彷徨い続けたよろい・書き直し版
本編の方も書かなければなりませんが、あれは書き直さなければなりません。
もっと規模を小さくして、キャラクターが見えるようにしなければ。
俺は、俺自身を知らない。
誰かが着ていた……もしかしたら生前の俺が着ていた物かもしれないが、中身の無い、守る物などない鎧が俺であった。
血の通った人の温もりは当然そこにない。外気に晒され不気味に冷えた鉄の感触が俺で、それを気に留めなかった訳じゃない。
けれど、来訪者が途切れれば、歩けば抜いた事の無い左腰に佩いた剣の鞘が、錆び付く鉄靴にかちん、かちんと音を鳴らす、俺にとってそれが全てになった。
あの来訪者以外、人間は俺が人間でないとわかるや否や、会話も何もかも中断し逃げていく……全員、恐怖に怯えながら。
だが、数日前に嬉しい事が起きた。
この地を訪れた人間がいたのだ。その者にとって不幸であっただろうが、俺にとっては幸運でしかない。
その様相は誰かに追われてきたようで、そこそこ質の良いドレスは小枝に引っ掛けたのか、それとも彼女を追う者達によってか、見るも無残な姿になっている。
それだけじゃない。足を守る為の靴も無く、必死に生きようとしたのだろう。足には大小種類も様々な傷があり、その上――――少女の目は虚ろであった。
俺は久しぶりの来訪者へ、飛び上がりそうな嬉しさを抑え込み、ただ食事を、寝床を、飲み水を、必要な物を代わりに整えてやる。
残念な事に、食事も水も、あまり口にはしなかったが……
数日後、ただ焚き火を見つめ続け、寝るばかりだった少女が、火を焚き始めた宵の口に呟く。
「なんで、たすけ、てくれ、るの」
喉の渇きだけではなさそうだ。もう何日も喋っておらず、少女の声はか細い。
竹で作った水筒を手渡し、言う。
「落ち着いて喋るといい。俺は、逃げん」
水筒を受け取って少しの沈黙、小さな喉をこくん、こくん、と鳴らす音が聞こえた。
久しぶりの筈だ。少女は水筒の中身を飲み干したようで、空になったそれを見つめたまま動かなくなる。
暫しの間、彼女が改めて話し始めるのを、俺は待った。
「……なんで助けて、くれるの?」
まだ本調子ではなさそうだが、喋れるのならそれでいい、と心で頷く。
「人間と喋るのが久しぶりなんだ。嬉しくてね……って案外、驚かないな」
微かに灯った生きる執念を灯す瞳、てっきり怖がられると思っていたが、少女はその目を俺に向けたまま、静観していた。
パチン、と炎に包まれた薪が鳴る。
すぅ、と少女は視線を下げた。それは生への執着ではない、別の覚悟を決めた、そんな表情、何かを口にしようと開くが言葉が出ない様子で、俺は俺自身に内心驚きながら、彼女の出ない声を遮るように語り掛けた。
「ま、焦ったところでだ。人間には限りがあるだろうが、お前は若い。まだ男を知らんぐらいに若い。俺は……はて、鎧の化物に寿命があるのか知らんが、お前の言葉を待つぐらいには時間を持ち合わせてるさ。その間、気の遠くなるような俺の話を聞いてくれよ」
――久しぶりだった。誰かに俺の言葉を聞かせるのは。
かつてこの地に来たある若い男以来だったからだろう。無い舌が良く回り、無い頭が良く働いた。
化物として生まれて間もない頃の人間からの恐れに迫害、一人でこの地を彷徨う俺を恐れず、迫害せず接してくれた若い男との出会い、そして、いつの日かあの男が来なくなってからの、寂しく静かな、孤独まで。
火を絶やさないように薪を放りながら、気付けば辺りは不気味な闇に閉ざされている。
幾度も訪れた一人の闇は、酷く、冷たかった。今日は……温かいが。
「夜も更けてきたか……? もう寝るといい、性悪なゴブリン共も能無しのスライム共も、俺には近づいて来れない。続きなんていう続きは無いが、明日また話してやる」
周囲を見渡し、俺は言う。街道にあった朽ちた荷馬車から拾った布切れを被る少女へ――不意に、彼女が口を開いた。
「あたしのは、聞かなくていいの……?」
引っかかることない、滑らかな言葉。俺は無い頬を緩ませる。
ようやくまともに喋れるようになるまで落ちつけたのが、少し嬉しかったから……だが同時に、
「言っただろ? 俺には何もせず星空を眺めるほどに時間が有り余ってる。よーく落ち着いてから言えばいい」
俺は怖かった。
少女からのその先を聞いてしまえば、いつの日か消えてしまったあの若い男のように、どこかへ行ってしまいそうな気がしたから。
――――やがて目を瞑った少女を見て、俺は化物である事を自負しながら、この少女との生活を、ただひたすら願うのであった。
翌日、少女は俺の後を追うようになった。
どういう心境の変化かは分からない、食べ物から飲み水まで、全て俺に聞きながら自分でやりだしたのだ。
俺はそんな事をさせたくなく、宥めるが効果は無い。
やろうと思えばやめさせる方法もあったが……そんな酷い事は化物であれど、できなかった
……森の中を流れるせせらぎから取った小ぶりな魚を数匹、その場で火の起こし方ついでに焼いてやる。木漏れ日を見ると、太陽が頭上にあるのを確認できたからだ。
パチパチ、火の中で弾けた薪から、火の粉が舞い上がる。
「昨日のお話」
「ん? 続きが聞きたいのか?」
栗色の髪を揺らし、少女は首を横に振る。続きがあるようだ。
「あたしの話も、聞いてくれる? あたしがここに来るまでの、お話」
俺は深く頷き、無い耳を澄ませた。
――――少女自身はあまり詳しくは無いようだが、彼女の家は大きく、昔からこの辺りの町から税を徴収し、酪農から農業まで盛んな為、必要な道具、設備の保全や税を国へ納める領主であったとのこと。
彼女は焚き火を眺めながら続けた。
「前よりも高くなった税にお父さんはずっと悩んでた。おじいちゃんのように自分を蔑ろにしても足りないって。いつか、王さまにおじいちゃんが戦って守った町を燃やされちゃうって」
容易に、想像が出来た。彼女がここに来た理由――少女一人、服もボロボロ、大人を誰一人引きつれずに。
「……そうか」
分かっていたとも、孤独は俺一人でない事は。
だが自慢じゃないが、俺は孤独を理解している。人間である少女の孤独を、この場で唯一理解してやれる。
――――隣に座る少女の頭を撫でようと思った。
理解できるから、でも、伸ばした手が届く事はない。
考えてしまうのだ。自分を。化物だ。中身の無い……温かな肉も、支える骨も、感情すら偽物で、何も無い。
血錆かも分からない物に覆われ、かつての光沢を失った、鉄製の不気味で冷淡な、鎧、それが――俺だ。
「?」
鉄同士が擦り合う音に気づいた彼女は、俺の様子に小首を傾げた。
「気にするな」
精一杯、平静を装う俺には気づいていない。
「ここにね」
言葉が続く。成人していない、幼い声。
「おじいちゃんがいるの。ずぅーっと前だけどね、町の人の為に戦って、一緒に戦ってくれた町の人達と自分の命の代わりに町を見逃してもらったって……お人好しで人懐っこくて、寂しがりやってお父さんが言ってた」
なんとも勇ましい人だ。生きていたならば、俺も仲良くしてもらいたかった。
少女の目に、涙は無い。何かを確信したような表情だ。
「昨日言おうとした事、言っていい?」
何を言おうとしたのか分からなかったが、きっと俺にとって良い事ではない……そう思って必死に喋った。
だが、今日は、頷いた。そう遠くない日に、別れがある事を改めて理解したから。
「ううん」
少女は首を横に振り、栗色の髪を揺らす。
美しい翡翠の瞳を俺に向け、不気味に冷えた中身の無い手を取って、続きを口にした。
「昨日は私の事を食べちゃうんだと思ってたの。でも、わかった。お父さんの言う通りだった!」
無邪気な笑顔、そこで初めて気づく。
かつてこの地に訪れた、あの若い男にそっくりな事に。
底冷えするように冷えた手が、人間の、少女の温もりが熱く、微かに安堵した――――