第八話
仁王は開眼する。そして、零夜を見る。
仁王が零夜の姿を視界に捉えた、ただそれだけのことを彼の脳味噌が認識した瞬間に、先程の勢いがどこに行ってしまったのか、零夜の体がまるで金縛りの如く硬直し、動かなくなる。 右腕から雨御護闇切彌が滑り落ちた。冷や汗が吹き出て、とめどなく頬をつたう。魂が体中の穴という穴から分散して零れ落ちる様な錯覚を覚える。
「紫苑」
「なんですか」
「手を出すな」
「何だコレ……体が、動か……」
「僕は闘神、紅蓮と契約したと言ったが、彼との契約で彼の加護の対象の凶暴化に加えて力の約半分を封入した半霊体の写し身の具現化を使用可能なんだ。今は後者の具現化を使用中で、君が受けているのはそれに伴う威圧だよ」
その声すら耳に届いているはずなのに無駄に反響する。頭が動かない。目線を逸らしたいのに、それすらもさせてくれない。体が全く言うことを聞かない。
筋骨隆々で、二本の両腕の付け根から左右更に二本づつ、合計六本の大木に見紛う程の太さの腕。それらには細かい意匠の凝らされた、一つ一つの形状が異なる金剛杵と呼ばれる棍棒が握られている。
その全長は彼の前に佇む飛燕のおよそ二倍。赤い顔には憤怒とも絶望とも受け取れる表情。
「クッソ……動け……体……」
「やめておくのが賢明だ。彼の能力は威圧と言えば精神的な物に聞こえるけれど、実際は筋肉を萎縮させているだけだから下手に動けば筋肉が切れるよ」
「何なんだ、アンタは」
見下ろしながらそう言う彼の表情は、ただ無表情。
それを受けた零夜は少しの殺意を孕んだ視線を向けながらも必至で言葉を紡ぐ。
「僕は転式飛燕。ある方の刀。ある方の腕。ただそれだけだよ」
「何なんだ、お前は」
先程と同じ質問。そこでようやく初めて飛燕が辟易としたように顔を歪める。
「……禅問答かい?それには何の意味がある?まあ確かに、僕も誰もが自分の正体を知らずに生きているという理論には深く賛同するけれど」
「お前は、今、何を思ってる?」
気付くのが余りに遅すぎた。もっと早く気付いてもおかしくなかったというのに。
──転式飛燕が、今まで、ずっと無表情だったことに。
彼が表情を歪めたのは、さっきが初めてだった。ではそれまでは?……ずっとずっと、無表情だった。
「……そんなことはどうでも良い」
「お前は戦闘に快楽を見出す人間じゃない。そもそも喜怒哀楽が欠如してる。ポーカーフェイスとかそういう次元じゃない。ああ、それは今どうでもいいだろう。そこは本当っにどうでもいい。ただこれだけ聞かせろ。この模擬戦闘には一体何の意義があるんだ」
「……」
「僕は最初、お前が刀で人と戦う事が好きだからこの戦闘をする様に仕向けたんだと思っていた。でも違う。お前はずっと無表情だ。つまらなさそうでも楽しそうでも無かった。じゃあお前は何がしたいんだ?」
もし飛燕がその気になれば、今この瞬間にでも零夜の体を粉微塵にすることはいともたやすいことだろう。
彼が今それをしないということは、すなわち零夜に対して何か聞いたり、したりする必要なことがあるということになる。また、彼はこの戦いの意義について問うた時に黙り込んだ。彼に目的を聞かれるのは不都合だという事になる。
そのあたりから示唆するに、彼が粗剃零夜に対して猜疑心を抱いているという可能性が高い。それが「ある方」の命令か、はたまた彼の独断行動なのか、それは分からないにしろ、確実なのは最悪の場合彼はここで消されるということ。彼の考えが全く持って的外れの可能性もないわけではないが、それは正直希望的観測でしかない。
だから今の零夜にできることは。
本気の戦闘に備え平和な今のうちにほんの少しだけでも紅蓮の放つ圧力に順応すること───
(ここまでカマをかければもう良い、この後からは多少強引でも向こうが本題に入ろうとするまでにひたすら無駄話をし続けろ、シグの覚醒するまでのの時間も稼がなくてはならない、脳味噌を回せ、思考を止めるな)
ゆっくりと呼吸を整えて、少し不自然だが話を変える。
「ところで転式さんは刀握って何年なんですか?」
「初めて握らせてもらえたのが八歳の時、本格的に修行を始めたのが十歳。剣道をしていた期間を含めればもう少し長いけれど、真剣の話であるならば約九年間修業を積んだということになるね」
突然の話題変換に何を思ったかは定かでは無いが、彼は律儀にそう答えて、戦いが停滞してから初めて零夜の方へ向き直り。
「そういう君はどうなんだい?粗削りなところがあるのは否めないが、なかなか筋は良いと思うよ。まあ刀を躱したりという行為は若干邪道ではあるけれど」
「褒めてもらってとても嬉しいですけど。これが二か月なんですよ。驚きますか?」
「へえ……確かにそれは驚きだね。感覚としては少なくとも二年は修練した刀だったけどね。いや、それ相応の場数を踏んできたということなのかな。言われてみれば使い方が多少粗いのを経験で補っている様な感覚はあったから」
自分の戦い方をピタリと言い当てられ、冷や汗が背筋を伝う。
「まあ、そんなとこですね。にしては颶虎とやらにボロボロにされたんだけども」
「恥じることは全くないさ、アレを屠ること自体そうそうできることじゃあないからね。一体どんな人生を歩んできたんだろう」
それでさ、君がさっき僕に聞いてきた質問なんだけど、と言って飛燕は変わらない調子で続けた。
「君は一体何者なんだい?」
それと同時、今までで一番濃い圧が放たれた。
──それは、飛燕が始めて明確な敵意を表した瞬間であり。
そして、零夜の予想が完全に的中した瞬間だった。
すみません、昨日投稿した九話と間違えました。こっちが八話で昨日投稿の八話が九話です……




