

「あなた、今頃まで一体どこにいらしたのですか?」

「いやちょっと、会社の連中と飲んでいて遅くなったよ」

「うそ言っても駄目よ。麻布の雪子さんのマンションに行ってらしたでしょう。私は何でも知っているんですから」

 変な奴がウロウロしていると思ったら、どうもゆかりが興信所を使って調べさせたらしい。真田は鋭く言う。

「それがどうした。雪子はお前と違って、ずっと思いやりがあってやさしい。ぼちぼち離婚の話を進めるか?」

「まあ、悔しい。私は決して離婚などしませんからね!」

 ゆかりは怒って寝室へ向かって飛び出していった。



 一両日後、チャオがタイ航空で、バンコクから来日した。空港から三星商事に電話して総務部長の冨山を呼び出す。

「冨山さん、やってきましたよ。どこかであなたと久しぶりにお会いしたいんですが」

 冨山は六本木の料亭を予約し、地図と電話番号をスマホで流す。

「冨山さん、バンコクでは苦労しましたよ。ガキの重男を攫った時には、もう少しで捕まるところでしたが、危うくモーターボートで逃げて助かったのです。

 その後またご指示を頂いて、真田を轢き逃げしてやろうと車を飛ばしましたが、横っ飛びにかわされてしまいましたよ。これだけ危ない目をさせておいて、たった千五百万バーツはないでしょう。二件目の分は一体どうしてくれるんですか?」

 富山は答える。

「はじめに三千万バーツを三人で一千万バーツづつ山分けすると、教えておいたのに、お前は一件目だけで千五百万バーツも取ってしまった。二件目は真田を轢き殺すのに失敗した。千五百万バーツも取ればもういいじゃないか。それより、日本で仕事があるぞ」

「え、何ですか?」

「例の真田会長を殺ってしまいたいんだ」

「えー、一体何故ですか?」とチャオ。

「バンコクでの事故を企画された人の依頼だ。金は出す」

「それで一体どうやって殺るんで?」

「それはお前に任す。出来るだけ足がつかぬよう考えてやってくれ」

「任すって言われても・・・・・・。一体いつまでに殺れば良いんで?」

「それもお前に任す。十月中にはケリをつけてもらいたい」

「へい、ようがす。考えてみましょう」



 翌日、例によって代々木のラブホテルでゆかりと会った冨山は、やることを

全て済ませた後、寝物語に囁いた「真田の生命保険を(現在の五千万円から)一億五千万円に引き上げてくれ」

「まあ凄いのね。分かったわ。やってみる」とゆかり。

 彼女は翌日保険会社に出向き、必要な手続きを済ませた。



 十月に入った。東京は未だ夏の名残りの暑さが残る日が目立つ。

 十月三日、いつも通り真田は運転手付きの車に送られ、自宅前で車を降りた。

 途端にバーンと銃の音がして、真田のこめかみ部分に鮮血がほとばしった。堪らずドウと倒れ込み、敷き詰めている白い砂利をみるみる染めていった。

 現場から黒い車が疾走し去っていった。

 運転手は仰天して家の中に駆け込み「奥さん、大変です。旦那様が銃で撃たれました」

 ゆかりが飛び出てきて、

「まあ大変、すぐ救急車を呼ばなくては」と一一九番に通報した。

 連絡を受けて救急車が駆け付けたが、被害者を一目見て「もうこと切れています。警察に連絡を!」と運転手に指示した。

 田園調布警察署のパトカーに乗って、?橋警部と陣内刑事が駆け付けるまで、ほんの十五分程度しかかかってなかった。

 死体は検死解剖を待つまでもなく、頭部に銃撃を受け、出血多量でこと切れていた。

 運転手が、田園調布署の会議室で、詳しく事件を説明した。

「誰が銃を撃ったのか、あなたは見ましたか」と?橋警部。

「いや、暗闇からいきなり発砲してきましたので、犯人の顔は見えませんでした。でもその後大慌てで、黒い車が現場から逃走していきました。多分レンタカーだと思います」と運転手。

「レンタカーだとは何故分かったのですか?」

「車体が派手にペンキで描かれておりましたので、自家用車でも、タクシーでもないと判断しました」

「奥さんはどの様な様子でしたか?」

「それはもうびっくりされ、大慌てで救急車を呼ぶために自宅に入られました」

「現場で誰か目撃者らしい人に会いましたか?」

「残念ながら、時間も遅く、寂しい場所なので誰とも会っていません」

 ?橋警部は、やむなく運転手を帰した。



 翌日から?橋警部は陣内刑事と手分けして、付近の聞き込みと、都内のレンタカー会社をくまなく当たった。

 鑑識からの連絡によると、使われた銃は、チェコ製九ミリ口径のCZ七五だという

 この銃を調べてみると、最近はタイでよく犯罪に使われているというデータがあった。

 そこで?橋警部と陣内刑事は、成田空港のレンタカー会社の内、数社に当たり、ここ一週間以内にタイ人に車を貸してないか調査した。

 数社当たったうち、最後のバジェット・レンタカーで、十月三日、タイ人の男に黒のニッサン・スカイラインを貸したという。名前はイェ・フウ・シンと書いてあった。勿論偽名であろう。

 念の為、十月三日と四日のバンコク行き航空便の乗客を調べると、四日(木)のタイ航空六四三便の乗客名簿に、イェ・フウ・シンという名前があった。・

 急遽バジェット・レンタカーの従業員に犯人の顔の特徴などをよく聞いて、モンタージュを作り、タイ航空と国際刑事警察機構インターポール経由タイ警察に事情を説明し捜査を依頼した。



 連絡を受けたタイ警察のチャムナン、ビチット両刑事が、レンタカー会社やタイ航空のチケットに住所として記載された、クロントーイ周辺の雑然としたアパート群の調査に向かった。

 モンタージュ写真の効果が効いて、容疑者チャオ・チャロトーンが拘束され、タイ警察で、シビアな尋問が行われた。

 チャオは日本に渡航したことは認めたが、レンタカーで日光、箱根界隈を旅行しただけで、真田信一郎氏など全く知らぬという。

 それ以外にチャオは一切口を噤んでいるので、チャムナン刑事もそれ以上進めることができず、インターポール経由田園調布署に実情を連絡した。

 ?橋警部と陣内刑事は、チャオについては、

? 現場を急いで去った車が黒いレンタカーであったこと。 

? 被害者の頭部から取出した銃弾により、使われた銃は、タイでよく犯罪に使用される、チェコ製CZ七五であろうということ。

? 成田空港のバジェット・レンタカーで、事件のあった十月三日、タイ人男性が、黒のニッサンスカイラインを借りて、翌四日に返却していること。申込書に書かれた名前はイェ・フウ・シン。

? 十月四日のタイ航空六四三便で、同名の乗客がバンコクへ向かっていたこと。

? バジェット・レンタカー従業員の記憶により作成したモンタージュで、チャオ・チャロトーンという容疑者が挙がってきたこと。

だけであり、何ら決めてとなる証拠もなく頭を抱えた。



 その内三星商事の内部に聞き込み調査を行っていた丸の内署の刑事から興味ある情報が寄せられてきた。

 新たに総務部の部長に昇格した冨山雄介の動きがおかしいというのである。

 バンコクの真田会長の子息誘拐事件や、暴走車による轢き逃げ未遂など一連の動きを、全て営業部の山本部長に逐一報告していたという。総務部の若手社員は、一体なぜ新部長が、根堀り葉ほりバンコクの事情を調べさせて、それを山本営業部長に報告していたのか理由が分からない、と供述したという。

 丸の内署の報告を聞いて、不思議に思った田園調布署の?橋警部と陣内刑事は、丸の内にある三星商事を訪ね、冨山新総務部長に面会を求めた。

 最初に?橋警部から

「冨山部長は、バンコクに赴任された真田前部長のあと総務部長にご昇格されたのですね。おめでとうございます」

 富山は答える。

「どうもありがとうございます。ところで今日は何か?」

「はい、他でもないのですが、あなたがバンコクにおける真田会長をめぐる一連の事件につき、その情報の詳細まで逐一山本営業部長に報告されていたと聞きましたが、何か理由がおありなのでしょうか?」

「いいえ、そんなことは一切ございません。一体誰がそんなことを言ってるのでしょうか?」と冨山部長。

「ところであなたは、以前タイのバンコクに駐在されていた経験がおありですね?」

「はい。七年ぐらい駐在しておりました」

 そこで?橋警部は例のモンタージュを冨山部長に見せて、

「この人物に覚えはありませんか?」

 富山部長はハッとモンタージュを見つめたが、その後何ともないような顔をして「知りませんね。見たこともありません」と回答した。

 


 丸の内から田園調布への帰途、陣内刑事は言う。

「冨山はおかしいですね。まず山本部長への報告は、同じ総務部の若手社員が証言しているのに、全面的に否定していますし、さらにモンタージュを見た時の顔、あれはよく知っているという顔ですよ」

「君も気づいたか。探ってみると、山本営業部長は、自分がバンコク日本人会の会長になりたかったのを、真田部長に先を越され、どうにかして彼を蹴落したくて、社内の部長会でも真田会長を揶揄する発言をしたそうだ。尤も社長は全く取り上げず、逆に真田会長を慰め励ます発言に終始したとのことだ」と?橋警部。

「そうだったのですか。それで良く分かりました。ところで冨山部長とタイのチャオとは何か関係がありそうですね」と陣内刑事。

「私もそう思う。一度三星商事や、タイ警察にもお願いして、その辺の調査を進めてみよう」



 半月が過ぎた。タイ警察のチャムナン刑事とビチット刑事は、その後も粘り強く捜査を続けていた。彼らにしてみれば、外国人である日本人の有力者の子息を誘拐したり、暴走車で轢き逃げを狙うなど、国民感情としても許せない気持ちが強かった。

 辛抱強くクロントーイ周辺のレンタカー業者にモンタージュを掲げて探っていたところ、九月十日に、モンタージュの男が車を借りたという情報を入手した。書類を見せてもらうとイェ・フウ・ミンと記載されている。日本側から聞いている成田空港のバジェット・レンタカーを借りたタイ人と同じ名前だ。

 チャムナン、ビチット両刑事は、早速チャオ・チャロトーンを拘引し、取調べを始めた。

「お前は九月十日、イェ・フウ・ミンという名前でレンタカーを借りている。これは日本の成田空港にあるバジェット・レンタカー会社に車を申し込んだのと同じ偽名だ。

 九月十日は、バンコク日本人会の真田会長が、暴走車に危うく轢き殺されるところだった。お前がレンタカーを借りてやったのか?」

「そんなこと全く知りませんや」とチャイ。

「では九月十日は一体何の目的でレンタカーを借りたのか?九月十二日にはもう車を返している。下手な話は聞かんぞ」

「いや。えーと、それは国から母親がバンコクにやってきたので、一日ゆっくり観光旅行をしたんでさあ」とチャイ。

 チャムナン刑事はビチット刑事に目くばせすると、ビチット刑事が部屋から出る。チャムナン刑事は更に続ける。

「十月三日お前は日本の成田空港でレンタカーを借りて、四日に返している。一体何のために借りたのか?」

「それは日本でも聞かれたので、お答えしましたが、日光、箱根を見物しに回っただけです」

「馬鹿野郎。そんな話が通ると思ってるのか。日本になどあまり行ったこともない男が、空港でレンタカーを借りて、行ったこともない日光、箱根などを観光して回っただと? 馬鹿も休み休みに言え。日本をろくに知らんお前がたった一日のレンタカー借用で、そんなことができるはずがない。一体何を隠しているんだ。田園調布で真田会長を銃撃したのはお前じゃないのか。レンタカー会社に聞くと、走行距離から言って、丁度田園調布を往復した程度であり、とても日光、箱根なんて長距離を走った形跡がないとのことだ」

 時間をおいてビチット刑事が入室する。

「お前の故郷であるウドーン・ターニーの母親のところに、当たってみたが、九月十日のバンコク旅行など全く知らぬとのことであった。息子のチャオはここ数年帰ってきていないと地元の警察に証言している」

 チャムナン刑事は言う。

「お前、いい加減なことを言って母親まで巻き込もうとしたが駄目だったな。この間、お前が日本に出掛けている時、アパートのお前の部屋を家宅捜索したら、真田会長が現金を詰め込んで渡した青いボストンバックが見付かった。またクロントーイ周辺で聞き込むと、お前は誘拐事件のあった八月末以降急に金遣いがめっぽう荒くなったとのことだ。お前を幼児誘拐と真田会長轢き逃げ未遂事件の容疑で逮捕する」と申し渡し、拘留した。



 

 翌日、また取調べが続けられた。

 チャムナン刑事が質問する。

「お前を見ていると、決して一人で誘拐事件を引き起こしたり、著名人に対し轢き逃げを企てるような玉には見えない。一体誰が裏に居てお前に命令し指図しているのか?」

「そんな人間誰もいやしませんよ」とチャオ。

「また口から出まかせを言ってるな。それでは聞くが、誘拐事件の後、八月二五日になって、バンコック銀行から、日本の三菱UFJ銀行の富田雄介名義の口座に千五百万バーツを送金したのは一体誰だ?」とチャムナン。

「え! わかりやしたか」

「当たり前だ。お前も幼稚なミスをしたもんだな。このまま何十年も臭いメシを食って貰おうか。それとも全て吐いて罪を軽くしたいか」

「分かりやした。こうなってはもう仕方がない。指図は全て、東京の三星商事の冨山雄介という総務部長から来たものです」とチャオ。

「一体どうして冨山を知ってるんだ?」

「へい。彼は七年ぐらい三星商事のタイ駐在員だったのですよ。その時知合いましてね」とチャオ。

「幼児誘拐と轢き逃げ未遂両方とも冨山と二人で画策したのか?」

「へい。その通りです。そして冨山の後ろにもうひとり全体を計画した人間がいるらしいですよ」



 チャムナン刑事は早速この情報を、インターポール経由田園調布署の?橋警部へ連絡した。

 直ぐ三星商事の冨山部長が田園調布署に呼び出され、?橋警部と陣内刑事の厳しい質問を受けた。

「君がバンコクで真田会長のご子息誘拐事件と同会長轢き逃げ未遂事件をチャオを使って引き起こしたことは、チャオの供述で判明している。しかしチャオは日本側にもうひとりこれらの事件を企画した仁がいると言ってる。それは一体誰なのか?」

「チャオがそんなことを言ってるのですか。私は一向に存じません」と冨山。

「吐かないなら仕方ないな。暫く独房に入って頭を冷やしてもらおうか」と彼は監獄に収監された。



 三星商事では、冨山部長収監の話を聞いて、社内は大騒ぎになった。特に営業部の山本部長の驚きは激しかった。



 十月末になり、バンコックポスト紙、朝日、毎日、読売、産経、日経の各新聞が一斉に事件を報道した。要旨は次の通り。

[去る八月十日、タイ国の首都バンコクでバンコク日本人会の会長真田信一郎氏 

 の長男重男君(八歳)が何者かに誘拐されて、身代金三千万バーツ(約一億円)を奪取された。重男君は無事に保護された。

 また九月十日、今度は真田会長がルンピニー公園で、暴走してきた車に危うく轢き殺されるところ、咄嗟に横に身を投げて未遂に終わった事件があった。

 さらに今度は十月三日、日本の田園調布の自宅の前で、真田会長が銃撃され即死する事故が発生した。

 三件の事故とも加害者はバンコクのクロントーイ地区に住むチャオ・チャロトーン(四六歳)で、彼に指令していた三星商事総務部長冨山雄介(五十歳)と共に逮捕された。

 警察では、一連の事件・事故を企画したあとひとりの人物がいるとみて、追及を深めている]



一週間ほど経ってから、田園調布署の刑事が、故真田信一郎宅の近辺を聞き

込みしている際に妙な話を耳にした。

 真田ゆかりがなぜか派手な衣服に身を飾りたてて、夜な夜な外出していると

いう話である。

 ?橋警部はそこでピンときて、故真田信一郎やゆかり名義の預金や保健につ

いて強権を発動して一斉にチェックした。                

 その結果八月三十日にゆかりの口座に千七百万円ほどの入金があった。かつ

受取人がゆかりである信一郎の生命保険が九月十九日に(五千万円から)一億

五千万円に引上げられているのが見付かった。

 ここにきて、一連の真田信一郎をめぐる事件の計画が、全て妻のゆかりと富

山により立案されたことが判明した。

 妻のゆかりは信一郎が自分よりバーのマダム雪子に情を移して離婚されそうになっていることに根深い恨みを抱き、彼女の情人でこれまた妻との離婚訴訟中の富山雄介と再婚し、新生活を始めたいというはかない夢をみていたのであった。    



                              ( 了 ) 

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