第七話
「ではこれより粗剃零夜と転式飛燕による一本勝負を始めます。審判は私、八重霞紫苑です。ルールは何かこう……当たったら死ぬなーとか思うレベルの奴食らったら終わりです。怪我には十分に気をつけて下さいね」
なんやかんやと色々トラブルが多発したが、それはともかく実践編である。
現在この場にいるのは自ら審判を買って出た紫苑と、シグこと霧払驟時雨、粗剃零夜のみだ。彼を運んできた方々は彼の無事を知るとすぐに仕事に戻り、蜉華はまた買い出しで下山した。
矢禊殻神社境内の石畳の真ん中の辺りで、二人は互いの刀の切っ先が触れ合うぐらいの距離をとって構える。いわゆる一足一刀の間合いである。
「では、よろしくお願いします」
「ああ、よろしく頼む」
霧払驟時雨は零夜の背後で詠唱開始。彼女は勝っても負けても特に何か賞品が貰えるとかでもないのに、珍しく一番気張っている。もしかすると零夜がボロボロになった事に責任を感じているのかもしれないし、もしかしたら舐められているような気がしたのかもしれない。
しかし理由がなんであれ、彼女がそこまで本気なら、自分もそれに応えてやらねばあるまい。それが彼の信者としての責務なのだから。
「では、三つ数えたら始めますよ」
そう前置きして、紫苑がゆっくり離れていく。
「一つ」
飛燕が、深呼吸を一つした。
「二つ」
詠唱を終えたシグは、右腕に全神経を集中させた。
「三つ!!」
開戦の合図と共に零夜は大きく右方向に飛んだ。
「は?」
踏み出そうとした飛燕がこの挙動は予想外だったのか間の抜けた声を出した瞬間、背後の霧払驟時雨が地面に触れていた右腕を下から大きく振り上げた。
「神術:大氷山!!」
その瞬間にその地点から飛燕の背丈よりも大きな氷山が突き出る様に反り出て、彼へ向かって一直線、その鋭くとがった先端が凄まじい速度で肉薄する。
「闘神、紅蓮。頼む」
その様を見た飛燕が冷静に唱え、刀を真横に振るう。氷塊は彼に激突する前に薙ぎ払うように叩きつけられた刀によって即座にバラバラに崩壊し、ダイヤモンドダストの如くキラキラと宙を舞う。
「ふう……不意打ちとは中々」
「神術:薄氷!!」
飛燕の言葉に被せる様なシグの一言と同時、再び地面から突き出た先程の氷山程の高さを持つ薄い氷がの右側に張られる。強引に作られた死角からの攻撃を嫌った彼は反射的に氷の方向に刀を伸ばし、氷の壁を付き崩した。
「喰らえ!!」
さらにその直後、待ってましたと言わんばかりにシグの氷とは反対側の方向から零夜の声が。飛燕の上へ行く思考力と連携。完全な死角から大きくしならせた彼の右腕が左肩からバックハンドの要領で振り抜かれる。
しかし飛燕もさるもの、声に反応して回れ右の要領で高速のスピン、百八十度回転して危なげもなく零夜の一刀を受け止める。
「か、ら、の!!」
そして音もなく背後に忍び寄ったシグが右腕を氷で包んでメリケンサックの様にした状態で殴りかかった。下から付きあげるアッパー。その体格は小さくとも、彼女の体自体に勢いが乗っている分、その攻撃力は馬鹿にできない。
四段構えの攻勢、零夜に対応したためガラ空きとなった背面に容赦なく回避不可のアッパーが叩き込まれようとしたその瞬間───
トンッという軽い音がした
それと共に、後方にシグが最早冗談だと思える程の勢いで吹き飛ばされて、雑木林に勢いよく突っ込む。
「きゅう……」
大木の幹に背中を強く叩きつけられたシグはそのままズルズルと根元まで落ち、目を回してあっさりとノックアウト。
それを成したのは前を向いたままだったにも関わらず的確に彼女の無防備な薄い胸板に叩きつけられた飛燕の後ろ蹴りだった。
ここまで。
小賢しいような、決闘とは程遠いような策を幾つも用意し、多重攻撃を仕掛けても、全てにおいて反応され、悉くを武力をもって抑えられる。
その事実を咀嚼し、反芻し、少し遅れてやってきた衝撃と戦慄。その二つの感情が激しく渦を巻き、零夜の動きを一瞬ストップさせる。
無論、その隙を見逃す飛燕では無い。彼は次手を講じるためにと少し離れていた零夜のところまで、シグを蹴った足を一瞬で振り戻しそれによって発生した踏み込みで一気に跳躍するという離れ業を成したかと思えば、そのまま上段の構えから降下の勢いを上乗せした一撃を放つ。零夜は迫力に身を竦ませながらも必死で跳び退き無様に紙一重でその斬撃を回避。彼の体側スレスレのところを薙いで地面に叩きつけられた飛燕の一撃は地面を叩き割った。土塊が四散し、砂利が舞う。
(いやこんなん食らったら絶対死ぬじゃん刀が鈍器に変わっただけじゃん一体全体何が大丈夫だったんだよああもう嫌だ不味い不味い!!)
脳内で全力で絶叫する零夜だが、飛燕は待ってくれない。両手で掴んだ柄を素早く握り直し、大きく振りかぶり真横にいる零夜に一閃を打ち込む。しかし今度は一か八かイナバウアーの様に背面を反らして回避、危険な賭けとはなったものの、結果的に飛燕の斬撃は鼻の頭を掠めながら通り過ぎて行った。
「よ、よっしゃあああ反射神経万歳いいいい!!!!」
安堵と緊張と焦りと恐怖とでぐちゃぐちゃになった精神によりテンションが変に上がってしまい、辛抱たまらず叫ぶ。攻撃を躱された飛燕はその叫びに気分を害した様子はない。むしろ──それなりに喜んでいるようにも思える。それはとにかくまずはシグが復活しないことには何も始まらない。素早くイナバウアーした上体を起こすや否やシグのところまで全力疾走で駆け寄った。
そしてゆさゆさとその小さい体を揺さぶる。
「おいシグ!!起きろ!!俺が死んじまう!!おい!!頼む!!!起きてくれ……なんか言ってる?」
「ううう……儂が巨乳になってしまってごめん……魅力的過ぎて本当に申し訳無い……」
「他人がさんっざん苦労してる間にどんだけ阿呆みてーな夢見てやがんだこんちくしょう!!」
焦ると口が汚くなってしまうという悪癖がこれでもかと顔を覗かせてしまっている零夜だった。
「こっの……おいコラ起きろ貧乳穀潰しロリ野郎!!お前が巨乳になる日は一生こねーんだよ分かったら現実逃避やめてとっとと起きて俺を助けて下さいお願いします!!!!!」
悪口からだんだん懇願へ変わっていくまでの発言の内容の掌返しが手首から先がねじ切れてそうな程凄まじい。
しかしどれだけ必死に叫ぼうと気絶した彼女にはその言葉は届かない。そこに追いついて来た飛燕の横薙ぎの攻撃を弩に弾かれたように立ち上がって雨御護闇切彌を引き抜き防ぐ。響く金属音、直後、飛燕は一歩踏み出し、圧倒的な膂力を持って零夜を押した。たまらずバランスを崩し、たたらを踏む。そして体勢が崩れた所に迫る素早い唐竹割りをギリギリ回避しきれず、左足を思いっきり叩かれた。
バキッ!と鈍い音が鳴り響く。
「あああああっいっでええええええええええええええええ!!!」
破壊音と共に砕ける左足の甲。涙をぬぐって毒づきつつも、必死に詠唱。
「くっそ……模倣神術:夜叉骸纏……」
一度大きく飛び退いて距離を取った上で神術を発動、今度は聖骸布を左足に装備することによって、失った機動力を取り戻す。一時的に痛覚が麻痺し、痛みが緩和された。
「身体能力を向上させる能力か」
「ご明察ですが何でもかんでも見透されると死ぬほど腹が立つから本当にやめて欲しい!!」
本人にはその気は一切ないだろうが、本当に劣等感で死にたくなるのだ。
零夜は反撃開始とばかりに異形の左足で石畳を抉る様に踏み出して大きく跳躍、全体重を乗せて刀身を叩きつける。が、飛燕は動じずに攻撃を受け止めた。そこから互いの追撃が交錯し、ぶつかり合う。それが二度、三度と繰り返された後、始まる鍔迫り合い。
金属同士が擦れ合う音が辺りに響き渡り始めた。
互いが互いに隙を見せてたまるかとばかりに全力で刀と刀をぶつけ合わせる。
傍目には五分五分に見える斬り付け合い。しかしそれを繰り広げる両者の表情には大きな差が見て取れる。
零夜の顔には焦り。
飛燕の顔には冷静さ。
必死で刀を振る零夜に対して、涼しい顔であらゆる剣戟に大太刀を合わせる飛燕。侮っているというよりも、必要最低限の体力で零夜の攻撃に対応しているといったところだろう。どうにか状況を立て直したいのも山々なのだが、かと言って一度でも中途半端に退いてしまえば確実に押し込まれるだろうし、残存体力も零夜に余裕は全く無い。このままだとジリ貧になるのも時間の問題だ。
それ故早いところで何らかの対抗策を講じなければならないのだが───ここで霧払驟時雨のダウンが痛手だ。二対一というアドバンテージを失った以上、人間としての力だけで神を攻略せねばならない。それは過去、神と幾度となく戦ったものからすれば不可能であることが良く分かる。それが最強であった神、霧払驟時雨以上の力を保持しているとなれば尚更だ。
となれば、奇策に出るしか無い。
策は思い付いている。後は少しの勇気を込めるだけだ。
それが分かったなら───気合いを入れろ。
「……天網恢恢疎にして漏らさず……、俺は悪いことしてないから大丈夫、きっと何とかなる……」
この言葉は彼の三大好きな言葉の内の一つである。簡単に言うと悪いことをしたら自分に返ってくるという意味の言葉。
零夜は曲解し悪いことをしてはいないからきっと上手く運ぶ、悪いことは起きないはずだと自己暗示する。勇気も根性も気合も努力も、そんな少年漫画のような精神を欠片ほども持っていない彼はそうやって勇気をセルフサービスしないと頑張れない性質なのだ。まあそれすらもうまくいかないことの方が多いわけだが。
尚残り二つの好きな言葉は「毒食らわば皿まで」と「肉を切らせて骨を断つ」である。もうこれだけで彼の人間性がなんとなく分かってしまう気がしなくもない。
そして腹を決めると、タイミングを見計らい最後になる一撃を強く叩き込んだ。不意に強くなった一撃に少し飛燕はよろめく。
その瞬間、これからの行動の障壁となる雨御護闇切彌を地面に強引かつ素早く斜めに突き立てて自ら鍔迫り合いを中断する。
「何のつもりだ!?」
流石の飛燕も一瞬だけ怯む。しかし次の瞬間に動揺を抑え込み、素早く踏み込んで真一文字に斬り込んで来た。
刹那、飛燕の視界から零夜が消え失せた。
渾身の一刀が虚しく空を切った、その瞬間、飛燕は背後に気配を感じた。
先程零夜は、横薙ぎの一閃が来ることの一点読みで、強化された左足による高速スライディングで斬撃を躱したのだ。上段からの唐竹割が来たら直撃して負けだったが、今までの彼の挙動を鑑みると、無意識の時やここぞという場面では基本的には刀を横に振る傾向にあった。そこから彼の行動を読み、博打を行ったのだ。
そして命という最大の財産をチップとしてベットし、勝利したこの賭け。勿論賞金は莫大に決まっている。
「背中、もらったぞ……!」
最初の時とは訳が違う。彼は今、空振りによって体勢を崩している。ここから反応するには関節のない軟体生物になるしかないはずだ。そうなった場合は大人しく負けようと思う。
そしていま、彼の右手には、スライディングした際に地面から引き抜いていた雨御護闇切彌が握られている。
一瞬で上体を大きく捻る。イメージはやはりテニスのバックハンド。右手は左肩に置き、左腕は右腕の下でクロスさせる。重心は右足に、そして左足に力を籠める。全身がまるで弓になったかのように力を引き絞り、引き絞り、最大限まで振り絞り──そして一気に打ち出す。
零夜の全身が凄まじい勢いで、躍動する。
音をも置き去りにするかのような全身全霊で神速の一撃が、圧倒的な破壊力とともに解き放たれた。
「喰らえ月輪降ろし!!」
「闘気解放」
刹那、ただ一言、飛燕が告げた。硬い何かに刀が当たった感触がして、腕が痺れた。
──違う。
この感触は、人間を殴った時の感触じゃない。
本能が、理性が、触覚が、脳味噌が、そう叫んでいた。
そして、目の当たりにする。
飛燕の背後に現れた、巨大な仁王の幻影が、その腕に持った金剛杵で零夜の全霊を受け止めている、その光景を。
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