第六話
「シグ、傷治ったぞ!!!」
「零夜ああ!!良かった良かった!!!」
社から飛び出すや否や石畳を蹴って走り出した零夜を見て、紫苑と並んでベンチに座っていたシグも零夜に向かって一直線。
両手をお互いがっちりと掴んで、くるくると回る。背の低いシグの足は地面から離れ、宙を舞い、加速。
「あははははは!!」
「あははははは!!」
笑って、
「あははははは!!」
「あははっは、はぁ……はぁ……はぁっ……」
十回も回転しないうちにへばった零夜は膝から地面に崩れ落ち、肩で息をする。
「……何なんじゃコレ」
「はぁっ……はぁっ……何だった、んだよ、コレッ……」
「二人とも何やってんですか」
紫苑が半分呆れたような口調で言う。
「まあまあ、二人とも元気になったんですし、良かったじゃないですか」
「そうですねっていだああっ!!」
蜉華に同意しながら立ち上がろうとした零夜は次の瞬間に素足に大きめの砂利が突き刺さって悶絶。もう一度地を這う。
「くああっ!!」
「ほら、しっかりして下さいよ」
「うう、ありがとう紫苑さん……」
差し伸べられた手に縋って今度こそ零夜は立ち上がって、服についた砂埃を取り除く。
「というか零夜君、服の替えも靴も無いんです?その白い服、血塗れな上ズッタズタになってるからなんか奇譚なく言えば犯罪者みたいになってますよ」
「本当に何にも持って来て無いんですよねー……あっそうだ!」
「ふむ、なにか良い策があるのか?」
「蜉華さん、僕に巫女装束を貸すというのはどうでしょうかってどごふっ!!!」
「暇さえあればトライしていくのどうかと思うんじゃが。何?どんな性癖?」
「というか零夜君って見た目からしてもっと真面目で頭が良い人だと思ってたんですが、別に頭が特別いい訳でもないし、お馬鹿っぽいですし、おっちょこちょいなんですね。あとなんか変。結構意外」
「酷い!!」
零夜の言葉に紫苑は身も蓋もないような言葉を放ち、シグは脇腹に正確な肘鉄を撃ち込みながら突っ込んだ。哀しくなるほどに扱いが雑である。
「うーん、き、着替えは、無い……ですけど……草履なら……社の中に予備があった……と思うので、その、取ってきます、ね」
無言で悶える零夜にそう言って、蜉華は裾を翻しぱたぱたと走っていく。
「……しかしなあ、これからどうしようか……仕事も無いしな」
「話題変えるの早いのお前」
「うーん、零夜君達って実力はかなりあるんですし、行く宛がないのであれば是非とも私達の──」
「紫苑、追い付いたよ」
そう紫苑が言いかけた瞬間、背後から青年の良く通る声が聞こえた。
「やあ、話は聞いているよ。君が粗剃君だね」
そうして自分を呼ぶ声に、振り返った、その刹那。
「……零穿っっっ!!!!」
理性は遥か彼方に追いやられ、何かを感じるよりも早く、肉体が動いていた。
電光石火の速度で雨御護闇切彌の柄に手をかけて、彼の出しうる最速の一撃で胴を両断するべく全神経系をフル稼働。殺られる前に殺る。脊髄反射で全身の運動神経に司令が出され、何の比喩でもなくバチリと火花を散らしながら美しい刀が引き抜かれた。左足を軸にし、石畳を焦がす程の勢いで半回転、勢いそのままに背後の青年に刀身を叩きつけようとして────
がづん!!という大きな金属音が響いた。
「……あーあー……全く、初対面なのに何やってるんですか飛燕さん、趣味悪いですよ」
「ああ、やっぱり怒るか。申し訳無い」
「え?なんで俺今……ご、ごめんなさい、ケガしてませんか?」
「良いんですよ、気にしないでください零夜君。悪いのは飛燕さんですからね」
我に返った零夜が見ると、少しだけ抜刀したその青年の脇差が零夜の零穿を止めていた。
「ほら、飛燕さん、早く謝ってください。零夜君混乱してますし」
「そうだな。……申し訳無い、粗剃君、今のは君が悪いんじゃなくて、僕の守護神、格闘の概念神の加護の影響なんだよ。その能力発動中は、僕の存在を認識した瞬間に、視認したその人間の闘争心を引き出して理性を一時的に飛ばしてしまうんだ」
「……それってなかなか不便な能力じゃないですか?相手が狂暴になるってことでしょう?」
「……零夜零夜、アイツの神……下手すりゃ儂より強い」
「やっぱりか……加護の強さから何となく気付いたが……」
───加護とは、神と正式に契約した者に与えられる祝福による異能である。能力や性能は勿論、加護を与える神によって変動するが、それがどんな能力であれ、加護を得るということはすなわち神にどんな形だとしてもその人間性や実力を認められるということであり、それを成すのは並大抵のことでは無い。
青い長髪を後ろでまとめていて、ポニーテールの様にしている美青年。現代日本のコンクリートジャングルの中で歩くと目立つことこの上ないだろうが、見るからに上等な着物も相まって正統派な武士の装いをしているので、この世界において、その容貌に違和感は無い。
ただ───
(この人、多分ヤバい)
例えば、歩くときに音がしないところ。気配も感じなかったところ。
例えば、逆に歪んで見えるほどに姿勢が美しすぎるところ。
例えば、異様な存在感を放っていること。相対するだけで息が詰まる点。
「そんなことは無いよ。小細工を弄されないで良いからね。真っ向勝負に持っていけるのが長所だ。闘神の能力で地力も底上げされているから、楽に戦える」
例えば───真っ向勝負なら負けないと言外に示しているその発言、それを裏付ける零穿への対応力と余裕。
ありとあらゆる要素が零夜に告げる。彼は危険だと。ぶわっと全身の鳥肌が立つ。
(いったん落ち着け、マジで落ち着け)
自己暗示で心を落ち着かせる。
ゆっくりと深呼吸。
視線を外す。
そして静かに納刀する。
「ああ、話が逸れてしまった。では改めて名乗ろうか。僕の名前は転式飛燕。ある意味では紫苑と蜉華の上司、と言ったところだね」
「そうですか。それで、僕に何の用事ですか?」
「いやいや、何か警戒しているのかな。固くならないですくれ。まずは礼を言いに来たんだ。颶虎との戦闘に協力してくれたと紫苑から聞いたよ。そのために大きな傷を幾つも負ったとも聞いてね。こちら側もまさか二体もいるとは思わず、単騎戦闘用戦力の紫苑を当たらせてしまったから」
「紫苑さんってそんな立ち位置だったんですか……でも何か彼女は一人で戦う気満々でしたけど?」
「だって一般人の方に不安な思いをさせたくないじゃないですか……見た目だけでも余裕綽々としておきたかったのです」
「紫苑、実際はどういう心境だったんだ?」
「だって絶対そっちの方が格好いいじゃないですか」
「紫苑さん!?命のやり取りで見栄を張らないでくれませんか!!?守れるものも守れないのでとかどの口が言ってんですか!?」
事実そのときはカッコよかったのだが、そんな裏事情を聞くと途端にイメージが一変する。リスクとリターンの差があり過ぎるし、そもそもそれで死んでしまったとしたらとても浮かばれない。
「あはは。まあ、それでも結果的に君がいてくれたから助かった訳だ。それについて礼を言おう」
「は、はぁ。まあどういたしまして。あの、上司って言いましたが、あなたたちってどういう集団なんですか?」
「ふむふむ。そうだな……いや、意外と説明しにくいな。まあともかくある種の自警団みたいなものだな。いや少し違うか」
「……そうですか。まあ良いですけど」
「零夜さん、草履ありましたよー!」
その時、ぱたぱたと向こうから蜉華が草履を持って歩いて来た。
「ど、どうですか?大きさは、合ってますか?」
早速地面に置いて試し履きしてみる。
「目測では……その、これが一番近いと思った……んです、が」
蜉華はそう言うが、その草履の大きさは零夜の踵が少し出るぐらいで少し小さい。
(?……あ、でもそっか、草履って確か多少小さいのが普通なのか)
「ありがとうございます、丁度だと思います」
「みたいですね!!よ……良かったです。町で売れ残った奴なんで……じゃあ、あ、あげますよ、それ。せっかく手作りした……んだし、捨てるの、勿体ないから……」
「えっ?手作りなんですかこれ?」
失礼な話、零夜からすると彼女は見た目どんくさそうに見えていたので、割と意外な事実だった。
「わ、私、手先が……その、器用な方なので……こういうの、作って収入の足しにしてるんで、すよ。結構よく売れるんです……草履は、その、擦り切れたりします……から、売れ筋の商品ですね。他の商品の売れ行きも悪くは、無いですから、神社の設備を整えたりするのに使ったり」
───明らかに彼女が作ったということが付加価値になっている。多分、職場に潤いが無いのだろう。そこに綺麗な女の子が作った日用品があれば……それは間違いなく買うだろう。というか立場が同じならきっと零夜もそうする。男子とは基本的に浅ましい生物なのだから。
「へ、へえ、そうなんですね。他には何を作ってるんですか?」
自分も何か買いたいとか微塵も思ってない。そもそも今履いている草履に謎の履き心地の良さがあるとか感じてなんかない。向こうのシグの目がジトってしているのも偶然だと思いたい。自分はそこまで浅ましくない。筈。
「一番人気なのは……裏手の温泉の源泉から汲んだ天然水を瓶に詰めた、『巫女の天然水』ですね。毎日毎日働き手の男の人達が大量に買ってくれてます」
「最低な釣りじゃの」
さっきまでの警戒モードから復帰したシグの小声が辛辣過ぎて聞いてる側もなんか辛い。
「絶対に無意識だと思うぞ。見ろよあの純真な顔」
一応声を潜めてフォローしておく。彼女に罪は無いはずだ。きっとそうだ。
「じゃから巫女に甘すぎじゃって……良いか、人間というのは純真な顔して本当は腹黒いとかザラにあることなんじゃぞ」
「いやお前幼い時から神様なのに何を言ってるんだ」
「……零夜、お前が酔わされたあの日にナニが起こったか、思い出させてやってもいいんじゃからな?というか忘れたとは言わさんぞ」
「……何のことだっけ?あっれーおっかしいなー何も覚えてないや」
「もう俺お婿に行けない……ううう、もう、もう、ああああああああああああああああああもうやめて下さいいい、もうこれ以上……これ以上続けて欲しいか?儂は構わんが」
「………………忘れて下さい、ごめんなさい」
黒歴史なんて誰にでもある。皆誰もが秘密を抱えて生きている。それを掘り返すのは良くない。
そう、あんなことなんて無かった。記憶から抹消。はいもう忘れた。
「………………これ以上気持ち良くなったらおかしくなっちゃ」
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
精神を叩き壊され蹲る零夜。
「もうやめて……無かったことにさせて……」
「じゃあ勘弁してやろう」
「あの、そしてもう一つ要件があるのだが……言って良いのか?」
「私は今の話が詳しく聞きたいです」
「駄目!!」
飛燕が引き気味に言って、紫苑が興味に目を光らせる。下から半泣きで見上げる零夜はとにかくこれ以上の黒歴史の深堀りは許さないという鋼の意志。
「駄目ですか?」
「駄目だ」
「巫女の服と交換だとしても?」
「何でもかんでも俺の性癖で釣れると思うなよ!!!」
血反吐でも吐いているのではなかろうかとすら思える程の魂の絶叫だった。
「むう……」
「た、助かった……あ、そうそう。それで、一体転式さんは何の用事だったんですか?」
「ようやく本題に入れる……とまあそれは置いておいて。零夜君、僕と決闘してくれ。今ここで」
「……は?」
「さあ、準備してくれ」
「ちょちょちょ、待って待って待って下さい!!何でですか、待ってこんな所で殺し合いとか無しですって」
「まあまあ……大丈夫だよ。まあ見ておいてくれ」
そう言うと脇差の下に差してあった大太刀を引き抜き、親指を噛んで血を出すと、刀身に垂らした。
「鈍と化せ」
その言葉と同時に霊力の波動が迸り血が蒸発、そして刀身が鈍い緑色に包まれた。
「見たこと無いかい?劣化神術という技法で、模倣神術と違って簡単に使えるし、霊力消費も少ないんだ。良ければ後で何個か教えるよ」
不審そうな顔の二人にそう言うと、その状態のままつかつかと近くの木の前に歩いていく。
斬!!
そして、斬り付けられた大木の幹が半分ほどまで叩き割られて、木全体が傾いた。
「ほら、大丈夫だろう?」
「何が!どこが!安心要素欠片もねえ!どこにそんな余裕が生まれるんですか!?何で!?必要なんですかこの戦い!?そもそもどうやったらそんな芸当ができるようになるの!?何喰って生きてるの!?」
「いや、その勝負……受けてやろうではないか」
大混乱のあまり饒舌になる零夜。そこになにやら自信ありげのシグが歩み寄る。
「え?は?ちょ、何言ってんのシグ?」
自らが奉ずる神の意外な行動に唖然とする零夜を華麗に無視し、彼女は彼の腰から雨御護闇切彌を引き抜く。そして人差し指にそのまま噛み千切るのほどの勢いで噛みつき、流れ出た大量の血液を垂らす。
「ただし、一つ条件を提示させよ。お主にも契約しとる神がおるじゃろう?零夜だけでは不安じゃから、お前と零夜のタイマンじゃなくって、それらも介入させる、いわば総力戦という形式にして欲しい。良いか?」
「ああ、分かりました。貴方がそう望むのであれば是非そうしましょう」
「ちょ、ちょっと待ってってシグ!!マズいマズい勝手に話進めないでくれよ、いくらなんでもそれはマズイって!!」
「鈍と化せ!!……おお、本当に切れ味が悪くなるんじゃな」
頭を抱える零夜を尻目に話を聞かないシグは刀身を撫でて驚いたようにそう言う。
「シグ、良いかよく聞け俺死ぬぞ?分かってんのか?絶対死ぬぞ?やりたくないぞ、死にたくないもの」
「ノリ悪ーい。曲がりなりにも儂のパートナーなんじゃからもっと気張れーい」
「忘れんな、俺はもともとは一介の高校生なんだよ。気合も根性も勇気もどこにも無いのさ」
両手を肩まで上げて情けなく首を振る。
「…………あの後輩のためなら全力出す癖に」
「むくれんなよ……まあ、アイツは、な。例外だからさ」
「おい、紫苑とやら。何かないか?」
「ええ……私ですか?うーん……じゃあ、飛燕さんに零夜君が勝ったらここの神社の巫女服を一着あげるっていうのはどうなんですかね。それならやる気も出ませんか?」
「だから何でもかんでも性癖で釣ろうとするな!俺のことを一体何だと思ってるんだ!」
再び響く魂の絶叫だった。
「むう、駄目か零夜?」
「かわいい顔しても駄目だ」
「よし、じゃあ教えてやろう紫苑。コイツな、自分の後輩に酔わされた挙句服ひん剥かれて乳首と」
「よっしゃ黙ってろ戦うならやってやる」
結末に至るまでは余りに早すぎた。
「というかなんでそんなに必死なのさ?」
「零夜、お前さっきチートがどうとか言っておったろう?」
シグが、不敵に笑った。
「お前のバックにいるのがいったい誰なのか、ここで儂が教えてやろう。チートに頼らずとも、儂がここで、零夜をドン勝ちさせてやる」
両手を握って体の正面でぶつけ合わせるその表情は、まさに時雨の神を冠するに相応しい、美しく、冷たい表情だった。
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